2021年11月04日

ヤクルト大村孟と来季契約結ばず 16年育成ドラフト1位

ヤクルトは4日、大村孟捕手(29)と来季の契約を結ばないことを発表した。
大村はBCリーグ石川から16年育成ドラフト1位で入団。18年3月に支配下登録。通算14試合に出場し、打率1割5分4厘、1本塁打、1打点。ここ2年は1軍がなかった。[ 11/4(木) 17:52配信 日刊スポーツ ]

59.大村猛(2018-2021)←120.(2017-2018)

2016年10月20日独立リーグ福井より育成選手ドラフト1位指名入団。背番号は「120」。
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捕手登録ながら,ファームでは主に一塁手や指名打者で出場。2017年は打率.268を記録するも支配下登録はならなかった。

2018年。春季キャンプ期間中に松本直樹の離脱に伴い一軍合流。オープン戦で結果を残し,3月20日に支配下登録。背番号は「59」に変更された。
4月4日川端慎吾の脳震盪特例措置によって一軍初登録。4月5日広島戦(神宮)でプロ初出場。4月12日中日戦(ナゴヤドーム)でプロ初安打。
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2019年は6月29日に一軍昇格すると,7月2日広島戦(マツダ)でプロ初本塁打・初打点をマークしたが,7月8日に登録抹消された。2020年,2021年は一軍出場無し。
フェニックスリーグ終了後に行われる秋季練習のメンバーにも名前を連ねていたものの,戦力外通告となった。ただヤクルト球団ならこの時期の通告であればなんらかのポジションを用意してのものなのかなぁと。

【記録】
 ・初出場・初打席:2018年4月5日広島戦(神宮)館山昌平の代打出場
 ・初安打:2018年4月12日中日戦(ナゴヤドーム)[佐藤優]
 ・初本塁打・初打点:2019年7月2日広島戦(マツダスタジアム)[島内颯太郎]

引退・退団・移籍選手について,過去に遡って新たにSWALLOWS Memoriesというカテゴリーを設けました。これに伴って,10月6日の記事もこちらに移動させていただきます。
歳内ら戦力外 プロ野球・ヤクルト
 ヤクルトは6日、歳内宏明(28)、中尾輝(27)、蔵本治孝(26)の3投手と来季の契約を結ばないと発表した。[ 10/6(水) 14:54配信 時事通信 ]
 

62.歳内宏明(2021)←91.(2020途)
2020年9月7日四国アイランドリーグ・香川からNPB復帰。背番号は「91」。9月16日DeNA戦(神宮)で先発登板。これが歳内にとって実に4年ぶりの一軍登板。9月24日中日戦(神宮)で復帰後初黒星。3試合目の先発となった10月1日DeNA戦(横浜)。7回無失点の好投で,阪神時代の2015年9月29日DeNA戦(甲子園)以来,先発としては自身初の勝利投手に。途中加入にも関わらず7試合に先発とローテーションの一角を担い,背番号も田川賢吾の退団で空いた「62」に変更された。

2021年春季浦添キャンプのメンバーに名を連ねていたものの,春季教育リーグからファーム落ち。開幕直後4月2日に山野太一に代わり一軍登録されたが,登板機会無く翌々日4日に登録抹消。4月23日東北楽天戦(森林どり泉)を最後に約3ヶ月登板無く,8月13日ロッテ戦(戸田)が最後の登板となっていた。今季のイースタンでの登板は僅か6試合。1勝2敗 防御率6.06だった。

記録
 ・初先発勝利:2020年10月1日DeNA戦(横浜)
 ・初安打:2020年10月30日巨人戦(東京ドーム)[今村信貴]

63.中尾輝[2021]←13.(2017-2020)
名古屋経済大から2016年ドラフト4位指名。背番号はルイス・ペレスが背負っていた「13」に。

即戦力ルーキーとして2017年浦添キャンプメンバーにも抜擢された。4月29日に一軍初昇格も登板機会無いまま5月2日に登録抹消。チームが7連敗中の6月8日ソフトバンク戦でプロ初登板初先発に大抜てきされた。しかし3回7失点のほろ苦デビューとなり翌日抹消。シーズン終盤に再昇格したが,登板はこの先発を含め2試合の登板に終わった。それでもオフに開催されたウインターベースボールリーグに派遣され何かを掴んだか2年目に一気に飛躍した。

自身初の開幕一軍入りを果たした2018年。4月8日巨人戦(神宮)で,同点の5回から登板し3回を無失点。7回裏にチームが勝ち越しプロ初勝利。
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その後も好投を続け,気がつけば近藤一樹とともに守護神石山泰稚に繋ぐセットアッパーに。交流戦では18試合中9試合に登板し2勝1敗4ホールドと大車輪の活躍でチームの勝率1位に貢献。最終的にチーム3位の54試合に登板し7勝3敗12ホールド。前年96敗を喫したチームのリーグ2位躍進にも大きく貢献した。しかし3連投が5度など当時の田畑一也コーチによる酷使は明らかだった。

2019年浦添春季キャンプ中に左肩痛を訴え離脱。4月19日に一軍昇格したが前年のようなキレはなく,登板は12試合。防御率も8.36と振るわなかった。

2020年は登板5試合に終わり,オフには背番号が「63」に降格。背番号「13」はホセ・オスナに渡った。2021年はプロ入り5年目にして初めて一軍登板なかった。

投手記録
 ・初登板・初先発登板:2017年6月8日ソフトバンク戦(ヤフオクドーム)
 ・初奪三振:同上[上林誠知]
 ・初勝利:2018年4月8日巨人戦(神宮)
 ・初ホールド:2018年4月29日巨人戦(東京ドーム)

99.蔵本治孝(2020-2021)←22.(2018-2019)
岡山商科大学から2017年ドラフト3位指名。背番号は竹下真吾の退団で空いた「22」。愛称は”くらもん”。
2018年は一軍登板無し。
2019年6月19日に初めて一軍登録され,6月21日ロッテ戦(神宮)でプロ初登板。8試合に登板したが勝敗なし。この年のオフに高津臣吾一軍監督就任に伴い現役時代と同じ背番号「22」を希望したことで,蔵本は高津二軍監督と交換される形で「99」に。
2020年一軍登板無し。
2021年7月31日エキシビジョンマッチソフトバンク戦(PayPay)で2イニングを投げ無失点と後半の秘密兵器を期待されたが,結局2年続けて一軍登板無く終わった。

記録
 ・初登板:2019年6月21日ロッテ戦(神宮)
 ・初奪三振:同上[二木康太]続きを読む
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2021年10月02日

ヤクルトの雄平が引退 プロ野球

10月2日の夜にひっそりと書きました。
 ヤクルトは29日、雄平外野手(37)=本名高井雄平=が今季限りで現役引退すると発表した。
 10月5日に会見を開く。
 2003年に宮城・東北高からドラフト1巡目で投手として入団。144試合に登板し、18勝19敗1セーブ、防御率4.96の成績を残した。10年シーズンから野手に転向し、14年には打率3割1分6厘、23本塁打、90打点でベストナインに選出。今季は1軍出場がなかった。
 雄平は球団を通じ、「高校を卒業して19年間という長い間お世話になり、プロ野球選手として素晴らしい経験をさせていただいた。15年、サヨナラヒットで優勝を決めたことが一番印象に残っている」とコメントした。[ 9/29(水) 12:00配信 時事通信 ]

41.雄平(2007-2021)←22(2006)←16.高井(2003-2005)
2002年ドラフト1巡目で大阪近鉄バファローズとの抽選の末若松勉監督がクジを引き当て入団。前年まで石井一久がつけていた背番号「16」が与えられたことからも左のエースとしての将来が嘱望された。

2003年。高卒ルーキーながら4月22日巨人戦(東京ドーム)でプロ初登板を果たし,6月11日巨人戦(東京ドーム)でプロ初勝利。6月28日広島戦(広島)戦で5回を投げ10奪三振を奪い先発としても初勝利。計27試合に登板し,5勝6敗防御率5.03と,高卒ルーキーとしては十分の成績を残した。その一方で102回を投げ,63四死球。リーグ最多の12暴投と克服すべき課題も現れていた。

2年目の2004年の一軍登板数は9試合に留まったが,後半戦だけで先発で4勝と3年目の飛躍を感じさせた。

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自身初の開幕一軍入りを果たした2005年。開幕3戦目の先発を託された4月3日阪神戦(大阪ドーム)で能見篤史からセンターバッククリーンへプロ初本塁打を放つも,自身が打ち込まれ敗戦投手に。6月に二軍降格。コントロールを意識するあまり球威がなくなる。投手として伸び悩み始めた高井。

古田敦也選手兼任監督の誕生に伴い,MLBロサンゼルス・ドジャースの石井一久もヤクルトに復帰することが決まり,石井一が愛着のある背番号「16」を希望したことで,「22」へと変更になった2006年。
4月1日阪神戦(神宮)でプロ初ホールドをマークするなど中継ぎとして36試合に登板。2勝1敗5ホールドという成績を残したが,防御率は6.51にまで悪化した。6月17日ロッテ戦(神宮)では福浦和也に頭部死球を与え,わずか1球で危険球退場処分も受けた。
そしてある意味投手高井の分岐点となった10月12日横浜戦(神宮)。1回表先頭打者石井琢朗に四球を与え,3番内川聖一の打席で連続暴投。石井は三塁へ進み,さらにキャッチャーのはるか上を通過し,バックネットに突き刺ささるような暴投で石井を本塁まで生還させてしまった。1イニング3暴投というNPB一軍公式戦最多タイ記録を作ってしまう。

2007年もまた背番号変更。前年からヤクルトに復帰していた高津臣吾が「11」から「22」に変更されたことに伴い高井はまたも弾きだされるような形で今度は「41」へ。
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制球力を上げる目的で,投球フォームをワインドアップからセットポジションに変更したのが功を奏したか。ブルペン唯一の左腕としてチームおよび自身最多の52試合に登板。7月16日中日戦(ナゴヤドーム)ではプロ初セーブを挙げるなど,3勝12ホールド。防御率も5.19と改善の兆しを見せていた。

高田繁監督が就任した2008年。監督方針で春季キャンプから先発要員として再起を図ったが,あまりに制球に意識を奪われるあまり,高井にとって最大の武器であったストレートの球速はついには140km/hにも届かなくなり,結局この年の登板は1試合(2/3回)のみ。
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オフにはハワイ・ウィンターリーグへと派遣されていた。余談となるが,この年のオフにスワローズは横浜から相川亮二を獲得した際,当時横浜を率いていた大矢明彦監督が高井を人的補償で獲得したい意向があったそうだが,リストには載っていなかった(=ヤクルトからプロテクトされていた)と何年か経ったプロ野球ニュースで語っていた。

球団からの期待とは裏腹に,翌2009年も登板1試合に終わり,とうとう当時の首脳陣から投手失格の烙印を押されてしまう―。そして高井は悩んだ末に野手転向を決断した。

野手転向一年目の2010年。プロ入り8年目にして初めて一軍出場無しに終わったものの,イースタン公式戦では規定打席に到達。打率.283,4本塁打,35打点。
41-10.JPGこの年のファン感では一緒にキャッチボールをさせていただいた思い出

投手としての自分と決別し,野手として生まれ変わるため登録名を「雄平」に変更した2011年。
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7月11日に野手として初めての出場選手登録されたが,出場機会無いまま7月30日に抹消。イースタンでは96試合に出場し,打率.330で首位打者に輝いていた。

そして2012年。ついに野手として初めて開幕一軍メンバー入り。開幕2戦目の3月31日巨人戦(東京ドーム)で代打で出場し,澤村拓一から野手転向後初安打を放つ。
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5月21日に出場選手登録抹消され約3ヶ月はファーム暮らしだったが,上田剛史,松井淳の負傷離脱で9月1日に一軍再昇格すると,その後も比屋根渉,ラスティングス・ミレッジと外野手の故障者が相次ぎ,気がつけば「1番・中堅手」の座を完全に手中におさめ,チームのクライマックスシリーズ出場にも貢献した。

順風満帆に見えた野手転向だったが,突然の悲劇に襲われた2013年。
3月30日阪神戦(神宮)。藤浪晋太郎から自身としては8年ぶり,野手転向としては初本塁打を放つなど完全に外野のレギュラーとして定着しかけていた。ところが・・・4月17日中日戦(神宮)。守備でジャンピングキャッチを試みた着地の際に右膝を強打。もはや自力で起き上がることすら出来なかった。右膝前十字靱帯断裂の大怪我。5月10日に靱帯再建手術を受け,残りのシーズンはリハビリに費やすことに。

2014年春季キャンプ終了後に一軍に合流。開幕当初は「2番センター」だったが,ほどなくウラディミール・バレンティンのあとを打つ5番に定着。
5月28日日本ハム戦(神宮)であの大谷翔平から本塁打を放つなど,この月は打率.364,8本塁打,19打点,長打率.646という成績で月間MVPを受賞。投手として公式戦登板のある選手が月間MVPを受賞するのは1993年9月仁村徹(中日)以来史上2人目の快挙。7月には故障で離脱したバレンティンに代わって4番も任された。オールスターゲームにも初選出されるなど141試合に出場し,打率.316,23本塁打。セ・リーグのベストナインにも輝いた。投手として通算10勝以上した選手がシーズン20本塁打をクリアするのも史上4人目の快挙。野手転向は大正解だった。

開幕4番を任されながら,打率(.316→.270),本塁打(23→8),打点(90→60)いずれも前年を大きく下回ったにも関わらず,最もインパクトのある2015年。
10月2日阪神戦(神宮)。1−1と同点で迎えた11回裏2死一三塁。能見篤史から放った打球は,チームが14年ぶり7度目のセ・リーグ優勝を決めサヨナラタイムリー。雄平にとってもそしてスワローズにとってもまさに語り草となる一打だった。
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2016年。7月27日から9月8日まで左側腹部筋挫傷で離脱期間があり,規定打席には到達しなかったが,打率.296,7本塁打,55打点。この年からシーズンオフに燕市を訪問してくれることが恒例に。
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2017年。開幕から4番を任され打率も.300代と好調だったが,6月28日巨人戦(福島あづま)でファウルを放った際に右手有鈎骨を骨折。一軍復帰はシーズン最終戦ということで,出場は71試合。雄平をシーズンのおよそ半分欠いたチームは96敗の最下位に沈んだ。
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MLBから青木宣親が電撃復帰した2018年。センターに青木,レフトにはバレンティン。ということで残された外野の枠はライトのみ。そのライトを前年のセンターレギュラーの坂口智隆と争うことになった雄平だったが,結果的には坂口が一塁にコンバートされ,雄平は5番ライトのポジションを守り通した。124試合に出場し,自身3年ぶりに規定打席にも到達。さらに4年ぶりの2桁本塁打(11本)と自己キャリアハイとなる打率.318をマーク。得点圏打率はリーグ2位の.356と勝負強さも光った。
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シーズン終了後の契約更改では,入団16年目(打者転向9年目)にしてとうとう1億円プレーヤーに。投手として入団しその後野手に転向した選手では,石井琢朗・福浦和也・糸井嘉男に次いで史上4人目の偉業を成し遂げた。

2019年も故障無く131試合に出場。打率.273,12本塁打,56打点。年俸も現状維持で更改した。しかし・・
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コロナ禍に見舞われた2020年。6番ライトで開幕スタメンに名を連ねたものの,打率2割台前半と低迷。7月27日に再調整で出場選手登録を抹消される。8月24日に再昇格したものの調子は上がらず9月14日に抹消。43試合の出場に留まり,打率.223。野手転向後初めて本塁打0に終わった。

2021年。春季キャンプはコンディション不良で西都スタート。4月20日DeNA戦(戸田)2番指名打者で今季初出場したものの,打率はファームで1割台と低迷を極め,9月29日。今シーズン限りでの現役引退を発表した。

表彰
 ・ベストナイン(2014年)
 ・月間MVP(2014年5月)
 ・スカパー! ドラマティック・サヨナラ賞年間大賞(2015年)
投手記録
 ・初登板:2003年4月22日巨人戦(東京ドーム)
 ・初奪三振:同上[斉藤宜之]
 ・初先発:2003年5月1日横浜戦(神宮)
 ・初勝利:2003年6月11日巨人戦(東京ドーム)
 ・初先発勝利:2003年6月28日広島戦(広島)
 ・初完投:2005年5月27日日本ハム戦(札幌ドーム)
 ・初ホールド:2006年4月1日阪神戦(神宮)
 ・初セーブ:2007年7月16日中日戦(ナゴヤドーム)
打撃記録
 ・初打席:2003年4月24日巨人戦(東京ドーム)
 ・初安打・初打点:2003年5月7日巨人戦(神宮)[高橋尚成]
 ・初本塁打:2005年4月3日阪神戦(大阪ドーム)[能見篤史]
 ・初盗塁:2012年5月16日ソフトバンク戦(神宮)[山田大樹ー山崎勝己]
 ・1試合4二塁打:2017年5月7日横浜戦(横浜) ※史上12人目
その他
 ・オールスターゲーム出場(2014年-2015年)

