2024年12月06日

今野復帰、ヤフーレも獲得 プロ野球・楽天

 ヤクルトの今野龍太投手(29)がトレードで楽天に移籍することが決まり、6日に両球団が発表した。
 2019年オフに戦力外となった古巣に復帰する。同日、仙台市で取材に応じた楽天の石井一久シニアディレクター(SD)は「金銭(トレード)です。ブルペンの層を厚くしてほしい」と説明した。
 楽天は、ヤクルトを自由契約となったミゲル・ヤフーレ投手(26)との契約合意も発表した。単年契約で年俸1億1000万円。
 石井SDはまた、フリーエージェント(FA)権を行使してヤクルトへの移籍が決まった茂木栄五郎内野手の補償について、「ほぼ人的でいこうと思っている」と話した。(金額は推定)。[ 12/6(金) 19:13配信 時事通信 ] 

69.今野龍太(2020-2024)
東北楽天を戦力外になっていた今野と2019年11月13日契約基本的合意。翌14日より松山秋季キャンプに合流。12月4日付で支配下選手契約。背番号は「69」。

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2020年。春季浦添キャンプメンバー入り。オープン戦でも好投を続け,自身初の開幕一軍メンバー入り。新型コロナウィルス感染拡大の影響で開幕戦となった6月19日中日戦(神宮)の延長10回に移籍後初登板も1回2失点(自責点0)で敗戦投手に。主にビハインドの場面の中継ぎで20試合に登板。0勝1敗防御率2.84。251/3回で奪三振36。奪三振率12.79をマークしていた。

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2021年も開幕から中継ぎとしてブルペンを支えた。4月23日中日戦(神宮)同点の6回表2番手で登板。自身の悪送球や四球で走者を背負いながらも,大島洋平を3球三振に仕留め,その裏今野の代打川端慎吾のタイムリーで勝ち越し。梅野雄吾−近藤弘樹−清水昇の継投で逃げ切り,今野に楽天時代の2019年5月18日ロッテ戦(ZOZO)以来となる白星がつき,移籍後初勝利。以降は清水,スコット・マクガフに繋ぐ「七回の男」として,チーム3位の64試合に登板し7勝1敗28ホールド,防御率2.76と大車輪の活躍。チーム6年ぶりの優勝と20年ぶり日本一に貢献してくれた。

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2022年も前年の64試合は下回ったが,51試合に登板し,1勝2敗17ホールド,防御率3.72の成績で,チームの連覇に貢献してくれた。

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2023年4月12日に再調整のため登録抹消。5月24日に再登録され登板を重ねていたが,8月13日阪神戦 (京セラドーム大阪) で梅野隆太郎に死球を与え,梅野は左手首を骨折。これがSNS上でも物議を醸してしまう。18日に登録抹消されて以後一軍昇格は無く,26試合1勝0敗2ホールド防御率3.77の成績に終わる。

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2024年。オープン戦で一軍合流したものの移籍5年目で初めて開幕一軍から漏れ,登板数も6試合に留まっていた。

君ではダメだと言われてしまったか?
君じゃない人の方がいいと諦められたか?
そんな言葉を本当だと思うのか?
まだやれるのにチキショーと叫ぶ心はあるか?

今野が移籍と同時に登場曲に選んだ高橋優さんの『プライド』。この強烈な歌い出しが流れるなかでマウンドに上がり,何度も勝利を引き寄せてくれた。戦力外通告を受けた古巣に乞われて戻る。今野なら「まだやれる」はず!

【記録】
 ・初ホールド:2021年4月22日広島戦(マツダスタジアム)
 ・初セーブ:2022年6月9日オリックス戦(京セラドーム)
 ・1球勝利:2021年10月1日広島戦(マツダスタジアム)史上45人目46度目

この報道の後にヤフーレの楽天移籍も発表された。タイミング的に茂木の契約合意翌日。両チームの近年のコーチを中心とした人事交流もあって,人的補償を求めれば2400万円となる移籍金が3600万円となり,かつ選手も獲得出来,ヤクルトとしても想定しない流出を防げてWIN-WINではと憶測を呼んだが,石井SDは「人的」発言。でもこれは三味線で落ち着くんじゃないかなぁと個人的には思いますが・・。

ヤクルト、巨人戦力外の鈴木康平を育成で獲得
 ヤクルトは6日、巨人を戦力外となった鈴木康平投手(30)と育成契約を結んだと発表した。
 鈴木は千葉明徳高から国際武道大、日立製作所と進み、2018年のドラフト2位でオリックスに入団。「K―鈴木」の登録名で、2年目の19年には先発で19試合に登板し4勝をマーク。21年から本格的にリリーフに転向した。23年から登録名を本名に戻し、5月に交換トレードで巨人に移籍。同年は33試合に登板したが、今季は1軍登板がなかった。
 ヤクルトは2年連続リーグ5位に終わり、チーム防御率3・64はリーグワースト。投手陣の立て直しが喫緊の課題となっている。育成だが先発と救援両方の経験があり、通算112試合に登板している右腕は大きな戦力となりうる。[ 12/6(金) 15:00配信 サンケイスポーツ ]

【12/6現在】支配下63名。育成12名。【空き番号】6・11・14・16・23・37・39・58・69・70・71・84・94・96・97・99。
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2024年11月07日

サイスニードら自由契約に=プロ野球・ヤクルト

 ヤクルトで今季の開幕投手を務めたサイスニード投手(32)と、ミゲル・ヤフーレ投手(26)が自由契約となった。日本野球機構が7日に公示した。
 サイスニードは来日4シーズンで通算24勝24敗、防御率3.95。今季加入したヤフーレは5勝10敗、防御率3.34の成績だった。[ 11/7(木) 15:01配信 時事通信社 ]

54.サイスニード(2021-2024)
2020年12月4日契約合意。背番号は中澤雅人の引退で空いた「54」。獲得が発表されるも,当時は水際対策という名の入国制限があり,来日は2021年シーズンがすでに開幕した4月3日。外国人選手には出国前と日本入国時にPCR検査が義務付けられ,陰性判定と2週間の隔離期間を経ての合流という段階が必要だった。改めて振り返ってもゼロコロナ政策に一体何の意味があったのだろうか。

2021年5月9日巨人戦(東京ドーム)で来日初登板初先発。18日阪神戦(甲子園)で来日初勝利。
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13試合に先発し6勝2敗,防御率3.41とまずまずの成績を残していたが,10月13日中日戦(バンテリンドーム)で下半身の張りを訴え緊急降板。さらに家庭の事情によりポストシーズンに登板することなく,日本シリーズ前の11月17日に帰国することになったが,球団は新たに1年契約を結んだ。

2022年。4月19日中日戦(バンテリン)で初勝利を挙げると,ローテーションを守り続けチーム最多タイの9勝を挙げ連覇に貢献。
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前年登板が叶わなかった日本シリーズにも2試合に先発登板。新たに1年契約が発表された。

2023年6月23日中日戦(バンテリン)で来日初完投・初完封勝利。9月5日巨人戦(神宮)では来日初本塁打を放った。23試合7勝8敗,防御率3.67。

2024年3月29日中日戦(神宮)。2018年デビッド・ブキャナン以来となる史上2人目となる外国人開幕投手に指名され,5回2失点と粘りの投球も白星はつかなかった。4月5日阪神戦(神宮),5月4日中日戦(神宮)では勝利投手の権利をもって降板するも,木澤尚文がサイスニードの勝ちを消してしまう。その後12日巨人戦(東京ドーム)6回4安打1失点,24日中日戦(バンテリンドーム)7回途中4安打1失点,31日楽天戦(福島)61/36安打2失点と3試合連続QSクリアも勝ち星に恵まれず。6月8日北海道日本ハム戦(神宮)でようやく12球団の開幕投手最遅となる勝利投手に。
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しかし8月14日中日戦(神宮)でまたしても木澤に勝ちを消されてしまうなど,23試合登板で2勝8敗。防御率は来日ワーストとなる5.03と成績を落としていた。
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【記録】
 ・初登板・初先発登板:2021年5月9日巨人戦(東京ドーム)
 ・初奪三振:同上[岡本和真]
 ・初勝利:2021年5月18日阪神戦(甲子園)
 ・初完投勝利・初完封勝利:2023年6月23日中日戦(バンテリンドーム)
 ・初安打:2021年9月23日DeNA戦(横浜)[石田健大]
 ・初打点:2022年6月17日広島戦(神宮)[大瀬良大地]
 ・初本塁打:2023年9月5日巨人戦(神宮)[山ア伊織]
 ・オールスターゲーム出場:1回(2023年)
 ・開幕投手:1回(2024年)

来日初年度。東京五輪による公式戦中断期間中にドーナツを食したところ感銘を受け,日本の穴場スポットとしてミスタードーナツを紹介。すっかりドーナツが代名詞となった。さらに紳士的な態度でファンからも愛された。何故か登板試合に雨が降ることが多く「雨男」のイメージも強かった。趣味は狩猟ということで,竜や虎に強さを発揮してくれた。数字だけ見ると4年間で24勝24敗であるが,紛れもなくリーグ連覇の貢献者の一人。Thank you SNEED!!!!

99.ヤフーレ(2024)
昨オフの補強第1弾として獲得が発表された外国人右腕。背番号は当初「58」と発表されたが,エスピナルと同じ「99」に。背番号的にも保険の意味合いが強いように感じた。
オープン戦では4試合に登板し防御率5.14。10日オリックス戦(京セラ)で打ち込まれた印象が強かったが,開幕3戦目の先発を託された。
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来日初登板となった3月31日中日戦で初勝利を挙げると,あれよあれよの開幕3連勝。これは1995年テリー・ブロス以来の快挙。4月29日巨人戦(東京ドーム)では球団の外国人選手としては初となるマダックス達成。3・4月月間MVP受賞はならなかったが,4勝(1敗)を挙げ,「ペコちゃん」の愛称で一躍人気者に。ところが5月に入ると10日巨人戦(神宮)71/3回2失点,18日阪神戦(甲子園)61/3回1失点,25日中日戦(バンテリン)7回1失点ながら3戦連続負け投手に。6月9日日本ハム戦(神宮)も7回無失点の力投も打線の援護に恵まれず勝ちつかず。以降負けが先行するようになり,一年間通すと5勝10敗1ホールド,防御率3.34。11月5日自身のSNSで退団を表明し,自由契約となった。

【記録】
 ・初登板・初先発登板・初勝利・初先発勝利:2024年3月31日中日戦(神宮)
 ・初奪三振:同上[クリスチャン・ロドリゲス]
 ・初完投・初完封勝利:2024年4月29日巨人戦(東京ドーム)
 ・マダックス:2024年4月29日巨人戦(東京ドーム)94球
 ・初ホールド:2024年7月21日DeNA戦(神宮)
 ・初安打:2024年4月29日巨人戦(東京ドーム)[フォスター・グリフィン]

エスパーダが自由契約=プロ野球・ヤクルト
 ヤクルトのホセ・エスパーダ投手(27)が自由契約となった。日本野球機構が8日に公示した。プエルトリコ出身で、来日1年目の今季は24試合に登板し0勝2敗、防御率5.00の成績だった。[11/8(金) 15:42配信 時事通信社]

39.エスパーダ(2024)
サンディエゴ・パドレスから移籍金を払って獲得したプエルトリコ出身の右腕。背番号は宮本丈の変更で空いた「39」。獲得が発表されると,SNSで親日をアピールし,日本に溶け込む姿勢を見せてくれた。オープン戦は5試合に登板し防御率0.00。期待も高く開幕一軍メンバー入り。
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3・4月は11試合に登板し僅か1失点。防御率0.79と抜群の安定感を誇り,徐々に終盤の大事なところを託されるようになったが・・。5月6日横浜DeNA戦(横浜)。5-2と3点リードの8回裏にこの日日本復帰初戦となった筒香嘉智に痛恨の逆転3ランを喫し,石川雅規の勝利投手の権利を消して来日初黒星。5月31日東北楽天戦(福島)では自身来日初セーブを懸けて最終回のマウンドに上がるも,走者を背負って降板し敗戦投手に。これで完全に信頼を失い,以降は登板すば打たれるの繰り返し。6月16日に出場選手登録を外れ,再昇格はなかった。
それでもファームでは19試合に登板し防御率0.95と気持ちは切れしているようではなかったが,9月末をもって帰国。契約更新には至らなかった。
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【記録】
 ・初登板:2024年3月30日中日戦(神宮)
 ・初奪三振:2024年4月4日広島戦(マツダ)[久保修]
 ・初ホールド:2024年4月30日巨人戦(東京ドーム)続きを読む
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2024年10月10日

ヤクルトの西田が戦力外 プロ野球

 ヤクルトは10日、西田明央捕手(32)と来季の契約を結ばないと発表した。
 北海道・北照高からドラフト3位で2011年に入団。通算310試合に出場し、打率2割1分1厘、17本塁打、65打点。[ 10/10(木) 18:19配信 時事通信 ]
 
