はじめに
球団史上初となる3連覇そして日本一奪還へ―高津臣吾監督が掲げたスローガンは「さぁ,行こうか!」。試合前に円陣を組む選手が,毎日必ず使う言葉であり,ファンに対しても神宮球場へ「さあ,行こう!」と足を運んでもらいたいという思いが詰められたものとなった。
だが1981年の近鉄以来,セ・リーグでは史上初となる連覇からの最下位を最終戦の最終回でなんとか逃れる5位で2023年シーズンを終えた。
シーズン回顧
春季浦添キャンプが折り返しに差し掛かるころ高橋奎二,中村悠平,山田哲人,村上宗隆がWBCのためチームを離脱。ほぼ時を同じくして塩見泰隆が下半身のコンディション不良を訴え離脱。レギュラーメンバーの半数を欠く形でキャンプ後半そしてオープン戦をこなしていった。
リーグ3連覇へ1999年の「4」を更新し球団記録となる開幕5連勝とまさにロケットスタートを切った。とりわけ目立ったのは投手陣だった。3月31日広島戦(神宮)開幕投手に指名された小川泰弘から不動のセットアッパー清水昇,そしてオープン戦で結果を残した星知弥の完封リレーで開幕戦を勝利で飾ると,4月1日広島戦(神宮)は来日初登板初先発ディロン・ピーターズから石山泰稚−清水とつなぎ,最後は新守護神に指名された田口麗斗がセーブをマークして2試合連続完封勝利。2日広島戦(神宮)にはドラフト1位吉村貢司郎がプロ初登板初先発。5回2失点で白星こそつかなかったがチームは逆転勝利。2年連続開幕3連勝スタートとなった。
4月4日・5日中日戦(バンテリンドーム)と2連続無失点勝利し,1943年名古屋(現中日)以来実に80年ぶり,プロ野球タイ記録となる開幕5戦で4度の無失点勝利。開幕5戦で計2失点も同年名古屋と並ぶプロ野球史上最少記録であった
8日阪神戦(甲子園)には予告先発ピーターズがアクシデントで登板を回避し移籍の尾仲佑哉がプロ初先発するアクシデントもあったが,木澤尚文,大西広樹,今野龍太らを含め救援陣は開幕から9試合連続無失点を続け,21日巨人戦(神宮)に勝利しセ・リーグ10勝一番乗りとリーグ3連覇へ視界は良好だった・・・。
ところが翌22日巨人戦(神宮)から29日阪神戦(神宮)まで7連敗を喫し借金生活に突入。同日丸山翔大を育成から支配下登録。30日阪神戦(神宮)で吉村がプロ初勝利を挙げ連敗を止めた。4月は11勝13敗1分。
5月5日DeNA戦(神宮)長岡秀樹が9回裏2死から劇的な逆転サヨナラ本塁打を放つも,翌6日DeNA戦(神宮)は2年ぶり一軍登板となった長谷川宙輝が打ち込まれるなど今季ワースト17失点で大敗。10日阪神戦(甲子園)には石川雅規がプロ野球史上5人目,入団からは米田哲也以来史上2人目となる22年連続勝利を挙げたが,翌日は1点差で惜敗するなど,チームは一進一退ながらなんとか借金を1として5月16日巨人戦(静岡)を迎えた。
川端慎吾の代打本塁打で一時は追いつくも,5番手梅野雄吾が2死二三塁から吉川尚輝に前進守備の外野の頭の上を越された一打が決勝打となり,両軍合わせて28安打の乱戦を落とすと,この敗戦から引き分け一つを挟んで12連敗。12連敗自体は2019年以来球団史上6度目だが,前年優勝チームの連敗としてはプロ野球史上最長となった。27日広島戦(マツダ)に敗れ12球団最速で自力優勝の可能性が消滅。31日日本ハム戦(エスコン)に敗れ12連敗。チームは3年ぶりとなる最下位に転落。5月は6勝17敗1分と大きく負け越した。
12連敗その全てが3点差以内。得点圏打率はリーグ唯一の1割台と接戦をものにできなかった。WBCで世界一に輝いたメンバーは激闘の疲れを癒やす時間もなくシーズンに突入したせいかなかなか調子が上がらなかった。村上は三冠に輝いた打撃三部門いずれも大きく数字を落とし,三振を量産。守備にも精彩を欠いた。山田は4月13日に下半身のコンディション不良で登録抹消。その間元山飛優,三ツ俣大樹らが穴を埋めることが出来なかった。中村も特例2023による登録抹消が2度あり,西田明央,松本直樹を急遽一軍に呼び寄せる事態に陥った。高橋も調子が上がらず幾度となく登板間隔を空けた。
さらに大きく響いたのはチームの2連覇を支えたリードオフマン・塩見の不在だった。キャンプ中に下半身のコンディション不良で離脱すると,一軍復帰は5月4日。しかし5月26日に再びコンディション不良で登録抹消となり,さらに約2ヶ月間の離脱を余儀なくされた。8月にも試合中に腰を痛め計3度の離脱。キャンプから出遅れた山崎晃大朗もなかなか調子が上がらず,丸山和郁も同時期に故障離脱。センターを本職でない太田賢吾,濱田大貴,内山壮真に任せたものの,走・攻・守さらにムードメーカーとして機能する塩見の不在はチームにとって大きな痛手となった。
月が変わって6月1日日本ハム戦(エスコン)で連敗を止めるとそこから4連勝と盛り返すが,13日ソフトバンク戦(神宮)からの神宮6連戦で6連敗。雨天振替となった20 日東北楽天戦(神宮)で金久保優斗がプロ初安打,山本大貴がプロ初勝利を挙げるも,前年優勝を果たした交流戦は7勝11敗の11位。28日巨人戦(きたぎん)で6回コールドながら交流戦から先発転向した小澤怜史がプロ初完封勝利。6月も9勝12敗と負け越した。
リーグ戦再開から1番に抜擢されたのは並木秀尊は7月12日中日戦(神宮)で福谷浩司からプロ初本塁打を放つなど,打撃面で大いなる成長を遂げた。成長を遂げたと言えばもう一人古賀優大。28日DeNA戦(神宮)で東克樹からプロ初本塁打。昨季までのプロ6年間で257打数45安打,打率.175と課題だった打撃は今季68打数20安打,打率.294,出塁率.377,長打率.353。打席での粘りやボールに食らいつく姿勢,捕手としてもピックオフプレーで何度も走者を刺すなど,2番手捕手としての存在感を増した。青木宣親が28日DeNA戦(神宮)にNPB史上46人目となる通算1000得点,小川が29日DeNA戦(神宮)で史上184人目となる通算1500投球回を記録。7月は12勝9敗と初めて月間勝ち越し。
8月1日巨人戦(東京ドーム)で育成契約から7月14日に支配下登録され852日ぶりの1軍登板となった山野太一プロ初勝利。9日広島戦(神宮)では来日初登板初先発となったエルビン・ロドリゲスが来日初勝利。10日広島戦(神宮)にはドラフト5位北村恵吾が森翔平からプロ初打点,プロ初安打,プロ初本塁打。西浦直亨との交換トレードで加入した阪口皓亮が移籍後初登板。15日DeNA戦(神宮)で武岡龍世が2020年MLBサイヤング賞投手トレバー・バウアーからプロ初本塁打。18日中日戦(神宮)ドラフト3位澤井廉が仲地礼亜からプロ初安打。31日中日戦(バンテリン)赤羽由紘が福谷浩司からプロ初打点と新戦力が台頭した8月は10勝16敗1分。
9月は8勝15敗。9月5日巨人戦(神宮)サイスニード来日初本塁打。18日巨人戦(東京ドーム)高梨裕稔が日本ハム時代の2016年以来7年ぶりとなるホールドをマーク。中継ぎ転向後18回自責点2,防御率1.00と新たな適性を見出した。20日中日戦(神宮)でサヨナラタイムリーを放ったホセ・オスナは来日最多となる23本塁打を放ち,ドミンゴ・サンタナは10月1日巨人戦(東京ドーム)で打率.300に到達させ,打撃成績3位でシーズンを終えた。
シーズン最終戦となった10月4日阪神戦(神宮)。試合開始時点ですでに全日程を終えた5位中日とのゲーム差は0.5。最終戦に勝てば勝率の差で5位浮上,引き分けもしくは負けで最下位が決定する一戦。9回表を終えて1点ビハインド。迎えた9回裏。先頭代打青木がヒットで出塁すると,代打宮本丈が犠打を決め,塩見が相手エラー。1死一三塁から内山がレフト前タイムリーを放ち同点に追いつき,なお1死一三塁から山田がセンターへ犠飛を放って最終戦の最終回サヨナラ勝ちで最下位を回避した。この試合でドラフト2位西村瑠伊斗がプロ初出場を果たした。
14年間ヤクルト一筋の荒木貴裕が現役引退。大下佑馬も引退を発表した。吉田大喜,杉山晃基,市川悠太,成田翔,久保拓真,嘉手苅浩太,奥村展征,松本友,育成の鈴木裕太,松井聖が戦力外通告を受けた。新外国人のキオーニ・ケラは一軍登板機会のないまま7月に,ライネル・エスピナルは3試合登板で8月下旬にそれぞれウェーバー公示された。
投手ではドラフト1位入団の原樹理,奥川恭伸,山下輝3投手が一軍登板なくシーズンを終えたというのは大きな誤算だった。ほかに柴田大地,竹山日向,ドラフト4位坂本拓己。野手では小森航大郎の一軍登録が無かった。
嘉手苅,近藤弘樹,沼田翔平,下慎之介,岩田幸宏,育成ドラフト1位橋本星哉,7月25日BCリーグ福島から獲得した木須フェリペと育成契約を結んだ。
【表1】セ・リーグ順位表
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岡田彰布監督就任一年目の阪神が圧倒的な強さで18年ぶりにセ・リーグを制し,日本シリーズもオリックスを4勝3敗で下し,38年ぶりの日本一に輝いた。村上頌樹が10勝6敗,防御率1.75で最優秀防御率,新人王,MVPを受賞。現役ドラフトで加入した大竹耕太郎が12勝2敗,防御率2.26。岩崎優が35セーブで最多セーブ。強力投手陣に加え,打線も一・二番コンビの近本光司が盗塁王,中野拓夢が最多安打。不動の四番・大山悠輔が最高出塁率。黄金時代到来を予感させる。
7月下旬に4年ぶりの10連勝。阪神との最大9.0差をひっくり返し,一時は首位にも浮上したのが新井貴浩新監督の広島。新守護神に抜擢された矢崎拓也が24セーブ,島内颯太郎が42ホールドポイントを挙げて最優秀中継ぎ投手を受賞するなど課題の救援陣が整備され,チーム力が上がった。
3・4月を16勝7敗,交流戦も優勝と序盤好調だったが失速した感のある横浜DeNA。東克樹が16勝3敗,防御率1.98で最多勝,最高勝率。今永昇太は自身初の最多奪三振。打線では牧秀悟が打率.293,29本塁打,103打点で打点王と最多安打。宮ア敏郎が首位打者と個々の活躍は目立っただけに,三浦大輔監督の統率力が求められる。
岡本和真が打率.278,41本塁打,93打点で自身3度目の本塁打王に輝くも,阪神に6勝18敗1分,広島に8勝17敗と大きく負け越し2年連続Bクラスに終わった巨人は原辰徳監督が退任し,阿部慎之助新監督が就任することになった。
球団史上初の2年連続最下位に低迷した中日。立浪和義監督が何とかすると誓った攻撃陣だがリーグワーストの390得点と得点力不足を解消出来ず。岡林勇希がチャンスメークしてもクリーンアップが返せない。二遊間のレギュラーも固まらないままだ。
チーム成績
【表2-1】チーム月別成績
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【表2-2】チームホーム/ビジター別成績
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ホームでは36勝36敗と.勝率500だったが,ビジターで21勝47敗3分勝率.309と大きく負け越した。昨年はビジターで43勝25敗4分勝率.632だったのでその差は歴然。とりわけマツダスタジアムでは2016年から17年にかけて記録した球団ワーストに並ぶ11連敗(1勝11敗1分)。東京ドームでは8連敗でシーズンを終えた【表2-2】。
【表2-3】チーム曜日別成績
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曜日別でも月曜日と水曜日の勝率.500が最高。最長連勝は「5」で土曜日(7月1日〜29日)と水曜日(9月5日〜10月4日)。最長連敗は「6」で木曜日(6月8日〜8月3日)【表2-3】。
【表2-4】チーム年度別成績推移直近11年間 ※()はリーグ順位
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貯金21から借金26。貯金20以上から20を超える借金に転落は1978年→1979年以来,チーム史上3度目。最下位→最下位→優勝→5位→最下位→2位→最下位→最下位→優勝→優勝→5位。3度の優勝と5度の最下位。3位からは2012年,4位からは2010年を最後に遠ざかっていることになり,プロ野球史上希有な成績を残しているというのも実にヤクルトらしいというべきか【表2-4】。
【表3】チーム別対戦成績
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対戦カード勝ち越しは中日,東北楽天,埼玉西武の3球団のみ。対楽天,対西武は2年連続。対中日は2年ぶり。対巨人は2019年から5年間勝ち越しがない【表3】。
【表4】守備成績
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チームとしては巨人がセ・リーグ最少の失策数54個,守備率.990でトップもゴールデングラブ賞選出者無し。守備率最下位の阪神から捕手部門・坂本誠志郎,一塁手部門・大山悠輔,二塁手部門・中野拓夢,遊撃手部門・木浪聖也,外野手部門・近本光司と最多の5名選出され,菊池涼介は3票差で11年連続受賞を逃した。記者投票選考基準に疑問が残った。失策王は村上で両リーグ最多の22。球団のセ最多失策は2007年飯原誉士(三塁手・18)以来。一方中村2年連続2度目の失策0。規定以上(チーム試合数の半分以上に捕手出場)でシーズン無失策の捕手は18人,21度目(セ5人,6度目)。2度記録したのは山下和彦(近鉄=1991年、日=1995年),伊東勤(西武=1997,2003年)に次いで史上3人目。セでは初。2021年5月19日阪神戦から,1892守備機会連続無失策。捕手では2010,2011年阿部慎之助(巨人)がマークした1709を抜いて,連続守備機会無失策のプロ野球記録を更新中【表4】。
【表5-1】交流戦順位表
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稀に見る大混戦。11勝7敗でDeNA、ソフトバンク,オリックス,巨人の4チームが並び,勝利数でも直接対決の成績も並んだため,得失点率差(TQB)で上回ったDeNAが初優勝を果たした。TQBとは「トータル・クオリティー・バランス」の略で,1イニング平均得点から1イニング平均失点を引いた数値を小数点第3位まで割り出す。計算式は「(得点÷攻撃イニング)―(失点÷守備イニング)」。
リーグ別の勝ち星では,パ・リーグの54勝52敗2分で4年ぶりに勝ち越し。日本生命最優秀選手賞に岡本和真(巨人)。優秀選手賞に牧秀悟(DeNA)と近藤健介(ソフトバンク)が選出された【表5-1】。
【表5-2】交流戦通算成績表[2005-2023]
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DeNAが通算勝率で広島を上回り通算勝率最下位を脱出。巨人はセ・リーグ球団で初めて交流戦通算200勝に到達。西武は通算勝率5割ラインが後ろに迫ってきた【表5-2】。
DATA2023〜チームとしての成績
赤字がリーグトップ。青字はリーグワースト。
【表6-1】チーム投手成績
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阪神とヤクルトが実に対照的に色を分けた。先発防御率,奪三振数,奪三振率,被安打,被本塁打,与死球,失点,自責点,完投数,無四球,被打率,QS率でリーグワースト。先発平均投球回も5.41で12球団ワースト。清水の8敗を筆頭に,リリーフ投手で30敗を喫し,これも12球団ワーストだった【表6-1】。
【表6-2】チーム打撃成績
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得点はリーグ2位の534得点ではあるが,昨年の619から85も下げた。失点数は前年比+1と変わらなかったため,打撃陣が投手力をカバー出来なかったという見方も出来ようか。阪神が突出しているのは四死球数と犠飛数。さらに出塁率,得点圏打数,得点圏安打もリーグトップで,代打数は最少。レギュラーメンバーが固定され,適材適所で各々の打順の役割を果たしてチームとして機能する強さを感じた【表6-2】。
【表6-3】チーム勝敗内訳
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今季を振り返った上でもう1つ気になったデータを挙げておく。逆転勝ちはリーグ最少の19試合に留まった。5月6日DeNA戦(神宮)から7月2日広島戦(神宮)まで約2か月間は先制点を奪われたら負けという試合が続いた。3回終了ビハインド時の勝率も.167でリーグワースト。延長戦,1点差試合の勝率いずれもリーグワースト。いわゆる劇的な逆転勝利が少なかっただけに,8回終了ビハインドから逆転サヨナラ勝利した5月5日DeNA戦(神宮)と最終10月4日阪神戦(神宮)は印象に残る試合となった【表6-3】。
おわりに〜2024年シーズンに向けて
ドラフト会議で西舘昂汰(専修大・投手)松本健吾(トヨタ自動車・投手)石原勇輝(明治大・投手)鈴木叶(常葉大菊川高・捕手)伊藤琉偉(BC新潟・内野手)。育成ドラフトで橋翔聖(台湾鶯歌工商高・投手)野颯太(三刀屋高・内野手)を指名。
楽天を戦力外となった西川遥輝,ソフトバンクを戦力外となった嘉弥真新也,増田珠を獲得。現役ドラフトで梅野が中日に移籍となり,巨人から北村拓己を指名した。元山と西武の宮川哲の交換トレードが成立した。外国人はミゲル・ヤフーレ(ジャイアンツ傘下),ホセ・エスパーダ(パドレス)の2投手を獲得し6人体制で臨むことになった。
コーチングスタッフはヘッド兼バッテリーコーチに嶋基宏バッテリーコーチ兼作戦補佐が昇格。大松尚逸打撃コーチがチーフ打撃コーチ,福川将和野手コーチ補佐が打撃コーチ,松元ユウイチ作戦コーチが外野守備走塁兼作戦コーチにそれぞれ配置転換され,伊藤智仁投手コーチ,石井弘寿投手コーチ,杉村繁打撃コーチ,森岡良介内野守備走塁コーチは留任。
二軍は池山隆寛二軍監督が5年連続で指揮を執る。城石憲之二軍チーフ兼守備走塁コーチが総合コーチ,河田雄祐外野守備走塁コーチが二軍外野守備へ配置転換され,土橋勝征育成チーフコーチが二軍内野守備走塁部門を兼務。小野寺力,松岡健一両二軍投手コーチ,宮出隆自,畠山和洋両二軍打撃コーチ,衣川篤史二軍バッテリーコーチ,山本哲哉二軍投手兼育成投手コーチは留任。新たに2012-13年に所属していた正田樹が二軍投手コーチに就任する。尾花高夫二軍投手チーフコーチ,佐藤真一二軍外野守備コーチは退団となった。
スワローズの歴史を紐解くと,前回2連覇した1992-93年の翌年。1994年も最終戦に敗れれば最下位という試合にサヨナラ勝利で最下位を回避していたのだった。そしてその翌1995年に再びチームは優勝。日本一も奪還した。これほどまでに偶然が重なることがあるだろうか。
連覇した翌年の最終戦サヨナラ勝利で最下位を回避し,次の年優勝しているジンクス
今世紀に入り2003年(3位),2006年(3位),2009年(3位),2012年(3位),2015年(優勝),2018年(2位),2021年(優勝&日本一)」と西暦下二桁が3の倍数の年は必ずAクラス入りしているジンクス。
つば九郎30周年&つばみ25周年のアニバーサリーイヤーとなる2024年。歴史は繰り返される!そう信じて総括2023を締めくくりたい。
参考資料
「ニッカンスコア速報」
https://www.nikkansports.com/baseball/professional/schedule/s03.html
https://www.nikkansports.com/baseball/professional/schedule/s04.html
https://www.nikkansports.com/baseball/professional/schedule/s05.html
https://www.nikkansports.com/baseball/professional/schedule/s06.html
https://www.nikkansports.com/baseball/professional/schedule/s07.html
https://www.nikkansports.com/baseball/professional/schedule/s08.html
https://www.nikkansports.com/baseball/professional/schedule/s09.html
https://www.nikkansports.com/baseball/professional/schedule/s10.html
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2023年12月29日
2022年12月30日
総括2022−熱に翻弄されながらもチーム燕で掴んだ球団史上29年ぶり連覇
はじめに
『総括2021』を「スワローズの歴史を紐解くと,これまで優勝翌年の順位はBクラスが7回中5回。リーグ連覇は1992年1993年の1回きり。球団史上2年連続日本一の栄光はいまだかつてない。その意味で2022年こそまさにチームとしての『真価』が問われる一年となるのかもしれない」と締めくくった。
1992-1993年以来となるセ・リーグ『連覇』という目標に向かい,就任3年目を迎えた高津臣吾監督が掲げたスローガンは「熱燕−NEXT STAGE−」。本来「演じる」を用いた「熱演」が使われるが,スワローズの選手が熱く演じるという意味が込められ「熱燕」と表現された。コロナウィルスという「熱」にも翻弄される2022年シーズンとなったわけだが,見事2年連続9度目のリーグ優勝,球団史上29年ぶり2度目となるリーグ『連覇』を達成。再び黄金時代の到来を予感させるチームへと変貌している。
シーズン回顧
コロナ禍となり3シーズン目。2019年以来,3年ぶりに新型コロナウイルスによるイベント人数制限が撤廃され,延長戦も3年ぶりに12回制で実施されることが承認された。一方で「特例2022」と呼ばれる,一軍選手登録枠ならびに外国人枠の拡大,コロナ感染の疑いや濃厚接触で出場選手登録を外れる場合に本来の10日間を待たずに再登録可能というルールは継続となった。
1月20日に行われた首脳陣スタッフによる一・二軍合同オンライン会議で,感染症対策のため,昨年同様コンディション不良を除いて原則キャンプ中の一二軍入れ替えを行わない基本方針が確認されていた。キャンプイン直前の1月27日に村上宗隆と高橋奎二が新型コロナウイルス陽性判定を受けたことで,両者は二軍西都キャンプスタートとなり,入れ替えで長岡秀樹が一軍浦添キャンプに招集された。
キャンプ期間中の対外試合は5試合で1勝4敗。対外試合チーム初本塁打を放ったのはベテランの荒木貴裕で,津監督は「このままでは勝てないと思います。このまま開幕すると大変なことになる。やはり個人の力,チーム力,すべて状態を上げていくことに専念したい」と危機感をあらわにした。
3月11日ソフトバンクとのオープン戦の試合前中村悠平が下半身の張りを訴え戦線離脱。開幕絶望となった。さらに16日には山崎晃大朗が,21日には今野龍太と星知弥がスクリーニングPCR検査でそれぞれ陽性判定を受けるなど,開幕を直前に控え前年日本一に輝いたメンバーが相次いで離脱を強いられた。オープン戦は13試合3勝9敗1分。同率ではあるが2年連続最下位に終わった。
そうした中迎えた3月25日阪神との開幕戦(京セラドーム)。開幕投手を託されたのは2年連続で小川泰弘だった。しかしその小川がピリッとしない。4回までに8失点でノックアウト。6回を終えて7点ビハインドと完全に劣勢だった。ところが―。7点を追う6回2死一塁。当初二軍スタート予定から一気に開幕「6番ショート」のスタメンを勝ち取った長岡がプロ初打点となるタイムリー二塁打で反撃の口火を切ると,7回0死から大下佑馬の代打で起用された濱田太貴がチーム第1号本塁打を放ち,8回には内山壮真のプロ初安打がプロ初打点となるタイムリーで1点差にまで接近。いずれもプロ初の開幕一軍を掴んだ“ヤングスワローズ”が打線に勢いをもたらし,9回表先頭山田哲人のソロ本塁打でとうとう同点に追いつくと,なお0死一塁からドミンゴ・サンタナバックスクリーンへ勝ち越しの2ラン本塁打をたたき込み,最終回はスコット・マクガフが締め,開幕戦ではプロ野球史上最大差となる7点差逆転勝利という劇的な白星で2022年シーズンのスタートを切った。勝ちは梅野雄吾についた。勢いそのまま2戦目は高橋,3戦目は高梨裕稔が阪神打線に得点を与えず,2008年以来14年ぶりとなる開幕3連勝を飾って,3月29日本拠地での開幕戦となる巨人戦(神宮)を迎えた。この試合の先発を託されたのは昨季チームトップタイの9勝を挙げた奥川恭伸。しかし4回1失点で途中降板。翌日に上半身のコンディション不良で登録を抹消されてしまう。
4月6日中日戦(神宮)ではサンタナが試合中に退くと,翌7日に下半身のコンディション不良で登録抹消。アメリカで半月板のクリーニング手術を受けるために帰国することになった。さらに4月17日DeNA戦(横浜)で2年連続最優秀中継ぎのタイトルを獲得していたセットアッパー清水昇が投球中に打球が右足を直撃し降板,翌々日登録抹消。日本一を支えた投打の柱までも相次いで欠く状況に置かれた。
追い打ちをかけるかのように4月21日には球団マスコットのつば九郎とつばみが濃厚接触者疑いに該当すると判断され,22日からの阪神3連戦(神宮)の出演を自粛。つば九郎は1994年4月9日から続いていた主催試合連続出場の記録がついに途切れてしまった。
チームは一進一退の戦いを強いられたが,日替わりヒーローでこの試練を乗り越えていく。4月6日中日戦(神宮)では松本直樹の自身3年ぶりとなる本塁打が決勝打に。12日広島戦(松山)では同点の8回裏に太田賢吾が押し出し四球を選び勝ち越しに成功。15日DeNA戦(横浜)で金久保優斗が初登板初勝利。23日阪神戦では石川雅規が史上3人目となる21年連続勝利を達成。大卒投手では自身の持つ記録を更新し史上最長となり,球団史上最年長勝利投手記録も更新した。30日DeNA戦(神宮)ではこの日史上201人目の通算1500試合出場を果たした青木宣親が自らを祝福する決勝打を放ちお立ち台に。開幕3連戦以来となる3連勝を飾って4月を終えた。
5月3日阪神戦(甲子園)から中村が一軍復帰。中村とのバッテリーで小川が今季初勝利を初完封で飾り,チームは今季初の4連勝と上昇気流に乗る。6日・7日巨人戦(東京ドーム)と村上がプロ野球史上9人目,球団史上初となる2試合連続満塁本塁打を放ち首位に立つと,8日巨人戦(東京ドーム)では1点ビハインドの9回表に山崎がこの試合まで負けなしのルーキー守護神・大勢から逆転のタイムリーを放ち同一カード3連勝。東京ドームの巨人戦3連戦3連勝は1997年以来実に25年ぶりという快挙で,木澤尚文にプロ初勝利が転がり込んだ。14日広島戦(マツダ)でアンドリュー・ジョーダン・コールが来日初勝利。原樹理は21日DeNA戦(横浜)でチーム最多となる4勝目をマーク。白星こそつかなかったが吉田大喜も2年ぶりの先発登板でゲームを作るなど投手陣に安定感が増し,交流戦に突入する。
劇的な幕開けとなった5月24日日本ハム戦(神宮)。先発サイスニードが5回1失点と試合をつくったが,その1点が重く圧しかかる展開で8回裏。代打内山壮がプロ初本塁打を放つ。これは球団史上最年少となる代打本塁打。これで同点に追いつき延長戦へ。延長10回表5番手今野が0死満塁のピンチを招く。ここで6番手田口麗斗がマウンドに。清宮幸太郎を三振。万波中世をショートライナー。宇佐見真吾をフルカウントから空振り三振。絶対絶命のピンチを20球で斬る好救援を魅せ,11回裏村上がサヨナラ本塁打を放つ。翌25日日本ハム戦(神宮)は,終盤目まぐるしく試合が動く展開。2度追いつくも,9回表3番手大西広樹が勝ち越しの2失点を喫し万事休すかと思われた9回裏。宮本丈が死球で出塁,塩見泰隆が二塁打を放ち二三塁。続く山崎が逆転のサヨナラ3ランを放ち,1988年6月15・18日以来34年ぶりとなる2試合連続サヨナラ本塁打による勝利。これが交流戦快進撃の序章だった。
27日東北楽天戦(楽天生命)では塩見が2006年グレグ・ラロッカ以来球団史上7人目となる3打席連続本塁打をマーク。翌28日楽天戦(楽天生命パーク)も勝利し,チームは30勝に到達。49試合目での到達は1961年(49試合)1995年(45試合)1997年(49試合)に次いで25年ぶり4度目のハイペース。31日ロッテ戦(神宮)にも勝利し2012年9月以来となる月間16勝。
6月に入っても勢いは止まらない。3日埼玉西武戦(神宮)では小川が自身6年ぶりとなる本塁打を放つとこれが決勝弾に。投手の本塁打による1-0勝利は,1953年金田正一,1978年松岡弘以来43年ぶり3人目の快挙。ドラフト2位丸山和郁にプロ初安打も生まれた。
9日オリックス戦(京セラドーム)では今野がプロ初セーブをマーク。勝利投手となった石川は歴代単独最多となる交流戦27勝目。これで球団タイ記録となる8カード連続勝ち越しを決め,最終カードはソフトバンク。初戦を制し迎えた11日ソフトバンク戦(PayPayドーム)。先発アンドリュー・スアレスがソフトバンク打線につかまり4回を終えて1-4とビハインドの展開。しかし5回表村上の2ランで1点差とすると,6回表再び村上が逆転の満塁本塁打を放ち,交流戦4年ぶり2度目となる優勝を決めた。翌12日にも勝利し2年続けて敵地・福岡でソフトバンクに同一カード3連勝。両リーグ最速で40勝に到達。現行18試合制では最高勝率となる14勝4敗0分勝率.778で交流戦を終えた。同時に球団新記録となる9カード連続勝ち越し。セ・リーグでは初めてパ・リーグ全球団に対して勝ち越しての完全優勝となった。
リーグ戦が再開されてもその勢いは衰えない。17日からの広島戦(神宮)で同一カード3連勝。21日からの中日戦(バンテリンドーム),24日からの巨人戦(神宮)をいずれも2勝1敗とし,プロ野球史上初となる11球団連続カード勝ち越し。28日からの広島戦(マツダスタジアム)にも同一カード3連勝を決め,6月は月間19勝(4敗)。これは2002年8月(19勝5敗2分)に並ぶ球団タイ記録で,月間貯金15は球団新記録。
7月2日DeNA戦(神宮)延長10回裏塩見がサヨナラ打を放ち,1965年南海の7月6日を上回り史上最速でマジック「53」が点灯。翌3日DeNA戦(神宮)では6月26日に支配下登録されたばかりの小澤怜史がプロ初勝利。チームは1954年南海に並ぶ14カード連続勝ち越しというプロ野球タイ記録を樹立した。
この間に市川悠太,ドラフト3位柴田大地がいずれもプロ初登板を果たし,プロ初奪三振を奪うなど若い芽を試す余裕すら見せていた。「連覇」にもはや死角なし。それほどまでに無双状態だった。ところが・・・
チームに激震が走ったのは7月9日だった。前日8日に山田と濱田が体調不良を訴えてPCR検査を受けたところ陽性が判明。それを受け定期PCR検査が実施されるとさらに,高津監督,石井弘寿投手コーチ,高梨,清水,田口,松本直,内山壮,奥村展征,長岡,丸山和,青木とスタッフ1名の計14名の陽性が判明。さらに翌10日には大松尚逸打撃コーチ,森岡良介内野守備走塁コーチ,佐藤真一外野守備コーチ,衣川篤史バッテリーコーチ,大西,中村,宮本,塩見とスタッフ1人の陽性が判明。二軍でも石山泰稚,川端慎吾らが陽性判定を受けており,一・二軍合わせ首脳陣・選手・スタッフ計27名が陽性判定を受ける非常事態に。予定されていた阪神戦(神宮)も中止となった。
松元ユウイチ作戦コーチが監督代行を務め,二軍から陰性が確認された杉山晃基,鈴木裕太,宮台康平,久保拓真,西田明央,嶋基宏,古賀優大,西浦直亨,元山飛優,内川聖一,武岡龍世,松本友,並木秀尊,渡邉大樹を招集し,12日中日戦(豊橋)に挑むことになった。この日は天候回復が見込めないため中止となり,13日中日戦(バンテリンドーム)から試合が再開された。
しかし主力不在の穴は大きくチームは3連敗。17日DeNA戦(横浜)には再来日後リハビリを進めていたサンタナを昇格させたが流れは変えられず2年ぶりの6連敗。19日巨人戦(神宮)でようやく連敗を止め,翌20日巨人戦(神宮)から津監督が復帰。離脱メンバーも続々復帰してきたが,即スタメンフル出場というわけにもいかずメンバー構成に苦心する日々は続いた。前半戦最終戦となった24日広島戦(神宮)でようやく連敗を止め,マジック「41」が再点灯。前半戦終了時の貯金22は1995年の21を上回り球団最多記録となった。
26日には,マイナビオールスターゲーム2022の出場選手およびNPBスタッフを対象に行われたスクリーニングのPCR検査でつば九郎も陽性判定。29日には坂本光士郎と千葉ロッテ山本大貴の交換トレードと,フレッシュオールスターでサヨナラ本塁打を放った赤羽由紘の支配下選手登録が発表された。
波乱万丈の7月。その最後の試合となる31日阪神戦(甲子園)でチームを救ったのが村上だった。負ければ同一カード3連敗。この試合も終盤まで劣勢だった。2点を追う7回表。村上キラーの左腕渡辺雄大から今季初安打となる本塁打を放ち1点差に迫ると,9回表相手守護神岩崎優から起死回生の同点弾で延長に持ち込み,11回表石井大智から3打席連続となる勝ち越しの2ラン本塁打でチームを勝利に導いた。
1日挟んで8月最初の試合となった2日中日戦(神宮)。初回の第1打席柳裕也からプロ野球史上14人目となる4打席連続本塁打。さらにさらに3回裏の第2打席でプロ野球史上初となる5打席連続本塁打。球史にその名を刻んだ。
5日巨人戦(神宮)でつば九郎が史上1羽目となる主催試合通算2000試合出場を達成。濃厚接触疑いと自身のコロナ陽性という2つの苦難を乗り越え,前“鳥”未到の域に到達。しかしチームはこの試合から2019年以来3年ぶりとなる7連敗を喫し,最大28あった貯金は16となり,最大17.5開いていたDeNAとのゲーム差は6.0まで縮まっていた。
1番山田,2番サンタナと打線を大きく組み替えて挑んだ14日DeNA戦(神宮)で連敗を7で止め,両リーグ最速で60勝に到達したものの,DeNAは本拠地横浜スタジアムで17連勝を飾るなど,8月16勝3敗という破竹の勢いで白星を重ねていた。とうとうゲーム差は4.0となり,26日から敵地横浜で直接対決3連戦を迎える。
初戦となった26日DeNA戦(横浜)。5回まで両軍無得点と緊迫した展開。6回表に村上の史上179人目となる通算150号本塁打となる3ランで先制。7回表にも村上の2打席連続本塁打でDeNAを突き放し先勝。翌27日DeNA戦(横浜)は村上が5打数5安打4打点。さらにパトリック・キブレハンが来日初本塁打から3打席連続本塁打を放つなど打線が爆発し16-4と大勝。28日DeNA戦(横浜)では4-4で迎えた7回表に村上の今季3度目となる3試合連続本塁打が決勝打に。負け越せば歴史的V逸もあり得た直接対決3連戦で,村上の1978年チャーリー・マニエルのもつ球団記録を更新する歴代2位タイとなる14打席連続出塁という大活躍もあり同一カード3連勝。DeNAに引導を渡した。7連敗もあった8月だったが,12勝11敗1分と2ヵ月ぶりに勝ち越した。
9月2日中日戦(神宮)。村上は大野雄大から本塁打を放ち,日本人選手では2002年松井秀喜以来20年ぶり史上6人目,NPB史上でも10人目15度目となる50号に史上最年少で到達。6日阪神戦(甲子園)では1963年野村克也,1985年落合博満に並ぶ日本人歴代2位タイの52号本塁打。本塁を踏んだ際野村元監督(享年84)に捧げるかのように天を仰いでみせた。9日広島戦(神宮)では大瀬良大地から歴代単独6位となる53号本塁打を放った。コロナ禍による緊急昇格から一気に信頼を勝ち取った久保がプロ初勝利を挙げた。
11日DeNA戦(横浜)。2リーグ制後投手では初めてとなる今季2試合目の小川による決勝打の1-0勝利で7月28日以来45日ぶりにマジック「11」が再々点灯。村上は13日巨人戦(神宮)で大勢から歴代2位,王貞治に並ぶ日本人最多タイ55号本塁打を放った。
17日中日戦(バンテリンドーム)延長12回表代打の神様川端の一振りでマジックは「8」となり,クライマックスシリーズ進出を確定させた。18日阪神戦(甲子園)に勝利しマジック「7」,2位以上が確定した。21日中日戦(バンテリンドーム)石川の通算183勝目でマジック「4」。24日DeNA(神宮)は試合前の大雨で試合開始が1時間30分遅れたが,球場スタッフならびに球団職員の執念が実りマジック「2」と王手をかけた。
そして迎えた25日DeNA戦(神宮)。0-0のまま9回裏。先頭ホセ・オスナがショートへの内野安打で出塁すると代走に塩見。中村が初球で犠打を決め,打席には丸山和。前進守備の左中間を真っ二つに破り,塩見が生還。2015年高井雄平以来7年ぶり。新人選手では史上初となるサヨナラ打で,2年連続9回目のリーグ優勝。球団では29年ぶりとなるセ・リーグ「連覇」を決めた。30日広島戦(マツダスタジアム)ではドラフト1位山下輝がプロ初勝利を挙げる。
10月2日阪神戦(甲子園)ドラフト5位竹山日向がプロ初登板。嶋,内川,坂口智隆の引退試合となった今季最終の3日DeNA戦(神宮)。村上が最終戦の最終打席で56号本塁打を放ち,1964年王貞治の55本を抜いて日本人選手のシーズン最多本塁打記録を更新。本塁打王に加え,打率.318で首位打者,打点134で打点王のタイトルも獲得。2004年松中信彦以来18年ぶり史上8人目(通算12度目)で令和初となる三冠王に輝いた。
2位DeNAと3位阪神の対戦となったJERAクライマックスシリーズセ ファーストステージを制したのは阪神。神宮球場で開催されるクライマックスシリーズとしては初めて巨人以外との対戦カードとなった阪神とのファイナルステージ。
第1戦(神宮)。初回2死一二塁からオスナの3ランで先制すると,2回裏山崎のタイムリー,3回裏サンタナの犠飛。さらに6回裏サンタナの2ランと着実に加点し試合を優位に進め,7-1と快勝。
第2戦(神宮)。0-1で迎えた3回裏二死一塁から村上の2ランで逆転すると,4回裏長岡,5回裏オスナと本塁打の3発が効いて5-3と連勝。アドバンテージの1勝を含めて王手をかけた。
第3戦(神宮)。エース青柳晃洋の前に3安打無失点と完璧に封じ込められていたが,7回裏。3つの四死球で2死満塁とすると,山崎のファーストゴロをジェフリー・マルテが二塁へ悪送球。その間に二者が生還し1点差に迫り青柳をKO。代わった浜地真澄から2死満塁とし打席には村上。ボテボテのゴロを浜地が一塁へ悪送球。ボールが転々とする間にすべての走者が生還し逆転に成功。終わってみれば危なげない戦いで下克上を目指した阪神を一蹴し,2年連続日本シリーズ進出を決めた。MVPには3試合で2本塁打5打点のオスナが選ばれた。
2年続けてオリックスとの対戦となったSMBC日本シリーズ。
第1戦(神宮)。初回オスナのタイムリー二塁打で2点を先制。直後に同点とされたが,3回裏塩見のソロ本塁打で勝ち越し。山本由伸を攻略して初戦を取る。
第2戦(神宮)は3点ビハインドで迎えた9回裏0死一二塁から代打内山壮の3ランが飛び出し土壇場で同点に追いつき延長戦に突入。両軍の救援陣が踏ん張り,5時間を超える熱戦は規定により引き分けに終わった。
舞台を京セラドームに移して第3戦(京セラドーム)。5回表山田の3ランで先制。9回表には村上のタイムリーなどで3点を挙げ,投げては高橋が6回無失点と圧巻の投球で,対戦成績を2勝0敗1分とした。
第4戦(京セラドーム)。3回裏2死二塁から杉本のタイムリーが決勝点となり初黒星を喫すると,第5戦(京セラドーム)4-3とリードして9回裏守護神マクガフを投入したものの,内野安打とマクガフの失策で同点に追いつかれ,なお2死一塁から吉田正尚にサヨナラ2ランを浴び連敗。対戦成績は2勝2敗1分のタイとなる。
第6戦(神宮)。0-0で迎えた6回表2死一二塁から杉本にタイムリーを浴び先制され,打線は小刻みな継投の前に先頭打者塩見の放ったヒット1本のみに封じられる完封リレー。3連敗で王手をかけられてしまう。第7戦(神宮)。初回太田諒に先頭打者初球本塁打。5回表に押し出し死球と失策で4点を失う。7回裏オスナの3ランで1点差にまで迫ったものの,1点及ばず。4連敗で2年連続日本一は叶わなかった。
長谷川宙輝,嘉手苅浩太,ドラフト4位小森航大郎は一軍登録が無かった。一軍未登板に終わった山野太一,近藤弘樹,鈴木の3名には育成契約を打診し,下慎之介,丸山翔大,松井聖,岩田幸宏とは引き続き育成契約を結んだ。
【表1】セ・リーグ順位表
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開幕直後にコロナに翻弄されたのは横浜DeNAだった。4月6日阪神戦(甲子園)の試合前に新型コロナウイルス陽性者が続出し,4月7日から10日までの4試合が中止となり,総勢22人の選手の入れ替えを余儀なくされた。最大借金9あったが,交流戦以降チーム成績が安定。夏場にはプロ野球史上3球団目,球団新記録となる本拠地17連勝を記録。三浦大輔監督は球団の生え抜き監督としては初のAクラス入りを果たした。佐野恵太が最多安打。
キャンプイン前日に矢野燿大監督が今季限りでの辞任を発表した阪神は開幕9連敗スタート。ところが最大借金16を完済するV字回復を見せた。来季からは岡田彰布監督が15年ぶりに復帰する。青柳晃洋が最多勝,最優秀防御率,最高勝率の投手3冠。湯浅京己が最優秀中継ぎ。近本光司が2年ぶり3度目の盗塁王。
スタートダッシュに成功したのは巨人だった。3月・4月を20勝11敗で首位に立つも,5月から4ヶ月連続負け越し。菅野智之,坂本勇人が離脱を繰り返し,2005-06年以来球団史上2度目となる2年連続勝率5割以下で4年ぶりにBクラスに転落。原辰徳監督は巨人軍史上初めて同一監督で2年連続勝率5割以下となった。戸郷翔征が自身初タイトルとなる最多奪三振。
交流戦で5勝13敗と低迷し,4年連続Bクラスに終わった広島。自慢の先発投手陣も機能せず,伝統だった機動力もほとんど使えなかった。佐々岡真司監督が退任し新井貴浩新監督が就任した。
立浪和義監督が就任し再始動を図った中日だったが,投高打低は顕著。チーム本塁打はリーグワーストと長打力ならびに得点力不足は明らか。DeNAには6勝18敗1分と大きく負け越した。岡林勇希が最多安打。ジャリエル・ロドリゲスが最優秀中継ぎ,ライデル・マルティネスが最多セーブのタイトルを獲得した。
チーム成績
【表2-1】チーム月別成績
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【表2-2】チームホーム/ビジター別成績
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ビジター43勝は,1997年の41勝を上回り球団新記録【表2-2】。
【表2-3】チーム曜日別成績
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最長連勝は土曜日で4月22日阪神戦(神宮)から6月18日広島戦(神宮)にかけて9連勝。木曜日,金曜日,日曜日に5連勝が続く。最長連敗は金曜日で7月1日DeNA戦(神宮)から8月19日中日戦(バンテリン)にかけて7連敗【表2-3】。
【表2-4】チーム年度別成績推移直近10年間 ※()はリーグ順位
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1997年以来25年ぶりに80勝到達。打率.318,56本塁打,134打点で三冠王を獲得した村上だが,個人成績のみに着目すると2013年のウラディミール・バレンティンは打率.330,60本塁打,131打点という成績を残しており,打率・本塁打では今年の村上を上回っている。同年は小川が16勝を挙げ最多勝を獲得している。それでいてチームは夏前から最下位を独走。野村元監督はかねがね「野球とは,団体競技である」「団体競技とは,選手が同じ方向を向いてプレーすることである」という野球論を唱えていた。「個」の力だけではチームは勝てない。こうしてチーム成績と照らし合わせると改めてその言葉の偉大さを感じる【表2-4】。
【表3】チーム別対戦成績
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阪神,オリックス,千葉ロッテ,東北楽天には2018年以来4年ぶりの勝ち越し。巨人,中日には2020年以来2年ぶりに負け越し。目立つは中日との対戦成績で,今季6勝を挙げブレークした橋宏斗には,4試合対戦し0勝4敗,防御率2.59とカモにされたほか,R・マルティネスには13回無失点,ロドリゲスにも92/3回無失点と完全に封じられた【表3】。
【表4】守備成績
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長岡はセ・リーグ遊撃手で最多の139試合に出場し,守備率.980でリーグトップ。併殺数は105で,中野拓夢(阪神)の85,小園海斗(広島)の65に大きく差をつけた。遊撃手の高卒3年目以内での受賞は1988年立浪和義(中日=1年目)同年田中幸雄(日本ハム=3年目)に次いで34年ぶり3人目【表4】。
【表5-1】交流戦順位表
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セ・リーグが55勝53敗と勝ち越し, 2009年・21年に続き2年連続3度目の勝ち越し。2年連続の勝ち越しは交流戦初めて。また中止が1試合もなかったのも交流戦史上初だった。ヤクルトの14勝4敗,勝率.778は,18試合制となった2015年以降では2016年ソフトバンクの13勝4敗1分,勝率.765を超える最高勝率【表5-1】。
【表5-2】交流戦通算成績表[2005-2022]
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上位6球団に変動無し。阪神は2年連続で交流戦2位となり中日と入れ替わり7位に。通算勝率も.500が目前と迫ってきた。ヤクルトが東北楽天を抜いて9位に浮上。11位広島は2019年から3年連続交流戦最下位で,12位DeNAと2.0差に迫られた【表5-2】。
DATA2022〜チームとしての成績
昨年同様リーグチーム成績を列挙してみた。赤字がリーグトップ。青字はリーグワースト。
【表6-1】チーム投手成績
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小川がチームとしては2年ぶりに規定投球回に到達したものの,2年連続で2桁勝利投手を輩出できず,チーム勝ち頭は木澤とサイスニードの9勝止まりだった投手陣。先発防御率,奪三振率,被安打,被本塁打,被打率でリーグワースト。QS率はDeNAと並んでリーグワーストタイ。阪神に至ってはチーム防御率,先発防御率,救援防御率,ホールドポイント数,被本塁打,与四死球,失点,自責点,被打率,QS率,WHIPでいずれもリーグトップ。中日もセーブ数,奪三振数,奪三振率,被安打数でリーグトップ,被打率は阪神と並びリーグトップタイ。チーム防御率,先発防御率,救援防御率はいずれも阪神に次いでリーグ2位。
それでも「勝負どころで打たれている。これだけエラーしたら,防御率も良くなりますよ」と阪神岡田新監督が評論家時代に指摘したように,リリーフ陣の勝敗は阪神の14勝24敗に対し,ヤクルトは31勝17敗と決定的な差をつけた【表6-1】。
【表6-2】チーム打撃成績
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打撃成績に関しても同様の傾向が見られ,出塁率,長打率,OPS,四球がリーグトップとなっているが,これは村上に牽引されている部分が多い。昨年トップだった代打安打数,代打率はリーグワーストとなった【表6-2】。
おわりに〜2023年シーズンに向けて
寺島成輝, 吉田大成,中山翔太,育成の内山太嗣が戦力外通告を受け,宮台は現役引退を選択した。
ドラフトで吉村貢司郎(投手・東芝),西村瑠伊斗(内野手・京都外大西高),澤井廉(外野手・中京大),坂本拓己(投手・知内高),北村恵吾(内野手・中央大),育成ドラフトで橋本星哉(捕手・中央学院大)を指名。合同トライアウトで前中日三ツ俣大樹,前阪神尾仲祐哉,前巨人沼田翔平を獲得。今年から導入された現役ドラフトで渡邊がオリックスに移籍することになり,千葉ロッテから成田翔を指名した。
スアレス,コール,キブレハンとは契約を更新せず,守護神としてリーグ連覇に貢献したマクガフがダイヤモンドバックスへ移籍することになった。新たにライネル・エスピナル,ディロン・ピーターズ,キオーニ・ケラの3投手を獲得した。
リーグ連覇を果たしたものの,来季は“投手陣の再構築”が求められる。「投手がしっかりとしないといけない。(日本一奪還へ)今のままじゃ駄目。もっと先発が1人、2人、3人と出てこなきゃいけない」と指揮官も課題に挙げている。
コーチングスタッフは,今季まで広島でヘッドコーチを務めていた河田雄祐外野守備走塁コーチが2020年以来3年ぶりに復帰し,今季限りで現役を引退した嶋がバッテリーコーチ兼作戦補佐に就任。松元作戦コーチ,伊藤智仁投手コーチ,石井投手コーチ,杉村繁打撃コーチ,大松打撃コーチ,森岡内野守備走塁コーチは留任。福川将和二軍バッテリーコーチが野手コーチ補佐に役職変更された。
ファームは池山隆寛二軍監督以下,城石憲之二軍チーフ兼守備走塁コーチ,尾花高夫二軍投手チーフコーチ,小野寺力二軍投手コーチ,松岡健一二軍投手コーチ,宮出隆自二軍打撃コーチ,畠山和洋二軍打撃コーチ,土橋勝征育成チーフコーチ,山本哲哉育成投手コーチが留任。佐藤外野守備走塁コーチ,衣川バッテリーコーチがそれぞれ二軍外野守備走塁コーチ,二軍バッテリーコーチとなり,緒方耕一二軍外野守備走塁コーチは退任となった。
社長・監督・選手と揃えて口にするのは球団史上初となる3連覇そして日本一奪還。黄金時代再来へ―一枚岩となったチームスワローズは歩みを進める。
参考文献
『サンケイスポーツ特別版ヤクルト連覇』2022年11月11日号,産業経済新聞社,2022.10
『東京ヤクルトスワローズ優勝記念号』週刊ベースボール10月27日号増刊,ベースボールマガジン社,2022.10
『連覇!東京ヤクルトスワローズ最強を,証明するV プロ野球2022シーズン総括BOOK』コスミック出版,2022.10
『SMBC日本シリーズ2022 公式プログラム』ベースボールマガジン社,2022.10
参考資料
「ニッカンスコア速報」
https://www.nikkansports.com/baseball/professional/schedule/s03.html
https://www.nikkansports.com/baseball/professional/schedule/s04.html
https://www.nikkansports.com/baseball/professional/schedule/s05.html
https://www.nikkansports.com/baseball/professional/schedule/s06.html
https://www.nikkansports.com/baseball/professional/schedule/s07.html
https://www.nikkansports.com/baseball/professional/schedule/s08.html
https://www.nikkansports.com/baseball/professional/schedule/s09.html
https://www.nikkansports.com/baseball/professional/schedule/s10.html
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nf3 - Baseball Data House -http://nf3.sakura.ne.jp/index.html
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『総括2021』を「スワローズの歴史を紐解くと,これまで優勝翌年の順位はBクラスが7回中5回。リーグ連覇は1992年1993年の1回きり。球団史上2年連続日本一の栄光はいまだかつてない。その意味で2022年こそまさにチームとしての『真価』が問われる一年となるのかもしれない」と締めくくった。
1992-1993年以来となるセ・リーグ『連覇』という目標に向かい,就任3年目を迎えた高津臣吾監督が掲げたスローガンは「熱燕−NEXT STAGE−」。本来「演じる」を用いた「熱演」が使われるが,スワローズの選手が熱く演じるという意味が込められ「熱燕」と表現された。コロナウィルスという「熱」にも翻弄される2022年シーズンとなったわけだが,見事2年連続9度目のリーグ優勝,球団史上29年ぶり2度目となるリーグ『連覇』を達成。再び黄金時代の到来を予感させるチームへと変貌している。
シーズン回顧
コロナ禍となり3シーズン目。2019年以来,3年ぶりに新型コロナウイルスによるイベント人数制限が撤廃され,延長戦も3年ぶりに12回制で実施されることが承認された。一方で「特例2022」と呼ばれる,一軍選手登録枠ならびに外国人枠の拡大,コロナ感染の疑いや濃厚接触で出場選手登録を外れる場合に本来の10日間を待たずに再登録可能というルールは継続となった。
1月20日に行われた首脳陣スタッフによる一・二軍合同オンライン会議で,感染症対策のため,昨年同様コンディション不良を除いて原則キャンプ中の一二軍入れ替えを行わない基本方針が確認されていた。キャンプイン直前の1月27日に村上宗隆と高橋奎二が新型コロナウイルス陽性判定を受けたことで,両者は二軍西都キャンプスタートとなり,入れ替えで長岡秀樹が一軍浦添キャンプに招集された。
キャンプ期間中の対外試合は5試合で1勝4敗。対外試合チーム初本塁打を放ったのはベテランの荒木貴裕で,津監督は「このままでは勝てないと思います。このまま開幕すると大変なことになる。やはり個人の力,チーム力,すべて状態を上げていくことに専念したい」と危機感をあらわにした。
3月11日ソフトバンクとのオープン戦の試合前中村悠平が下半身の張りを訴え戦線離脱。開幕絶望となった。さらに16日には山崎晃大朗が,21日には今野龍太と星知弥がスクリーニングPCR検査でそれぞれ陽性判定を受けるなど,開幕を直前に控え前年日本一に輝いたメンバーが相次いで離脱を強いられた。オープン戦は13試合3勝9敗1分。同率ではあるが2年連続最下位に終わった。
そうした中迎えた3月25日阪神との開幕戦(京セラドーム)。開幕投手を託されたのは2年連続で小川泰弘だった。しかしその小川がピリッとしない。4回までに8失点でノックアウト。6回を終えて7点ビハインドと完全に劣勢だった。ところが―。7点を追う6回2死一塁。当初二軍スタート予定から一気に開幕「6番ショート」のスタメンを勝ち取った長岡がプロ初打点となるタイムリー二塁打で反撃の口火を切ると,7回0死から大下佑馬の代打で起用された濱田太貴がチーム第1号本塁打を放ち,8回には内山壮真のプロ初安打がプロ初打点となるタイムリーで1点差にまで接近。いずれもプロ初の開幕一軍を掴んだ“ヤングスワローズ”が打線に勢いをもたらし,9回表先頭山田哲人のソロ本塁打でとうとう同点に追いつくと,なお0死一塁からドミンゴ・サンタナバックスクリーンへ勝ち越しの2ラン本塁打をたたき込み,最終回はスコット・マクガフが締め,開幕戦ではプロ野球史上最大差となる7点差逆転勝利という劇的な白星で2022年シーズンのスタートを切った。勝ちは梅野雄吾についた。勢いそのまま2戦目は高橋,3戦目は高梨裕稔が阪神打線に得点を与えず,2008年以来14年ぶりとなる開幕3連勝を飾って,3月29日本拠地での開幕戦となる巨人戦(神宮)を迎えた。この試合の先発を託されたのは昨季チームトップタイの9勝を挙げた奥川恭伸。しかし4回1失点で途中降板。翌日に上半身のコンディション不良で登録を抹消されてしまう。
4月6日中日戦(神宮)ではサンタナが試合中に退くと,翌7日に下半身のコンディション不良で登録抹消。アメリカで半月板のクリーニング手術を受けるために帰国することになった。さらに4月17日DeNA戦(横浜)で2年連続最優秀中継ぎのタイトルを獲得していたセットアッパー清水昇が投球中に打球が右足を直撃し降板,翌々日登録抹消。日本一を支えた投打の柱までも相次いで欠く状況に置かれた。
追い打ちをかけるかのように4月21日には球団マスコットのつば九郎とつばみが濃厚接触者疑いに該当すると判断され,22日からの阪神3連戦(神宮)の出演を自粛。つば九郎は1994年4月9日から続いていた主催試合連続出場の記録がついに途切れてしまった。