そして雄平といえば出囃子にMr.Children。神宮球場に流れるミスチルの音楽に乗せて打席に入る雄平。これもまた雄平の醍醐味でした。
終わりなき旅

息を切らしてさ 駆け抜けた道を 振り返りはしないのさ
ただ未来だけを見据えながら 放つ願い


いいことばかりでは無いさ でも次の扉をノックしたい
もっと大きなはずの自分を探す 終わりなき旅


高ければ高い壁の方が 登った時気持ちいいもんな
まだ限界だなんて認めちゃいないさ


No.1投手として駆け抜けてきた高校時代。悩んだ末に決断した野手転向。常々にキャリアハイを目指すと語り「もっと大きなはずの自分を探」し続けてきた雄平の”終わりなき旅”

足音〜Be strong


”優勝”というファンが「夢見てた未来」を運んでくれた雄平。

I’LL BE


世界に一枚しかない雄平さんのサイン入りシングルCD。一生の宝物です。
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ありがとう雄平さん。指導者としての新たな旅がこれから始まりますから。
東京 ☔ | Comment(0) | SWALLOWS Memories | at 23:59 | 更新情報をチェックする

2020年11月11日

上田ら戦力外 プロ野球・ヤクルト

 ヤクルトは11日、上田剛史(32)、田代将太郎(30)両外野手、藤井亮太内野手(32)の3人と来季の契約を結ばないと発表した。[ 11/11(水) 20:04配信 時事通信 ]

全日程終了翌日の非情通告はいずれも昨日神宮のベンチに入っていた選手ばかり。日程の関係で公式戦とフェニックスリーズが重なり,若手の出場機会との兼ね合いもありそう映ってしまうのは致し方ないのでしょうけど。。

0.藤井亮太(2019-2020)←51.(2014-2018)
シティライト岡山から2013年ドラフト6位指名。背番号は「51」。
2014年5月26日に初の一軍登録。5月28日北海道日本ハム戦(神宮)でプロ初出場。出番としては代打が主だったが,7打席でヒットは打てなかった。

2015年は第3捕手的ポジションながら自身初の開幕一軍入り。4月2日に抹消されるが,5月24日に再登録。その日の広島戦(マツダ)で2番センターで自身初のスタメン起用され,プロ初安打,初打点を記録した。しかしこの年の出場試合は13試合。2016年も12試合出場と,そこまで目立った成績は収められなかった。

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転機となった2017年。正三塁手の川端慎吾の故障によって出場機会が激増する。5月11日広島戦(神宮)の5回表0死一塁。福井優也の犠打を,三塁から猛チャージしてダイビングキャッチし,飛び出した會澤翼をも刺し併殺を完成させたプレーは”忍者”といわしめた。

さらなる飛躍が期待された2018年だったが,監督交代もあってか出場試合数は前年の97試合38試合に激減。

背番号が「0」へと変更された2019年は自己ワーストの6試合の出場に終わり,言い方は悪いがファームのユーティリティープレーヤーとして,内外野あらゆるポジションをこなさせられている感は否めなかった。
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2020年も開幕からファーム暮らしとなっていたが,9月15日に一軍昇格。21日抹消。11月1日に再昇格し自身2年ぶりにスタメン起用されるなど出場機会を与えられたが,戦力外通告を受けることに。「年も年なので。そろそろかなと思っていたけど、もうちょっとやりたかったっていうのはあります」現役続行を希望しているという。

記録
 ・初出場・初打席:2014年5月28日日本ハム戦(神宮)
 ・初先発:2015年5月24日広島戦(マツダ)
 ・初安打・初打点:同上[福井優也]
 ・初本塁打:2017年6月7日ソフトバンク戦(ヤフオクドーム)[石川柊太]
 ・初盗塁:2017年6月11日ロッテ戦(QVCマリン)[佐々木千隼-田村龍弘]

50.上田剛史(2007-2020)
岡山・関西高校から2006年高校生ドラフト3位指名。背番号「50」。高校3年生の春の選抜大会ではあの斎藤佑樹から本塁打を放ったことで名を馳せていた。

2007年ファームでは78試合に出場。打率.223,9盗塁。
2008年にはファームで内野守備(サード)にも挑戦。同年のフレッシュオールスターゲームにも選出された。90試合,打率.294,16盗塁。
2009年7月21日にプロ初の一軍登録。7月22日阪神戦(甲子園)ジェイミー・デントナの代走でプロ初出場。8月22日巨人戦(神宮)佐藤由規の代打でプロ初打席。ファームではリーグ2位となる26盗塁をマーク。

2010年4月29日阪神戦(神宮)でプロ初安打。5月1日横浜戦(神宮)でプロ初スタメン出場は1番サードだった。6月5日西武戦(神宮)でプロ初打点。

2011年はイースタンリーグトップの55盗塁。シーズン終盤離脱者が相次ぎ,クライマックスシリーズではスタメンを任され,この年をもってアメリカメジャーリーグに移籍した青木宣親の後継者筆頭と目されていた。
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2012年自身初の開幕一軍と開幕スタメンを掴んだものの,2度の故障離脱もあってレギュラーの座を掴めず,一二軍を往来。
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一軍に定着するようになったのは2013年から。先発投手の左右で比屋根渉と併用でスタメン機会も増え2013年112試合,2014年115試合,2015年82試合。代走や守備固めから試合に入り,試合を決める一打も放つ勝負強さも持ち合わせた。
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2016年は右足小指剥離骨折で2ヶ月ほど戦列を離れたこともあり72試合の出場にとどまったが,2017年100試合,2018年102試合とポジションを確立。
2018年9月4日中日戦(神宮)。9−9で迎えた延長11回裏に又吉克樹から右中間へ自身初となるサヨナラ3ラン本塁打。ファンにとっては忘れられない試合のひとつである。
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しかしそこから2019年59試合,2020年53試合と出場機会は半減。2019年は死球の影響,2020年はフェンスダイビングキャッチによる負傷と不慮の面もあった。まして前夜もレフトの守備でプロ野球ニュースの今日のファインプレーにも選ばれる好捕を魅せながらあまりに非情な通告。
「ちょっとまだ分からない」「まだ何も整理がついていなくて、頭の中の整理がついていないという感じです」と,生え抜き14年の選手に対し,スタッフや職員としての打診すらない突然の通告だったようだ。

見た目チャラそうだけれども,ここぞという場面のピンチバンターとしてキッチリ犠打を決めるなど影での努力は今の中堅どころの選手には感じられない面があるし,持ち前のキャラクターでファン感を盛り上げてくれた。

表彰
 ・スカパー! サヨナラ賞:2018年9月・10月
記録
 ・初出場:2009年7月22日阪神戦(甲子園)
 ・初打席:2009年8月22日巨人戦(神宮)
 ・初安打:2010年4月29日阪神戦(神宮)[久保田智之]
 ・初先発出場:2010年5月1日横浜戦(神宮)
 ・初打点:2010年6月5日埼玉西武戦(神宮)[許銘傑]
 ・初盗塁:2011年10月9日広島戦(神宮)[ブライアン・バリントン-倉義和]
 ・初本塁打:2013年7月13日広島戦(神宮)[大竹寛]

65.田代将太郎(2018-2020)
埼玉西武を自由契約となり,2017年合同トライアウトを経て入団。背番号「65」

2018年移籍1年目開幕一軍入り。主にウラディミール・バレンティンの守備固めと代走として,西武在籍6年間の通算試合数を超える73試合に出場。少ない打席機会の中でも,打率.323をマークするなどベンチに欠かせない存在に。

2019年も開幕一軍入りしたが,シーズン後半以降はファーム暮らしが多くなり,出場は51試合。
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2020年は移籍後初となる開幕一軍漏れ。8月15日渡邉大樹の負傷があって一軍初昇格。31日に抹消されたが,今度は上田の負傷で9月17日に再昇格。スタメン起用も増え,移籍後最多となる53打席を与えられるも,打率.149と結果を残せず。
自身2度目の戦力外通告に,「いつか誰しもくると思っていたので。今後は未定です。年齢も年齢なので、野球から離れるという手も考えていますけど」と冷静に受け止めている様子がSNSから伝わってきた。

コーチ人事も明らかに。
斎藤、河田両コーチが退団 プロ野球・ヤクルト
 ヤクルトは11日、斎藤隆投手コーチ(50)、河田雄祐外野守備走塁コーチ(52)が契約満了のため退団すると発表した。また、球団幹部によると、横浜(現DeNA)監督や巨人投手コーチなどを歴任した尾花高夫氏(63)をコーチとして招聘(しょうへい)することを検討している。[ 11/11(水) 20:03配信 時事通信 ]

三顧の礼で外部招聘したお二方が責任を取る形で退任。引き抜きかはまだ明らかではないが,外部からも声が懸かる有能な人材が抜け,残るはそうでない人材というのは組織によくあるパターンなのか。斎藤コーチは配置転換の時点でなんらかの衝突があっただろうと想像してしまう。
ほかのコーチは配置転換があったが,2年続けて同職を担ったのは河田外野守備走塁コーチともう一人だけいる。それでも責任を痛感すらしないバッテリーコーチ。進退を伺うべきでは?それも2年連続最下位の部門の担当なのだから。コーチ人事は組閣され次第また改めて触れたいと思います。

あとは肝心の選手契約。マクガフスアレスとは残留交渉の様子。エスコバーは流動的。クック?知らん( *`ω´)
個人的にはFA3選手よりも,まずはこちらを最優先して欲しかった青木の交渉。記事によっては結んで「いた」という表現もあり,これには安堵。優先順位というものがある。青木は明らかな幹部候補生。向こう10年のスワローズを何らかの形で担っていく人財。この人に誠意を見せないとチームの未来ビジョンは壊滅すると思っていたので。
青木と新たに複数年契約 プロ野球・ヤクルト
 ヤクルトが青木宣親外野手(38)と新たに複数年契約を結ぶことが11日、分かった。青木は今季が3年契約の最終年。球団幹部は「青木という存在と米大リーグから帰ってきての言動、行動全ての評価」と話した。
 日米通算17年目の青木は今季、チーム最高の打率3割1分7厘、18本塁打、51打点で打線をけん引。主将としてもチームを支えた。[ 11/11(水) 19:37配信 時事通信 ]
東京 ☀ | Comment(0) | SWALLOWS Memories | at 22:37 | 更新情報をチェックする

2020年11月02日

近藤、山中ら7投手戦力外 プロ野球・ヤクルト & ヤクルト井野が現役引退 プロ野球

 ヤクルトは2日、近藤一樹(37)、山中浩史(35)、山田大樹(32)、平井諒(29)、風張蓮(27)、田川賢吾(26)、育成のジュリアス(23)の7投手と来季の契約を結ばないと発表した。
 近藤は今季限りでの引退が決まっている巨人の岩隈とともに、2004年に消滅した近鉄でプレーした最後の現役投手。球団幹部によると、現役続行を希望している。2日現在の通算成績は347試合登板で43勝57敗4セーブ、防御率4.50。[ 11/2(月) 17:28配信 時事通信 ]

例年より一ヶ月遅れでこの時期がやってきてしまいました。。

20.近藤一樹(2016途-2020)
2016年7月17日八木亮祐との交換トレードで移籍。背番号は八木が背負っていた「70」。8月5日阪神戦(神宮)で移籍後初登板。
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移籍2年目から中継ぎとしてフル回転。54試合に登板し14ホールドを挙げた2017年。6月30日阪神戦(甲子園)では9回裏2死二三塁,カウント2-2から秋吉亮にアクシデントが発生し急遽緊急登板。1球で原口文仁を空振り三振に仕留め,これがプロ初セーブ。

2018年は守護神を予定していた新外国人のマット・カラシティーや秋吉の不振により,8回のセットアッパーに定着。前年96敗を喫したチームが一転2位躍進に大きく貢献する大車輪の活躍。2015年秋吉に並ぶ球団記録の74試合登板。球団記録を更新する35ホールド,42ホールドポイントで,プロ17年目にして自身初タイトルとなる「最優秀中継ぎ投手」を受賞。背番号も山本哲哉が背負ってきた「20」に変更された。

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2019年は8月25日に登録抹消され9月18日に再登録と離脱期間もあったが, 59試合登板で22ホールドポイント。
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2020年 の登板は20試合で0勝1敗2ホールド。9月22日に登録抹消となっていたが,“総合的な判断”ということで来季契約を結ばない旨が通告された。

愛称近ちゃん。近ちゃんと言えば印象的なルーティンが2つある。1つはマウンド上での丁寧な指さし確認。もう1つは3つ目のアウトを奪ってベンチに戻ると,くるりとグランドに向きを変え,ベンチに戻ってくる野手全員とグラブでハイタッチを交わす儀式。近ちゃんがリズムよくアウトを重ねるとどこか打線も活気づく場面が多かった。
そして今そしてこれからこの近ちゃんの儀式をまさに継承しようとしている投手がいる。清水昇。ヤクルトを離れることになるけれど,近ちゃんの投魂はきっと受け継がれていくはずだ。。

【記録】
 ・初セーブ:2017年6月30日阪神戦(甲子園)
 ・1球セーブ:同上※史上60人目
 ・1球セーブ1球奪三振:同上※史上初

34.山田大樹(2018-2020)
2017年11月11日にソフトバンクホークスから無償トレードという形で移籍。背番号はソフトバンク時代と同じ「34」。表記は同姓の山田哲人がいるため,「山田大」に。

2018年6月22日巨人戦(東京ドーム)で移籍後初登板初先発。しかし22/3回6失点で敗戦投手に。翌週29日阪神戦(神宮)も先発したが,3回KO。移籍一年目の登板はこの2試合のみ。

2019年は交流戦期間中の6月13日に一軍登録されると中継ぎで3試合の登板を経て,6月20日古巣のソフトバンク戦(神宮)から先発に回った。7月8日DeNA戦(神宮)で51/3回3失点で移籍後初勝利を挙げると,そこから8月1日DeNA戦(横浜)まで無傷の4連勝。シーズン後半最下位に沈むチームの中で先発ローテーションを守り,5勝を挙げた。

開幕が遅れた2020年は,6月に入って再開された練習試合で結果を残し,開幕ローテ入りが有力視されていた高橋奎二の調子が上がらないこともあり,開幕3戦目となる6月21日中日戦(神宮)の先発マウンドを託された。7回3失点とQSをクリアする投球も,打線が梅津の前に沈黙し敗戦投手に。翌週28日巨人戦(神宮)は12/3回5失点でKOされ7月1日に星知弥と入れ替わりで登録抹消。ファームではチームトップの631/3回を投げ2勝6敗,防御率4.55という成績も一軍からお呼びがかかることはなかった。

62.田川賢吾(2018-2020)←117.(2017-2018)←35.(2013-2016)
高知中央高から2012年ドラフト3位指名。担当スカウト岡林洋一。背番号は「35」。

高卒1年目となる2013年は,イースタン・リーグで3試合に登板。0勝1敗,防御率9.00の成績。2年目の2014年4月10日に腰椎椎間板ヘルニアの摘出手術を受け,一・二軍とも公式戦登板無し。

2015年イースタン3試合0勝1敗,防御率8.44。2016年イースタン19試合2勝3敗,防御率7.28。オフに育成契約となり背番号は「117」へ変更された。

2017年イースタン28試合5勝6敗,防御率4.43。
2018年のオープン戦で一軍初昇格。リリーフで結果を残し,開幕前の3月20日に支配下登録。背番号は「62」に変更となり,自身初となる一軍登録並びに開幕一軍入りを果たし,4月3日広島戦(神宮)でプロ初登板。しかし5日館山昌平との入れ替わりで登録抹消。結局一軍登板はこの1試合のみ。

2019年はイースタンで2試合連続完投勝利など結果を残し,8月24日阪神戦(神宮)でプロ初先発の機会を与えられた。31/3回 6失点で敗戦投手となったが,9月15日広島戦(マツダ)で52/3回1失点の投球。入団7年目で嬉しいプロ初勝利を挙げた。