30.西田明央(2011-2024)
14年間の在籍で出場は310試合。1年平均するとおよそ22試合。これを多いとみるか少ないとみるか。捕手という特殊なポジション。常に2学年上に同じ高卒入団の中村悠平という存在がいた。その中村を補完する相川亮二・田中雅彦・井野卓・嶋基宏という年長の捕手がいて,第3捕手的な役回りが多いなかで,この数字は献身的にチームを支えてくれた一流の脇役の証ではなかろうか。

北海道・北照高校から2010年ドラフト3位指名。北照高では3年時に春夏連続で甲子園出場し,春は選手宣誓を務めた。背番号は西ア聡が背負っていた「30」。同年のドラフト1位が山田哲人,4位は同じ北照高から指名を受けた又野知弥だった。

2011年24試合。2012年84試合とイースタンで出場試合を増やしていく。
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3年目の2013年4月7日左肩鎖関節亜脱臼の相川と入替で一軍初登録。5月17日左鎖骨骨折の田中雅と入替で一軍再登録。5月20日東北楽天戦(宮城)で一軍初出場。9月11日中村と入替で登録。12日広島戦(神宮)にプロスタメン。ファームで85試合出場と実戦を積みながら,一軍のアクシデント時に対応できる立ち位置になっていた。

2014年。自身初の開幕一軍を果たしたものの,中澤雅人との入替で抹消され,大半をファームで過ごしたが,9月23日に一軍昇格すると,24日広島戦(神宮)でプロ初本塁打を含む3安打4打点。翌年からの一軍定着が期待されたが,2015年は怪我もあり一軍出場13試合,二軍39試合の出場に留まるってしまう。

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2016年も開幕一軍入りも,開幕直後に井野との入替で抹消。それでも5月10日に再昇格すると,畠山和洋の故障離脱もあり,打力を買われ一塁手としても併用されるなど,キャリアハイとなる74試合に出場。

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2017年。4月12日中日戦(神宮)で生涯成績唯一の盗塁となったプロ初盗塁を記録。一方で打率.137と低迷し出場試合は37試合。
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2018年は浦添キャンプスタートが決まっていたものの,キャンプイン前日に右足を負傷し離脱。5年連続の開幕一軍を逃すばかりか,1年通して出場試合は4試合に終わった。

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2019年は2年ぶりに開幕一軍入り。5月に10日間の抹消期間のみでほぼ1年間一軍帯同。出場47試合。

2020年。開幕一軍からは外れたが,中村の打撃不振もありマスクを被る機会が増え,8月15日横浜DeNA戦(横浜)では小川泰弘とバッテリーを組み史上82人目となるノーヒットノーランを達成するなど120試合中69試合に出場。
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2021年。3月30日横浜DeNA戦(横浜)でスタメンマスクを託されチームの開幕からの連敗を3で止めたが,翌31日新型コロナウイルス陽性判定。これを受け前日バッテリーを組んだアルバート・スアレス。さらに山田哲人・西浦直亨・内川聖一・青木宣親も濃厚接触疑いで抹消となる非常事態に。古賀優大・内山壮真の台頭もあっては出場試合は11試合に激減。

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2022年7月。選手・監督・コーチスタッフの新型コロナウイルス陽性判定による大量離脱に伴って一軍初昇格。同18日巨人戦(神宮)でおよそ1年3ヶ月ぶりとなるスタメンマスク。打ってもマルチ安打で西田健在をアピールするも,陽性者の復帰で登録抹消となり,出場試合は10試合。それでもSMBC日本シリーズでベンチ入りした。
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2023年は中村・内山の特例抹消期間の一軍昇格が主となり出場8試合。

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2024年。春先から内山・古賀が故障離脱するなど捕手に故障が相次ぎ3年ぶりとなる開幕一軍入り。第3捕手として出番は限られる中,献身的にチームを支えた。8月26日に登録抹消。いつしかファームでも若手に出場機会を譲る立場となっていた。
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西田には同期入団の山田が「1」を背負った2016年から,思い入れが強くなっていた。山田と組む「1」「30」。自分の誕生日でもあるこの並びを,同期というかけがえのない2人が描く。その背中に何度も魅了されて,必死でシャッターを押していた・・・。
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明央と書いて「あきひさ」。しかし選手やファンからは「あきお」と呼ばれ親しまれた。出番はなくともベンチで声を張ってチームメイトを鼓舞する献身的な姿勢はきっと誰もが見ていたと思う。
君の力が 希望もたらす 勝利へ向かって 放て明央
14年間の長きにわたって背番号「30」を一筋で背負ってくれてありがとうございました。

【記録】
 ・初出場:2013年5月20日対東北楽天戦(クリネックス宮城)
 ・初先発・初打席:2013年9月12日対広島戦(神宮)
 ・初安打:2013年9月17日対DeNA戦(横浜)[加賀美希昇]
 ・初本塁打・初打点:2014年9月24日対広島戦(神宮)[篠田純平]
 ・初盗塁:2017年4月12日中日戦(神宮)[ラウル・バルデスー杉山翔大]
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2024年10月05日

山崎が現役引退 プロ野球・ヤクルト

 ヤクルトは25日、山崎晃大朗外野手(31)が今季限りで現役を引退すると発表した。
 青森山田高から日大を経て、ドラフト5位で2016年にヤクルト入り。9シーズンで595試合に出場し、打率2割4分5厘、7本塁打、97打点。[ 9/25(水) 17:15配信 時事通信 ]

31.山崎晃大朗(2016-2024)
日本大から2015年ドラフト5位指名。背番号は山崎を指名した同じ日大出身真中満監督が現役時代に付けていた「31」。

2016年同期入団では原樹理とともに春季浦添キャンプメンバー入り。開幕一軍は逃したがファームで実戦を積み,7月31日巨人戦(東京ドーム)ハ・ジェフンとの入替でプロ初の一軍登録即スタメン起用された。8月5日阪神戦(神宮)で藤浪晋太郎からプロ初安打。初盗塁も記録した。
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12日鵜久森淳志と入替で再びファーム落ち。イースタンで100試合に出場し盗塁王のタイトルを獲得。オフには第1回WBSCU-23ワールドカップの日本代表に選出された。

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2017年も開幕一軍は叶わず。4月12日に出場選手登録も23日に抹消されていた。7月25日に再昇格すると,翌26日中日戦(神宮)山アの内野安打が起点となってチームは10点差を大逆転勝利。8月2日巨人戦(神宮)でプロ初の猛打賞。8月23日阪神戦(神宮)では1試合4安打。8月26日DeNA戦(神宮)で石田健大からプロ初本塁打をそれぞれマークするなど,59試合と出場機会を増やした。

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2018年。自身初の開幕一軍入りも,外野手は青木宣親の復帰もあり,レフトにウラディミール・バレンティン,ライトに高井雄平と,坂口智隆がファーストに回らざるを得ないほど外野の層が厚くなり,前年から出場試合数を大きく減らす23試合。打率も.184と低調に終わった。
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2019年は開幕一軍を逃すも,上田剛史との入替で再昇格した6月8日以降一軍に完全定着し,80試合に出場。打率.274,8打点。
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2020年は一年間一軍帯同。全120試合中109試合に出場し,打率.245,3本塁打,23打点。11月8日巨人戦(東京ドーム)では田中豊樹から逆転満塁本塁打を放ち,同年オフのファン感謝DAYあたりから山崎のカラーも色濃く出始めた感がある。
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2021年。主に代走や守備固めの出番が多かったが114試合に出場。チームの14年ぶりセ・リーグ優勝。20年ぶり日本一に大きく貢献。代名詞となる縦胴上げもこの年のクライマックスシリーズファイナルステージ第3戦(神宮)から始まった。
オフの顔として,同期である塩見泰隆とともに燕市のトークショーにも来燕。軽快なトークでファンを魅了してくれた。
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ドミンゴ・サンタナの故障や青木宣親の不調で先発出場が増えた2022年。
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規定打席に届かなかったものの自身最多の118試合に出場。記憶に残るシーンが数多。5月8日巨人戦(東京ドーム)大勢から逆転2点タイムリー。25日日本ハム戦(神宮)では北山亘基から逆転サヨナラ3ラン本塁打。チームに勢いをつけ,2年連続セ・リーグ優勝の立役者となった。
オフにはスワローズカップで燕市に2年続けて来燕。
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ところが2023年驚きの西都キャンプスタート。調整を任せられる年齢にはまだ早いのにという春先に抱いた疑念。それでも4月22日に一軍登録され,華麗なダイビングキャッチを見せてくれていたが,7月27日に脳震盪特例で抹消されるなど,出場試合は64試合に留まることに。
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2024年開幕早々並木秀尊が故障すると,育成の岩田幸宏が支配下登録。今思えば山崎の状態の悪さを物語っていたのか。
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5月24日一軍登録。そこには守備に就く際ゴーグルを纏う山崎の姿があった。6月27日広島戦(マツダスタジアム)9回裏2死一二塁。坂倉の打球にダイビングキャッチを試みるも後逸し,チームはサヨナラ負け。勝利目前で石川雅規の勝ちも消えた。7月5日に登録抹消。

2024年9月25日現役引退発表。「右ヒザの状態と、もともとメニエール病(めまいや吐き気が繰り返し起こる病気)に悩まされていて、それがちょくちょく起こるようになったのが理由です。自分のコンディションや体調という面で覚悟していた部分もあったので、球団とも話し合って決めました」と理由が明かされた。

9月29日イースタン最終オイシックス戦(戸田)の最終打席でライトホームラン。10月3日本拠地最終広島戦(神宮)の最終打席で綺麗なレフトへの流し打ち。

「9年間、温かい応援ありがとうございました。監督が言うように、凄く全部が中途半端な選手でした」「打っても2割5分、盗塁も2桁届かない、打点もちょっと少ない。そんな中途半端な自分を監督は辛抱強く使い続けてくれました」「最後、中途半端な(7回の)三振で終わるのは悔しかったんですけども、最後(山田)哲さんのホームラン、そして2死ランナーなしで回してくれた中村さん、最後、真向勝負してくれた(広島の)森浦くんに本当に感謝したいと思います」「全体的に中途半端な成績でしたけども、本当に9年間ありがとうございました」

通算596試合出場。打率.246,7本塁打,97打点,48盗塁。先輩からは弄られ,後輩からは慕われる。稀代のムードメーカー。記録以上に記憶に残った背番号31。Thank you KOTARO Forever31。

【記録】
 ・初出場・初先発出場:2016年7月31日巨人戦(東京ドーム)
 ・初打席:同上[マイルズ・マイコラス]
 ・初安打:2016年8月5日阪神戦(神宮)[藤浪晋太郎]
 ・初盗塁:同上[藤浪晋太郎−原口文仁]
 ・初打点:2017年4月13日中日戦(神宮)[又吉克樹]
 ・初本塁打:2017年8月26日DeNA戦(神宮)[石田健大]
【表彰】
 ・月間サヨナラ賞:2022年5月
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2024年09月30日

嘉弥真ら7選手が戦力外 プロ野球・ヤクルト

 ヤクルトは30日、嘉弥真新也(34)、尾仲祐哉(29)両投手、三ツ俣大樹内野手(32)のほか、育成の近藤弘樹(29)、嘉手苅浩太(21)、下慎之介(22)各投手、フェリペ捕手(25)と来季の契約を結ばないと発表した。[ 9/30(月) 15:18配信 時事通信 ]
 
9月30日ながらイースタン全日程終了翌日という規定にのって第一次通告。

49.嘉弥真新也(2024)
2023年11月28日西川遥輝・増田珠と共に入団発表。背番号は「49」。
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オープン戦は7試合に登板し防御率0.00。打者21人と対戦し許したヒットは僅か1本。抜群の安定感で開幕一軍入り。ところがいざ開幕してみるとまるで別人。投げては打たれるの繰り返し。防御率13.50で4月19日に登録抹消。7月6日に再登録も防御率はさらに悪化。14.50となって7月14日登録抹消。イースタン・リーグでは29試合に登板して1勝1敗,防御率2.81という成績だった。
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52.尾仲佑哉(2023-2024)
阪神を戦力外となり,2022年11月10日獲得発表。背番号「52」。
2023年4月7日移籍後初昇格。翌8日阪神戦(甲子園)で,先発予定だったディロン・ピーターズがコンディション不良で登板回避となり,代役として移籍後初かつプロ先発登板も敗戦投手に。11試合に登板し,0勝1敗,防御率5.17。
2024年はイースタンで33試合,防御率1.67と結果を残し,9月1日に一軍昇格。6日阪神戦(神宮)で今季初登板を果たしたが,佐藤輝に満塁本塁打を浴び,翌7日に登録抹消。自身2度目の戦力外通告となった。
【記録】
 ・初先発登板:2023年4月8日阪神戦(甲子園)