チームは一進一退の戦いを強いられたが,日替わりヒーローでこの試練を乗り越えていく。4月6日中日戦(神宮)では松本直樹の自身3年ぶりとなる本塁打が決勝打に。12日広島戦(松山)では同点の8回裏に太田賢吾が押し出し四球を選び勝ち越しに成功。15日DeNA戦(横浜)で金久保優斗が初登板初勝利。23日阪神戦では石川雅規が史上3人目となる21年連続勝利を達成。大卒投手では自身の持つ記録を更新し史上最長となり,球団史上最年長勝利投手記録も更新した。30日DeNA戦(神宮)ではこの日史上201人目の通算1500試合出場を果たした青木宣親が自らを祝福する決勝打を放ちお立ち台に。開幕3連戦以来となる3連勝を飾って4月を終えた。
5月3日阪神戦(甲子園)から中村が一軍復帰。中村とのバッテリーで小川が今季初勝利を初完封で飾り,チームは今季初の4連勝と上昇気流に乗る。6日・7日巨人戦(東京ドーム)と村上がプロ野球史上9人目,球団史上初となる2試合連続満塁本塁打を放ち首位に立つと,8日巨人戦(東京ドーム)では1点ビハインドの9回表に山崎がこの試合まで負けなしのルーキー守護神・大勢から逆転のタイムリーを放ち同一カード3連勝。東京ドームの巨人戦3連戦3連勝は1997年以来実に25年ぶりという快挙で,木澤尚文にプロ初勝利が転がり込んだ。14日広島戦(マツダ)でアンドリュー・ジョーダン・コールが来日初勝利。原樹理は21日DeNA戦(横浜)でチーム最多となる4勝目をマーク。白星こそつかなかったが吉田大喜も2年ぶりの先発登板でゲームを作るなど投手陣に安定感が増し,交流戦に突入する。
劇的な幕開けとなった5月24日日本ハム戦(神宮)。先発サイスニードが5回1失点と試合をつくったが,その1点が重く圧しかかる展開で8回裏。代打内山壮がプロ初本塁打を放つ。これは球団史上最年少となる代打本塁打。これで同点に追いつき延長戦へ。延長10回表5番手今野が0死満塁のピンチを招く。ここで6番手田口麗斗がマウンドに。清宮幸太郎を三振。万波中世をショートライナー。宇佐見真吾をフルカウントから空振り三振。絶対絶命のピンチを20球で斬る好救援を魅せ,11回裏村上がサヨナラ本塁打を放つ。翌25日日本ハム戦(神宮)は,終盤目まぐるしく試合が動く展開。2度追いつくも,9回表3番手大西広樹が勝ち越しの2失点を喫し万事休すかと思われた9回裏。宮本丈が死球で出塁,塩見泰隆が二塁打を放ち二三塁。続く山崎が逆転のサヨナラ3ランを放ち,1988年6月15・18日以来34年ぶりとなる2試合連続サヨナラ本塁打による勝利。これが交流戦快進撃の序章だった。
27日東北楽天戦(楽天生命)では塩見が2006年グレグ・ラロッカ以来球団史上7人目となる3打席連続本塁打をマーク。翌28日楽天戦(楽天生命パーク)も勝利し,チームは30勝に到達。49試合目での到達は1961年(49試合)1995年(45試合)1997年(49試合)に次いで25年ぶり4度目のハイペース。31日ロッテ戦(神宮)にも勝利し2012年9月以来となる月間16勝。
6月に入っても勢いは止まらない。3日埼玉西武戦(神宮)では小川が自身6年ぶりとなる本塁打を放つとこれが決勝弾に。投手の本塁打による1-0勝利は,1953年金田正一,1978年松岡弘以来43年ぶり3人目の快挙。ドラフト2位丸山和郁にプロ初安打も生まれた。
9日オリックス戦(京セラドーム)では今野がプロ初セーブをマーク。勝利投手となった石川は歴代単独最多となる交流戦27勝目。これで球団タイ記録となる8カード連続勝ち越しを決め,最終カードはソフトバンク。初戦を制し迎えた11日ソフトバンク戦(PayPayドーム)。先発アンドリュー・スアレスがソフトバンク打線につかまり4回を終えて1-4とビハインドの展開。しかし5回表村上の2ランで1点差とすると,6回表再び村上が逆転の満塁本塁打を放ち,交流戦4年ぶり2度目となる優勝を決めた。翌12日にも勝利し2年続けて敵地・福岡でソフトバンクに同一カード3連勝。両リーグ最速で40勝に到達。現行18試合制では最高勝率となる14勝4敗0分勝率.778で交流戦を終えた。同時に球団新記録となる9カード連続勝ち越し。セ・リーグでは初めてパ・リーグ全球団に対して勝ち越しての完全優勝となった。
リーグ戦が再開されてもその勢いは衰えない。17日からの広島戦(神宮)で同一カード3連勝。21日からの中日戦(バンテリンドーム),24日からの巨人戦(神宮)をいずれも2勝1敗とし,プロ野球史上初となる11球団連続カード勝ち越し。28日からの広島戦(マツダスタジアム)にも同一カード3連勝を決め,6月は月間19勝(4敗)。これは2002年8月(19勝5敗2分)に並ぶ球団タイ記録で,月間貯金15は球団新記録。
7月2日DeNA戦(神宮)延長10回裏塩見がサヨナラ打を放ち,1965年南海の7月6日を上回り史上最速でマジック「53」が点灯。翌3日DeNA戦(神宮)では6月26日に支配下登録されたばかりの小澤怜史がプロ初勝利。チームは1954年南海に並ぶ14カード連続勝ち越しというプロ野球タイ記録を樹立した。
この間に市川悠太,ドラフト3位柴田大地がいずれもプロ初登板を果たし,プロ初奪三振を奪うなど若い芽を試す余裕すら見せていた。「連覇」にもはや死角なし。それほどまでに無双状態だった。ところが・・・
チームに激震が走ったのは7月9日だった。前日8日に山田と濱田が体調不良を訴えてPCR検査を受けたところ陽性が判明。それを受け定期PCR検査が実施されるとさらに,高津監督,石井弘寿投手コーチ,高梨,清水,田口,松本直,内山壮,奥村展征,長岡,丸山和,青木とスタッフ1名の計14名の陽性が判明。さらに翌10日には大松尚逸打撃コーチ,森岡良介内野守備走塁コーチ,佐藤真一外野守備コーチ,衣川篤史バッテリーコーチ,大西,中村,宮本,塩見とスタッフ1人の陽性が判明。二軍でも石山泰稚,川端慎吾らが陽性判定を受けており,一・二軍合わせ首脳陣・選手・スタッフ計27名が陽性判定を受ける非常事態に。予定されていた阪神戦(神宮)も中止となった。
松元ユウイチ作戦コーチが監督代行を務め,二軍から陰性が確認された杉山晃基,鈴木裕太,宮台康平,久保拓真,西田明央,嶋基宏,古賀優大,西浦直亨,元山飛優,内川聖一,武岡龍世,松本友,並木秀尊,渡邉大樹を招集し,12日中日戦(豊橋)に挑むことになった。この日は天候回復が見込めないため中止となり,13日中日戦(バンテリンドーム)から試合が再開された。
しかし主力不在の穴は大きくチームは3連敗。17日DeNA戦(横浜)には再来日後リハビリを進めていたサンタナを昇格させたが流れは変えられず2年ぶりの6連敗。19日巨人戦(神宮)でようやく連敗を止め,翌20日巨人戦(神宮)から津監督が復帰。離脱メンバーも続々復帰してきたが,即スタメンフル出場というわけにもいかずメンバー構成に苦心する日々は続いた。前半戦最終戦となった24日広島戦(神宮)でようやく連敗を止め,マジック「41」が再点灯。前半戦終了時の貯金22は1995年の21を上回り球団最多記録となった。
26日には,マイナビオールスターゲーム2022の出場選手およびNPBスタッフを対象に行われたスクリーニングのPCR検査でつば九郎も陽性判定。29日には坂本光士郎と千葉ロッテ山本大貴の交換トレードと,フレッシュオールスターでサヨナラ本塁打を放った赤羽由紘の支配下選手登録が発表された。
波乱万丈の7月。その最後の試合となる31日阪神戦(甲子園)でチームを救ったのが村上だった。負ければ同一カード3連敗。この試合も終盤まで劣勢だった。2点を追う7回表。村上キラーの左腕渡辺雄大から今季初安打となる本塁打を放ち1点差に迫ると,9回表相手守護神岩崎優から起死回生の同点弾で延長に持ち込み,11回表石井大智から3打席連続となる勝ち越しの2ラン本塁打でチームを勝利に導いた。
1日挟んで8月最初の試合となった2日中日戦(神宮)。初回の第1打席柳裕也からプロ野球史上14人目となる4打席連続本塁打。さらにさらに3回裏の第2打席でプロ野球史上初となる5打席連続本塁打。球史にその名を刻んだ。
5日巨人戦(神宮)でつば九郎が史上1羽目となる主催試合通算2000試合出場を達成。濃厚接触疑いと自身のコロナ陽性という2つの苦難を乗り越え,前“鳥”未到の域に到達。しかしチームはこの試合から2019年以来3年ぶりとなる7連敗を喫し,最大28あった貯金は16となり,最大17.5開いていたDeNAとのゲーム差は6.0まで縮まっていた。
1番山田,2番サンタナと打線を大きく組み替えて挑んだ14日DeNA戦(神宮)で連敗を7で止め,両リーグ最速で60勝に到達したものの,DeNAは本拠地横浜スタジアムで17連勝を飾るなど,8月16勝3敗という破竹の勢いで白星を重ねていた。とうとうゲーム差は4.0となり,26日から敵地横浜で直接対決3連戦を迎える。
初戦となった26日DeNA戦(横浜)。5回まで両軍無得点と緊迫した展開。6回表に村上の史上179人目となる通算150号本塁打となる3ランで先制。7回表にも村上の2打席連続本塁打でDeNAを突き放し先勝。翌27日DeNA戦(横浜)は村上が5打数5安打4打点。さらにパトリック・キブレハンが来日初本塁打から3打席連続本塁打を放つなど打線が爆発し16-4と大勝。28日DeNA戦(横浜)では4-4で迎えた7回表に村上の今季3度目となる3試合連続本塁打が決勝打に。負け越せば歴史的V逸もあり得た直接対決3連戦で,村上の1978年チャーリー・マニエルのもつ球団記録を更新する歴代2位タイとなる14打席連続出塁という大活躍もあり同一カード3連勝。DeNAに引導を渡した。7連敗もあった8月だったが,12勝11敗1分と2ヵ月ぶりに勝ち越した。
9月2日中日戦(神宮)。村上は大野雄大から本塁打を放ち,日本人選手では2002年松井秀喜以来20年ぶり史上6人目,NPB史上でも10人目15度目となる50号に史上最年少で到達。6日阪神戦(甲子園)では1963年野村克也,1985年落合博満に並ぶ日本人歴代2位タイの52号本塁打。本塁を踏んだ際野村元監督(享年84)に捧げるかのように天を仰いでみせた。9日広島戦(神宮)では大瀬良大地から歴代単独6位となる53号本塁打を放った。コロナ禍による緊急昇格から一気に信頼を勝ち取った久保がプロ初勝利を挙げた。
11日DeNA戦(横浜)。2リーグ制後投手では初めてとなる今季2試合目の小川による決勝打の1-0勝利で7月28日以来45日ぶりにマジック「11」が再々点灯。村上は13日巨人戦(神宮)で大勢から歴代2位,王貞治に並ぶ日本人最多タイ55号本塁打を放った。
17日中日戦(バンテリンドーム)延長12回表代打の神様川端の一振りでマジックは「8」となり,クライマックスシリーズ進出を確定させた。18日阪神戦(甲子園)に勝利しマジック「7」,2位以上が確定した。21日中日戦(バンテリンドーム)石川の通算183勝目でマジック「4」。24日DeNA(神宮)は試合前の大雨で試合開始が1時間30分遅れたが,球場スタッフならびに球団職員の執念が実りマジック「2」と王手をかけた。
そして迎えた25日DeNA戦(神宮)。0-0のまま9回裏。先頭ホセ・オスナがショートへの内野安打で出塁すると代走に塩見。中村が初球で犠打を決め,打席には丸山和。前進守備の左中間を真っ二つに破り,塩見が生還。2015年高井雄平以来7年ぶり。新人選手では史上初となるサヨナラ打で,2年連続9回目のリーグ優勝。球団では29年ぶりとなるセ・リーグ「連覇」を決めた。30日広島戦(マツダスタジアム)ではドラフト1位山下輝がプロ初勝利を挙げる。
10月2日阪神戦(甲子園)ドラフト5位竹山日向がプロ初登板。嶋,内川,坂口智隆の引退試合となった今季最終の3日DeNA戦(神宮)。村上が最終戦の最終打席で56号本塁打を放ち,1964年王貞治の55本を抜いて日本人選手のシーズン最多本塁打記録を更新。本塁打王に加え,打率.318で首位打者,打点134で打点王のタイトルも獲得。2004年松中信彦以来18年ぶり史上8人目(通算12度目)で令和初となる三冠王に輝いた。
2位DeNAと3位阪神の対戦となったJERAクライマックスシリーズセ ファーストステージを制したのは阪神。神宮球場で開催されるクライマックスシリーズとしては初めて巨人以外との対戦カードとなった阪神とのファイナルステージ。
第1戦(神宮)。初回2死一二塁からオスナの3ランで先制すると,2回裏山崎のタイムリー,3回裏サンタナの犠飛。さらに6回裏サンタナの2ランと着実に加点し試合を優位に進め,7-1と快勝。
第2戦(神宮)。0-1で迎えた3回裏二死一塁から村上の2ランで逆転すると,4回裏長岡,5回裏オスナと本塁打の3発が効いて5-3と連勝。アドバンテージの1勝を含めて王手をかけた。
第3戦(神宮)。エース青柳晃洋の前に3安打無失点と完璧に封じ込められていたが,7回裏。3つの四死球で2死満塁とすると,山崎のファーストゴロをジェフリー・マルテが二塁へ悪送球。その間に二者が生還し1点差に迫り青柳をKO。代わった浜地真澄から2死満塁とし打席には村上。ボテボテのゴロを浜地が一塁へ悪送球。ボールが転々とする間にすべての走者が生還し逆転に成功。終わってみれば危なげない戦いで下克上を目指した阪神を一蹴し,2年連続日本シリーズ進出を決めた。MVPには3試合で2本塁打5打点のオスナが選ばれた。
2年続けてオリックスとの対戦となったSMBC日本シリーズ。
第1戦(神宮)。初回オスナのタイムリー二塁打で2点を先制。直後に同点とされたが,3回裏塩見のソロ本塁打で勝ち越し。山本由伸を攻略して初戦を取る。
第2戦(神宮)は3点ビハインドで迎えた9回裏0死一二塁から代打内山壮の3ランが飛び出し土壇場で同点に追いつき延長戦に突入。両軍の救援陣が踏ん張り,5時間を超える熱戦は規定により引き分けに終わった。
舞台を京セラドームに移して第3戦(京セラドーム)。5回表山田の3ランで先制。9回表には村上のタイムリーなどで3点を挙げ,投げては高橋が6回無失点と圧巻の投球で,対戦成績を2勝0敗1分とした。
第4戦(京セラドーム)。3回裏2死二塁から杉本のタイムリーが決勝点となり初黒星を喫すると,第5戦(京セラドーム)4-3とリードして9回裏守護神マクガフを投入したものの,内野安打とマクガフの失策で同点に追いつかれ,なお2死一塁から吉田正尚にサヨナラ2ランを浴び連敗。対戦成績は2勝2敗1分のタイとなる。
第6戦(神宮)。0-0で迎えた6回表2死一二塁から杉本にタイムリーを浴び先制され,打線は小刻みな継投の前に先頭打者塩見の放ったヒット1本のみに封じられる完封リレー。3連敗で王手をかけられてしまう。第7戦(神宮)。初回太田諒に先頭打者初球本塁打。5回表に押し出し死球と失策で4点を失う。7回裏オスナの3ランで1点差にまで迫ったものの,1点及ばず。4連敗で2年連続日本一は叶わなかった。
長谷川宙輝,嘉手苅浩太,ドラフト4位小森航大郎は一軍登録が無かった。一軍未登板に終わった山野太一,近藤弘樹,鈴木の3名には育成契約を打診し,下慎之介,丸山翔大,松井聖,岩田幸宏とは引き続き育成契約を結んだ。
【表1】セ・リーグ順位表
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開幕直後にコロナに翻弄されたのは横浜DeNAだった。4月6日阪神戦(甲子園)の試合前に新型コロナウイルス陽性者が続出し,4月7日から10日までの4試合が中止となり,総勢22人の選手の入れ替えを余儀なくされた。最大借金9あったが,交流戦以降チーム成績が安定。夏場にはプロ野球史上3球団目,球団新記録となる本拠地17連勝を記録。三浦大輔監督は球団の生え抜き監督としては初のAクラス入りを果たした。佐野恵太が最多安打。
キャンプイン前日に矢野燿大監督が今季限りでの辞任を発表した阪神は開幕9連敗スタート。ところが最大借金16を完済するV字回復を見せた。来季からは岡田彰布監督が15年ぶりに復帰する。青柳晃洋が最多勝,最優秀防御率,最高勝率の投手3冠。湯浅京己が最優秀中継ぎ。近本光司が2年ぶり3度目の盗塁王。
スタートダッシュに成功したのは巨人だった。3月・4月を20勝11敗で首位に立つも,5月から4ヶ月連続負け越し。菅野智之,坂本勇人が離脱を繰り返し,2005-06年以来球団史上2度目となる2年連続勝率5割以下で4年ぶりにBクラスに転落。原辰徳監督は巨人軍史上初めて同一監督で2年連続勝率5割以下となった。戸郷翔征が自身初タイトルとなる最多奪三振。
交流戦で5勝13敗と低迷し,4年連続Bクラスに終わった広島。自慢の先発投手陣も機能せず,伝統だった機動力もほとんど使えなかった。佐々岡真司監督が退任し新井貴浩新監督が就任した。
立浪和義監督が就任し再始動を図った中日だったが,投高打低は顕著。チーム本塁打はリーグワーストと長打力ならびに得点力不足は明らか。DeNAには6勝18敗1分と大きく負け越した。岡林勇希が最多安打。ジャリエル・ロドリゲスが最優秀中継ぎ,ライデル・マルティネスが最多セーブのタイトルを獲得した。
チーム成績
【表2-1】チーム月別成績
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【表2-2】チームホーム/ビジター別成績
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ビジター43勝は,1997年の41勝を上回り球団新記録【表2-2】。
【表2-3】チーム曜日別成績
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最長連勝は土曜日で4月22日阪神戦(神宮)から6月18日広島戦(神宮)にかけて9連勝。木曜日,金曜日,日曜日に5連勝が続く。最長連敗は金曜日で7月1日DeNA戦(神宮)から8月19日中日戦(バンテリン)にかけて7連敗【表2-3】。
【表2-4】チーム年度別成績推移直近10年間 ※()はリーグ順位
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1997年以来25年ぶりに80勝到達。打率.318,56本塁打,134打点で三冠王を獲得した村上だが,個人成績のみに着目すると2013年のウラディミール・バレンティンは打率.330,60本塁打,131打点という成績を残しており,打率・本塁打では今年の村上を上回っている。同年は小川が16勝を挙げ最多勝を獲得している。それでいてチームは夏前から最下位を独走。野村元監督はかねがね「野球とは,団体競技である」「団体競技とは,選手が同じ方向を向いてプレーすることである」という野球論を唱えていた。「個」の力だけではチームは勝てない。こうしてチーム成績と照らし合わせると改めてその言葉の偉大さを感じる【表2-4】。
【表3】チーム別対戦成績
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阪神,オリックス,千葉ロッテ,東北楽天には2018年以来4年ぶりの勝ち越し。巨人,中日には2020年以来2年ぶりに負け越し。目立つは中日との対戦成績で,今季6勝を挙げブレークした橋宏斗には,4試合対戦し0勝4敗,防御率2.59とカモにされたほか,R・マルティネスには13回無失点,ロドリゲスにも92/3回無失点と完全に封じられた【表3】。
【表4】守備成績
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長岡はセ・リーグ遊撃手で最多の139試合に出場し,守備率.980でリーグトップ。併殺数は105で,中野拓夢(阪神)の85,小園海斗(広島)の65に大きく差をつけた。遊撃手の高卒3年目以内での受賞は1988年立浪和義(中日=1年目)同年田中幸雄(日本ハム=3年目)に次いで34年ぶり3人目【表4】。
【表5-1】交流戦順位表
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セ・リーグが55勝53敗と勝ち越し, 2009年・21年に続き2年連続3度目の勝ち越し。2年連続の勝ち越しは交流戦初めて。また中止が1試合もなかったのも交流戦史上初だった。ヤクルトの14勝4敗,勝率.778は,18試合制となった2015年以降では2016年ソフトバンクの13勝4敗1分,勝率.765を超える最高勝率【表5-1】。
【表5-2】交流戦通算成績表[2005-2022]
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上位6球団に変動無し。阪神は2年連続で交流戦2位となり中日と入れ替わり7位に。通算勝率も.500が目前と迫ってきた。ヤクルトが東北楽天を抜いて9位に浮上。11位広島は2019年から3年連続交流戦最下位で,12位DeNAと2.0差に迫られた【表5-2】。
DATA2022〜チームとしての成績
昨年同様リーグチーム成績を列挙してみた。赤字がリーグトップ。青字はリーグワースト。
【表6-1】チーム投手成績
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小川がチームとしては2年ぶりに規定投球回に到達したものの,2年連続で2桁勝利投手を輩出できず,チーム勝ち頭は木澤とサイスニードの9勝止まりだった投手陣。先発防御率,奪三振率,被安打,被本塁打,被打率でリーグワースト。QS率はDeNAと並んでリーグワーストタイ。阪神に至ってはチーム防御率,先発防御率,救援防御率,ホールドポイント数,被本塁打,与四死球,失点,自責点,被打率,QS率,WHIPでいずれもリーグトップ。中日もセーブ数,奪三振数,奪三振率,被安打数でリーグトップ,被打率は阪神と並びリーグトップタイ。チーム防御率,先発防御率,救援防御率はいずれも阪神に次いでリーグ2位。
それでも「勝負どころで打たれている。これだけエラーしたら,防御率も良くなりますよ」と阪神岡田新監督が評論家時代に指摘したように,リリーフ陣の勝敗は阪神の14勝24敗に対し,ヤクルトは31勝17敗と決定的な差をつけた【表6-1】。
【表6-2】チーム打撃成績
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打撃成績に関しても同様の傾向が見られ,出塁率,長打率,OPS,四球がリーグトップとなっているが,これは村上に牽引されている部分が多い。昨年トップだった代打安打数,代打率はリーグワーストとなった【表6-2】。
おわりに〜2023年シーズンに向けて
寺島成輝, 吉田大成,中山翔太,育成の内山太嗣が戦力外通告を受け,宮台は現役引退を選択した。
ドラフトで吉村貢司郎(投手・東芝),西村瑠伊斗(内野手・京都外大西高),澤井廉(外野手・中京大),坂本拓己(投手・知内高),北村恵吾(内野手・中央大),育成ドラフトで橋本星哉(捕手・中央学院大)を指名。合同トライアウトで前中日三ツ俣大樹,前阪神尾仲祐哉,前巨人沼田翔平を獲得。今年から導入された現役ドラフトで渡邊がオリックスに移籍することになり,千葉ロッテから成田翔を指名した。
スアレス,コール,キブレハンとは契約を更新せず,守護神としてリーグ連覇に貢献したマクガフがダイヤモンドバックスへ移籍することになった。新たにライネル・エスピナル,ディロン・ピーターズ,キオーニ・ケラの3投手を獲得した。
リーグ連覇を果たしたものの,来季は“投手陣の再構築”が求められる。「投手がしっかりとしないといけない。(日本一奪還へ)今のままじゃ駄目。もっと先発が1人、2人、3人と出てこなきゃいけない」と指揮官も課題に挙げている。
コーチングスタッフは,今季まで広島でヘッドコーチを務めていた河田雄祐外野守備走塁コーチが2020年以来3年ぶりに復帰し,今季限りで現役を引退した嶋がバッテリーコーチ兼作戦補佐に就任。松元作戦コーチ,伊藤智仁投手コーチ,石井投手コーチ,杉村繁打撃コーチ,大松打撃コーチ,森岡内野守備走塁コーチは留任。福川将和二軍バッテリーコーチが野手コーチ補佐に役職変更された。
ファームは池山隆寛二軍監督以下,城石憲之二軍チーフ兼守備走塁コーチ,尾花高夫二軍投手チーフコーチ,小野寺力二軍投手コーチ,松岡健一二軍投手コーチ,宮出隆自二軍打撃コーチ,畠山和洋二軍打撃コーチ,土橋勝征育成チーフコーチ,山本哲哉育成投手コーチが留任。佐藤外野守備走塁コーチ,衣川バッテリーコーチがそれぞれ二軍外野守備走塁コーチ,二軍バッテリーコーチとなり,緒方耕一二軍外野守備走塁コーチは退任となった。
社長・監督・選手と揃えて口にするのは球団史上初となる3連覇そして日本一奪還。黄金時代再来へ―一枚岩となったチームスワローズは歩みを進める。
参考文献
『サンケイスポーツ特別版ヤクルト連覇』2022年11月11日号,産業経済新聞社,2022.10
『東京ヤクルトスワローズ優勝記念号』週刊ベースボール10月27日号増刊,ベースボールマガジン社,2022.10
『連覇!東京ヤクルトスワローズ最強を,証明するV プロ野球2022シーズン総括BOOK』コスミック出版,2022.10
『SMBC日本シリーズ2022 公式プログラム』ベースボールマガジン社,2022.10
参考資料
「ニッカンスコア速報」
https://www.nikkansports.com/baseball/professional/schedule/s03.html
https://www.nikkansports.com/baseball/professional/schedule/s04.html
https://www.nikkansports.com/baseball/professional/schedule/s05.html
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https://www.nikkansports.com/baseball/professional/schedule/s09.html
https://www.nikkansports.com/baseball/professional/schedule/s10.html
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2021年12月30日
総括2021―進化を遂げたチームがつかんだ20年ぶりの日本一
はじめに
昨年『総括2020』をこのように締めくくった―
ジンクスは裏切らなかった!―けれどもそこまでに至る道のりは決して平坦なものではなかった。
シーズン回顧
就任二年目を迎えた高津臣吾監督は今季を「真価」の問われる年と位置付け,一年目に蒔いた種を収穫すべく,真の価値(勝ち)にこだわると『進化・真価・心火』をチームスローガンに掲げた。
新型コロナウイルス感染拡大の影響は続いた。政府に加えて宮崎・沖縄両県による独自の緊急事態宣言が発令されており,プロ野球12球団は春季キャンプを無観客で行うこと,関係者全員の定期的なPCR検査など感染防止策を徹底することが義務付けられた。沖縄県内で予定されていたオープン戦も練習試合に切り替えられた。さらには営業時間短縮要請に対応するため,レギュラーシーズンは延長戦を行わず9回で打ち切りとし,午後9時までに試合を終わらせるために試合開始時間を早める方針も決定された。
2月24日。前ソフトバンクでNPB通算43勝のリック・バンデンハークの獲得を発表。3月1日には廣岡大志と田口麗斗の交換トレードが成立。巨人との交換トレードは1977年以来実に34年ぶり。なりふり構わぬ姿勢で投手力強化を図った。
しかしオープン戦も3勝9敗1分 勝率.250の最下位に沈んだ。評論家の予想も最下位が圧倒的大多数。不安要素しかないまま3月26日の開幕を迎える。
開幕カードは本拠地神宮に阪神を迎えての3連戦。開幕投手は小川泰弘,2戦目は移籍の田口,3戦目にはプロ2試合目の登板となる高卒2年目奥川恭伸を抜擢したが,3連戦トータルで1イニングもリードを奪えず圧倒的な戦力差を見せつけられ,2016年以来5年ぶり神宮では1998年以来23年ぶりの開幕3連敗。この試合で坂口智隆が自打球を受け骨折離脱。27日にドラフト4位元山飛優がプロ初安打と初本塁打を放ったことくらいしか明るい話題がなく,率直に「前回の開幕3連敗は曲がりなりにも前年チャンピオン。心の余裕はあった。だが今回の開幕3連敗はなんだかもう・・絶望感しかない」今季の低迷を覚悟した。
2カード目は敵地でともに開幕カードで白星を挙げられなかったDeNAとの3連戦。30日の初戦は終盤までリードを許す苦しい展開だったが,代打・川端慎吾の適時打で逆転勝利。長谷川宙輝が今季チーム初の勝利投手となった。しかしその翌31日にチームに衝撃が走った。西田明央が新型コロナウイルスの陽性判定。前日先発登板のロベルト・スアレス,翌日先発予定の山野太一,さらに山田哲人,内川聖一,西浦直亨,青木宣親が濃厚接触者と認定され登録抹消。開幕5戦目にして早くも開幕スタメンに名を連ねた5名を欠くことになり,ファームから急遽嶋基宏,長岡秀樹,武岡龍世,松本友を呼び寄せる非常事態に陥った。
「これが意外にチームの停滞感を払拭する或いは何かを変えるキッカケになるのかも!?」3月の見聞ログをこう綴って締めた。
3戦目となる4月1日。山田と西浦が特例措置で一軍復帰。同じく濃厚接触者判定を逃れたドラフト2位・山野がプロ初登板初先発するも,2回途中7失点でKO。それでも打線が奮起。最大5点のビハインドを追いつき引き分けに持ち込み,この3連戦を2勝1分で終えた。危機感を覚えたチームにはいつしか粘り強さが生まれていた。
山崎晃大朗をトップバッターに据え,苦肉の策で2番に中村悠平を置き,山田・村上宗隆でかえすことを軸とし,5番以下は塩見泰隆,荒木貴裕,太田賢吾,中山翔太,奥村展征,松本友らを柔軟に起用することで窮地を凌いだ。2日からの巨人戦(東京ドーム)を1勝1敗1分で乗り切ると,6日からの広島戦(神宮)中日戦(バンテリンドーム)DeNA戦(神宮)を5勝2敗1分とし開幕での借金を完済。
8日広島戦(神宮)で奥川が,14日DeNA戦(神宮)で金久保優斗がそれぞれプロ初勝利。4日ドラフト5位並木秀尊,8日同3位内山壮真がプロ初出場と新戦力も台頭した。
16日阪神戦(甲子園)から青木と内川が復帰。時を同じくするかのように新型コロナ禍で来日が遅れていたホセ・オスナ,ドミンゴ・サンタナ, サイスニード,バンデンハークが隔離期間を経てチームに合流。23日中日戦(神宮)からオスナ,サンタナ両外国人野手がスタメンに名を連ねると,25日中日戦(神宮)にはアベック本塁打をマーク。打線は一気に強力なものとなった。
その間を支えた中継ぎ陣の奮投も欠かせない。特に楽天を戦力外となり育成契約を経て支配下登録された近藤弘樹は3月・4月実に15試合に登板し防御率0.00と大車輪の活躍。今野龍太,清水昇,スコット・マクガフから抑えの石山泰稚へという方程式が確立されてきた。24日中日戦(神宮)には坂本光士郎がプロ初勝利を挙げ,28日巨人戦(神宮)では2年目の杉山晃基がプロ初登板を果たした。
5月は3連敗からのスタートとなるなど一進一退の日々が続いた。2日DeNA戦(横浜)で清水が,4日阪神戦(神宮)で近藤がそれぞれ同点の場面から決勝の被弾を浴び,9日巨人戦(東京ドーム)では石山が最終回にサヨナラ被弾を許すなど投手陣に疲労が見え始めた。ここで高津監督は石山とマクガフの配置転換を決断。先発陣では高梨裕稔,小川の一軍登録を抹消し,再調整を命じた。8日巨人戦(東京ドーム)でサイスニードが来日初登板初先発,21日DeNA戦(神宮)にはバンデンハークが移籍初登板初先発。
25日からは2年ぶりにセ・パ交流戦が始まった。26日北海道日本ハム戦(神宮)で青木がイチロー・松井稼頭央・松井秀喜に続く史上4人目となる日米通算2500本安打の大記録を達成。しかしこの試合で近藤が投球中に負傷離脱してしまう。
そんな近藤の穴を埋めたのが,梅野雄吾と 大西広樹だった。6月1日東北楽天戦(神宮)。5回表0死満塁の場面で登板した梅野が圧巻の火消しをみせると,6回から登板の大西が2回無失点の好投。7回裏味方の逆転劇でプロ初勝利を手にする。
交流戦期間中には開幕一軍を逃した2人の左腕もローテーションに加わった。4日埼玉西武戦(神宮)で石川雅規が5回コールドで今季初勝利。史上7人目,セ・リーグ史上2人目,左腕史上4人目,大卒では史上初となる20年連続勝利を達成。41歳4カ月での勝利は1992年8月16日新浦寿夫を抜いて球団最年長勝利にもなった。石川は11日ソフトバンク戦(PayPayドーム)でも勝利を挙げ,杉内俊哉・和田毅のもつ交流戦歴代最多タイの26勝に並んだ。13日ソフトバンク戦(PayPayドーム)では高橋奎二が初登板で7回途中2失点の好投で初勝利。チームは敵地で対ソフトバンク戦同一カード3連勝を飾り,10勝8敗の5位で交流戦全日程を終えた。
福岡での同一カード3連戦3連勝は1993年,1995年,1997年,2001年に続き通算5度目。「感の鋭い方オールドファンの方はお気づきでしょうが,そうなんです!福岡で3連勝した年はすべてチームは日本一に輝いているのです!!!!!」というデータも早速見聞ログで取り上げた。とはいえセ・リーグでは阪神,DeNA,中日も勝ち越しており,リーグ内の順位は大きく詰めることは出来ず,この時点で首位・阪神とは7.0差をつけられていた。
18日からリーグ戦が再開。20日中日戦(神宮)では中日先発勝野昌慶の前に7回2死まで無安打無得点に抑えられていたが,代打宮本丈のセンター前ヒットでノーヒットノーランを阻止すると,続く代打川端が2ラン本塁打。先発全員無安打ながら勝利を収めた。
7月前半2週間の戦いは濃いものだった。1日阪神戦(甲子園)では今季無敗の阪神の絶対的守護神アルバート・スアレスから代打宮本が勝ち越しタイムリーを放ち,この日がプロ通算100試合目の登板だった清水にプロ初勝利がついた。3日中日戦(バンテリンドーム)では古賀優大が1試合4安打。7日広島戦(神宮)には渡邉大樹が決勝打を放ち自身初のお立ち台に。6日阪神戦(神宮)で史上53人目の通算2000試合出場を達成した内川が9日広島戦(神宮)でサヨナラタイムリー。吉田大喜が勝利投手に。13日14日の巨人戦(東京ドーム)では2試合で25得点と打線が大爆発。13日には吉田大成にプロ初本塁打が生まれるなど,普段スタメンに名を連ねない選手が連日のようにヒーローとなった。
前半戦を42勝32敗9分 勝率.568。首位・阪神とは2.5ゲーム差の3位で東京五輪による中断期間に突入する。
後半戦開幕は8月15日DeNA戦(新潟)。前日14日が雨天中止となりスライドで後半の開幕投手を託されたのは奥川だった。この試合で開幕3戦目以来の一軍復帰となった坂口が史上197人目の通算1500試合出場。チームは後半戦白星スタートを切る。以後本拠地神宮球場が使えない状況で,新潟から巨人戦(松山)→広島戦(マツダ)→中日戦(静岡)→DeNA戦(東京ドーム)→巨人戦(岐阜)→巨人戦(京セラドーム)→広島戦(東京ドーム)と各地を転々。この体力的にも精神的にもしんどい期間を6勝7敗2分。
9月7日からの阪神戦(甲子園)が神宮に戻るまでの最後の遠征となっていた。この試合の前に,高津監督が選手に呼びかけた。
甲子園での3連戦を2勝1敗と勝ち越し,11日DeNA戦でおよそ2ヶ月ぶりに神宮に戻った。12日からはバンテリンドームへ移動。そして13日中日戦(バンテリン)である事件が起こる。
0-1と1点ビハインドで最終回9回表。マウンドには中日の守護神ライデル・マルティネス。1死一二塁で代打川端はセカンドゴロ。捕球した二塁手は一走西浦を挟殺プレーに。この一連のプレーの間に打者走者川端は一塁を駆け抜たため,相手遊撃手は二塁を踏んで封殺。しかしこれを二塁塁審嶋田がノージャッジ。このため挟殺プレーが続行となり,三塁まで進んでいた二走古賀が本塁へ突入し憤死した。挟殺プレーであればすでに2死となっており,一走西浦が挟まれる間に二走古賀が本塁を踏めば同点となるのでセオリー通りの走塁となる。ここで中日与田剛監督がリクエストを要求。遊撃手が二塁を踏んでいるとの判定でゲームセットが宣告された。この判定に対し高津監督が猛抗議するも,判定は覆ることなく試合終了。チームは1点差のまま敗れた。
この試合を終えて自分自身このように綴った。「いずれにしてもこの試合は分岐点になる。3.5差3位転落で阪神巨人との連戦×2。この4試合で決まると言っても決して過言ではない。脱落する可能性もある。けれどこの1敗がチームの結束を強くする可能性だってある。ファンとして後者となることを信じるしかない。いやきっとそうなる!何かを変えた。そんな一戦。」
明らかに変わった。いや高津監督が変えた。翌14日阪神戦(神宮)から球団新記録となる13試合連続負けなし。15日阪神戦(神宮)から28日DeNA戦(神宮)まで引き分けを挟んで9連勝。9連勝は2011年以来10年ぶり。24日中日戦(神宮)から4試合連続無失点。こちらも球団史上初めてとなる偉業。
17日巨人戦(東京ドーム)で塩見が史上71人目(76度目),セ・リーグ史上38人目(41度目),球団史上7人目のサイクルヒットを達成。19日広島戦(神宮)では村上が史上303人目,21歳7カ月での到達は史上最年少となる通算100号本塁打。17日巨人戦(東京ドーム)=塩見,21日DeNA戦(横浜)=村上,26日中日戦(神宮)=山田,28日DeNA戦(神宮)=青木とひと月に4本の満塁本塁打も球団史上初。まさに記録づくしの月となった。
22日DeNA戦(横浜)の勝利でチームは113試合目にして首位に躍り出る。23日DeNA戦(横浜)で星知弥がプロ初セーブ。
10月1日広島戦(マツダ)今野が史上45人目の一球勝利。3日広島戦(マツダ)では石川が,史上103人目,史上3位タイの年長記録で通算500試合登板を達成。先発から配置転換されたスアレスが来日初セーブで締めくくり,5日からの3位・巨人そして8日からの2位・阪神を迎えての勝負の神宮6連戦を迎えた。
巨人との3連戦は“全力疾走”で掴んだ先制点が生んだ3連勝だった。5日村上の一塁へ執念のヘッドスライディング。6日は一走オスナが長躯ホームイン。これでチームは3年ぶりのクライマックスシリーズ進出を確定させた。そして7日は9回1死まで無安打無得点に抑えられていたが,塩見がチーム初安打を放ち二盗に成功。引き分け寸前の2死二塁から山田のショートゴロが内野安打に。塩見は一気に三塁を回って本塁を狙うと送球を焦った一塁手がお手玉しサヨナラ勝利。
8日は奥川が7回途中1失点の好投。スアレスと同じく先発からリリーフに配置転換された田口が2死満塁のピンチを三振で斬る好救援で優勝へのマジックナンバー「11」を点灯させる。9日は敗れたものの,10日は8人の投手をつぎ込む継投で白星をつかみ,勝負の6連戦を5勝1敗で乗り切った。
13日中日戦(バンテリン)では川端が1969年三沢今朝治(東映)を抜いて歴代単独2位となる代打で27安打目を放つ。15日巨人戦(神宮)では大下佑馬に自身3年ぶりの白星がついた。清水はこの試合で2010年浅尾拓也(中日)に並ぶNPBタイ記録となる47ホールドをマークすると,17日DeNA戦(横浜)でNPB新記録となる48ホールド目。チームもマジックを「4」まで減らした。
ところがここにきて阪神が神宮での直接対決3連戦を終えた12日から6勝1敗3分と猛追体勢に。23日巨人戦(東京ドーム)に敗れ引き分けを挟んで3連敗を喫すると,マジックは「3」のままゲーム差0.0となり,阪神にマジックが点灯せず逆転優勝の可能性も出てきた。
追い詰められたチームを救ったのは原樹理だった。7月10日広島戦(神宮)で今季初登板も危険球退場。2度目の登板となった8月29日DeNA戦(東京ドーム)で自身396日ぶりの勝利投手。度重なる故障で背信だった背番号16が投打で躍動。マジックを「2」とし迎えた26日DeNA戦(横浜)。
初回に1点を先制されたが,2回に追いつき,3回表一死満塁から,サンタナ,中村の連続タイムリー二塁打で勝ち越し。このリードを高梨−石山−田口とつないで,6回からは高橋を今季初のリリーフで投入。8回清水−9回マクガフで締めくくって勝利。マジックを「1」とする。
同時刻甲子園では阪神−中日の最終戦が進行中。最後は大山悠輔がショートゴロに倒れゲームセット。この瞬間スワローズの6年ぶり8度目のリーグ優勝が決まった。
まさに「心に火」が灯るようなポストシーズンは全9試合。
ファーストステージでシーズン3位の巨人が11.0差をつけられていた2位阪神に敵地甲子園で連勝。神宮球場で開催されるクライマックスシリーズは2011年,2015年,2018年に次いで通算4回目となるが,またしても対戦カードは巨人となった。
11月10日第1戦。1回裏1死一三塁から村上の打ち上げた飛球を,ショート坂本勇人が捕球。その体勢を見て三塁走者塩見がタッチアップを図り先制。続くサンタナが初球をレフトスタンドに叩き込む。投げては初戦を託された奥川が9回98球で自身プロ初完投初完封を成し遂げる。
11日第2戦はファーストステージ初戦で先発した菅野智之が中4日で登板してきたが,6回裏に2死満塁から代打川端が押し出し四球を選び,続く塩見が走者一掃の三塁打で菅野をKO。投げては高橋からスアレス−清水―マクガフと無失点リレーでアドバンテージを含め3勝0敗と王手をかけた。
12日第3戦。シリーズ初めて巨人にリードを許したものの,7回裏2死満塁から青木のタイムリーで逆転に成功。8回表に同点に追いつかれたが,大会規定により同点で9回表を終えたところで,引き分け以上が確定したためゲームセット。3勝0敗1分で6年ぶり8度目の日本シリーズ進出を決めた。最優秀選手には打率.400と結果を残した塩見ではなく,奥川が選ばれた。
日本シリーズの相手はオリックス・バファローズ。前年最下位球団同士の日本シリーズは史上初めて。オリックスとは1995年以来26年ぶり,バファローズとは2001年以来20年ぶり。さらに明治神宮大会開催により神宮球場を使用出来ず,1978年以来43年ぶりに巨人の本拠地でヤクルトの主催試合が行われたシリーズは全6戦が2点差以内。うち5試合が1点差とまさに歴史的な日本シリーズとなった。
11月20日第1戦(京セラドーム)。3-1ヤクルトリードで迎えた9回裏。安打と四球,犠打野選で0死満塁とされ,宗佑磨に同点タイムリー。なお0死一二塁から吉田正尚にセンターオーバーの二塁打を浴びサヨナラ負けを喫する。
宮城大弥と高橋の息詰まる投手戦となった21日第2戦(京セラドーム)。0-0で迎えた8回表2死一二塁から青木のタイムリーで均衡を破ると,9回表にも相手の失策が絡んで追加点。高橋が被安打5,三塁を踏ませぬ投球で,こちらも自身初完投初完封をこの大舞台でやってのけた。
移動日を挟んで23日第3戦(東京ドーム)。オリックスに先制を許したが5回裏中村のタイムリーなどで勝ち越し。再度逆転を許したが7回裏吉田凌からサンタナが逆転の2ラン本塁打を放ち対戦成績を2勝1敗とした。
24日第4戦(東京ドーム)。サンタナの本塁打で先制。追いつかれた直後6回裏2死一二塁からオスナのタイムリーで勝ち越し。このリードを投手陣が守り切り3勝1敗と王手をかけた。石川は日本シリーズセ・リーグ最年長勝利投手となった。
高津監督誕生日の25日第5戦(東京ドーム)。3点ビハインドの8回裏山田が起死回生の3ランを放ち同点に追いついたが,9回表に代打ジョーンズが勝ち越しソロ。3勝2敗で,舞台は神戸に。
11月27日第6戦(神戸)。5回表にヤクルトが塩見のレフト前適時打で先制したが,オリックスもその裏福田周平のレフト前タイムリーですぐさま同点に追いつき,その後は互いに譲らず延長戦へ。最終回の延長12回表2死二塁から代打川端のレフト前タイムリーで勝ち越し。これが決勝打となり20年ぶり6度目の日本一を決めた。最優秀選手は全6試合でマスクを被り投手陣を好リード。6番打者としてもチームトップの打率.318をマークした中村が受賞した。
松本直樹,宮台康平,ドラフト1位木澤尚文は一軍登録期間があったが,試合出場は無かった。寺島成輝は開幕一軍を果たしたが3月27日阪神戦(神宮)の1試合のみの登板に終わった。オープン戦で4本塁打11打点とアピールした濱田太貴は上半身のコンディション不良で離脱しそのまま一軍出場無し。プロ3年目の市川悠太,鈴木裕太,久保拓真とドラフト6位嘉手苅浩太は一軍登板が無かった。
11月1日広島戦(神宮)をもってヤクルト一筋19年間の高井雄平が現役引退。歳内宏明,中尾輝,蔵本治孝,大村孟が戦力外を通告された。支配下登録期限最終日の8月31日に契約を締結したケリン・ホセは2週間の隔離期間中にコロナウイルスの陽性判定を受け一度の登板もなく自由契約。バンデンハークは9月22日にウェーバー公示され,スアレスは韓国・三星に移籍することになった。
内山太嗣,下慎之介,赤羽由紘,松井聖,丸山翔大,小澤怜史とは引き続き育成契約を結ぶ。
村上は40本塁打にはあと1本届かなかったものの自身初の本塁打王に。清水は2年連続2回目の最優秀中継ぎ投手。リーグ新記録となる50ホールドをマークしたことにリーグ特別賞も与えられた。ベストナインには中村が6年ぶり2度目,山田は2年ぶり6度目,昨年一塁手で受賞している村上は三塁手として初,さらに自身初となる塩見の4名が選出された。奥川に新人特別賞。高津監督に最優秀監督賞と正力松太郎賞。最優秀選手(MVP)には村上が選ばれた。
イースタン・リーグ首位打者に太田,イースタン最高出塁率に奥村。イースタン優秀選手賞には内山壮が選ばれた。
【表1】セ・リーグ順位表
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開幕からスタートダッシュを決めたのは阪神だった。3,4月の月間成績は20勝9敗。来日を見通せない他球団を尻目にジェリー・サンズ,ジェフリー・マルテの両外国人野手が開幕から機能。矢野燿大監督自ら引き当てた黄金ルーキー佐藤輝明は4月9日横浜戦(横浜)で場外弾,5月28日西部戦(メットライフ)で1試合3本塁打など豪快なフルスイングでファンを魅了。交流戦を終えて2位に7.0差をつける独走態勢を築いていた。しかし夏場を前に徐々に失速していく。それでも最多勝,勝率1位青柳晃洋,最多セーブ投手ロベルト・スアレス擁する強固な投手陣が打線をカバー。ルーキー中野拓夢はショートのレギュラーに定着し,30盗塁で盗塁王に。
リーグ3連覇を目指した巨人は,新外国人が全く機能せずシーズン終了を待たずに全員が帰国と苦しい戦いを強いられていた。しかしそこは試合巧者。8月29日には最大8.0ゲーム差つけられていた阪神を抜いて首位に立つ。ところが10月に入って10連敗という大失速。借金1の3位に終わった。原辰徳監督が導入した菅野智之,戸郷翔征,高橋優貴,山口俊,C・Cメルセデスの5人で6試合を回すローテーションは完全に裏目となった。また8月下旬に日本ハムから中田翔を獲得したことも物議を醸した。岡本和真は39本塁打,113打点で2年連続二冠王となった。
就任2年目を迎えた佐々岡真司監督率いる広島は,ルーキー栗林良吏が開幕から22試合連続無失点の日本記録を樹立。さらには東京五輪では2勝3セーブを挙げて金メダルに大きく貢献。歴代新人タイ記録の37セーブ。防御率0.86と驚異的な成績を収め新人王に選ばれた。九里亜蓮が最多勝。小園海斗,林晃汰,坂倉将吾といった若手も台頭した。首位打者のタイトルを獲得した鈴木誠也はポスティングシステムを利用しメジャーリーグへ移籍することになった。
中日は柳裕也が最優秀防御率,最多奪三振の二冠に輝き絶対的エースとして君臨。その一方で長年の課題であるダヤン・ビシエド頼みの打線は改善されなかった。与田剛監督は退任となり,立浪和義新監督を迎え恐竜打線復活を目指す。
三浦大輔監督が就任した横浜DeNA。開幕から2分挟んで6連敗。さらに4月に10連敗とスタートダッシュに失敗。ドラフト2位ルーキー牧秀悟が球史に名を残す活躍。8月25日阪神戦(京セラドーム)で新人史上初となるサイクル安打を達成。35二塁打で1958年長嶋茂雄のもつ新人シーズン最多二塁打のリーグ記録を更新。猛打賞も14度で同じく長嶋の新人歴代最多記録に並んだ。桑原将志,佐野恵太,宮崎敏郎と3割打者が4名。タイラー・オースティンはリーグ5位の28本塁打。リーグ屈指の打撃陣と投手陣が噛み合わなかった。
チーム成績
【表2-1】チーム月別成績
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【表2-2】チームホーム/ビジター別成績
ホームでは2018年以来3年ぶりの勝ち越し。1987年以来34年ぶり球団ワーストタイ記録となる神宮球場開幕4連敗スタートになったが,4月7日広島戦(神宮)から25日中日戦(神宮)まで神宮球場8連勝と盛り返した。ビジターでの勝ち越しは2010年以来11年ぶり。マツダスタジアムで9勝2敗1分,横浜スタジアムで8勝2敗1分,いずれも勝率.800超えと大きく勝ち越した【表2-2】。
【表2-3】チーム曜日別成績
金曜日の勝率が最も高く,木曜,水曜,火曜,日曜も勝率.550を上回った。最多の連勝は金曜日と日曜日の6連勝。日曜日に関しては9月19日広島戦(神宮)から10月24日巨人戦(神宮)まで公式戦6連勝。11月21日日本シリーズオリックス戦(京セラ)にも勝利し7連勝となっている。なお月曜日は3試合で2敗1分と勝利が無かった。【表2-3】。
【表2-4】チーム年度別成績推移直近10年間 ※()はリーグ順位
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2017→2018年に続き勝率が2割以上も上昇した。昨シーズンと比べて試合数が23試合増えており単純な比較は出来ないが,失点は減少,防御率は1点以上改善。1試合平均得点に換算すると,昨年の3.90点から4.37点と0.47点増加。昨年から平均得点が増加したのはセ・リーグではヤクルトのみ。一方試合数が増加したにもかかわらず,盗塁数は減少。2018年まで30盗塁を記録していた山田も盗塁数は4に終わっている【表2-4】
【表3】チーム別対戦成績
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一昨年そして昨年と2年連続で全球団に負け越しており,対中日戦,対DeNA戦,対ソフトバンク戦,対埼玉西武戦がいずれも2018年以来3年ぶり,対日本ハム戦は2017年以来4年ぶりの勝ち越しとなった。対広島戦も2015年以来6年ぶりとなる勝ち越し。また広島より上の順位になったのも同じく6年ぶりとなる【表3】。
【表4】守備成績
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失策数が最も少なかったのは巨人。守備率.991と最も高かった。阪神は86失策で4年連続リーグワースト。守備率.984。確かに守備の課題を指摘されることが多いが,セイバーメトリクスの守備指標である「UZR」で見るとヤクルトが-16.3と阪神の-2.4と比較しても著しく低くなっているというコラムもあった【表4】。
【表5-1】交流戦順位表
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昨年は新型コロナウイルス感染拡大の影響で2005年の導入以降史上初の中止となり,2年ぶりに開催されたセ・パ交流戦だったが,こちらでも新型コロナの影響を大きく受けた。選手,スタッフら12人に陽性反応がでた広島は6月25日,26日の西武戦(マツダ)を延期。西武は源田壮亮の陽性判定を受け,27日広島戦(マツダ)をベンチ登録投手9名,野手10名(先発野手8名を除いた控えは2名のみ)という異例の陣容で試合に臨んだ。緊急事態宣言下にある自治体では無観客で試合が開催された。
オリックスが12勝5敗1分 勝率.706で11年ぶりに交流戦優勝。3戦3勝,防御率1.23の山本由伸が交流戦MVPに選ばれた。平良海馬(西武)が6月13日中日戦(メットライフ)で開幕から32試合連続無失点のプロ野球新記録を達成。ウラディミール・バレンティン(ソフトバンク)は13日ヤクルト戦(PayPayドーム)で全12球団本塁打,NPB通算300号,通算1000本安打を同時に達成するメモリアルアーチを放った。最終成績はセ・リーグの49勝48敗11分で,2009年以来12年ぶりにセ・リーグが勝ち越した【表5-1】。
【表5-2】交流戦通算成績表[2005-2021]
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過去8度の優勝を誇るソフトバンクが交流戦で9年ぶり3度目となる負け越し。勝率は.357とワーストを記録したが,通算成績では12球団唯一の勝率6割超えを誇る。ヤクルトと東北楽天の熾烈な9位争いが続いている【表5-2】。
DATA2021〜チームとしての成績
例年独自の視点から一年間最も印象的だった事項をDATAとして挙げているが,今年に関しては野球とは団体競技であるということを改めて認識させられたので,これを取り上げてみたい。
3割到達者無し,規定投球回数(試合数×1.0)到達者無し,10勝投手無し,月間MVP受賞者無しでの優勝。最多勝,本塁打王を擁しても最下位の年があったし,メジャーリーグでも大谷翔平の二刀流で話題になったが,所属するエンゼルスは4年連続となるア・リーグ西地区4位に低迷。大谷も「勝ちたい気持ちが強い。もっともっと,ヒリヒリする9月を過ごしたい。来年以降,そうなるように願っている」と語ったように,いくら個人成績に長けようとそれがチームの成績,順位に結びつくとは限らないからだ。
これまでに挙げた得点,失点,本塁打,盗塁,打率,防御率以外の項目で,チーム成績を打撃,投手別にいくつか列挙してみた。赤字がリーグトップ。
【表6-1】チーム打撃成績
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出塁率,OPS(出塁率+長打率),得点圏打席,得点圏安打,四球,死球,代打安打数,代打率でリーグトップ。OPSは,村上(.974),山田(.885),サンタナ(.877),塩見(.798),青木(.719),中村(.718)と6人が平均以上とされる.700以上。四球数は村上がリーグトップ(106),3位が山田(76)。代打安打数は川端(30),宮本(10),中村(6)。代打率川端(.366),宮本(.313)が光った。見劣りするといえば犠打成功率(.776)で,リーグ5位と課題を残した【表6-1】。
【表6-2】チーム投手成績
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QS(6回以上自責点3以下)の割合は43.3%でリーグ5位。それでチームホールド数,セーブ数はいずれもリーグトップ。これはズバリ中継ぎ陣の奮闘が大きかったことの賜物である。奪三振数,奪三振率(奪三振/打席数),援護点,援護率でもリーグトップ。被本塁打はリーグワーストながら,与四球はリーグ最少。
昨年までは本塁打を怖がるがあまり細かいコントロールで苦しんでいたイメージがあった。しかしそれが一転。浦添キャンプで臨時コーチを務めた古田敦也元監督から「捕手で勝つぞ。お前が勝たせたといえるようにがんばれ」と諭され,「この投手なら,この球しか使えない」「困ったら外角低め」という先入観や固定観念から解放されたバッテリーが投手陣を巧みに操ったとも言えるのだろうか【表6-2】。
おわりに〜2022年シーズンに向けて
ドラフトでは山下輝(投手・法政大),丸山和郁(外野手・明治大),柴田大地(投手・日本通運),小森航大郎(内野手・宇部工業高),竹山日向(投手・享栄高)の5選手を,育成ドラフトで岩田幸宏(外野手・信濃グランセローズ)を指名した。メジャー通算109試合で14勝のA.J.コール,同56試合で7勝のアンドリュー・スアレスと2名の外国人投手の獲得が発表された。
コーチングスタッフは福地寿樹外野守備走塁コーチが退団。松元ユウイチ打撃コーチが作戦コーチに昇格。伊藤智仁投手コーチ,石井弘寿投手コーチ,杉村繁打撃コーチ,森岡良介内野守備走塁コーチ,衣川篤史バッテリーコーチは留任。大松尚逸二軍打撃コーチ,佐藤真一二軍外野守備走塁コーチがそれぞれ打撃コーチ,外野守備走塁コーチに昇格。嶋は来季より選手兼任コーチ補佐となる。
ファームは池山隆寛二軍監督以下,尾花高夫二軍投手チーフコーチ,小野寺力二軍投手コーチ,松岡健一二軍投手コーチ,畠山和洋二軍打撃コーチ,福川将和二軍バッテリーコーチ,土橋勝征育成チーフコーチ,山本哲哉育成投手コーチと留任。緒方耕一二軍内野守備コーチは二軍外野守備走塁コーチに役職変更となる。北海道日本ハムから城石憲之二軍チーフ兼守備走塁コーチを招聘し,宮出隆自ヘッドコーチが二軍打撃コーチに配置転換となった。
スワローズの歴史を紐解くと,これまで優勝翌年の順位はBクラスが7回中5回。リーグ連覇は1992年1993年の1回きり。球団史上2年連続日本一の栄光はいまだかつてない。その意味で2022年こそまさにチームとしての「真価」が問われる一年となるのかもしれない。
日本一を決めた高津監督はお立ち台で「本当に応援してくれたファンの皆さん,そして選手諸君,球団スタッフの皆さんに心から感謝,感謝,感謝です」と語った。これは1993年に日本一を達成した際に野村克也監督がインタビューで語った言葉でもあった。
2年連続最下位からの日本一。96敗から4年後の日本一。
一ファンとして多くの感動,勇気,希望を与えてくださり,こちらこそ “感謝,感謝,感謝” の気持ちでいっぱいです。総括2021はこの言葉で締めくくりたいと思います。
ありがとう!2021東京ヤクルトスワローズ!!