2020年はイースタン20試合0勝1敗2セーブ,防御率1.95の成績も一軍登板は皆無だった。
【記録】
 ・初登板:2018年4月3日広島戦(神宮)
 ・初奪三振:同上[石原慶幸]
 ・初先発:2019年8月24日阪神戦(神宮)
 ・初勝利・初先発勝利:2019年9月15日広島戦(マツダ)
 ・初打席:2019年8月24日[西勇輝]

64.風張蓮(2018-2020)←32.(2015-2017)
東京農業大学北海道オホーツクから2014年ドラフト2位指名。背番号は「32」。

一軍・二軍いずれもプロ初先発マウンドで2人目の打者で危険球退場という珍しいエピソードが。2015年3月29日日本ハム戦(戸田)。初回1死から11球目を危険球宣告され退場。プロ初登板初先発となった5月3日広島戦(神宮)でも初回1死から8球目が菊池涼介の頭部への死球となり危険球退場。プロ初登板での危険球退場はプロ野球史上3人目の出来事だった。2015年の一軍登板はこの試合のみ。イースタンは12試合1勝6敗,防御率5.02。

2016年8試合0勝0敗,防御率8.10。2017年3試合0勝0敗,防御率6.75と一軍では結果は伴わなかったが,イースタンでは2016年41試合3勝4敗3セーブ,防御率3.42。2017年51試合4勝0敗5セーブ,防御率1.76とファームでは安定感を増していた。

2018年.開幕直後の4月3日に一軍昇格すると,4月7日巨人戦(神宮)で,先発石川雅規を受け2回無失点に抑えると,チームは逆転勝利をおさめ,風張にプロ初勝利が舞い込んだ。
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ここで信頼感を得た右腕は,再調整の期間もありながら,53試合に登板。572/3回を投げ2勝3敗,防御率4.37。
しかし2019年14試合防御率7.11。2020年11試合防御率7.98とエレベーター選手は脱せず。9月3日阪神戦(甲子園)では自身5年ぶり2度目となる先発マウンドもアピールには程遠かった。風張の退団により2014年ドラフト組は6年で全滅となった。

【記録】
 ・初登板・初先発登板:2015年5月3日広島戦(神宮)
 ・初奪三振:2016年4月19日阪神戦(甲子園)[江越大賀]
 ・初勝利:2018年4月7日巨人戦(神宮)
 ・初ホールド:2018年6月16日日本ハム戦(札幌ドーム)

68.山中浩史(2014途-2020)
2014年7月20日。川島慶三・日高亮との交換トレードで,新垣渚と共にヤクルトへ移籍。背番号「68」。

移籍から5日後の7月25日DeNA戦(神宮)に移籍後初登板。一年目は7試合勝ち敗け無し。

2015年6月12日埼玉西武戦(プリンスドーム)でシーズン初登板初先発。牧田和久とのアンダースロー対決を制し,プロ初勝利。ここから怒涛の快投を魅せ続けてくれた。8月11日広島戦(マツダ)で自身初の完投勝利を完封で飾り,ヤクルトでは1958年金田正一以来となるシーズン初登板からの6連勝を記録。
8月18日DeNA戦(横浜)で右大胸筋肉離れ。翌8月19日に出場選手登録抹消。9月20日阪神戦(甲子園)復帰したが,敗戦投手となり連勝記録はストップしてしまったが,チームのリーグ優勝に大きく貢献してくれた選手の一人であり,山中がいなければ優勝は無かったといっても過言ではないだろう。だがクライマックスシリーズ,古巣ソフトバンクとの日本シリーズでは登板機会がなかった。

2016年もシーズン初登板初先発となった4月20日阪神戦(甲子園)で勝利投手となり,登録抹消を挟みながらも先発ローテーションに定着し22試合に登板。とりわけ阪神戦には相性良く2試合連続完投勝利など6試合3勝1敗,防御率1.49と虎キラーぶりを発揮。いう好成績を残した。一方で対広島戦は4試合0勝4敗,防御率7.91。カードによっての起用法も模索されるようになっていく。

開幕ローテーション入りした2017年だったが,初勝利は9試合目の7月28日中日戦(神宮)と,13試合2勝6敗,防御率5.14。
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2018年4月12日中日戦(ナゴヤドーム)で自身4年ぶりの救援登板。6月28日中日戦(神宮)で移籍後初ホールドをマークするなど配置転換もあったが,シーズン終盤8月30日阪神戦(甲子園),9月15日阪神戦(甲子園)と好相性の阪神戦で2試合連続先発勝利とキラーぶりは健在だった。

2019年は5月30日に一軍登録。7月21日阪神戦(甲子園)にシーズン初先発も敗戦投手に。4試合0勝2敗と,5年振りに未勝利で終わった。

2020年シーズン初登板は8月2日中日戦(ナゴヤドーム)。「腹をくくって投げた」と8回を4安打無失点の完璧なピッチングも,打線が梅津晃大の前に沈黙。結局0-0のスコアレスドローで勝ち負けつかず。8月9日DeNA戦(神宮)では一球の失投が満塁本塁打となり敗戦投手も内容は決して悪くなかった。そして16日DeNA戦(横浜)。いきなり3連打を浴びて無死満塁のピンチを招き,押し出し四球を与えるも,以降変幻自在の投球術でフライアウトの山を築き,5回を投げ切り701日ぶりの勝利投手に。しかし9月21日中日戦(ナゴヤドーム)4回3失点で敗戦投手に。これが最後の登板となってしまった。

【記録】
 ・初勝利・初先発勝利:2015年6月12日埼玉西武戦(プリンスドーム)
 ・初完投・初完投勝利・初完封勝利:2015年8月11日広島戦(マツダ)
 ・初安打・初打点:2015年7月2日阪神戦(神宮)[能見篤史]

119.ジュリアス(2018-2020)←48.(2016-2017)
高知中央高から2016年ドラフト4位指名。背番号「48」。こちらも担当スカウトは岡林。

2016年5月15日ロッテ戦(戸田)で二軍公式戦初登板。しかし故障によりこの登板を最後に,8月31日に左肘関節のクリーニング手術。2017年5月10日に左肘靱帯のトミー・ジョン手術。オフに育成選手契約。背番号「119」。

2018年実戦復帰し,イースタン12試合登板,防御率5.11。オフに育成再契約。
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2019年イースタン23試合2勝1敗,防御率5.49。オフにはウィンターリーグにも派遣され5試合2勝0敗,防御率0.60の成績で最優秀投手賞を受賞。今季の飛躍が期待されていた。

しかし2020年は育成契約後では最少のイースタン10試合の登板に終わり,防御率4.38。怪我に泣いた5年間だった。

67.平井諒(2010-2020) 167.(2016)
帝京第五高から2009年ドラフト4位指名。背番号「67」。

ルーキーイヤー2010年はイースタンで9試合登板。201/3回,防御率4.43。24奪三振が示すように速球を武器に三振を奪えるピッチャーとして期待も高く,秋季松山キャンプにも抜擢される。
2011年はイースタン14試合4勝2敗1セーブ,防御率2.75と順調に成長。
2012年自身初の春季浦添キャンプスタートから開幕一軍を勝ち取り,4月5日阪神戦(神宮)でプロ初登板。4月8日中日戦(ナゴヤドーム)延長10回裏2死から1/3回を無失点で試合完了しプロ初セーブ。4月28日広島戦(マツダ)で救援登板し,プロ初勝利。22試合2勝2敗1セーブと将来が楽しみなピッチャーだった。

ところが2013年。4月7日DeNA戦(神宮)でシーズン初勝利をあげるなど,開幕から7試合で防御率1.42と安定した投球を繰り広げていたが,4月18日に右肩痛で登録抹消。7月2日に右肩のクリーニング手術に踏み切り,以降2年半の長期にわたって登板無し。
この長いリハビリ期間に「スワローズカップ」のために館山昌平とともに燕市を訪れてくれたのだが,今でこそ言えるがふと見せる死んだ魚のような目の表情があまりに印象深くて,この日を境に平井が一段と気になる存在となった。
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2015年11月12日に一度育成契約となり背番号も「167」となったが,2016年6月6日支配下選手に再登録。背番号も再び「67」へ。
ここから不死鳥のように平井が蘇ってくれた。6月14日に実に3年ぶりとなる一軍登録されると,8試合連続無失点など33試合に登板。延長11回表に登板した8月25日中日戦(神宮)では1回を無失点に抑えた裏に相手投手の暴投でチームがサヨナラ勝ち。実に1236日ぶりの白星が舞い込み自身初のお立ち台に。
「初めまして、平井諒です」「1点も与えないよう、気迫で投げました。緊迫した試合で緊張感がありました。もう1イニング投げる予定でしたが、試合を決めてくれないかなと祈るような思いでした」「お立ち台に立てると思っていなかったので興奮しました。(2軍投手コーチの)石井弘寿さんが引退試合で『一度もお立ち台に立ったことがない』と言っていて、中継ぎの投手には立てない場所なのかなと思っていました」
33試合1勝1敗7ホールド,防御率2.81と完全復活を感じさせてくれた。しかし平井の肩肘の状態は一進一退。隔年の登板が続くことになる。

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2017年4試合,防御率10.13。2018年登板0。

2019年8月3日に2年ぶりに一軍登録され,8月17日中日戦(神宮)ではチーム初採用となった「ブルペンデー」でプロ初先発。8月31日中日戦(ナゴヤドーム)で1101日ぶりの勝利を挙げるなど,20試合登板。
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ただ2020年に至ってはファームでも1試合も登板が無かった。キャンプの段階からいつ投げるのだと気にしていたが,結局登板が無いままシーズンが終わってしまった。。

【記録】
 ・初登板:2012年4月5日阪神戦(神宮)
 ・初セーブ:2012年4月8日中日戦(ナゴヤドーム)
 ・初奪三振:2012年4月14日DeNA戦(神宮)[石川雄洋]
 ・初ホールド:2012年4月26日中日戦(神宮)
 ・初勝利:2012年4月28日広島戦(マツダ)
 ・初先発登板:2019年8月17日中日戦(神宮)

一番印象的な一枚があった。ブルペンを支えた近ちゃん&平井。改めてバリバリの主力やエースピッチャーよりも中継ぎに感情移入しているんだなぁと。。
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ヤクルト井野が現役引退 プロ野球
 ヤクルトは2日、井野卓捕手(36)が今季限りで現役を引退すると発表した。井野は球団を通じ「かけがえのない時間を過ごせた。感謝しかない」との談話を出した。[ 11/2(月) 16:48配信 時事通信 ]

63.井野卓(2015-2020)
2015年オフに巨人を自由契約となっていた井野を相川亮二のFA移籍もあって手薄となっていた捕手強化を目論むヤクルトが獲得発表。
2016年6月29日広島戦(マツダ)で1013日ぶりの一軍出場。7月27阪神戦(甲子園)で1041日ぶりの打席。

2017年6月14日中村悠平の負傷により出場選手登録。6月16日日本ハム戦(神宮)では先発マスクの西田明央が自打球を受けたことで途中からマスクを被り,打席では実に2245日ぶりプロ通算11本目の安打が呼び水となり,チームも逆転勝ちを収めた。
翌6月17日日本ハム戦(神宮)ではデービッド・ブキャナンの完封勝利導き,マウンドでブキャナンと熱いハグを交わした。
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2018年は自身初の開幕一軍入り。第3捕手的役割として一軍に帯同し,自己最多の47試合に出場。後半は石川雅規と原樹理とバッテリーを組むことが多くなり,8月16日巨人戦(神宮)では原の自身プロ初完封を導くリードを魅せてくれた。

2019年は7試合の出場に終わったが,2020年は中村悠平が開幕戦直前に離脱し開幕二戦目より一軍合流。嶋も負傷し出番が増え,8月6日広島戦(神宮)ではプロ15年目にして初の三塁打を放ち,廣岡大志の犠飛で生還。さらに次の打席ではスクイズを決める活躍でお立ち台に。「あんまり何も考えずに必死に走りました。三塁、遠かったです」と場内の笑いを誘った。

前橋工高から東北福祉大を経て東北楽天に入団。在籍7年間で出場は43試合。嶋基宏が不動のレギュラーにいた。トレードで巨人に移籍したが,そこには阿部慎之助がおり僅か2年で戦力外通告されていた。

縁の下の力持ちを絵に描いたような選手だ。試合の出番があるとしたら途中出場の捕手にアクシデントがあったときくらい。レギュラー捕手が安泰ならファームでも若手が経験を積むためにマスクを譲る。
「チームとしては,自分よりもレギュラーの捕手が出た方がいい。けがから戻ってくるまで,何とか間をつなぎたい」こんなコメントを発せられるくらい自分の立場と役割を理解し,チームに尽くしつづけた。常々感じさせる謙虚さ。
15年間通算148試合。打率.142,13打点。ホームランは0本。決して突出したような成績は無い。それでもそのうちヤクルトで95試合。プロ通算29安打中19本。うち4二塁打,1三塁打はいずれもヤクルト。プロ通算13打点中9打点。キャリアハイの4打点を2018年2020年にヤクルトでマークした。
球団を通じ「プロ野球生活15年、東京ヤクルトスワローズには6年間お世話になり、かけがえのない時間を過ごす事ができました。特にスワローズでは、試合にもたくさん使っていただき貴重な経験をさせていただきました。スワローズファンの皆さまに自分の応援歌を作っていただけた事が、すごくうれしく大切な思い出の一つです。多くの方々に支えていただき、15年間のプロ野球生活を過ごすことができました。本当に感謝しかありません。ありがとうございました」というコメントを残された井野さん。
球団に残ってくださるとのこと。他球団在籍経験+通算15年間もの経験を備えたバッテリー部門の指導者は現状のヤクルトには皆無なので一日も早く新たな道を踏み出していただきたいものです。
東京 ☁ | Comment(0) | SWALLOWS Memories | at 23:59 | 更新情報をチェックする

2020年10月24日

中沢が今季限りで引退 プロ野球・ヤクルト

 ヤクルトは24日、中沢雅人投手(35)が今季限りで現役を引退すると発表した。中沢は球団を通じ「入団して11年、優勝も経験でき、感謝しかない」との談話を出した。
 中沢は富山商高から中大、トヨタ自動車を経て、ドラフト1位で2010年に入団。主に救援を務め、今季は28試合に登板して1勝1敗、防御率7.36だった。23日時点の通算成績は202試合に投げて13勝15敗、防御率5.16。[ 10/24(土) 10:50配信 時事通信 ]

54.中澤雅人(2014-2020)←14.(2010-2013)
2009年ドラフトで菊池雄星に入札した末,外れ1位で指名。トヨタ自動車からの指名は1989年古田敦也以来2人目。背番号は高市俊から剥奪する形で「14」が与えられた。

2010年3月30日。チーム本拠地開幕戦となる中日戦(神宮)で初登板・初先発。51/3回2失点で,チームでは石川雅規以来8年ぶりとなるプロ初登板初先発勝利の快挙。
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4月23日横浜戦(横浜)。チームでは山部太以来16年ぶりとなる新人での完封勝利を挙げ2勝目。打撃でもチームでは1969年藤原真以来41年ぶりとなる新人投手の猛打賞を達成。5月1日横浜戦(神宮)で無傷の3勝目を挙げた。
しかし5月8日中日戦(ナゴヤドーム)。8回無失点投球も,味方の援護なく9回裏にサヨナラ負けを喫しプロ初黒星。15日ソフトバンク戦(神宮)も7回無失点ながら2敗目。このころチームは極度の打撃不振に陥っており,5月22日ロッテ戦(千葉マリン)ではこれまでの緊張の糸が切れたかのように,先発中澤までもが失点を重ね4-20の惨敗。少年が監督に暴言を吐く引き金となったとされている。結局ルーキーイヤーは7勝9敗 防御率5.68で終える。

しかし2年目のジンクスに陥った2011年。5月7日広島戦(松山)で初登録即先発も2回5失点でKO。結局登板はこの1試合のみに終わってしまう。

2012年は8月14日広島戦(広島)で初登板初先発を託されると,そのまま5回を投げ切り2年ぶりの勝利投手に。先発3試合で2勝をマークした。

2013年の初先発は7月5日中日戦(ナゴヤドーム)。5回を投げ勝ち負けつかず。以降2試合はいずれも4回もたずにKO。シーズン未勝利のまま8月19日に登録抹消されるとそのまま出番なく,オフには背番号「14」がドラフト3位の秋吉亮に渡り,中澤は「54」へと変更された。

2014年4月6日阪神戦(神宮)。この試合で先発したが2回もたずKO。結局この試合が中澤にとって最後の先発マウンドとなった。
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翌7日に登録抹消,中継ぎに配置転換。8月6日に一軍復帰すると,リリーフとして登板を重ね,23試合で防御率0.84の好成績を残した。