66.三ツ俣大樹(2023-2024)
2022年11月8日に行われた12球団合同トライアウト(楽天生命)で結果を残し,獲得に動いた。背番号は「66」。
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内野ならどこでも守れ,確実性のある犠打技術も兼ね備えた貴重なバックアップ要員として,2023年は出場試合こそ18試合と少なかったが,シーズンの大半を一軍で過ごし,代打で5犠打も記録したものの,2024年は一度も一軍登録が無かった。
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012.近藤弘樹(2023-2024)←52.(2021-2022)←012(2021)
東北楽天を戦力外となるも,2020年12月14日に育成契約。背番号は「012」。
2021年育成選手ながら春季浦添キャンプに抜擢され,3月15日支配下契約へ移行。背番号は「52」。開幕一軍メンバーに名を連ねた。
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開幕から14試合連続無失点を記録するなど,まさに「近藤,近藤,雨,近藤」とばかりに登板を重ね,防御率も0点台と大車輪の活躍をしていた近藤だったが,5月26日北海道日本ハム戦(神宮)悪夢が襲う。8回表4番手で登板。先頭打者渡辺に投じた初球のシュートがすっぽ抜け,顔をしかめた。右肩を気にするそぶりをみせ緊急降板。翌27日に登録抹消。

のちに明かされたのは右肩の肉離れ。2022年は実戦に1試合も登板できず育成契約に切り替えられ,背番号は再び「012」に。
2023年6月24日BCリーグ・福島との練習試合で実戦復帰。29日楽天戦でおよそ2年ぶりの公式戦復帰登板。16試合に登板し,防御率1.13。秋季フェニックスリーグでも順調な投球を続け,2024年には支配下復帰してくるだろう。そう信じていた。

ところが・・。2024年3月9日春季教育リーグ千葉ロッテ戦(戸田)に5番手で登板し,1イニングを投じたのを最後に再びマウンドから遠ざかってしまう。とうとう復帰は叶わなかった・・。「肩の状態を考えたら、ちょっと厳しいのかなというのは少しありますね」。

013.嘉手苅浩太(2024)←67.(2021-2023)
日本航空石川高校から2020年ドラフト6位指名。背番号「67」。
193cmの長身から投げ下ろす最速152km/hの速球が売り。イースタン登板は2021年9試合。2022年16試合。2023年16試合。3年間一軍登板なく,2023年10月31日に戦力外通告され育成選手として背番号「013」で再契約した2024年も18試合登板,防御率5.23に終わった。
市川悠太と「若手のホープ」として週刊誌騒ぎになったことが一番の話題か。先輩付き合いは慎重に。

019.下慎之介(2021-2024)
健大高崎高から2020年育成ドラフト1位指名。背番号「019」。
イースタン登板は2021年10試合。2022年16試合。2023年12試合。2024年23試合。奪三振率は高いものの,与四死球が多く制球力に課題を残し,2022年夏からはサイドスローに転向するなど,試行錯誤したという。
入団会見での「次は自分が19番をつけます」的なコメントに正直石川に失礼だなと思った。「特にこの2年はいろいろ難しいなと思うことが多かった。まだやりたいという気持ちはそこまでない。また違うこともやってみたいと思います」と現役引退を示唆。

025.フェリペ(2023-2024)
BCリーグ・福島から2023年7月25日育成入団。背番号「025」。
本職の捕手だけでなく,内野外野どこでもこなせるユーティリティプレーヤー。およそ2ヶ月の間にイースタン37試合に出場。打率.222,3本塁打,13打点とまずまずの成績を修め育成再契約。
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2024年は捕手に怪我人が相次ぎ,ファームの捕手事情も高卒新人の鈴木叶と育成の橋本星哉のみという状況に陥った。この時期にフェリペ自身も怪我で捕手としての試合出場が困難となっており,球団は中川拓真の獲得に動くことになった。最大のチャンスを自身の怪我によって失ってしまった感がある。
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2024年09月13日

ヤクルトの青木、現役引退 プロ野球

 日米通算2723安打をマークし、セ・リーグ首位打者に3度輝いたヤクルトの青木宣親外野手(42)が13日、今季限りでの現役引退を表明した。
 同日の記者会見で「2024年のシーズンをもって引退することを決意した」と語った。
 球界最年長野手として迎えたプロ21年目の今季は、61試合に出場して20安打。打率は1割9分2厘にとどまり、8月5日に出場選手登録を抹消された。
 宮崎・日向高から早大を経て、ドラフト4巡目で2004年にヤクルト入団。巧みなバットコントロールが持ち味で、日米通算の安打数は日本選手歴代5位に相当する。05、07、10年に首位打者を獲得。足も速く、06年には盗塁王に輝いた。
 12年からは米大リーグに挑戦し、ブルワーズやロイヤルズなど7球団を渡り歩いた。18年にはヤクルトに復帰し、21年の日本一、22年のセ・リーグ連覇に貢献。通算では日本で1949安打、メジャーでは774安打をマークした。
 野球の国・地域別対抗戦のワールド・ベースボール・クラシック(WBC)は日本が連覇した06、09年に加え、17年も出場。08年北京五輪でもプレーした。
 プロ野球では通算1713試合に出場し、打率3割1分3厘、145本塁打、667打点。米大リーグでは759試合(投手出場1試合含む)で打率2割8分5厘、33本塁打、219打点。(記録は12日現在)。[ 9/13(金) 9:24配信 時事通信 ]
 
8月5日ドミンゴ・サンタナの一軍復帰を前に登録抹消公示。この時に覚悟したものがとうとう訪れてしまった。

23.青木宣親(2004-2009)1.青木宣親(2010-2011)
早稲田大学から2003年ドラフト4巡目指名。当時の早大は1学年上に和田毅,同学年に鳥谷敬・比嘉寿光・由田慎太郎。1学年下に田中浩康,2学年下に武内晋一とその後プロで活躍する選手を擁し東京六大学リーグ2002年春から4季連続優勝と黄金期。2002年春から3季連続でベストナインに選ばれていたが,その順位が示すように小柄で大学時代0本塁打の青木のドラフト時点の評価は決して高いものでは無かった。背番号は早大で4学年上藤井秀悟も背負っていた「23」。

2004年の一軍出場は10試合。ほぼ一年間ファームでプレーした。301打数112安打打率.372でイースタン・リーグの首位打者と最高出塁率のタイトルを獲得。盗塁もリーグ2位の21をマーク。フレッシュオールスターゲームでは最優秀賞を獲得した。ちなみにこの打率は2001年以降のリーグの最高打率で未だ更新されていない。

外野手の稲葉篤紀がFAで北海道日本ハムへ移籍した2005年。自身初の開幕一軍入りを果たすと,4月1日開幕阪神戦(大阪ドーム)2番センターでスタメン出場。いきなり2安打放つもその後は低打率と三振の多さに悩まされていた。それでも若松勉監督は辛抱強くスタメン起用を続け,この年から導入されたセ・パ交流戦を機に安打を量産。1番センターのポジションを不動のものとし,10月1日阪神戦(神宮)に当時のセ・リーグタイ記録となる192安打。10月6日中日戦(神宮)にセ・リーグ新記録となる193安打。11日横浜戦(神宮)には1994年オリックスイチロー以来史上2人目となるシーズン200安打を達成。
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最終的に202安打を放って最多安打。打率.344で首位打者のタイトルも獲得。新人王にも選出された。ファームと一軍で首位打者になったのも,イチロー(ウエスタン・リーグ1992年,パ・リーグ1994年〜2000年)史上以来2人目と一気に球界を代表するスターにのし上がった。

その後2005年に続いて2007年,2010年と首位打者を3度獲得。2006年には盗塁王も獲得。2010年に自身2度目の200本安打。2006年から5年連続で2ケタ本塁打をマーク。6年連続でゴールデン・グラブ賞。改めてその足跡を辿ろう。

2006年。第1回ワールド・ベースボール・クラシックの日本代表にも選出され,センターとして日本の初優勝に貢献。公式戦では全146試合に1番センターで出場。両リーグトップの192安打を放ち2年連続最多安打。赤星憲広の6年連続を阻止し盗塁王のタイトルを獲得。7月21日オールスターゲーム第1戦(神宮)で松坂大輔から安打,吉井理人から本塁打を放ち最優秀選手賞。

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2007年は同僚アレックス・ラミレスとハイレベルな首位打者・最多安打争いを繰り広げた末,ラミレスの打率.343をわずかに上回る打率.346で2度目となる首位打者に。さらに最高出塁率のタイトルも獲得。古田敦也引退試合となった10月7日広島戦(神宮)でプロ入り初めて4番打者として起用された。
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2008年。5月5日右脇腹痛で自身初となる怪我による登録抹消を経験したが5月29日に復帰。この年は内川聖一と首位打者争いを繰り広げ,タイトルこそ逃したが自己最高の打率.347。8月には宮本慎也と共に北京オリンピックの野球日本代表にも選出された。

2009年。第2回WBCに2大会連続2度目の選出され,3番打者として全試合に出場。37打数12安打打率.324打点7の成績でベストナインに選出された。2大会連続世界一に輝いたものの,開幕以降その反動からか攻守に精彩を欠き,当時の監督高田繁に「論ずるに値しない。もともと守備に気持ちが入ってない人だけど…。やることはやってもらわないと」と吐き捨てられ,センターの守備位置を剥奪されたこともあった。
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打率は.303と物足りなかったが,出塁率.400で自身2度目の最高出塁率のタイトルを獲得。オールスターゲーム第1戦(札幌ドーム)で自身2度目のオールスター最優秀選手獲得。シーズン終了後にはテレビ東京アナウンサー大竹佐知さんと結婚。背番号も若松勉,池山隆寛,岩村明憲が背負った「1」に変更されることが決まった。

2010年。4月半ばから青木もチームも極度の不振に陥り,チームは5月26日時点で借金が19まで膨れ上がり高田は休養。入団時に二軍監督を務めていた小川淳司監督代行が就任し,青木を再び1番に固定したことで,チームとともに一気に復調した。
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7月4日中日戦(秋田)でセ・リーグ史上最速となる770試合目で通算1000安打を達成。9月は月間打率.420で月間MVP受賞。26日中日戦(神宮)でプロ野球史上初となる2度目のシーズン200安打達成。当時で歴代3位となる年間209安打を放った。打率.3584で自身3度目となる首位打者を獲得。

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2011年。この年から導入された統一球の影響からか,安打数はセ・リーグ2位ながら170本。打率は.292で,6年連続で継続していたシーズン打率.300も途切れてしまった。11月10日にポスティングシステムを行使してのMLB挑戦を表明。12月18日に250万ドルでミルウォーキー・ブルワーズが交渉権を得て活躍の場をメジャーリーグに移すことになる。
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時は流れ2018年1月30日早朝の出来事だった。MLB市場の歴史的な停滞の影響で所属球団が未定となっていた青木の復帰基本合意のニュースが流れてきたの。この日は奇しくも私の誕生日。これ以上無い最高のプレゼントに心が躍った。

23.青木宣親(2018-2024)
背番号は入団時の「23」。
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日本復帰初戦となる開幕DeNA戦(横浜)は4番センター。5打席目で日本復帰後初安打初打点。6月14日西武戦(メットライフ)で史上9人目となる初回先頭打者ランニング本塁打。6月は打率.388,4本塁打,22打点で自身8年ぶりとなる月間MVPに選出された。開幕当初こそ日本野球へのアジャストに苦しんだが,最終的には打率.327,キャリアハイの67打点。前年96敗の最下位に沈んだチームは2位にまで躍進した。巨人とのクライマックスシリーズファーストステージ(神宮)では青木が負傷の影響でベンチ入りメンバーにこそ名を連ねたが出場できる状態には程遠くチームは2連敗で敗退。青木の存在の大きさを痛感することになった。
5月3日中日戦(神宮)の第4打席をもってNPB歴代通算打率記録の対象となる4000打数に到達。このオフ時点で4395打数1446安打打率.329となり,レロン・リーを抜いてトップに躍り出た。

2019年。4月6日中日戦(神宮)では延長12回2死無走者の場面で代打出場し,小熊凌祐からサヨナラソロ本塁打を放った。
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4月25日巨人戦(神宮)では菅野智之から青木・山田哲人・ウラディミール・バレンティンで3者連続本塁打を記録。5月26日中日戦(神宮)でも再び3人で3者連続本塁打。NPBでもそれぞれが平成最後と令和初の3者連続本塁打となっている。5月17日DeNA戦(神宮)今永昇太から通算100本塁打。5月22日対阪神戦(甲子園)で藤川球児から通算1500安打を達成。1156試合での1500安打達成は史上最速記録。134試合に出場し,打率.297,16本塁打,58打点。
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2020年。DSC06577.JPG
バレンティンの移籍もあってセンターからレフトにコンバート。6月19日開幕中日戦(神宮)は3番レフトでスタメン出場。7月11日巨人戦(ほっともっと)で球団通算8000号本塁打。9月20日広島戦(神宮)では中村祐太から濱田大貴・青木・山田でチーム25年ぶりとなる初回先頭打者からの3者連続本塁打。3年連続チームトップとなる打率.317。リーグ2位の出塁率.424。長打率.557,OPS.981はいずれもキャリアハイを更新。オフに新たに推定10億の3年契約を結んだ。
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2021年。DSC07022.JPG
自主トレ期間中ならびに開幕直後のコロナウイルス陽性者濃厚接触者による隔離離脱期間が調整を難しくさせ,シーズン打率は.258。通算打率も.319に下がったため,歴代通算打率1位の座からは陥落してしまったが,青木にとっては初めてのセ・リーグリーグ優勝。そして日本シリーズでオリックスを4勝2敗で下し,悲願の「ヤクルトでの日本一」を果たした。5月26日日本ハム戦(神宮)で日本人史上4人目となる日米通算2500安打達成。