参考文献
『サンケイスポーツ特別版ヤクルト優勝』2021年11月30日号,産業経済新聞社,2021.11
『東京ヤクルトスワローズ優勝記念号』週刊ベースボール12月2日号増刊,ベースボールマガジン社,2021.11
『スワローズ優勝!プロ野球2021シーズン総括BOOK』コスミック出版,2021.11
『SMBC日本シリーズ2021 公式プログラム』ベースボールマガジン社,2021.11
『Sports Graphic Number 1041 スワローズ日本一の飛翔。』第42巻第25号,文藝春秋社,2021.12
『東京ヤクルトスワローズ20年ぶり日本一』週刊ベースボール1月13日号増刊第77巻・第2号 通算3750号,ベースボールマガジン社,2021.12
『スワローズ優勝!プロ野球SMBC日本シリーズ2021総括BOOK』コスミック出版,2021.12
参考資料
「ニッカンスコア速報」
https://www.nikkansports.com/baseball/professional/schedule/s03.html
https://www.nikkansports.com/baseball/professional/schedule/s04.html
https://www.nikkansports.com/baseball/professional/schedule/s05.html
https://www.nikkansports.com/baseball/professional/schedule/s06.html
https://www.nikkansports.com/baseball/professional/schedule/s07.html
https://www.nikkansports.com/baseball/professional/schedule/s08.html
https://www.nikkansports.com/baseball/professional/schedule/s09.html
https://www.nikkansports.com/baseball/professional/schedule/s10.html
https://www.nikkansports.com/baseball/professional/schedule/s11.html
データで楽しむプロ野球http://baseballdata.jp
nf3 - Baseball Data House -http://nf3.sakura.ne.jp/index.html
昨年『総括2020』をこのように締めくくった―
2年連続最下位。直近8シーズンで最下位5回。なかなか低迷を脱するのは難しいという見立てが多いだろうが,こと来季に関してはデータの裏付けがある。
2001年赤星憲広(阪神),2013年小川(ヤクルト),2015年山崎康晃(DeNA)。今世紀に入り最下位から新人王を輩出すると2年後にそのチームは日本シリーズに出場しているジンクス。2019年の新人王はそう村上。
同じく今世紀に入り2003年(3位),2006年(3位),2009年(3位),2012年(3位),2015年(優勝),2018年(2位)と西暦下二桁が3の倍数の年は必ずAクラス入りしているジンクス。来年は2021年。
さらには2000年代は2001年(勝率.567),2010年代は2011年(勝率.543)と,10年で最も勝率が高いのが末尾が1の年。2020年代の末尾が1の年は来年。
2021年。ジンクスを信じてみようではないか!
ジンクスは裏切らなかった!―けれどもそこまでに至る道のりは決して平坦なものではなかった。
シーズン回顧
就任二年目を迎えた高津臣吾監督は今季を「真価」の問われる年と位置付け,一年目に蒔いた種を収穫すべく,真の価値(勝ち)にこだわると『進化・真価・心火』をチームスローガンに掲げた。
新型コロナウイルス感染拡大の影響は続いた。政府に加えて宮崎・沖縄両県による独自の緊急事態宣言が発令されており,プロ野球12球団は春季キャンプを無観客で行うこと,関係者全員の定期的なPCR検査など感染防止策を徹底することが義務付けられた。沖縄県内で予定されていたオープン戦も練習試合に切り替えられた。さらには営業時間短縮要請に対応するため,レギュラーシーズンは延長戦を行わず9回で打ち切りとし,午後9時までに試合を終わらせるために試合開始時間を早める方針も決定された。
2月24日。前ソフトバンクでNPB通算43勝のリック・バンデンハークの獲得を発表。3月1日には廣岡大志と田口麗斗の交換トレードが成立。巨人との交換トレードは1977年以来実に34年ぶり。なりふり構わぬ姿勢で投手力強化を図った。
しかしオープン戦も3勝9敗1分 勝率.250の最下位に沈んだ。評論家の予想も最下位が圧倒的大多数。不安要素しかないまま3月26日の開幕を迎える。
開幕カードは本拠地神宮に阪神を迎えての3連戦。開幕投手は小川泰弘,2戦目は移籍の田口,3戦目にはプロ2試合目の登板となる高卒2年目奥川恭伸を抜擢したが,3連戦トータルで1イニングもリードを奪えず圧倒的な戦力差を見せつけられ,2016年以来5年ぶり神宮では1998年以来23年ぶりの開幕3連敗。この試合で坂口智隆が自打球を受け骨折離脱。27日にドラフト4位元山飛優がプロ初安打と初本塁打を放ったことくらいしか明るい話題がなく,率直に「前回の開幕3連敗は曲がりなりにも前年チャンピオン。心の余裕はあった。だが今回の開幕3連敗はなんだかもう・・絶望感しかない」今季の低迷を覚悟した。
2カード目は敵地でともに開幕カードで白星を挙げられなかったDeNAとの3連戦。30日の初戦は終盤までリードを許す苦しい展開だったが,代打・川端慎吾の適時打で逆転勝利。長谷川宙輝が今季チーム初の勝利投手となった。しかしその翌31日にチームに衝撃が走った。西田明央が新型コロナウイルスの陽性判定。前日先発登板のロベルト・スアレス,翌日先発予定の山野太一,さらに山田哲人,内川聖一,西浦直亨,青木宣親が濃厚接触者と認定され登録抹消。開幕5戦目にして早くも開幕スタメンに名を連ねた5名を欠くことになり,ファームから急遽嶋基宏,長岡秀樹,武岡龍世,松本友を呼び寄せる非常事態に陥った。
「これが意外にチームの停滞感を払拭する或いは何かを変えるキッカケになるのかも!?」3月の見聞ログをこう綴って締めた。
3戦目となる4月1日。山田と西浦が特例措置で一軍復帰。同じく濃厚接触者判定を逃れたドラフト2位・山野がプロ初登板初先発するも,2回途中7失点でKO。それでも打線が奮起。最大5点のビハインドを追いつき引き分けに持ち込み,この3連戦を2勝1分で終えた。危機感を覚えたチームにはいつしか粘り強さが生まれていた。
山崎晃大朗をトップバッターに据え,苦肉の策で2番に中村悠平を置き,山田・村上宗隆でかえすことを軸とし,5番以下は塩見泰隆,荒木貴裕,太田賢吾,中山翔太,奥村展征,松本友らを柔軟に起用することで窮地を凌いだ。2日からの巨人戦(東京ドーム)を1勝1敗1分で乗り切ると,6日からの広島戦(神宮)中日戦(バンテリンドーム)DeNA戦(神宮)を5勝2敗1分とし開幕での借金を完済。
8日広島戦(神宮)で奥川が,14日DeNA戦(神宮)で金久保優斗がそれぞれプロ初勝利。4日ドラフト5位並木秀尊,8日同3位内山壮真がプロ初出場と新戦力も台頭した。
16日阪神戦(甲子園)から青木と内川が復帰。時を同じくするかのように新型コロナ禍で来日が遅れていたホセ・オスナ,ドミンゴ・サンタナ, サイスニード,バンデンハークが隔離期間を経てチームに合流。23日中日戦(神宮)からオスナ,サンタナ両外国人野手がスタメンに名を連ねると,25日中日戦(神宮)にはアベック本塁打をマーク。打線は一気に強力なものとなった。
その間を支えた中継ぎ陣の奮投も欠かせない。特に楽天を戦力外となり育成契約を経て支配下登録された近藤弘樹は3月・4月実に15試合に登板し防御率0.00と大車輪の活躍。今野龍太,清水昇,スコット・マクガフから抑えの石山泰稚へという方程式が確立されてきた。24日中日戦(神宮)には坂本光士郎がプロ初勝利を挙げ,28日巨人戦(神宮)では2年目の杉山晃基がプロ初登板を果たした。
5月は3連敗からのスタートとなるなど一進一退の日々が続いた。2日DeNA戦(横浜)で清水が,4日阪神戦(神宮)で近藤がそれぞれ同点の場面から決勝の被弾を浴び,9日巨人戦(東京ドーム)では石山が最終回にサヨナラ被弾を許すなど投手陣に疲労が見え始めた。ここで高津監督は石山とマクガフの配置転換を決断。先発陣では高梨裕稔,小川の一軍登録を抹消し,再調整を命じた。8日巨人戦(東京ドーム)でサイスニードが来日初登板初先発,21日DeNA戦(神宮)にはバンデンハークが移籍初登板初先発。
25日からは2年ぶりにセ・パ交流戦が始まった。26日北海道日本ハム戦(神宮)で青木がイチロー・松井稼頭央・松井秀喜に続く史上4人目となる日米通算2500本安打の大記録を達成。しかしこの試合で近藤が投球中に負傷離脱してしまう。
そんな近藤の穴を埋めたのが,梅野雄吾と 大西広樹だった。6月1日東北楽天戦(神宮)。5回表0死満塁の場面で登板した梅野が圧巻の火消しをみせると,6回から登板の大西が2回無失点の好投。7回裏味方の逆転劇でプロ初勝利を手にする。
交流戦期間中には開幕一軍を逃した2人の左腕もローテーションに加わった。4日埼玉西武戦(神宮)で石川雅規が5回コールドで今季初勝利。史上7人目,セ・リーグ史上2人目,左腕史上4人目,大卒では史上初となる20年連続勝利を達成。41歳4カ月での勝利は1992年8月16日新浦寿夫を抜いて球団最年長勝利にもなった。石川は11日ソフトバンク戦(PayPayドーム)でも勝利を挙げ,杉内俊哉・和田毅のもつ交流戦歴代最多タイの26勝に並んだ。13日ソフトバンク戦(PayPayドーム)では高橋奎二が初登板で7回途中2失点の好投で初勝利。チームは敵地で対ソフトバンク戦同一カード3連勝を飾り,10勝8敗の5位で交流戦全日程を終えた。
福岡での同一カード3連戦3連勝は1993年,1995年,1997年,2001年に続き通算5度目。「感の鋭い方オールドファンの方はお気づきでしょうが,そうなんです!福岡で3連勝した年はすべてチームは日本一に輝いているのです!!!!!」というデータも早速見聞ログで取り上げた。とはいえセ・リーグでは阪神,DeNA,中日も勝ち越しており,リーグ内の順位は大きく詰めることは出来ず,この時点で首位・阪神とは7.0差をつけられていた。
18日からリーグ戦が再開。20日中日戦(神宮)では中日先発勝野昌慶の前に7回2死まで無安打無得点に抑えられていたが,代打宮本丈のセンター前ヒットでノーヒットノーランを阻止すると,続く代打川端が2ラン本塁打。先発全員無安打ながら勝利を収めた。
7月前半2週間の戦いは濃いものだった。1日阪神戦(甲子園)では今季無敗の阪神の絶対的守護神アルバート・スアレスから代打宮本が勝ち越しタイムリーを放ち,この日がプロ通算100試合目の登板だった清水にプロ初勝利がついた。3日中日戦(バンテリンドーム)では古賀優大が1試合4安打。7日広島戦(神宮)には渡邉大樹が決勝打を放ち自身初のお立ち台に。6日阪神戦(神宮)で史上53人目の通算2000試合出場を達成した内川が9日広島戦(神宮)でサヨナラタイムリー。吉田大喜が勝利投手に。13日14日の巨人戦(東京ドーム)では2試合で25得点と打線が大爆発。13日には吉田大成にプロ初本塁打が生まれるなど,普段スタメンに名を連ねない選手が連日のようにヒーローとなった。
前半戦を42勝32敗9分 勝率.568。首位・阪神とは2.5ゲーム差の3位で東京五輪による中断期間に突入する。
後半戦開幕は8月15日DeNA戦(新潟)。前日14日が雨天中止となりスライドで後半の開幕投手を託されたのは奥川だった。この試合で開幕3戦目以来の一軍復帰となった坂口が史上197人目の通算1500試合出場。チームは後半戦白星スタートを切る。以後本拠地神宮球場が使えない状況で,新潟から巨人戦(松山)→広島戦(マツダ)→中日戦(静岡)→DeNA戦(東京ドーム)→巨人戦(岐阜)→巨人戦(京セラドーム)→広島戦(東京ドーム)と各地を転々。この体力的にも精神的にもしんどい期間を6勝7敗2分。
9月7日からの阪神戦(甲子園)が神宮に戻るまでの最後の遠征となっていた。この試合の前に,高津監督が選手に呼びかけた。
「絶対大丈夫だから。この大丈夫という根拠は,君たちが自分のことをしっかり理解し,周りのチームメート,チームスワローズをしっかり理解したら,絶対崩れることはない。絶対大丈夫。しっかり自信を持って戦える。何かあったら僕が出ていく。何かあったら僕に相談しなさい。何かあったらコーチに相談しなさい。自分で抱え込まない。これが『チームスワローズ』。これで今年ずっと戦ってきた」
「去年の悔しい思いをどうやって今年晴らすかっていうことをずっとやってきたのが,今年の『チームスワローズ』。みんな自信を持って頑張れる。絶対大丈夫,絶対いけるから。絶対大丈夫。もし、今日グラウンドに立つときにふと思い出したら,『絶対大丈夫』と一言言って打席に,マウンドに立ってください。絶対大丈夫だと。どんなことがあっても僕らは崩れない」
甲子園での3連戦を2勝1敗と勝ち越し,11日DeNA戦でおよそ2ヶ月ぶりに神宮に戻った。12日からはバンテリンドームへ移動。そして13日中日戦(バンテリン)である事件が起こる。
0-1と1点ビハインドで最終回9回表。マウンドには中日の守護神ライデル・マルティネス。1死一二塁で代打川端はセカンドゴロ。捕球した二塁手は一走西浦を挟殺プレーに。この一連のプレーの間に打者走者川端は一塁を駆け抜たため,相手遊撃手は二塁を踏んで封殺。しかしこれを二塁塁審嶋田がノージャッジ。このため挟殺プレーが続行となり,三塁まで進んでいた二走古賀が本塁へ突入し憤死した。挟殺プレーであればすでに2死となっており,一走西浦が挟まれる間に二走古賀が本塁を踏めば同点となるのでセオリー通りの走塁となる。ここで中日与田剛監督がリクエストを要求。遊撃手が二塁を踏んでいるとの判定でゲームセットが宣告された。この判定に対し高津監督が猛抗議するも,判定は覆ることなく試合終了。チームは1点差のまま敗れた。
この試合を終えて自分自身このように綴った。「いずれにしてもこの試合は分岐点になる。3.5差3位転落で阪神巨人との連戦×2。この4試合で決まると言っても決して過言ではない。脱落する可能性もある。けれどこの1敗がチームの結束を強くする可能性だってある。ファンとして後者となることを信じるしかない。いやきっとそうなる!何かを変えた。そんな一戦。」
明らかに変わった。いや高津監督が変えた。翌14日阪神戦(神宮)から球団新記録となる13試合連続負けなし。15日阪神戦(神宮)から28日DeNA戦(神宮)まで引き分けを挟んで9連勝。9連勝は2011年以来10年ぶり。24日中日戦(神宮)から4試合連続無失点。こちらも球団史上初めてとなる偉業。
17日巨人戦(東京ドーム)で塩見が史上71人目(76度目),セ・リーグ史上38人目(41度目),球団史上7人目のサイクルヒットを達成。19日広島戦(神宮)では村上が史上303人目,21歳7カ月での到達は史上最年少となる通算100号本塁打。17日巨人戦(東京ドーム)=塩見,21日DeNA戦(横浜)=村上,26日中日戦(神宮)=山田,28日DeNA戦(神宮)=青木とひと月に4本の満塁本塁打も球団史上初。まさに記録づくしの月となった。
22日DeNA戦(横浜)の勝利でチームは113試合目にして首位に躍り出る。23日DeNA戦(横浜)で星知弥がプロ初セーブ。
10月1日広島戦(マツダ)今野が史上45人目の一球勝利。3日広島戦(マツダ)では石川が,史上103人目,史上3位タイの年長記録で通算500試合登板を達成。先発から配置転換されたスアレスが来日初セーブで締めくくり,5日からの3位・巨人そして8日からの2位・阪神を迎えての勝負の神宮6連戦を迎えた。
巨人との3連戦は“全力疾走”で掴んだ先制点が生んだ3連勝だった。5日村上の一塁へ執念のヘッドスライディング。6日は一走オスナが長躯ホームイン。これでチームは3年ぶりのクライマックスシリーズ進出を確定させた。そして7日は9回1死まで無安打無得点に抑えられていたが,塩見がチーム初安打を放ち二盗に成功。引き分け寸前の2死二塁から山田のショートゴロが内野安打に。塩見は一気に三塁を回って本塁を狙うと送球を焦った一塁手がお手玉しサヨナラ勝利。
8日は奥川が7回途中1失点の好投。スアレスと同じく先発からリリーフに配置転換された田口が2死満塁のピンチを三振で斬る好救援で優勝へのマジックナンバー「11」を点灯させる。9日は敗れたものの,10日は8人の投手をつぎ込む継投で白星をつかみ,勝負の6連戦を5勝1敗で乗り切った。
13日中日戦(バンテリン)では川端が1969年三沢今朝治(東映)を抜いて歴代単独2位となる代打で27安打目を放つ。15日巨人戦(神宮)では大下佑馬に自身3年ぶりの白星がついた。清水はこの試合で2010年浅尾拓也(中日)に並ぶNPBタイ記録となる47ホールドをマークすると,17日DeNA戦(横浜)でNPB新記録となる48ホールド目。チームもマジックを「4」まで減らした。
ところがここにきて阪神が神宮での直接対決3連戦を終えた12日から6勝1敗3分と猛追体勢に。23日巨人戦(東京ドーム)に敗れ引き分けを挟んで3連敗を喫すると,マジックは「3」のままゲーム差0.0となり,阪神にマジックが点灯せず逆転優勝の可能性も出てきた。
追い詰められたチームを救ったのは原樹理だった。7月10日広島戦(神宮)で今季初登板も危険球退場。2度目の登板となった8月29日DeNA戦(東京ドーム)で自身396日ぶりの勝利投手。度重なる故障で背信だった背番号16が投打で躍動。マジックを「2」とし迎えた26日DeNA戦(横浜)。
初回に1点を先制されたが,2回に追いつき,3回表一死満塁から,サンタナ,中村の連続タイムリー二塁打で勝ち越し。このリードを高梨−石山−田口とつないで,6回からは高橋を今季初のリリーフで投入。8回清水−9回マクガフで締めくくって勝利。マジックを「1」とする。
同時刻甲子園では阪神−中日の最終戦が進行中。最後は大山悠輔がショートゴロに倒れゲームセット。この瞬間スワローズの6年ぶり8度目のリーグ優勝が決まった。
まさに「心に火」が灯るようなポストシーズンは全9試合。
ファーストステージでシーズン3位の巨人が11.0差をつけられていた2位阪神に敵地甲子園で連勝。神宮球場で開催されるクライマックスシリーズは2011年,2015年,2018年に次いで通算4回目となるが,またしても対戦カードは巨人となった。
11月10日第1戦。1回裏1死一三塁から村上の打ち上げた飛球を,ショート坂本勇人が捕球。その体勢を見て三塁走者塩見がタッチアップを図り先制。続くサンタナが初球をレフトスタンドに叩き込む。投げては初戦を託された奥川が9回98球で自身プロ初完投初完封を成し遂げる。
11日第2戦はファーストステージ初戦で先発した菅野智之が中4日で登板してきたが,6回裏に2死満塁から代打川端が押し出し四球を選び,続く塩見が走者一掃の三塁打で菅野をKO。投げては高橋からスアレス−清水―マクガフと無失点リレーでアドバンテージを含め3勝0敗と王手をかけた。
12日第3戦。シリーズ初めて巨人にリードを許したものの,7回裏2死満塁から青木のタイムリーで逆転に成功。8回表に同点に追いつかれたが,大会規定により同点で9回表を終えたところで,引き分け以上が確定したためゲームセット。3勝0敗1分で6年ぶり8度目の日本シリーズ進出を決めた。最優秀選手には打率.400と結果を残した塩見ではなく,奥川が選ばれた。
日本シリーズの相手はオリックス・バファローズ。前年最下位球団同士の日本シリーズは史上初めて。オリックスとは1995年以来26年ぶり,バファローズとは2001年以来20年ぶり。さらに明治神宮大会開催により神宮球場を使用出来ず,1978年以来43年ぶりに巨人の本拠地でヤクルトの主催試合が行われたシリーズは全6戦が2点差以内。うち5試合が1点差とまさに歴史的な日本シリーズとなった。
11月20日第1戦(京セラドーム)。3-1ヤクルトリードで迎えた9回裏。安打と四球,犠打野選で0死満塁とされ,宗佑磨に同点タイムリー。なお0死一二塁から吉田正尚にセンターオーバーの二塁打を浴びサヨナラ負けを喫する。
宮城大弥と高橋の息詰まる投手戦となった21日第2戦(京セラドーム)。0-0で迎えた8回表2死一二塁から青木のタイムリーで均衡を破ると,9回表にも相手の失策が絡んで追加点。高橋が被安打5,三塁を踏ませぬ投球で,こちらも自身初完投初完封をこの大舞台でやってのけた。
移動日を挟んで23日第3戦(東京ドーム)。オリックスに先制を許したが5回裏中村のタイムリーなどで勝ち越し。再度逆転を許したが7回裏吉田凌からサンタナが逆転の2ラン本塁打を放ち対戦成績を2勝1敗とした。
24日第4戦(東京ドーム)。サンタナの本塁打で先制。追いつかれた直後6回裏2死一二塁からオスナのタイムリーで勝ち越し。このリードを投手陣が守り切り3勝1敗と王手をかけた。石川は日本シリーズセ・リーグ最年長勝利投手となった。
高津監督誕生日の25日第5戦(東京ドーム)。3点ビハインドの8回裏山田が起死回生の3ランを放ち同点に追いついたが,9回表に代打ジョーンズが勝ち越しソロ。3勝2敗で,舞台は神戸に。
11月27日第6戦(神戸)。5回表にヤクルトが塩見のレフト前適時打で先制したが,オリックスもその裏福田周平のレフト前タイムリーですぐさま同点に追いつき,その後は互いに譲らず延長戦へ。最終回の延長12回表2死二塁から代打川端のレフト前タイムリーで勝ち越し。これが決勝打となり20年ぶり6度目の日本一を決めた。最優秀選手は全6試合でマスクを被り投手陣を好リード。6番打者としてもチームトップの打率.318をマークした中村が受賞した。
松本直樹,宮台康平,ドラフト1位木澤尚文は一軍登録期間があったが,試合出場は無かった。寺島成輝は開幕一軍を果たしたが3月27日阪神戦(神宮)の1試合のみの登板に終わった。オープン戦で4本塁打11打点とアピールした濱田太貴は上半身のコンディション不良で離脱しそのまま一軍出場無し。プロ3年目の市川悠太,鈴木裕太,久保拓真とドラフト6位嘉手苅浩太は一軍登板が無かった。
11月1日広島戦(神宮)をもってヤクルト一筋19年間の高井雄平が現役引退。歳内宏明,中尾輝,蔵本治孝,大村孟が戦力外を通告された。支配下登録期限最終日の8月31日に契約を締結したケリン・ホセは2週間の隔離期間中にコロナウイルスの陽性判定を受け一度の登板もなく自由契約。バンデンハークは9月22日にウェーバー公示され,スアレスは韓国・三星に移籍することになった。
内山太嗣,下慎之介,赤羽由紘,松井聖,丸山翔大,小澤怜史とは引き続き育成契約を結ぶ。
村上は40本塁打にはあと1本届かなかったものの自身初の本塁打王に。清水は2年連続2回目の最優秀中継ぎ投手。リーグ新記録となる50ホールドをマークしたことにリーグ特別賞も与えられた。ベストナインには中村が6年ぶり2度目,山田は2年ぶり6度目,昨年一塁手で受賞している村上は三塁手として初,さらに自身初となる塩見の4名が選出された。奥川に新人特別賞。高津監督に最優秀監督賞と正力松太郎賞。最優秀選手(MVP)には村上が選ばれた。
イースタン・リーグ首位打者に太田,イースタン最高出塁率に奥村。イースタン優秀選手賞には内山壮が選ばれた。
【表1】セ・リーグ順位表
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開幕からスタートダッシュを決めたのは阪神だった。3,4月の月間成績は20勝9敗。来日を見通せない他球団を尻目にジェリー・サンズ,ジェフリー・マルテの両外国人野手が開幕から機能。矢野燿大監督自ら引き当てた黄金ルーキー佐藤輝明は4月9日横浜戦(横浜)で場外弾,5月28日西部戦(メットライフ)で1試合3本塁打など豪快なフルスイングでファンを魅了。交流戦を終えて2位に7.0差をつける独走態勢を築いていた。しかし夏場を前に徐々に失速していく。それでも最多勝,勝率1位青柳晃洋,最多セーブ投手ロベルト・スアレス擁する強固な投手陣が打線をカバー。ルーキー中野拓夢はショートのレギュラーに定着し,30盗塁で盗塁王に。
リーグ3連覇を目指した巨人は,新外国人が全く機能せずシーズン終了を待たずに全員が帰国と苦しい戦いを強いられていた。しかしそこは試合巧者。8月29日には最大8.0ゲーム差つけられていた阪神を抜いて首位に立つ。ところが10月に入って10連敗という大失速。借金1の3位に終わった。原辰徳監督が導入した菅野智之,戸郷翔征,高橋優貴,山口俊,C・Cメルセデスの5人で6試合を回すローテーションは完全に裏目となった。また8月下旬に日本ハムから中田翔を獲得したことも物議を醸した。岡本和真は39本塁打,113打点で2年連続二冠王となった。
就任2年目を迎えた佐々岡真司監督率いる広島は,ルーキー栗林良吏が開幕から22試合連続無失点の日本記録を樹立。さらには東京五輪では2勝3セーブを挙げて金メダルに大きく貢献。歴代新人タイ記録の37セーブ。防御率0.86と驚異的な成績を収め新人王に選ばれた。九里亜蓮が最多勝。小園海斗,林晃汰,坂倉将吾といった若手も台頭した。首位打者のタイトルを獲得した鈴木誠也はポスティングシステムを利用しメジャーリーグへ移籍することになった。
中日は柳裕也が最優秀防御率,最多奪三振の二冠に輝き絶対的エースとして君臨。その一方で長年の課題であるダヤン・ビシエド頼みの打線は改善されなかった。与田剛監督は退任となり,立浪和義新監督を迎え恐竜打線復活を目指す。
三浦大輔監督が就任した横浜DeNA。開幕から2分挟んで6連敗。さらに4月に10連敗とスタートダッシュに失敗。ドラフト2位ルーキー牧秀悟が球史に名を残す活躍。8月25日阪神戦(京セラドーム)で新人史上初となるサイクル安打を達成。35二塁打で1958年長嶋茂雄のもつ新人シーズン最多二塁打のリーグ記録を更新。猛打賞も14度で同じく長嶋の新人歴代最多記録に並んだ。桑原将志,佐野恵太,宮崎敏郎と3割打者が4名。タイラー・オースティンはリーグ5位の28本塁打。リーグ屈指の打撃陣と投手陣が噛み合わなかった。
チーム成績
【表2-1】チーム月別成績
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【表2-2】チームホーム/ビジター別成績
試合 | 勝数 | 敗数 | 引分 | 勝率 | 得点 | 失点 | 本塁 | 盗塁 | 打率 | 防御率 | |
H | 72 | 36 | 29 | 7 | .554 | 299 | 276 | 75 | 28 | .248 | 3.58 |
V | 71 | 37 | 23 | 11 | .617 | 326 | 255 | 67 | 42 | .260 | 3.37 |
計 | 143 | 73 | 52 | 18 | .584 | 625 | 531 | 142 | 70 | .254 | 3.48 |
ホームでは2018年以来3年ぶりの勝ち越し。1987年以来34年ぶり球団ワーストタイ記録となる神宮球場開幕4連敗スタートになったが,4月7日広島戦(神宮)から25日中日戦(神宮)まで神宮球場8連勝と盛り返した。ビジターでの勝ち越しは2010年以来11年ぶり。マツダスタジアムで9勝2敗1分,横浜スタジアムで8勝2敗1分,いずれも勝率.800超えと大きく勝ち越した【表2-2】。
【表2-3】チーム曜日別成績
試合 | 勝数 | 敗数 | 引分 | 勝率 | 得点 | 失点 | 本塁 | 盗塁 | 打率 | 防御率 | |
月曜日 | 3 | 0 | 2 | 1 | .000 | 9 | 12 | 1 | 2 | .245 | 4.15 |
火曜日 | 25 | 14 | 10 | 1 | .583 | 137 | 105 | 33 | 11 | .273 | 4.09 |
水曜日 | 25 | 12 | 7 | 6 | .632 | 81 | 70 | 14 | 15 | .236 | 2.64 |
木曜日 | 17 | 9 | 5 | 3 | .643 | 88 | 65 | 20 | 9 | .250 | 3.26 |
金曜日 | 24 | 16 | 8 | 0 | .667 | 96 | 73 | 26 | 12 | .258 | 2.81 |
土曜日 | 24 | 9 | 10 | 5 | .474 | 87 | 101 | 21 | 6 | .250 | 3.91 |
日曜日 | 25 | 13 | 10 | 2 | .565 | 127 | 105 | 27 | 15 | .257 | 4.00 |
計 | 143 | 73 | 52 | 18 | .584 | 625 | 531 | 142 | 70 | .254 | 3.48 |
金曜日の勝率が最も高く,木曜,水曜,火曜,日曜も勝率.550を上回った。最多の連勝は金曜日と日曜日の6連勝。日曜日に関しては9月19日広島戦(神宮)から10月24日巨人戦(神宮)まで公式戦6連勝。11月21日日本シリーズオリックス戦(京セラ)にも勝利し7連勝となっている。なお月曜日は3試合で2敗1分と勝利が無かった。【表2-3】。
【表2-4】チーム年度別成績推移直近10年間 ※()はリーグ順位
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2017→2018年に続き勝率が2割以上も上昇した。昨シーズンと比べて試合数が23試合増えており単純な比較は出来ないが,失点は減少,防御率は1点以上改善。1試合平均得点に換算すると,昨年の3.90点から4.37点と0.47点増加。昨年から平均得点が増加したのはセ・リーグではヤクルトのみ。一方試合数が増加したにもかかわらず,盗塁数は減少。2018年まで30盗塁を記録していた山田も盗塁数は4に終わっている【表2-4】
【表3】チーム別対戦成績
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一昨年そして昨年と2年連続で全球団に負け越しており,対中日戦,対DeNA戦,対ソフトバンク戦,対埼玉西武戦がいずれも2018年以来3年ぶり,対日本ハム戦は2017年以来4年ぶりの勝ち越しとなった。対広島戦も2015年以来6年ぶりとなる勝ち越し。また広島より上の順位になったのも同じく6年ぶりとなる【表3】。
【表4】守備成績
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失策数が最も少なかったのは巨人。守備率.991と最も高かった。阪神は86失策で4年連続リーグワースト。守備率.984。確かに守備の課題を指摘されることが多いが,セイバーメトリクスの守備指標である「UZR」で見るとヤクルトが-16.3と阪神の-2.4と比較しても著しく低くなっているというコラムもあった【表4】。
【表5-1】交流戦順位表
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昨年は新型コロナウイルス感染拡大の影響で2005年の導入以降史上初の中止となり,2年ぶりに開催されたセ・パ交流戦だったが,こちらでも新型コロナの影響を大きく受けた。選手,スタッフら12人に陽性反応がでた広島は6月25日,26日の西武戦(マツダ)を延期。西武は源田壮亮の陽性判定を受け,27日広島戦(マツダ)をベンチ登録投手9名,野手10名(先発野手8名を除いた控えは2名のみ)という異例の陣容で試合に臨んだ。緊急事態宣言下にある自治体では無観客で試合が開催された。
オリックスが12勝5敗1分 勝率.706で11年ぶりに交流戦優勝。3戦3勝,防御率1.23の山本由伸が交流戦MVPに選ばれた。平良海馬(西武)が6月13日中日戦(メットライフ)で開幕から32試合連続無失点のプロ野球新記録を達成。ウラディミール・バレンティン(ソフトバンク)は13日ヤクルト戦(PayPayドーム)で全12球団本塁打,NPB通算300号,通算1000本安打を同時に達成するメモリアルアーチを放った。最終成績はセ・リーグの49勝48敗11分で,2009年以来12年ぶりにセ・リーグが勝ち越した【表5-1】。
【表5-2】交流戦通算成績表[2005-2021]
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過去8度の優勝を誇るソフトバンクが交流戦で9年ぶり3度目となる負け越し。勝率は.357とワーストを記録したが,通算成績では12球団唯一の勝率6割超えを誇る。ヤクルトと東北楽天の熾烈な9位争いが続いている【表5-2】。
DATA2021〜チームとしての成績
例年独自の視点から一年間最も印象的だった事項をDATAとして挙げているが,今年に関しては野球とは団体競技であるということを改めて認識させられたので,これを取り上げてみたい。
3割到達者無し,規定投球回数(試合数×1.0)到達者無し,10勝投手無し,月間MVP受賞者無しでの優勝。最多勝,本塁打王を擁しても最下位の年があったし,メジャーリーグでも大谷翔平の二刀流で話題になったが,所属するエンゼルスは4年連続となるア・リーグ西地区4位に低迷。大谷も「勝ちたい気持ちが強い。もっともっと,ヒリヒリする9月を過ごしたい。来年以降,そうなるように願っている」と語ったように,いくら個人成績に長けようとそれがチームの成績,順位に結びつくとは限らないからだ。
これまでに挙げた得点,失点,本塁打,盗塁,打率,防御率以外の項目で,チーム成績を打撃,投手別にいくつか列挙してみた。赤字がリーグトップ。
【表6-1】チーム打撃成績
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出塁率,OPS(出塁率+長打率),得点圏打席,得点圏安打,四球,死球,代打安打数,代打率でリーグトップ。OPSは,村上(.974),山田(.885),サンタナ(.877),塩見(.798),青木(.719),中村(.718)と6人が平均以上とされる.700以上。四球数は村上がリーグトップ(106),3位が山田(76)。代打安打数は川端(30),宮本(10),中村(6)。代打率川端(.366),宮本(.313)が光った。見劣りするといえば犠打成功率(.776)で,リーグ5位と課題を残した【表6-1】。
【表6-2】チーム投手成績
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QS(6回以上自責点3以下)の割合は43.3%でリーグ5位。それでチームホールド数,セーブ数はいずれもリーグトップ。これはズバリ中継ぎ陣の奮闘が大きかったことの賜物である。奪三振数,奪三振率(奪三振/打席数),援護点,援護率でもリーグトップ。被本塁打はリーグワーストながら,与四球はリーグ最少。
昨年までは本塁打を怖がるがあまり細かいコントロールで苦しんでいたイメージがあった。しかしそれが一転。浦添キャンプで臨時コーチを務めた古田敦也元監督から「捕手で勝つぞ。お前が勝たせたといえるようにがんばれ」と諭され,「この投手なら,この球しか使えない」「困ったら外角低め」という先入観や固定観念から解放されたバッテリーが投手陣を巧みに操ったとも言えるのだろうか【表6-2】。
おわりに〜2022年シーズンに向けて
ドラフトでは山下輝(投手・法政大),丸山和郁(外野手・明治大),柴田大地(投手・日本通運),小森航大郎(内野手・宇部工業高),竹山日向(投手・享栄高)の5選手を,育成ドラフトで岩田幸宏(外野手・信濃グランセローズ)を指名した。メジャー通算109試合で14勝のA.J.コール,同56試合で7勝のアンドリュー・スアレスと2名の外国人投手の獲得が発表された。
コーチングスタッフは福地寿樹外野守備走塁コーチが退団。松元ユウイチ打撃コーチが作戦コーチに昇格。伊藤智仁投手コーチ,石井弘寿投手コーチ,杉村繁打撃コーチ,森岡良介内野守備走塁コーチ,衣川篤史バッテリーコーチは留任。大松尚逸二軍打撃コーチ,佐藤真一二軍外野守備走塁コーチがそれぞれ打撃コーチ,外野守備走塁コーチに昇格。嶋は来季より選手兼任コーチ補佐となる。
ファームは池山隆寛二軍監督以下,尾花高夫二軍投手チーフコーチ,小野寺力二軍投手コーチ,松岡健一二軍投手コーチ,畠山和洋二軍打撃コーチ,福川将和二軍バッテリーコーチ,土橋勝征育成チーフコーチ,山本哲哉育成投手コーチと留任。緒方耕一二軍内野守備コーチは二軍外野守備走塁コーチに役職変更となる。北海道日本ハムから城石憲之二軍チーフ兼守備走塁コーチを招聘し,宮出隆自ヘッドコーチが二軍打撃コーチに配置転換となった。
スワローズの歴史を紐解くと,これまで優勝翌年の順位はBクラスが7回中5回。リーグ連覇は1992年1993年の1回きり。球団史上2年連続日本一の栄光はいまだかつてない。その意味で2022年こそまさにチームとしての「真価」が問われる一年となるのかもしれない。
日本一を決めた高津監督はお立ち台で「本当に応援してくれたファンの皆さん,そして選手諸君,球団スタッフの皆さんに心から感謝,感謝,感謝です」と語った。これは1993年に日本一を達成した際に野村克也監督がインタビューで語った言葉でもあった。
2年連続最下位からの日本一。96敗から4年後の日本一。
一ファンとして多くの感動,勇気,希望を与えてくださり,こちらこそ “感謝,感謝,感謝” の気持ちでいっぱいです。総括2021はこの言葉で締めくくりたいと思います。
ありがとう!2021東京ヤクルトスワローズ!!