2015年は中継ぎとして35試合に登板。ブルペンの貴重な左腕としてチームの14年ぶりリーグ優勝に貢献する活躍。

2016年19試合,2017年28試合,2018年は自己最多の37試合と,年々登板数を増やし,この年は自己最多の11ホールドをマークした。

2019年の初登板となった4月18日阪神戦(神宮)で12/3回4失点と打ちこまれてしまい翌19日に抹消。1試合の登板に終わる。

それでも2020年は開幕2カード目から一軍昇格すると,6月27日巨人戦(神宮)で,2点のリードを逆転された直後,6回表1死二塁のピンチに登板すると,代打中島を三振。坂本を申告敬遠して丸を中飛に打ち取り,その裏チームが逆転に成功。2016年8月7日阪神戦(神宮)以来1420日ぶりの白星が舞い込んだ。その後も貴重なワンポイントからイニング跨ぎまで貴重な存在として防御率も2点台まであげてきたが,あの20失点を喫した7月28日阪神戦(神宮)で火の点いた阪神打線に油を注ぐ1回6失点で防御率を爆上げしてしまった。これもあり28試合の登板で,防御率7.36。
「1軍での成績を見たら、しようがない。次に向けてステップするタイミング」と決断したという。

7月くらいから突如登場曲がZARDの「マイフレンド」に変更された。テレビから聴こえてきた「あなたを想うだけで 心は強くなれるずっと見つめてるから 走り続けて」のイントロ。
ひたむきだった遠い日の夢は
今でも眩しい
どんなに不安がいっぱいでも真っすぐ
自分の道を信じて
飾らない素顔のあなたが好き
変わってしまうことが哀しい

いつも輝いていたね少年のまま
瞳は My Friend
あなたがそばにいると何故か素直になれた
この距離通り抜ける
風になりたい

「飾らない素顔」で黙々と投げてくれた11年間。また一人ブルペンをそして戸田の投手陣を支え続けた中継ぎがユニフォームを脱いでいくことの寂しさ。「走り続けて」くれた中澤雅人投手。ありがとうございました。

記録
 ・初登板・初先発・初勝利:2010年3月30日中日戦(神宮)
 ・初奪三振:同上[山井大介]
 ・初完投勝利・初完封勝利:2010年4月23日横浜戦(横浜)
 ・初安打:2010年4月23日横浜戦(横浜)[清水直行]
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2020年10月11日

ヤクルトの五十嵐が今季限りで引退 41歳、速球武器に救援一筋―プロ野球

 日米球界で救援として活躍したヤクルトの五十嵐亮太投手(41)が、今季限りで現役を引退することが11日、分かった。既に球団に申し入れ、了承された。後日、引退セレモニーなどが行われる予定。今季は開幕前に下半身のコンディション不良で離脱し、ここまで1軍で登板機会はなかった。
 五十嵐は千葉・敬愛学園高からドラフト2位で1998年にヤクルト入り。剛速球を武器に中継ぎや抑えとして活躍し、石井弘寿(現ヤクルト投手コーチ)とともに「ロケットボーイズ」と呼ばれた。2001年にリーグ優勝と日本一に貢献。04年には当時の日本最速に並ぶ158キロをマークし、37セーブなどで最優秀救援投手に輝いた。
 海外フリーエージェント(FA)権を行使し、10年から米大リーグに挑戦。メッツなどでプレーし、13年からはソフトバンクに在籍。昨季、古巣のヤクルトに復帰した。
 日米通算905試合全てが救援登板で、日本球界では822試合に投げて65勝39敗70セーブ、防御率2.93。メジャーでは83試合で5勝2敗、防御率6.41。 [ 10/11(日) 10:47配信 時事通信 ]

53.五十嵐亮太(1998-2009・2019-2020)
千葉敬愛学園高から1997年ドラフト2位指名入団。実はこの当初の指名は仙台育英高の新沼慎二捕手で,ヤクルト・横浜・日本ハムの3球団による重複指名となり抽選に。逆ウェーバーが適用され,本来であればヤクルト→横浜→日本ハムの順でクジを引くはずが,事務局の不手際で日本ハム→横浜→ヤクルトの順で抽選した結果,横浜が交渉権獲得し,いわゆるハズレ2位で指名したのがこの五十嵐だった。コミッショナーは不手際を認めたものの再抽選とはならなかったため,もしかしたら状況次第でそもそもヤクルト五十嵐は誕生していなかったのかも。結果的に野村克也監督最後のドラフト入団にもなった。

ルーキーイヤー1998年は二軍で10試合に登板。ファーム優勝を決めた試合で,6回参考記録ながら完全試合を達成し一躍脚光を浴び,ファーム日本選手権では高卒ルーキーでは史上初めてMVPを獲得し,将来を嘱望された。

高卒2年目の1999年4月20日中日戦(神宮)で一軍初登録即プロ初登板は延長12回同点の場面で回ってきたが,敗戦投手というデビュー戦に。5月27日横浜戦(神宮)7回表から登板して1回を無失点に抑え,その裏にチームが3点を取って逆転したことでプロ入り初勝利を挙げた。6月末に再調整となるも, 8月に一軍復帰。コントロールが定まらず四死球も多かったが,150km/h台のスピードボールを武器に,6勝をマークし,勝ち運の片鱗も見せていた。

自身初の開幕一軍を果たした2000年。4月だけで3勝。オールスター前にハーラートップの11勝と,“五十嵐が投げれば勝てる”神話が構築されつつあり,監督推薦で自身初のオールスターゲームに出場。8月8日阪神戦(神宮)でマメを潰し約一ヶ月戦列を離れることになったが,古田敦也とのコンビで最優秀バッテリー賞にも選出された。オフの契約更改で背番号11番への変更が打診され本人が了承しカレンダーにも記載されたが,“53番に愛着が強くなった”ということで変更は取り消された。
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2001年はキャンプで肉離れ。開幕一軍こそ間に合ったが,5月16日に右肘関節炎で登録抹消。7月14日に復帰。チームの優勝争いが佳境を迎える9月にも2週間ほど戦列を離れたが,それでも41試合登板で防御率2.59とブルペンを支えた。日本シリーズ初登板となった第2戦(大阪ドーム)。同点の8回裏タフィ・ローズに3ラン本塁打を浴び敗戦投手に。

ファンからの公募により,石井弘寿と共に「ロケットボーイズ」の愛称がつけられた2002年。不動のセットアッパーとして64試合に登板。8勝をあげ,防御率は自己最高の2.08。オールスターゲームやこの年限りでメジャーに移籍した松井秀喜との速球勝負で注目を集めた。

2003年は2年連続60試合登板となる66試合に登板。守護神高津臣吾につなぐセットアッパーの役割を果たす。

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その高津がメジャーに移籍してストッパーを託された2004年。6月3日阪神戦(甲子園)で当時のNPB最速タイ記録となる158 km/hを計測。オールスターゲームにはファン投票1位で選出された。9月20日阪神戦(神宮)でも3球連続を含む計4球で158 km/hをマーク。球界再編騒動で揺れた一年だったが,球団セーブ記録を更新する37セーブを挙げ,最優秀救援投手に輝いた。

2005年開幕直後の4月9日に右大腿四頭筋肉離れで離脱するなど4年連続の60試合登板はならず,ストッパーの座も石井弘に譲る形となったが,2年連続でオールスターゲームファン投票1位に選出されるなど後半にかけて復調し49試合に登板した。
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順風満帆だった五十嵐に試練が訪れたのは2006年だった。6月14日不調による二軍降格。8月16日に左肩違和感を訴えた石井弘の代わりに一軍復帰。9月18日阪神戦(甲子園)2番手で登板し1/3イニングで降板。9月21日に登録抹消。精密検査の結果右肘靭帯断裂が判明。オフにトミー・ジョン手術に踏み切ることとなり,2007年は実戦登板無し。

術後の経過は良好で,2008年3月28日開幕巨人戦(神宮)の9回表に実に1年半ぶりの一軍登板。最速154 km/hで試合を完了させたがこの登板で左太腿を肉離れし翌日に登録抹消という不運。4月29日に再登録されると,松岡健一・押本健彦・林昌勇とに強力リリーフ陣の一角を担い,9月20日横浜戦(神宮)では復帰後最速となる157 km/hを記録し,自身2年半ぶりのセーブを記録するなど,術後とは思えない安定感あるピッチングが目立つようになった。

2009年も林につなぐセットアッパーとして,21試合連続無失点を記録。通算500試合登板となった8月29日中日戦(神宮)でバント処理の際に急性腰痛となり翌日に登録抹消。9月11日に復帰しチーム史上初となるクライマックスシリーズ出場に貢献。このオフに海外フリーエージェント権を行使して米大リーグメッツへ移籍を表明。
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メジャー3球団で83試合に登板。2013年にソフトバンクへ日本復帰。2018年12月26日戦力外通告を受けたソフトバンクからヤクルトへの10年ぶりの復帰が決定。背番号も前回在籍時と同じ「53」が用意された。

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2019年4月5日中日戦(神宮)で移籍後初勝利が舞い込みお立ち台に上がった五十嵐は,「ただいま」と目を潤ませ,「うれしい気持ちで、心が揺れ動いた。あの景色をね…。また見られるとは思わなかった」と10年前と較べ大幅に観客が増加した神宮のスタンドを見渡した。その後も好投と強運を発揮し,4月だけで5勝。
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5月28日広島戦(神宮)で史上7人目となる通算800試合登板。8月8日阪神戦(神宮)には史上4人目となる日米通算900試合登板を果たすなど,45試合に登板し5勝4ホールド 防御率2.98の成績で,オフには次なる目標は日米通算1000試合登板と語っていた。
新型コロナウィルスの影響で開幕が延期となる中で5月28日に41歳の誕生日を迎えた2020年。6月10日日本ハムとの練習試合(神宮)で打ち込まれ開幕一軍を逃すと,以降一軍に上がること無く今季限りの現役引退を決断した。

甘いマスクで“球界のキムタク”と呼ばれたルックスだけでなく,今でこそ普遍的となっているが,2000年代においては150km/h台後半の剛速球を投げるピッチャーは五十嵐しかいなかったといっても過言ではなかった。
先発登板0。リリーフ登板だけで65勝を挙げるというのも容易な数字ではない。これが証明するように何かをもっている男。それは五十嵐が登場することでスタンドの空気を変える何かがあるからなんだろう。老若男女問わず多くのファンを魅了させてくれた。そして何より最後にスワローズに帰ってきてくれて本当にありがとうございました五十嵐亮太。

タイトル
 ・最優秀救援投手(2004年)
表彰
 ・ファーム日本選手権MVP(1998年)
 ・最優秀バッテリー賞(2000年―古田敦也)
 ・月間MVP(2004年7月)
記録
 ・初登板:1999年4月20日中日戦(神宮)
 ・初奪三振:同上[山崎武司]
 ・初勝利:1999年5月27日横浜戦(神宮)
 ・初セーブ:1999年10月3日広島戦(広島)
 ・初ホールド:2005年5月21日オリックス戦(神宮)
 ・500試合登板:2009年8月29日中日戦(神宮)※史上84人目
 ・800試合登板:2019年5月28日広島戦(神宮)※史上7人目
 ・日米通算900試合登板:2019年8月8日阪神戦(神宮)、※岩瀬仁紀(1002試合),米田哲也(949試合),金田正一(944試合)に次いで史上4人目
その他の記録
 ・1球勝利投手:2006年5月2日広島戦(神宮)※史上21人目(セ・リーグ12人目)
 ・オールスターゲーム出場:6回(2000年,2002-2005年,ソフトバンク時代1回)
 ・初登板からの連続救援登板:822 (NPB記録更新中)

年度別成績
年度試合投球回被安被本三振四球死球暴投失点自責防御率
1999年36641472/334459291327264.91
2000年561141751/3421190331628263.11
2001年41230412/325251282113122.59
2002年648247849897183819182.08
2003年665507460983331733323.89
2004年665337741/357986361424222.66
2005年49324562/352660271624223.49
2006年291212533318112420176.12
2008年44323432/33534262313122.47
2009年56323532/342344203119193.19
2019年45510421/335433243319142.98
通算8226539708666327192036233603052822.93

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2020年04月09日

関根潤三さん死去、93歳 「二刀流」、元大洋、ヤクルト監督―プロ野球

 プロ野球の近鉄で投手、外野手として活躍し、大洋(現DeNA)、ヤクルトの監督を務めた関根潤三(せきね・じゅんぞう)さんが9日午前9時45分、老衰のため東京都内の病院で死去した。93歳だった。東京都出身。葬儀の日取りは未定。近く家族葬で執り行う。喪主は長男優一(ゆういち)氏。
 法政大で投手として東京六大学リーグ歴代5位の通算41勝(30敗)を挙げ、打者としても活躍。1949年秋に来日した米マイナーリーグのサンフランシスコ・シールズ戦で六大学選抜の投手として好投した。
 50年近鉄に入団。54年に16勝するなど通算65勝94敗。57年に外野手となり、通算1137安打、打率2割7分9厘。投手、野手の両方でオールスターに出場した。
 65年に巨人でプレーし、引退。その後はコーチなどを経て82年から大洋で3年間、87年からはヤクルトで3年間監督を務めた。2003年野球殿堂入り。穏やかな語り口の解説に人気があり、温厚な人柄は長嶋茂雄元巨人監督ら多くの野球人に慕われた。[ 4/9(木) 17:03配信 時事通信 ] 

コロナで滅入っているときに再び訃報。ノムさんが亡くなってから2ヶ月と経っていないのに,ノムさんの前任で1987(昭和62)年から1989(平成元)年まで3年間スワローズの監督を務められた関根潤三さん。

自分が生まれて初めて神宮球場に連れていってもらったのが1988(昭和63)年8月6日なので,その時監督を務められていたのが関根さんでした。当時はほんと野球のルールすら分からなくて,知っている選手も辛うじてテレビで見たことのある巨人の原辰徳と呂明賜とヤクルトの長嶋一茂くらいの少年でした。まぁこの日を境に劇的に変わっていくのですが←

3年連続Bクラスで退任となり,野村克也監督にバトンタッチ。関根さんはフジテレビの解説者としてお茶の間の人に。

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高校に合格した15の春でしたかね。オープン戦で放送ブースにいらした関根さんに”サインお願いします”と色紙を差し出すと,”僕なんかで良いの?”なんて謙遜されながらも,嬉しそうにスラスラとペンを走らせてくれました。快く握手もしてくださったことを15の少年は鮮明に憶えています。

野球解説はもちろんのこと,フジテレビ全盛期には珍プレー好プレーやプロ野球対抗歌合戦といったオフのバラエティ番組にもゲストとしてご出演されていました。

SWALLOWS BASEBALL L!VEでは2011年9月18日横浜戦が最後の解説となっていました。
 2006年 7試合2勝5敗 勝率.286
 2007年 6試合3勝3敗 勝率.500
 2008年 10試合3勝7敗 勝率.300
 2009年 8試合4勝4敗 勝率.500
 2010年 10試合4勝6敗 勝率.400
 2011年 5試合0勝3敗2分 勝率.000
これまた関根さんらしいというか16勝28敗2分 勝率.364でほぼ1勝2敗ペース(苦笑)。
関根さんを語るエピソードとして有名な「(起爆剤と間違え)覚醒剤」発言。交流戦開幕から9連敗を喫し,試合後に高田繁監督(当時)の辞任が発表されることとなった2010年5月26日東北楽天戦の解説を務めていたのが関根さんでした。

中継解説からは退かれたものの,その後もCSプロ野球ニュースには定期的にご出演され,晩年は週末のご意見番としてあの笑顔を届けてくれました。
監督時代の教え子の笘ぴょんが必死にフォローしながら毎月最終日曜日のご出演のみになったのが4年前(2016年)でした。8月までは出演されていましたが,翌9月はご出演がなく,翌年の開幕直前スペシャルにもご登場されなくなりました。オフの『プロ野球ここだけの話』でプロ野球ニュースを特集された時もご出演がなく,心のどこかで気にかけていたのですが,昨年秋の東京六大学野球母校法政大の試合を神宮球場でご観戦されているお姿が報道されていたのを拝見していたので,安心していたところの訃報でした。