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開幕阪神戦(京セラドーム)から2番レフトでスタメンに名を連ねたが,コロナ陽性反応など3度の出場選手登録抹消もあり,交流戦以降徐々にスタメンを外れる試合も増え代打での出場が多くなっていく。チームは連覇を果たしたが出場試合数は2004年を除くと最少となる81試合。打率.248,5本塁打,22打点。

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7月28日DeNA戦(神宮)で代打3ランを放ち通算1000得点。出場96試合。打率.253,3本塁打,19打点の成績もチームの精神的支柱として球団は評価。史上最大となる2億円減の1億4000万円で契約を更改。

2024年。
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4月13日DeNA戦(横浜)上茶谷大河から走者一掃となる逆転タイムリー二塁打を放ちお立ち台にあがるも,以降打率.100台と低迷。8月5日に出場戦登録を外れ,9月13日今季限りの引退が発表された。

日米通算安打数は,イチロー (4367=日1278米3089),張本勲(3085),野村克也(2901),王貞治(2786)に次いで第5位。歴史に名を残す偉大な選手である。

渡米前はどちらかというと孤高な印象だった青木。優勝争いからもクライマックス争いからも脱落し,とりわけシーズン終盤は淡々と安打を積み重ねるだけ。感情も決して豊かとはいえず,ベンチでもどこか浮いたような存在だった。そんな青木が復帰してまるで人が変わったかのように,感情を出し,ベンチでは終始ナインを鼓舞するようになっていた。自主トレで青木塾を開講し,多くの後輩が青木を慕った。一体何がここまで青木を変えたのか。そのあたりはこの本をじっくり読みたいと思う。
青木世界観 (文春e-book) - 青木 宣親, 尾崎 世界観
青木世界観 (文春e-book) - 青木 宣親, 尾崎 世界観

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あと自分にとっては,試合前つば九郎とストレッチをしながら何やら会話をする光景がたまらなく好きだった。つば九郎は「いままでの1ばんのおもいでは、せれもにーがおわるまでは、いいません。まだまだいっしょにたたかえますからね。」と。そうまだ終わってはいないんだ。そしてきっとこれからも続くんだ。そう信じているから。


【記録】
 ・初出場:2004年7月17日巨人戦(東京ドーム)
 ・初打席:同上ショートゴロ[中村隼人]
 ・初先発出場:2004年10月6日阪神戦(神宮)
 ・初安打:同上[安藤優也]
 ・初盗塁:同上[安藤優也 -矢野輝弘]
 ・初打点:2005年4月5日中日戦(神宮)[朝倉健太]
 ・初本塁打:2005年4月6日中日戦(神宮)[落合英二]
 ・1000安打:2010年7月4日中日戦(秋田)[平井正史]史上258人目
 ・1000試合出場:2018年4月17日広島戦(呉)史上489人目
 ・100本塁打:2019年5月17日DeNA戦(神宮)[今永昇太]史上292人目
 ・1500安打:2019年5月22日阪神戦(甲子園)[藤川球児]史上126人目
 ・300二塁打:2021年8月21日広島戦(マツダ)[カイル・バード]史上74人目
 ・1500試合出場:2022年4月30日DeN戦(神宮)史上201人目
 ・1000得点:2023年7月28日DeNA戦(神宮)[東克樹]史上46人目
【タイトル表彰】
 ・首位打者:3回(2005年・2007年・2010年)
 ・盗塁王:1回(2006年)
 ・最高出塁率:2回(2007年・2009年)
 ・最多安打:2回(2005年・2006年) 
 ・新人王(2005年)
 ・ベストナイン:7回(2005年 - 2011年)
 ・ゴールデングラブ賞:7回(2006年 - 2011年・2020年)
 ・月間MVP:4回(2005年8月・2007年4月・2010年9月・2018年6月)
 ・スカパー! サヨナラ賞:1回(2019年3・4月)
 ・オールスターゲームMVP:2回(2006年第1戦・2009年第1戦)
 ・フレッシュオールスターゲームMVP:1回(2004年)
 ・WBCベストナイン:1回(2009年)

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2023年12月21日

宮川と元山でトレード 西武、ヤクルトが発表―プロ野球

 西武の宮川哲投手(28)とヤクルトの元山飛優内野手(25)の交換トレードが決まり、21日に両球団が発表した。 
 宮川は東芝からドラフト1位で2020年に入団した右腕。昨季までは救援で123試合に登板し、今季は4試合に先発した。通算成績は5勝5敗1セーブ、防御率4.29。左打者の元山は東北福祉大からドラフト4位で21年入団。通算で132試合に出場し、打率2割3分4厘、4本塁打、22打点。[ 12/21(木) 17:58配信 時事通信 ]

ヤクルト球団仕事納め前日にトレード成立。よくある朝のニュースで報道されてからの発表というパターンではなくて,X(旧twitter)が落ちている時間帯にいきなりの発表。

6.元山飛優(2021-2023)
2020年東北福祉大からドラフト4位指名。即戦力ショートの期待も込められ宮本慎也が引退後空き番となっていた背番号「6」が8年ぶりに解禁された。

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元山の入団もあって廣岡大志がトレード移籍となり開幕一軍入り。2021年3月27日阪神戦(神宮)先発田口麗斗が序盤から打ち込まれ,打順の関係で試合途中9番ショートでプロ初出場。この試合で早速プロ初安打・初本塁打を記録。翌28日阪神戦(神宮)にはスタメンに抜擢される。
当初はサードやセカンドの守備固めが多かったが,西浦直亨が極度の不振に陥ったこともあり,5月末からスタメンに名を連ね,97試合に出場し打率.255,3本塁打,OPS.653と勝負強さを発揮していたが,10月21日広島戦(神宮)で大瀬良大地から死球を受け途中交代。これが元山の野球人生を大きく変えてしまった。

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日本シリーズにも出場出来ぬまま翌2022年も怪我の影響が長引き調整が遅れる。この間に元山の2学年下の長岡秀樹が一気にショートのレギュラーポジションを奪ってしまう。一軍昇格は主力に多数の新型コロナウイルス陽性反応者が出た直後の7月12日。8月下旬には登録を抹消され出場は13試合に留まり打率.148,1本塁打,2打点。

2023年も出場22試合で打率.179,0本塁打,3打点。長岡と同じく2学年下で右投げ左打ちの内野手武岡龍世も一軍戦力として頭角を現しており余剰戦力となっていた面は否めない。現役ドラフトで内野全ポジションを守れる右打ちの北村拓己を獲得。チームとしては野手の左右のバランスをとったうえで,投手力強化への弾となった感。

【記録】
 ・初出場:2021年3月27日阪神戦(神宮)
 ・初打席:同上[青柳晃洋]
 ・初安打:同上[青柳晃洋]
 ・初本塁打・初打点:同上[桑原謙太朗]
 ・初先発:2021年3月28日阪神戦(神宮)
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2023年12月08日

馬場、漆原ら移籍 第2回現役ドラフト

 プロ野球で出場機会に恵まれない選手の移籍を活性化させるために昨年初実施された現役ドラフトが8日、非公開で行われ、阪神の馬場皐輔投手は巨人移籍、オリックスの漆原大晟投手は阪神行きと、全12球団で選手の入れ替えが決まった。
 広島の中村祐太投手は西武、DeNAの桜井周斗投手が楽天、巨人の北村拓己内野手がヤクルト、ヤクルトの梅野雄吾投手が中日、中日の鈴木博志投手はオリックス、ロッテの佐々木千隼投手はDeNA、ソフトバンクの水谷瞬外野手が日本ハム、楽天の内間拓馬投手は広島、西武の愛斗外野手がロッテ、日本ハムの長谷川威展投手はソフトバンクにそれぞれ移籍が決まった。[ 12/8(金) 18:09配信 共同通信 ]

大竹・細川の大ブレイクの一方で,オフに半数が戦力外通告と明暗分かれた現役ドラフト。改良の余地が指摘されながら開催された2回目は,ドラフト1位が3名指名され,平均来季年俸も昨季の1166万円から1702万円にアップと,戦力外の押し付けという側面から補強を見据えた選手提出に変わってきたような印象を受けました。

某サイトで野手なら太田と元山。投手なら原樹理と梅野と予想されていたが,ある意味予想通りの結果に・・。

38.梅野雄吾(2017-2024)
九産大九州産業高から2016年ドラフト3位指名。同期入団に寺島成輝と古賀。背番号は「38」。

2017年8月9日DeNA戦(神宮)でプロ初登板・初先発。

頭角を現したのは2年目から。
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2018年8月17日阪神戦(神宮)でプロ初ホールド,8月25日DeNA戦(神宮)でプロ初勝利を挙げるなどセットアッパーに定着。2019年3月に行われた侍JAPAN対メキシコの強化試合のメンバーにも選出された。

2019年5月6日阪神戦(神宮)で上半身のコンディション不良で登録抹消された石山泰稚の代役としてプロ初セーブを記録。68試合2勝4セーブ28ホールドとフル回転。2020年42試合5勝12ホールド。2021年29試合8ホールド。2022年も41試合4勝16ホールド。
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10月3日DeNA戦(神宮)9回表に登板し,嶋基宏がマスクを被る最後の投手にもなった。一方で日本シリーズは2年連続でベンチ外だった。

しかし2023年は5年間の勤続疲労か登板試合数が僅か5試合と大幅減。イースタン・リーグでは先発登板するなど首脳陣も起用法を模索したものの,調子が上がらなかった。それでも高卒7年間で216試合に登板し通算14勝11敗74ホールドという実績を買われての中日移籍。
守護神のライデル・マルティネスを筆頭に勝野・清水・祖父江と層が厚い中日セットアップ陣に食い込めるのか。そして広いバンテリンドームが何かを変えるか。そして何より細川の成功体験という土壌をもつチームに移籍したことが梅野のキャリアアップにつながればと願うばかりです。ただこうして振り返ると2年目20歳のシーズンに68試合登板。当時のピッチングコーチはT畑。選手生命など考えず焼畑にしかしなかったピッチングコーチに巡り合ってしまったのが悔やまれますね。。

【記録】
 ・初登板・初先発:2017年8月9日横浜戦(神宮)
 ・初奪三振:同上[柴田竜拓]
 ・初ホールド:2018年8月17日阪神戦(神宮)
 ・初勝利:2018年8月25日DeNA戦(神宮)
 ・初セーブ:2019年5月6日阪神戦(神宮)

獲得は巨人の北村拓己。2017年ドラフト4位指名は塩見と同順。今季は投手としての登板も話題を呼んだ。田口,沼田,北村とこれで3人目の巨人からの移籍。1995年生まれで#34さんと同学年。星稜高校−亜細亜大で主将を務めたキャプテンシー。奥川・壮真,津監督・マツケンとも縁。奥様は元アイドリング!!!ということでフジテレビONEとも縁。
小川GM「右打ちの内野手として、どこでも守れる。ショートでもセカンドでも守れる。どちらかというと、中距離から大砲っていうところに期待が持てるんじゃないかな」
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2023年10月31日

奥村ら4選手を戦力外=プロ野球・ヤクルト

 ヤクルトは31日、奥村展征(28)、松本友(28)の両内野手、吉田大喜(26)、嘉手苅浩太(20)の両投手と来季の契約を結ばないと発表した。
 嘉手苅には育成契約を打診している。[ 10/31(火)15:31配信 時事通信社 ]

28.吉田大喜(2020-2023)
日本体育大学から2019年ドラフト2位指名。ウェーバー1巡目=全体で13番目の指名であり,即戦力と期待された。背番号は空き番となっていた「28」。同姓の吉田大成が在籍しており,新聞等では「吉田喜」,スコアボードでは「吉田大喜」と表記されることになった。

2020年。春季浦添キャンプメンバーに名を連ね,練習試合中盤まで一軍登板を重ねていたが,新型コロナ感染拡大のため開幕は無期延期となる。
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7月17日広島戦(マツダ)でプロ初登板初先発。8月7日DeNA戦(神宮)でプロ初勝利。14試合2勝7敗,防御率5.21。
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2021年。開幕からリリーフ起用。いずれも中継ぎで16試合登板。1勝1敗,防御率6.17。
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2022年先発再転向。5月11日中日戦(神宮)で2年ぶりに先発登板も敗戦投手。投げ抹消で5月22日DeNA戦(横浜)に先発登板するも勝ち負けなし。結果的にこれが一軍最終マウンドとなってしまう。

2023年は故障などで状態が上がらず1軍登板なし。通算32試合3勝9敗,防御率5.24。
2019年ドラフト指名は杉山に続き吉田大も戦力外に。高校生と大学生の差はあるが,1位奥川にとっても同期入団がこういう立場になったということに危機感を抱かないと。