参考文献
『サンケイスポーツ特別版ヤクルト優勝』2021年11月30日号,産業経済新聞社,2021.11
『東京ヤクルトスワローズ優勝記念号』週刊ベースボール12月2日号増刊,ベースボールマガジン社,2021.11
『スワローズ優勝!プロ野球2021シーズン総括BOOK』コスミック出版,2021.11
『SMBC日本シリーズ2021 公式プログラム』ベースボールマガジン社,2021.11
『Sports Graphic Number 1041 スワローズ日本一の飛翔。』第42巻第25号,文藝春秋社,2021.12
『東京ヤクルトスワローズ20年ぶり日本一』週刊ベースボール1月13日号増刊第77巻・第2号 通算3750号,ベースボールマガジン社,2021.12
『スワローズ優勝!プロ野球SMBC日本シリーズ2021総括BOOK』コスミック出版,2021.12
参考資料
「ニッカンスコア速報」
https://www.nikkansports.com/baseball/professional/schedule/s03.html
https://www.nikkansports.com/baseball/professional/schedule/s04.html
https://www.nikkansports.com/baseball/professional/schedule/s05.html
https://www.nikkansports.com/baseball/professional/schedule/s06.html
https://www.nikkansports.com/baseball/professional/schedule/s07.html
https://www.nikkansports.com/baseball/professional/schedule/s08.html
https://www.nikkansports.com/baseball/professional/schedule/s09.html
https://www.nikkansports.com/baseball/professional/schedule/s10.html
https://www.nikkansports.com/baseball/professional/schedule/s11.html
データで楽しむプロ野球http://baseballdata.jp
nf3 - Baseball Data House -http://nf3.sakura.ne.jp/index.html
2020年12月30日
総括2020―2年続けて突き進んだ最下位道
高津臣吾新監督が就任し,「NEVER STOP 突き進め!」というチームスローガンのもと,心機一転上昇を誓った2020年シーズン。序盤は快走したが,8月以降投打が全くかみ合わなくなり,2年連続,直近8年間で5度目となる最下位でシーズンを終えた。
浦添キャンプ第3クール初日となった2月11日。1990年から1998年まで9シーズン指揮をとりチームを優勝4回,日本一3回に導いた野村克也元監督の突然の訃報が届いた。さらにこの頃からキャンプ地でのファンサービスの中止といった動きが出始め,キャンプ終盤には球界全体が新型コロナウイルス渦という未曽有の事態に直面。感染拡大を防ぐため無観客でのオープン戦開催が発表される。ところが事態はさらなる悪化の一途をたどる。無期限の開幕延期―。
4月9日には1987年から1989年まで監督を務められた関根潤三前監督がお亡くなりになり,交流戦,オールスターゲーム,夏の甲子園大会までもが中止に。開幕前から多くの困難と悲しみに見舞われた。6月19日にセ・パ両リーグ無観客での開幕が決定されたのは5月25日のことだった。
開幕前夜。高津監督が発表したスターティングメンバーはB坂口智隆C山田哲人F青木宣親B村上宗隆G塩見泰隆H高井雄平A中村悠平Eアルシデス・エスコバー@石川雅規。
しかし開幕スタメンに中村の名前が無く,代わりに楽天から移籍の嶋基宏がスタメンマスクを託された。いきなりアクシデントに見舞われたのだった。それでも打線が開幕投手大野雄大を序盤から攻略。しかしリリーフ陣が石川の40代開幕戦勝利投手の権利を消してしまい延長へ。10回表マウンドにあがった移籍の今野龍太が自らのエラーから傷口を広げてしまい開幕戦は黒星スタート。20日中日戦(神宮)小川泰弘の好投で高津監督に初勝利をプレゼント。21日中日戦(神宮)にはドラフト4位大西広樹がルーキー一番乗りでプロ初登板。24日阪神戦(神宮)には昨季怪我で僅か4試合の登板に終わったアルバート・スアレスがおよそ1年ぶりとなる勝利投手に。25日阪神戦(神宮)。9回裏に代打西浦直亨が藤川球児から劇的な逆転サヨナラ本塁打を放ち,ソフトバンクの育成から獲得した長谷川宙輝にプロ初勝利が舞い込んだ。
7月2日広島戦(神宮)。同点の9回裏に村上がサヨナラ満塁本塁打。7日中日戦(ナゴヤドーム)には2016年ドラフト1位寺島成輝が4年目にしてようやくプロ勝利。11日巨人戦(ほっと神戸)から上限5000人ながら有観客試合が解禁され,12日巨人戦(ほっと神戸)には先発高梨裕稔が今季初勝利を挙げ,チームは2019年4月20日以来令和となって初のとなる”単独首位”に躍り出た。
しかしこの前日の試合で嶋が自打球を当て骨折離脱。実績のある捕手2人の離脱はチームにとって大きな痛手となり,西田明央,松本直樹,古賀優大,井野卓という日替わりの捕手起用を余儀なくされる。14日阪神戦(甲子園)に敗れ首位の座を巨人に明け渡したが,21日DeNA戦(横浜)で原樹理が1年ぶりの勝利投手に。25日巨人戦(神宮)には川端慎吾が自身4本目となるサヨナラタイムリー。この間長谷川,寺島,中澤雅人,星知弥,梅野雄吾,スコット・マクガフ,清水昇という中継ぎ陣が踏ん張り,最後は抑えの石山泰稚につなぐという試合展開で引き分けに持ち込む試合も3試合。調子の上がらない雄平に代わり山崎晃大朗が外野のポジションを奪うなど投打にチーム一丸となり,リーグで唯一同一カード3連敗も喫せず,なんとか首位・巨人に喰らいついていた。しかし・・・
ターニングポイントとなった28日阪神戦(神宮)。先発ガブリエル・イノーアが初回から大乱調。2回7失点でKOされると,宮本丈のプロ初本塁打という光明こそあったが,リリーフ陣も打ち込まれ,2014年8月15日阪神戦(神宮)以来となる20失点で惨敗。この日のブログに「歯車が狂う前兆」と綴った。
そのうえで翌29日阪神戦(神宮)は青木の日米通算2400本安打を白星で飾り,翌々30日阪神戦(神宮)は高橋奎二から大下佑馬につないでの完封リレーとこのカードを終わってみれば2勝1敗と勝ち越したことが,逆の意味であまりにも昨年の16連敗直前と状況が酷似しているように感じられてしまい「明日からの戦いが大事」と危惧したのだった。この胸騒ぎは残念ながら的中してしまった。ここを境にチーム状況は明らかに一変した。
31日中日戦(ナゴヤドーム)から引き分けを挟んで今季初の4連敗。コンディションがあがらない山田哲は4年ぶりに登録抹消となり,荒木貴裕,廣岡大志,吉田大成らをスタメンで日替わり起用するも,軸を欠いた打線は明らかに迫力を欠いていた。
7日阪神戦(神宮)でドラフト2位吉田大喜がプロ初勝利を挙げ連敗を止めたが,翌8日阪神戦(神宮)から14日DeNA戦(横浜)まで5連敗。12日巨人戦(東京ドーム)ではあの菅野智之からドラフト6位武岡龍世と,濱田太貴がプロ初安打を放ったが白星には結びつかなかった。15日DeNA戦(横浜)に小川が史上82人目通算93度目となるノーヒットノーランを達成。波に乗りたいところではあったが,この日の試合前に守備固めや代走として一軍に欠かせなかった渡邉大樹が練習中のアクシデントで登録抹消されるなどチーム状態は整わない。22日阪神戦(神宮)で新外国人マット・クックを来日初登板初先発させるも起爆剤にすら至らず。とうとう26日巨人戦(神宮)に敗れ最下位に転落した。8月は2度の5連敗もあり7勝17敗1分と大きく負け越した。
9月1日阪神戦(甲子園)。同点の9回裏マウンドにあがったイノーアが僅か5球で敗戦投手となり自力優勝の可能性が消滅した。9勝16敗1分に終わった9月は中山翔太が1976年大杉勝男以来球団最多タイとなる3本の代打本塁打を放った。20日広島戦(神宮)には濱田が球団史上最年少先頭打者本塁打を放つと,2番青木・3番山田哲も続き,25年ぶり史上5度目となる初回先頭打者から3者連続本塁打という記録を樹立させた。30日DeNA戦(横浜)で石川が10試合目の登板にしてようやく初白星がつき,自身の連続勝利の記録を19年に伸ばすとともに,球団史上3人目の40代勝利投手となった。
10月も5勝17敗4分と大きく負け越した。そんななか10月1日DeNA戦(横浜)シーズン途中に獲得した歳内宏明が阪神時代の2015年9月29日DeNA戦(甲子園)以来1829日ぶりとなるNPB復帰後初勝利。6日中日戦(ナゴヤドーム)で久保拓真が,29日広島戦(マツダ)で金久保優斗がプロ初先発。11日広島戦(マツダ)で育成から支配下登録された松本友がケムナ誠から,30日巨人戦(東京ドーム)でドラフト5位長岡秀樹が今村信貴からそれぞれプロ初安打をマーク。19日阪神戦(甲子園)では坂口が史上129人目の通算1500本安打を達成した。
11月5日阪神戦(甲子園)で村上が史上17人目となる1イニング3盗塁という珍しい記録を達成。シーズン最終戦となった10日広島戦(神宮)でドラフト1位奥川恭伸がプロ初登板初先発マウンドを経験した。
今シーズンをもって日米通算906試合に登板した五十嵐亮太が23年間の現役生活に別れを告げ,中澤,井野も現役を引退。井野はスコアラー,中澤は二軍サブマネジャー兼管理業務にそれぞれ着任することが発表された。近藤一樹,山田大樹,田川賢吾,風張蓮,平井諒,山中浩史,日隈ジュリアス,藤井亮太,上田剛史,田代将太郎の10選手が戦力外を通告され,風張はDeNAが獲得することが発表された。
左腕の中尾輝は5試合,坂本光士郎は1試合の登板に終わった。昨季90試合に出場した太田賢吾は4試合の出場にとどまった。春季キャンプで離脱し3月に右膝の手術を受けた奥村展征は5年ぶりに一軍出場無し。蔵本治孝,大村孟も2年ぶりに一軍出場なく終わった。高卒2年目の市川悠太,鈴木裕太,ルーキーでは唯一ドラフト3位杉山晃基が一軍出場無しだった。
村上がベストナインと最高出塁率者賞,清水が最優秀中継ぎ投手賞をいずれも初受賞。イースタン・リーグ優秀選手賞には松本友が選ばれた。
【表1】セ・リーグ順位表
首位陥落はわずか2日間のみと圧倒的な強さでセ・リーグ連覇を果たした原辰徳監督率いる巨人。エース・菅野智之が開幕から無傷の13連勝。高卒2年目の戸郷翔征が9勝。開幕直後に東北楽天からトレードで獲得した高梨雄平が44試合で防御率1.93。長年懸案事項であったセカンドのポジションに吉川尚輝が,2番には育成出身の松原聖弥が固定され,坂本勇人,岡本和真,丸佳浩の強力クリーアップにつなぎ,楽天から獲得したゼラス・ウィーラー,ベテランの中島宏之,亀井善之らが下位打線に控える打線も強力だった。
巨人に開幕3連敗を喫するなど開幕10試合で2勝8敗と年間100敗ペースとまで言われた阪神が2位。矢野耀大監督は1番近本光司,4番大山悠輔,5番ジェリー・サンズ,6番ボーアで打線を固め,投手陣は西勇輝,秋山拓巳を軸に,青柳晃洋,高橋遥人。セットアッパー岩崎優,岩貞祐太,ジョー・ガンケル。守護神にロベルト・スアレスと安定感があった。近本は2年連続で盗塁王。
8年ぶりにAクラス入りを果たしたのが中日。8月6日の時点では借金9の最下位に喘いでいたが,最終週防御率,最多奪三振さらには澤村賞とタイトルを総なめしたエースの大野雄を軸に,”大福丸”と呼ばれる福敬登,祖父江大輔,ライデル・マルティネスの勝利の方程式は抜群の安定感で,6回終了時にリードしていれば37連勝という驚異の神話を作りだした。固定できなかった捕手には木下拓哉が座り,与田剛監督は投手陣を中心とした守りの野球を完全復活させた。
開幕前には優勝候補に挙げられていたDeNAだったが,先発の軸であった今永昇太,平良拳太郎の相次ぐ離脱。守護神山崎康晃の絶不調と誤算が相次ぎ苦しい戦いを強いられた。一方で三嶋一輝がクローザーに収まり,4番主将に抜擢された佐野恵太が首位打者のタイトルを獲得。大貫晋一が初の10勝と新しい芽を出し,アレックス・ラミレス監督から三浦大輔新監督へバトンタッチされることになった。
佐々岡真司監督が就任した広島だったが,リリーフ陣とりわけ抑えに苦しんだ。新外国人テイラー・スコットは炎上続き。菊池保則,一岡竜司と抑えに指名した投手が相次いでリードを保てず。それでも中盤からケムナ,塹江敦哉からヘルニモ・フランスアにつなぐ方程式を確立させたあたりはさすが投手出身監督。ルーキー森下暢仁は安定感抜群で新人王を受賞。九里亜蓮,遠藤淳志も一年間ローテーションを守り切った。一方で打線に関しては鈴木誠也を4番から外し3番に置くなど編成に苦しんだ【表1】。
チーム成績
【表2-1】チーム月別成績
巨人が首位の座を明け渡したのは7月12〜13日のわずかに2日間だけ。その間に首位にたったのがヤクルトだった。すなわち今季セ・リーグで首位に立ったのは巨人とヤクルトの2チームのみ。こればかりはNHKでも放送された紛れもない事実【表2-1】。
【表2-2】チームホーム/ビジター別成績
ホームでの勝率は昨年の.406(28勝41敗2分)こそ僅かに上回ったが,ここ4年で3度目の負け越しとホームで勝ちを伸ばせなくなっている状況が見られる。また東京ドームでは引き分け挟んで8連敗。2019年8月9日から引き分け挟んで11連敗。ナゴヤドームでも引き分け挟んで7連敗と大きく負け越した【表2-2】。
【表2-3】チーム曜日別成績
火曜日には7月28日阪神戦(神宮)から10月27日広島戦(マツダスタジアム)まで引き分けを挟んで12連敗を喫した。これもまたイノーアの20失点試合が起点に。金曜日も開幕から引き分け挟んで5連敗で,初勝利は8月7日DeNA戦(神宮)。翌週の14日DeNA戦(横浜)から再び5連敗。8月12日巨人戦(東京ドーム)から9月15日DeNA戦(神宮)まで11カード連続でいわゆるカード初戦を落とした【表2-3】。
【表2-4】チーム年度別成績推移直近10年間 ※()はリーグ順位
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勝率.373は1970年(.264),2017年(.319)についでヤクルト球団史上ワースト3位。2年連続最下位は1970-71年,1982-83年,1985-86年,2013-14年に続いて球団史上5度目。
チーム防御率4.61は4.78だった昨季よりは改善されたものの,2年続けて12球団ワースト。打率も2年連続リーグワースト。着目すべきは得点か。試合数が異なるため総得点を試合数で割ると1試合平均得点が3.9。これを143試合に換算すれば557.7点。一昨年(658),昨年(656)と較べるとちょうど100点下げた計算となる。一昨年はチーム打率1位,得点数2位。昨年は打率こそ下げたものの,得点数は1位巨人と僅か7得点差のリーグ2位。石井琢朗前打撃コーチが最重要視したとされる仮に凡打に倒れたとしても走者を先の塁に進め,ホームにかえす「意味のある凡打」が一気に薄れた。指導者の力量の差が歴として現れた形とも言えようか【表2-4】。
【表3】チーム別対戦成績
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2年連続で全カード負け越し。広島には5年連続負け越しとなった。対巨人戦は7月26日から9月13日まで9連敗を喫した【表3】。
【表4】守備成績
広島・菊池涼介が同一シーズンでの434守備機会連続無失策のセ・リーグ記録と,二塁手として史上初となるシーズン無失策,守備率10割を達成した。
ヤクルトでは青木が外野手で唯一の守備率10割で2011年以来自身9年ぶり7度目となるセ・リーグ外野手部門「三井ゴールデングラブ賞」を受賞。38歳9カ月での受賞は,2015年福留孝介(阪神)の38歳6カ月を抜いて史上最年長記録。
規定試合数に到達した選手では西田が捕手トップの.998。山崎が外野手で青木に次ぐ2位の.994。村上はリーグ2位の14失策。エスコバーが5位タイの9失策だった【表4】。
DATA2020〜苦手投手を攻略できない
【表5】先発3試合以上対戦した投手の成績
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「いい投手はなかなか打てないんだけれど、それを何とかしないといけないのがプロ野球」と高津監督が嘆いたことがあったが,とにかく同じ投手にやられっぱなしだった印象がある。
今季先発で3試合以上対戦した投手は24名。実際チームの借金28のうち78.6%にあたる22を7人(阪神・秋山,巨人・菅野,中日・勝野,大野雄,DeNA・大貫,勝野,広島・森下)の投手から喫している。全登板で6回3失点以内のQSをクリアされたのが森下,青柳,藤浪。その投手の勝利数に占める対ヤクルト戦の割合を算出してみると,例えば菅野は21%と全球団均等に勝利を挙げているのに対し,勝野と坂本は75%,中村祐が67%とヤクルトから白星を荒稼ぎされた。さらに番外編として中日・梅津からは2試合17イニングで1点も奪うことができなかった。スコアラーの分析が不十分なのか,それとも試合中の打撃コーチの指示が不明瞭なのか。何も出来なかった以上プロ野球には程遠かったとも言えよう【表5】。
おわりに〜2021年シーズンに向けて
ドラフトでは木澤尚文(投手・慶応義塾大), 山野太一(投手・東北福祉大), 内山壮真(捕手・星稜高) ,元山飛優(内野手・東北福祉大) 並木秀尊(外野手・独協大), 嘉手苅浩太(投手・日本航空石川高)の6名を指名。
メジャー通算77発のドミンゴ・サンタナ(インディアンス),同じく24発のホセ・オスナ(パイレーツ),長身右腕サイ・スニード(アストロズ)の獲得。通算2171安打を誇る内川聖一(前ソフトバンク),東大出身左腕宮台康平(前日本ハム)と積極的な補強を敢行した。
さらに来季は育成元年と位置づけ,育成ドラフトで球団史上最多となる下慎之介(投手・高崎健康福祉大高崎) ,赤羽由紘(内野手・信濃グランセローズ) ,松井聖(捕手・信濃グランセローズ) ,丸山翔大(投手・西日本工業大)と4名を指名。さらに近藤弘樹(前東北楽天),小澤怜史(前ソフトバンク)を育成枠で獲得。育成3年目を迎える内山太嗣と計7名の育成選手を抱え継続的な戦力の底上げを目指す。
コーチングスタッフは今季招聘した斎藤隆投手コーチが退団。河田雄祐外野守備走塁コーチが古巣広島のヘッドコーチに招聘され移籍することになった。
東北楽天を退団した伊藤智仁投手コーチが4年ぶりに復帰。福地寿樹二軍チーフコーチが外野守備走塁コーチにこちらも4年ぶりに復帰就任。宮出隆自ヘッドコーチ,石井弘寿投手コーチ,杉村繁打撃コーチ,松元ユウイチ打撃コーチ,森岡良介内野・守備走塁コーチ,衣川篤史バッテリーコーチはいずれも留任となる。
池山隆寛二軍監督率いるファームは,尾花高夫二軍投手チーフコーチが23年ぶりとなる球団復帰。小野寺力,松岡健一二軍投手コーチと3人態勢で投手再建に着手する。緒方耕一二軍外野守備走塁コーチが二軍内野守備コーチ担当となり,佐藤真一二軍外野守備・走塁コーチが7年ぶりに復帰。畠山和洋二軍打撃コーチ,大松尚逸二軍打撃コーチ,福川将和二軍バッテリーコーチは留任した。
育成コーチも8年ぶりに新設され,土橋勝征二軍内野守備コーチと,山本哲哉スカウトが配置転換で育成コーチに就任した。
今オフ最大の懸念材料であった国内FA権を取得した山田哲,石山,小川の3選手は全員残留。「真価」の問われる年,「進化」が必要,そして心ひとつに「心火」の炎を灯すということで来季のチームスローガンは「真価 進化 心火」に決まった。
2年連続最下位。直近8シーズンで最下位5回。なかなか低迷を脱するのは難しいという見立てが多いだろうが,こと来季に関してはデータの裏付けがある。
2001年赤星憲広(阪神),2013年小川(ヤクルト),2015年山崎康晃(DeNA)。今世紀に入り最下位から新人王を輩出すると2年後にそのチームは日本シリーズに出場しているジンクス。2019年の新人王はそう村上。
同じく今世紀に入り2003年(3位),2006年(3位),2009年(3位),2012年(3位),2015年(優勝),2018年(2位)と西暦下二桁が3の倍数の年は必ずAクラス入りしているジンクス。来年は2021年。
さらには2000年代は2001年(勝率.567),2010年代は2011年(勝率.543)と,10年で最も勝率が高いのが末尾が1の年。2020年代の末尾が1の年は来年。
2021年。ジンクスを信じてみようではないか!
参考資料
『週刊ベースボール別冊 北風号』第47巻 第23号 通産444号,ベースボールマガジン社,2020.11
「ニッカンスコア速報」
https://www.nikkansports.com/baseball/professional/schedule/s06.html
https://www.nikkansports.com/baseball/professional/schedule/s07.html
https://www.nikkansports.com/baseball/professional/schedule/s08.html
https://www.nikkansports.com/baseball/professional/schedule/s09.html
https://www.nikkansports.com/baseball/professional/schedule/s10.html
https://www.nikkansports.com/baseball/professional/schedule/s11.html
データで楽しむプロ野球http://baseballdata.jp
nf3 - Baseball Data House -http://nf3.sakura.ne.jp/index.html
浦添キャンプ第3クール初日となった2月11日。1990年から1998年まで9シーズン指揮をとりチームを優勝4回,日本一3回に導いた野村克也元監督の突然の訃報が届いた。さらにこの頃からキャンプ地でのファンサービスの中止といった動きが出始め,キャンプ終盤には球界全体が新型コロナウイルス渦という未曽有の事態に直面。感染拡大を防ぐため無観客でのオープン戦開催が発表される。ところが事態はさらなる悪化の一途をたどる。無期限の開幕延期―。
4月9日には1987年から1989年まで監督を務められた関根潤三前監督がお亡くなりになり,交流戦,オールスターゲーム,夏の甲子園大会までもが中止に。開幕前から多くの困難と悲しみに見舞われた。6月19日にセ・パ両リーグ無観客での開幕が決定されたのは5月25日のことだった。
開幕前夜。高津監督が発表したスターティングメンバーはB坂口智隆C山田哲人F青木宣親B村上宗隆G塩見泰隆H高井雄平A中村悠平Eアルシデス・エスコバー@石川雅規。
しかし開幕スタメンに中村の名前が無く,代わりに楽天から移籍の嶋基宏がスタメンマスクを託された。いきなりアクシデントに見舞われたのだった。それでも打線が開幕投手大野雄大を序盤から攻略。しかしリリーフ陣が石川の40代開幕戦勝利投手の権利を消してしまい延長へ。10回表マウンドにあがった移籍の今野龍太が自らのエラーから傷口を広げてしまい開幕戦は黒星スタート。20日中日戦(神宮)小川泰弘の好投で高津監督に初勝利をプレゼント。21日中日戦(神宮)にはドラフト4位大西広樹がルーキー一番乗りでプロ初登板。24日阪神戦(神宮)には昨季怪我で僅か4試合の登板に終わったアルバート・スアレスがおよそ1年ぶりとなる勝利投手に。25日阪神戦(神宮)。9回裏に代打西浦直亨が藤川球児から劇的な逆転サヨナラ本塁打を放ち,ソフトバンクの育成から獲得した長谷川宙輝にプロ初勝利が舞い込んだ。
7月2日広島戦(神宮)。同点の9回裏に村上がサヨナラ満塁本塁打。7日中日戦(ナゴヤドーム)には2016年ドラフト1位寺島成輝が4年目にしてようやくプロ勝利。11日巨人戦(ほっと神戸)から上限5000人ながら有観客試合が解禁され,12日巨人戦(ほっと神戸)には先発高梨裕稔が今季初勝利を挙げ,チームは2019年4月20日以来令和となって初のとなる”単独首位”に躍り出た。
しかしこの前日の試合で嶋が自打球を当て骨折離脱。実績のある捕手2人の離脱はチームにとって大きな痛手となり,西田明央,松本直樹,古賀優大,井野卓という日替わりの捕手起用を余儀なくされる。14日阪神戦(甲子園)に敗れ首位の座を巨人に明け渡したが,21日DeNA戦(横浜)で原樹理が1年ぶりの勝利投手に。25日巨人戦(神宮)には川端慎吾が自身4本目となるサヨナラタイムリー。この間長谷川,寺島,中澤雅人,星知弥,梅野雄吾,スコット・マクガフ,清水昇という中継ぎ陣が踏ん張り,最後は抑えの石山泰稚につなぐという試合展開で引き分けに持ち込む試合も3試合。調子の上がらない雄平に代わり山崎晃大朗が外野のポジションを奪うなど投打にチーム一丸となり,リーグで唯一同一カード3連敗も喫せず,なんとか首位・巨人に喰らいついていた。しかし・・・
ターニングポイントとなった28日阪神戦(神宮)。先発ガブリエル・イノーアが初回から大乱調。2回7失点でKOされると,宮本丈のプロ初本塁打という光明こそあったが,リリーフ陣も打ち込まれ,2014年8月15日阪神戦(神宮)以来となる20失点で惨敗。この日のブログに「歯車が狂う前兆」と綴った。
そのうえで翌29日阪神戦(神宮)は青木の日米通算2400本安打を白星で飾り,翌々30日阪神戦(神宮)は高橋奎二から大下佑馬につないでの完封リレーとこのカードを終わってみれば2勝1敗と勝ち越したことが,逆の意味であまりにも昨年の16連敗直前と状況が酷似しているように感じられてしまい「明日からの戦いが大事」と危惧したのだった。この胸騒ぎは残念ながら的中してしまった。ここを境にチーム状況は明らかに一変した。
31日中日戦(ナゴヤドーム)から引き分けを挟んで今季初の4連敗。コンディションがあがらない山田哲は4年ぶりに登録抹消となり,荒木貴裕,廣岡大志,吉田大成らをスタメンで日替わり起用するも,軸を欠いた打線は明らかに迫力を欠いていた。
7日阪神戦(神宮)でドラフト2位吉田大喜がプロ初勝利を挙げ連敗を止めたが,翌8日阪神戦(神宮)から14日DeNA戦(横浜)まで5連敗。12日巨人戦(東京ドーム)ではあの菅野智之からドラフト6位武岡龍世と,濱田太貴がプロ初安打を放ったが白星には結びつかなかった。15日DeNA戦(横浜)に小川が史上82人目通算93度目となるノーヒットノーランを達成。波に乗りたいところではあったが,この日の試合前に守備固めや代走として一軍に欠かせなかった渡邉大樹が練習中のアクシデントで登録抹消されるなどチーム状態は整わない。22日阪神戦(神宮)で新外国人マット・クックを来日初登板初先発させるも起爆剤にすら至らず。とうとう26日巨人戦(神宮)に敗れ最下位に転落した。8月は2度の5連敗もあり7勝17敗1分と大きく負け越した。
9月1日阪神戦(甲子園)。同点の9回裏マウンドにあがったイノーアが僅か5球で敗戦投手となり自力優勝の可能性が消滅した。9勝16敗1分に終わった9月は中山翔太が1976年大杉勝男以来球団最多タイとなる3本の代打本塁打を放った。20日広島戦(神宮)には濱田が球団史上最年少先頭打者本塁打を放つと,2番青木・3番山田哲も続き,25年ぶり史上5度目となる初回先頭打者から3者連続本塁打という記録を樹立させた。30日DeNA戦(横浜)で石川が10試合目の登板にしてようやく初白星がつき,自身の連続勝利の記録を19年に伸ばすとともに,球団史上3人目の40代勝利投手となった。
10月も5勝17敗4分と大きく負け越した。そんななか10月1日DeNA戦(横浜)シーズン途中に獲得した歳内宏明が阪神時代の2015年9月29日DeNA戦(甲子園)以来1829日ぶりとなるNPB復帰後初勝利。6日中日戦(ナゴヤドーム)で久保拓真が,29日広島戦(マツダ)で金久保優斗がプロ初先発。11日広島戦(マツダ)で育成から支配下登録された松本友がケムナ誠から,30日巨人戦(東京ドーム)でドラフト5位長岡秀樹が今村信貴からそれぞれプロ初安打をマーク。19日阪神戦(甲子園)では坂口が史上129人目の通算1500本安打を達成した。
11月5日阪神戦(甲子園)で村上が史上17人目となる1イニング3盗塁という珍しい記録を達成。シーズン最終戦となった10日広島戦(神宮)でドラフト1位奥川恭伸がプロ初登板初先発マウンドを経験した。
今シーズンをもって日米通算906試合に登板した五十嵐亮太が23年間の現役生活に別れを告げ,中澤,井野も現役を引退。井野はスコアラー,中澤は二軍サブマネジャー兼管理業務にそれぞれ着任することが発表された。近藤一樹,山田大樹,田川賢吾,風張蓮,平井諒,山中浩史,日隈ジュリアス,藤井亮太,上田剛史,田代将太郎の10選手が戦力外を通告され,風張はDeNAが獲得することが発表された。
左腕の中尾輝は5試合,坂本光士郎は1試合の登板に終わった。昨季90試合に出場した太田賢吾は4試合の出場にとどまった。春季キャンプで離脱し3月に右膝の手術を受けた奥村展征は5年ぶりに一軍出場無し。蔵本治孝,大村孟も2年ぶりに一軍出場なく終わった。高卒2年目の市川悠太,鈴木裕太,ルーキーでは唯一ドラフト3位杉山晃基が一軍出場無しだった。
村上がベストナインと最高出塁率者賞,清水が最優秀中継ぎ投手賞をいずれも初受賞。イースタン・リーグ優秀選手賞には松本友が選ばれた。
【表1】セ・リーグ順位表
順位 | チーム | 試合 | 勝数 | 敗数 | 引分 | 勝率 | 勝差 | 得点 | 失点 | 本塁 | 盗塁 | 打率 | 防御率 |
1 | 巨 人 | 120 | 67 | 45 | 8 | .598 | 532 | 421 | 135 | 80 | .255 | 3.34 | |
2 | 阪 神 | 120 | 60 | 53 | 7 | .531 | 7.5 | 494 | 460 | 110 | 80 | .246 | 3.35 |
3 | 中 日 | 120 | 60 | 55 | 5 | .522 | 1.0 | 429 | 489 | 70 | 33 | .252 | 3.84 |
4 | DeNA | 120 | 56 | 58 | 6 | .491 | 3.5 | 516 | 474 | 135 | 31 | .266 | 3.76 |
5 | 広 島 | 120 | 52 | 56 | 12 | .481 | 1.0 | 523 | 529 | 110 | 64 | .262 | 4.06 |
6 | ヤクルト | 120 | 41 | 69 | 10 | .373 | 12.0 | 468 | 589 | 114 | 74 | .242 | 4.61 |
首位陥落はわずか2日間のみと圧倒的な強さでセ・リーグ連覇を果たした原辰徳監督率いる巨人。エース・菅野智之が開幕から無傷の13連勝。高卒2年目の戸郷翔征が9勝。開幕直後に東北楽天からトレードで獲得した高梨雄平が44試合で防御率1.93。長年懸案事項であったセカンドのポジションに吉川尚輝が,2番には育成出身の松原聖弥が固定され,坂本勇人,岡本和真,丸佳浩の強力クリーアップにつなぎ,楽天から獲得したゼラス・ウィーラー,ベテランの中島宏之,亀井善之らが下位打線に控える打線も強力だった。
巨人に開幕3連敗を喫するなど開幕10試合で2勝8敗と年間100敗ペースとまで言われた阪神が2位。矢野耀大監督は1番近本光司,4番大山悠輔,5番ジェリー・サンズ,6番ボーアで打線を固め,投手陣は西勇輝,秋山拓巳を軸に,青柳晃洋,高橋遥人。セットアッパー岩崎優,岩貞祐太,ジョー・ガンケル。守護神にロベルト・スアレスと安定感があった。近本は2年連続で盗塁王。
8年ぶりにAクラス入りを果たしたのが中日。8月6日の時点では借金9の最下位に喘いでいたが,最終週防御率,最多奪三振さらには澤村賞とタイトルを総なめしたエースの大野雄を軸に,”大福丸”と呼ばれる福敬登,祖父江大輔,ライデル・マルティネスの勝利の方程式は抜群の安定感で,6回終了時にリードしていれば37連勝という驚異の神話を作りだした。固定できなかった捕手には木下拓哉が座り,与田剛監督は投手陣を中心とした守りの野球を完全復活させた。
開幕前には優勝候補に挙げられていたDeNAだったが,先発の軸であった今永昇太,平良拳太郎の相次ぐ離脱。守護神山崎康晃の絶不調と誤算が相次ぎ苦しい戦いを強いられた。一方で三嶋一輝がクローザーに収まり,4番主将に抜擢された佐野恵太が首位打者のタイトルを獲得。大貫晋一が初の10勝と新しい芽を出し,アレックス・ラミレス監督から三浦大輔新監督へバトンタッチされることになった。
佐々岡真司監督が就任した広島だったが,リリーフ陣とりわけ抑えに苦しんだ。新外国人テイラー・スコットは炎上続き。菊池保則,一岡竜司と抑えに指名した投手が相次いでリードを保てず。それでも中盤からケムナ,塹江敦哉からヘルニモ・フランスアにつなぐ方程式を確立させたあたりはさすが投手出身監督。ルーキー森下暢仁は安定感抜群で新人王を受賞。九里亜蓮,遠藤淳志も一年間ローテーションを守り切った。一方で打線に関しては鈴木誠也を4番から外し3番に置くなど編成に苦しんだ【表1】。
チーム成績
【表2-1】チーム月別成績
通算 | ||||||||||||||
試合 | 勝数 | 敗数 | 引分 | 勝率 | 順位 | 得点 | 失点 | 本塁 | 盗塁 | 打率 | 防御率 | 勝率 | 順位 | |
6月 | 9 | 4 | 5 | 0 | .444 | 4 | 37 | 44 | 10 | 6 | .256 | 4.17 | .444 | 4 |
7月 | 26 | 13 | 9 | 4 | .591 | 3 | 128 | 140 | 24 | 15 | .254 | 5.08 | .548 | 2 |
8月 | 25 | 7 | 17 | 1 | .292 | 6 | 95 | 133 | 21 | 17 | .246 | 4.81 | .436 | 6 |
9月 | 26 | 9 | 16 | 1 | .360 | 6 | 105 | 116 | 30 | 11 | .254 | 4.24 | .413 | 6 |
10月 | 26 | 5 | 17 | 4 | .227 | 6 | 75 | 122 | 19 | 18 | .221 | 4.60 | .373 | 6 |
11月 | 8 | 3 | 5 | 0 | .375 | 5 | 28 | 34 | 10 | 7 | .205 | 4.22 | .373 | 6 |
計 | 120 | 41 | 69 | 10 | .373 | 6 | 468 | 589 | 114 | 74 | .242 | 4.61 | .373 | 6 |
巨人が首位の座を明け渡したのは7月12〜13日のわずかに2日間だけ。その間に首位にたったのがヤクルトだった。すなわち今季セ・リーグで首位に立ったのは巨人とヤクルトの2チームのみ。こればかりはNHKでも放送された紛れもない事実【表2-1】。
【表2-2】チームホーム/ビジター別成績
試合 | 勝数 | 敗数 | 引分 | 勝率 | 得点 | 失点 | 本塁 | 盗塁 | 打率 | 防御率 | |
H | 60 | 24 | 34 | 2 | .414 | 259 | 324 | 71 | 32 | .250 | 4.92 |
V | 60 | 17 | 35 | 8 | .327 | 209 | 265 | 43 | 42 | .234 | 4.29 |
計 | 120 | 41 | 69 | 10 | .373 | 468 | 589 | 114 | 74 | .242 | 4.61 |
ホームでの勝率は昨年の.406(28勝41敗2分)こそ僅かに上回ったが,ここ4年で3度目の負け越しとホームで勝ちを伸ばせなくなっている状況が見られる。また東京ドームでは引き分け挟んで8連敗。2019年8月9日から引き分け挟んで11連敗。ナゴヤドームでも引き分け挟んで7連敗と大きく負け越した【表2-2】。
【表2-3】チーム曜日別成績
試合 | 勝数 | 敗数 | 引分 | 勝率 | 得点 | 失点 | 本塁 | 盗塁 | 打率 | 防御率 | |
月曜日 | 2 | 0 | 1 | 1 | .000 | 4 | 10 | 1 | 0 | .231 | 4.50 |
火曜日 | 19 | 3 | 15 | 1 | .167 | 45 | 106 | 12 | 11 | .193 | 5.12 |
水曜日 | 20 | 8 | 9 | 3 | .471 | 80 | 103 | 23 | 13 | .242 | 4.72 |
木曜日 | 18 | 9 | 8 | 1 | .529 | 80 | 67 | 13 | 21 | .261 | 3.71 |
金曜日 | 20 | 5 | 13 | 2 | .278 | 93 | 104 | 24 | 9 | .247 | 5.01 |
土曜日 | 20 | 9 | 11 | 0 | .450 | 97 | 98 | 21 | 11 | .267 | 4.50 |
日曜日 | 21 | 7 | 12 | 2 | .368 | 69 | 101 | 20 | 9 | .241 | 4.57 |
計 | 120 | 41 | 69 | 10 | .373 | 468 | 589 | 114 | 74 | .242 | 4.61 |
火曜日には7月28日阪神戦(神宮)から10月27日広島戦(マツダスタジアム)まで引き分けを挟んで12連敗を喫した。これもまたイノーアの20失点試合が起点に。金曜日も開幕から引き分け挟んで5連敗で,初勝利は8月7日DeNA戦(神宮)。翌週の14日DeNA戦(横浜)から再び5連敗。8月12日巨人戦(東京ドーム)から9月15日DeNA戦(神宮)まで11カード連続でいわゆるカード初戦を落とした【表2-3】。
【表2-4】チーム年度別成績推移直近10年間 ※()はリーグ順位
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勝率.373は1970年(.264),2017年(.319)についでヤクルト球団史上ワースト3位。2年連続最下位は1970-71年,1982-83年,1985-86年,2013-14年に続いて球団史上5度目。
チーム防御率4.61は4.78だった昨季よりは改善されたものの,2年続けて12球団ワースト。打率も2年連続リーグワースト。着目すべきは得点か。試合数が異なるため総得点を試合数で割ると1試合平均得点が3.9。これを143試合に換算すれば557.7点。一昨年(658),昨年(656)と較べるとちょうど100点下げた計算となる。一昨年はチーム打率1位,得点数2位。昨年は打率こそ下げたものの,得点数は1位巨人と僅か7得点差のリーグ2位。石井琢朗前打撃コーチが最重要視したとされる仮に凡打に倒れたとしても走者を先の塁に進め,ホームにかえす「意味のある凡打」が一気に薄れた。指導者の力量の差が歴として現れた形とも言えようか【表2-4】。
【表3】チーム別対戦成績
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2年連続で全カード負け越し。広島には5年連続負け越しとなった。対巨人戦は7月26日から9月13日まで9連敗を喫した【表3】。
【表4】守備成績
チーム | 守備率 | 試合 | 守機備会 | 刺殺 | 補殺 | 失策 | 併殺 | 捕逸 | |
参加 | 球団 | ||||||||
巨人 | .990 | 120 | 4447 | 3182 | 1222 | 43 | 280 | 100 | 5 |
中日 | .989 | 120 | 4492 | 3165 | 1276 | 51 | 299 | 106 | 9 |
DeNA | .988 | 120 | 4483 | 3135 | 1296 | 52 | 291 | 104 | 8 |
ヤクルト | .986 | 120 | 4504 | 3189 | 1250 | 65 | 272 | 97 | 7 |
広島 | .984 | 120 | 4540 | 3207 | 1260 | 73 | 277 | 99 | 8 |
阪神 | .982 | 120 | 4613 | 3163 | 1365 | 85 | 309 | 110 | 3 |
広島・菊池涼介が同一シーズンでの434守備機会連続無失策のセ・リーグ記録と,二塁手として史上初となるシーズン無失策,守備率10割を達成した。
ヤクルトでは青木が外野手で唯一の守備率10割で2011年以来自身9年ぶり7度目となるセ・リーグ外野手部門「三井ゴールデングラブ賞」を受賞。38歳9カ月での受賞は,2015年福留孝介(阪神)の38歳6カ月を抜いて史上最年長記録。
規定試合数に到達した選手では西田が捕手トップの.998。山崎が外野手で青木に次ぐ2位の.994。村上はリーグ2位の14失策。エスコバーが5位タイの9失策だった【表4】。
DATA2020〜苦手投手を攻略できない
【表5】先発3試合以上対戦した投手の成績
(クリックで拡大)
「いい投手はなかなか打てないんだけれど、それを何とかしないといけないのがプロ野球」と高津監督が嘆いたことがあったが,とにかく同じ投手にやられっぱなしだった印象がある。
今季先発で3試合以上対戦した投手は24名。実際チームの借金28のうち78.6%にあたる22を7人(阪神・秋山,巨人・菅野,中日・勝野,大野雄,DeNA・大貫,勝野,広島・森下)の投手から喫している。全登板で6回3失点以内のQSをクリアされたのが森下,青柳,藤浪。その投手の勝利数に占める対ヤクルト戦の割合を算出してみると,例えば菅野は21%と全球団均等に勝利を挙げているのに対し,勝野と坂本は75%,中村祐が67%とヤクルトから白星を荒稼ぎされた。さらに番外編として中日・梅津からは2試合17イニングで1点も奪うことができなかった。スコアラーの分析が不十分なのか,それとも試合中の打撃コーチの指示が不明瞭なのか。何も出来なかった以上プロ野球には程遠かったとも言えよう【表5】。
おわりに〜2021年シーズンに向けて
ドラフトでは木澤尚文(投手・慶応義塾大), 山野太一(投手・東北福祉大), 内山壮真(捕手・星稜高) ,元山飛優(内野手・東北福祉大) 並木秀尊(外野手・独協大), 嘉手苅浩太(投手・日本航空石川高)の6名を指名。
メジャー通算77発のドミンゴ・サンタナ(インディアンス),同じく24発のホセ・オスナ(パイレーツ),長身右腕サイ・スニード(アストロズ)の獲得。通算2171安打を誇る内川聖一(前ソフトバンク),東大出身左腕宮台康平(前日本ハム)と積極的な補強を敢行した。
さらに来季は育成元年と位置づけ,育成ドラフトで球団史上最多となる下慎之介(投手・高崎健康福祉大高崎) ,赤羽由紘(内野手・信濃グランセローズ) ,松井聖(捕手・信濃グランセローズ) ,丸山翔大(投手・西日本工業大)と4名を指名。さらに近藤弘樹(前東北楽天),小澤怜史(前ソフトバンク)を育成枠で獲得。育成3年目を迎える内山太嗣と計7名の育成選手を抱え継続的な戦力の底上げを目指す。
コーチングスタッフは今季招聘した斎藤隆投手コーチが退団。河田雄祐外野守備走塁コーチが古巣広島のヘッドコーチに招聘され移籍することになった。
東北楽天を退団した伊藤智仁投手コーチが4年ぶりに復帰。福地寿樹二軍チーフコーチが外野守備走塁コーチにこちらも4年ぶりに復帰就任。宮出隆自ヘッドコーチ,石井弘寿投手コーチ,杉村繁打撃コーチ,松元ユウイチ打撃コーチ,森岡良介内野・守備走塁コーチ,衣川篤史バッテリーコーチはいずれも留任となる。
池山隆寛二軍監督率いるファームは,尾花高夫二軍投手チーフコーチが23年ぶりとなる球団復帰。小野寺力,松岡健一二軍投手コーチと3人態勢で投手再建に着手する。緒方耕一二軍外野守備走塁コーチが二軍内野守備コーチ担当となり,佐藤真一二軍外野守備・走塁コーチが7年ぶりに復帰。畠山和洋二軍打撃コーチ,大松尚逸二軍打撃コーチ,福川将和二軍バッテリーコーチは留任した。
育成コーチも8年ぶりに新設され,土橋勝征二軍内野守備コーチと,山本哲哉スカウトが配置転換で育成コーチに就任した。
今オフ最大の懸念材料であった国内FA権を取得した山田哲,石山,小川の3選手は全員残留。「真価」の問われる年,「進化」が必要,そして心ひとつに「心火」の炎を灯すということで来季のチームスローガンは「真価 進化 心火」に決まった。
2年連続最下位。直近8シーズンで最下位5回。なかなか低迷を脱するのは難しいという見立てが多いだろうが,こと来季に関してはデータの裏付けがある。
2001年赤星憲広(阪神),2013年小川(ヤクルト),2015年山崎康晃(DeNA)。今世紀に入り最下位から新人王を輩出すると2年後にそのチームは日本シリーズに出場しているジンクス。2019年の新人王はそう村上。
同じく今世紀に入り2003年(3位),2006年(3位),2009年(3位),2012年(3位),2015年(優勝),2018年(2位)と西暦下二桁が3の倍数の年は必ずAクラス入りしているジンクス。来年は2021年。
さらには2000年代は2001年(勝率.567),2010年代は2011年(勝率.543)と,10年で最も勝率が高いのが末尾が1の年。2020年代の末尾が1の年は来年。
2021年。ジンクスを信じてみようではないか!