自分にとっては祖父くらいの年齢でまさにおじいちゃんという言葉がぴったりの関根さん。「よろしくどうぞ」この一言と,あの笑顔で心が穏やかになりました。

謹んでご冥福をお祈り致します。

2020年4月9日
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2020年02月11日

野村克也さん死去 三冠王の名捕手、名監督―「月見草」「ID野球」・84歳

 プロ野球の南海(現ソフトバンク)で三冠王も獲得した強打の名捕手として活躍し、ヤクルトを3回日本一に導くなど名監督でもあった野村克也(のむら・かつや)さんが11日午前3時30分、虚血性心不全のため東京都内の病院で死去した。84歳だった。同日未明、都内の自宅から病院に搬送されていた。葬儀は近親者のみで執り行い、後日、お別れの会を開く。
 京都府網野町(現京丹後市)出身。府立峰山高からテスト生として1954年に南海へ入団し、確実性と長打力を兼備した強打者になった。57年に初タイトルの本塁打王を獲得。65年には戦後初の三冠王になった。
 捕手としても打者の癖や性格を観察して配球に生かすなど才能を発揮し、64〜66年のパ・リーグ3連覇や日本一2回など南海の黄金期を支えた。70〜77年は監督兼任で、73年にリーグ優勝。
 77年に南海監督を解任されたが、「生涯一捕手」と語ってロッテ、西武で現役を続行。45歳で引退するまで3017試合出場のプロ野球記録(当時)をつくった。現役通算2901安打、打率2割7分7厘、657本塁打、1988打点。本塁打王9回、首位打者1回、打点王7回。
 90年にヤクルト監督となり、データ重視の「ID野球」を掲げ、古田敦也らを育てて92年リーグ優勝、93年には西武を倒して日本一になった。95、97年にも日本一。
 99〜2001年阪神監督。06年に楽天監督となり、09年には球団創設後最高の2位に躍進させ、退任した。監督通算1565勝1563敗76分けで勝利数は歴代5位。卓越した野球理論で多くの選手を育てた。89年野球殿堂入り。02年から05年までは社会人のシダックスで監督を務め、03年の都市対抗大会で準優勝に導いた。
 「ノムさん」と親しまれ、講演や解説では「ぼやき」と呼ばれた辛口の批評や数々の名言を織り交ぜて野球論を語った。巨人の長嶋茂雄、王貞治と自らを比較して「僕は人の見ていない所にひっそりと咲く月見草みたいなもの」と話すなど、現役時代から数々の語録を残した。著書多数。沙知代夫人(17年死去)とそろってのタレント活動も話題になった。[ 2/11(火) 9:54配信 時事通信 ] 

建国記念の日の祝日。ゆっくり寝ていられる。9時過ぎても布団の中でスマホを見ながらダラダラ…そんな中でツイッターから流れてきた速報。TBS一社しか流さないからガセ?!すっかり目が覚めてしまった。

しかし10時のNHKニュースで事実を受け止めた。。現役時代の映像。監督としての胴上げシーン。そして昨年のドリームゲーム。まさに最期となってしまった打席…

教え子に囲まれて,ユニフォーム姿でグランドに立つ。どれだけ特別な時間と空間だったことだろう。

沙知代婦人に先立たれ,元気をなくしていることは伝えられていた。ドリームゲームでも自力では立ち上がれなくなっていた。たとえ車椅子でも,あの声。そうノムラ節は健在だった。

先月は金田正一さんのお別れの会や,スワローズ球団のOB会にも列席され,ヘッドコーチをなんて話が聞かれたばかりだった。最愛の奥さまと同じ亡くなり方だったという。。

とにかく人を遺した指導者だ。ヤクルトで栗山英樹,高津臣吾,辻発彦,三木肇。阪神で矢野輝弘,与田剛と,2020年の12球団の監督の半分が現役時代野村監督の下でプレー経験がある。ほかにも日本代表稲葉篤紀監督,古田敦也,石井一久から新庄剛志,田中マー君,嶋基宏に至るまで…
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自分にとっても野村監督がヤクルトスワローズを率いていたのは小・中・高のちょうど9年間。人生一番多感な時期に黄金期を魅せられたから,20年経っても変わらない趣味になったんだろうな。
当時はネットもCS放送もないから,今に比べたら試合を見られる頻度は少なかった。下手したら今1年間トータルで見られる映像の方が,ノムさんの9年間で見た映像より少ないかも知れない。だけどちゃんと覚えてるんだ。
改めてノムさんとの出会いに感謝だし,それだけの時間が経ってきているということも痛感する。。

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ヤクルトスワローズという球団を語る上で,野村さんの血というものはこれからも脈々と受け継がれていく。ありがとうございました。御冥福をお祈り致します。

2020年2月11日
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2019年10月23日

ヤクルト屋宜が戦力外=プロ野球

 ヤクルトは23日、屋宜照悟投手(30)に来季の契約を結ばないと通告した。[ 10/23(水) 11:07配信 時事通信 ]

(午前中の段階では)日本シリーズの最中にヤクルトでは珍しい第2次戦力外通告。記憶では2009年大塚淳現ブルペン捕手以来2人目でしょうか。大塚の場合は,一軍がクライマックスに進出しており,フェニックスリーグの野手の駒が足りずに試合に出たうえでの戦力外通告と同時にスタッフへの転身でしたが,今回の屋宜の場合はどこか非情というか・・

58.屋宜照悟(2017途-2019)
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2017年7月24日。杉浦稔大との交換トレードで北海道日本ハムから移籍。
一軍登板は2017年8月1日巨人戦(静岡),8月2日巨人戦(神宮),2019年5月19日DeNA戦(神宮)の3試合。20/3回で計8失点。防御率に換算すると36.00。一軍の戦力には程遠かった。

ドラフト1位の杉浦を放出してまで獲得するには理由があった。故障で投げられない杉浦を支配下に抱えておくだけの余裕が無かった。なにせファームの試合で投げられる健康体の投手が圧倒的に不足しており,試合を行えるかどうかのレベルまで行っていたのだから・・

戸田球場が荒川流域の調整池の役割を担うのであれば,屋宜は戸田軍を沈没から守る防波堤のような存在だったのではないか。
2017年19試合251/3回,2018年41試合451/3回,2019年41試合38回。ほぼ2試合に1試合に登板。2試合連続先発登板なんていうこともあった。

言葉は悪いが二軍の運用要員でこの仕打ち。「まだ何も考えていない。体は問題ない。これからじっくり考えたい」と語るが,球団は面倒を見てくれるのだろうか。生え抜きと外様。ファミリー体質が如実に出てしまうのだろうか。

海外の秋山、国内は鈴木らに注目=24日、FA宣言解禁−プロ野球
 プロ野球の日本シリーズが23日に終了したことを受け、フリーエージェント(FA)権行使の意思を示すFA宣言が24日に解禁となる。今季、日本の12球団と交渉できる国内FA権を取得した鈴木(ロッテ)、福田(ソフトバンク)や、米大リーグへの移籍も可能な海外FA権を得た秋山(西武)らの動向が注目される。
 今季終了時のFA有資格者は90人。十亀(西武)、益田(ロッテ)らは国内、堂上、大島(ともに中日)らは海外FA権を有している。
 FA宣言する選手は、日本シリーズ終了翌日から7日以内(土、日曜と祝日除く)に権利行使の意思を在籍球団に伝えなければならず、今年の期限は11月1日。同2日にコミッショナー公示され、翌3日から交渉できる。[ 10/23(水) 22:12配信 時事通信 ]

シーズンは全日程を9月中に終え,日本シリーズも4試合で終了。来年は10月17日まで公式戦が組まれており,10月23日はクライマックスシリーズファーストステージすら開幕していないので,例年になく早い段階でのストーブ点火となります。
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2019年10月01日

大引、村中ら戦力外=プロ野球・ヤクルト

 ヤクルトは1日、大引啓次内野手(35)、村中恭兵投手(31)ら5人に来季の契約を結ばないと通告した。
 大引はオリックス、日本ハムを経て、フリーエージェント権を行使して2015年にヤクルト入り。今季は70試合に出場して打率2割2厘。村中は10年と12年に2桁勝利を挙げたが、今季は登板機会がなかった。ともに現役続行を希望している。
 岩橋慶侍(28)、沼田拓巳(25)両投手、山川晃司捕手(22)も戦力外となった。[ 10/1(火) 15:22配信 時事通信 ]

 43.村中恭平(2016-2019)←15.(2006-2015)
東海大甲府高校から2005年高校生ドラフト1巡目指名。将来性を高く買われ背番号は平本学を剥奪する形で「15」が与えられた。
高卒新人ながら2006年春季浦添キャンプに抜擢。シーズン終盤10月14日に初登板初先発の機会を与えられ,3回4失点。

2007年は一軍登板はなかったが,8月には北京プレオリンピック野球日本代表に選出され,オフにはハワイ・ウィンターリーグにも派遣されるなど経験を積んだ。

2008年。新たに就任した高田繁新監督の期待も高く,2年ぶりの一軍キャンプスタート。さらに自身初の開幕一軍入り。開幕第2戦目となる3月29日巨人戦(神宮)の先発を託された。
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4月4日中日戦(ナゴヤドーム)でプロ初勝利。5月3日巨人戦(神宮)では9回1死まで巨人打線をノーヒットノーランに抑える好投をしたが,亀井義行に二塁打を打たれ,惜しくも快挙達成とはならなかった。8月21日に左肘の張りを訴えて登録抹消。

前年の怪我からの復帰を果たしたのは2009年7月30日。後半戦のキーマンの期待が懸かったが,1勝6敗防御率7.12と不本意な成績に終わった。

2年ぶりの開幕ローテーション入りを果たした2010年。3月28日巨人戦(東京ドーム)で11奪三振を奪う力投。ローテーションに定着し,11勝。奪三振は前田健太に次ぐリーグ2位と飛躍のシーズンとなった。一方で与四球数はワースト2位,暴投数はリーグ最多。

2011年。脇腹痛による離脱などもあり4勝6敗と成績的には大きく下げたが,7月29日巨人戦(神宮)でプロ初完投・初完封勝利。球団史上初の神宮開催となったクライマックスシリーズファーストステージ巨人戦では2試合にリリーフ登板。1勝1敗で迎えた第3戦でセーブを挙げ,球団史上初のクライマックスシリーズファイナルステージ進出の立て役者となるなど,記憶に残る投球を魅せてくれた。
2005年高校生ドラフト1位24歳村中。2006年高校生ドラフト1位23歳増渕竜義。2007年高校生ドラフト1位22歳佐藤由規。2008年ドラフト1位21歳赤川克紀。4人合計で24勝を挙げ,ついた愛称は「ドライチ4兄弟」。誰もが近未来のヤクルト投手王国誕生の夢を抱いていた。

その波に乗り,2012年も開幕から白星を重ね,両リーグワーストとなる防御率3.88ながら規定投球回をクリアし,自身2年ぶりの10勝。オフには侍ジャパンにも選出された。

2013年開幕直前には結婚が発表され,順風満帆なプロ野球人生を歩んでいくかと思われたが・・・5月までに3勝を挙げながら,5勝止まり。防御率も5.00。次第に中継ぎ登板を余儀なくされるようになっていた。

2014年4月6日阪神戦(神宮)の登板で腰痛を訴え翌日登録抹消。8月には右肩関節炎で再び抹消。僅か7試合の登板に留まった。

2015年は自身8年ぶりに一軍登板無し。チームの優勝の輪に加わることもなく,オフには10年間背負った背番号「15」が,江村将也のつけていた「43」に変更されることに。

それでもここから這い上がった村中。3年ぶりに開幕一軍入りを果たした2016年。自己最多となる52試合に登板。7勝3敗6ホールド,防御率3.90。先発の駒不足もあって先発を託された6月30日広島戦(マツダ)では5回2失点で,自身2年ぶりとなる先発勝利も挙げた。

しかし2017年13試合。2018年3試合と登板数は減っていた。6月15日日本ハム戦(札幌ドーム)がスワローズでは最後の登板となった。この時ベンチで項垂れる村中に寄りそう青木宣親の姿も印象的だった。。
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一軍登板0に終わった今季は腰を痛めていたことが判明。「ここ2、3年は正直あまりよくなかったが、体の状態もよくなって、よくなる兆しが9月に入ってからあった。走るのもままならなかったのが、動けるようになった。挑戦してから辞めても遅くない。後悔したくなかった」と,ドライチ4兄弟の三男・由規同様に球団からの引退打診を固辞し,現役続行を希望しているという。

記録
 ・初登板・初先発:2006年10月14日中日戦(ナゴヤドーム)
 ・初奪三振:2006年10月14日中日戦(ナゴヤドーム)[朝倉健太]
 ・初勝利:2008年4月4日中日戦(ナゴヤドーム
 ・初完投・初完封勝利:2011年7月29日巨人戦(福島)
 ・初打点:2008年4月19日阪神戦(神宮)[岩田稔]
 ・初安打:2009年9月18日巨人戦(神宮)[内海哲也]

44.岩橋慶侍(2014-2019)
京都産業大学から2013年ドラフト4位入団。

2014年5月13日一軍初昇格。5月15日巨人戦(東京ドーム)でプロ初登板。5月20日(QVCマリン)でプロ初ホールド。6月15日日本ハム戦(札幌ドーム)でプロ初セーブ。7月5日広島戦(マツダ)でプロ初勝利と貴重な中継ぎ左腕として即戦力の活躍を遂げるも,7月12日に左肘に痛みを訴え一軍登録抹消。9月に手術を行い,2015年は1試合の登板のみ。

2016年は14試合登板で0勝1敗1ホールド。

2017年9月8日巨人戦(東京ドーム)でプロ初先発。6回表の第2打席で菅野智之からプロ初安打をマーク。6回2失点(自責点0)ながらも敗戦投手に。26日巨人戦(東京ドーム)も菅野との投げ合いとなり黒星を喫したが,翌年に期待を持たせる内容の投球であった。

しかしながら2018年,2019年と2年連続一軍登板無し。館山畠山引退試合となった9月21日中日戦では左肘をギブスで固定して観戦する岩橋の姿が神宮球場で目撃されていた。。

記録
 ・初登板:2014年5月15日巨人戦(東京ドーム)
 ・初奪三振:2014年5月15日巨人戦(東京ドーム)[阿部慎之助]
 ・初ホールド:2014年5月20日ロッテ戦(QVCマリン)
 ・初セーブ:2014年6月15日日本ハム戦(札幌ドーム)
 ・初勝利:2014年7月5日広島戦(マツダ)
 ・初先発登板:2017年9月8日巨人戦(東京ドーム)
 ・初安打:2017年9月8日巨人戦(東京ドーム)[菅野智之]

90.沼田拓巳(2019)←53.(2018)
名古屋産業大を中退後,エディオン愛工大OBブリッツ,ドジャース1Aなどを経てBC石川からの2017年ドラフト8位指名。
この年のドラフト最下位指名ながら,2018年春季浦添キャンプにも抜擢され,新人8選手の中では最も早く4月8日に一軍登録。4月11日中日戦(ナゴヤドーム)で初登板。1イニング打者5人に被安打2,1失点のデビュー戦。翌日に登録抹消。結局これが唯一の一軍登板となった。
オフには五十嵐亮太の復帰に伴い,背番号は90に変更されていた。
「2年間何もできなかった。まだ25歳ですし、150キロ投げられる。続けるつもりです」と現役続行を希望。

記録
 ・初登板:2018年4月11日中日戦(ナゴヤドーム)
 ・初奪三振:2018年4月11日中日戦(ナゴヤドーム)[福田永将]

2.大引啓次(2015-2019)
2014年オフにオリックスからFA宣言し,ヤクルトへ移籍。背番号は相川亮二のFA移籍で空き番となった「2」に。

長年どんぐりの背比べ状態だったショートのポジションが大引の加入によって一気に埋まった。2015年5月5日左内腹斜筋肉離れにより1ヶ月半ほど離脱を余儀なくされたが,館山昌平と同じく6月28日巨人戦(神宮)に一軍復帰。打率.225という数字以上のチャンスでの勝負強さを幾度となく発揮。そしてなにより守備の堅守さ。大引がエラーすると勝つという不思議なジンクスもささやかれたほどだった。

2016年は開幕直後とオールスター前に腰痛による離脱があったが,100試合に出場。ショートの守備率はリーグトップの.990をマークした。

2017年は7月からおよそ2ヶ月間左肩痛による離脱もあり,出場は80試合にとどまった。
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2018年は春季キャンプ早々にコンディション不良により離脱。移籍後初の開幕二軍スタートに。一軍復帰は4月25日。6月8日に再びコンディション不良による抹消。再登録は8月31日と故障に泣き,出場試合数は47試合。守り続けた遊撃手のレギュラーポジションは西浦直亨に奪われ,守備での出場は三塁手としてが主となった。それでも打数は少ないながら打率.350と代打としての勝負強さを発揮。チームの精神的支柱として2位躍進を支えてくれた。