【記録】
 ・初登板・初先発:2020年7月17日広島戦(マツダ)
 ・初奪三振:同上[田中広輔]
 ・初勝利:2020年8月7日DeNA戦(神宮)
 ・初安打・初打点:2020年7月24日巨人戦(神宮)[今村信貴]

00.奥村展征(2019-2023)←56.(2015-2018)
2015年1月。国内FA権で巨人へ移籍した相川亮二の人的補償として移籍。背番号は「56」。奥村にとってはプロ2年目での移籍となった。
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4月26日ファームの試合で腰痛を発症。以降は二軍を含めて公式戦出場機会無しに終わる。

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2016年7月9日中日戦(神宮)でプロ初出場。8月20日広島戦(マツダ)プロ初スタメン。

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2017年7月11日巨人戦(東京ドーム)で菅野智之からプロ初安打。後半戦以降一軍に定着。44試合打率.239,4打点,1盗塁。シーズン終了後にはアジアウインターベースボールリーグに派遣された。

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自身初の開幕一軍を果たした2018年だったが,出場は前年を下回る32試合に。それでも10月4日阪神戦(甲子園)でプロ初本塁打を放ち,オフに背番号が「00」に変更された。

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2019年。西浦直亨の故障や廣岡大志の不振もあり主に遊撃手として出場。自己最多の74試合に出場したが,打率は.199。

2020年。春季キャンプで下半身のコンディション不良を訴え途中離脱。3月12日に右膝の手術を受け,実戦復帰は11月1日北海道日本ハム戦(鎌ケ谷)。2015年以来5年ぶりに一軍出場なしに終わった。

2021年。出場16試合に留まり,打率.050。

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2022年。出場試合は43試合だったが,ほぼ一年通して一軍登録され,貴重なバイブルプレーヤー,そしてムードメーカーとしてチームの2年連続優勝に貢献。

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2023年。奥村を抹消した日に開幕5連勝がストップ。そこから負けが込み,奥村の存在感が改めてクローズアップされる形になった。それでも再登録後にチーム状態が上がらず,6月以降は三ツ俣大樹にその座を譲る形に。出場は僅か3試合。4打数2安打に終わっていた。

「成績的には正直10年できるような成績は残せていないので、その中でも自分の特長を見いだしてくれてというか、明るさだったり、そういうところで起用してもらえたというのは自信にもなりました。野球の自信が今でもあるかと言われたら、入ってきたときよりは少し下がってきているんですけど、自分の特長というのはヤクルトでの9年間ですごく伸びたなと思うので、次のステップに生かしていきたいなと思います」
稀代のムードメーカー。元気印。盛り上げ役。プレーだけではない人間性。一社会人として奥村は生きていけるはずだ。そんなポストをヤクルト球団として用意できないものか。

【記録】
 ・初出場・初打席:2016年7月9日中日戦(神宮)
 ・初先発:2016年8月20日広島戦(マツダ)
 ・初安打:2017年7月11日巨人戦(東京ドーム)[菅野智之]
 ・初打点:2017年8月25日DeNA戦(神宮)[田中健二朗]
 ・初盗塁:2017年10月1日中日戦(神宮)[伊藤準規ー松井雅人]
 ・初本塁打:2018年10月4日阪神戦(甲子園)[ラファエル・ドリス]

65.松本友(2021-2023)←93(2020)←117(2020)
BCリーグ福井から2019年育成ドラフト2位指名。背番号「117」。
2020年7月8日付けで支配下選手登録され背番号は「93」に。10月4日広島戦(神宮)でプロ初出場。10月10日広島戦(マツダ)でプロ初安打。オフに背番号「65」に変更された。

2021年。一塁や左翼でスタメン出場が増え,出場27試合ながら.353と高打率をマークした。

2022年。イースタン・リーグで57打点打点王のタイトルを獲得したが,一軍出場は7試合。それでも打率.353と結果を残していた。

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しかしながら2023年は一軍出場無し。通算43試合,打率.328,2打点。

松本友のプロ野球人生を左右した2021年5月30日オリックス戦(京セラ)。「6番左翼」でスタメン起用されたが,コンディション不良で一回裏の守備に就くことなく交代。「めちゃめちゃ大きな悔いですね。そこがターニングポイントというか、そこでけがしたことには悔いが残っていますね」

【記録】
 ・初出場・初打席:2020年10月4日広島戦(神宮)[中村祐太]
 ・初安打:2020年10月10日広島戦(マツダ)[ケムナ誠]
 ・初先発:2020年10月20日巨人戦(神宮)
 ・初打点:2021年4月8日広島戦(神宮)[中村祐太]続きを読む
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2023年10月02日

成田ら7選手を戦力外 プロ野球・ヤクルト

 ヤクルトは2日、成田翔(25)、大下佑馬(31)、市川悠太(22)、久保拓真(27)、杉山晃基(26)、育成の鈴木裕太(23)の6投手と、育成の松井聖捕手(28)と来季の契約を結ばないと発表した。成田は昨年12月の現役ドラフトでロッテから移籍していた。
 佐藤真一2軍外野守備走塁コーチ(58)も契約満了で退団する。[ 10/2(月) 15:02配信 時事通信 ]

35.杉山晃基(2020-2023)
創価大より2019年ドラフト3位指名。背番号は寺原隼人から引き継いだ「35」。
ルーキーイヤーの2020年。ドラフト1位奥川,2位吉田大喜,4位大西,5位長岡,6位武岡が一軍を経験する中,同期でただ一人一軍デビューなく二軍で9試合登板,防御率5.14に終わる。
2021年4月24日プロ初昇格。4月28日巨人戦(神宮)3-7と4点ビハインドの7回にプロ初登板。3回1安打無失点と上々のデビューを飾った。計4試合に登板し5月24日に登録抹消。
2022年は新型コロナ陽性反応による特例大量抹消があった7月15日に一軍登録され,17日横浜DeNA戦(横浜)に初登板したが2/3イニングを投げ翌18日に抹消。
2023年ファームでの初登板は7月と出遅れ,登板も10試合。1勝1敗防御率9.00だった。

【記録】
 ・初登板:2021年4月28日巨人戦(神宮)
 ・初奪三振:同上[橋優貴]

40.市川悠太(2019-2023)
明徳義塾高校から2018年ドラフト3位指名。背番号は古野正人の退団で空いた「40」。
いずれもファームで2019年18試合1勝0敗,防御率2.79。2020年12試合0勝4敗,防御率5.46。2021年14試合1勝2敗2セーブ,防御率4.50。
プロ初登板は4年目の2022年。ファームで13試合4勝6敗,防御率3.64の成績を残し,6月30日にプロ初の一軍昇格。7月1日DeNA戦(神宮)で4―5と1点ビハインドの9回からマウンドにあがり1回1失点。優勝を決めた後の9月28日阪神戦(神宮)でプロ初先発の機会を与えられ,5回5回98球被安打4与四球2失点1ながら白星はつかず。
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2023年は初めて浦添キャンプに抜擢されるなど首脳陣の期待も高かった。5月17日巨人戦(神宮)31日日本ハム戦(エスコンフィールド)7月17日巨人戦(神宮)と3試合に先発登板を託されたが防御率8.36。オフに週刊誌を騒がせた素行も少なからず影響を与えただろうか。

【記録】
 ・初登板:2022年7月1日DeNA戦(神宮)
 ・初奪三振:2022年7月3日DeNA戦(神宮)[佐野恵太]
 ・初先発:2022年9月28日阪神戦(神宮)
 ・初打席:2022年9月28日阪神戦(神宮)

49.成田翔(2023)
2022年12月9日現役ドラフト一期生で千葉ロッテから移籍。背番号は同じく現役ドラフトで移籍となった渡邊大樹がつけていた「49」。
2023年4月25日に一軍登録されたが,登板3試合防御率5.40。30日に抹消され以降一軍昇格は無かった。今季は阪神・大竹耕太郎,中日・細川成也の活躍がクローズアップされているが,残る10人はというと目立った成績を残しておらず,当初懸念された戦力外の見本市の面も出てきたか。

61.久保拓真
九州共立大学から2018年ドラフト7位指名。背番号はウルキデスの退団で空いた「61」。
2019年5月26日に一軍初昇格。中継ぎとして16試合に登板。0勝0敗1ホールド,防御率5.73。
2020年10月6日の中日戦(ナゴヤドーム)では予告先発後体調不良で登板回避した小川泰弘の代役としてプロ初先発も2回6安打4失点でプロ初黒星。10試合0勝1敗,防御率5.93。
2021年は一軍登板無く,2022年もファーム暮らしが続いていたが,コロナ陽性による大量離脱のあった7月12日に昇格すると,左打者に対するシュートを武器に貴重な左の救援投手として頭角を現し,通算47試合目の登板となった9月9日広島戦(神宮)で待望のプロ初勝利を挙げるなど,一気に頭角を現し,リーグ連覇に貢献。
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2023年はプロ5年目で初の浦添キャンプ,そして開幕一軍メンバーにも入ったが,登板は5試合防御率6.00。ファームでも防御率4.54と成績を落としてしまった。

【記録】
 ・初登板:2019年5月28日広島戦(神宮)
 ・初奪三振:2019年5月30日広島戦(神宮)[サビエル・バティスタ]
 ・初ホールド:2019年8月28日横浜DeNA戦(横浜)
 ・初先発:2020年10月6日中日戦(ナゴヤドーム)
 ・初勝利:2022年9月9日広島戦(神宮)

64.大下佑馬(2021-2023)←15.(2018-2020)
三菱重工広島からドラフト2位指名。背番号は2年間空き番となっていた「15」が与えられた。
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2018年6月19日一軍初登録。6月23日巨人戦(東京ドーム)でプロ初登板。7月20日中日戦(神宮)でプロ初勝利。9月24日中日戦(ナゴヤドーム)で腰の張りで登板回避となった小川に代わってプロ初先発。緊急登板ながら42/3回を1失点と好投し,チームも勝利。先発中継ぎロングリリーフにと25試合に登板。2勝1敗5H,防御率3.09とブルペンに欠かせない存在となる。

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2019年自身初の開幕一軍入り。4月18日阪神戦(神宮)で寺原の体調不良もあって初先発も,3回途中8安打6失点で敗戦投手に。登板数は31試合に増えたが,0勝2敗2H防御率5.18。

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翌2020年も13試合登板0勝1敗,防御率5.51と結果を残せず,背番号は「64」に変更される。

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2021年。開幕直後に一軍登録されたが,5月6日登録抹消。ここで自ら志願し投球フォームをスリークォーターからサイドスローへ変更。6月20日に一軍再登録されると,ホールドのつく場面での登板こそ少なかったが,30試合防御率3.72。とりわけフォーム変更後23試合のうち18試合が無失点と,強固なブルペン陣の一角としてリーグ優勝に貢献した。
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2022年浦添キャンプでは,同じ広島県出身で段原小−段原中さらに亜細亜大の先輩でもある津監督から伝家の宝刀シンカーを直伝されるなど更なる飛躍を期待されたが,10試合の登板に終わってしまう。

2023年は開幕こそ二軍で迎えたがイースタンでは3勝1セーブ防御率1.64と安定した成績を残していた。ところが・・。5月16日西武戦(カーミニイク)の出来事だった。7-0と7点リードの9回裏のマウンドに上がった大下が,ホームランヒットヒットホームランヒットヒットと打者6人から1アウトも取れず降板。あとを受けた久保が最後はサヨナラ満塁ホームランを浴びてまさかの最終回1イニング10失点の悪夢。ここから思うような投球が影を潜め,最後は故障もあったのだろうか。8月27日以降登板無いまま,10月1日日本ハム戦(鎌ヶ谷)の4回表先頭福田光に対して投じたのみで降板。センターフライに抑えたのだが,この時の投球フォームはサイドスローではなくオーバースローだった。だがどこか肩を庇うようなフォームに見えて仕方なかった。
通算109試合登板。3勝4敗9ホールド,防御率4.17。ドラフト2位としては物足りなく見える面があるかもしれないが,同期ドラフト1位の村上から「みんなの面倒を見てくれるお兄ちゃんみたいな存在」と慕われるなど,人間味溢れる縁の下の苦労人がユニフォームを脱ぐことになった。

【記録】
 ・初登板:2018年6月23日巨人戦(東京ドーム)
 ・初奪三振:同上[陽岱鋼]
 ・初先発:2018年7月11日巨人戦(神宮)
 ・初勝利:2018年7月20日中日戦(神宮)
 ・初ホールド:2018年7月22日中日戦(神宮)
 ・初打席:2018年7月11日巨人戦(神宮)

014.鈴木裕太(2023)←56.(2019-2022)
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新潟・日本文理高校から2018年ドラフト6位指名。背番号は奥村展征の変更に伴い空き番となった「56」。
2019年19試合0勝2敗,防御率8.84。2020年24試合,1勝2敗2セーブ,防御率4.94。2021年20試合0勝0敗,防御率3.09。2022年34試合4勝2敗,防御率3.95。4年間一軍登板なく戦力外通告を受けたものの,11月23日育成契約を結び背番号は「014」に。
しかし2023年も26試合0勝1敗,防御率7.18と結果を残せずに終わっていた。二軍野手が不足した際には,ライトあるいは代打で起用されることもあった。