参考資料
『週刊ベースボール別冊 北風号』第47巻 第23号 通産444号,ベースボールマガジン社,2020.11
「ニッカンスコア速報」
https://www.nikkansports.com/baseball/professional/schedule/s06.html
https://www.nikkansports.com/baseball/professional/schedule/s07.html
https://www.nikkansports.com/baseball/professional/schedule/s08.html
https://www.nikkansports.com/baseball/professional/schedule/s09.html
https://www.nikkansports.com/baseball/professional/schedule/s10.html
https://www.nikkansports.com/baseball/professional/schedule/s11.html
データで楽しむプロ野球http://baseballdata.jp
nf3 - Baseball Data House -http://nf3.sakura.ne.jp/index.html
2019年12月29日
総括2019―2位からの躍進ならず再び最下位転落
はじめに
96敗の最下位から一気に2位へと再起したスワローズ。監督復帰2年目の小川淳司監督は4年ぶりの優勝を目指し「躍進」をチームスローガンに掲げた。迎えた3月29日阪神との開幕戦(京セラドーム)。小川泰弘が開幕投手を務め,高卒2年目村上宗隆が球団史上55年ぶり6人目・球団最速タイとなる野手の開幕スタメンに抜擢された。開幕連敗スタートとなったが,3戦目となる31日阪神戦(京セラドーム)で北海道日本ハムから交換トレードで獲得した高梨裕稔が移籍後初先発初勝利。しかしこの試合でリードオフマン坂口智隆が左手に死球を受け骨折。長期離脱を余儀なくされることなった。
本拠地での初戦となった4月2日DeNA戦(神宮)の先発を託されたのは原樹理。開幕スタメンを掴めなかった西浦直亨の執念のタイムリーで逆転勝利。3日DeNA戦(神宮)は3点ビハインドの8回裏に高井雄平の起死回生3ランで追いつき9回裏にサヨナラ勝ち。5日中日戦(神宮)では10年ぶりに復帰した五十嵐亮太が2009年10月7日横浜戦(神宮)以来の勝利投手に。6日中日戦(神宮)では延長12回裏2死から代打青木宣親が劇的なサヨナラ本塁打。10日広島戦(マツダ)では延長10回表に打者16人,本塁打なしの8安打。最後は代走で途中出場の田代将太郎の3点タイムリー三塁打で計12得点を奪い,延長での1イニング最多得点のプロ野球新記録を樹立。スコット・マクガフに来日初白星がついた。11日広島戦(マツダ)ではソフトバンクを戦力外になり加入した寺原隼人がソフトバンク時代の2017年5月7日ロッテ戦(ZOZOマリン)以来704日ぶりの勝利投手となり,マツダスタジアムでは2012年9月17-19日以来7年ぶりとなる同一カード3連勝。2015年シーズン以来1282日ぶりの単独首位に立つ。13日巨人戦(東京ドーム)で対巨人戦通算700勝目を挙げると,14日巨人戦(東京ドーム)で4カード連続勝ち越しを決め,球団では1997年以来22年ぶり3度目となる両リーグ10勝一番乗り。16日阪神戦(松山)では小川監督が球団史上3人目となる監督通算400勝に到達。20日中日戦(ナゴヤドーム)では川端慎吾が史上294人目の通算1000本安打を達成。25日巨人戦(神宮)には菅野智之から青木・山田哲人・ウラディミール・バレンティンが三者連続本塁打。アルバート・スアレスが来日初勝利。30日DeNA戦(横浜)では延長10回表に荒木貴裕のタイムリーで平成最後の試合を白星で締め首位巨人と0.5差の2位で平成を終えた。
逆転勝利が多かったことの裏返しでもあるが,先発に白星がついたのは6試合。28試合中先発投手が6回を投げ切ったのは半数に満たない13試合。16勝のうち五十嵐5勝,マクガフ2勝,石山泰稚・近藤一樹・デーブ・ハフがそれぞれ1勝。大下佑馬,中尾輝,風張蓮がイニング跨ぎかつ連投など早い時期にしわ寄せがいっていたのも事実。
元号が令和と改まった5月。令和初の神宮での試合となった6日阪神戦(神宮)。前日5日中日戦(ナゴヤドーム)で死球を受け登録抹消となった上田剛史の代わりに昇格した山崎晃大朗のタイムリーで先制すると,4月迄に7セーブを挙げながら上半身のコンディション不良を訴えこの日離脱した石山の代役守護神に任命された梅野雄吾がプロ初セーブを挙げた。10日巨人戦(東京ドーム)で渡邉大樹がプロ初安打・初本塁打・初打点。11日巨人戦(東京ドーム)で石川雅規が6試合目の登板で今季初勝利を挙げ,自身のプロ入りからの連続勝利を18年に延ばす。12日巨人戦(東京ドーム)では村上が第107代四番打者に抜擢される。しかしこの試合で西浦が下半身のコンディション不良を訴え途中交代。
ここから悪夢の16連敗が始まった。ショートに太田賢吾,廣岡大志,奥村展征を日替わりで起用せざるを得なくなり攻守ともに西浦不在の影響を痛感することになった。廣岡に至っては6月13日東北楽天戦(楽天生命パーク)まで1969年浜村健史(西鉄)と並ぶ開幕からの連続打席無安打記録「41」のプロ野球ワースト記録に並んでしまう。14-15日広島戦(マツダ)に連敗。17-19日DeNA戦(神宮),21-23日阪神戦(甲子園),24-26日中日戦(神宮),28-30日広島戦(神宮)と4カード連続同一カード3連敗。31日DeNA戦(横浜)にも敗れ1970年以来球団史上3回目となる15連敗。
結局5月は球団史上ワーストタイとなる月間5勝。借金10となり最下位に転落した。ドラフト7位久保拓真がプロ初登板を果たした28日広島戦(神宮)で五十嵐が史上7人目となる通算800試合登板を達成。青木がNPB通算100号本塁打(史上292人目)を17日DeNA戦(神宮)で,NPB通算1500安打(史上126人目)を22日阪神戦(甲子園)でそれぞれ達成した。
6月1日DeNA戦(横浜)。連敗ストップをプロ初登板初先発となるドラフト1位清水昇に託したものの,とうとう球団史上ワーストタイかつセ・リーグワーストタイとなる16連敗。2日DeNA戦(横浜)。初回2死満塁から大引啓次の走者一掃となる二塁打が,リーグの連敗ワースト記録更新を阻止する大きな一打となり,チームは5月12日巨人戦(東京ドーム)以来21日ぶりとなる勝利をつかみ,前年勝率1位となった交流戦に突入した。それでも流れは変わらなかった。
8日オリックス戦(神宮)に敗れ,1970年以来これまた球団ワーストとなる神宮球場で1分を挟んで11連敗。三塁守備に不安を残す村上を一塁に固定し,藤井亮太,宮本丈を三塁で起用するなど試行錯誤を繰り返した。18日ソフトバンク戦(神宮)で1970年以来となる12カード連続初戦黒星を喫する。このまま交流戦は全カード1勝2敗。前年(12勝6敗)と真逆となる6勝12敗。リーグ戦再開初戦となった29日巨人戦(秋田)にも敗れ,15カード連続初戦黒星。早くも自力優勝の可能性が消滅した。
このようなチーム状態もあって若手の起用も目立つように。ドラフト2位中山翔太が9日オリックス戦(神宮)でプロ初打席・初安打・初打点。16日埼玉西武戦(メットライフ)にはプロ初本塁打。同8位吉田大成が24日オリックス戦(神宮)でプロ初安打・初打点。21日ロッテ戦(神宮)で蔵本治孝がプロ初登板。山田は30日巨人戦(秋田)で史上300人目となる通算1000本安打を達成した。
7月2日広島戦(マツダ)。5月6日阪神戦(神宮)以来実に16カードぶりとなるカード初戦白星。この試合で大村孟がプロ初本塁打を放った。8日DeNA戦(神宮)には山田大樹がソフトバンク時代の2017年6月11日阪神戦以来となる移籍後初勝利。首位とは15.5差の最下位でオールスターを迎えたが,7月に入って6勝2敗と浮上の兆しをみせていた。
しかしオールスター明け最初のカードとなった17日巨人戦(神宮)でセカンドベースカバーに入った西浦が重信慎之助と交錯し負傷交代。骨折が判明し復帰から僅か6試合で再び戦線離脱。8月9日には自力でのクライマックスシリーズ進出可能性が消滅した。
チームとしてのモチベーションを保つのが難しくなると,打撃で高いアベレージを残してきた中村悠平に対するリード面への風当たりも強くなり,西田明央,井野卓,古賀優大との併用も目立つようになっていく。
8月8日阪神戦(神宮)で五十嵐が史上4人目となる日米通算400試合登板達成。13日DeNA戦(神宮)ハフが来日初セーブ。23日DeNA戦(神宮)では山田哲が日本新記録となる33回連続盗塁成功。開幕からの連続盗塁成功記録も1964年広瀬叔功に並ぶ歴代1位となる31回までのばした。連続盗塁成功記録は9月14日DeNA戦(横浜)で38でストップした。同日に大引が史上302人目の通算1000本安打。デービッド・ブキャナンは8月5試合に登板して3勝0敗,防御率1・64の成績で月間MVPを受賞した。
9月4日広島戦(神宮)では山田哲が史上106人目通算200号本塁打を劇的なサヨナラ満塁本塁打で決めた。同日川端が史上504人目通算1000試合出場。7日巨人戦(神宮)に敗れクライマックスシリーズ進出可能性が完全に消滅。2年ぶりのBクラスが確定した。10日阪神戦(甲子園)の試合前に小川監督,宮本慎也ヘッドコーチの今季限りでの退団が発表された。18日阪神戦(甲子園)の敗戦をもって2年ぶりの最下位が確定。シーズン最終戦となった28日巨人戦(神宮)で小川が史上356人目通算1000投球回をクリアした。
若い力も台頭した。村上はチームで唯一全143試合に出場。高卒2年目以内では1953年西鉄ライオンズ中西太と並ぶ歴代最多タイの36本塁打。96打点は同氏の記録を更新し歴代最多記録を打ち立てた。また年間184三振でセ・リーグ記録を更新した。
8月25日阪神戦(神宮)でドラフト4位坂本光士郎がプロ初ホールド。31日中日戦(ナゴヤドーム)で平井諒が2016年8月25日中日戦(神宮)以来1101日ぶりの勝利投手に。9月15日広島戦(マツダ)で田川賢吾がプロ初勝利。9月19日阪神戦(甲子園)で塩見泰隆が,9月22日巨人戦(神宮)で松本直樹がプロ初本塁打。9月25日中日戦(ナゴヤドーム)でドラフト4位浜田太貴がプロ初出場。登板こそ無かったがドラフト3位市川悠太も一軍登録された。高橋奎二はほぼ一年間ローテーションを守り4勝。打っても4月14日巨人戦(東京ドーム)でプロ初安打,8月4日中日戦(神宮)でプロ初打点と打撃でも非凡なセンスを見せている。
3年目を迎えた寺島成輝は登板3試合のみ。星知弥は下半身のコンディション不良などもあり10試合で1勝3敗,防御率8.53と結果を残せずにいる。ベテランの山中浩史は4試合の登板にとどまり,5年ぶりに未勝利に終わった。中澤雅人はファームではチーム最多の43試合に登板したが一軍登板は1試合のみ。高卒2年目金久保優斗,ドラフト6位鈴木裕太は来季の一軍デビューを目指す。育成契約の日隈ジュリアス,内山太嗣,松本友はいずれも支配下登録には至らなかった。
監督代行時代も含め,2度の任期で計7シーズン3回のAクラス入りは,球団史上では野村克也監督(5回),若松勉監督(4回)に次いで3人目。一方で3度の最下位は,監督としては球団史上最多となった小川監督に代わり,高津臣吾二軍監督が新監督に就任することになった。
【表1】セ・リーグ順位表
原辰徳監督が5年ぶりに現場復帰した巨人が5年ぶりの優勝を果たした。2年連続で沢村賞に選出された菅野智之が腰痛やコンディション不良で3度登録抹消されたが,山口俊が牽引。最多勝・最多奪三振・最高勝率のタイトルを獲得。MVPには攻守でチームを支えた坂本勇人。FA移籍1年目の丸佳浩は89打点,岡本和真は31本塁打94打点。リーグトップの663得点,183本塁打の攻撃型打線が機能した。
2位にはDeNA。チーム防御率3.93はリーグ5位ながら,エスコバーがリーグ最多の74試合,三嶋一輝がリーグ2位の71試合に登板。2年連続セーブ王となった山崎康晃までリードを保ったままバトンを渡そうという姿勢がアレックス・ラミレス監督の継投に現れていた。来日2年目のネクタリ・ソトが43本塁打を放ち2年連続本塁打王に。108打点で打点王のタイトルも獲得した。
シーズン最終盤怒涛の6連勝で最終戦で3位に滑り込んだ阪神。チーム防御率3.46は12球団ナンバーワン。先発で2けたの勝利を挙げたのは移籍1年目の西勇輝のみ。光ったのは強力なブルペン陣。岩崎優(1.01),ジョンソン(1.38),島本浩也(1.67),藤川球児(1.77),ドリス(2.11)などリリーフ全体の防御率は2.70。矢野耀大新監督は積極的に若手を起用。ルーキーの近本光司が36盗塁で盗塁王に輝いた。
5月には20勝4敗 勝率.853と圧倒的な強さを見せていたものの,4年ぶりにBクラスに転落した広島。3連覇を支えてきたリリーフ陣に勤続疲労の色が隠せなかった。打線も不動の3番だった丸が抜けたことで打順が固まらず,得点は昨年の721から591と130点も減らした。8月半ばにはバティスタがドーピング違反で出場停止処分に。緒方孝市監督はシーズン後に辞任を発表した。
昨季0勝に終わった大野雄大がリーグトップの防御率2.58。ロドリゲスが44ホールドで最優秀中継ぎ投手。打率10傑にダヤン・ビシエド,大島洋平,高橋周平,阿部寿樹の4名が名を連ね,リーグトップのチーム打率.263。さらに12球団最少の45失策で守備率.992でセ・リーグ記録を更新しながらも5位に終わった中日。与田剛監督が投打を上手く束ねれば不気味な存在となっていくのではないか【表1】。
チーム成績
【表2-1】チーム月別成績
4月は巨人の14勝9敗 勝率.609をも上回るリーグトップの成績だった。しかし5月は月間20敗で球団ワーストタイ記録。【表2-1】。
【表2-2】チームホーム/ビジター別成績
ホームでの負け越しは2年ぶり。ホームの勝率.406は2017年の.429よりも低い数字。神宮球場での負け越しは11。神宮球場での11連敗以上は,1965年6月25日大洋戦から同8月3日広島戦にかけての17連敗,1970年7月12日中日戦から同8月25日中日戦にかけての14連敗に次いで49年ぶり3度目【表2-2】。
【表2-3】チーム曜日別成績
勝率ワーストは金曜日。令和最初の金曜日である5月第1週に勝利してから12連敗。中止や移動日の関係で17週間勝ちが無く,9月第1週でようやく連敗を止めた。日曜日は8月第3週より5連勝中【表2-3】。
【表2-4】チーム年度別成績推移直近10年間 ※()はリーグ順位
攻撃陣の656得点,167本塁打はいずれもリーグ2位。一方でチーム打率は昨季のリーグトップの.266からリーグワーストの.244に転落。しかし得点は昨年とほぼ同数の656でリーグ2位。アウトになっても得点を増やすという考えは浸透したように感じる。得点圏打率が.284と低く,昨季9度あった3点差以上の逆転勝ちの試合は9試合から4試合に減少した。
失点,防御率はいずれもリーグワースト。防御率4.78は1984年の4.76を0.02下回り球団史上ワーストの数字。クオリティースタートの回数はリーグワーストタイの53度。ペナントレースから早々に離脱したイメージがあるが,首位とのゲーム差で比較すると,同じく最下位となった2013年,2014年,2017年よりも小さく,3位となった2012年よりも小さかった。リーグとしての戦力は均衡していたと言えるのだろうか【表2-2】。
【表3】チーム別対戦成績
史上初の全11球団負け越しも記録した。2005年の交流戦開始以降これまでの記録は2016年オリックスでヤクルト以外の10球団に負け越した。創設初年度の2005年東北楽天は中日に,2009年横浜はヤクルト,2011年横浜はロッテにそれぞれ勝ち越していた。勝ち越し球団が0だったのは2008年と2010年の横浜。当時は交流戦が4試合制で2勝2敗のカードがあり,全11球団負け越しは免れていた。【表3】。
【表4】守備成績
中日が5373の守備機会で45失策。守備率.992。2004年中日の.991を抜きセ・リーグ新記録を更新した。シーズン45失策は2004年中日に並ぶセ・リーグ最少タイ。守備率のプロ野球記録は2017年ソフトバンクの.993。ヤクルトの失策数は97。内訳は村上15(内訳:三塁・10,一塁・5),廣岡と太田が13,奥村と山田が8と内野手が上位を占めた。記録にならない失策も多く失点につながった【表4】。
【表5-1】交流戦順位表
【表5-2】交流戦通算成績[2005-2019]
今年も58勝46敗4分とパ・リーグが「12」の勝ち越し。10年連続14度目の勝ち越しとなった。優勝は11勝5敗2分のソフトバンクで,12球団断トツの8度目の制覇。MVPには全18試合に出場し打率.348,7本塁打,14打点をマークしたソフトバンクの松田宣浩。日本生命賞としてパ・リーグから鈴木大地(ロッテ),セ・リーグから柳裕也(中日)が選出された。セ・リーグの勝ち越しは11勝7敗の巨人,10勝7敗1分のDeNAのみ。【表5-1】。交流戦通算でも東北楽天に1厘及ばず再び10位となった【表5-2】。
DATE2019〜PLAY BACK 16連敗
5月14日広島戦(マツダ)からの16連敗。1970年に作ったセ・リーグのワースト記録に並んだ。プロ野球記録は1998年にロッテが記録した18連敗。この時のロッテは1引き分けを挟んでおり,引き分けを挟まない16連敗も1970年と並ぶ最長記録。連敗前は貯金5の2位につけていながら,一気に6位まで転落した。
今一度16連敗をここに振り返ってみる。
@5月14日広島戦(マツダ)
S 002 200 000 4
C 102 040 11x 9
●原(2-3)42/3,ハフ1/3,大下11/3,中尾2/3,風張1−中村,松本直 ○レグナルト
A5月15日広島戦(マツダ)
S 201 001 300 0 7
C 010 010 014 2x9
スアレス1,H大下1,Hマクガフ3,Hハフ1,近藤1,五十嵐1,梅野1,●中尾1/3−中村 ○中崎
B5月17日横浜DeNA戦(神宮)
B 003 100 000 4
S 000 100 200 3
●小川(1-5)7,ハフ1,五十嵐1−中村,井野 ○今永
青木6号@(今永)
C5月18日横浜DeNA戦(神宮)
B 102 030 500 11
S 000 300 300 6
●石川(1-2)41/3,五十嵐2/3,大下2,中尾1,風張1−中村 ○上茶谷
村上11号B(上茶谷)バレンティン9号A(エスコバー)
D5月19日横浜DeNA戦(神宮)
B 000 410 002 7
S 000 000 000 0
●高梨(4-3)5,風張12/3,中尾11/3,屋宜1−井野,西田 ○濱口
E5月21日阪神戦(甲子園)
S 010 000 100 2
T 100 200 00x 3
●原(2-4)6,ハフ1,マクガフ1−中村 ○青柳
村上12号@(能見)
F5月22日阪神戦(甲子園)
S 000 100 001 2
T 010 000 20x 3
高橋5,H近藤1,●ハフ(1-1)1,五十嵐1−中村 ○藤川
バレンティン10号@(岩田)
G5月23日阪神戦(甲子園)
S 000 000 000 0
T 000 000 001x1
ブキャナン6,H近藤2/3,Hハフ2/3,●マクガフ(2-1)1−中村 ○ドリス
H5月24日中日戦(神宮)
D 002 010 120 6
S 000 000 100 1
●小川(1-6)6,五十嵐1,中尾1,風張1−中村 ○勝野
バレンティン11号@(勝野)
I5月25日中日戦(神宮)
D 101 101 150 10
S 101 000 100 3
●石川(1-3)4,近藤1,ハフ1,マクガフ12/3,風張1/3,梅野1−中村 ○柳
青木7号@(柳)山田哲10号@(柳)太田2号@(マルティネス)
J5月26日中日戦(神宮)
D 020 250 001 10
S 303 020 000 8
●高梨(4-4)5,五十嵐1,近藤1,マクガフ1,梅野1−中村 ○小熊
青木8号@(清水)山田哲11号@(清水)バレンティン12号@(清水)
K5月28日広島戦(神宮)
C 013 300 010 8
S 100 500 010 7
●原(2-5)31/3,久保2/3,五十嵐1,ハフ1,近藤1,マクガフ1,梅野1−井野,中村 ○レグナルト
山田哲12号@(野村)村上13号@(野村)
L5月29日広島戦(神宮)
C 200 030 000 5
S 300 000 000 3
●高橋(0-2)42/3,五十嵐1/3,近藤2,久保1,風張1−中村 ○大瀬良
村上14号B(大瀬良)
M5月30日広島戦(神宮)
C 300 133 102 13
S 000 000 000 0
●小川(1-7)41/3,久保2/3,風張2,山中2−中村 ○山口
N5月31日横浜DeNA戦(横浜)
S 000 000 020 2
B 100 000 20x 3
●ブキャナン(1-2)6,マクガフ1,ハフ1−中村,西田 ○今永
O6月1日横浜DeNA戦(横浜)
S 000 000 000 0
B 050 020 00x 7
●清水(0-1)4,山中2,風張2−中村,古賀 ○上茶谷
1点差試合が6試合,2点差が3試合。原因は先発投手の不振。16連敗中先発投手が連敗中QSを達成したのはわずかに4回。先発が全く試合を作れずに早々に降板することでリリーフ陣にしわ寄せがいった。連敗期間中の投手運用をまとめたものが【表6】となる。
【表6】16連敗中の投手運用一覧○:登板時リード△:登板時同点 ●:登板時ビハインド *:イニング跨ぎ
スアレスにアクシデントがあったが,ブキャナンと入れ替えることで先発投手の頭数は揃っていたが,小川の間隔を詰め,プロ初登板の清水に連敗ストップを託し,挙句原を中4日起用。コンディション不良で6月18日ソフトバンク戦(神宮)の登板を最後に戦列を離れ,「まだその段階にいたってない」と更なる長期離脱が予想される事態を招いた。梅野,風張以外は役割が明確化されておらず,どの投手がどの場面で行くのか手探りの状態では,攻撃陣にも負の連鎖反応を起こすのも必然か。
それに輪をかける守備の乱れ。さらに本塁打でしか点が取れない打線。得点圏打率の異常な低さ。下位打線の弱さ。連敗による焦燥感。これらが融合し泥沼にハマった感がある。
おわりに〜2019シーズンに向けて
長年にわたって投打でヤクルトを支えてきた館山昌平,畠山和洋,三輪正義,さらに寺原と4選手が今季限りでの現役引退を表明した。村中恭兵,岩橋慶侍,屋宜照悟,沼田拓巳,山川晃司,大引,ブキャナン,ハフが退団。バレンティンはソフトバンクへの移籍が決まった。
ドラフト会議では,1位指名で3球団が競合した夏の甲子園準優勝投手奥川恭伸(星稜高・投手)を引き当てた。2位からは吉田大喜(日本体育大・投手)杉山晃基(創価大・投手)大西広樹(大阪商業大・投手)と即戦力と期待する大学生右腕を指名。5位からは長岡秀樹(八千代松陰高 ・内野手)武岡龍世(八戸学院光星高・内野手)と将来性豊かな内野手を指名した。
メジャーで55試合に登板したガブリエル・イノーア(前オリオールズ),同じくメジャー36試合登板のマット・クック(前ダイヤモンドバックス),東北楽天から戦力外通告を受けた今野龍太,千賀滉大・甲斐拓也らを輩出してきたソフトバンク育成の長谷川宙輝と投手を中心に補強。
さらに楽天から減額制限を超える年俸ダウン提示を受け自由契約となった嶋基宏を獲得。選手層に厚みを持たせるだけでなく,若い投手陣の育成にも好影響が期待される。
野手ではメジャー通算1367安打,174盗塁を記録したアルシデス・エスコバー(前ホワイトソックス傘下3A)を獲得した。
田畑一也投手コーチ,橋上秀樹二軍チーフコーチは退任し,それぞれ独立リーグ富山サンダーバーズで監督,アルビレックス新潟BCで総合コーチを務めることになった。石井琢朗打撃コーチは巨人一軍野手総合コーチ,北川博敏二軍打撃コーチは阪神二軍打撃コーチに就任した。
小川前監督は2020年1月1日付で,球団史上初となる編成面と運営面を管理するゼネラルマネジャー(GM)職に就任することになった。
宮出隆自打撃コーチがヘッドコーチに。メジャー経験のある斎藤隆投手コーチを新たに招聘し,石井弘寿投手コーチと投手陣立て直しを図る。打撃は杉村繁巡回コーチと松元ユウイチ二軍打撃コーチ。森岡良介二軍内野・守備走塁コーチが内野守備走塁コーチに。河田雄祐外野守備走塁コーチ,衣川篤史バッテリーコーチは留任。
ファームは池山隆寛二軍監督を迎え,福地寿樹二軍外野守備・走塁コーチがチーフコーチに昇格。小野寺力,松岡健一二軍投手コーチは留任。今季限りで現役を退いた畠山と大松尚逸が二軍打撃コーチに就任。土橋勝征内野守備コーチが配置転換で二軍内野守備走塁コーチへ。北海道日本ハムから緒方耕一二軍外野守備走塁コーチを招聘した。福川将和二軍バッテリーコーチは2年目を迎える。
チームスローガンは「辛いことや苦しいこと、色々な思いがあるけど常に前を向いて闘っていこう」というメッセージが込められた「NEVER STOP 突き進め!」に決まった。
高津監督は巻き返しを期す来季へ「自分は少しでも野球がうまくなりたいと思ってやってきた。立ち止まっていては駄目。選手が少しでも成長できるように」と向上心を持つことの重要性を強調した。
東京五輪が開催される2020年は,メインスタジアムの新国立競技場に隣接する神宮球場が,五輪開催に伴い関係者や来賓の待機場所,資材置き場として使用されるため,7月6日〜9月13日まで使用できない。このため7月上旬から9月上旬にかけて,主催試合を東京ドームで4カード計11試合行うことになる。さらに五輪期間中は7月21日〜8月13日まで公式戦が中断されるという極めて特殊なシーズン日程となるが,これが各球団どう影響するのだろうかは全く見通せない。
参考資料
『週刊ベースボール』第74巻 第61号 通産3620号,ベースボールマガジン社,2019.12
「ニッカンスコア速報」
https://www.nikkansports.com/baseball/professional/schedule/s03.html
https://www.nikkansports.com/baseball/professional/schedule/s04.html
https://www.nikkansports.com/baseball/professional/schedule/s05.html
https://www.nikkansports.com/baseball/professional/schedule/s06.html
https://www.nikkansports.com/baseball/professional/schedule/s07.html
https://www.nikkansports.com/baseball/professional/schedule/s08.html
https://www.nikkansports.com/baseball/professional/schedule/s09.html
データで楽しむプロ野球
http://baseballdata.jp/
96敗の最下位から一気に2位へと再起したスワローズ。監督復帰2年目の小川淳司監督は4年ぶりの優勝を目指し「躍進」をチームスローガンに掲げた。迎えた3月29日阪神との開幕戦(京セラドーム)。小川泰弘が開幕投手を務め,高卒2年目村上宗隆が球団史上55年ぶり6人目・球団最速タイとなる野手の開幕スタメンに抜擢された。開幕連敗スタートとなったが,3戦目となる31日阪神戦(京セラドーム)で北海道日本ハムから交換トレードで獲得した高梨裕稔が移籍後初先発初勝利。しかしこの試合でリードオフマン坂口智隆が左手に死球を受け骨折。長期離脱を余儀なくされることなった。
本拠地での初戦となった4月2日DeNA戦(神宮)の先発を託されたのは原樹理。開幕スタメンを掴めなかった西浦直亨の執念のタイムリーで逆転勝利。3日DeNA戦(神宮)は3点ビハインドの8回裏に高井雄平の起死回生3ランで追いつき9回裏にサヨナラ勝ち。5日中日戦(神宮)では10年ぶりに復帰した五十嵐亮太が2009年10月7日横浜戦(神宮)以来の勝利投手に。6日中日戦(神宮)では延長12回裏2死から代打青木宣親が劇的なサヨナラ本塁打。10日広島戦(マツダ)では延長10回表に打者16人,本塁打なしの8安打。最後は代走で途中出場の田代将太郎の3点タイムリー三塁打で計12得点を奪い,延長での1イニング最多得点のプロ野球新記録を樹立。スコット・マクガフに来日初白星がついた。11日広島戦(マツダ)ではソフトバンクを戦力外になり加入した寺原隼人がソフトバンク時代の2017年5月7日ロッテ戦(ZOZOマリン)以来704日ぶりの勝利投手となり,マツダスタジアムでは2012年9月17-19日以来7年ぶりとなる同一カード3連勝。2015年シーズン以来1282日ぶりの単独首位に立つ。13日巨人戦(東京ドーム)で対巨人戦通算700勝目を挙げると,14日巨人戦(東京ドーム)で4カード連続勝ち越しを決め,球団では1997年以来22年ぶり3度目となる両リーグ10勝一番乗り。16日阪神戦(松山)では小川監督が球団史上3人目となる監督通算400勝に到達。20日中日戦(ナゴヤドーム)では川端慎吾が史上294人目の通算1000本安打を達成。25日巨人戦(神宮)には菅野智之から青木・山田哲人・ウラディミール・バレンティンが三者連続本塁打。アルバート・スアレスが来日初勝利。30日DeNA戦(横浜)では延長10回表に荒木貴裕のタイムリーで平成最後の試合を白星で締め首位巨人と0.5差の2位で平成を終えた。
逆転勝利が多かったことの裏返しでもあるが,先発に白星がついたのは6試合。28試合中先発投手が6回を投げ切ったのは半数に満たない13試合。16勝のうち五十嵐5勝,マクガフ2勝,石山泰稚・近藤一樹・デーブ・ハフがそれぞれ1勝。大下佑馬,中尾輝,風張蓮がイニング跨ぎかつ連投など早い時期にしわ寄せがいっていたのも事実。
元号が令和と改まった5月。令和初の神宮での試合となった6日阪神戦(神宮)。前日5日中日戦(ナゴヤドーム)で死球を受け登録抹消となった上田剛史の代わりに昇格した山崎晃大朗のタイムリーで先制すると,4月迄に7セーブを挙げながら上半身のコンディション不良を訴えこの日離脱した石山の代役守護神に任命された梅野雄吾がプロ初セーブを挙げた。10日巨人戦(東京ドーム)で渡邉大樹がプロ初安打・初本塁打・初打点。11日巨人戦(東京ドーム)で石川雅規が6試合目の登板で今季初勝利を挙げ,自身のプロ入りからの連続勝利を18年に延ばす。12日巨人戦(東京ドーム)では村上が第107代四番打者に抜擢される。しかしこの試合で西浦が下半身のコンディション不良を訴え途中交代。
ここから悪夢の16連敗が始まった。ショートに太田賢吾,廣岡大志,奥村展征を日替わりで起用せざるを得なくなり攻守ともに西浦不在の影響を痛感することになった。廣岡に至っては6月13日東北楽天戦(楽天生命パーク)まで1969年浜村健史(西鉄)と並ぶ開幕からの連続打席無安打記録「41」のプロ野球ワースト記録に並んでしまう。14-15日広島戦(マツダ)に連敗。17-19日DeNA戦(神宮),21-23日阪神戦(甲子園),24-26日中日戦(神宮),28-30日広島戦(神宮)と4カード連続同一カード3連敗。31日DeNA戦(横浜)にも敗れ1970年以来球団史上3回目となる15連敗。
結局5月は球団史上ワーストタイとなる月間5勝。借金10となり最下位に転落した。ドラフト7位久保拓真がプロ初登板を果たした28日広島戦(神宮)で五十嵐が史上7人目となる通算800試合登板を達成。青木がNPB通算100号本塁打(史上292人目)を17日DeNA戦(神宮)で,NPB通算1500安打(史上126人目)を22日阪神戦(甲子園)でそれぞれ達成した。
6月1日DeNA戦(横浜)。連敗ストップをプロ初登板初先発となるドラフト1位清水昇に託したものの,とうとう球団史上ワーストタイかつセ・リーグワーストタイとなる16連敗。2日DeNA戦(横浜)。初回2死満塁から大引啓次の走者一掃となる二塁打が,リーグの連敗ワースト記録更新を阻止する大きな一打となり,チームは5月12日巨人戦(東京ドーム)以来21日ぶりとなる勝利をつかみ,前年勝率1位となった交流戦に突入した。それでも流れは変わらなかった。
8日オリックス戦(神宮)に敗れ,1970年以来これまた球団ワーストとなる神宮球場で1分を挟んで11連敗。三塁守備に不安を残す村上を一塁に固定し,藤井亮太,宮本丈を三塁で起用するなど試行錯誤を繰り返した。18日ソフトバンク戦(神宮)で1970年以来となる12カード連続初戦黒星を喫する。このまま交流戦は全カード1勝2敗。前年(12勝6敗)と真逆となる6勝12敗。リーグ戦再開初戦となった29日巨人戦(秋田)にも敗れ,15カード連続初戦黒星。早くも自力優勝の可能性が消滅した。
このようなチーム状態もあって若手の起用も目立つように。ドラフト2位中山翔太が9日オリックス戦(神宮)でプロ初打席・初安打・初打点。16日埼玉西武戦(メットライフ)にはプロ初本塁打。同8位吉田大成が24日オリックス戦(神宮)でプロ初安打・初打点。21日ロッテ戦(神宮)で蔵本治孝がプロ初登板。山田は30日巨人戦(秋田)で史上300人目となる通算1000本安打を達成した。
7月2日広島戦(マツダ)。5月6日阪神戦(神宮)以来実に16カードぶりとなるカード初戦白星。この試合で大村孟がプロ初本塁打を放った。8日DeNA戦(神宮)には山田大樹がソフトバンク時代の2017年6月11日阪神戦以来となる移籍後初勝利。首位とは15.5差の最下位でオールスターを迎えたが,7月に入って6勝2敗と浮上の兆しをみせていた。
しかしオールスター明け最初のカードとなった17日巨人戦(神宮)でセカンドベースカバーに入った西浦が重信慎之助と交錯し負傷交代。骨折が判明し復帰から僅か6試合で再び戦線離脱。8月9日には自力でのクライマックスシリーズ進出可能性が消滅した。
チームとしてのモチベーションを保つのが難しくなると,打撃で高いアベレージを残してきた中村悠平に対するリード面への風当たりも強くなり,西田明央,井野卓,古賀優大との併用も目立つようになっていく。
8月8日阪神戦(神宮)で五十嵐が史上4人目となる日米通算400試合登板達成。13日DeNA戦(神宮)ハフが来日初セーブ。23日DeNA戦(神宮)では山田哲が日本新記録となる33回連続盗塁成功。開幕からの連続盗塁成功記録も1964年広瀬叔功に並ぶ歴代1位となる31回までのばした。連続盗塁成功記録は9月14日DeNA戦(横浜)で38でストップした。同日に大引が史上302人目の通算1000本安打。デービッド・ブキャナンは8月5試合に登板して3勝0敗,防御率1・64の成績で月間MVPを受賞した。
9月4日広島戦(神宮)では山田哲が史上106人目通算200号本塁打を劇的なサヨナラ満塁本塁打で決めた。同日川端が史上504人目通算1000試合出場。7日巨人戦(神宮)に敗れクライマックスシリーズ進出可能性が完全に消滅。2年ぶりのBクラスが確定した。10日阪神戦(甲子園)の試合前に小川監督,宮本慎也ヘッドコーチの今季限りでの退団が発表された。18日阪神戦(甲子園)の敗戦をもって2年ぶりの最下位が確定。シーズン最終戦となった28日巨人戦(神宮)で小川が史上356人目通算1000投球回をクリアした。
若い力も台頭した。村上はチームで唯一全143試合に出場。高卒2年目以内では1953年西鉄ライオンズ中西太と並ぶ歴代最多タイの36本塁打。96打点は同氏の記録を更新し歴代最多記録を打ち立てた。また年間184三振でセ・リーグ記録を更新した。
8月25日阪神戦(神宮)でドラフト4位坂本光士郎がプロ初ホールド。31日中日戦(ナゴヤドーム)で平井諒が2016年8月25日中日戦(神宮)以来1101日ぶりの勝利投手に。9月15日広島戦(マツダ)で田川賢吾がプロ初勝利。9月19日阪神戦(甲子園)で塩見泰隆が,9月22日巨人戦(神宮)で松本直樹がプロ初本塁打。9月25日中日戦(ナゴヤドーム)でドラフト4位浜田太貴がプロ初出場。登板こそ無かったがドラフト3位市川悠太も一軍登録された。高橋奎二はほぼ一年間ローテーションを守り4勝。打っても4月14日巨人戦(東京ドーム)でプロ初安打,8月4日中日戦(神宮)でプロ初打点と打撃でも非凡なセンスを見せている。
3年目を迎えた寺島成輝は登板3試合のみ。星知弥は下半身のコンディション不良などもあり10試合で1勝3敗,防御率8.53と結果を残せずにいる。ベテランの山中浩史は4試合の登板にとどまり,5年ぶりに未勝利に終わった。中澤雅人はファームではチーム最多の43試合に登板したが一軍登板は1試合のみ。高卒2年目金久保優斗,ドラフト6位鈴木裕太は来季の一軍デビューを目指す。育成契約の日隈ジュリアス,内山太嗣,松本友はいずれも支配下登録には至らなかった。
監督代行時代も含め,2度の任期で計7シーズン3回のAクラス入りは,球団史上では野村克也監督(5回),若松勉監督(4回)に次いで3人目。一方で3度の最下位は,監督としては球団史上最多となった小川監督に代わり,高津臣吾二軍監督が新監督に就任することになった。
【表1】セ・リーグ順位表
順位 | チーム | 試合 | 勝数 | 敗数 | 引分 | 勝率 | 勝差 | 得点 | 失点 | 本塁 | 盗塁 | 打率 | 防御率 |
1 | 巨 人 | 143 | 77 | 64 | 2 | .546 | 663 | 573 | 183 | 83 | .257 | 3.77 | |
2 | DeNA | 143 | 71 | 69 | 3 | .507 | 5.5 | 596 | 611 | 163 | 40 | .246 | 3.93 |
3 | 阪 神 | 143 | 69 | 68 | 6 | .504 | 0.5 | 538 | 566 | 94 | 100 | .251 | 3.46 |
4 | 広 島 | 143 | 70 | 70 | 3 | .500 | 0.5 | 591 | 601 | 140 | 81 | .254 | 3.68 |
5 | 中 日 | 143 | 68 | 73 | 2 | .482 | 2.5 | 563 | 544 | 90 | 63 | .263 | 3.72 |
6 | ヤクルト | 143 | 59 | 82 | 2 | .418 | 9.0 | 656 | 739 | 167 | 62 | .244 | 4.78 |
原辰徳監督が5年ぶりに現場復帰した巨人が5年ぶりの優勝を果たした。2年連続で沢村賞に選出された菅野智之が腰痛やコンディション不良で3度登録抹消されたが,山口俊が牽引。最多勝・最多奪三振・最高勝率のタイトルを獲得。MVPには攻守でチームを支えた坂本勇人。FA移籍1年目の丸佳浩は89打点,岡本和真は31本塁打94打点。リーグトップの663得点,183本塁打の攻撃型打線が機能した。
2位にはDeNA。チーム防御率3.93はリーグ5位ながら,エスコバーがリーグ最多の74試合,三嶋一輝がリーグ2位の71試合に登板。2年連続セーブ王となった山崎康晃までリードを保ったままバトンを渡そうという姿勢がアレックス・ラミレス監督の継投に現れていた。来日2年目のネクタリ・ソトが43本塁打を放ち2年連続本塁打王に。108打点で打点王のタイトルも獲得した。
シーズン最終盤怒涛の6連勝で最終戦で3位に滑り込んだ阪神。チーム防御率3.46は12球団ナンバーワン。先発で2けたの勝利を挙げたのは移籍1年目の西勇輝のみ。光ったのは強力なブルペン陣。岩崎優(1.01),ジョンソン(1.38),島本浩也(1.67),藤川球児(1.77),ドリス(2.11)などリリーフ全体の防御率は2.70。矢野耀大新監督は積極的に若手を起用。ルーキーの近本光司が36盗塁で盗塁王に輝いた。
5月には20勝4敗 勝率.853と圧倒的な強さを見せていたものの,4年ぶりにBクラスに転落した広島。3連覇を支えてきたリリーフ陣に勤続疲労の色が隠せなかった。打線も不動の3番だった丸が抜けたことで打順が固まらず,得点は昨年の721から591と130点も減らした。8月半ばにはバティスタがドーピング違反で出場停止処分に。緒方孝市監督はシーズン後に辞任を発表した。
昨季0勝に終わった大野雄大がリーグトップの防御率2.58。ロドリゲスが44ホールドで最優秀中継ぎ投手。打率10傑にダヤン・ビシエド,大島洋平,高橋周平,阿部寿樹の4名が名を連ね,リーグトップのチーム打率.263。さらに12球団最少の45失策で守備率.992でセ・リーグ記録を更新しながらも5位に終わった中日。与田剛監督が投打を上手く束ねれば不気味な存在となっていくのではないか【表1】。
チーム成績
【表2-1】チーム月別成績
通産 | |||||||||||||
月 | 試合 | 勝数 | 負数 | 引分 | 勝率 | 順位 | 打率 | 本塁 | 得点 | 失点 | 防御 | 勝率 | 順位 |
3 | 3 | 1 | 2 | 0 | .333 | 4 | .144 | 0 | 3 | 4 | 0.99 | .333 | 4 |
4 | 25 | 15 | 9 | 1 | .625 | 1 | .270 | 38 | 143 | 121 | 4.50 | .593 | 2 |
5 | 26 | 5 | 20 | 1 | .200 | 6 | .218 | 24 | 95 | 154 | 5.35 | .404 | 6 |
6 | 22 | 7 | 15 | 0 | .318 | 5 | .234 | 23 | 91 | 119 | 4.86 | .378 | 6 |
7 | 21 | 9 | 12 | 0 | .429 | 5 | .240 | 18 | 91 | 101 | 4.65 | .389 | 6 |
8 | 27 | 12 | 15 | 0 | .444 | 6 | .268 | 43 | 140 | 133 | 4.53 | .402 | 6 |
9 | 19 | 10 | 9 | 0 | .526 | 3 | .243 | 21 | 93 | 107 | 5.50 | .418 | 6 |
計 | 143 | 59 | 82 | 2 | .418 | 6 | .244 | 167 | 656 | 739 | 4.78 | .418 | 6 |
4月は巨人の14勝9敗 勝率.609をも上回るリーグトップの成績だった。しかし5月は月間20敗で球団ワーストタイ記録。【表2-1】。
【表2-2】チームホーム/ビジター別成績
試合 | 勝数 | 敗数 | 引分 | 勝率 | 得点 | 失点 | 本塁 | 盗塁 | 打率 | 防御率 | |
ホーム | 71 | 28 | 41 | 2 | .406 | 321 | 400 | 91 | 27 | .248 | 5.12 |
ビジター | 72 | 31 | 41 | 0 | .431 | 335 | 339 | 76 | 35 | .241 | 4.45 |
ホームでの負け越しは2年ぶり。ホームの勝率.406は2017年の.429よりも低い数字。神宮球場での負け越しは11。神宮球場での11連敗以上は,1965年6月25日大洋戦から同8月3日広島戦にかけての17連敗,1970年7月12日中日戦から同8月25日中日戦にかけての14連敗に次いで49年ぶり3度目【表2-2】。
【表2-3】チーム曜日別成績
試合 | 勝数 | 敗数 | 引分 | 勝率 | 得点 | 失点 | 本塁 | 盗塁 | 打率 | 防御率 | |
月曜日 | 8 | 5 | 3 | 0 | .625 | 38 | 39 | 13 | 4 | .243 | 4.01 |
火曜日 | 23 | 8 | 15 | 0 | .348 | 103 | 123 | 27 | 5 | .244 | 4.87 |
水曜日 | 25 | 11 | 12 | 2 | .478 | 139 | 118 | 28 | 14 | .263 | 4.20 |
木曜日 | 19 | 9 | 10 | 0 | .474 | 97 | 83 | 22 | 12 | .246 | 4.26 |
金曜日 | 18 | 3 | 15 | 0 | .167 | 63 | 124 | 18 | 10 | .230 | 6.32 |
土曜日 | 26 | 10 | 16 | 0 | .385 | 102 | 140 | 28 | 10 | .229 | 5.06 |
日曜日 | 24 | 13 | 11 | 0 | .542 | 114 | 112 | 31 | 7 | .250 | 4.59 |
計 | 143 | 59 | 82 | 2 | .418 | 656 | 739 | 167 | 62 | .244 | 4.78 |
勝率ワーストは金曜日。令和最初の金曜日である5月第1週に勝利してから12連敗。中止や移動日の関係で17週間勝ちが無く,9月第1週でようやく連敗を止めた。日曜日は8月第3週より5連勝中【表2-3】。
【表2-4】チーム年度別成績推移直近10年間 ※()はリーグ順位
試合 | 勝数 | 負数 | 引分 | 勝率 | 勝差 | 順位 | 得点 | 失点 | 本塁打 | 盗塁 | 打率 | 防御率 | |
2019 | 143 | 59 | 82 | 2 | .418 | 18.0 | 6 | 656(2) | 739(6) | 167(2) | 62(5) | .244(6) | 4.78(6) |
2018 | 143 | 75 | 66 | 2 | .532 | 7.0 | 2 | 658(2) | 665(6) | 135(4) | 68(4) | .266(1) | 4.13(4) |
2017 | 143 | 45 | 96 | 2 | .319 | 44.0 | 6 | 473(6) | 653(6) | 95(6) | 50(5) | .234(6) | 4.21(6) |
2016 | 143 | 64 | 78 | 1 | .451 | 25.5 | 5 | 594(2) | 694(6) | 113(4) | 82(2) | .256(2) | 4.73(6) |
2015 | 143 | 76 | 65 | 2 | .539 | -1.5 | 1 | 574(1) | 518(4) | 107(2) | 83(3) | .257(1) | 3.31(4) |
2014 | 144 | 60 | 81 | 3 | .426 | 21.0 | 6 | 667(1) | 717(6) | 139(3) | 62(5) | .279(1) | 4.62(6) |
2013 | 144 | 57 | 83 | 4 | .407 | 28.5 | 6 | 577(3) | 682(5) | 134(2) | 70(4) | .253(4) | 4.26(5) |
2012 | 144 | 68 | 65 | 11 | .511 | 20.0 | 3 | 499(2) | 514(5) | 90(2) | 63(4) | .260(1) | 3.35(5) |
2011 | 144 | 70 | 59 | 15 | .543 | 2.5 | 2 | 484(1) | 504(5) | 86(3) | 43(5) | .244(3) | 3.36(5) |
2010 | 144 | 72 | 68 | 4 | .514 | 6.5 | 4 | 617(3) | 621(3) | 124(3) | 66(4) | .268(2) | 3.85(2) |
攻撃陣の656得点,167本塁打はいずれもリーグ2位。一方でチーム打率は昨季のリーグトップの.266からリーグワーストの.244に転落。しかし得点は昨年とほぼ同数の656でリーグ2位。アウトになっても得点を増やすという考えは浸透したように感じる。得点圏打率が.284と低く,昨季9度あった3点差以上の逆転勝ちの試合は9試合から4試合に減少した。
失点,防御率はいずれもリーグワースト。防御率4.78は1984年の4.76を0.02下回り球団史上ワーストの数字。クオリティースタートの回数はリーグワーストタイの53度。ペナントレースから早々に離脱したイメージがあるが,首位とのゲーム差で比較すると,同じく最下位となった2013年,2014年,2017年よりも小さく,3位となった2012年よりも小さかった。リーグとしての戦力は均衡していたと言えるのだろうか【表2-2】。
【表3】チーム別対戦成績
巨 人 | DeNA | 阪 神 | 広 島 | 中 日 | 西 武 | ソフト | 楽 天 | ロッテ | 日ハム | オリク | 計 | |
試合 | 25 | 25 | 25 | 25 | 25 | 3 | 3 | 3 | 3 | 3 | 3 | 143 |
勝利 | 11 | 10 | 9 | 12 | 11 | 1 | 1 | 1 | 1 | 1 | 1 | 59 |
敗戦 | 14 | 15 | 14 | 13 | 14 | 2 | 2 | 2 | 2 | 2 | 2 | 82 |
引分 | 0 | 0 | 2 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 2 |
得点 | 132 | 109 | 100 | 135 | 99 | 13 | 12 | 16 | 13 | 12 | 15 | 656 |
失点 | 145 | 127 | 97 | 137 | 133 | 26 | 14 | 13 | 22 | 10 | 15 | 739 |
安打 | 245 | 197 | 202 | 206 | 192 | 30 | 24 | 25 | 19 | 23 | 18 | 1181 |
本塁 | 35 | 30 | 20 | 31 | 31 | 4 | 4 | 3 | 3 | 3 | 3 | 167 |
三振 | 216 | 210 | 228 | 207 | 206 | 22 | 28 | 28 | 27 | 19 | 21 | 1212 |
四球 | 97 | 100 | 90 | 114 | 89 | 12 | 10 | 17 | 15 | 11 | 15 | 570 |
死球 | 11 | 7 | 11 | 10 | 11 | 0 | 0 | 2 | 1 | 1 | 2 | 56 |
併殺 | 19 | 19 | 30 | 11 | 12 | 5 | 2 | 1 | 2 | 2 | 2 | 105 |
盗塁 | 10 | 17 | 6 | 8 | 15 | 0 | 0 | 2 | 1 | 2 | 1 | 62 |
失策 | 15 | 10 | 22 | 19 | 20 | 4 | 1 | 2 | 0 | 1 | 3 | 97 |
打率 | .281 | .235 | .241 | .241 | .228 | .294 | .238 | .243 | .209 | .225 | .198 | .244 |
防御 | 5.20 | 4.95 | 3.50 | 4.96 | 5.13 | 8.28 | 4.33 | 3.60 | 7.33 | 3.04 | 4.00 | 4.78 |
史上初の全11球団負け越しも記録した。2005年の交流戦開始以降これまでの記録は2016年オリックスでヤクルト以外の10球団に負け越した。創設初年度の2005年東北楽天は中日に,2009年横浜はヤクルト,2011年横浜はロッテにそれぞれ勝ち越していた。勝ち越し球団が0だったのは2008年と2010年の横浜。当時は交流戦が4試合制で2勝2敗のカードがあり,全11球団負け越しは免れていた。【表3】。
【表4】守備成績
中日が5373の守備機会で45失策。守備率.992。2004年中日の.991を抜きセ・リーグ新記録を更新した。シーズン45失策は2004年中日に並ぶセ・リーグ最少タイ。守備率のプロ野球記録は2017年ソフトバンクの.993。ヤクルトの失策数は97。内訳は村上15(内訳:三塁・10,一塁・5),廣岡と太田が13,奥村と山田が8と内野手が上位を占めた。記録にならない失策も多く失点につながった【表4】。
チーム | 守備率 | 試合 | 守機備会 | 刺殺 | 補殺 | 失策 | 併殺 | 捕逸 | |
参加 | 球団 | ||||||||
中 日 | .992 | 143 | 5373 | 3807 | 1521 | 45 | 324 | 117 | 7 |
DeNA | .988 | 143 | 5382 | 3822 | 1495 | 65 | 315 | 116 | 11 |
巨 人 | .987 | 143 | 5385 | 3838 | 1475 | 72 | 320 | 117 | 10 |
広 島 | .984 | 143 | 5410 | 3841 | 1482 | 87 | 318 | 118 | 2 |
阪 神 | .982 | 143 | 5648 | 3869 | 1677 | 102 | 416 | 149 | 8 |
ヤクルト | .982 | 143 | 5354 | 3810 | 1447 | 97 | 324 | 117 | 5 |
【表5-1】交流戦順位表
試合 | 勝数 | 負数 | 引分 | 勝率 | 得点 | 失点 | 本塁 | 盗塁 | 打率 | 防御率 | ||
1 | 福岡ソフトバンク | 18 | 11 | 5 | 2 | .688 | 75 | 61 | 32 | 16 | .233 | 3.16 |
2 | オリックス | 18 | 11 | 6 | 1 | .647 | 73 | 64 | 8 | 21 | .257 | 3.42 |
3 | 巨 人 | 18 | 11 | 7 | 0 | .611 | 85 | 66 | 23 | 15 | .257 | 3.34 |
4 | 横浜DeNA | 18 | 10 | 7 | 1 | .588 | 72 | 70 | 22 | 7 | .242 | 3.86 |
5 | 埼玉西武 | 18 | 10 | 8 | 0 | .556 | 99 | 79 | 18 | 14 | .270 | 4.14 |
6 | 東北楽天 | 18 | 10 | 8 | 0 | .556 | 73 | 71 | 13 | 5 | .250 | 3.81 |
7 | 北海道日本ハム | 18 | 8 | 9 | 1 | .471 | 69 | 81 | 14 | 9 | .250 | 4.19 |
8 | 中 日 | 18 | 8 | 10 | 0 | .444 | 78 | 79 | 7 | 7 | .265 | 4.38 |