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三塁転向で試合前ノックでつば九郎との談笑の時間も増えていた今季。大きな故障もなくシーズンを迎えていたが,サードには村上宗隆が抜擢され,大引の役回りはリードした終盤の守備固めと出番は限られていた。
それでもチームがリーグワーストとなる16連敗を喫して迎えた6月2日DeNA戦(横浜)でスタメン起用に応える走者一掃となる先制タイムリー二塁打。これがチームの連敗を阻止し見事お立ち台に。8月23日阪神戦(神宮)では通算1000本安打を達成。9月5日に登録を抹消されると,ほどなく球団から引退セレモニーの打診される。しかし本人は現役続行を希望し,退団の運びとなった。

「球団からは5年間、尽くしてくれてありがとう。新天地でも頑張ってほしい、と言われました」と円満退団を強調してくれるが,特に今年は体調が万全であったがゆえに,若手を起用することで試合に出られないもどかしさが強かったことは否めないのかも知れない。。

記録
 ・1000試合出場:2016年4月27日広島戦(神宮) 史上474人目
 ・1000本安打:2019年8月23日阪神戦(神宮)[高橋遥人] 史上302人目
 ・全球団から本塁打:2015年9月10日DeNA戦(神宮)[石田健大] 史上30人目
 ・オールスターゲーム出場:2016年

69.山川晃司(2018-2019)←55(2015-2017)
2014年福岡工大城東高からドラフト3位指名。背番号は「55」。2011年川上竜平,2012年田川賢吾,2013年児山祐斗,そしてこの山川とチームでは4年連続して高校生のドラフト指名は1名のみという状態が続いていた。

ルーキーイヤー2015年はファームで69試合(捕手として47試合)出場。そのほかにチーム最年少としての気苦労も多かったことだろう。

2016年は廣岡大志,高橋奎二,日隈ジュリアス,渡邉大樹と一気に4名の後輩が入団し,雑用からは解放されたかもしれない。

ただ3年目の2017年には山川と同じポジションである古賀優大が入団。この古賀に捕手としての出場機会を完全に奪われ,山川は外野手としての出場が多くなる。打率も入団一年目の.209から年々下降。

とうとう4年目を迎える2018年には背番号「55」を村上宗隆に剥奪され,山川は「69」に。その後の村上は説明不要。
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迎えた5年目のシーズン。ようやく山川と同学年の清水昇,中山翔太,久保拓真が入団してきた。しかしコンディション不良もありファーム公式戦での出場は13試合。与えられた打席は10で,ヒットは0。
春季の練習試合では投手不足のため,野手でありながらピッチャーを務めるなど厳しい言い方だがファームの人数合わせ要員と化しつつあった。9月11日巨人戦(戸田)で公式戦初登板。1回無失点の投球が話題となっていた。
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2019年09月29日

田畑コーチらが退団=プロ野球・ヤクルト

 ヤクルトは29日、田畑一也投手コーチ(50)、石井琢朗打撃コーチ(49)、橋上秀樹2軍チーフコーチ(53)が退団すると発表した。[ 9/29(日) 11:54配信 時事通信 ] 

89.田畑一也(2018-2019)
12球団最低のチーム防御率4.78。これは1984年の4.76を更新する球団史上ワーストの数字。この責任をとっての退団という形に。
確かに投手力は決して高いとはいえないが,それでも春先から点差関係なくハフマクガフ梅野を投入する継投にファンからも不安の声や疑問符がついていたのも事実。思えば昨年の中尾も来る日も来る日も起用していた印象。その中尾も離脱以降一向に調子上がってこない。
チームが低迷すると真っ先に槍玉に上げられるのは投手コーチというのはどの球団にもある宿命とはいえ,誰かを残したというならまだしも残ったのは灰だけというのも正直なところ。

81.石井琢朗(2018-2019)
昨年はリーグ2位658得点。今年もリーグ2位の656得点。たとえば0死満塁なら併殺でもいいからとにかく1点とる。それが石井コーチの理論。バットを投げたりゴルフクラブを使ったりするなど工夫を凝らした豊富な練習アイディアに加え,試合中は円陣で的確な指示。
引く手数多の名コーチ。古巣(DeNA)に戻られるのであればまだしも,優勝球団が食指しているともっぱらの噂。石井コーチのアイディアは宮出コーチに引き継がれたものと信じて・・

78.橋上秀樹(2019)
今年23年ぶりに復帰。これは将来的なヘッドコーチ昇格を見越しての二軍チーフコーチ就任だと信じて疑わなかったのですが・・・
ただ今年の故障者1号がこの橋上コーチだったのも事実。ヘルニアが伝えられ,一軍の遠征には耐えられないとの憶測もあり,橋上コーチの場合は他球団からの引き抜きでは無いような気がします。まずは腰を治し,それを待って再び古巣で現場復帰という線があると思ってます。

86.宮本慎也(2018-2019)
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小川監督から禅譲される次期監督の最有力候補とみられていた宮本ヘッド。「ヘッドコーチという立場は監督と一心同体。責任は感じるだけではいけない。結果が全て」と小川監督とともにユニフォームを脱ぐことに。
選手としての実績は申し分なし。球団が手放すのは勿体ないなどというファンの意見を多く目にしたが・・。

勝利のために妥協を許さぬ姿勢。自分に厳しく人にも厳しい姿勢。コーチとなっても現役時分と一切変わらない信念。これが球道を極めた宮本慎也そのものなんだと感じる。試合中に映されるベンチの表情は厳しさが漂っていた。時にはミスした選手をベンチ裏に連れていくというシーンも。

ミスをしたら叱責。いいプレーがあってもそれは当然で褒めない―
一社会人として考えたらどう感じるだろう。20代の若手社員と50代の管理職の上司とに置き換えて考えることがしばしある。若手にはまだ大学生の世代もいる。

アラフォー以上の世代であれば,パワハラや体罰は教育の一環。愛情の裏返しなんて言われた時代だった(はず)。教育現場だって廊下に立たせるとか部活中水を飲んじゃいけないとかそんなものが罷り通っていた(はず)。でも時代が変化して,パワハラや体罰は厳しく処罰される時代になった。生まれながらそういう環境に育ってきている子たち。

昨年までバッテリーコーチを務めた野口寿浩氏が,甲子園の中継内で松本直に対し,練習ではミスを恐れるあまり全力の7割くらいの力でしか送球しないなんて指摘をされていたが,これが現代の若手の率直な行動なんだと思う。

選手の実績が優れているからといって指導者としても優秀に違いないというなら,張本勲氏なんてものすごく優れた指導者になっているはず。でも実際は指導者としてのお声なんて一度もかからなかったんでしょ?!

ただそんなヘッドも退団が決まってからベンチで笑顔で選手を迎えるシーンがしばしば見られるようになって,星野仙一さんを想起させたというか。中日時代はすぐカッとなって手を挙げる暴力的なイメージも,最後楽天時代は温和というか年齢重ねて明らかに表情変わっていた。

朝のご意見番の人のようにいつまでも自分の概念を他人に押し付けるのではなくて,星野さんのように今の選手には今の選手なりの接し方があるんだとヘッドの心境に変化があれば,その時はすごい指導者になるんだと思う。だってあのノムさんも認めている球界の”人財”なのだから・・・
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2019年09月17日

寺原と三輪が引退へ=プロ野球・ヤクルト

 ヤクルトは17日、寺原隼人投手(35)と三輪正義内野手(35)が今季限りで現役を引退すると発表した。寺原は球団を通じ「1年でも長く野球をやりたかった私にチャンスをくれて感謝しかない」との談話を出した。
 寺原は宮崎・日南学園高からドラフト1巡目で2002年にダイエー(現ソフトバンク)入り。4度目の移籍で今季からヤクルトでプレー。通算成績は303試合に投げて73勝81敗23セーブ、防御率3.88。
 三輪は大学生・社会人ドラフト6巡目で08年にヤクルト入団。通算成績は418試合に出場し、打率2割3分6厘、0本塁打、16打点。(記録は17日現在)。[ 9/17(火) 15:28配信 時事通信 ]

60.三輪正義(2008-2019)
プロ通算62安打。16打点。本塁打0―。
成績だけみればすでにこの時点で村上宗隆に遠く及ばない。しかし数字ではない記憶に残る選手。それが三輪正義という選手。

四国アイランドリーグ香川から2007年ドラフト6巡目指名。ドラフト前の松山秋季キャンプで四国アイランドリーグ選抜との練習試合があり,当時の高田繁新監督の掲げるスモールベースボールに合致するということから指名に至ったとか。

入団一年目2008年はイースタン・リーグで80試合出場。リーグ2位となる24盗塁を記録。

2年目の2009年6月26日に川本良平に代わってプロ初の一軍選手登録されるも翌27日に野口祥順と入れ替えで抹消。7月9日に野口に代わって再登録。7月10日横浜戦(神宮)で松元ユウイチの代走でプロ初出場。16日に抹消され以降一軍出場無し。イースタンリーグでは盗塁王(36盗塁),最高出塁率(.397)の二冠。打率もリーグ3位の.321。秋季教育リーグに帯同していたが,クライマックスシリーズ第3戦で野口のインフルエンザが判明。急遽一軍に昇格し,代走出場した。

3年目を迎えた2010年。オープン戦から一軍に昇格すると,そのまま自身初の開幕一軍入り。4月9日阪神戦(甲子園)1番レフトでプロ初スタメン。第1打席で安藤優也からプロ初安打。しかし10試合の出場で4月28日に登録抹消された。

4年目で自身初浦添キャンプスタートとなった2011年。54試合に出場。うちスタメン出場は1試合。東日本大震災の影響から3時間30分ルールが設けられたこともあり,試合終盤の代走の切り札としての出場が増えた。ほぼフルシーズンに一軍帯同。守備ではレフト,センター,ライトと外野全ポジションのほか,サード,セカンドも守った。

2012年は前年同様3時間30分ルールもあって,2011年を上回る65試合に出場。代走,守備固めを託された。

2013年の春先ファームの練習試合では捕手での起用。自身4年ぶりに開幕一軍こそ逃したが,4月12日に一軍登録されると,4月17日中日戦(神宮)でプロ初の一塁の守備に就くなど,ユーティリティーさにさらに磨きがかかった。4月25日広島戦(神宮)で菊池原毅からサヨナラ安打。これが三輪にとってプロ初打点だった。

2014年。チームは春先から低迷。三輪の出場も32試合に留まった。チームが低迷するとどうしてもこういうプレーヤーの枠がまず削られてしまうのだ。

それが裏付けられる形となった2015年。自己最多となる87試合に出場。20安打,7打点はいずれも自身最多。プロ初の三塁打も2本放った。日本シリーズ第4戦にも出場。ベンチに三輪がいることで,終盤競った試合の選手起用のバリエーションが増えるのだ。万が一のことがあっても三輪がいるからということでベンチの傭兵を惜しみなく使える安心感。

2016年6月26日中日戦(神宮)。4-4の延長11回1死満塁の場面で比屋根渉の代打で登場。自身3年ぶり2度目となるサヨナラ安打を放ちお立ち台に。この日はローガン・オンドルセクが比屋根の失策に対し怒りを爆発させた試合。

2017年の出場試合は16。三輪を使いこなせないすなわちチームは低迷。

2018年7月30日国内フリーエージェント資格を取得。これは独立リーグ出身選手では初となった。8月4日阪神戦(京セラドーム)。延長11回表に9-8と勝ち越して,その裏レフトの守備に就いた三輪。しかし三輪が打球を後逸しサヨナラ負け。石山泰稚にこの年初めて負けがついた。ネットでは三輪の守備に辛辣な言葉もあった。それから10日後の8月14日巨人戦(神宮)。1点を追う9回裏0死一二塁の場面で代打を告げられ,見事犠打を決め,チームは川端慎吾のタイムリーで逆転サヨナラ勝ち。三輪の犠打が勝利を呼び寄せた。犠打で感動するなんてシーンはこの試合以外記憶にないくらいだ。

2019年は一軍昇格ないまま,現役引退を表明。春季練習試合では野手に故障者が多くスタメンを組むのがやっとの状態。三輪は内外野どこでも守った。そして気がつけば後身に熱心に犠打を教える機会も増えていたという。

「12年もできるとは思っていなかった。入ったときは2、3年で終わると思っていたので。使ってくれた首脳陣に感謝したいです。(15年に)リーグ優勝を決めた試合に出場できたことが思い出です」
皆が優勝できたことを思い出としてユニフォームを脱ぐ。やはり優勝というのはプロ野球選手にとってかけがえのないものなのだと改めて感じる。

記録
 ・初出場:2009年7月10日横浜戦(神宮)松元ユウイチの代走
 ・初盗塁:2010年4月3日横浜戦(神宮)[山口俊-橋本将]
 ・初先発:2010年4月9日阪神戦(甲子園)
 ・初打席・初安打:2010年4月9日阪神戦(甲子園)[安藤優也]
 ・初打点:2013年4月25日広島戦(神宮)[菊地原毅]

記憶
もし三輪が落合中日,原巨人,もしくはソフトバンクという常勝軍団のピースであったら,もっともっと重宝されたスーパーバイブルプレーヤーになっていたのではないかとすら思う。あるいは時代が違って野村ヤクルトだったら,ノムさんはどんな起用をしただろうか。

秀でた犠打の技術。走塁技術。声出し。ムードメーカー。そしていじられキャラ。雨天中止時のヘッドスライディング。ファン感謝DAYのキスシーン。
勝利と言う名の正義の為に駆けぬけてくれた12年間。ありがとうございました。
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2019年09月09日

館山、畠山が現役引退=プロ野球・ヤクルト

 ヤクルトは9日、館山昌平投手(38)と畠山和洋内野手(36)が今季限りで現役を引退すると発表した。2人は13日に記者会見を開く。
 「松坂世代」の館山は、神奈川・日大藤沢高から日大を経て、ドラフト3巡目で2003年にヤクルト入り。先発として活躍し、09年には16勝で最多勝に輝いた。ここ3シーズンは白星なし。今季がプロ17年目で、通算278試合に登板し、85勝68敗10セーブ、防御率3.32。
 畠山は岩手・専大北上高からドラフト5位で01年に入団。15年には105打点で打点王に輝くなど、チームのリーグ優勝に貢献した。プロ19年間で通算1105試合に出場し、打率2割6分5厘、936安打、128本塁打、567打点。(記録は9日現在)。[ 9/9(月) 9:59配信 時事通信 ]

25.館山昌平(2003-2019)
1981年早生まれ38歳同学年。とうとうこの日が来てしまった。。タテの歩んだ野球人生と全く同じ時間を過ごしてきた。昨年から覚悟はしていたつもり。それでもいざ「引退」の2文字が現実となり,昨夜は心にぽっかりと穴が開いたような喪失感に襲われてしまった。この17年間当たり前のようにいたタテ。ここ数年は同年代が次々とユニフォームを脱ぎ,残された唯一の同学年の選手となっていた。同学年の選手がいなくなるということ。これは唯一無二の存在。それが館山昌平だった―・

それでも一晩開けて目にした館山のコメント。
「穏やかな気持ちです。自分の中では今年でおしまいと決めていた。この1年は、もらった大切な時間。この1年があったから、現役をすがすがしい形で終えられる」
「打者を欺くことなく、力勝負してきた。打たれることが多くなったけど、一切の後悔がない。最後まで技術に苦しみ抜けたことは、これからに生きてくると思う」

この言葉がすべてを物語っている。そして次を見据えて歩みだしている。これで自分自身も少し落ち着けた気がした。

2002年ドラフト3巡目指名。いわゆる大卒の松坂世代。同期入団に高橋敏郎・小森孝憲。その4年前。高卒となる1998年のドラフトで指名されたのは石堂克利,牧谷宇佐美,高橋一正,丹野祐樹の4名だった。しかし高橋一,丹野はすでに戦力外を告げられていた。石堂と牧谷は一軍にも上がれず。松坂大輔を筆頭に多くの松坂世代がプロで活躍する中,ヤクルトだけは蚊帳の外感すらあった。

ルーキーイヤーの2003年7月19日に初の一軍登録。プロ初登板は7月20日中日戦(札幌ドーム)。1-8と7点ビハインドの9回表。いわゆる敗戦処理だった。8月10日巨人戦(東京ドーム)でプロ初先発。以降先発ローテーションに定着するも,9試合に先発して0勝3敗。好投を続けたものの白星はならなかった。