022.松井聖(2021-2023)
独立L信濃より2020年育成ドラフト3位指名。信濃からは同2位の赤羽と連続での指名だった。捕手だけでなく内外野もこなし,2021年39試合,2022年74試合,2023年85試合と試合数をこなしたが,3年をもって戦力外となった。
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2023年09月22日

ヤクルトの荒木が現役引退 プロ野球

 ヤクルトは22日、荒木貴裕内野手(36)が今季限りで現役を引退すると発表した。
 14年目の今季はここまで1軍出場がなかった。
 山梨・帝京三高から近大を経て、ドラフト3位で2010年にヤクルト入団。通算684試合出場で打率2割2分8厘、18本塁打、116打点。[ 9/22(金) 16:50配信 時事通信 ] 

10.荒木貴裕(2017-2023)←24.(2010-2016)
帝京第三高校−近畿大を経て2009年ドラフト3位入団。背番号は花田真人の引退で空いた「24」に。野手がこの背番号をつけるのは阿井利治(1955-1961年)以来で,ヤクルト球団となってからは初めてだった。

内外野どこでも守れるユーティリティープレーヤーのイメージが強いが,入団時のポジションはショート。当時は宮本慎也がサードにコンバートされており,ショートのポジションを川島慶三,梶本勇介,鬼崎裕司,三輪正義,森岡良介らが争うなかで,チームは阪神からFAで藤本敦士を獲得。そこに若手有望株川端慎吾と同学年の荒木が入団するという構図だった。川島慶以外はいずれも左打者。その川島が右肘靱帯手術でリハビリということで貴重なショートを守れる右打者である荒木は,春季一軍浦添キャンプメンバーに名を連ねると,その年の開幕は巨人戦,左腕の内海哲也が開幕投手ということで,ヤクルト球団としては1970年中村国昭以来実に40年ぶりとなる開幕スタメンに名を連ねた。4月7日広島戦(神宮)で斉藤悠葵からプロ初安打を放ったものの,ルーキーイヤーは出場18試合20打数2安打とプロの壁に阻まれた。

2011年もキャンプこそ一軍スタートだったもののオープン戦中に二軍降格。一軍出場は3試合とファームが主戦場となっていた。
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この年地元富山で開催されたフレッシュオールスターゲームで3打数2安打1打点。守備でもファインプレーと攻守に渡って活躍。チームでは2004年青木宣親2006年飯原誉士に続くMVPを獲得したものの,一軍の壁は厚く,2012年も一軍出場6試合と伸び悩んでいた。
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今こうして改めてスタメンメンバーを見返すと両軍ともにある意味伝説の2013年6月9日北海道日本ハム戦(神宮)。
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3年続けて開幕一軍を逃し,ファームではショートからファースト・サードにコンバートされていた荒木。6月5日にこの年初めて一軍昇格を果たし,この試合8番サードでスタメン起用されたものの,セ・リーグワーストタイとなる1試合3失策を記録してしまう。セカンド田中浩康,ショート山田哲人も合わせ実に球団では1971年8月22日大洋戦(神宮)以来となる6失策したこの試合を転機にセカンド山田が誕生したというチームにとっても節目の試合。荒木は守備に課題を残していたが,この年イースタンで首位打者を獲得するまでに打撃が成長した。

2014年からはさらなる出場機会を探るため外野手にも挑戦するようになる。ところがオープン戦で川島が,開幕直後に森岡,さらに開幕直前日本ハムからトレードで獲得した今浪隆博と相次いでショートが離脱。4月26日に一軍初昇格するとしばらくショートのポジションを託されたが,荒木がショートを守ったのはこれが最後だった。9月27日再昇格後は主に外野を守り,55試合に出場。ここから一軍に欠かせない選手となっていく。

2015年。ウラディミール・バレンティンを欠くチームで,主に1番レフトとして出場。7月に左大腿二頭筋2度肉離れで離脱したが8月中旬に復帰。外野のポジションは途中加入のミッチ・デニングや比屋根渉に奪われてしまったが,終盤の代打・代走として73試合に出場。チームの14年ぶりセ・リーグ優勝に貢献した。

2016年はチームに故障者が相次いだ。とりわけ前年優勝チームの不動の4番ファースト畠山和洋の離脱の穴が大きく,多くの選手が急造一塁手とならざるを得なくなるなかで,貴重な一塁の守備固めとして61試合に出場。森岡が引退したことで,背番号は10に変更された。

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2017年5月14日中日戦(松山)大野雄大から劇的なサヨナラ満塁ホームランを放った。この年の212打席,6本塁打,25打点はいずれもキャリアハイ。

2018年。
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5月3日中日戦(神宮)で延長10回田嶋慎二から代打サヨナラタイムリーでお立ち台。
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翌日4日広島戦(神宮)では中田廉から代打満塁本塁打を放ち2日続けて神宮のお立ち台に。62試合打率.218,3本塁打,21打点という成績ながらその印象度は高かった。

2019年。
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自己2番目に多い93試合に出場。この年はファーストセカンドサードレフトライトを守って守備率10割と抜群の安定感も誇った。

2020年。打率.164と数字は落としたが,9月25日阪神戦(神宮)で能見篤史から2球続けてバントの構えからこちらも伝説のバスターホームランを放った。
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そしてオリンピック中断期間を除きフルシーズン一軍帯同し,自己最多の100試合に出場した2021年。
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うち91試合が途中出場。主たる役割はファーストホセ・オスナの守備固めではあったが,他にも代打・代走さらには外野の守備固めとまさにユーティリティープレイヤーとして様々な役割をこなし,ベンチに欠かすことの出来ない唯一無二の存在として,チームの優勝・日本一に貢献。チーム20年ぶり日本一を決めた日本シリーズ第6戦(ほっと神戸)でウイニングボールを掴んだのは一塁を守っていた荒木だった。

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2022年も開幕から変わらずその役割を担い続けていた。ところが・・9月17日中日戦(バンテリンドーム)の出来事だった。いつものように一塁の守備固めに入っていた荒木。ところが同点の延長11回裏2死無走者から平凡なファーストゴロを一塁ベースカバー木澤尚文に悪送球(記録は失策)。このプレーの翌日荒木は登録抹消となり,以後一軍に昇格することは無かった。
チームは優勝マジック一桁の佳境。そんな中でベテランが犯したたった1つのミス。オスナへの守備固めもここから無くなったと言っても過言ではなかろう。まさに荒木にとって最大の転機となってしまったプレー。

プロ14年目の2023年。自身初めてキャンプを二軍西都で迎えた。そこからキャンプオープン戦公式戦と一軍から声がかかることはとうとう無かった。そして9月22日現役引退発表。
「ヤクルトに入団して14年、ファンのみなさんのたくさんの応援に支えられて、ここまでやってこられました。リーグ優勝、日本一になれた事、これまで指導いただいた、監督、コーチ、スタッフのみなさん、共に戦ったチームメイトとの日々は私の宝物です。また、ここまで野球をやらせてくれた両親に感謝の気持ちでいっぱいです。携わっていただいた全ての皆様、14年間本当にありがとうございました」

規定打席に到達したことは一度もない。少ない打席の中でも打率3割もない。シーズン最多本塁打は6本。最多盗塁は5個。走・攻・守。いずれか一つが飛びぬけていたかといえば決してそうでもないだろう。それでもチームに欠かせない存在であることは,誰しもが知っている。
歴代の監督も荒木がベンチにいるから様々な策を打てたはずだ。与えられた役割を堅実にこなす。決して腐らない。それでも陰で努力し出番に備える。いぶし銀。縁の下の力持ち。ずっとチームを支え続けてくれた背番号「10」。この荒木の背中を引き継げるのは宮本丈だと思う。

【記録】
 ・初出場・初先発出場:2010年3月26日巨人戦(東京ドーム)
 ・初打席:同上[内海哲也]
 ・初安打:2010年4月7日広島戦(神宮)[斉藤悠葵]
 ・初本塁打・初打点:2013年6月27日DeNA戦(神宮)[鄭凱文]
 ・初盗塁:2014年5月8日広島戦(神宮)[永川勝浩-石原慶幸]
【表彰】
 ・フレッシュオールスターゲームMVP:2011年
 ・スカパー!月間サヨナラ賞:2017年5月度
東京 ☔ | Comment(0) | SWALLOWS Memories | at 23:59 | 更新情報をチェックする

2023年07月26日

西浦と阪口でトレード ヤクルトとDeNA―プロ野球

 ヤクルトの西浦直亨内野手(32)とDeNAの阪口皓亮投手(23)の交換トレードが決まり、26日に両球団が発表した。
 西浦は法大からドラフト2位で2014年に入団。通算打撃成績は571試合で打率2割3分6厘、38本塁打、188打点。昨季から出場機会が減っていた。阪口は北海道・北海高からドラフト3位で18年に入団。通算成績は15試合で2勝6敗、防御率5.31。[ 7/26(水) 16:10配信 時事通信 ]

3.西浦直亨(2014-2023途)
法政大学より2013年ドラフト2位指名。背番号は福地寿樹の引退で空き番となっていた「3」。

2014年3月28日。開幕戦となるDeNA戦(神宮)で8番ショートでスタメンに抜擢されると,そのプロ初打席で大学1学年先輩の三嶋一輝から3ラン本塁打。開幕戦でルーキーの初打席初球本塁打は日本プロ野球史上初の快挙というド派手なデビューを飾ったが,以降は結果を残すことが出来ず,4月26日に二軍降格。結局ルーキーイヤーは14試合の出場に留まり,打率.156と即戦力の期待に応えることはできなかった。

2015年。ヤクルト球団としては異例のFAで北海道日本ハムから大引啓次を獲得。2年目を迎えた西浦の出番は大引離脱時が主で出場26試合,打率.295,1本塁打,打点5に終わった。

2016年は大引の故障もあってショートのポジション争いは森岡良介,谷内亮太,今浪博隆らとで混沌とした。そんな中で7月22日中日戦(ナゴヤドーム)でラウル・バルデスから自身初となる満塁本塁打。9月28日DeNA戦(神宮)29日DeNA戦(横浜)で自身初となる2試合連続本塁打を放つなど72試合に出場し,7本塁打とパンチ力をアピールした。

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翌2017年はレギュラーの期待も込められ,サードで自身2度目の開幕スタメンに名を連ねた。前年と同じ72試合に出場したが,本塁打0。打率.208と大きく成績を下げ,チームも低迷した。

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2018年。若手有望株廣岡大志とショートのレギュラー争いが勃発。オープン戦で結果を残せず開幕スタメンを逃したものの,4月4日広島戦(神宮)で前日に頭部死球を受けて離脱した川端慎吾の代役としてサードでのスタメン出場の機会を得ると,決勝打を含む3安打・2打点の大暴れ。4月7日巨人戦から3戦連続複数安打をマーク。川端が戦線復帰後も好調を保ち,5月11日DeNA戦(横浜)では5打数5安打。9月19日阪神戦(神宮)では2打席連続本塁打を放つなど,キャリアハイとなる138試合に出場。自身初の2桁本塁打にも到達した。

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2019年は故障に泣いた。5月12日巨人戦(東京ドーム)で下半身のコンディション不良を訴え翌13日に登録抹消。その後7月8日に一軍に復帰したものの,7月18日巨人戦(神宮)で左肘を骨折するなど,出場試合数は44試合に終わった。

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2020年。球団はMLBでゴールドグラブ賞を受賞した高い守備力を誇る外国人選手アルシデス・エスコバーを獲得したが,新型コロナの影響で開幕が大幅に延期となった。無観客で行われた6月25日阪神戦(神宮)で藤川球児から逆転サヨナラ本塁打。7月2日広島戦(神宮)では2度の同点本塁打を放つなど勝負強い打撃を発揮。再びレギュラーショートとして全120試合のうち101試合に出場。藤川から放った本塁打で「2020スカパー! ドラマティック・サヨナラ賞」年間大賞を受賞した。
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2021年長年のライバルであった廣岡が巨人にトレード移籍したことで,一本立ち。堂々と開幕スタメンにも名を連ねたが,そこから極度の不振に陥り,ルーキーの元山飛優にスタメンを譲る機会が増え,6月末には出場選手登録を抹消される。それでも後半戦途中から一軍復帰すると9月には打率.321、OPS.838と活躍。10月8日阪神戦(神宮)試合前まで27イニング連続無失点と好投していた橋遥人から本塁打を放ちチームのマジック点灯に貢献。日本シリーズでは全試合ショートを守り,チーム14年ぶり日本一の輪の中心となっていた。