9 | 千葉ロッテ | 18 | 8 | 10 | 0 | .444 | 87 | 93 | 23 | 12 | .268 | 4.84 |
10 | 阪 神 | 18 | 6 | 10 | 2 | .375 | 74 | 77 | 9 | 17 | .248 | 3.29 |
11 | 東京ヤクルト | 18 | 6 | 12 | 0 | .333 | 81 | 100 | 20 | 6 | .236 | 5.08 |
12 | 広 島 | 18 | 5 | 12 | 1 | .294 | 59 | 84 | 13 | 11 | .216 | 3.85 |
【表5-2】交流戦通算成績[2005-2019]
通算[2005-2019] | 試合 | 勝数 | 負数 | 引分 | 勝率 | 勝差 | |
1 | 福岡ソフトバンク | 354 | 214 | 126 | 14 | .629 | |
2 | 北海道日本ハム | 354 | 186 | 157 | 11 | .542 | 29.5 |
3 | 千葉ロッテ | 354 | 184 | 156 | 14 | .541 | 0.5 |
4 | 巨 人 | 354 | 181 | 164 | 9 | .525 | 5.5 |
5 | 埼玉西武 | 354 | 178 | 169 | 7 | .513 | 4.0 |
6 | オリックス | 354 | 173 | 171 | 10 | .503 | 3.5 |
7 | 中 日 | 354 | 171 | 173 | 10 | .497 | 2.0 |
8 | 阪 神 | 354 | 165 | 176 | 13 | .484 | 4.5 |
9 | 東北楽天 | 354 | 163 | 187 | 4 | .466 | 6.5 |
10 | 東京ヤクルト | 354 | 161 | 185 | 8 | .465 | 0.0 |
11 | 広 島 | 354 | 149 | 193 | 12 | .436 | 10.0 |
12 | 横浜DeNA | 354 | 139 | 207 | 8 | .402 | 12.0 |
今年も58勝46敗4分とパ・リーグが「12」の勝ち越し。10年連続14度目の勝ち越しとなった。優勝は11勝5敗2分のソフトバンクで,12球団断トツの8度目の制覇。MVPには全18試合に出場し打率.348,7本塁打,14打点をマークしたソフトバンクの松田宣浩。日本生命賞としてパ・リーグから鈴木大地(ロッテ),セ・リーグから柳裕也(中日)が選出された。セ・リーグの勝ち越しは11勝7敗の巨人,10勝7敗1分のDeNAのみ。【表5-1】。交流戦通算でも東北楽天に1厘及ばず再び10位となった【表5-2】。
DATE2019〜PLAY BACK 16連敗
5月14日広島戦(マツダ)からの16連敗。1970年に作ったセ・リーグのワースト記録に並んだ。プロ野球記録は1998年にロッテが記録した18連敗。この時のロッテは1引き分けを挟んでおり,引き分けを挟まない16連敗も1970年と並ぶ最長記録。連敗前は貯金5の2位につけていながら,一気に6位まで転落した。
心身とも「金縛り」 ヤクルト、泥沼の16連敗―野球クローズアップ
グラウンドから引き揚げる途上、やじではなく激励の声が飛び交う。だからこそ、ヤクルトの山田哲は唇をかんだ。「びっくりするほど、かみ合っていない」。投打の悪循環は顕著だった。
5月26日の中日戦。9試合ぶりに先制し、三回には青木、山田哲、バレンティンが3者連続ソロ。ところが先発の高梨が5回9失点と崩れ、逆転負けで11連敗。5月14日の広島戦から始まった黒星街道は、1970年にヤクルトが記録したセ・リーグワーストに並ぶ16連敗まで伸びた。
連敗中の2点差以内の負けは9試合。「惜しいではなく、力がないだけ」と小川監督。先発が早々と崩れ、救援陣は疲弊。打線はあと1本が出ず、ミスも続出。地力の乏しさは接戦の中で浮き彫りになった。
天候にも泣いた。昨季は阪神が大雨の影響で日程の消化に苦労。球団幹部によると、セ6球団は屋外球場の雨天順延を見越し、今季終盤に余裕を持たせることで合意した。ヤクルトも序盤に地方開催からの転戦など試合を詰め込んだが、6月上旬まで中止はなし。状態は落ち、故障も相次いだ。
ベンチにお守りや塩、37歳の青木は丸刈りになった。験担ぎにまで走り、宮本ヘッドコーチは「力を出せる精神状態ではなかった」と振り返る。「狙い球に手が出ない」と話す選手もいたほどだ。衣笠球団社長の言う「金縛り」が解けたのは、月が変わった6月2日のDeNA戦だった。
歯車は戻らず、リーグ最下位。体制は一新され、高津新監督は「せっかくこれだけ負けたのだから、いい意味で悔しさを生かしてほしい」と願う。本当のトンネル脱出は、来季に持ち越されている。(肩書は当時)。[ 12/7(土) 7:36配信 時事通信 ]
今一度16連敗をここに振り返ってみる。
@5月14日広島戦(マツダ)
S 002 200 000 4
C 102 040 11x 9
●原(2-3)42/3,ハフ1/3,大下11/3,中尾2/3,風張1−中村,松本直 ○レグナルト
A5月15日広島戦(マツダ)
S 201 001 300 0 7
C 010 010 014 2x9
スアレス1,H大下1,Hマクガフ3,Hハフ1,近藤1,五十嵐1,梅野1,●中尾1/3−中村 ○中崎
B5月17日横浜DeNA戦(神宮)
B 003 100 000 4
S 000 100 200 3
●小川(1-5)7,ハフ1,五十嵐1−中村,井野 ○今永
青木6号@(今永)
C5月18日横浜DeNA戦(神宮)
B 102 030 500 11
S 000 300 300 6
●石川(1-2)41/3,五十嵐2/3,大下2,中尾1,風張1−中村 ○上茶谷
村上11号B(上茶谷)バレンティン9号A(エスコバー)
D5月19日横浜DeNA戦(神宮)
B 000 410 002 7
S 000 000 000 0
●高梨(4-3)5,風張12/3,中尾11/3,屋宜1−井野,西田 ○濱口
E5月21日阪神戦(甲子園)
S 010 000 100 2
T 100 200 00x 3
●原(2-4)6,ハフ1,マクガフ1−中村 ○青柳
村上12号@(能見)
F5月22日阪神戦(甲子園)
S 000 100 001 2
T 010 000 20x 3
高橋5,H近藤1,●ハフ(1-1)1,五十嵐1−中村 ○藤川
バレンティン10号@(岩田)
G5月23日阪神戦(甲子園)
S 000 000 000 0
T 000 000 001x1
ブキャナン6,H近藤2/3,Hハフ2/3,●マクガフ(2-1)1−中村 ○ドリス
H5月24日中日戦(神宮)
D 002 010 120 6
S 000 000 100 1
●小川(1-6)6,五十嵐1,中尾1,風張1−中村 ○勝野
バレンティン11号@(勝野)
I5月25日中日戦(神宮)
D 101 101 150 10
S 101 000 100 3
●石川(1-3)4,近藤1,ハフ1,マクガフ12/3,風張1/3,梅野1−中村 ○柳
青木7号@(柳)山田哲10号@(柳)太田2号@(マルティネス)
J5月26日中日戦(神宮)
D 020 250 001 10
S 303 020 000 8
●高梨(4-4)5,五十嵐1,近藤1,マクガフ1,梅野1−中村 ○小熊
青木8号@(清水)山田哲11号@(清水)バレンティン12号@(清水)
K5月28日広島戦(神宮)
C 013 300 010 8
S 100 500 010 7
●原(2-5)31/3,久保2/3,五十嵐1,ハフ1,近藤1,マクガフ1,梅野1−井野,中村 ○レグナルト
山田哲12号@(野村)村上13号@(野村)
L5月29日広島戦(神宮)
C 200 030 000 5
S 300 000 000 3
●高橋(0-2)42/3,五十嵐1/3,近藤2,久保1,風張1−中村 ○大瀬良
村上14号B(大瀬良)
M5月30日広島戦(神宮)
C 300 133 102 13
S 000 000 000 0
●小川(1-7)41/3,久保2/3,風張2,山中2−中村 ○山口
N5月31日横浜DeNA戦(横浜)
S 000 000 020 2
B 100 000 20x 3
●ブキャナン(1-2)6,マクガフ1,ハフ1−中村,西田 ○今永
O6月1日横浜DeNA戦(横浜)
S 000 000 000 0
B 050 020 00x 7
●清水(0-1)4,山中2,風張2−中村,古賀 ○上茶谷
1点差試合が6試合,2点差が3試合。原因は先発投手の不振。16連敗中先発投手が連敗中QSを達成したのはわずかに4回。先発が全く試合を作れずに早々に降板することでリリーフ陣にしわ寄せがいった。連敗期間中の投手運用をまとめたものが【表6】となる。
【表6】16連敗中の投手運用一覧○:登板時リード△:登板時同点 ●:登板時ビハインド *:イニング跨ぎ
連敗 | 日付 | 相手 | スコア | 先発投手 | ハフ | マクガフ | 風張 | 五十嵐 | 近藤 | 梅野 | 中尾 | 大下 | 久保 | 山中 | 屋宜 | 石山 |
5/12 | 巨人 | 4-1 | 高梨 | ○ | ○ | ○ | ○ | |||||||||
1 | 5/14 | 広島 | 4-9 | 原 | ● | ● | ● | ●* | ||||||||
2 | 5/15 | 広島 | 7-9 | スアレス | ○ | ○* | ○ | ○ | ○ | △ | ○ | |||||
3 | 5/17 | DeNA | 3-4 | 小川 | ● | ● | ||||||||||
4 | 5/18 | DeNA | 6-11 | 石川 | ● | ● | ● | ●* | ||||||||
5 | 5/19 | DeNA | 0-7 | 高梨 | ●* | ●* | ● | |||||||||
6 | 5/21 | 阪神 | 2-3 | 原 | ● | ● | ||||||||||
7 | 5/22 | 阪神 | 2-3 | 高橋 | △ | ● | △ | |||||||||
8 | 5/23 | 阪神 | 0-1 | ブキャナン | △* | △ | △ | |||||||||
9 | 5/24 | 中日 | 1-6 | 小川 | ● | ● | ● | |||||||||
10 | 5/25 | 中日 | 3-10 | 石川 | ● | ●* | ● | ● | ● | |||||||
11 | 5/26 | 中日 | 8-10 | 高梨 | ● | ● | ● | ● | ||||||||
12 | 5/28 | 広島 | 7-8 | 原 | ● | ● | ● | ● | ● | ● | ||||||
13 | 5/29 | 広島 | 3-5 | 高橋 | ● | ● | ●* | ● | ||||||||
14 | 5/30 | 広島 | 0-13 | 小川 | ●* | ● | ●* | |||||||||
15 | 5/31 | DeNA | 2-3 | ブキャナン | ● | ● | ||||||||||
16 | 6/01 | DeNA | 0-7 | 清水 | ●* | ●* | ||||||||||
6/02 | DeNA | 5-2 | 原 | ○ | ○ | ○ | ||||||||||
11 | 9 | 8 | 8 | 7 | 6 | 5 | 3 | 3 | 2 | 1 | 1 |
スアレスにアクシデントがあったが,ブキャナンと入れ替えることで先発投手の頭数は揃っていたが,小川の間隔を詰め,プロ初登板の清水に連敗ストップを託し,挙句原を中4日起用。コンディション不良で6月18日ソフトバンク戦(神宮)の登板を最後に戦列を離れ,「まだその段階にいたってない」と更なる長期離脱が予想される事態を招いた。梅野,風張以外は役割が明確化されておらず,どの投手がどの場面で行くのか手探りの状態では,攻撃陣にも負の連鎖反応を起こすのも必然か。
それに輪をかける守備の乱れ。さらに本塁打でしか点が取れない打線。得点圏打率の異常な低さ。下位打線の弱さ。連敗による焦燥感。これらが融合し泥沼にハマった感がある。
おわりに〜2019シーズンに向けて
長年にわたって投打でヤクルトを支えてきた館山昌平,畠山和洋,三輪正義,さらに寺原と4選手が今季限りでの現役引退を表明した。村中恭兵,岩橋慶侍,屋宜照悟,沼田拓巳,山川晃司,大引,ブキャナン,ハフが退団。バレンティンはソフトバンクへの移籍が決まった。
ドラフト会議では,1位指名で3球団が競合した夏の甲子園準優勝投手奥川恭伸(星稜高・投手)を引き当てた。2位からは吉田大喜(日本体育大・投手)杉山晃基(創価大・投手)大西広樹(大阪商業大・投手)と即戦力と期待する大学生右腕を指名。5位からは長岡秀樹(八千代松陰高 ・内野手)武岡龍世(八戸学院光星高・内野手)と将来性豊かな内野手を指名した。
メジャーで55試合に登板したガブリエル・イノーア(前オリオールズ),同じくメジャー36試合登板のマット・クック(前ダイヤモンドバックス),東北楽天から戦力外通告を受けた今野龍太,千賀滉大・甲斐拓也らを輩出してきたソフトバンク育成の長谷川宙輝と投手を中心に補強。
さらに楽天から減額制限を超える年俸ダウン提示を受け自由契約となった嶋基宏を獲得。選手層に厚みを持たせるだけでなく,若い投手陣の育成にも好影響が期待される。
野手ではメジャー通算1367安打,174盗塁を記録したアルシデス・エスコバー(前ホワイトソックス傘下3A)を獲得した。
田畑一也投手コーチ,橋上秀樹二軍チーフコーチは退任し,それぞれ独立リーグ富山サンダーバーズで監督,アルビレックス新潟BCで総合コーチを務めることになった。石井琢朗打撃コーチは巨人一軍野手総合コーチ,北川博敏二軍打撃コーチは阪神二軍打撃コーチに就任した。
小川前監督は2020年1月1日付で,球団史上初となる編成面と運営面を管理するゼネラルマネジャー(GM)職に就任することになった。
宮出隆自打撃コーチがヘッドコーチに。メジャー経験のある斎藤隆投手コーチを新たに招聘し,石井弘寿投手コーチと投手陣立て直しを図る。打撃は杉村繁巡回コーチと松元ユウイチ二軍打撃コーチ。森岡良介二軍内野・守備走塁コーチが内野守備走塁コーチに。河田雄祐外野守備走塁コーチ,衣川篤史バッテリーコーチは留任。
ファームは池山隆寛二軍監督を迎え,福地寿樹二軍外野守備・走塁コーチがチーフコーチに昇格。小野寺力,松岡健一二軍投手コーチは留任。今季限りで現役を退いた畠山と大松尚逸が二軍打撃コーチに就任。土橋勝征内野守備コーチが配置転換で二軍内野守備走塁コーチへ。北海道日本ハムから緒方耕一二軍外野守備走塁コーチを招聘した。福川将和二軍バッテリーコーチは2年目を迎える。
チームスローガンは「辛いことや苦しいこと、色々な思いがあるけど常に前を向いて闘っていこう」というメッセージが込められた「NEVER STOP 突き進め!」に決まった。
高津監督は巻き返しを期す来季へ「自分は少しでも野球がうまくなりたいと思ってやってきた。立ち止まっていては駄目。選手が少しでも成長できるように」と向上心を持つことの重要性を強調した。
東京五輪が開催される2020年は,メインスタジアムの新国立競技場に隣接する神宮球場が,五輪開催に伴い関係者や来賓の待機場所,資材置き場として使用されるため,7月6日〜9月13日まで使用できない。このため7月上旬から9月上旬にかけて,主催試合を東京ドームで4カード計11試合行うことになる。さらに五輪期間中は7月21日〜8月13日まで公式戦が中断されるという極めて特殊なシーズン日程となるが,これが各球団どう影響するのだろうかは全く見通せない。
参考資料
『週刊ベースボール』第74巻 第61号 通産3620号,ベースボールマガジン社,2019.12
「ニッカンスコア速報」
https://www.nikkansports.com/baseball/professional/schedule/s03.html
https://www.nikkansports.com/baseball/professional/schedule/s04.html
https://www.nikkansports.com/baseball/professional/schedule/s05.html
https://www.nikkansports.com/baseball/professional/schedule/s06.html
https://www.nikkansports.com/baseball/professional/schedule/s07.html
https://www.nikkansports.com/baseball/professional/schedule/s08.html
https://www.nikkansports.com/baseball/professional/schedule/s09.html
データで楽しむプロ野球
http://baseballdata.jp/
2018年12月29日
総括2018―借金51の最下位から貯金9の2位への再起
はじめに
球団史上ワーストとなる96敗。チームの再建を託された小川淳司監督は「再起」をスローガンに掲げ,チームは僅か一年で75勝66敗2分 勝率.532。最下位からセ・リーグ2位にまで上り詰めた。借金51から貯金9で前年比+60。これは1976年に前年借金29から貯金31で優勝した巨人と並び,2リーグ制以降における日本プロ野球タイ記録となった。
キャンプイン直前にMLBから青木宣親が7年ぶりに電撃復帰するという形で幕を開けた2018年。それでもチーム再建への道のりは決して平坦なものではなかった。
3月30日開幕DeNA戦(横浜)。昨年一年間怪我で1試合も試合出場が無かった川端慎吾が故障からの復活を示す本塁打を放ち開幕戦を勝利で飾ると,翌3月31日DeNA戦(横浜)には石川雅規が自身の連敗を11で止める白星を挙げ開幕カードを勝ち越し。4月6日からの巨人との3連戦では7日巨人戦(神宮)に4年目の風張蓮,翌4月8日巨人戦(神宮)には2年目中尾輝がそれぞれプロ初勝利を挙げ,開幕からの3カードを6勝3敗とまずまずのスタートをきった。
一方で藤井亮太,畠山和洋が開幕早々にコンディション不良で戦線離脱。4月10日からの中日戦(ナゴヤドーム)で同一カード3連敗を喫し貯金を使い果たすと,4月15日阪神戦(甲子園)から5連敗。さらに4月25日阪神戦(松山)から5月3日中日戦(神宮)荒木貴裕のサヨナラ打で連敗を止めるまで6連敗。4月30日に最下位へと転落しており,早くも定位置と揶揄された。
開幕スタメンに名を連ねていた山崎晃大朗,廣岡大志はレギュラーを掴めず二軍落ち。育成選手から支配下登録された田川賢吾,大村孟。ルーキーのドラフト7位松本直樹,ドラフト8位沼田拓巳。高卒2年目の古賀優大といった若手を続々と一軍起用していった。
5月15日巨人戦(鹿児島)で新外国人デーブ・ハフが7試合目の先発登板でようやく来日初勝利を挙げたが翌5月16日巨人戦(鹿児島)から6連敗。とうとう借金は11にまで膨れ上がり,これまで8年連続負け越しと苦手にしている交流戦に突入する。その初戦となる5月29日ロッテ戦(神宮)も完敗スタート。今年もこのままずるずると行ってしまうのか・・・と思われた。
しかしここからロッテ,楽天,ソフトバンク,オリックス,西武と5カード連続で勝ち越すと,6月17日日本ハム戦(札幌ドーム)に勝利し,優勝に相当する「最高勝率」を決めたのだ。セ・リーグでは巨人以来2チーム目。もちろんチーム史上初の交流戦最高勝率。96敗の負け犬チームは完全に自信を取り戻した。
とりわけ交流戦期間中光ったのが,中尾から近藤一樹につなぎ,最後は石山泰稚が締めるという,いわゆる勝利の方程式を確立できたことだ。開幕直後はストッパーを任されながらも失敗が目立ったマット・カラシティーも配置転換が功を奏し3勝を挙げた。
リーグ戦に戻り,6月24日巨人戦(東京ドーム)から6月29日阪神戦(神宮)まで5連勝。とうとう勝率を4月17日以来となる.500に戻す。ところがこの試合で青木が頭部に死球を受け退場。青木を欠いたチームはここから8連敗。34勝42敗1分の最下位で前半戦を終えた。中日から移籍したジョーダン・アルメンゴに至ってはコンディション不良のまま帰国しそのまま契約解除処分。6月に新外国人ジェイソン・ウルキデスの獲得に動いた。
そして迎えた後半戦。結論から言うと41勝24敗1分 勝率.631の快進撃で,前半戦終了時点の最下位から2位に躍進。とりわけ目立ったのは終盤での逆転劇で,シーズン通算の逆転勝利は広島の41試合に次ぐ38試合と,あきらめない姿勢,小川監督が何度も口にした「執念」を何度も見せてもらった。
後半開幕戦の7月16日DeNA戦(横浜)。0-1で迎えた9回表2死満塁から代打谷内亮太が決勝タイムリー。8月14日巨人戦(神宮)では4-5と1点を追う9回裏0死一二塁から代打起用された三輪正義がキッチリ犠打を決め,川端のサヨナラ打を呼び込んだ。極めつけは9月4日中日戦(神宮)。3-9と6点ビハインドの9回裏代打武内晋一の本塁打を口火に1点差に迫り2死一塁から大引啓次のタイムリーで同点に追いつき,延長11回上田剛史がサヨナラ3ランと伏兵が活躍するシーンも際立った。
青木はリーグ4位の打率.327。高井雄平はキャリアハイとなる打率.318。青木の加入で一塁手としての出場が多くなった坂口智隆は打率.317でオリックス時代の2010年以来8年ぶりに3割に乗せた。山田哲人は打率.315,本塁打34、盗塁33。2年ぶり自身3度目となるトリプルスリーを達成。ウラディミール・バレンティンは自身の持つ球団記録に並ぶ131打点で打点王。西浦直亨がショートのレギュラーポジションを掴み,自身初の規定打席に到達した。
キャプテン中村悠平は打率.211と低迷。その中村と併用という形で井野卓はプロ13年目にして自己最多を大きく更新する47試合に出場。プロ初の二塁打も記録(3本)した。キャンプ直前に故障を訴えた西田明央は9月26日の一軍登録で4試合の出場にとどまった。
9月16日広島戦(神宮)で高卒ルーキー村上宗隆がプロ野球史上64人目となるプロ初打席初本塁打の衝撃デビュー。ルーキーではドラフト6位宮本丈が8月18日阪神戦(神宮)で小野泰己から,ドラフト4位塩見泰隆が10月7日阪神戦(神宮)で岩崎優からそれぞれプロ初安打。奥村展征も10月4日阪神戦(甲子園)でラファエル・ドリスからプロ初本塁打。トライアウトで西武から移籍してきた田代将太郎は終盤の貴重な代走守備固めとして73試合に出場した。
開幕投手を務めたデービッド・ブキャナンがシーズン最終登板で10勝目を挙げ,チームとして3年ぶりとなる2ケタ勝利投手に。小川泰弘はオフの右肘手術で初登板は5月13日DeNA戦(横浜)と出遅れながらも8勝。前半全く勝てず中継ぎに配置転換された原樹理だったが,8月16日巨人戦(神宮)でプロ初完封勝利を遂げるなど自己最多の6勝。山中浩史は8月30日,9月15日いずれも阪神戦(甲子園)で先発登板し2勝とトラキラーぶりを発揮した。
7月20日中日戦(神宮)でドラフト2位大下佑馬が,8月25日DeNA戦(神宮)で高卒2年目の梅野雄吾がそれぞれプロ初勝利を挙げるとそれ以降セットアッパーに定着。小川と同時期に右肘手術を受けた星知弥が9月13日巨人戦(東京ドーム)で先発としておよそ1年ぶりの白星。高卒3年目の左腕高橋奎二が10月2日横浜DeNA戦(神宮)でプロ初勝利。
石山は35セーブで惜しくもタイトルには届かなかったが,近藤はリーグトップの42ホールドポイントでプロ17年目にして初タイトルとなる最優秀中継ぎ賞を受賞。中澤雅人がチーム3位の11ホールドポイント。
35試合登板の秋吉亮は5年目にして初の防御率4点台とふるわず故障以外で初の二軍落ちを喫した。梅野と同期の2年目寺島成輝は7月1日阪神戦(神宮)の先発登板のみで防御率18.00。移籍の山田大樹は2試合の登板(いずれも先発)で防御率15.88。館山昌平は5試合に先発したが4敗と,これで2年連続未勝利となってしまった。
長くスワローズのブルペンを支えてきた松岡健一と山本哲哉が今季限りでの現役引退を表明し,10月8日阪神戦(神宮)で引退登板が行われた。
【表1】セ・リーグ順位表
広島がリーグ3連覇。大瀬良大地が最多勝と最優秀勝率。シーズン途中に支配下選手登録されたヘロニモ・フランスアが,8月にプロ野球最多記録タイの月間18試合登板,月間防御率0.51で月間MVPを受賞した。
巨人はエース菅野智之が2年連続沢村賞を受賞したが,それに続く投手がおらず苦戦を強いられた。これで球団ワーストタイ記録なる4年連続V逸となり,高橋由伸監督はその責任を取り辞任を余儀なくされた。オフにはFAで広島から丸佳浩,西武から炭谷銀次朗を獲得。さらにオリックスを自由契約となった中島宏之と,シアトル・マリナーズを自由契約となった岩隈久志まで獲得。なりふり構わない補強に出ている。
3年ぶりにBクラスに転落したDeNA。ルーキー東克樹がチームトップの11勝を挙げ新人王。ストッパー山崎康晃がリーグトップの37セーブで初タイトル獲得。ネフタリ・ソトも来日1年目で本塁打王に輝きながらもチーム得点がリーグ最下位と投打が噛み合わなかった。
中日は球団史上ワーストとなる6年連続Bクラス。森繁和監督も退任となった。それでもリーグ打率1位にダヤン・ビシエド,3位平田良介,5位ソイロ・アルモンテと個々の成績は光った。ビシエドは首位打者に最多安打。8月にはリーグ新記録となる月間47安打をマークした。
阪神は実に2001年以来17年ぶりに最下位に転落。昨年2位の原動力となった自慢のリリーフ陣が崩壊。4番候補としてキャンプ〜オープン戦と前評判の高かった新外国人ウィリン・ロサリオが期待外れに終わり,金本知憲監督は任期を残しながら電撃解任された【表1】。
チーム成績
【表2-1】チーム月別成績
3月は2016年3月30日から引き分けを挟んで4連勝。4月・5月と最下位だったことは鮮明だが,6月以降はいずれも2位でその月を終えているのは少し意外に感じさせる。とりわけ7月はジェットコースターのような成績だった。8連敗の最下位でオールスターに突入。実に二週間以上勝利から遠ざかりながら,20日中日戦(神宮)から7連勝し再びリーグ2位に浮上。広島を除く5球団が2位から最下位まで僅差にひしめき,順位も日替わりで変動する日々だったが,8月26日以降は2位を明け渡すことなく,10月2日に2位を確定させた。【表2-1】。
【表2-2】チームホーム/ビジター別成績
昨年15勝56敗 勝率.211と大きく負け越したビジターゲームの成績も劇的に変化を遂げた。甲子園では8勝2敗。6連勝で今季を終え,ナゴヤドームでも8月10日まで6連敗(前年から数えると8連敗)と鬼門だったが,8月11日から5連勝で来季を迎える。横浜スタジアムでは4カード中3カードに勝ち越し7勝5敗。交流戦は楽天生命パーク,大宮市営,西武ドーム,札幌ドームで計9試合を6勝3敗。
東京ドームは3勝6敗1分。マツダスタジアムが2勝9敗とここ数年広島の独走を許す元凶となっている【表2-2】。
【表2-3】チーム曜日別成績
2016年に火曜日の勝率が.167(4勝20敗)に終わったことから着目を始めた曜日別成績は水曜日を除いたすべての曜日で勝率.500以上と安定した成績となった。水曜日だけ防御率が5点台と突出している。
最長の連勝は木曜日で,5月第5週から8月第3週にかけて8連勝。7試合あったサヨナラ勝利のうち3試合が木曜日。連敗は水曜日で,4月第2週から5月第3週にかけての6連敗が最長だった。月曜日は海の日の7月第3週から現在4連勝でシーズンを終えた。【表2-3】。
【表2-4】チーム年度別成績推移直近10年間 ※()はリーグ順位
あと1勝で優勝した2015年に並べるところだった。昨年規定打席以上の3割打者は0人,.234でリーグ最下位だったチーム打率はリーグトップの.266。同じくリーグ最下位だった得点は473から658にのし上がった。チーム防御率は数字だけ見ると。4.21→4.13と大きな改善には至らなかったが,リーグ4位というのはここ10年で2番目タイの数字である。【表2-2】。
【表3】チーム別対戦成績
広島,日本ハムを除く9球団に勝ち越した。対巨人戦の勝ち越しは2011年以来7年ぶり。対オリックスも足かけ4年で8連敗となったが,2015年以来3年ぶりに勝ち越すことができた。【表3】。
【表4】守備成績
チーム守備率は4毛差でリーグ5位。失策数も最下位阪神と1差の5位。山田13,西浦11,坂口・廣岡5など内野手の失策が目立った。それでもこれは青木が加入したことで,春季キャンプ途中からオプションにと試みた坂口が結果として一塁手として最も多い94試合に先発出場したことで,一塁手の捕球を含めた数字が表れた面もあるだろう。それでもこの坂口の一塁起用によって,選手起用のバリエーションが増し,より攻撃的なオーダーが組むことが出来たメリットの方がはるかに上回ると思う。【表4】。
【表5-1】交流戦順位表
【表5-2】交流戦通算成績[2005-2018]
ソフトバンクの4連覇を阻止したのがヤクルトだった。最終カードの日本ハム戦に1勝2敗となり全球団から勝ち越しとはならなかったが,12勝6敗で球団史上初の交流戦最高勝率に。しかし全体ではパ・リーグが59勝48敗1分と9年連続で勝ち越したため,規定によりMVPは勝ち越したリーグの勝率トップとなったオリックスから打率.397,3本塁打,10打点の吉田正尚が選出された。ヤクルトには最高勝率球団として賞金500万円が贈られたが,これも勝ち越したパ・リーグの中の勝率2位球団(千葉ロッテ)と同額。オリックスが勝ち越しリーグの勝率1位球団に贈られる1000万円を手にするという珍事にも見舞われてしまった【表5-1】。
交流戦通算では昨年時で2.0差を付けられていた東北楽天を抜き9位に再浮上した【表5-2】。
DATE2018〜「9回のヤクルト」
2018年のヤクルトを象徴する言葉といえば「9回のヤクルト」ではなかろうか。
イニング別得点をみると,1回(111点),3回(76点)に続き,9回(75点)は3番目。この9回の75点というのは,2位の阪神(49点)と較べても圧倒的な数字(【図1】)。9回のチーム打率も427打数136安打の.319で,2位の中日(.252)以下を大きく引き離した。
【図1】セ・リーグイニング別得点率グラフは各チームのイニング別得点率。得点率とはそのイニングの平均得点。
8回終了時ビハインドの試合は73試合あり,うち29試合で計61得点を挙げ,同点,逆転に成功した試合が13試合。その勝敗は11勝1敗1分。9回に追いつきそのまま引き分けたのが9月12日巨人戦(東京ドーム)。唯一の敗戦は9回に追いつき,延長11回で勝ち越したものの逆転サヨナラ負けを喫した8月4日阪神戦(京セラドーム)。
ちなみに昨年は9回の攻撃をビハインドで迎えた試合は0勝83敗1分だった。いかに今季のスワローズは最終回まで”執念”をもって奇跡的な試合の数々を演じてきたか。今一度その11試合の軌跡を振り返っておきたい。
@ 5月6日広島戦(神宮)
C 000 200 000 10 3
S 000 100 001 11x4
九里7,Hジャクソン1,中崎1,今村0/3,●一岡12/3−會澤
石川5,秋吉2,近藤1,石山2,○中尾(2-0)1−中村,井野,古賀
A 6月7日ソフトバンク戦(神宮)
H 000 100 020 0 3
S 010 000 101 1x4
石川7,H加治屋1,森1,●モイネロ2/3−甲斐
ブキャナン7,中尾2/3,松岡1/3,カラシティー1,○石山(2-0)1−中村
B 6月28日中日戦(神宮)
D 011 000 031 6
S 002 000 025x9
笠原5,H鈴木1,H又吉1,H祖父江1,●田島1/3−木下拓,大野奨
石川5,H山中1,H中尾1,近藤2/3,中澤2/3,○原(1-5)2/3−中村
C 7月16日DeNA戦(横浜)
S 000 000 005 5
B 000 001 001 2
小川7,○中尾(7-3)1,石山1−中村
バリオス1,H武藤3,H須田1,H加賀2,Hパットン1,●山崎康1/3,三上2/3−伊藤
D 7月21日中日戦(神宮)
D 020 010 011 5
S 000 002 203x7
小笠原51/3,H佐藤1/3,H岡田1/3,祖父江1,H又吉1,●鈴木博1/3−大野奨
石川5,風張1,中尾1,近藤1,○石山(3-0)1−中村,井野
E 7月26日巨人戦(京セラドーム)
S 000 000 001 01 2
G 100 000 000 00 1
原7,風張1,H近藤1,H大下1/3,H中澤1/3,○星(1-0)1/3,S石山(17)1−中村
メルセデス8,マシソン1,H澤村1,●上原−宇佐美,小林
F 8月12日中日戦(ナゴヤドーム)
S 000 000 003 3
D 000 000 010 1
石川70/3,○近藤(3-3)1,石山(19)1−井野,中村
藤嶋7,H佐藤優1,●鈴木博2/3,岡田1/3−武山,松井雅
G 8月14日巨人戦(神宮)
G 000 000 050 5
S 100 201 002x6
内海52/3,田原11/3,H澤村1,●アダメス1/3−大城,小林
小川72/3,近藤0/3,ハフ1/3,○風張(2-3)1−中村,井野
H 8月21日広島戦(マツダスタジアム)
S 010 003 001 5 10
C 010 111 100 0 5
小川5,ハフ1,梅野1,秋吉1,○近藤(4-3)1,石山1−中村,井野
ジョンソン5,永川1/3,今村12/3,Hフランスア1,中崎1,●アドゥア−石原
I 9月4日中日戦(神宮)
D 330 002 100 00 9
S 010 200 006 03x12
ガルシア7,佐藤優1,田島1/3,祖父江0/3,岩瀬1/3,福谷0/3,ロドリゲス11/3,●又吉2/3−松井雅,武山
小川4,中澤2,中尾2,梅野1,H石山1,○近藤(5-3)1−中村,井野
J 9月25日中日戦(ナゴヤドーム)
S 000 101 002 3 7
D 111 001 000 0 4
石川5,中尾1,風張2,○梅野(2-2)1,S石山(31)1−井野,中村
藤嶋5,H岡田1,H祖父江1,Hロドリゲス1,佐藤1,●鈴木博2/3,又吉1/3−松井雅
おわりに〜2019シーズンに向けて
ドラフト3位蔵本治孝,同5位金久保優斗のほか,村中恭兵,岩橋慶侍,屋宜照悟,平井諒が一軍登板無くシーズンを終えた。山川晃司,渡邉大樹は一軍出場無し。日隈ジュリアスは育成契約2年目となる。
佐藤由規,成瀬善久,久古健太郎,菊沢竜佑,古野正人,大松尚逸,比屋根渉,鵜久森淳志の8選手に戦力外通告。カラシティーとウルキデスは自由契約。由規は東北楽天と育成選手契約を結んだ。
ドラフトでは清水昇(国学院大・投手),中山翔太(法政大・内野手),市川悠太(明徳義塾高・投手),浜田太貴(明豊高・内野手),坂本光士郎(新日鉄住金広畑・投手),鈴木裕太(日本文理高・投手),久保拓真(九州共立大・投手),吉田大成(明治安田生命・内野手)の8名。育成ドラフトで内山太嗣(栃木ゴールデンブレーブス・捕手),松本友(福井ミラクルエレファンツ・内野手)の2名を指名した。
ソフトバンクから自由契約となっていた寺原隼人,五十嵐亮太両投手を獲得。五十嵐は実に10年ぶりの古巣復帰となる。秋吉,谷内との交換トレードで北海道日本ハムから高梨裕稔投手,太田賢吾内野手を,新外国人としてアリゾナ・ダイヤモンドバックス3Aアルバート・スアレス,コロラド・ロッキーズ3Aスコット・マクガフ両投手を獲得。投手を中心に補強を進め,支配下68名,育成3名の計71名で2019年シーズンに挑むことになった。
首脳陣は宮本慎也ヘッドコーチ以下,田畑一也投手コーチ,石井弘寿投手コーチ,石井琢朗打撃コーチ,宮出隆自打撃コーチ,土橋勝征内野守備コーチ,河田雄祐外野守備走塁コーチ,杉村繁巡回コーチといずれも留任。
野口寿浩バッテリーコーチが退団し,衣川篤史スコアラーがバッテリーコーチに就任した。
ファームは三木肇二軍チーフコーチ,野村克則二軍バッテリーコーチが石井一久ゼネラルマネージャーに招聘され楽天に移籍。赤堀元之二軍投手コーチも中日の投手コーチに招かれた。
来季3年目を迎える高津臣吾二軍監督。橋上秀樹二軍チーフコーチが23年ぶりにスワローズに復帰。引退した松岡が二軍投手コーチ,福川将和打撃投手が二軍バッテリーコーチに新たに就任。小野寺力二軍投手コーチ,北川博敏二軍打撃コーチ,松元ユウイチ二軍打撃コーチ。森岡良介二軍内野・守備走塁コーチ,福地寿樹二軍外野守備・走塁コーチは留任となった。
ヤクルト球団球団設立50周年を迎える来季のスローガンは「KEEP ON RISING 躍進」。
2位から「さらなる高みを目指」すことになる。となればそれはただ1つ“優勝”しかない。
参考資料
『週刊ベースボール』第73巻 第65号 通産3556号,ベースボールマガジン社,2018.12
「ニッカンスコア速報」
http://www.nikkansports.com/baseball/professional/schedule/2018/s201803.html
http://www.nikkansports.com/baseball/professional/schedule/2018/s201804.html
http://www.nikkansports.com/baseball/professional/schedule/2018/s201805.html
http://www.nikkansports.com/baseball/professional/schedule/2018/s201806.html
http://www.nikkansports.com/baseball/professional/schedule/2018/s201807.html
http://www.nikkansports.com/baseball/professional/schedule/2018/s201808.html
http://www.nikkansports.com/baseball/professional/schedule/2018/s201809.html
http://www.nikkansports.com/baseball/professional/schedule/2018/s201810.html
プロ野球チャート
https://tool.stabucky.com/baseball/npb_charts.php
データで楽しむプロ野球
http://baseballdata.jp/
球団史上ワーストとなる96敗。チームの再建を託された小川淳司監督は「再起」をスローガンに掲げ,チームは僅か一年で75勝66敗2分 勝率.532。最下位からセ・リーグ2位にまで上り詰めた。借金51から貯金9で前年比+60。これは1976年に前年借金29から貯金31で優勝した巨人と並び,2リーグ制以降における日本プロ野球タイ記録となった。
キャンプイン直前にMLBから青木宣親が7年ぶりに電撃復帰するという形で幕を開けた2018年。それでもチーム再建への道のりは決して平坦なものではなかった。
3月30日開幕DeNA戦(横浜)。昨年一年間怪我で1試合も試合出場が無かった川端慎吾が故障からの復活を示す本塁打を放ち開幕戦を勝利で飾ると,翌3月31日DeNA戦(横浜)には石川雅規が自身の連敗を11で止める白星を挙げ開幕カードを勝ち越し。4月6日からの巨人との3連戦では7日巨人戦(神宮)に4年目の風張蓮,翌4月8日巨人戦(神宮)には2年目中尾輝がそれぞれプロ初勝利を挙げ,開幕からの3カードを6勝3敗とまずまずのスタートをきった。
一方で藤井亮太,畠山和洋が開幕早々にコンディション不良で戦線離脱。4月10日からの中日戦(ナゴヤドーム)で同一カード3連敗を喫し貯金を使い果たすと,4月15日阪神戦(甲子園)から5連敗。さらに4月25日阪神戦(松山)から5月3日中日戦(神宮)荒木貴裕のサヨナラ打で連敗を止めるまで6連敗。4月30日に最下位へと転落しており,早くも定位置と揶揄された。
開幕スタメンに名を連ねていた山崎晃大朗,廣岡大志はレギュラーを掴めず二軍落ち。育成選手から支配下登録された田川賢吾,大村孟。ルーキーのドラフト7位松本直樹,ドラフト8位沼田拓巳。高卒2年目の古賀優大といった若手を続々と一軍起用していった。
5月15日巨人戦(鹿児島)で新外国人デーブ・ハフが7試合目の先発登板でようやく来日初勝利を挙げたが翌5月16日巨人戦(鹿児島)から6連敗。とうとう借金は11にまで膨れ上がり,これまで8年連続負け越しと苦手にしている交流戦に突入する。その初戦となる5月29日ロッテ戦(神宮)も完敗スタート。今年もこのままずるずると行ってしまうのか・・・と思われた。
しかしここからロッテ,楽天,ソフトバンク,オリックス,西武と5カード連続で勝ち越すと,6月17日日本ハム戦(札幌ドーム)に勝利し,優勝に相当する「最高勝率」を決めたのだ。セ・リーグでは巨人以来2チーム目。もちろんチーム史上初の交流戦最高勝率。96敗の負け犬チームは完全に自信を取り戻した。
とりわけ交流戦期間中光ったのが,中尾から近藤一樹につなぎ,最後は石山泰稚が締めるという,いわゆる勝利の方程式を確立できたことだ。開幕直後はストッパーを任されながらも失敗が目立ったマット・カラシティーも配置転換が功を奏し3勝を挙げた。
リーグ戦に戻り,6月24日巨人戦(東京ドーム)から6月29日阪神戦(神宮)まで5連勝。とうとう勝率を4月17日以来となる.500に戻す。ところがこの試合で青木が頭部に死球を受け退場。青木を欠いたチームはここから8連敗。34勝42敗1分の最下位で前半戦を終えた。中日から移籍したジョーダン・アルメンゴに至ってはコンディション不良のまま帰国しそのまま契約解除処分。6月に新外国人ジェイソン・ウルキデスの獲得に動いた。
そして迎えた後半戦。結論から言うと41勝24敗1分 勝率.631の快進撃で,前半戦終了時点の最下位から2位に躍進。とりわけ目立ったのは終盤での逆転劇で,シーズン通算の逆転勝利は広島の41試合に次ぐ38試合と,あきらめない姿勢,小川監督が何度も口にした「執念」を何度も見せてもらった。
後半開幕戦の7月16日DeNA戦(横浜)。0-1で迎えた9回表2死満塁から代打谷内亮太が決勝タイムリー。8月14日巨人戦(神宮)では4-5と1点を追う9回裏0死一二塁から代打起用された三輪正義がキッチリ犠打を決め,川端のサヨナラ打を呼び込んだ。極めつけは9月4日中日戦(神宮)。3-9と6点ビハインドの9回裏代打武内晋一の本塁打を口火に1点差に迫り2死一塁から大引啓次のタイムリーで同点に追いつき,延長11回上田剛史がサヨナラ3ランと伏兵が活躍するシーンも際立った。
青木はリーグ4位の打率.327。高井雄平はキャリアハイとなる打率.318。青木の加入で一塁手としての出場が多くなった坂口智隆は打率.317でオリックス時代の2010年以来8年ぶりに3割に乗せた。山田哲人は打率.315,本塁打34、盗塁33。2年ぶり自身3度目となるトリプルスリーを達成。ウラディミール・バレンティンは自身の持つ球団記録に並ぶ131打点で打点王。西浦直亨がショートのレギュラーポジションを掴み,自身初の規定打席に到達した。
キャプテン中村悠平は打率.211と低迷。その中村と併用という形で井野卓はプロ13年目にして自己最多を大きく更新する47試合に出場。プロ初の二塁打も記録(3本)した。キャンプ直前に故障を訴えた西田明央は9月26日の一軍登録で4試合の出場にとどまった。
9月16日広島戦(神宮)で高卒ルーキー村上宗隆がプロ野球史上64人目となるプロ初打席初本塁打の衝撃デビュー。ルーキーではドラフト6位宮本丈が8月18日阪神戦(神宮)で小野泰己から,ドラフト4位塩見泰隆が10月7日阪神戦(神宮)で岩崎優からそれぞれプロ初安打。奥村展征も10月4日阪神戦(甲子園)でラファエル・ドリスからプロ初本塁打。トライアウトで西武から移籍してきた田代将太郎は終盤の貴重な代走守備固めとして73試合に出場した。
開幕投手を務めたデービッド・ブキャナンがシーズン最終登板で10勝目を挙げ,チームとして3年ぶりとなる2ケタ勝利投手に。小川泰弘はオフの右肘手術で初登板は5月13日DeNA戦(横浜)と出遅れながらも8勝。前半全く勝てず中継ぎに配置転換された原樹理だったが,8月16日巨人戦(神宮)でプロ初完封勝利を遂げるなど自己最多の6勝。山中浩史は8月30日,9月15日いずれも阪神戦(甲子園)で先発登板し2勝とトラキラーぶりを発揮した。
7月20日中日戦(神宮)でドラフト2位大下佑馬が,8月25日DeNA戦(神宮)で高卒2年目の梅野雄吾がそれぞれプロ初勝利を挙げるとそれ以降セットアッパーに定着。小川と同時期に右肘手術を受けた星知弥が9月13日巨人戦(東京ドーム)で先発としておよそ1年ぶりの白星。高卒3年目の左腕高橋奎二が10月2日横浜DeNA戦(神宮)でプロ初勝利。
石山は35セーブで惜しくもタイトルには届かなかったが,近藤はリーグトップの42ホールドポイントでプロ17年目にして初タイトルとなる最優秀中継ぎ賞を受賞。中澤雅人がチーム3位の11ホールドポイント。
35試合登板の秋吉亮は5年目にして初の防御率4点台とふるわず故障以外で初の二軍落ちを喫した。梅野と同期の2年目寺島成輝は7月1日阪神戦(神宮)の先発登板のみで防御率18.00。移籍の山田大樹は2試合の登板(いずれも先発)で防御率15.88。館山昌平は5試合に先発したが4敗と,これで2年連続未勝利となってしまった。
長くスワローズのブルペンを支えてきた松岡健一と山本哲哉が今季限りでの現役引退を表明し,10月8日阪神戦(神宮)で引退登板が行われた。
【表1】セ・リーグ順位表
順位 | チーム | 試合 | 勝数 | 敗数 | 引分 | 勝率 | 勝差 | 得点 | 失点 | 本塁 | 盗塁 | 打率 | 防御率 |
1 | 広 島 | 143 | 82 | 59 | 2 | .582 | 優勝 | 721 | 651 | 175 | 95 | .262 | 4.12 |
2 | ヤクルト | 143 | 75 | 66 | 2 | .532 | 7.0 | 658 | 665 | 135 | 68 | .266 | 4.13 |
3 | 巨 人 | 143 | 67 | 71 | 5 | .486 | 6.5 | 625 | 575 | 152 | 61 | .257 | 3.79 |
4 | DeNA | 143 | 67 | 74 | 2 | .475 | 1.5 | 572 | 642 | 181 | 71 | .250 | 4.18 |
5 | 中 日 | 143 | 63 | 78 | 2 | .447 | 4.0 | 598 | 654 | 97 | 61 | .265 | 4.36 |
6 | 阪 神 | 143 | 62 | 79 | 2 | .440 | 1.0 | 577 | 628 | 85 | 77 | .253 | 4.03 |
広島がリーグ3連覇。大瀬良大地が最多勝と最優秀勝率。シーズン途中に支配下選手登録されたヘロニモ・フランスアが,8月にプロ野球最多記録タイの月間18試合登板,月間防御率0.51で月間MVPを受賞した。
巨人はエース菅野智之が2年連続沢村賞を受賞したが,それに続く投手がおらず苦戦を強いられた。これで球団ワーストタイ記録なる4年連続V逸となり,高橋由伸監督はその責任を取り辞任を余儀なくされた。オフにはFAで広島から丸佳浩,西武から炭谷銀次朗を獲得。さらにオリックスを自由契約となった中島宏之と,シアトル・マリナーズを自由契約となった岩隈久志まで獲得。なりふり構わない補強に出ている。
3年ぶりにBクラスに転落したDeNA。ルーキー東克樹がチームトップの11勝を挙げ新人王。ストッパー山崎康晃がリーグトップの37セーブで初タイトル獲得。ネフタリ・ソトも来日1年目で本塁打王に輝きながらもチーム得点がリーグ最下位と投打が噛み合わなかった。
中日は球団史上ワーストとなる6年連続Bクラス。森繁和監督も退任となった。それでもリーグ打率1位にダヤン・ビシエド,3位平田良介,5位ソイロ・アルモンテと個々の成績は光った。ビシエドは首位打者に最多安打。8月にはリーグ新記録となる月間47安打をマークした。
阪神は実に2001年以来17年ぶりに最下位に転落。昨年2位の原動力となった自慢のリリーフ陣が崩壊。4番候補としてキャンプ〜オープン戦と前評判の高かった新外国人ウィリン・ロサリオが期待外れに終わり,金本知憲監督は任期を残しながら電撃解任された【表1】。
チーム成績
【表2-1】チーム月別成績
通産 | |||||||||||||
月 | 試合 | 勝数 | 負数 | 引分 | 勝率 | 順位 | 打率 | 本塁 | 得点 | 失点 | 防御 | 勝率 | 順位 |
3・4 | 24 | 9 | 15 | 0 | .375 | 6 | .245 | 18 | 107 | 119 | 4.40 | .375 | 6 |
5 | 23 | 10 | 12 | 1 | .455 | 5 | .259 | 24 | 86 | 112 | 4.40 | .413 | 6 |
6 | 23 | 15 | 8 | 0 | .652 | 1 | .267 | 23 | 121 | 107 | 4.26 | .493 | 2 |
7 | 19 | 9 | 10 | 0 | .474 | 4 | .289 | 18 | 84 | 87 | 3.99 | .489 | 2 |
8 | 25 | 14 | 11 | 0 | .560 | 2 | .288 | 25 | 136 | 121 | 4.56 | .504 | 2 |
9 | 22 | 12 | 9 | 1 | .571 | 2 | .255 | 17 | 96 | 101 | 3.66 | .515 | 2 |
10 | 7 | 6 | 1 | 0 | .857 | 1 | .243 | 10 | 28 | 18 | 2.29 | .532 | 2 |
3月は2016年3月30日から引き分けを挟んで4連勝。4月・5月と最下位だったことは鮮明だが,6月以降はいずれも2位でその月を終えているのは少し意外に感じさせる。とりわけ7月はジェットコースターのような成績だった。8連敗の最下位でオールスターに突入。実に二週間以上勝利から遠ざかりながら,20日中日戦(神宮)から7連勝し再びリーグ2位に浮上。広島を除く5球団が2位から最下位まで僅差にひしめき,順位も日替わりで変動する日々だったが,8月26日以降は2位を明け渡すことなく,10月2日に2位を確定させた。【表2-1】。
【表2-2】チームホーム/ビジター別成績
試合 | 勝数 | 敗数 | 引分 | 勝率 | 得点 | 失点 | 本塁 | 盗塁 | 打率 | 防御率 | |
ホーム | 71 | 41 | 30 | 0 | .577 | 392 | 361 | 93 | 43 | .282 | 4.37 |
ビジター | 72 | 34 | 36 | 2 | .486 | 266 | 304 | 42 | 25 | .250 | 3.89 |
昨年15勝56敗 勝率.211と大きく負け越したビジターゲームの成績も劇的に変化を遂げた。甲子園では8勝2敗。6連勝で今季を終え,ナゴヤドームでも8月10日まで6連敗(前年から数えると8連敗)と鬼門だったが,8月11日から5連勝で来季を迎える。横浜スタジアムでは4カード中3カードに勝ち越し7勝5敗。交流戦は楽天生命パーク,大宮市営,西武ドーム,札幌ドームで計9試合を6勝3敗。
東京ドームは3勝6敗1分。マツダスタジアムが2勝9敗とここ数年広島の独走を許す元凶となっている【表2-2】。
【表2-3】チーム曜日別成績
試合 | 勝数 | 敗数 | 引分 | 勝率 | 得点 | 失点 | 本塁 | 盗塁 | 打率 | 防御率 | |
月曜日 | 6 | 4 | 2 | 0 | .667 | 31 | 32 | 7 | 2 | .318 | 4.75 |
火曜日 | 25 | 13 | 11 | 1 | .542 | 114 | 103 | 27 | 13 | .272 | 3.54 |
水曜日 | 23 | 8 | 14 | 1 | .364 | 90 | 128 | 21 | 6 | .242 | 5.03 |
木曜日 | 19 | 13 | 6 | 0 | .684 | 100 | 74 | 20 | 11 | .274 | 3.50 |
金曜日 | 20 | 11 | 9 | 0 | .550 | 97 | 89 | 20 | 11 | .279 | 4.02 |
土曜日 | 24 | 12 | 12 | 0 | .500 | 116 | 129 | 17 | 11 | .263 | 4.82 |
日曜日 | 26 | 14 | 12 | 0 | .538 | 110 | 110 | 23 | 14 | .256 | 3.69 |
計 | 143 | 75 | 66 | 2 | .532 | 658 | 665 | 135 | 68 | .266 | 4.13 |
2016年に火曜日の勝率が.167(4勝20敗)に終わったことから着目を始めた曜日別成績は水曜日を除いたすべての曜日で勝率.500以上と安定した成績となった。水曜日だけ防御率が5点台と突出している。
最長の連勝は木曜日で,5月第5週から8月第3週にかけて8連勝。7試合あったサヨナラ勝利のうち3試合が木曜日。連敗は水曜日で,4月第2週から5月第3週にかけての6連敗が最長だった。月曜日は海の日の7月第3週から現在4連勝でシーズンを終えた。【表2-3】。
【表2-4】チーム年度別成績推移直近10年間 ※()はリーグ順位
試合 | 勝数 | 負数 | 引分 | 勝率 | 勝差 | 順位 | 得点 | 失点 | 本塁打 | 盗塁 | 打率 | 防御率 | |
2018 | 143 | 75 | 66 | 2 | .532 | 7.0 | 2 | 658(2) | 665(6) | 135(4) | 68(4) | .266(1) | 4.13(4) |
2017 | 143 | 45 | 96 | 2 | .319 | 44.0 | 6 | 473(6) | 653(6) | 95(6) | 50(5) | .234(6) | 4.21(6) |
2016 | 143 | 64 | 78 | 1 | .451 | 25.5 | 5 | 594(2) | 694(6) | 113(4) | 82(2) | .256(2) | 4.73(6) |
2015 | 143 | 76 | 65 | 2 | .539 | -1.5 | 1 | 574(1) | 518(4) | 107(2) | 83(3) | .257(1) | 3.31(4) |