2004年2月12日。浦添キャンプで右肘靭帯を断裂。3月に右肘内側側副靱帯再建手術に踏み切ったため,2年目は一二軍ともに登板無し。

2005年4月7日に一軍復帰。4試合目の先発となった4月27日巨人戦(ヤフードーム)で待望のプロ初勝利。ヤクルトの松坂世代が白星を挙げたのは石堂に次いで2人目だった。7月30日阪神戦(甲子園)でプロ初完投初完封勝利。1年間ローテーションを守り10勝(6敗)。オフに2歳年上の女性と結婚。11月に右肘を再手術。

その影響から翌2006年は開幕には間に合わず,初登板は5月5日巨人戦(東京ドーム)。この試合に勝利するも以降3連敗と精彩を欠き,6月14日日本ハム戦(神宮)から中継ぎに転向。この試合でプロ初ホールド。6月27日中日戦(神宮)でプロ初セーブ。

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2007年中継ぎ,先発,抑えと度重なる配置転換と起用法が定まらなかった一年。先発で好投するも援護に恵まれず,抑えでは救援失敗も相次ぎ,3勝12敗5S。それでも「前例がなく評価が難しかったが,数字にはあらわれない部分が多かった」と球団から評価された。

2008年からは先発一本に。前年と正反対となる12勝3敗の成績で自身初のタイトルとなる最優秀勝率投手を獲得。オールスターゲームにも初選出された。

2009年4月29日中日戦(ナゴヤドーム)で自身4年ぶり完投勝利。5月28日オリックス戦(神宮)で白星を挙げ,前年から続く連勝を12とし,金田正一のもつ球団記録を51年ぶりに更新。6月11日ソフトバンク戦(ヤフードーム)まで14連勝と記録を伸ばした。7月22日阪神戦(甲子園)で自身4年ぶりの完封勝利。後半戦1度登録抹消となったが,10月8日阪神戦(神宮)16勝目を完封で飾り,吉見一起と共にセ・リーグ最多勝のタイトルを受賞。

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2010年は右足第4中足骨疲労骨折などで戦列を離れることもあったが,10月6日広島戦(神宮)でリーグ最多となる4度目の完封勝利を収め規定投球回に到達。防御率2.93はリーグ3位。

2011年は自己最高となる防御率2.04をマーク。7完投,3完封はいずれもリーグトップ。しかしながら夏に血行障害を発病。オフに右肘,右掌,右手中・薬指手術の手術を受ける。

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2012年には,3.4月(3勝0敗,防御率1.85),9月(4勝0敗,防御率1.13)と2度月間MVPを受賞。シーズン2度の投手月間MVPは1995年4月,9月のテリー・ブロス以来17年ぶり。12勝(リーグ4位タイ),防御率2.25(リーグ5位)。しかし―

自身初となる開幕投手を託された2013年のことだった。2試合目の先発となった4月5日DeNA戦(神宮)で4回途中違和感を訴え降板。翌日に右肘靭帯再断裂が明らかになり,12日に自身2度目の右肘内側側副靱帯再建手術へ。6月には股関節関節唇損傷の修復手術も合わせて受けたことが明らかに。

2014年は一軍キャンプスタートも,2月25日ロッテとの練習試合(西都)に先発し12球で緊急降板。4月5日巨人戦(戸田)でも緊急降板。検査の結果4月10日右肘外側滑膜ひだ切除手術,右肘内側側幅靱帯再建及び右前腕屈筋腱縫合手術を受け,実戦復帰まで1年かかる見通しが明らかとなる。この年の夏にはスワローズカップの来賓で燕市に。
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2015年6月28日巨人戦(神宮)で2年2ヶ月ぶりの復帰登板。
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当時の見聞LOGには「館山がグラウンドに現れた瞬間に目頭があつくなりました。自然と湧き出た館山コール。無数の応援ボード。そして…9番ピッチャー館山のコール。感極まりました。。」とハッキリ書いてありました。
7月11日DeNA戦(神宮)。1019日ぶりの勝利投手。
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ここから僅か3ヶ月間で6勝(3敗)。不死鳥の如く甦った館山の右腕でチームは14年ぶりのセ・リーグ優勝を遂げた。この功績はセントラル・リーグから3年ぶりとなるカムバック賞で讃えられた。

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「2015年カムバックできたのは燕市の皆が夢を見て野球をやっているのを見て。僕も頑張ろうと思ってカムバックできた。皆のおかげ。みんなにお礼がしたかったので一人で来た。」

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2016年7月22日中日戦(ナゴヤドーム)で勝利投手。しかしこれが館山最後の勝利投手となるなんてこの時点では想像も出来なかった−。7月31日巨人戦(東京ドーム)で黒星を喫すると,8月14日巨人戦(神宮),25日中日戦(神宮)でも勝てず翌26日に登録抹消。9月29日DeNA戦(横浜)では自身5年ぶりのリリーフ登板を経験。

2017年4月6日阪神戦(京セラドーム),6月3日西武戦(神宮)と先発登板も勝利なし。
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いわゆる抜け球が目立つようになった。針の穴を通すようなコントロールは見る影もなく,もはや指先の感覚が無いのだろうかと投球を見つめながら感じるシーンが多々あった。

開幕ローテーションに名を連ねた2018年も,4月5日広島戦(神宮),12日中日戦(ナゴヤドーム),30日巨人戦(東京ドーム)と3連敗。5月1日に登録抹消。8月22日広島戦(マツダ)で4ヶ月ぶり先発登板も,3回裏に鈴木誠也の打球を右腕に受け降板。翌日抹消。最終戦となった10月9日DeNA戦(神宮)に先発したがまたも敗戦投手。

2019年6月12日楽天戦(楽天生命パーク)に初先発するも3回2失点で敗戦投手。野球の神様がいるならば,もう1勝と願ったが叶わなかった。

もし神龍がいるならば最後の願いを叶えて欲しい。それはあと2つと迫った通算1000奪三振に挑戦する機会を与えて欲しい。

タイトル
 ・最多勝利:2009年
 ・最高勝率:2008年
 ・カムバック賞:2015年
 ・月間MVP:3回(2010年8月,2012年4月,2012年9月)
記録
 ・初登板:2003年7月20日中日戦(札幌ドーム)
 ・初先発:2003年8月10日巨人戦(東京ドーム)
 ・初奪三振:2003年8月10日巨人戦(東京ドーム)[ロベルト・ペタジーニ]
 ・初勝利:2005年4月27日巨人戦(東京ドーム)
 ・初ホールド:2006年6月14日日本ハム戦(神宮)
 ・初セーブ:2006年6月27日中日戦(神宮)
 ・1000投球回数:2011年7月19日横浜戦(横浜)史上324人目
 ・初安打:2003年8月10日巨人戦(東京ドーム)[河本育之]
 ・初打点:2005年10月11日横浜戦(神宮)[門倉健]
 ・初本塁打:2010年8月6日横浜戦(横浜)[大家友和]
 ・オールスターゲーム出場:4回 (2008年,2009年,2011年,2012年)
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2019年09月08日

畠山が今季限りで引退=プロ野球・ヤクルト

 ヤクルトの畠山和洋内野手(36)が、今季限りで現役を引退する意思を固めたことが8日、分かった。今季は下半身のコンディション不良の影響などで、一度も1軍に選手登録されていなかった。
 畠山は岩手・専大北上高からドラフト5位で2001年にヤクルト入り。強打を武器に15年には主軸として26本塁打を放ち、105打点で打点王に輝くなどリーグ優勝に貢献した。12、15年には一塁手としてゴールデングラブ賞を受賞。プロ19年間で通算1105試合に出場し、打率2割6分5厘、936安打、128本塁打、567打点(7日現在)。[ 9/8(日) 11:55配信 時事通信 ]

33.畠山和洋(2001-2019)
専大北上高校で甲子園出場。2000年ドラフト5位指名。同期入団に松谷秀幸(興南高)坂元弥太郎(浦和学院高)。
二軍時代はとにかく練習をさぼり,パチンコ店に入り浸るほどの“問題児”で,当時の小川淳司二軍監督が指導者時代にたった一度だけ手を上げたのがこの畠山だったとか。

入団2年目の2002年は,19本塁打・56打点でイースタン・リーグの本塁打王と打点王の二冠に輝くも,一軍からお呼びがかかるには至らず。

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プロ初の一軍は入団4年目の2004年8月4日。アテネ五輪に出場する宮本慎也の代わりの内野手として初登録。8月6日横浜戦(平塚)で石川雅規の代打としてプロ初出場。8日にアレックス・ラミレスの復帰で登録を抹消されるも,シーズン終盤10月5日に再昇格。6日阪神戦(神宮)8番一塁でプロ初スタメン。ちなみにこの日のスタメンはG青木E宮本D岩村A古田FラミレスH稲葉C土橋B畠山@石川というメンバーで,稲葉篤紀と青木宣親が同時にスタメンに名を連ねた2試合のうちの1試合。7日巨人戦(神宮)で高橋尚成からプロ初安打。

畠山と同学年となる松岡健一(九州東海大)田中浩康(早稲田大)川本良平(亜細亜大)が入団してきた2005年は,左太腿裏肉離れで離脱した古田敦也と入れ代わって昇格した8月19日阪神戦(神宮)に代打で藤田太陽からプロ初本塁打を放ったが,一ヶ月後9月19日に抹消。

2006年はファームで打率.313,7本塁打。101安打で最多安打のタイトルを獲得するも,一軍での出場は僅か7試合でヒット無し。

2007年はプロ初の開幕一軍に名を連ね,4月25日阪神戦(甲子園)で下柳剛から自身2年ぶりの本塁打を放つも出場は37試合と,プロ7年目に差し掛かりファームの帝王と呼ばれる位置だった。

それでも最初の転機となった2008年。開幕こそ二軍だったが,川島慶三の故障や,アダム・リグスの不振などが重なり4月8日に一軍昇格すると,4月15日横浜戦(神宮)で土肥義弘から本塁打を放つなど一軍に対応。5月18日阪神戦で初めて4番を任されると,年俸800万円の四番打者としてシーズン終盤まで全う。121試合,9本塁打,58打点で,自身初の規定打席にも到達した。

しかし翌2009年は,新外国人ジェイミー・デントナの加入によって4番一塁の座を奪われ,代打での出場が主に。打率.236,4本塁打,19打点と大きく成績を落とした。

畠山の野球人生を大きく変えたのが2010年だった。前年同様開幕から代打起用が大半だったが,4番を任せたデントナの極度の不振によってチームは大きく低迷。5月26日楽天戦(神宮)をもって高田繁監督が引責辞任。翌27日から小川監督代行が就任する事態となる。その小川監督代行が4番レフトとして大抜擢。93試合の出場ながら14本塁打。出塁率.380,長打率.551と持ち前の長打力が威力を発揮しはじめた。

2011年は142試合に出場。オールスターゲームにもファン投票で初選出され,第1戦でMVPを獲得。4番打者としてリーグ2位の23本塁打,リーグ3位となる85打点。78四球はリーグトップとセ・リーグを代表する選手となる。

2012年は4番を外されることもあったが、オールスターゲームに監督推薦で選出され,2年連続選出。地元・岩手県営野球場で行われた第3戦で全セの4番を任され,見事敢闘選手賞に輝いた。

2013年5月13日ロッテ戦(神宮)で松永からサヨナラ満塁本塁打を放つも,打率は.219と低迷。「ハタラケヤマ」などと容赦ないヤジも飛ぶなど苦しんだ末,8月28日に登録抹消されると,左内腹斜筋肉離れが明らかとなり残りのシーズンを棒に振るうことに。

それでも挫けない畠山の強さ。2014年6月8日西武戦(神宮)で走塁中に負傷。診断の結果左大腿二頭筋肉離れが判明するも,7月29日には復帰し,最終的には17本塁打,79打点。打率.310はリーグ8位。さらに得点圏打率がリーグ2位の.402と,勝負強さを発揮するようになる。

2015年はもはや説明不要だろう。26本塁打,チーム日本人最多記録を更新する105打点でタイトル獲得。川端慎吾,山田哲人を塁に置き,引っ張って返す,右方向に走者を進める,あるいは自身が四球を選んで後続の打者につなげると,4番打者ながらイニング,点差等状況に応じて徹底したチーム打撃でチームの優勝に貢献。ベストナイン,ゴールデングラブにも受賞した。

だが翌2016年から度重なる故障に泣かされるようになる。4月15日背中の張りを訴えて離脱。5月4日に復帰するも,6月13日に手首を痛め再び登録抹消されるとこのまま一軍出場無し。左有鉤骨骨挫傷に加え,下半身の状態も悪化も伝えられた。

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2017年は4月18日巨人戦(熊本)で左脹脛を負傷し離脱。開幕から一回りとなる15試合の出場でシーズンを終える。

2018年も開幕直後4月8日にコンディション不良で抹消されるも,5月24日に復帰すると,慣れ親しんだ4番一塁のポジションは奪われ,代打として一打席の出場が主戦場となるが,それでも75試合の出場で打率.248,5本塁打,27打点と新たな役割を果たしていた。

2019年は自身11年ぶりに二軍キャンプスタートとなり,独自の調整を委ねられたかと思われていたが,守備に就くのも困難なほど両脹脛の状態が上がらず,ヤクルト一筋19年で引退を決断した。

「まだ身体は動くけど野球をやめないといけない人がほとんどの中、もう身体が動かないというところまでできた。悔いはないです」そう言ってバットを置く決意を固めた−。

タイトル
 ・打点王:1回 (2015年)
 ・ベストナイン:1回 (2015年)
 ・ゴールデングラブ賞:2回 (2012年,2015年)
 ・月間MVP:1回 (2015年6月)
 ・オールスターゲームMVP:1回 (2011年第1戦)
 ・オールスターゲーム敢闘選手賞:1回 (2012年第3戦)
記録
 ・初出場・初打席:2004年8月6日横浜戦(平塚)
 ・初スタメン:2004年10月6日阪神戦(神宮)
 ・初安打:2004年10月7日巨人戦(神宮)[高橋尚成]
 ・初本塁打・初打点:2005年8月19日阪神戦(神宮)[藤田太陽]
 ・初盗塁:2008年8月30日横浜戦(横浜)[小林太志−相川亮二]
 ・通算100本塁打:2015年4月26日巨人戦(神宮)[高木勇人]史上273人目
 ・通算1000試合出場:2016年5月25日阪神戦(神宮)史上476人目
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2018年12月11日

高梨、秋吉ら交換トレード=日本ハム、ヤクルトで2対2―プロ野球

 ヤクルトの秋吉亮投手(29)と谷内亮太内野手(27)、日本ハムの高梨裕稔投手(27)と太田賢吾内野手(21)との2対2の交換トレードが成立し、11日に両球団から発表された。先発要員が欲しいヤクルトと経験豊富な中継ぎを補強したい日本ハムとの思惑が一致した。
 秋吉は2014年にパナソニックからドラフト3位でヤクルト入団。通算成績は283試合で19勝17敗34セーブ。15年には球団記録の74試合に登板し、17年のワールド・ベースボール・クラシック日本代表にも選出された。谷内は国学院大からドラフト6位で13年入団。通算154試合で打率2割2分7厘、2本塁打、37打点。
 高梨は14年に山梨学院大からドラフト4位で日本ハム入団。16年に10勝を挙げて新人王を獲得するなど通算79試合に登板して22勝17敗、防御率3.53。太田は15年に埼玉・川越工高からドラフト8位で入団し、通算94試合で打率1割7分8厘、1本塁打、11打点。[ 12/11(金) 11:25配信 時事通信 ]

寺原と新外国人の獲得だけで終わる無風のオフかと思いきや,何の予兆も無くいきなり飛び込んできた大型トレードのニュース。。

14.秋吉亮(2014-2018)
社会人パナソニックから2013年ドラフト3位指名。背番号は中澤雅人から剥奪するかたちで「14」に。

リリーフとしてのイメージの強い秋吉だが,プロ初登板は実は先発だった。この年のチームにとって開幕2カード目の初戦2014年4月1日広島戦(マツダ)でプロ初登板初先発。その最初の打者丸佳浩に史上16人目となるプロ初登板初回先頭打者被本塁打を浴びた。5回を投げ切るもプロ初黒星。4月9日中日戦(ナゴヤドーム)にも先発したが負け投手となり中継ぎに配置転換。
ここから中継ぎ,セットアッパー,そして抑えとしての地位を一気に確立していった。5月13日巨人戦(いわき)でプロ初勝利。5月26日楽天戦(神宮)で故障離脱したオーランド・ロマンの代役としてプロ初セーブ。ルーキーイヤーから61試合に登板。3勝4敗(うち2敗は先発)5セーブ19ホールド,防御率2.28と堂々の成績。

2015年はロマン,ローガン・オンドルセク,トニー・バーネットにつなぐ6回あるいは7回のセットアッパーに定着。球団記録となる74試合に登板し,6勝1敗22ホールド,防御率2.36の安定感。チーム14年ぶりセ・リーグ優勝に大きく貢献した。

ロマン,バーネットの退団した2016年は主に8回のセットアッパーを任されていたが,オンドルセクの暴言退団事件以降クローザーに転向。9月10日阪神戦(神宮)で稲尾和久以来プロ野球史上2人目となる入団3年目での200試合を達成。3勝4敗19セーブ10ホールド,防御率2.19と抜群の安定感は変わらず。

WBC「侍ジャパン」にも選出され,2017年3月14日キューバ戦(東京ドーム)では勝利投手となる。チームでも前年同様ストッパーを務めていたが,6月30日阪神戦(甲子園)で右肩甲下筋肉離れを発症し離脱。およそ2ヶ月後8月29日に一軍復帰したが,離脱前と較べると安定感を欠く場面がしばしみられるようになっていた。43試合5勝6敗10セーブ10ホールド,防御率3.35と4年目にして初の3点台に。

2018年も開幕からセットアッパーを任されたが,調子が上がらず,中尾輝,近藤一樹らにその座を奪われ,6月9日には故障以外ではプロ入り初めて一軍登録を抹消される。8月7日に再昇格したが,梅野雄吾らの台頭もあり,セットアップというよりは敗戦処理的な役回りに。9月23日に再び抹消され,クライマックスシリーズ期間中は宮崎のフェニックスリーグに帯同していた。35試合2勝2敗6ホールド,防御率は前年より更に悪化する4.23。

 ・初登板・初先発:2014年4月1日広島戦(マツダ)
 ・初奪三振:同上[白濱裕太]
 ・初ホールド:2014年4月27日中日戦(神宮)
 ・初勝利:2014年5月13日巨人戦(いわき)
 ・初セーブ:2014年5月26日楽天戦(神宮)
 ・ オールスターゲーム出場:1回 (2016年)

昨年6月30日を境に明らかに調子が下降したのは,怪我の影響なのかそれとも勤続疲労なのか。それでも日本ハムから評価されたということは,パでサイドハンドが活きると判断されたのでしょう。実力は日本代表級なのは折り紙付きなのですから!