しかし2022年。今度は高卒3年目の長岡秀樹がライバルに。開幕スタメン濃厚と見られていたが,長岡がオープン戦終盤で4打数4安打など猛アピール。開幕投手が阪神藤浪晋太郎ということもあり左の長岡にスタメンを奪われることに。当初は相手投手の左右で長岡との併用かと目されていたが,津臣吾監督は長岡をショートで完全に固定。西浦はいわば干された状態となり4月14日に登録を抹消されてしまう。その後出番は長岡がコロナ陽性で離脱を余儀なくされた時期のみで,自己ワーストとなる出場6試合。14打数1安打の打率.071に終わった。

2023年はプロ10年目にして初の二軍キャンプスタート。これが意味するものについては折に触れてきたつもりであった。それでも5月26日広島戦(マツダ)で一軍昇格してきた。ただこの試合である程度の覚悟を感じたので,もう一度書き起こしておく。
西浦直亨。オープン戦で極度のスランプに陥り,そこで長岡秀樹が台頭。完全に居場所を失い,二軍暮らしの日々。長岡離脱時も結果を残せず早々に一軍登録を抹消され,自己ワーストの6試合14打数1安打打率.071に終わった昨年。
今年の春季キャンプは入団10年目にして初の西都キャンプスタート。春季教育リーグで死球を受け途中退場。そこから約一ヶ月行方不明。その間に誕生日を迎え気がつけば32歳。それでも4月18日に実戦復帰。ショートのポジションは19歳小森航大郎が守ることを最優先とされながらも,打率.300台をキープしていたが,言い方悪いが完全に構想外となり二軍の埋め合わせ要員。今季の一軍出番はほぼ無いであろう。そう思われても仕方ない立場まで追い込まれていた西浦が,塩見の離脱もあってキャンプオープン戦を通じて初めて一軍に呼ばれた。

そして合流最初の試合。4回表1死一二塁投手高梨の代打で早速起用された。2球で簡単に追い込まれたが,2球見極めて5球目を基本に忠実なセンター返し。二塁走者濱田を返して2年ぶりの打点をマーク。そこから打線がつながりサンタナにもタイムリー。3点差に追い上げ,そのまま山田の代わりにセカンドの守備に就いた。いや就かせてもらえた。そして第3打席でも先頭打者として内野安打で出塁。昨年年間1本しか放てなかった安打なのだ。。

散々チャンスを貰いながらも活かしきれなかった。西浦が9年かけても叶わなかったオールスター出場ゴールデングラブ受賞。これすら長岡は軽くやってのけた。将来性だって長岡だ。それは誰もが認める。

「フルスイングできなくなったら、外すからね」「フルスイングする限り、起用し続ける」

津監督の著書で明らかになった長岡とのやり取り。今季開幕から明らかにフライアウトが目立った。守備での貢献度もあるし打率云々ではない。その内容。今日も2点差に迫ってなお0死二塁で長岡に回ったが浅いライトフライ。ランナーを進めることが出来なかった。これが例えばなんとしてでも右方向でランナー進めるという意識があれば1死三塁。古賀の内野ゴロで1点差に詰め寄れたかもしれない。長岡個人の成長のためならフルスイングフライアウトランナー進められずそれでいいかもしれない。けれど野球はやっぱり団体競技なのだ。
今は21歳の若さだから許されているけれど,これを3年5年と続けていたらたちまちそのポジションはあっという間に奪われるはずだ。

長岡のためにポジションをそして野球生命を奪われかけた西浦。極限まで追い込まれられた男の意地。状況に応じた打撃。甘やかされただけでは長岡も成長しない。長岡のためにもチームのためにも西浦は壁になって欲しい。

かつて池山が岩村にサードのポジションを奪われたとき,池山がスタメン出場したがのちに「チームの顔なんだからちょっとの怪我で休むな」と激怒したことがあったと。そこから岩村は飛躍的に成長していった。そういう壁のような存在になって欲しい。

ハッキリ言ってヤクルトではもう出番は限りなくなかっただろうし,このまま残っても年齢的にもオフには何らかの通告があったはず。三浦監督とは奈良県の同郷で,「まだまだできると思っています。長打力もありますし、守備力もいいものを持っていると思います」と宮崎・牧負傷時のバックアップとして,異例ともいえるシーズン中の同一リーグ,さらに明後日から両チームは対戦を控えるという中で経験を乞われてのトレード移籍となった。

【記録】
 ・初出場:2014年3月28日DeNA戦(神宮)
 ・初打席・初安打・初打点・初本塁打:同上[三嶋一輝]
 ・開幕試合初打席本塁打 :セ・リーグ初,1950年戸倉勝城以来64年ぶり史上2人目
 ・開幕試合初打席初球本塁打 :史上初
 ・初盗塁:2015年5月9日中日戦(秋田こまち)[吉見一起−松井雅人]
 ・スカパー! ドラマティック・サヨナラ賞年間大賞:2020年

西浦と言えばファン感謝DAYを語るうえで欠かせなかった。
そもそもの始まりは2014年。「投手野手対抗歌合戦」という企画で三輪正義,藤井亮太と一緒にSMAPの『らいおんハート』を披露するのだが・・・
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西浦独特の音程が公となり,すっかり名物企画に。

2016年はWhite Berryの『夏祭り』を披露しつば九郎が気絶
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2018年は締めの『東京音頭』リサイタルを託された。
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「突然のことで正直、驚いています。スワローズに入団して10年、たくさんの人に支えられて野球をすることができ、感謝しかありません。また、いい時も悪い時も応援していただいたファンの皆さまにもとても感謝しています。スワローズを離れることは寂しい気持ちもありますが、今回のトレードを新たなスタートとして、新天地で活躍することが、皆さんへの恩返しになると思って頑張ります。これからも応援よろしくお願いします」
3連覇の望みが絶たれた夜ではあるが,西浦にはひとり3連覇の可能性がある。因縁の廣岡と日本シリーズで対戦する可能性だって秘めている。ファームでは打率.306,4本塁打,20打点と腐ってはいない。若手にポジションを奪われるという全く同じ境遇で横浜DeNAに移籍した田中浩康コーチもいる。長岡にプロで10年やるということはこういうことだと言うものを見せつけてやってくれ。

色々複雑な心境で短時間に書いたので上手く纏まらないが,これをもって西浦直亨への惜別メッセージとしたい。
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2022年12月09日

オコエが巨人、陽川は西武へ 初実施の「現役ドラフト」―プロ野球

 プロ野球で出場機会が少ない選手の移籍活性化を目的とする「現役ドラフト」が9日に初めて実施され、12人の移籍が決まった。2015年の新人選手選択会議(ドラフト会議)で1位指名を受けた楽天のオコエ瑠偉外野手は巨人へ移籍する。
 1軍で一定程度の実績がある選手の移籍もあり、阪神の陽川尚将内野手は西武が、巨人の戸根千明投手は広島が獲得した。
 現役ドラフトは非公開で行われ、各球団が事前に2人以上の対象選手のリストを出した上で、少なくとも1人を獲得して1人を放出するルール。フリーエージェント(FA)権を行使したことがある選手や育成選手、外国人選手などは対象外だった。希望球団のみが参加する2巡目の指名は実施されなかった。[ 12/9(金) 18:26配信 時事通信 ]

進行はスムーズ、効果未知数 プロ野球現役ドラフト
 初めて実施された現役ドラフトは複雑な手順だったが、事前に対象選手のリストが手元に届くこともあり、各球団はしっかり準備できたようだ。運営はスムーズに行われた。
 制度の改善や継続については今後も検討を重ねる必要がある。ソフトバンクの三笠ゼネラルマネジャーは「2巡目がなかったのはどの球団も保守的な対応を取ったからだと思う」と言い、回数を重ねれば成熟していくとの見方だ。一方、ある球団の幹部は、必ずしも補強ポイントに合致するとは限らないとした上で「選手の出場機会につながるのか、球団にとってプラスになるのかは疑問」と指摘した。
 オコエを放出した楽天の石井監督は「彼の能力を開花させられる可能性もある」と期待しつつ、制度については「トレードと何が違うのかということも含めて素晴らしいものになれば」。労組日本プロ野球選手会の森事務局長は「移籍が決まった選手全員に連絡したら、みんなポジティブに捉えていた」と語った。[ 12/9(金) 21:22配信 時事通信 ]

選手会からの要望もあって初めて開催に至った現役ドラフト。「少なくとも1人を獲得して1人を放出する」という条件下で非公開に行われる会議。ドラフト会議以上に気がかりで,17時の情報公開まで気になって仕事も手につかない←くらい。当初は戦力外選手の押しつけとなるのではないかと危惧していたのですが,実際終わってみると「出場機会が少ない選手の移籍活性化」という目的は達せられた感を強く感じました。改善点があるとすれば実施時期でしょうか。どうせ開催するならドラフト会議終了後から合同トライアウト前が妥当な気がします。

当該選手への通告は事前に行われたとか行われないとか。通告されたが指名された選手の来季へのモチベーションというのは如何なるものか。。

【現役ドラフト】渡辺大樹がヤクルトからオリックスへ「更に努力して恩返しができるように」
 出場機会の少ない選手の移籍活性化を目指す「現役ドラフト」が9日、開催され、ヤクルトはロッテから成田翔投手を獲得。渡辺大樹外野手がオリックスへ移籍となった。
 7年目の渡辺は今季、49試合に出場し、打率1割2分5厘、0本塁打、2打点。コメントは以下。
 「東京ヤクルトスワローズでは7年間、大変お世話になりました。プロに入って基礎からいろいろなことを学ばせていただきました。次にお世話になる球団は、今年日本一になっていますので、更に努力して今まで指導してくださった方々や応援してくださったファンの方々に恩返しができるように頑張ります。今まで本当にありがとうございます」[ 12/9(金) 18:15配信 スポーツ報知 ]

49.渡邊大樹(2016-2022)
専大松戸高から2015年ドラフト6位指名。背番号は「49」。中学3年時新潟ビックスワンで開催された陸上の全国中学総体に出場し,200メートル走で決勝まで進出した快足が自慢。入団当初は内野手。

2016年イースタンに74試合に出場し打率.256,3本塁打,10打点,4盗塁。オフに開催されたアジアウインターベースボールリーグのNPBイースタン選抜に選出された。

2017年9月3日。怪我のデビット・ブキャナンに代わり初の一軍登録。同広島戦(神宮)でプロ初出場。2年続けてアジアウインターベースボールリーグNPBイースタン選抜に選出される。

2018年。村上宗隆の加入もあって外野手に挑戦。主に外野としてチーム最多のファーム111試合に出場。打率.256,3本塁打,37打点,15盗塁。
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2019年より外野手登録となり,4月29日塩見泰隆との入れ替わりで2年ぶりとなる一軍登録。5月10日巨人戦(東京ドーム)で田口麗斗からプロ初安打・初本塁打を放つ(当時からこんな複雑なツイートをしていたの証拠)



2020年。開幕前の練習試合6月7日巨人戦(東京ドーム)でまたしても田口から本塁打を放ち,左キラーぶりをアピール。

自身初の開幕一軍を掴み,試合終盤の代走ならびに外野の守備固めとして33試合に出場。チームにとっても様々な意味で上田剛史を追いやった。

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2021年。ベンチからの信頼も厚く,主にドミンゴ・サンタナの守備固めとして自己最多の94試合に出場。

7月7日阪神戦(神宮)では決勝タイムリーを放ちお立ち台にあがるなど脇役としてチームの優勝及び日本一に貢献。オフには結婚も発表された。

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しかし2022年同じ外野手のルーキー丸山和郁が加入。左右の違いはあるが,俊足と堅実な守備に加え,長打力と勝負強さに勝る丸山和に代走と守備固めというポジションを奪われた形に。8月5日に登録抹消されると以降一軍での出番は無くなっていた。

【記録】
 ・初出場・初打席:2017年9月3日広島戦(神宮)
 ・初安打・初打点・初本塁打:2019年5月10日巨人戦(東京ドーム)[田口麗斗]
 ・初盗塁:2019年8月1日DeNA戦(横浜)[武藤祐太-戸柱恭孝]


7月22日広島戦(神宮)。見聞LOGに「7回表の守備からサンタナに代え渡邉を入れたのも逃げ切りの証。ただ6回裏は山崎で切れており,7回裏一人出ればサンタナに回るということで,もう1イニング待っても良かったのか。でももし丸山和が居ればそんなに遜色は無いだけに,打率.077の邉の打撃(セーフティ試みるも投手の正面過ぎてアウト)が実に物悲しい。」と記したが,このあたりから渡邊と丸山和の立場の逆転を感じていた。

それでもオリックス福良GMは「守備と走塁。それは十分行けるということで」と評価しており,あくまで現状のヤクルトではどうしてもポジションが被ってしまうだけで,チーム変われば渡邊と言うピースはしっかり機能するはず。一流の脇役に徹っせられる渡邊だけに,この移籍がプラスとなることを祈りたい。そして来年日本シリーズで対戦してその強肩を見せてほしい!そう願うし祈ります。