2014 | 144 | 60 | 81 | 3 | .426 | 21.0 | 6 | 667(1) | 717(6) | 139(3) | 62(5) | .279(1) | 4.62(6) |
2013 | 144 | 57 | 83 | 4 | .407 | 28.5 | 6 | 577(3) | 682(5) | 134(2) | 70(4) | .253(4) | 4.26(5) |
2012 | 144 | 68 | 65 | 11 | .511 | 20.0 | 3 | 499(2) | 514(5) | 90(2) | 63(4) | .260(1) | 3.35(5) |
2011 | 144 | 70 | 59 | 15 | .543 | 2.5 | 2 | 484(1) | 504(5) | 86(3) | 43(5) | .244(3) | 3.36(5) |
2010 | 144 | 72 | 68 | 4 | .514 | 6.5 | 4 | 617(3) | 621(3) | 124(3) | 66(4) | .268(2) | 3.85(2) |
2009 | 144 | 71 | 72 | 1 | .496 | 22.0 | 3 | 548(3) | 606(5) | 116(4) | 106(1) | .259(2) | 3.97(5) |
あと1勝で優勝した2015年に並べるところだった。昨年規定打席以上の3割打者は0人,.234でリーグ最下位だったチーム打率はリーグトップの.266。同じくリーグ最下位だった得点は473から658にのし上がった。チーム防御率は数字だけ見ると。4.21→4.13と大きな改善には至らなかったが,リーグ4位というのはここ10年で2番目タイの数字である。【表2-2】。
【表3】チーム別対戦成績
広 島 | 巨 人 | DeNA | 中 日 | 阪 神 | 西 武 | ソフト | 日ハム | オリク | ロッテ | 楽 天 | 計 | |
試合 | 25 | 25 | 25 | 25 | 25 | 3 | 3 | 3 | 3 | 3 | 3 | 143 |
勝利 | 6 | 13 | 15 | 14 | 15 | 2 | 2 | 1 | 2 | 2 | 3 | 75 |
敗戦 | 19 | 11 | 10 | 10 | 10 | 1 | 1 | 2 | 1 | 1 | 0 | 66 |
引分 | 0 | 1 | 0 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 2 |
得点 | 110 | 111 | 116 | 127 | 116 | 13 | 20 | 10 | 16 | 8 | 11 | 658 |
失点 | 143 | 126 | 109 | 116 | 107 | 12 | 14 | 14 | 11 | 7 | 6 | 665 |
安打 | 215 | 257 | 212 | 228 | 227 | 24 | 30 | 28 | 24 | 23 | 19 | 1287 |
本塁 | 22 | 23 | 27 | 30 | 19 | 1 | 6 | 0 | 3 | 3 | 1 | 135 |
三振 | 185 | 151 | 189 | 128 | 170 | 16 | 20 | 15 | 14 | 15 | 28 | 931 |
四球 | 112 | 75 | 111 | 96 | 94 | 14 | 15 | 9 | 13 | 9 | 13 | 561 |
死球 | 8 | 7 | 5 | 8 | 10 | 3 | 3 | 2 | 1 | 2 | 1 | 50 |
併殺 | 20 | 23 | 19 | 22 | 18 | 0 | 1 | 3 | 3 | 1 | 2 | 112 |
盗塁 | 19 | 8 | 14 | 9 | 10 | 3 | 1 | 0 | 1 | 0 | 3 | 68 |
失策 | 26 | 13 | 9 | 11 | 21 | 0 | 1 | 0 | 6 | 0 | 1 | 88 |
打率 | .250 | .295 | .259 | .269 | .267 | .245 | .280 | .277 | .253 | .247 | .200 | .266 |
防御 | 4.92 | 4.34 | 4.10 | 4.30 | 3.54 | 4.15 | 3.86 | 5.04 | 3.00 | 2.33 | 2.00 | 4.13 |
広島,日本ハムを除く9球団に勝ち越した。対巨人戦の勝ち越しは2011年以来7年ぶり。対オリックスも足かけ4年で8連敗となったが,2015年以来3年ぶりに勝ち越すことができた。【表3】。
【表4】守備成績
チーム | 守備率 | 試合 | 守機備会 | 刺殺 | 補殺 | 失策 | 併殺 | 捕逸 | |
参加 | 球団 | ||||||||
中 日 | .991 | 143 | 5488 | 3788 | 1648 | 52 | 328 | 122 | 10 |
巨 人 | .988 | 143 | 5429 | 3837 | 1526 | 66 | 314 | 112 | 7 |
DeNA | .987 | 143 | 5346 | 3807 | 1470 | 69 | 336 | 126 | 7 |
広 島 | .985 | 143 | 5485 | 3846 | 1556 | 83 | 355 | 128 | 7 |
ヤクルト | .9839 | 143 | 5475 | 3823 | 1564 | 88 | 318 | 114 | 6 |
阪 神 | .9835 | 143 | 5406 | 3828 | 1489 | 89 | 305 | 111 | 9 |
チーム守備率は4毛差でリーグ5位。失策数も最下位阪神と1差の5位。山田13,西浦11,坂口・廣岡5など内野手の失策が目立った。それでもこれは青木が加入したことで,春季キャンプ途中からオプションにと試みた坂口が結果として一塁手として最も多い94試合に先発出場したことで,一塁手の捕球を含めた数字が表れた面もあるだろう。それでもこの坂口の一塁起用によって,選手起用のバリエーションが増し,より攻撃的なオーダーが組むことが出来たメリットの方がはるかに上回ると思う。【表4】。
【表5-1】交流戦順位表
試合 | 勝数 | 負数 | 引分 | 勝率 | 得点 | 失点 | 本塁 | 盗塁 | 打率 | 防御率 | ||
1 | 東京ヤクルト | 18 | 12 | 6 | 0 | .667 | 78 | 64 | 14 | 8 | .251 | 3.38 |
2 | オリックス | 18 | 11 | 6 | 1 | .647 | 78 | 58 | 18 | 11 | .249 | 2.98 |
3 | 千葉ロッテ | 18 | 11 | 7 | 0 | .611 | 59 | 49 | 7 | 17 | .278 | 2.40 |
4 | 福岡ソフトバンク | 18 | 11 | 7 | 0 | .611 | 81 | 77 | 30 | 10 | .235 | 3.83 |
5 | 北海道日本ハム | 18 | 10 | 8 | 0 | .556 | 104 | 79 | 24 | 16 | .267 | 4.14 |
6 | 埼玉西武 | 18 | 10 | 8 | 0 | .556 | 101 | 88 | 26 | 22 | .268 | 4.59 |
7 | 巨 人 | 18 | 8 | 10 | 0 | .444 | 66 | 59 | 20 | 9 | .248 | 3.13 |
8 | 横浜DeNA | 18 | 8 | 10 | 0 | .444 | 62 | 81 | 20 | 13 | .241 | 4.33 |
9 | 中 日 | 18 | 7 | 11 | 0 | .389 | 67 | 88 | 12 | 7 | .260 | 4.95 |
10 | 広 島 | 18 | 7 | 11 | 0 | .389 | 77 | 104 | 19 | 8 | .260 | 5.60 |
11 | 阪 神 | 18 | 6 | 11 | 1 | .353 | 59 | 77 | 8 | 11 | .250 | 3.70 |
12 | 東北楽天 | 18 | 6 | 12 | 0 | .333 | 50 | 58 | 13 | 14 | .242 | 3.08 |
【表5-2】交流戦通算成績[2005-2018]
通算[2005-2018] | 試合 | 勝数 | 負数 | 引分 | 勝率 | 勝差 | |
1 | 福岡ソフトバンク | 336 | 203 | 121 | 12 | .627 | |
2 | 千葉ロッテ | 336 | 176 | 146 | 14 | .547 | 26.0 |
3 | 北海道日本ハム | 336 | 178 | 148 | 10 | .546 | 0.0 |
4 | 巨 人 | 336 | 170 | 157 | 9 | .520 | 8.5 |
5 | 埼玉西武 | 336 | 168 | 161 | 7 | .511 | 3.0 |
6 | 中 日 | 336 | 163 | 163 | 10 | .500 | 3.5 |
7 | オリックス | 336 | 162 | 165 | 9 | .495 | 1.5 |
8 | 阪 神 | 336 | 159 | 166 | 11 | .489 | 2.0 |
9 | 東京ヤクルト | 336 | 155 | 173 | 8 | .473 | 5.5 |
10 | 東北楽天 | 336 | 153 | 179 | 4 | .461 | 4.0 |
11 | 広 島 | 336 | 144 | 181 | 11 | .443 | 5.5 |
12 | 横浜DeNA | 336 | 129 | 200 | 7 | .392 | 17.0 |
ソフトバンクの4連覇を阻止したのがヤクルトだった。最終カードの日本ハム戦に1勝2敗となり全球団から勝ち越しとはならなかったが,12勝6敗で球団史上初の交流戦最高勝率に。しかし全体ではパ・リーグが59勝48敗1分と9年連続で勝ち越したため,規定によりMVPは勝ち越したリーグの勝率トップとなったオリックスから打率.397,3本塁打,10打点の吉田正尚が選出された。ヤクルトには最高勝率球団として賞金500万円が贈られたが,これも勝ち越したパ・リーグの中の勝率2位球団(千葉ロッテ)と同額。オリックスが勝ち越しリーグの勝率1位球団に贈られる1000万円を手にするという珍事にも見舞われてしまった【表5-1】。
交流戦通算では昨年時で2.0差を付けられていた東北楽天を抜き9位に再浮上した【表5-2】。
DATE2018〜「9回のヤクルト」
2018年のヤクルトを象徴する言葉といえば「9回のヤクルト」ではなかろうか。
イニング別得点をみると,1回(111点),3回(76点)に続き,9回(75点)は3番目。この9回の75点というのは,2位の阪神(49点)と較べても圧倒的な数字(【図1】)。9回のチーム打率も427打数136安打の.319で,2位の中日(.252)以下を大きく引き離した。
【図1】セ・リーグイニング別得点率グラフは各チームのイニング別得点率。得点率とはそのイニングの平均得点。
8回終了時ビハインドの試合は73試合あり,うち29試合で計61得点を挙げ,同点,逆転に成功した試合が13試合。その勝敗は11勝1敗1分。9回に追いつきそのまま引き分けたのが9月12日巨人戦(東京ドーム)。唯一の敗戦は9回に追いつき,延長11回で勝ち越したものの逆転サヨナラ負けを喫した8月4日阪神戦(京セラドーム)。
ちなみに昨年は9回の攻撃をビハインドで迎えた試合は0勝83敗1分だった。いかに今季のスワローズは最終回まで”執念”をもって奇跡的な試合の数々を演じてきたか。今一度その11試合の軌跡を振り返っておきたい。
@ 5月6日広島戦(神宮)
C 000 200 000 10 3
S 000 100 001 11x4
九里7,Hジャクソン1,中崎1,今村0/3,●一岡12/3−會澤
石川5,秋吉2,近藤1,石山2,○中尾(2-0)1−中村,井野,古賀
A 6月7日ソフトバンク戦(神宮)
H 000 100 020 0 3
S 010 000 101 1x4
石川7,H加治屋1,森1,●モイネロ2/3−甲斐
ブキャナン7,中尾2/3,松岡1/3,カラシティー1,○石山(2-0)1−中村
B 6月28日中日戦(神宮)
D 011 000 031 6
S 002 000 025x9
笠原5,H鈴木1,H又吉1,H祖父江1,●田島1/3−木下拓,大野奨
石川5,H山中1,H中尾1,近藤2/3,中澤2/3,○原(1-5)2/3−中村
C 7月16日DeNA戦(横浜)
S 000 000 005 5
B 000 001 001 2
小川7,○中尾(7-3)1,石山1−中村
バリオス1,H武藤3,H須田1,H加賀2,Hパットン1,●山崎康1/3,三上2/3−伊藤
D 7月21日中日戦(神宮)
D 020 010 011 5
S 000 002 203x7
小笠原51/3,H佐藤1/3,H岡田1/3,祖父江1,H又吉1,●鈴木博1/3−大野奨
石川5,風張1,中尾1,近藤1,○石山(3-0)1−中村,井野
E 7月26日巨人戦(京セラドーム)
S 000 000 001 01 2
G 100 000 000 00 1
原7,風張1,H近藤1,H大下1/3,H中澤1/3,○星(1-0)1/3,S石山(17)1−中村
メルセデス8,マシソン1,H澤村1,●上原−宇佐美,小林
F 8月12日中日戦(ナゴヤドーム)
S 000 000 003 3
D 000 000 010 1
石川70/3,○近藤(3-3)1,石山(19)1−井野,中村
藤嶋7,H佐藤優1,●鈴木博2/3,岡田1/3−武山,松井雅
G 8月14日巨人戦(神宮)
G 000 000 050 5
S 100 201 002x6
内海52/3,田原11/3,H澤村1,●アダメス1/3−大城,小林
小川72/3,近藤0/3,ハフ1/3,○風張(2-3)1−中村,井野
H 8月21日広島戦(マツダスタジアム)
S 010 003 001 5 10
C 010 111 100 0 5
小川5,ハフ1,梅野1,秋吉1,○近藤(4-3)1,石山1−中村,井野
ジョンソン5,永川1/3,今村12/3,Hフランスア1,中崎1,●アドゥア−石原
I 9月4日中日戦(神宮)
D 330 002 100 00 9
S 010 200 006 03x12
ガルシア7,佐藤優1,田島1/3,祖父江0/3,岩瀬1/3,福谷0/3,ロドリゲス11/3,●又吉2/3−松井雅,武山
小川4,中澤2,中尾2,梅野1,H石山1,○近藤(5-3)1−中村,井野
J 9月25日中日戦(ナゴヤドーム)
S 000 101 002 3 7
D 111 001 000 0 4
石川5,中尾1,風張2,○梅野(2-2)1,S石山(31)1−井野,中村
藤嶋5,H岡田1,H祖父江1,Hロドリゲス1,佐藤1,●鈴木博2/3,又吉1/3−松井雅
おわりに〜2019シーズンに向けて
ドラフト3位蔵本治孝,同5位金久保優斗のほか,村中恭兵,岩橋慶侍,屋宜照悟,平井諒が一軍登板無くシーズンを終えた。山川晃司,渡邉大樹は一軍出場無し。日隈ジュリアスは育成契約2年目となる。
佐藤由規,成瀬善久,久古健太郎,菊沢竜佑,古野正人,大松尚逸,比屋根渉,鵜久森淳志の8選手に戦力外通告。カラシティーとウルキデスは自由契約。由規は東北楽天と育成選手契約を結んだ。
ドラフトでは清水昇(国学院大・投手),中山翔太(法政大・内野手),市川悠太(明徳義塾高・投手),浜田太貴(明豊高・内野手),坂本光士郎(新日鉄住金広畑・投手),鈴木裕太(日本文理高・投手),久保拓真(九州共立大・投手),吉田大成(明治安田生命・内野手)の8名。育成ドラフトで内山太嗣(栃木ゴールデンブレーブス・捕手),松本友(福井ミラクルエレファンツ・内野手)の2名を指名した。
ソフトバンクから自由契約となっていた寺原隼人,五十嵐亮太両投手を獲得。五十嵐は実に10年ぶりの古巣復帰となる。秋吉,谷内との交換トレードで北海道日本ハムから高梨裕稔投手,太田賢吾内野手を,新外国人としてアリゾナ・ダイヤモンドバックス3Aアルバート・スアレス,コロラド・ロッキーズ3Aスコット・マクガフ両投手を獲得。投手を中心に補強を進め,支配下68名,育成3名の計71名で2019年シーズンに挑むことになった。
首脳陣は宮本慎也ヘッドコーチ以下,田畑一也投手コーチ,石井弘寿投手コーチ,石井琢朗打撃コーチ,宮出隆自打撃コーチ,土橋勝征内野守備コーチ,河田雄祐外野守備走塁コーチ,杉村繁巡回コーチといずれも留任。
野口寿浩バッテリーコーチが退団し,衣川篤史スコアラーがバッテリーコーチに就任した。
ファームは三木肇二軍チーフコーチ,野村克則二軍バッテリーコーチが石井一久ゼネラルマネージャーに招聘され楽天に移籍。赤堀元之二軍投手コーチも中日の投手コーチに招かれた。
来季3年目を迎える高津臣吾二軍監督。橋上秀樹二軍チーフコーチが23年ぶりにスワローズに復帰。引退した松岡が二軍投手コーチ,福川将和打撃投手が二軍バッテリーコーチに新たに就任。小野寺力二軍投手コーチ,北川博敏二軍打撃コーチ,松元ユウイチ二軍打撃コーチ。森岡良介二軍内野・守備走塁コーチ,福地寿樹二軍外野守備・走塁コーチは留任となった。
ヤクルト球団球団設立50周年を迎える来季のスローガンは「KEEP ON RISING 躍進」。
2位から「さらなる高みを目指」すことになる。となればそれはただ1つ“優勝”しかない。
参考資料
『週刊ベースボール』第73巻 第65号 通産3556号,ベースボールマガジン社,2018.12
「ニッカンスコア速報」
http://www.nikkansports.com/baseball/professional/schedule/2018/s201803.html
http://www.nikkansports.com/baseball/professional/schedule/2018/s201804.html
http://www.nikkansports.com/baseball/professional/schedule/2018/s201805.html
http://www.nikkansports.com/baseball/professional/schedule/2018/s201806.html
http://www.nikkansports.com/baseball/professional/schedule/2018/s201807.html
http://www.nikkansports.com/baseball/professional/schedule/2018/s201808.html
http://www.nikkansports.com/baseball/professional/schedule/2018/s201809.html
http://www.nikkansports.com/baseball/professional/schedule/2018/s201810.html
プロ野球チャート
https://tool.stabucky.com/baseball/npb_charts.php
データで楽しむプロ野球
http://baseballdata.jp/
2017年12月25日
総括2017―球団史上ワースト年間96敗
はじめに
「うちの力はこんなものじゃない」「いつまでもくよくよしていないで,さっさとその状況から抜け出し,本来の自分を取り戻せ」就任3年目を迎えた真中満監督が掲げたチームスローガンは「目を覚ませ ! SNAP OUT OF IT 2017」。
しかし終わってみれば45勝96敗2分 勝率.319。1950年国鉄スワローズを上回り球団史上ワーストとなる年間96敗。1970年アトムズ以来47年ぶりとなる借金51。屈辱のシーズンとなった。
例年のこととはいえ故障者に泣かされた。中でも最大の誤算は川端慎吾だった。キャンプ中盤で腰痛を訴え,保存療法による回復を目指したが症状が改善せず。30歳を迎えるプロ12年目のシーズンを自身初の一軍出場なしに終わった。開幕から間もない4月18日巨人戦(熊本)で畠山和洋が左腓腹筋肉離れ。5月7日DeNA戦(横浜)で史上12人目プロ野球タイ記録となる1試合4二塁打をマークした高井雄平は6月28日巨人戦(福島)で右手有鈎骨を骨折。6月30日阪神戦(甲子園)で守護神秋吉亮が右肩甲下筋肉離れ。内野陣の精神的支柱である大引啓次も7月からほぼ丸2ヶ月間肩の故障で一軍登録から外れた。シーズン終盤の9月には星知弥,小川泰弘が相次いで右肘を疲労骨折していることが判明した。10月3日の最終戦(神宮)を前にジョシュ・ルーキが造反事件を起こすなど,最後までドタバタ劇が繰り返された。
球団史上最高額となる契約金150万ドルで獲得したロス・オーレンドルフは4試合の登板(いずれも先発)で0勝1敗,防御率5.50と振るわぬまま9月14日に自由契約となった。6月13日楽天戦(神宮)に史上46人目の通算2500投球回を達成した石川雅規だったが,5月18日巨人戦(東京ドーム)を最後に勝ち星から見放されセ・リーグでは1961年金田正一(国鉄)以来56年ぶり5人目(6度目)となるシーズン11連敗を喫した。石川に次ぎチーム2番目の年長者となる館山昌平は故障以外では自身ワーストタイとなる2試合の登板(0勝1敗)に終わった。
3年連続トリプルスリーを目指した山田哲人は開幕から調子が上がらず全143試合フルイニング出場を果たしたが,打率.247,24本塁打,14盗塁と極度の不振に悩んだ1年となった。規定打席に達したのは坂口智隆,中村悠平,7月25日中日戦(神宮)で史上102人目となる通算200号本塁打を記録したウラディミール・バレンティンの4名。野手で一年間一軍登録を外れなかったのは山田と上田剛史の2名のみだった。投手では規定投球回をクリアしたのは新加入のデービッド・ブキャナンのみ。一年を通じてメンバーを固定できなかったことが分かる。
こんなチーム状況で出場機会を得た選手の筆頭格は藤井亮太だった。捕手登録ながら主に三塁手として自己最多の97試合に出場した。後半戦からは山崎晃大朗がセンターのポジションを与えられ,8月26日DeNA戦(神宮)で石田健太からプロ初本塁打を放ち,4年目の奥村展征は7月11日巨人戦(東京ドーム)で菅野智之からプロ初安打,7月29日広島戦(マツダ)でプロ初打点をマークし,出場試合を増やした。12年目の井野卓は6月16日日本ハム戦(神宮)で自身6年ぶりとなる安打をマークした。
一方で開幕スタメンに名を連ねた西浦直亨は打率.208,0本塁打,昨年中村と併用された西田明央は試合出場機会が激減,谷内亮太は7月以降ファーム暮らしと苦渋を舐めた。三輪正義,比屋根渉は出場試合を大きく減らした。高卒ルーキーでプロ初打席初本塁打デビューの廣岡大志は首脳陣の方針で一軍では11試合の出場にとどまった。ディーン・グリーンは6月4日埼玉西武戦(神宮)で華々しいデビューを飾ったものの安定感を欠き,7月にカルロス・リベロを獲得することになった。
投手では2年目の原樹理。シーズン当初は中継ぎだったが,5月19日阪神戦(神宮)から先発に再転向し最後までローテーションを守り続けた。チーム最多の66試合に登板したのは石山泰稚。移籍2年目の近藤一樹は54試合に登板。6月30日阪神戦(甲子園)で史上60人目(66度目)となる1球セーブでプロ初セーブを記録した。キャンプで出遅れ交流戦明けの一軍合流となった松岡健一が37試合,トミージョン手術明けの山本哲哉は2年ぶりの一軍登板から32試合,中澤雅人が28試合とベテラン投手陣が奮闘した。9月7日DeNA戦(横浜)でプレストン・ギルメット,翌9月8日巨人戦(東京ドーム)で岩橋慶侍が先発起用され,その適性を見せたのも光明だった。
山中浩史は12試合に先発し2勝6敗,佐藤由規は10試合に先発し3勝5敗といずれも負けが先行。村中恭兵は13試合,成瀬善久が12試合,久古健太郎にいたっては6試合の登板に終わり,中継ぎ左腕不足も深刻だった。平井諒は4試合,風張蓮は3試合の一軍登板に終わった。7月25日には2013年ドラフト1位杉浦稔大と北海道日本ハム屋宜照悟との交換トレードが成立した。
4月1日DeNA戦(神宮)の星に始まり,6月8日ソフトバンク戦(ヤフオクドーム)で2016年ドラフト4位中尾輝,8月9日DeNA戦(神宮)で同3位梅野雄吾,9月12日中日戦(神宮)で同6位菊沢竜佑,9月30日中日戦(神宮)で同1位寺島成輝と新人5投手全員がルーキーイヤーにプロ初登板を果たした。 試合出場こそ無かったが同5位古賀優大も6月23日からのDeNA戦(神宮)で一軍登録された。2年目の渡邉大樹も9月3日広島戦(神宮)でプロ初出場を飾った。
そんな苦しい1年にあって印象的なサヨナラ打も多く生まれた。4月2日DeNA戦(神宮)で鵜久森淳志がチームでは1982年岩下正明以来35年ぶり2人目,プロ野球史上16人目となる代打サヨナラ満塁本塁打。5月14日中日戦(松山)では荒木貴裕がサヨナラ満塁本塁打。6月23日DeNA戦(神宮)で武内晋一がサヨナラタイムリー。そして球史に残る7月26日中日戦(神宮)で大松尚逸が放った今季2本目の代打サヨナラ本塁打はプロ野球史上4試合目となる10点差逆転勝利を決めるものだった。
【表1】セ・リーグ順位表
投打に充実の戦力で広島の2年連続独走優勝となったセ・リーグ。精神的支柱だった黒田博樹の引退,開幕投手クリス・ジョンソン,クローザー中崎翔太の離脱などを全く感じさせないチーム力。田中広輔,菊池涼介,丸佳浩の1,2,3番コンビネーションが確立され,鈴木誠也が4番に座る。チーム打率,得点,本塁打,盗塁いずれもリーグトップだった。
リーグトップの防御率3.29を残したのは阪神。桑原謙太郎,マルコス・マテオ,ラファエル・ドリスの勝ちパターンは盤石で,桑原とマテオが43HPで最優秀中継ぎ賞を同時受賞。ドリスが37セーブでセーブ王に輝いた。打線は糸井嘉男,鳥谷敬,福留孝介のベテラントリオが牽引した。
広島,阪神をクライマックスシリーズで撃破し3位から日本シリーズに進出したDeNA。2年目今永昇太が11勝。ルーキー濱口遥大が10勝。新外国人ジョー・ウィーランドも10勝と新戦力が台頭。打点王,最多安打のホセ・ロペス,主砲筒香嘉智,首位打者・宮崎敏郎のクリーンアップの存在感も際立ち,打率.252,本塁打134はともにリーグ2位だった。
最多勝の菅野智之,最優秀防御率,最多奪三振のマイルズ・マイコラス,さらに高卒4年目の田口麗斗を加えた先発3本柱で実に27もの貯金を作った巨人。しかし球団史上ワースト13連敗を喫するなど投打が噛み合わず,2007年から導入されたクライマックスシリーズへの連続出場が10年で途切れ2006年以来のBクラスに沈んだ。開幕前目玉と言われたFAによる大型補強。陽岱鋼は怪我で大きく出遅れ,山口俊に至ってはシーズン中に泥酔の末暴力事件を起こして謹慎処分となった。
中日は5年連続のBクラス。新人ながら149安打を放った京田陽太が新人王に輝いた【表1】。
チーム成績
【表2-1】チーム月別成績
3月31日の開幕戦に勝利,チームは実に2年ぶりとなる貯金を作った。開幕カードを勝ち越し,開幕4試合で3勝1敗と開幕ダッシュを決めたかと思ったが・・・。
4試合目となった4月4日阪神戦(京セラドーム)で藤浪晋太郎の右打者に対する執拗な内角攻めから打線全体の歯車が狂った。翌5日から6連敗。そこから一進一退のチーム状態となる。
それでも5月17日巨人戦(東京ドーム)から4連勝し借金を3まで減らし,21日阪神戦(神宮)も6回を終えて4-2とリードする展開。初の同一カード3連勝が視界に入ってきた試合を継投のミスから落とした試合が今季のターニングポイントとなった。この試合から5連敗。
なんとか連敗を止めて交流戦に突入したものの,交流戦は引き分け挟んで10連敗スタート。7月には1970年以来実に47年ぶり球団史上3度目となる14連敗を喫した。前半戦を28勝52敗2分の借金24の成績で終えた。このチーム成績が反映され,オールスターゲームにヤクルトから選出されたのは小川のみ。これもまた1970年(武上四郎)以来の出来事だった。
7月25-27日中日戦(神宮)今季初の同一カード3連勝。これが今季最後の連勝となった。あとは試合毎に負けを重ねる日々。8月は月間19敗を喫したがこれも1970年以来。借金が30を超えたのも1970年以来。
9月27日広島戦(マツダ)で1950年以来球団ワーストタイ年間94敗目。10月1日中日戦(神宮)3日巨人戦(神宮)と連敗し球団ワーストの96敗で全日程を終えた。シーズン96敗以上は2005年楽天の97敗以来9度目で,セ・リーグでは99敗した1955年大洋以来62年ぶり。シーズン2度の10連敗以上は1970年以来球団史上3度目の屈辱だった【表2-1】。
【表2-2】チームホームビジター別成績
ビジター球場での成績も特筆すべきほどにひどかった。ホームでは30勝40敗2分けの勝率.429に対し,ビジターは15勝56敗で借金が41。勝率にすると.211。
マツダスタジアム,横浜スタジアム,東京ドーム,ナゴヤドームでそれぞれ3勝づつ。甲子園,京セラドーム,ZOZOマリンスタジアムでそれぞれ1勝づつの計15勝。
ビジターの同一カード2連戦,3連戦は23度あったが,8度の0勝3敗を含む22度が負け越し。いわゆるカード勝ち越し(※1試合カードを除く)は5月16-18日の対巨人戦(東京ドーム)の2勝1敗のみ。しかもこのカードは東京シリーズと銘打たれ燕プロジェクトユニフォームを着用して試合に臨んだため,ビジターユニフォームで戦った68試合では13勝55敗。勝率は.191にまで落ち込んでいることになるのだ【表2-2】。
【表2-3】チーム曜日別成績
昨年火曜日の勝率が.167(4勝20敗)に終わったことで着目した曜日別成績。チームの年間勝率.319を上回ったのは木曜日と土曜日で,その4割台の勝率ですら高く見えてしまうのはなんとも寂しい限り。日曜日は6月18日日本ハム戦(神宮)から引き分けを挟んで13連敗で全日程を終えている【表2-3】。
【表2-4】チーム年度別成績 ※()はリーグ順位
チーム防御率4.21は2年連続リーグワースト。しかしこの5年間で見ると,慢性的に抱える課題とはいえ,実は優勝した2015年に次ぐ数値であった。これを強力打線で補う”打高投低”のスタイルが通用しなかったというのが低迷の要因とも言える。チーム打率は.234でリーグワースト。チーム本塁打も5年ぶりに100本を下回り,機動力も使えず打線は迫力を欠いた【表2-2】。
【表3】チーム別対戦成績
交流戦で楽天と日本ハムに勝ちこしたため,全球団負け越しこそ免れたが,対戦成績も目を覆いたくなるような数字ばかり。またオリックスには2年連続で同一カード3連敗を喫している【表3】。
【表4】守備成績
チーム失策数はリーグ最多の「86」。昨季がリーグ最少の「60」だっただけに,その凋落ぶりは顕著である。内野手で最も多いのは三塁手の藤井で「14」。本来は捕手登録であった藤井が三塁を守らなければならなかったチーム事情も考慮せねばならない。身体能力を生かしまるで”忍者”のようなプレーを数々みせてくれた藤井は来季から内野手登録となる。守備力向上もチーム再建には不可欠となろう【表4】。
【表5】交流戦順位表と通算成績[2005-2017]
今年も交流戦を制したのはソフトバンク。直接対決で2勝1敗と勝ち越したことで,同率ながら交流戦3連覇を果たした。またパ・リーグは8年連続の勝ち越し。MVPには柳田悠岐が選出され,交流戦史上初となる2度目の受賞となった。則本昂大(楽天)が日本新記録となる8試合連続2ケタ奪三振を樹立したが,その記録がストップしたのは6月15日ヤクルト戦(神宮)だった。巨人が球団新記録となる13連敗を喫したのも交流戦期間の出来事だった【表5】。
DATE2017〜七夕の悪夢
4月4日に躓き,5月21日に歯車が狂い,7月7日に終戦を迎えた。振り返ってみればそんな一年だったような気がする。真中監督の勝負手として起爆剤として決意した小川の守護神転向。これが無残にも打ち砕かれ,チームとしても万策尽きた感があった。
5月28日左内腹斜筋の肉離れで離脱した小川が,二軍調整中に高津2軍監督から中継ぎ起用が伝えられていた。ファームで中継ぎの調整登板を経て,6月30日阪神戦(甲子園)から一軍復帰。その試合で早速登板機会が訪れ,8回1イニングを三者凡退で抑える上々の滑り出しだった。しかし・・この試合で守護神・秋吉が負傷降板。翌日から守護神に指名せざるを得なかった。
ところが波に乗れないチームは終盤にリードを保って小川に継投するという試合すら作れない。ストッパーとして小川が初めて9回のマウンドに上がったのはそれから6日後の7月7日広島戦(神宮)。8-3と5点リードでセーブがつかない場面だった。
先頭打者サビエル・バティスタに投じた初球。ソロ本塁打を浴びた。1死から菊池にもソロを浴びる。これで3点差。次の丸へは四球。それでも鈴木を中飛に抑えて2死一塁までもこぎつけた。あと1人。しかし松山竜平にタイムリー二塁打を浴びて2点差にまで迫られた。西川龍馬に内野安打を許し2死一三塁。投手ジャクソンの所に打順が回り代打に起用されたのは新井貴浩だった。カウント2−1からの4球目。外角への直球を完璧に捉えられた。ライナー性の打球はバックスクリーン直撃。真っ赤に染まるレフトスタンド,三塁側はおろか,それまでおとなしかったはずの一塁側からも立ち上がり歓声があがる異様なまでのスタンドの光景。心が折れるとはまさにこのことだった。翌々日7月9日広島戦(神宮)でもセーブに失敗した小川。結局後半戦から先発に再転向し4勝を挙げた。
不安・重圧・焦り―。この試合でそれらの全てを曝け出し,チームはもはや戦う集団としての機能を失ってしまったと言っても過言ではあるまい。
おわりに〜2018シーズンに向けて
高橋奎二,山川晃司は一軍出場無し。2014年ドラフト1位竹下真吾のほか,土肥寛昌,中島彰吾,星野雄大,榎本葵,原泉に戦力外が通告された。国指定の難病黄色靱帯骨化症を発症した徳山武陽,甲状腺機能低下症を患った今浪隆博は現役引退となった。飯原誉士は他球団での現役続行を目指す。
5月に左肘のトミージョン手術を受けた日隈ジュリアスは育成契約を結ぶことになった。田川賢吾,古野正人,大村孟も引き続き育成契約となる。選手不足に伴う暫定措置で育成選手契約を締結した新田玄気は再びブルペン捕手に復帰となる。
真中監督の退任とともに伊藤智仁投手コーチ,押尾健一戦略コーチ兼投手コーチ補佐が退団を申し入れ,水谷新太郎二軍チーフ兼内野守備走塁コーチ,笘篠誠治二軍外野守備走塁コーチとの契約が打ち切られた。
かつての一軍監督経験に加え,編成トップとしての経験を生かし,チーム力の強化と底上げを託された小川淳司監督。最大の目玉人事となったのは宮本慎也ヘッドコーチの就任だ。さらに球団OBで今季途中から巨人で広島専属スコアラーを務めていた田畑一也投手コーチ,広島のリーグ連覇に貢献した立役者とも言われた石井琢朗打撃コーチと河田雄祐外野守備走塁コーチの招聘にも成功した。
土橋勝征内野守備コーチは3年ぶりの現場復帰,野口寿浩二軍バッテリーコーチが一軍バッテリーコーチに昇格。杉村繁チーフ打撃コーチは一二軍巡回コーチと肩書が変更になった。
留任は石井弘寿投手コーチと宮出隆自打撃コーチのみと,これまで生え抜きを大事にするファミリー球団が脇を固めるコーチ陣から大幅改革に乗り出した。
2年目を迎える高津臣吾二軍監督。三木肇ヘッドコーチが新たに二軍チーフコーチに就任。赤堀元之二軍投手コーチ,小野寺力二軍投手コーチ,北川博敏二軍打撃コーチ,松元ユウイチ二軍打撃コーチは留任。森岡良介野手コーチ補佐が二軍内野・守備走塁コーチ,福地寿樹外野守備走塁コーチが二軍外野守備・走塁コーチ,野村克則バッテリーコーチが二軍バッテリーコーチにそれぞれ配置転換となった。
ドラフトでは村上宗隆(捕手・九州学院高),大下佑馬(投手・三菱重工広島),蔵本治孝(投手・岡山商大),塩見泰隆(外野手・JX―ENEOS),金久保優斗(投手・東海大市原望洋高),宮本丈(内野手・奈良学園大),松本直樹(捕手・西濃運輸),沼田拓巳(投手・石川ミリオンスターズ)の8名を指名。
自由契約となっていた山田大樹(投手・前ソフトバンク),田代将太郎(外野手・前埼玉西武)2選手と,新外国人としてマット・カラシティー(カブス),ジョーダン・アルメンゴ(中日),デーブ・ハフ(韓国・LG)の3投手を獲得し,2018年シーズンに挑むことになる。
「この悔しさを胸にもう一度立ち上がり,再び上を目指そう。」―東京ヤクルトスワローズは新たに再出発することになる。
参考資料
『週刊ベースボール』第72巻 第63号 通産3490号,ベースボールマガジン社,2017.12
「ニッカンスコア速報」
http://www.nikkansports.com/baseball/professional/schedule/2017/s201703.html
http://www.nikkansports.com/baseball/professional/schedule/2017/s201704.html
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「うちの力はこんなものじゃない」「いつまでもくよくよしていないで,さっさとその状況から抜け出し,本来の自分を取り戻せ」就任3年目を迎えた真中満監督が掲げたチームスローガンは「目を覚ませ ! SNAP OUT OF IT 2017」。
しかし終わってみれば45勝96敗2分 勝率.319。1950年国鉄スワローズを上回り球団史上ワーストとなる年間96敗。1970年アトムズ以来47年ぶりとなる借金51。屈辱のシーズンとなった。
例年のこととはいえ故障者に泣かされた。中でも最大の誤算は川端慎吾だった。キャンプ中盤で腰痛を訴え,保存療法による回復を目指したが症状が改善せず。30歳を迎えるプロ12年目のシーズンを自身初の一軍出場なしに終わった。開幕から間もない4月18日巨人戦(熊本)で畠山和洋が左腓腹筋肉離れ。5月7日DeNA戦(横浜)で史上12人目プロ野球タイ記録となる1試合4二塁打をマークした高井雄平は6月28日巨人戦(福島)で右手有鈎骨を骨折。6月30日阪神戦(甲子園)で守護神秋吉亮が右肩甲下筋肉離れ。内野陣の精神的支柱である大引啓次も7月からほぼ丸2ヶ月間肩の故障で一軍登録から外れた。シーズン終盤の9月には星知弥,小川泰弘が相次いで右肘を疲労骨折していることが判明した。10月3日の最終戦(神宮)を前にジョシュ・ルーキが造反事件を起こすなど,最後までドタバタ劇が繰り返された。
球団史上最高額となる契約金150万ドルで獲得したロス・オーレンドルフは4試合の登板(いずれも先発)で0勝1敗,防御率5.50と振るわぬまま9月14日に自由契約となった。6月13日楽天戦(神宮)に史上46人目の通算2500投球回を達成した石川雅規だったが,5月18日巨人戦(東京ドーム)を最後に勝ち星から見放されセ・リーグでは1961年金田正一(国鉄)以来56年ぶり5人目(6度目)となるシーズン11連敗を喫した。石川に次ぎチーム2番目の年長者となる館山昌平は故障以外では自身ワーストタイとなる2試合の登板(0勝1敗)に終わった。
3年連続トリプルスリーを目指した山田哲人は開幕から調子が上がらず全143試合フルイニング出場を果たしたが,打率.247,24本塁打,14盗塁と極度の不振に悩んだ1年となった。規定打席に達したのは坂口智隆,中村悠平,7月25日中日戦(神宮)で史上102人目となる通算200号本塁打を記録したウラディミール・バレンティンの4名。野手で一年間一軍登録を外れなかったのは山田と上田剛史の2名のみだった。投手では規定投球回をクリアしたのは新加入のデービッド・ブキャナンのみ。一年を通じてメンバーを固定できなかったことが分かる。
こんなチーム状況で出場機会を得た選手の筆頭格は藤井亮太だった。捕手登録ながら主に三塁手として自己最多の97試合に出場した。後半戦からは山崎晃大朗がセンターのポジションを与えられ,8月26日DeNA戦(神宮)で石田健太からプロ初本塁打を放ち,4年目の奥村展征は7月11日巨人戦(東京ドーム)で菅野智之からプロ初安打,7月29日広島戦(マツダ)でプロ初打点をマークし,出場試合を増やした。12年目の井野卓は6月16日日本ハム戦(神宮)で自身6年ぶりとなる安打をマークした。
一方で開幕スタメンに名を連ねた西浦直亨は打率.208,0本塁打,昨年中村と併用された西田明央は試合出場機会が激減,谷内亮太は7月以降ファーム暮らしと苦渋を舐めた。三輪正義,比屋根渉は出場試合を大きく減らした。高卒ルーキーでプロ初打席初本塁打デビューの廣岡大志は首脳陣の方針で一軍では11試合の出場にとどまった。ディーン・グリーンは6月4日埼玉西武戦(神宮)で華々しいデビューを飾ったものの安定感を欠き,7月にカルロス・リベロを獲得することになった。
投手では2年目の原樹理。シーズン当初は中継ぎだったが,5月19日阪神戦(神宮)から先発に再転向し最後までローテーションを守り続けた。チーム最多の66試合に登板したのは石山泰稚。移籍2年目の近藤一樹は54試合に登板。6月30日阪神戦(甲子園)で史上60人目(66度目)となる1球セーブでプロ初セーブを記録した。キャンプで出遅れ交流戦明けの一軍合流となった松岡健一が37試合,トミージョン手術明けの山本哲哉は2年ぶりの一軍登板から32試合,中澤雅人が28試合とベテラン投手陣が奮闘した。9月7日DeNA戦(横浜)でプレストン・ギルメット,翌9月8日巨人戦(東京ドーム)で岩橋慶侍が先発起用され,その適性を見せたのも光明だった。
山中浩史は12試合に先発し2勝6敗,佐藤由規は10試合に先発し3勝5敗といずれも負けが先行。村中恭兵は13試合,成瀬善久が12試合,久古健太郎にいたっては6試合の登板に終わり,中継ぎ左腕不足も深刻だった。平井諒は4試合,風張蓮は3試合の一軍登板に終わった。7月25日には2013年ドラフト1位杉浦稔大と北海道日本ハム屋宜照悟との交換トレードが成立した。
4月1日DeNA戦(神宮)の星に始まり,6月8日ソフトバンク戦(ヤフオクドーム)で2016年ドラフト4位中尾輝,8月9日DeNA戦(神宮)で同3位梅野雄吾,9月12日中日戦(神宮)で同6位菊沢竜佑,9月30日中日戦(神宮)で同1位寺島成輝と新人5投手全員がルーキーイヤーにプロ初登板を果たした。 試合出場こそ無かったが同5位古賀優大も6月23日からのDeNA戦(神宮)で一軍登録された。2年目の渡邉大樹も9月3日広島戦(神宮)でプロ初出場を飾った。
そんな苦しい1年にあって印象的なサヨナラ打も多く生まれた。4月2日DeNA戦(神宮)で鵜久森淳志がチームでは1982年岩下正明以来35年ぶり2人目,プロ野球史上16人目となる代打サヨナラ満塁本塁打。5月14日中日戦(松山)では荒木貴裕がサヨナラ満塁本塁打。6月23日DeNA戦(神宮)で武内晋一がサヨナラタイムリー。そして球史に残る7月26日中日戦(神宮)で大松尚逸が放った今季2本目の代打サヨナラ本塁打はプロ野球史上4試合目となる10点差逆転勝利を決めるものだった。
【表1】セ・リーグ順位表
順位 | チーム | 試合 | 勝数 | 敗数 | 引分 | 勝率 | 勝差 | 得点 | 失点 | 本塁 | 盗塁 | 打率 | 防御率 |
1 | 広 島 | 143 | 88 | 51 | 4 | .633 | 736 | 540 | 152 | 112 | .273 | 3.39 | |
2 | 阪 神 | 143 | 78 | 61 | 4 | .561 | 10.0 | 589 | 528 | 113 | 70 | .249 | 3.29 |
3 | DeNA | 143 | 73 | 65 | 5 | .529 | 4.5 | 597 | 598 | 134 | 39 | .252 | 3.81 |
4 | 巨 人 | 143 | 72 | 68 | 3 | .514 | 2.0 | 536 | 504 | 113 | 56 | .249 | 3.31 |
5 | 中 日 | 143 | 59 | 79 | 5 | .428 | 12.0 | 487 | 623 | 111 | 77 | .247 | 4.05 |
6 | ヤクルト | 143 | 45 | 96 | 2 | .319 | 15.5 | 473 | 653 | 95 | 50 | .234 | 4.21 |
投打に充実の戦力で広島の2年連続独走優勝となったセ・リーグ。精神的支柱だった黒田博樹の引退,開幕投手クリス・ジョンソン,クローザー中崎翔太の離脱などを全く感じさせないチーム力。田中広輔,菊池涼介,丸佳浩の1,2,3番コンビネーションが確立され,鈴木誠也が4番に座る。チーム打率,得点,本塁打,盗塁いずれもリーグトップだった。
リーグトップの防御率3.29を残したのは阪神。桑原謙太郎,マルコス・マテオ,ラファエル・ドリスの勝ちパターンは盤石で,桑原とマテオが43HPで最優秀中継ぎ賞を同時受賞。ドリスが37セーブでセーブ王に輝いた。打線は糸井嘉男,鳥谷敬,福留孝介のベテラントリオが牽引した。
広島,阪神をクライマックスシリーズで撃破し3位から日本シリーズに進出したDeNA。2年目今永昇太が11勝。ルーキー濱口遥大が10勝。新外国人ジョー・ウィーランドも10勝と新戦力が台頭。打点王,最多安打のホセ・ロペス,主砲筒香嘉智,首位打者・宮崎敏郎のクリーンアップの存在感も際立ち,打率.252,本塁打134はともにリーグ2位だった。
最多勝の菅野智之,最優秀防御率,最多奪三振のマイルズ・マイコラス,さらに高卒4年目の田口麗斗を加えた先発3本柱で実に27もの貯金を作った巨人。しかし球団史上ワースト13連敗を喫するなど投打が噛み合わず,2007年から導入されたクライマックスシリーズへの連続出場が10年で途切れ2006年以来のBクラスに沈んだ。開幕前目玉と言われたFAによる大型補強。陽岱鋼は怪我で大きく出遅れ,山口俊に至ってはシーズン中に泥酔の末暴力事件を起こして謹慎処分となった。
中日は5年連続のBクラス。新人ながら149安打を放った京田陽太が新人王に輝いた【表1】。
チーム成績
【表2-1】チーム月別成績
通産 | |||||||||||||
月 | 試合 | 勝数 | 負数 | 引分 | 勝率 | 順位 | 打率 | 本塁 | 得点 | 失点 | 防御 | 勝率 | 順位 |
3・4 | 25 | 10 | 15 | 0 | .400 | 5 | .229 | 12 | 71 | 88 | 3.08 | .400 | 5 |
5 | 24 | 10 | 14 | 0 | .417 | 4 | .258 | 12 | 98 | 94 | 3.69 | .408 | 5 |
6 | 22 | 8 | 13 | 1 | .381 | 4 | .220 | 16 | 75 | 116 | 4.92 | .400 | 6 |
7 | 23 | 5 | 17 | 1 | .227 | 6 | .234 | 22 | 81 | 123 | 4.79 | .359 | 6 |
8 | 26 | 7 | 19 | 0 | .269 | 6 | .251 | 23 | 87 | 130 | 4.87 | .339 | 6 |
9 | 21 | 5 | 16 | 0 | .238 | 6 | .202 | 10 | 51 | 86 | 3.65 | .324 | 6 |
10 | 2 | 0 | 2 | 0 | .000 | 5 | .265 | 0 | 10 | 16 | 7.50 | .319 | 6 |
3月31日の開幕戦に勝利,チームは実に2年ぶりとなる貯金を作った。開幕カードを勝ち越し,開幕4試合で3勝1敗と開幕ダッシュを決めたかと思ったが・・・。
4試合目となった4月4日阪神戦(京セラドーム)で藤浪晋太郎の右打者に対する執拗な内角攻めから打線全体の歯車が狂った。翌5日から6連敗。そこから一進一退のチーム状態となる。
それでも5月17日巨人戦(東京ドーム)から4連勝し借金を3まで減らし,21日阪神戦(神宮)も6回を終えて4-2とリードする展開。初の同一カード3連勝が視界に入ってきた試合を継投のミスから落とした試合が今季のターニングポイントとなった。この試合から5連敗。
なんとか連敗を止めて交流戦に突入したものの,交流戦は引き分け挟んで10連敗スタート。7月には1970年以来実に47年ぶり球団史上3度目となる14連敗を喫した。前半戦を28勝52敗2分の借金24の成績で終えた。このチーム成績が反映され,オールスターゲームにヤクルトから選出されたのは小川のみ。これもまた1970年(武上四郎)以来の出来事だった。
7月25-27日中日戦(神宮)今季初の同一カード3連勝。これが今季最後の連勝となった。あとは試合毎に負けを重ねる日々。8月は月間19敗を喫したがこれも1970年以来。借金が30を超えたのも1970年以来。
9月27日広島戦(マツダ)で1950年以来球団ワーストタイ年間94敗目。10月1日中日戦(神宮)3日巨人戦(神宮)と連敗し球団ワーストの96敗で全日程を終えた。シーズン96敗以上は2005年楽天の97敗以来9度目で,セ・リーグでは99敗した1955年大洋以来62年ぶり。シーズン2度の10連敗以上は1970年以来球団史上3度目の屈辱だった【表2-1】。
【表2-2】チームホームビジター別成績
試合 | 勝数 | 敗数 | 引分 | 勝率 | 得点 | 失点 | 本塁 | 盗塁 | 打率 | 防御率 | |
ホーム | 72 | 30 | 40 | 2 | .429 | 291 | 374 | 57 | 28 | .247 | 4.71 |
ビジター | 71 | 15 | 56 | 0 | .211 | 182 | 279 | 38 | 22 | .221 | 3.66 |
ビジター球場での成績も特筆すべきほどにひどかった。ホームでは30勝40敗2分けの勝率.429に対し,ビジターは15勝56敗で借金が41。勝率にすると.211。
マツダスタジアム,横浜スタジアム,東京ドーム,ナゴヤドームでそれぞれ3勝づつ。甲子園,京セラドーム,ZOZOマリンスタジアムでそれぞれ1勝づつの計15勝。
ビジターの同一カード2連戦,3連戦は23度あったが,8度の0勝3敗を含む22度が負け越し。いわゆるカード勝ち越し(※1試合カードを除く)は5月16-18日の対巨人戦(東京ドーム)の2勝1敗のみ。しかもこのカードは東京シリーズと銘打たれ燕プロジェクトユニフォームを着用して試合に臨んだため,ビジターユニフォームで戦った68試合では13勝55敗。勝率は.191にまで落ち込んでいることになるのだ【表2-2】。
【表2-3】チーム曜日別成績
試合 | 勝数 | 敗数 | 引分 | 勝率 | 得点 | 失点 | 本塁 | 盗塁 | 打率 | 防御率 | |
月曜日 | 4 | 0 | 4 | 0 | .000 | 10 | 15 | 3 | 2 | .180 | 3.82 |
火曜日 | 23 | 6 | 17 | 0 | .261 | 57 | 111 | 13 | 11 | .215 | 4.57 |
水曜日 | 24 | 6 | 18 | 0 | .250 | 74 | 119 | 20 | 7 | .229 | 4.64 |
木曜日 | 19 | 8 | 11 | 0 | .421 | 71 | 72 | 10 | 4 | .244 | 3.45 |
金曜日 | 22 | 7 | 15 | 0 | .318 | 75 | 101 | 14 | 9 | .237 | 4.17 |
土曜日 | 26 | 12 | 14 | 0 | .462 | 85 | 93 | 20 | 8 | .238 | 3.40 |
日曜日 | 25 | 6 | 17 | 2 | .261 | 101 | 142 | 15 | 9 | .252 | 4.95 |
計 | 143 | 45 | 96 | 2 | .319 | 473 | 653 | 95 | 50 | .234 | 4.21 |
昨年火曜日の勝率が.167(4勝20敗)に終わったことで着目した曜日別成績。チームの年間勝率.319を上回ったのは木曜日と土曜日で,その4割台の勝率ですら高く見えてしまうのはなんとも寂しい限り。日曜日は6月18日日本ハム戦(神宮)から引き分けを挟んで13連敗で全日程を終えている【表2-3】。
【表2-4】チーム年度別成績 ※()はリーグ順位
試合 | 勝数 | 負数 | 引分 | 勝率 | 勝差 | 順位 | 得点 | 失点 | 本塁打 | 盗塁 | 打率 | 防御率 | |
2017 | 143 | 45 | 96 | 2 | .319 | 44.0 | 6 | 473(6) | 653(6) | 95(6) | 50(5) | .234(6) | 4.21(6) |
2016 | 143 | 64 | 78 | 1 | .451 | 25.5 | 5 | 594(2) | 694(6) | 113(4) | 82(2) | .256(2) | 4.73(6) |
2015 | 143 | 76 | 65 | 2 | .539 | -1.5 | 1 | 574(1) | 518(4) | 107(2) | 83(3) | .257(1) | 3.31(4) |
2014 | 144 | 60 | 81 | 3 | .426 | 21.0 | 6 | 667(1) | 717(6) | 139(3) | 62(5) | .279(1) | 4.62(6) |
2013 | 144 | 57 | 83 | 4 | .407 | 28.5 | 6 | 577(3) | 682(5) | 134(2) | 70(4) | .253(4) | 4.26(5) |
2012 | 144 | 68 | 65 | 11 | .511 | 20.0 | 3 | 499(2) | 514(5) | 90(2) | 63(4) | .260(1) | 3.35(5) |
2011 | 144 | 70 | 59 | 15 | .543 | 2.5 | 2 | 484(1) | 504(5) | 86(3) | 43(5) | .244(3) | 3.36(5) |
2010 | 144 | 72 | 68 | 4 | .514 | 6.5 | 4 | 617(3) | 621(3) | 124(3) | 66(4) | .268(2) | 3.85(2) |
2009 | 144 | 71 | 72 | 1 | .496 | 22.0 | 3 | 548(3) | 606(5) | 116(4) | 106(1) | .259(2) | 3.97(5) |