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ファン感の福箱で当たったばかりなのに・・・

46.谷内亮太(2013-2018)
2012年ドラフト6位指名。背番号は「46」。

2013年ルーキーながら開幕一軍メンバーに名を連ねたが,登録の関係で抹消。8月28日中日戦(神宮)で再登録即7番ショートでプロ初出場。その初打席山本昌からレフト前ヒットを放ちこれがタイムリーでプロ初打点もマーク。
2014年8月26日広島戦(マツダ)で野村祐輔からプロ初本塁打。
2015年は僅か4試合の出場に終わる。

プロ4年目の2016年についにその才能が開花。4月6日に一軍登録されると,打撃好調で一気にショートのレギュラーポジションを掴む勢いだった。しかし4月19日阪神戦(甲子園)。藤浪晋太郎から左手首付近に死球を受けそのまま退場。左尺骨骨折で全治3ヶ月の診断で手術を余儀なくされた。8月7日に一軍復帰したものの,離脱前の調子は取り戻せず9月8日に再び抹消されてしまった。

2017年は4年ぶりに開幕一軍を掴み,自身最多となる104打席に立つも打率は.198。
今季はファームで十分な結果を残し,5月22日に一軍登録。36試合で打率.222,7打点。國學院大學の後輩清水が1位指名され,「少しでも何かできればいいんじゃないかなと思います」と意気込んだ矢先のトレード通告に。

12月1日埼玉県で行われた野球教室で講師を務める谷内。これがヤクルト最後のユニフォーム姿になりました。現地特派員Mさん提供。
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 ・初出場・初先発出場:2013年8月28日中日戦(神宮)
 ・初打席・初安打・初打点:同上[山本昌]
 ・初本塁打:2014年8月26日広島戦(マツダ)[野村祐輔]

谷内さんに関しては率直に。実直な性格。努力家。兄貴肌。キャプテンシー。まだ早いかも知れませんがコーチ向きの人財です。
日本ハムにトレードで移籍したメンバーは小川監督,橋上二軍チーフ,三木楽天二軍監督と錚錚たるメンバーがいます。ヤクルト1球団だけでは経験できないものを積んで,将来的にはヤクルトに戻ってくるそう信じていますから!

栗山監督はじめ,木田投手コーチ,城石打撃コーチ,押本打撃投手,高市打撃投手,杉浦稔大とヤクルトOBも多く溶け込みやすい環境とつばさまも太鼓判を押してくれています。来年の交流戦は札幌ドームから。そこでの対戦を心待ちにしましょう!

そしてようこそは16年新人王高梨裕稔投手。2016年6月2日(札幌ドーム),2017年6月16日(神宮)と交流戦で2度対戦していました。
さらにもう一人は高卒4年目の内野のユーティリティープレーヤー太田賢吾内野手。あの14年ドラフト指名の一人。4年間山川ただ一人だった1996年世代に,これで清水昇,中山翔太,久保拓真,内山太嗣,太田賢吾と一気に5名が入団。山川にとっても刺激になるような気がします。

あとヤクルト七不思議。かつて所属した選手の姓復活。高梨姓は1999年高梨利洋以来,太田姓は2013年太田裕哉(現打撃投手)以来となります。
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2018年11月15日

由規と育成契約=プロ野球・楽天

 楽天は15日、ヤクルトを戦力外となった由規投手(28)と育成契約を結ぶことで合意したと発表した。背番号123。右肩の故障を抱えるが、石井一久ゼネラルマネジャーは「しっかりリハビリのステップを踏めば、来年後半には戦力になってくれると思う」とコメントした。
 由規は仙台育英高から高校生ドラフト1巡目で2008年に入団。10年に自己最多の12勝を挙げたが、その後は右肩のけがに苦しみ、13年の手術を経て、16年は育成選手として契約し、7月に支配下に復帰。今季は1勝2敗。通算成績は90試合で32勝36敗、防御率3.66。[ 11/15(木) 18:08配信 時事通信 ] 

11.佐藤由規(2008-2015,2016-2018)121(2016)
6月2日楽天戦(楽天生命パーク宮城)。自身7年ぶりとなる地元仙台での凱旋登板を果たしていた。先発して初回を3者凡退に抑える上々の立ち上がり。速球も150km/hをマーク。打線も由規を援護し,勝利投手の権利まであと1アウトの5回裏2死二三塁。田中和基に左中間へのタイムリー二塁打を浴び同点に追いつかれ,続くペゲーロに四球を与えたところで降板。惜しくも地元仙台での勝利投手を逃した―

その翌日だった。出場選手登録抹消。当初は大事を取ってという発表で,一軍に帯同しながら調整を続けるということだった。ところが・・・それから一軍はおろか,二軍でも実戦登板は無かった。チームの方針もあり,故障箇所は明らかにされていなかった。そんな雲隠れの状態で8月。由規は一人チームを離れ,燕市で行われたスワローズカップ少年野球大会に姿を見せた。
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今にして思えば野球の楽しさを子どもたちに伝えるという仕事もあるという球団からの通達だったのだろうか。それとも子どもたちとの交流を通じて,由規が純粋に野球に触れた少年時代の日々を今一度想い出すことになったのだろうか。
ヤクルトの由規が退団表明=現役続行の意思―プロ野球
 ヤクルトの由規投手(28)が2日、今季限りでの退団を表明した。球団が来季の契約を結ばないことを通告し、本人は現役続行の希望を伝えた。都内の球団事務所で記者会見に臨んだ同投手は「いろいろと考えた上での決断。ボロボロになるまで野球をやりたい」と涙ながらに話した。
 今季は7試合に登板。6月2日の楽天戦を最後に、右肩の違和感を訴え登録を外れていた。独立リーグなども含めて、来季プレーできる球団を探すという。
 由規は仙台育英高から高校生ドラフト1巡目で2008年に入団。威力のある直球が武器で、10年には当時の日本人最速の161キロを投げた。右肩の故障に苦しみ、13年の手術を経て15年には育成選手として契約。16年に支配下に復帰した。プロ11年の通算成績は90試合で32勝36敗。防御率は3.66。[ 10/2(火) 13:19配信 時事通信 ]

ヤクルトでの11年間。うち半分は怪我との闘いだった。

仙台育英高校時代は2年夏から3季連続甲子園出場。3年夏の甲子園では157km/hをマークし,2007年高校生ドラフトでは中田翔(大阪桐蔭)唐川侑己(成田)と並んで「高校ビッグ3」と称された。
楽天・ヤクルト・横浜・中日・巨人の5球団が1巡目指名。この年限りでの退任が決まっていた当時の古田敦也選手兼監督がヤクルト球団への最後の置き土産とばかりに交渉権を引き当てた。ドラフト指名後の会見では涙を見せたが,これは地元楽天への入団が叶わなかったからではなく,家族に対する感謝のあまりだったという。その剛球に掛けて「号泣王子」あるいは「泣き虫王子」と当時流行の王子様にもなぞられた。

登録名は由規。背番号は「11」。黄金ルーキーは2008年浦添キャンプからプロ野球人生が始まった。
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オープン戦では3月6日日本ハム戦(札幌ドーム)と13日ソフトバンク戦(神宮)に登板したが,いずれも敗戦投手と結果を残せず開幕二軍スタート。ファームでの初登板は4月13日。1回を無安打無失点というデビューだった。高卒ながらイースタンで8勝を挙げ,満を持して8月30日横浜戦(横浜)でプロ初登板初先発。しかし2回途中6失点とプロの洗礼を浴びてしまう。それでもチームが逆転勝ちしたため負けはつかなかった。
プロ2試合目の登板となった9月6日巨人戦(神宮)。6回2安打3失点8奪三振で見事プロ初勝利。3試合目の登板となる9月14日巨人戦(東京ドーム)で6回4安打3失点とプロ初黒星を喫したが,この試合で高橋尚成からレフトへの犠飛でプロ初打点を記録。この年は6試合に登板し,2勝1敗防御率4.55。登板回は291/3回と新人王の権利を残して1年目を終えた。

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2009年は自身初の開幕一軍入り。開幕2戦目となる4月4日阪神戦(京セラドーム)で6回を投げ勝利投手に。10代の投手が開幕カードで勝利を挙げるのは,球団では金田正一以来52年ぶりという快挙となった。4月26日横浜戦(神宮)ではプロ入り後最速となる157km/hを計測。しかしこの試合で指の豆が潰れるアクシデントに見舞われ登録抹消。これが癖になってしまい,一軍と二軍を行き来する日々。この年のオールスターゲームに監督推薦で初選出されたが,その直前の登板でも豆を潰してしまいピッチングができなかったことから,全セ原辰徳監督の配慮で代走での出場こそあったが,登板は果たせなかった。22試合5勝10敗防御率3.50。

2010年も開幕2戦目3月27日巨人戦(東京ドーム)の先発に指名され,8回1失点の好投で勝利。しかしその後自身4連敗で5月4日に二軍降格。5月30日オリックス戦(スカイマーク)で一軍復帰。由規の抹消期間中にチームは混迷を極め監督交代劇も起きていた。6月13日楽天戦(クリネックス宮城)で田中将大との投げ合いを制し2勝目。ここから安定した投球でローテーションを守り続け,7月29日広島戦(神宮)でプロ初完投,8月5日中日戦(神宮)では初完封を達成。1672/3回と自身初の規定投球回数をクリア。25試合12勝9敗3.60。8月26日横浜戦(神宮)では,当時日本人最速となる161km/hを計測するなど,順調すぎるほどの成長軌道に乗っていた。

2011年3月11日。由規の故郷宮城も東日本大震災に見舞われた。高校時代の野球部の同級生が亡くなるなど由規自身も期するものがあって挑んな4年目のシーズンは,3年連続で開幕ローテーション入り。自身初めてその年の最初の登板で黒星を喫したが,そこから5月までに5連勝。しかし交流戦中6月9日オリックス戦(京セラドーム)で左脇腹を痛め離脱を余儀なくされる。
離脱中震災復興のため急遽宮城でもう1試合行われることになったこの年のオールスターゲームにファン投票で選出された。地元のためにと,チームでの実戦登板がないまま,オールスター第3戦(クリネックス宮城)で復帰登板。
9月3日巨人戦(神宮)。7回を投げ7勝目を挙げていた由規が,右肩に張りがあるということで登録を抹消されたのは震災から半年を目前にした9月9日の出来事だった・・・右肩の腱板損傷が判明したのだった。ここから始まる苦悩の日々。。

2012年4月。右肩の違和感を訴えファームでの登板を回避。5月には左脛を剥離骨折。2013年はブルペンでの投球再開のメドが立たないまま,横浜市内の病院で右肩のクリーニング手術に踏みきる。
2014年6月14日イースタンチャレンジ・マッチフューチャーズ戦(戸田)で792日振りとなる実戦登板。球速は最速155km/hを記録したが,一軍への復帰には至らなかった。

2015年は4年ぶりに浦添キャンプメンバーに名を連ねた。2015年2月22日日本ハム戦(浦添)に先発登板。オープン戦としては自身1069日振りの登板で2回無失点。最速151km/hを記録。3月11日オリックス戦(京セラドーム)では3イニングを投げた。イースタン公式戦には6試合に登板。1勝1敗防御率3.33という成績を残していたが,一軍での登板はついに4年間なし。チームは由規不在のままリーグ優勝を成し遂げ,オフに育成選手に移行されることが発表される。規約により背番号は「11」の11倍となる「121」へ。

育成選手としてのスタートとなった2016年。イースタン公式戦で9試合に登板。38回を投げ36奪三振,防御率3.79という成績を残し,7月5日に再び支配下登録選手として登録されることが発表された。背番号も再び「11」に。そして7月9日中日戦(神宮)。2011年9月3日巨人戦(神宮)以来1771日振りに,由規が背番号「11」を背負って,神宮球場に戻ってきたのだった。
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6回途中6失点で敗戦投手にこそなったが,由規の復帰登板を後押しするための緑色の応援ボードが,神宮球場一面を染めた光景は忘れることが出来ない。
7月24日中日戦(ナゴヤドーム)。51/3回を2失点で,実に1786日振りの勝利投手に。5試合2勝3敗防御率4.56と文字にすればあっけないものだが,彼の投じた252/3イニングという軌跡が,どれだけの苦悩と,どれだけのもがきの末に辿りついたものだったのか。。

2017年は10日間以上の間隔を空けながらという配慮のもと,10試合3勝5敗防御率4.31。着実に完全復活への道を歩みはじめていた。

その美声にも定評があり,『HERO』『HANABI』と2年続けてMr.Childrenの楽曲をファンの前に披露してくれた。
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そして今季。7年ぶりに開幕ローテーション入りし,4月22日DeNA戦(神宮)では故障後初めて中6日での先発登板も果たした。そして復帰後2度目となる中6日登板に挑んだのが6月2日楽天戦だった―。
2011年と2018年。結果的に2度の仙台での凱旋登板が何らかの異変を招いてしまったのだ…

 ・初登板・初先発登板:2008年8月30日横浜戦(横浜)
 ・初奪三振:同上[内川聖一]
 ・初勝利・初先発勝利:2008年9月6日巨人戦(神宮)
 ・初完投勝利:2010年7月29日広島戦(神宮)
 ・初完封勝利:2010年8月5日中日戦(神宮)
 ・初打点:2008年9月14日巨人戦(東京ドーム)[高橋尚成]
 ・初安打:2010年7月4日中日戦(秋田)[中田賢一]
 ・オールスターゲーム出場:2回(2009年,2011年)

「まだまだ自分の可能性にかけたい。いろいろ考えた上での決断なので、やると決めたからにはしがみついても野球をやりたい」と決断した由規。そして由規を迎えてくれた地元仙台の地。
プロ12年目。20代ラストイヤーとなる来季は,ここ数年由規を間近で見てきた三木肇二軍監督,野村克則二軍バッテリーコーチとともに楽天のファームでスタートを切ることになった。

野球選手にとっての肩の故障。この道は険しいものになるかそれは分からない。でも見守りたい。そしてまた泣かせてほしい。
東京 ☀ | Comment(0) | SWALLOWS Memories | at 22:37 | 更新情報をチェックする