一方ヤクルトが獲得したのはロッテの成田翔。小川淳司GM「初めての制度で、いろんな制約がある中で希望の左投手は取った」。
渡邊と同学年。秋田商で石川二世の小柄な左腕として旋風を起こしたことは鮮明に残っています。それでもプロでは未勝利で,今季は一軍登板なし。投げる位置を試行錯誤したりと(高校時代から較べると)伸び悩みの印象。環境変わって,先輩石川さんとの出会いでこちらも現役ドラフトがいい方向に機能しますように。
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2022年11月30日

ヤクルトのマクガフ退団 プロ野球

 ヤクルトの奥村政之国際グループ担当部長は30日、スコット・マクガフ投手と来季の契約を結ばないことを明らかにした。
 米大リーグへの復帰を目指すという。
 米国出身のマクガフは2019年にヤクルト入りし、抑えとして21年からのリーグ連覇に貢献。通算236試合登板で15勝8敗80セーブ、59ホールドだった。[ 11/30(水) 19:11配信 時事通信 ]

37.スコット・マクガフ(2019-2022)
2018年12月25日に獲得が発表された。背番号は「37」。

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来日当初は中継ぎだった。2019年3月30日阪神戦(京セラ)2番手投手として来日初登板。4月10日広島戦(マツダ)で5番手として9回裏を無失点に抑えると,直後の10回表に打線が一挙12得点を挙げ来日初勝利を挙げる。しかしチームは投手の駒不足。リードビハインド関係なく毎日のようにデビッド・ハフ,マクガフ,ハフマクガフが起用されていた日々。7月4日広島戦(マツダ)で体調不良を訴えた石山泰稚の代役として来日初セーブをマーク。オールスターにもインフルエンザ罹患の石山の代役として初選出された。一時ハフに抑えを譲った時期もあったが,計65試合に登板し,6勝3敗18ホールド11セーブ。

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2020年はセットアッパーとして君臨。無人の一塁への牽制球事件もあったが,50試合に登板し4勝1敗。リーグ4位の27ホールドポイントをマーク。オフに新たに2年契約を結んだ。
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2021年もセットアッパーとして起用されていたが,石山の不振により5月後半からストッパーに配置転換される。以降の活躍はもはや説明不要だろう。9回にこの曲が流れればもう何の心配もなかった。


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6月には月間10セーブ。これは2000年5月・2001年8月高津臣吾,2005年8月石井弘寿,2009年5月林昌勇,2012年9月トニーバーネットの月間9セーブを上回り球団新記録。東京オリンピックアメリカ代表にも選出され銀メダルを獲得。66試合に登板。3勝2敗31セーブ14ホールド。
クライマックスシリーズファイナルで胴上げ投手。日本シリーズでは2敗を喫するも,第6戦で延長10回途中から2回1/3を無安打無失点に抑えきり,勝利投手と胴上げ投手に。

不動の守護神の座を確固たるものとした2022年。
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5月31日ロッテ戦から自己最多記録を更新する10試合連続セーブ。8月17日阪神戦(神宮)で両リーグ最速の30セーブに到達。球団では2004年五十嵐亮太以来18年ぶりとなる両リーグ一番乗り。2年連続30セーブは2011年林以来11年ぶり球団史上4人目。55試合に登板し2勝2敗38セーブ4ホールドと圧巻の成績だった
日本シリーズ第5戦。1点リードの9回裏に登板。自らの送球エラーで同点とされ,吉田正尚にサヨナラホームランを浴び敗戦投手に。シリーズ史上初となる救援投手として通算3敗目を喫した。第6戦でも1点ビハインドの場面で登板したが再び犠打処理を一塁送球エラー。第7戦のベンチ入りメンバーから外れていた。
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奧村国際グループ担当部長「(来季マクガフと)契約はしないことになります。退団になります。考え方に開きがある状況でここまできた。本人と話したけど、大リーグ復帰を目指して挑戦したいということだった。本人の希望する方向を後押ししようということになった。いい話がきっとあったんでしょう。3Aの無名の選手が弱いスワローズに入って、頂点に引き上げた選手なので、感謝してもしきれない。本当に野球内外で素晴らしい選手だった」
2015年オフのトニー・バーネット同様に胴上げ投手のメジャーへの復帰を後押しする形となった。トニーもマイナーからヤクルトでジャパニーズドリームを掴みメジャーへ復帰した。スコットも年齢的にラストチャンス。快く送り出したいという気持ちしかない。もし一塁送球イップスに陥っていたとしたら,来季犠打攻めされただろう。それによって批難を浴びるような光景は見たくなかっただけにどこか安堵の気持ちもある。

全てリリーフで通算236試合に登板し15勝8敗80セーブ。防御率2.94。何より特筆すべきはこの4年間一度も登録抹消が無かった(五輪休止期間除く)ことだ。2年連続最下位と2年連続優勝。弱い時から支えてくれたマクガフ。
順当にいけば清水が守護神の座に収まるのだろう。しかし経験の石山がそこを奪い返すのか。木澤を抜擢するのか。あるいは栗林大勢のように吉村が一気にその座に就くのか。
いずれにしてもチームは3連覇を目指すうえで大きな転換期を迎えたことだけは確かだ―。

【記録】
 ・初登板:2019年3月30日阪神戦(京セラドーム)
 ・初奪三振:2019年4月3日DeNA戦(神宮)[M口遥大]
 ・初ホールド:2019年4月4日DeNA戦(神宮)
 ・初勝利:2019年4月10日広島戦(マツダスタジアム)
 ・初セーブ:2019年7月4日広島戦(マツダスタジアム)
 ・オールスター出場:3回(2019・2021・2022年)

年度登板勝利敗北SHHP投球回安打本塁三振失点自責防御率
20196563111824682/37126425243.15
2020504102327464245220203.91
20216632311417641/34377619182.52
202255223846532/33955916142.35
2361588059742322/31951825180762.94
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2022年11月22日

ヤクルト キブレハンが自由契約に 8月27日のDeNA戦では1試合3本塁打

 日本野球機構(NPB)は22日、ヤクルトのパトリック・キブレハン外野手(32)を自由契約選手として公示した。ヤクルトは退団する。
 キブレハンは今季途中に加入。8月27日のDeNA戦では初本塁打を含む3本塁打と活躍した。今季成績は29試合に出場して打率・241、6本塁打、14打点。[ 11/22(火) 15:25配信 スポニチアネックス ]

2.キブレハン(2022)
 開幕から2週間でサンタナが離脱。アメリカでクリーニング手術を受け,全治不明。そうした段階で獲得したキブレハン。奥村編成部国際担当部長は「体形的にも、パワー的にも(05〜08年に在籍した)リグス風な選手。勝負強さとか、試合の中で、しぶとさがあって。非常に好感をずっと持って見続けた選手。タイミング的にも、とてもいいタイミングで彼を呼ぶことができた」と評価していたが,確かに風貌もどことなくリグスに似ており,背番号も奇しくも同じ「2」番に。来日は5月末。しかし来日から一ヶ月経ってもファームでの打率は.200台を推移。本塁打も僅か1本と助っ人としては物足りない成績。それでも暑くなるにつれ打率を上げてきて,7月5日に初の一軍昇格。しかし10打席0安打と結果を残せず,再来日したサンタナと入れ替えで7月17日一軍登録抹消。外国人枠の関係もありこれでお役御免かと正直思ってしまった。ところが・・

コールの抹消もあって8月19日に再昇格すると,20日中日戦(バンテリンドーム)で小笠原慎之介から来日14打席目でようやく初安打。そこから左腕投手先発時にはスタメン起用されるようになり,度肝を抜かれた8月27日DeNA戦(横浜)の3連発。翌28日も4打数2安打。これですっかっり浜専が定着。対DeNA戦に20打数8安打5本塁打打率.400という相性を発揮し,いつしか登場曲は湘南乃風に。

対チーム別成績打率試合打席打数安打本塁打打点三振出塁率長打率OPS得点圏
巨人.000613120015.000.000.000.000
DeNA.400521208583.4291.151.579.500
中日.286722216013.318.429.747.333
阪神.154613132004.154.154.308.000
広島.235518174146.278.412.690.286
球場別成績打率試合打席打数安打本塁打打点三振出塁率長打率OPS得点圏
東京ドーム.0004660002.000.000.000.000
神宮.0741028272248.107.296.403.143
横浜.500313126343.5381.251.788.500
バンテリンドーム.375517166012.412.563.974.500
甲子園.2503882002.250.250.500.000
京セラD大阪0002760013.000.000.000.000
マツダスタジアム.5002884141.500.8751.375.500

この極端な成績。キブレハン無くして優勝は無かったかも知れないし,キブレハン無ければ日本一になっていたかも。どこか憎めない。不思議助っ人パトリック。
【記録】
 ・来日初出場・初打席:7月5日巨人戦(東京ドーム)
 ・来日初先発:7月6日巨人戦(東京ドーム)
 ・来日初安打:8月20日中日戦(バンテリンドーム)[小笠原慎之介]
 ・来日初本塁打・初打点:8月27日横浜DeNA戦(横浜)[石田健大]

50.スアレス(2022)
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右のロベルト・スアレスに代わって左のアンドリュー・スアレスの獲得が発表されたのは2021年12月20日。5月25日日本ハム戦(神宮)で初登板初先発。その最初の打者松本剛に先頭打者本塁打を浴びたが,初登板で対戦した第1打者に被本塁打はプロ野球史上80人目。6月26日巨人戦(神宮)まで全6試合に先発登板。最長で5回,防御率は6.53。先発として全く役目を果たせないまま6月27日に登録抹消。今季最終の10月3日DeNA戦(神宮)で来日初の中継ぎ登板で適性を探ったが,ポストシーズンも出番は無かった。
しかしスアレスが登板した6試合。不思議とチームは6戦6勝だった。これまた謎の力を発揮してくれた助っ投。
【記録】
 ・初登板・初先発登板:5月25日日本ハム戦(神宮)
 ・初奪三振:同上[清宮幸太郎]
 ・初打席:同上[上原健太]

63.コール(2022)
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2021年12月7日に契約締結。4月22日阪神戦(神宮)で来日初登板。しかし1回4失点と大炎上。長い髭を蓄えた風貌も相まって●ノーアを彷彿とさせたが,その後は中継ぎとして34試合2勝0敗6ホールド,防御率2.75と安定感ある投球でブルペンを支え続けた。
ところが8月10日広島戦(マツダスタジアム)での登板を最後にベンチを外れ,16日に登録抹消。チーム状況もあり先発転向のためか?などと憶測を呼んだが,以降ファームでも登板無いまま9月24日に再検査のため帰国。ウェーバー公示の手続きがとられた。
【記録】
 ・初登板:4月22日阪神戦(神宮)
 ・初奪三振:同上[梅野隆太郎]
 ・初勝利:5月14日広島戦(マツダスタジアム)
 ・初ホールド:5月15日広島戦(マツダスタジアム)
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2022年10月28日

東大出身の宮台が引退へ プロ野球・ヤクルト

 ヤクルトは28日、宮台康平投手(27)、鈴木裕太投手(22)、育成選手の内山太嗣捕手(26)と来季の契約を結ばないと発表した。
 東大出身の宮台は現役を引退する意向。鈴木には育成契約を打診している。[ 10/28(金) 15:40配信 時事通信 ]

68.宮台康平(2021-2022)
2020年合同トライアウトを経て,ヤクルトが支配下選手登録での契約を打診し,12月23日正式契約。背番号は「68」。球団では初の東京大学出身選手となった。

2021年5月29日〜6月8日,9月20日〜24日と一軍登録されたが,いずれも登板機会なく抹消されていた。イースタン公式戦には27試合に登板し,1勝1敗1セーブ,防御率2.13という成績を残し,2022年春季一軍キャンプに抜擢された。

しかしキャンプ終盤に足首捻挫で二軍落ち。ファームでは中継ぎとして登板を重ねていた。7月にチーム内で新型コロナウイルスの陽性反応者が多数出たことで,特例2022の適用によって7月12日一軍昇格。
7月14日中日戦(バンテリンドーム)で日本ハム時代の2018年8月23日ソフトバンク戦以来4年ぶりとなる一軍登板。1回を三者凡退。17日DeNA戦(横浜)で2試合目の登板。しかしイニングを跨いだ回に連打に暴投も絡んで5失点で降板。翌日に登録抹消となっていた。

球団は来季も戦力として考えており,本人から引退の意向を伝えられ慰留したが,宮台の決断は変わらず現役引退となった。

025.内山大嗣(2021-2022)←118.(2019-2020)
BCL栃木ゴールデンブレーブスから2018年育成ドラフト1位指名。

2019年。43試合45打数6安打,打率.133,0本,0打点。2020年。47試合84打数23安打,打率.274,0本,3打点。2021年37試合52打数12安打,打率.231,0本,3打点。
育成選手制度の規定に沿って自由契約となったが,育成再契約を結んだ2022年。46試合101打数30安打,打率.297,0本,14打点。フェニックスリーグにも参加していたが,本日の通告となった。登録は捕手ながら内野もこなしていた。

鈴木のほか近藤,山野にも育成契約が打診されており,来季は丸山翔,下,松井聖,岩田。そして育成ドラフト指名の橋本と計8名(投5・捕2・外1)の育成選手を抱えることになりそう。
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