2008 | 144 | 66 | 74 | 4 | .471 | 17.5 | 5 | 583(2) | 569(4) | 83(5) | 148(1) | .266(4) | 3.75(4) |
2007 | 144 | 60 | 84 | 0 | .417 | 20.5 | 6 | 596(3) | 623(4) | 139(2) | 66(2) | .269(2) | 4.07(5) |
チーム防御率4.21は2年連続リーグワースト。しかしこの5年間で見ると,慢性的に抱える課題とはいえ,実は優勝した2015年に次ぐ数値であった。これを強力打線で補う”打高投低”のスタイルが通用しなかったというのが低迷の要因とも言える。チーム打率は.234でリーグワースト。チーム本塁打も5年ぶりに100本を下回り,機動力も使えず打線は迫力を欠いた【表2-2】。
【表3】チーム別対戦成績
広 島 | 阪 神 | DeNA | 巨 人 | 中 日 | ソフト | 西 武 | 楽 天 | オリク | 日ハム | ロッテ | 計 | |
試合 | 25 | 25 | 25 | 25 | 25 | 3 | 3 | 3 | 3 | 3 | 3 | 143 |
勝利 | 7 | 7 | 8 | 8 | 10 | 0 | 0 | 2 | 0 | 2 | 1 | 45 |
敗戦 | 17 | 18 | 17 | 17 | 15 | 3 | 2 | 1 | 3 | 1 | 2 | 96 |
引分 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 2 |
得点 | 82 | 70 | 100 | 66 | 98 | 2 | 12 | 12 | 4 | 16 | 11 | 473 |
失点 | 113 | 111 | 114 | 108 | 107 | 21 | 22 | 16 | 14 | 11 | 16 | 653 |
安打 | 194 | 178 | 206 | 189 | 209 | 15 | 34 | 17 | 17 | 21 | 28 | 1108 |
本塁 | 15 | 14 | 22 | 14 | 17 | 2 | 4 | 1 | 1 | 5 | 0 | 95 |
三振 | 209 | 190 | 197 | 163 | 139 | 30 | 17 | 19 | 20 | 13 | 16 | 1013 |
四球 | 98 | 83 | 80 | 67 | 84 | 9 | 5 | 8 | 5 | 4 | 11 | 454 |
死球 | 4 | 13 | 5 | 8 | 9 | 2 | 0 | 2 | 0 | 1 | 0 | 44 |
併殺 | 13 | 22 | 17 | 25 | 23 | 3 | 3 | 3 | 2 | 2 | 3 | 116 |
盗塁 | 12 | 6 | 14 | 2 | 10 | 1 | 1 | 1 | 0 | 1 | 2 | 50 |
失策 | 14 | 20 | 5 | 21 | 15 | 2 | 1 | 2 | 1 | 1 | 4 | 86 |
打率 | .232 | .222 | .243 | .235 | .248 | .160 | .288 | .187 | .183 | .219 | .272 | .234 |
防御 | 3.96 | 4.07 | 4.41 | 4.04 | 3.84 | 6.66 | 6.00 | 5.33 | 4.56 | 3.67 | 5.04 | 4.21 |
交流戦で楽天と日本ハムに勝ちこしたため,全球団負け越しこそ免れたが,対戦成績も目を覆いたくなるような数字ばかり。またオリックスには2年連続で同一カード3連敗を喫している【表3】。
【表4】守備成績
チーム | 守備率 | 試合 | 守機備会 | 刺殺 | 補殺 | 失策 | 併殺 | 捕逸 | |
参加 | 球団 | ||||||||
中 日 | .990 | 142 | 5457 | 3819 | 1581 | 57 | 387 | 143 | 7 |
DeNA | .988 | 143 | 5447 | 3858 | 1523 | 66 | 346 | 126 | 7 |
巨 人 | .988 | 143 | 5481 | 3828 | 1585 | 68 | 341 | 126 | 3 |
広 島 | .987 | 143 | 5506 | 3872 | 1563 | 71 | 332 | 118 | 5 |
阪 神 | .985 | 142 | 5451 | 3830 | 1539 | 82 | 331 | 119 | 8 |
ヤクルト | .984 | 143 | 5371 | 3783 | 1502 | 86 | 280 | 106 | 7 |
チーム失策数はリーグ最多の「86」。昨季がリーグ最少の「60」だっただけに,その凋落ぶりは顕著である。内野手で最も多いのは三塁手の藤井で「14」。本来は捕手登録であった藤井が三塁を守らなければならなかったチーム事情も考慮せねばならない。身体能力を生かしまるで”忍者”のようなプレーを数々みせてくれた藤井は来季から内野手登録となる。守備力向上もチーム再建には不可欠となろう【表4】。
【表5】交流戦順位表と通算成績[2005-2017]
通算[2005-2017] | |||||||||||||||||||
試合 | 勝数 | 負数 | 引分 | 勝率 | 順位 | 得点 | 失点 | 本塁 | 盗塁 | 打率 | 防御率 | 試合 | 勝数 | 負数 | 引分 | 勝率 | 勝差 | ||
福岡ソフトバンク | 18 | 12 | 6 | 0 | .667 | 1 | 86 | 51 | 21 | 12 | .268 | 2.72 | 318 | 192 | 114 | 12 | .627 | ||
北海道日本ハム | 18 | 8 | 10 | 0 | .444 | 9 | 66 | 71 | 8 | 10 | .242 | 3.33 | 318 | 168 | 140 | 10 | .545 | 25.0 | |
千葉ロッテ | 18 | 6 | 12 | 0 | .333 | 11 | 70 | 96 | 7 | 7 | .243 | 4.91 | 318 | 165 | 139 | 14 | .543 | 1.0 | |
巨 人 | 18 | 6 | 12 | 0 | .333 | 10 | 63 | 82 | 11 | 12 | .259 | 4.25 | 318 | 162 | 147 | 9 | .524 | 5.5 | |
埼玉西武 | 18 | 10 | 7 | 1 | .588 | 3 | 85 | 62 | 23 | 15 | .251 | 3.16 | 318 | 158 | 153 | 7 | .508 | 5.0 | |
中 日 | 18 | 9 | 9 | 0 | .500 | 8 | 64 | 76 | 16 | 12 | .243 | 4.14 | 318 | 156 | 152 | 10 | .506 | 0.5 | |
阪 神 | 18 | 10 | 8 | 0 | .556 | 4 | 74 | 63 | 10 | 12 | .251 | 3.01 | 318 | 153 | 155 | 10 | .497 | 3.0 | |
オリックス | 18 | 10 | 8 | 0 | .556 | 6 | 71 | 80 | 16 | 1 | .276 | 3.79 | 318 | 151 | 159 | 8 | .487 | 3.0 | |
東北楽天 | 18 | 10 | 8 | 0 | .556 | 5 | 81 | 71 | 16 | 4 | .242 | 3.50 | 318 | 147 | 167 | 4 | .468 | 6.0 | |
東京ヤクルト | 18 | 5 | 12 | 1 | .294 | 12 | 57 | 100 | 13 | 6 | .222 | 5.20 | 318 | 143 | 167 | 8 | .461 | 2.0 | |
広 島 | 18 | 12 | 6 | 0 | .667 | 2 | 91 | 59 | 26 | 16 | .266 | 2.73 | 318 | 137 | 170 | 11 | .446 | 4.5 | |
横浜DeNA | 18 | 9 | 9 | 0 | .500 | 7 | 82 | 79 | 21 | 4 | .247 | 4.01 | 318 | 121 | 190 | 7 | .389 | 18.0 |
今年も交流戦を制したのはソフトバンク。直接対決で2勝1敗と勝ち越したことで,同率ながら交流戦3連覇を果たした。またパ・リーグは8年連続の勝ち越し。MVPには柳田悠岐が選出され,交流戦史上初となる2度目の受賞となった。則本昂大(楽天)が日本新記録となる8試合連続2ケタ奪三振を樹立したが,その記録がストップしたのは6月15日ヤクルト戦(神宮)だった。巨人が球団新記録となる13連敗を喫したのも交流戦期間の出来事だった【表5】。
DATE2017〜七夕の悪夢
4月4日に躓き,5月21日に歯車が狂い,7月7日に終戦を迎えた。振り返ってみればそんな一年だったような気がする。真中監督の勝負手として起爆剤として決意した小川の守護神転向。これが無残にも打ち砕かれ,チームとしても万策尽きた感があった。
5月28日左内腹斜筋の肉離れで離脱した小川が,二軍調整中に高津2軍監督から中継ぎ起用が伝えられていた。ファームで中継ぎの調整登板を経て,6月30日阪神戦(甲子園)から一軍復帰。その試合で早速登板機会が訪れ,8回1イニングを三者凡退で抑える上々の滑り出しだった。しかし・・この試合で守護神・秋吉が負傷降板。翌日から守護神に指名せざるを得なかった。
ところが波に乗れないチームは終盤にリードを保って小川に継投するという試合すら作れない。ストッパーとして小川が初めて9回のマウンドに上がったのはそれから6日後の7月7日広島戦(神宮)。8-3と5点リードでセーブがつかない場面だった。
先頭打者サビエル・バティスタに投じた初球。ソロ本塁打を浴びた。1死から菊池にもソロを浴びる。これで3点差。次の丸へは四球。それでも鈴木を中飛に抑えて2死一塁までもこぎつけた。あと1人。しかし松山竜平にタイムリー二塁打を浴びて2点差にまで迫られた。西川龍馬に内野安打を許し2死一三塁。投手ジャクソンの所に打順が回り代打に起用されたのは新井貴浩だった。カウント2−1からの4球目。外角への直球を完璧に捉えられた。ライナー性の打球はバックスクリーン直撃。真っ赤に染まるレフトスタンド,三塁側はおろか,それまでおとなしかったはずの一塁側からも立ち上がり歓声があがる異様なまでのスタンドの光景。心が折れるとはまさにこのことだった。翌々日7月9日広島戦(神宮)でもセーブに失敗した小川。結局後半戦から先発に再転向し4勝を挙げた。
不安・重圧・焦り―。この試合でそれらの全てを曝け出し,チームはもはや戦う集団としての機能を失ってしまったと言っても過言ではあるまい。
おわりに〜2018シーズンに向けて
高橋奎二,山川晃司は一軍出場無し。2014年ドラフト1位竹下真吾のほか,土肥寛昌,中島彰吾,星野雄大,榎本葵,原泉に戦力外が通告された。国指定の難病黄色靱帯骨化症を発症した徳山武陽,甲状腺機能低下症を患った今浪隆博は現役引退となった。飯原誉士は他球団での現役続行を目指す。
5月に左肘のトミージョン手術を受けた日隈ジュリアスは育成契約を結ぶことになった。田川賢吾,古野正人,大村孟も引き続き育成契約となる。選手不足に伴う暫定措置で育成選手契約を締結した新田玄気は再びブルペン捕手に復帰となる。
真中監督の退任とともに伊藤智仁投手コーチ,押尾健一戦略コーチ兼投手コーチ補佐が退団を申し入れ,水谷新太郎二軍チーフ兼内野守備走塁コーチ,笘篠誠治二軍外野守備走塁コーチとの契約が打ち切られた。
かつての一軍監督経験に加え,編成トップとしての経験を生かし,チーム力の強化と底上げを託された小川淳司監督。最大の目玉人事となったのは宮本慎也ヘッドコーチの就任だ。さらに球団OBで今季途中から巨人で広島専属スコアラーを務めていた田畑一也投手コーチ,広島のリーグ連覇に貢献した立役者とも言われた石井琢朗打撃コーチと河田雄祐外野守備走塁コーチの招聘にも成功した。
土橋勝征内野守備コーチは3年ぶりの現場復帰,野口寿浩二軍バッテリーコーチが一軍バッテリーコーチに昇格。杉村繁チーフ打撃コーチは一二軍巡回コーチと肩書が変更になった。
留任は石井弘寿投手コーチと宮出隆自打撃コーチのみと,これまで生え抜きを大事にするファミリー球団が脇を固めるコーチ陣から大幅改革に乗り出した。
2年目を迎える高津臣吾二軍監督。三木肇ヘッドコーチが新たに二軍チーフコーチに就任。赤堀元之二軍投手コーチ,小野寺力二軍投手コーチ,北川博敏二軍打撃コーチ,松元ユウイチ二軍打撃コーチは留任。森岡良介野手コーチ補佐が二軍内野・守備走塁コーチ,福地寿樹外野守備走塁コーチが二軍外野守備・走塁コーチ,野村克則バッテリーコーチが二軍バッテリーコーチにそれぞれ配置転換となった。
ドラフトでは村上宗隆(捕手・九州学院高),大下佑馬(投手・三菱重工広島),蔵本治孝(投手・岡山商大),塩見泰隆(外野手・JX―ENEOS),金久保優斗(投手・東海大市原望洋高),宮本丈(内野手・奈良学園大),松本直樹(捕手・西濃運輸),沼田拓巳(投手・石川ミリオンスターズ)の8名を指名。
自由契約となっていた山田大樹(投手・前ソフトバンク),田代将太郎(外野手・前埼玉西武)2選手と,新外国人としてマット・カラシティー(カブス),ジョーダン・アルメンゴ(中日),デーブ・ハフ(韓国・LG)の3投手を獲得し,2018年シーズンに挑むことになる。
「この悔しさを胸にもう一度立ち上がり,再び上を目指そう。」―東京ヤクルトスワローズは新たに再出発することになる。
参考資料
『週刊ベースボール』第72巻 第63号 通産3490号,ベースボールマガジン社,2017.12
「ニッカンスコア速報」
http://www.nikkansports.com/baseball/professional/schedule/2017/s201703.html
http://www.nikkansports.com/baseball/professional/schedule/2017/s201704.html
http://www.nikkansports.com/baseball/professional/schedule/2017/s201705.html
http://www.nikkansports.com/baseball/professional/schedule/2017/s201706.html
http://www.nikkansports.com/baseball/professional/schedule/2017/s201707.html
http://www.nikkansports.com/baseball/professional/schedule/2017/s201708.html
http://www.nikkansports.com/baseball/professional/schedule/2017/s201709.html
http://www.nikkansports.com/baseball/professional/schedule/2017/s201710.html
2016年12月28日
総括2016―昨年の自分を超えられずBクラス転落
はじめに
チーム23年ぶりとなるセ・リーグ連覇を目指し真中満監督は「燕進化」をスローガンに掲げディフェンディングチャンピオンとして挑んだ2016年シーズンであったが,開幕4連敗とつまずくと,結局一年通して一度も貯金を作ることができなかった。シーズン終盤は横浜DeNAとのクライマックスシリーズ争いにこそ絡んだものの息切れ。143試合目に勝てば4位という試合を落とし,5位に終わった。
とにかく故障者が相次いだ。投手陣では開幕早々からカイル・デイビーズが背中に張りを訴え,館山昌平は右肘関節の手術に踏み切ることに。小川泰弘が腰の張りで1ヶ月,石川雅規は左脹脛痛で2ヶ月の戦線離脱。そんな中孤軍奮闘していたルーキ―の原樹理もまた右肩甲下筋の肉離れ。杉浦稔大は6試合,石山泰稚は8試合の登板に終わった。
野手では昨年打撃3部門のタイトルを独占した3人までも怪我に泣かされた。打点王・畠山和洋は6月に左有鉤骨の骨挫傷で離脱すると,2軍調整中に古傷の右アキレス腱痛が再発し,そのまま復帰できなかった。首位打者・川端慎吾は7月に右足舟状骨骨折。8月には本塁打王・山田哲人までも試合中に受けた死球の影響で左第8肋骨骨挫傷が判明し,10試合の欠場を余儀なくされた。時期を同じくするように高井雄平も左側腹部筋挫傷で1ヶ月半,大引啓次も腰痛の影響で後半以降控えに回ることが多くなり,一時期ではあったが昨年の優勝メンバーの半数を欠くという状況にまで陥った。
そしてもう一つ忘れてはならない今年を象徴する出来事があった。6月26日中日戦(神宮)の9回表だった。4-1と3点リードしてマウンドには守護神のローガン・オンドルセク。しかし味方外野手のまずい守備もあって同点に追いつかれると,その苛立ちからベンチで大暴れ。仲裁に入った真中監督にも暴力的な態度を取り,そのまま試合終了を待たずにクラブハウスに引き上げてしまう。この件に関し球団はシーズン中にも関わらず自宅謹慎処分という重い処置を下した。謝罪を受け処分は解かれたものの,7月に入って有給休暇を取得し一時帰国が発表されるとその直後にオリオールズと契約するという変わり身の早さをみせた。退団後に明らかになったことは,ベンチ内での暴言は以前からあり,チームの士気を下げていたということだった。オーランド・ロマン,トニー・バーネットという相談役になりうる年長のピッチャーがいなくなった影響も多少なりともあったであろうが,後ろの計算が不明瞭となっていたことで投手陣全体にしわ寄せがいっていたという点は否めないだろう。
それでも夏場以降新たな戦力の台頭が目立つようになった。西田明央は打力に期待しての一塁起用から中村悠平を押しのけて正捕手をうかがう勢いだった。西浦直亨は大引をおしのけてショートのレギュラーポジションを奪い取った。日本ハムを戦力外となりトライアウトを経て入団した鵜久森淳志もクリーンアップを任されるまでに。オリックスを自由契約になった坂口智隆はチーム最多となる141試合に出場。昨季の大半を棒に振ったウラディミール・バレンティンが31本塁打,96打点と復活。ドラフト2位ルーキ―広岡大志は9月29日DeNA戦(横浜)で引退登板となっていた三浦大輔から球団史上初の高卒新人プロ初打席本塁打を放つ鮮烈なデビューを飾った。
オンドルセクの退団後秋吉亮が抑えに完全定着し19セーブをマーク。ジョシュ・ルーキはリーグ3位の33ホールドを挙げた。昨季一軍登板0に終わった村中恭兵が2年ぶり,開幕時は育成契約だった平井諒と佐藤由規もそれぞれ3年ぶり,5年ぶりの勝利を挙げ見事復活を果たした。松岡健一も自身5年ぶりとなる50試合登板でブルペンを支え続けた。
【表1】セ・リーグ順位表
緒方孝市監督率いる広島が1991年以来25年ぶりの優勝を飾った2016年のセ・リーグ。シーズン89勝はリーグでは1965年の巨人(90勝)に次ぐ数字で,2リーグ制となった両リーグでも9番目。2位巨人に17.5ゲーム差をつけたのも,1990年巨人(22.0差),1951年巨人(18.0差)に次ぐ数字で,文字通り独走優勝だった。
菅野智之が最優秀防御率最多奪三振,坂本勇人が首位打者と投打の主軸こそしっかりしていたものの,貯金2の2位に収まった巨人は,クライマックスシリーズファーストステージでもDeNAに敗退。3年連続V逸は許されまいとオフの大型補強に動き高橋由伸監督にプレッシャーをかけてきた。
横浜DeNAは借金2ながらも,クライマックスシリーズが導入され10年目で球団史上初のCS進出を果たし,アレックス・ラミレス監督の手腕が評価を上げている。
金本知憲監督が就任し「超変革」の名の下に大々的な世代交代を打ち出した阪神は公式戦7連勝で締め4位に食い込んだ。
8月上旬に谷繁元信監督が休養を命じられた中日は1997年以来19年ぶりにリーグ最下位に転落した【表1】。
チーム成績
【表2-1】チーム月別成績
開幕3連戦早々からブルペンの構想は崩れた。左のセットアッパーを期待して獲得した新外国人ルイス・ペレスがインフルエンザに感染。翌々日には徳山武陽も感染していることが明らかになった。
4月6日広島戦(マツダ)では先発が予定されていたデイビーズの回避により寺田哲也がスクランブル先発を託されるも2イニングもたずにKO。昨季終了時であと4勝に迫っていた球団通算4000勝を達成したのは開幕から12試合目の8日DeNA戦(横浜)だった。19日阪神戦(甲子園)では怪我の大引に代わりにショートを任され打率.500と好調を維持していた谷内亮太が藤波晋太郎から死球を受け左尺骨骨折と波に乗れずにいた。
それでもツバメはゴールデンウィークにかけて持ち直してきた。4月30日巨人戦(神宮)で飯原誉士が自身2年ぶりとなる本塁打。翌5月1日巨人戦(神宮)では原樹がプロ初勝利。3日DeNA戦(横浜)まで5連勝で勝率を.500に戻した。10日広島戦(神宮)で新垣渚が史上144人目となる通算1000奪三振を達成した。
チームは19勝19敗1分で迎えた13日巨人戦(東京ドーム)で延長12回の末サヨナラ負けを喫するとそこから4連敗。22日には最下位に転落。25日阪神戦(神宮)で畠山が史上476人目の通算1000試合出場,27日中日戦(ナゴヤドーム)で成瀬善久が史上171人目の通算1500投球回,28日中日戦(ナゴヤドーム)には真中監督が球団史上2番目の速さで通算100勝を達成。24勝29敗1分で交流戦に突入した。
坂口が6月2日北海道日本ハム戦(札幌ドーム)で史上477人目の通算1000試合出場,8日東北楽天戦(コボスタ宮城)で史上273人目の通算1000本安打。15日ソフトバンク戦(神宮)では2014年ドラフト1位竹下真吾がよやくプロ初登板を果たした。シーズン途中に四国アイランドリーグから獲得したハ・ジェフンを起用するなど打開を図ったが6勝12敗と大きく負け越し,交流戦前に5.5差だった首位とのゲーム差は11.0にまで拡がっていた。
リーグ戦再開となった24日からの中日3連戦(神宮)で三輪正義のサヨナラタイムリーなどもあって同一カード3連勝を飾ったが,土肥寛昌がプロ初登板した29日広島戦(マツダ)に早くも自力優勝の可能性が消滅してしまう。
由規が2011年9月3日巨人戦(神宮)以来1771日ぶりに一軍復帰を果たした7月9日中日戦(神宮)に中島彰吾と奥村展征がそれぞれプロ初出場。38勝49敗1分で前半戦を終えた。オールスター明けには八木亮祐を放出し,オリックスから近藤一樹を獲得した。
7月26日阪神戦(甲子園)から8月2日広島戦(神宮)にかけて7連敗。東京ドームでは開幕から3カード連続の同一カード3連敗を喫した。この時点で借金は16にまで膨れ上がっておりチームには”終戦”モードが漂ってもおかしくなかった。
しかし8月9日中日戦(ナゴヤドーム)で山田が戦線離脱したことで何かが変わった。山田がいないと勝てないとは言わせないばかりにチームが生まれ変わった。首脳陣が配慮したというバレンティンに事実上のキャプテンを託し,今浪隆博,比屋根渉,上田剛史,荒木貴裕らが日替わりでスタメンに名を連ねた「下町スワローズ」で8月は15勝9敗と今季唯一月間で勝ち越した。
山中浩史と小川が完投勝利を2試合ずつあげるなど,24試合中15試合で先発投手が6回3失点以内のQSを記録し,先発投手がある程度試合をつくればそれなりの戦いができることも証明された。山崎晃太朗が5日阪神戦(神宮)でプロ初安打と初盗塁をマーク。27日阪神戦(甲子園)で石川が史上48人目の通算150勝を達成した。8月30日巨人戦(福井)に敗れ,連覇の可能性は完全に消滅した。
9月6日DeNA戦(横浜)で山田が30個目の盗塁を決めプロ野球史上初となる2年連続トリプルスルーを確実なものとした。昨年まで選手会長を務めた森岡良介が今季限りでの現役引退を表明し,28日DeNA戦(神宮)最後の打席に立った。
昨年は僅か1試合の登板のみに終わった風張蓮と岩橋慶侍はそれぞれ6試合,14試合に登板を増やした。役割の難しい第3捕手は藤井亮太と井野卓が務め,井野は自身3年ぶりヤクルト移籍後は初の一軍出場を果たした。武内晋一は25試合の出場に終わった。【表2-1】
【表2-2】チーム成績 ※()はリーグ順位
優勝した昨年との違い―それは防御率に著実に表れている。実際打率は1厘,盗塁も1つしか変わらず,得点と本塁打に至っては昨年よりも増えているのだ。
昨年リーグ4位の3.31だったチーム防御率が,今季はリーグワーストの4.73でこれは一昨年の4.62をも上回り,過去10年でもワースト(球団史上ワーストは1984年の4.76)だった。さらには先発陣の防御率は4.96,救援防御率は4.34で,チーム全体のQS率も12球団ワーストの41.3%。総失点は694と5位のDeNA(588失点)より100点以上多かった。先発が序盤から崩れ試合を作れず,そのしわ寄せが中継ぎに行くという悪循環に陥った。
数字に表れない精神的な面も否めないだろう。昨年はバーネットという絶対的な守護神がおり,その前にもロマン,オンドルセク,秋吉,中澤雅人,久古健太郎という左右のリリーバー陣が控えていたため,先発は最初から思いっきり飛ばせたという。野球は投手と後ろ3枚ということを再認識させられた一年となった【表2-2】。
【表3】チーム別対戦成績
カード勝ち越したのは中日戦と西武戦の2カードのみ。オープン戦,ペナントレース,交流戦,さらにはファームまでも最下位だったオリックスに,唯一負け越したのはヤクルトだった。さらには東京ドームで1勝10敗,マツダスタジアムで2勝10敗などビジターで24勝48敗と大きく負け越した。【表3】。
【表4】守備成績
守備力は.989で2年連続リーグトップ。失策数も60でリーグ最少だった【表4】。
【表5】交流戦順位表と通算成績[2005-2016]
18試合制となって2年目の交流戦。ソフトバンクが13勝4敗1分勝率.765で,2年連続6度目の勝率1位。最終成績はパ・リーグの60勝47敗1分で7年連続勝ち越し。今年もまた6位までをパ5球団が占めた。ヤクルトは2009年を最後に勝ち越しが無く,これで7年連続負け越しとなった【表5】。
DATE2016〜魔の火曜日
かつてこれほどまでに曜日による偏りを感じたことがあったであろうか?というくらい今年は火曜日に勝てなかった。6月14日ソフトバンク戦(神宮)に勝ったのを最後に12連敗。4勝20敗は勝率にして.167。この数字は野球界ではあまり考えられない。余談にはなるがオープン戦も火曜日は2戦2敗だった【表6-1】。
【表6-1】曜日別勝敗
【表6-2】セ・リーグ各球団曜日別勝敗
球団別に着目してみたが,広島の火曜日(.826)とDeNAの土曜日(.769)が際立つが,均せば納得できる数字が並んでいるだけに,勝率.167は余計に際立つ【表6-2】。
火曜日といえば6連戦の初戦にあたり,裏ローテとはいわれるが柱となる投手を据えることが多くなる。また連戦の初戦ということでできるだけ中継ぎをつぎ込むのは避けたいという思惑も交錯する曜日。来季は火曜日のローテーション運用にも注目したい。
おわりに〜2017シーズンに向けて
昨年9月に自身2度目となるトミージョン手術を受けた山本哲哉は9月1日イースタンロッテ戦(ロッテ浦和)で実戦復帰を果たすなど順調に回復し,来季は一軍復帰が見込めそう。廣岡の陰に隠れがちだが渡辺大樹も高卒ルーキーながらイースタンで76試合に出場,打率.254と安定した守備が評価され,台湾で行われたウィンターリーグのイースタンリーグの選抜メンバーに選出された。一方で高橋奎二と日隈ジュリアスは故障に泣かされ一年をほぼ棒に振るった。ファームの捕手は主に星野雄大と山川晃司が務めた。2年目の原泉も終盤は怪我で出番なく終えている。
寺田,中元勇作,児山祐斗,木谷良平,新垣,田中雅彦,松井淳,川上竜平が戦力外通告を受け,田川賢吾と古野正人は来季より育成契約を結ぶことになった。コーチ転身を打診された田中浩康は出場機会を求めDeNAに移籍することになった。ペレス,デイビーズ,ジェフンの外国人選手3名も退団となり,新たにメジャー通算19試合0勝1敗のプレストン・ギルメット,同通算35試合8勝17敗のデービッド・ブキャナン,同通算209試合30勝41敗のロス・オーレンドルフの3投手と,ディーン・グリーンを獲得した。
2009年以降7年連続してドラフト1位指名の競合に敗れていたが,今年は寺島成輝(投手・履正社高)の単独指名に成功。星知弥(投手・明治大),梅野雄吾(投手・九産高),中尾輝(投手・名古屋経大),古賀優大(捕手・明徳義塾高),菊沢竜佑(投手・相双リテック)と投手を中心に6名,育成ドラフトでは大村孟(捕手・BCリーグ石川)を指名した。合同トライアウトからは前楽天・榎本葵との契約合意に達した。
来季就任3年目となる真中監督体制。2014年から一軍投手コーチを務めてきた高津臣吾コーチが二軍監督に就任することに伴い,伊藤智仁投手コーチがブルペン担当からベンチ担当となり,ファームから昇格した石井弘寿投手コーチがブルペンを担当し,押尾健一戦略担当コーチが新たに投手コーチ補佐も兼務し,3名体制で投手再建に着手することになる。野手は三木肇ヘッドコーチ以下,杉村繁チーフ打撃コーチ,宮出隆自打撃コーチ,福地寿樹外野守備走塁コーチ,野村克則バッテリーコーチと顔ぶれは変わらないが,今季限りで現役引退した森岡野手コーチ補佐として新たに加わる。
2年連続最下位と低迷を続けるファームは,宮本賢治二軍監督,成本年秀二軍投手コーチ,斉藤宜之二軍打撃コーチ,芹澤裕二二軍バッテリーコーチが退団となり,水谷新太郎二軍内野守備走塁コーチがチーフを兼ね,留任は松元ユウイチ二軍打撃コーチ,笘篠誠治二軍外野守備走塁コーチのみ。赤堀元之二軍投手コーチ,小野寺力二軍投手コーチ,北川博敏二軍打撃コーチ,野口寿浩二軍バッテリーコーチと4名を新たに招聘した。
野手は現有戦力がある程度計算でき,新たな戦力も台頭しつつある。投手は新外国人3名とルーキーに期待しないと計算が立たないため,現有戦力の底上げと後ろの確立が求められる。ここを建て直せば2年ぶりのV奪回も見えてくるだろう。もちろん大型補強の巨人を走らせないことも必須となる。
参考資料
『週刊ベースボール』第71巻 第65号 通産3426号,ベースボールマガジン社,2016.12
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http://www.nikkansports.com/baseball/professional/schedule/2016/s201609.html
http://www.nikkansports.com/baseball/professional/schedule/2016/s201610.html
チーム23年ぶりとなるセ・リーグ連覇を目指し真中満監督は「燕進化」をスローガンに掲げディフェンディングチャンピオンとして挑んだ2016年シーズンであったが,開幕4連敗とつまずくと,結局一年通して一度も貯金を作ることができなかった。シーズン終盤は横浜DeNAとのクライマックスシリーズ争いにこそ絡んだものの息切れ。143試合目に勝てば4位という試合を落とし,5位に終わった。
とにかく故障者が相次いだ。投手陣では開幕早々からカイル・デイビーズが背中に張りを訴え,館山昌平は右肘関節の手術に踏み切ることに。小川泰弘が腰の張りで1ヶ月,石川雅規は左脹脛痛で2ヶ月の戦線離脱。そんな中孤軍奮闘していたルーキ―の原樹理もまた右肩甲下筋の肉離れ。杉浦稔大は6試合,石山泰稚は8試合の登板に終わった。
野手では昨年打撃3部門のタイトルを独占した3人までも怪我に泣かされた。打点王・畠山和洋は6月に左有鉤骨の骨挫傷で離脱すると,2軍調整中に古傷の右アキレス腱痛が再発し,そのまま復帰できなかった。首位打者・川端慎吾は7月に右足舟状骨骨折。8月には本塁打王・山田哲人までも試合中に受けた死球の影響で左第8肋骨骨挫傷が判明し,10試合の欠場を余儀なくされた。時期を同じくするように高井雄平も左側腹部筋挫傷で1ヶ月半,大引啓次も腰痛の影響で後半以降控えに回ることが多くなり,一時期ではあったが昨年の優勝メンバーの半数を欠くという状況にまで陥った。
そしてもう一つ忘れてはならない今年を象徴する出来事があった。6月26日中日戦(神宮)の9回表だった。4-1と3点リードしてマウンドには守護神のローガン・オンドルセク。しかし味方外野手のまずい守備もあって同点に追いつかれると,その苛立ちからベンチで大暴れ。仲裁に入った真中監督にも暴力的な態度を取り,そのまま試合終了を待たずにクラブハウスに引き上げてしまう。この件に関し球団はシーズン中にも関わらず自宅謹慎処分という重い処置を下した。謝罪を受け処分は解かれたものの,7月に入って有給休暇を取得し一時帰国が発表されるとその直後にオリオールズと契約するという変わり身の早さをみせた。退団後に明らかになったことは,ベンチ内での暴言は以前からあり,チームの士気を下げていたということだった。オーランド・ロマン,トニー・バーネットという相談役になりうる年長のピッチャーがいなくなった影響も多少なりともあったであろうが,後ろの計算が不明瞭となっていたことで投手陣全体にしわ寄せがいっていたという点は否めないだろう。
それでも夏場以降新たな戦力の台頭が目立つようになった。西田明央は打力に期待しての一塁起用から中村悠平を押しのけて正捕手をうかがう勢いだった。西浦直亨は大引をおしのけてショートのレギュラーポジションを奪い取った。日本ハムを戦力外となりトライアウトを経て入団した鵜久森淳志もクリーンアップを任されるまでに。オリックスを自由契約になった坂口智隆はチーム最多となる141試合に出場。昨季の大半を棒に振ったウラディミール・バレンティンが31本塁打,96打点と復活。ドラフト2位ルーキ―広岡大志は9月29日DeNA戦(横浜)で引退登板となっていた三浦大輔から球団史上初の高卒新人プロ初打席本塁打を放つ鮮烈なデビューを飾った。
オンドルセクの退団後秋吉亮が抑えに完全定着し19セーブをマーク。ジョシュ・ルーキはリーグ3位の33ホールドを挙げた。昨季一軍登板0に終わった村中恭兵が2年ぶり,開幕時は育成契約だった平井諒と佐藤由規もそれぞれ3年ぶり,5年ぶりの勝利を挙げ見事復活を果たした。松岡健一も自身5年ぶりとなる50試合登板でブルペンを支え続けた。
【表1】セ・リーグ順位表
順位 | チーム | 試合 | 勝数 | 敗数 | 引分 | 勝率 | 勝差 | 得点 | 失点 | 本塁打 | 盗塁 | 打率 | 防御率 |
1 | 広 島 | 143 | 89 | 52 | 2 | .631 | 684 | 497 | 153 | 118 | .272 | 3.20 | |
2 | 巨 人 | 143 | 71 | 69 | 3 | .507 | 17.5 | 519 | 543 | 128 | 62 | .251 | 3.45 |
3 | DeNA | 143 | 69 | 71 | 3 | .493 | 2.0 | 572 | 588 | 140 | 67 | .249 | 3.76 |
4 | 阪 神 | 143 | 64 | 76 | 3 | .457 | 5.0 | 506 | 546 | 90 | 59 | .245 | 3.38 |
5 | ヤクルト | 143 | 64 | 78 | 1 | .451 | 1.0 | 594 | 694 | 113 | 82 | .256 | 4.73 |
6 | 中 日 | 143 | 58 | 82 | 3 | .414 | 5.0 | 500 | 573 | 89 | 60 | .245 | 3.65 |
緒方孝市監督率いる広島が1991年以来25年ぶりの優勝を飾った2016年のセ・リーグ。シーズン89勝はリーグでは1965年の巨人(90勝)に次ぐ数字で,2リーグ制となった両リーグでも9番目。2位巨人に17.5ゲーム差をつけたのも,1990年巨人(22.0差),1951年巨人(18.0差)に次ぐ数字で,文字通り独走優勝だった。
菅野智之が最優秀防御率最多奪三振,坂本勇人が首位打者と投打の主軸こそしっかりしていたものの,貯金2の2位に収まった巨人は,クライマックスシリーズファーストステージでもDeNAに敗退。3年連続V逸は許されまいとオフの大型補強に動き高橋由伸監督にプレッシャーをかけてきた。
横浜DeNAは借金2ながらも,クライマックスシリーズが導入され10年目で球団史上初のCS進出を果たし,アレックス・ラミレス監督の手腕が評価を上げている。
金本知憲監督が就任し「超変革」の名の下に大々的な世代交代を打ち出した阪神は公式戦7連勝で締め4位に食い込んだ。
8月上旬に谷繁元信監督が休養を命じられた中日は1997年以来19年ぶりにリーグ最下位に転落した【表1】。
チーム成績
【表2-1】チーム月別成績
通産 | |||||||||||||
月 | 試合 | 勝数 | 負数 | 引分 | 勝率 | 順位 | 打率 | 本塁 | 得点 | 失点 | 防御 | 勝率 | 順位 |
3 | 6 | 1 | 4 | 1 | .200 | 6 | .278 | 3 | 24 | 32 | 5.17 | .200 | 6 |
4 | 23 | 12 | 11 | 0 | .522 | 4 | .275 | 17 | 97 | 116 | 5.13 | .464 | 5 |
5 | 26 | 12 | 14 | 0 | .462 | 4 | .246 | 22 | 123 | 121 | 4.54 | .463 | 6 |
6 | 23 | 9 | 14 | 0 | .391 | 4 | .271 | 22 | 107 | 127 | 5.52 | .442 | 6 |
7 | 22 | 8 | 14 | 0 | .364 | 5 | .238 | 14 | 80 | 115 | 5.11 | .424 | 6 |
8 | 24 | 15 | 9 | 0 | .625 | 2 | .250 | 19 | 98 | 94 | 3.63 | .463 | 4 |
9 | 18 | 7 | 11 | 0 | .389 | 5 | .244 | 16 | 64 | 86 | 4.47 | .454 | 4 |
10 | 1 | 0 | 1 | 0 | .000 | - | .242 | 0 | 1 | 3 | 3.38 | .451 | 5 |
開幕3連戦早々からブルペンの構想は崩れた。左のセットアッパーを期待して獲得した新外国人ルイス・ペレスがインフルエンザに感染。翌々日には徳山武陽も感染していることが明らかになった。
4月6日広島戦(マツダ)では先発が予定されていたデイビーズの回避により寺田哲也がスクランブル先発を託されるも2イニングもたずにKO。昨季終了時であと4勝に迫っていた球団通算4000勝を達成したのは開幕から12試合目の8日DeNA戦(横浜)だった。19日阪神戦(甲子園)では怪我の大引に代わりにショートを任され打率.500と好調を維持していた谷内亮太が藤波晋太郎から死球を受け左尺骨骨折と波に乗れずにいた。
それでもツバメはゴールデンウィークにかけて持ち直してきた。4月30日巨人戦(神宮)で飯原誉士が自身2年ぶりとなる本塁打。翌5月1日巨人戦(神宮)では原樹がプロ初勝利。3日DeNA戦(横浜)まで5連勝で勝率を.500に戻した。10日広島戦(神宮)で新垣渚が史上144人目となる通算1000奪三振を達成した。
チームは19勝19敗1分で迎えた13日巨人戦(東京ドーム)で延長12回の末サヨナラ負けを喫するとそこから4連敗。22日には最下位に転落。25日阪神戦(神宮)で畠山が史上476人目の通算1000試合出場,27日中日戦(ナゴヤドーム)で成瀬善久が史上171人目の通算1500投球回,28日中日戦(ナゴヤドーム)には真中監督が球団史上2番目の速さで通算100勝を達成。24勝29敗1分で交流戦に突入した。
坂口が6月2日北海道日本ハム戦(札幌ドーム)で史上477人目の通算1000試合出場,8日東北楽天戦(コボスタ宮城)で史上273人目の通算1000本安打。15日ソフトバンク戦(神宮)では2014年ドラフト1位竹下真吾がよやくプロ初登板を果たした。シーズン途中に四国アイランドリーグから獲得したハ・ジェフンを起用するなど打開を図ったが6勝12敗と大きく負け越し,交流戦前に5.5差だった首位とのゲーム差は11.0にまで拡がっていた。
リーグ戦再開となった24日からの中日3連戦(神宮)で三輪正義のサヨナラタイムリーなどもあって同一カード3連勝を飾ったが,土肥寛昌がプロ初登板した29日広島戦(マツダ)に早くも自力優勝の可能性が消滅してしまう。
由規が2011年9月3日巨人戦(神宮)以来1771日ぶりに一軍復帰を果たした7月9日中日戦(神宮)に中島彰吾と奥村展征がそれぞれプロ初出場。38勝49敗1分で前半戦を終えた。オールスター明けには八木亮祐を放出し,オリックスから近藤一樹を獲得した。
7月26日阪神戦(甲子園)から8月2日広島戦(神宮)にかけて7連敗。東京ドームでは開幕から3カード連続の同一カード3連敗を喫した。この時点で借金は16にまで膨れ上がっておりチームには”終戦”モードが漂ってもおかしくなかった。
しかし8月9日中日戦(ナゴヤドーム)で山田が戦線離脱したことで何かが変わった。山田がいないと勝てないとは言わせないばかりにチームが生まれ変わった。首脳陣が配慮したというバレンティンに事実上のキャプテンを託し,今浪隆博,比屋根渉,上田剛史,荒木貴裕らが日替わりでスタメンに名を連ねた「下町スワローズ」で8月は15勝9敗と今季唯一月間で勝ち越した。
山中浩史と小川が完投勝利を2試合ずつあげるなど,24試合中15試合で先発投手が6回3失点以内のQSを記録し,先発投手がある程度試合をつくればそれなりの戦いができることも証明された。山崎晃太朗が5日阪神戦(神宮)でプロ初安打と初盗塁をマーク。27日阪神戦(甲子園)で石川が史上48人目の通算150勝を達成した。8月30日巨人戦(福井)に敗れ,連覇の可能性は完全に消滅した。
9月6日DeNA戦(横浜)で山田が30個目の盗塁を決めプロ野球史上初となる2年連続トリプルスルーを確実なものとした。昨年まで選手会長を務めた森岡良介が今季限りでの現役引退を表明し,28日DeNA戦(神宮)最後の打席に立った。
昨年は僅か1試合の登板のみに終わった風張蓮と岩橋慶侍はそれぞれ6試合,14試合に登板を増やした。役割の難しい第3捕手は藤井亮太と井野卓が務め,井野は自身3年ぶりヤクルト移籍後は初の一軍出場を果たした。武内晋一は25試合の出場に終わった。【表2-1】
【表2-2】チーム成績 ※()はリーグ順位
試合 | 勝数 | 負数 | 引分 | 勝率 | 勝差 | 順位 | 得点 | 失点 | 本塁打 | 盗塁 | 打率 | 防御率 | |
2016 | 143 | 64 | 78 | 1 | .451 | 25.5 | 5 | 594(2) | 694(6) | 113(4) | 82(2) | .256(2) | 4.73(6) |
2015 | 143 | 76 | 65 | 2 | .539 | -1.5 | 1 | 574(1) | 518(4) | 107(2) | 83(3) | .257(1) | 3.31(4) |
2014 | 144 | 60 | 81 | 3 | .426 | 21.0 | 6 | 667(1) | 717(6) | 139(3) | 62(5) | .279(1) | 4.62(6) |
2013 | 144 | 57 | 83 | 4 | .407 | 28.5 | 6 | 577(3) | 682(5) | 134(2) | 70(4) | .253(4) | 4.26(5) |
2012 | 144 | 68 | 65 | 11 | .511 | 20.0 | 3 | 499(2) | 514(5) | 90(2) | 63(4) | .260(1) | 3.35(5) |
2011 | 144 | 70 | 59 | 15 | .543 | 2.5 | 2 | 484(1) | 504(5) | 86(3) | 43(5) | .244(3) | 3.36(5) |
2010 | 144 | 72 | 68 | 4 | .514 | 6.5 | 4 | 617(3) | 621(3) | 124(3) | 66(4) | .268(2) | 3.85(2) |
2009 | 144 | 71 | 72 | 1 | .496 | 22.0 | 3 | 548(3) | 606(5) | 116(4) | 106(1) | .259(2) | 3.97(5) |
2008 | 144 | 66 | 74 | 4 | .471 | 17.5 | 5 | 583(2) | 569(4) | 83(5) | 148(1) | .266(4) | 3.75(4) |
2007 | 144 | 60 | 84 | 0 | .417 | 20.5 | 6 | 596(3) | 623(4) | 139(2) | 66(2) | .269(2) | 4.07(5) |
優勝した昨年との違い―それは防御率に著実に表れている。実際打率は1厘,盗塁も1つしか変わらず,得点と本塁打に至っては昨年よりも増えているのだ。
昨年リーグ4位の3.31だったチーム防御率が,今季はリーグワーストの4.73でこれは一昨年の4.62をも上回り,過去10年でもワースト(球団史上ワーストは1984年の4.76)だった。さらには先発陣の防御率は4.96,救援防御率は4.34で,チーム全体のQS率も12球団ワーストの41.3%。総失点は694と5位のDeNA(588失点)より100点以上多かった。先発が序盤から崩れ試合を作れず,そのしわ寄せが中継ぎに行くという悪循環に陥った。
数字に表れない精神的な面も否めないだろう。昨年はバーネットという絶対的な守護神がおり,その前にもロマン,オンドルセク,秋吉,中澤雅人,久古健太郎という左右のリリーバー陣が控えていたため,先発は最初から思いっきり飛ばせたという。野球は投手と後ろ3枚ということを再認識させられた一年となった【表2-2】。
【表3】チーム別対戦成績
広 島 | 巨 人 | DeNA | 阪 神 | 中 日 | 日ハム | ソフト | ロッテ | 西 武 | 楽 天 | オリク | 計 | |
試合 | 25 | 25 | 25 | 25 | 25 | 3 | 3 | 3 | 3 | 3 | 3 | 143 |
勝利 | 8 | 11 | 11 | 12 | 16 | 1 | 1 | 1 | 2 | 1 | 0 | 64 |
敗戦 | 17 | 14 | 14 | 12 | 9 | 2 | 2 | 2 | 1 | 2 | 3 | 78 |
引分 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 |
得点 | 82 | 80 | 112 | 109 | 127 | 16 | 13 | 10 | 15 | 13 | 17 | 594 |
失点 | 135 | 107 | 126 | 116 | 106 | 17 | 22 | 17 | 12 | 11 | 25 | 694 |
安打 | 166 | 217 | 225 | 218 | 235 | 34 | 30 | 23 | 27 | 28 | 31 | 1234 |
本塁 | 16 | 16 | 25 | 18 | 24 | 2 | 1 | 2 | 4 | 1 | 4 | 113 |
三振 | 157 | 135 | 175 | 178 | 155 | 14 | 19 | 15 | 14 | 25 | 20 | 907 |
四球 | 86 | 69 | 94 | 116 | 100 | 13 | 6 | 7 | 8 | 11 | 14 | 524 |
死球 | 6 | 8 | 6 | 7 | 8 | 0 | 1 | 0 | 2 | 1 | 0 | 39 |
併殺 | 23 | 27 | 23 | 14 | 17 | 4 | 2 | 1 | 2 | 0 | 4 | 117 |
盗塁 | 12 | 9 | 13 | 23 | 14 | 2 | 3 | 2 | 0 | 2 | 2 | 82 |
失策 | 15 | 7 | 14 | 11 | 8 | 1 | 1 | 1 | 1 | 0 | 1 | 60 |
打率 | .210 | .259 | .267 | .251 | .273 | .315 | .280 | .230 | .278 | .257 | .287 | .256 |
防御 | 5.41 | 4.26 | 4.71 | 4.44 | 4.05 | 6.12 | 7.33 | 5.88 | 4.00 | 3.96 | 8.00 | 4.73 |
カード勝ち越したのは中日戦と西武戦の2カードのみ。オープン戦,ペナントレース,交流戦,さらにはファームまでも最下位だったオリックスに,唯一負け越したのはヤクルトだった。さらには東京ドームで1勝10敗,マツダスタジアムで2勝10敗などビジターで24勝48敗と大きく負け越した。【表3】。
【表4】守備成績
チーム | 守備率 | 試合 | 守機備会 | 刺殺 | 補殺 | 失策 | 併殺 | 捕逸 | |
参加 | 球団 | ||||||||
ヤクルト | .989 | 143 | 5360 | 3782 | 1518 | 60 | 282 | 105 | 8 |
中 日 | .988 | 143 | 5518 | 3844 | 1608 | 66 | 337 | 123 | 3 |
広 島 | .988 | 143 | 5562 | 3852 | 1643 | 67 | 357 | 128 | 7 |
DeNA | .986 | 143 | 5350 | 3822 | 1455 | 73 | 283 | 102 | 10 |
巨 人 | .985 | 143 | 5534 | 3847 | 1602 | 85 | 391 | 142 | 5 |
阪 神 | .982 | 143 | 5376 | 3824 | 1455 | 97 | 246 | 90 | 10 |
守備力は.989で2年連続リーグトップ。失策数も60でリーグ最少だった【表4】。
【表5】交流戦順位表と通算成績[2005-2016]
通算[2005-2016] | |||||||||||||||||||
試合 | 勝数 | 負数 | 引分 | 勝率 | 順位 | 得点 | 失点 | 本塁 | 盗塁 | 打率 | 防御率 | 試合 | 勝数 | 負数 | 引分 | 勝率 | 勝差 | ||
福岡ソフトバンク | 18 | 13 | 4 | 1 | .765 | 1位 | 83 | 48 | 23 | 12 | .273 | 2.50 | 300 | 180 | 108 | 12 | .625 | ||
千葉ロッテ | 18 | 12 | 6 | 0 | .667 | 2位 | 85 | 56 | 11 | 7 | .282 | 2.74 | 300 | 159 | 127 | 14 | .556 | 20.0 | |
北海道日本ハム | 18 | 10 | 8 | 0 | .556 | 5位 | 67 | 54 | 17 | 15 | .265 | 2.83 | 300 | 160 | 130 | 10 | .552 | 1.0 | |
巨 人 | 18 | 9 | 9 | 0 | .500 | 7位 | 64 | 78 | 13 | 5 | .262 | 4.18 | 300 | 156 | 135 | 9 | .536 | 4..5 | |
中 日 | 18 | 7 | 11 | 0 | .389 | 8位 | 46 | 49 | 12 | 8 | .195 | 2.31 | 300 | 147 | 143 | 10 | .507 | 8.5 | |
埼玉西武 | 18 | 9 | 9 | 0 | .500 | 6位 | 69 | 65 | 9 | 12 | .262 | 3.10 | 300 | 148 | 146 | 6 | .503 | 1.0 | |
阪 神 | 18 | 7 | 11 | 0 | .389 | 10位 | 44 | 72 | 3 | 9 | .223 | 3.85 | 300 | 143 | 147 | 10 | .493 | 3.0 | |
オリックス | 18 | 5 | 13 | 0 | .278 | 12位 | 54 | 76 | 10 | 17 | .231 | 3.86 | 300 | 141 | 151 | 8 | .483 | 3.0 | |
東京ヤクルト | 18 | 6 | 12 | 0 | .333 | 11位 | 84 | 104 | 14 | 11 | .275 | 5.90 | 300 | 138 | 155 | 7 | .471 | 3.5 | |
東北楽天 | 18 | 11 | 7 | 0 | .611 | 4位 | 67 | 60 | 12 | 10 | .244 | 3.01 | 300 | 137 | 159 | 4 | .463 | 2.5 | |
広 島 | 18 | 11 | 6 | 1 | .647 | 3位 | 61 | 57 | 15 | 20 | .249 | 3.06 | 300 | 125 | 164 | 11 | .433 | 8.5 | |
横浜DeNA | 18 | 7 | 11 | 0 | .389 | 9位 | 60 | 65 | 13 | 8 | .245 | 3.51 | 300 | 112 | 181 | 7 | .382 | 15.0 |
18試合制となって2年目の交流戦。ソフトバンクが13勝4敗1分勝率.765で,2年連続6度目の勝率1位。最終成績はパ・リーグの60勝47敗1分で7年連続勝ち越し。今年もまた6位までをパ5球団が占めた。ヤクルトは2009年を最後に勝ち越しが無く,これで7年連続負け越しとなった【表5】。
DATE2016〜魔の火曜日
かつてこれほどまでに曜日による偏りを感じたことがあったであろうか?というくらい今年は火曜日に勝てなかった。6月14日ソフトバンク戦(神宮)に勝ったのを最後に12連敗。4勝20敗は勝率にして.167。この数字は野球界ではあまり考えられない。余談にはなるがオープン戦も火曜日は2戦2敗だった【表6-1】。
【表6-1】曜日別勝敗
試合 | 勝数 | 敗数 | 引分 | 勝率 | 得点 | 失点 | 本塁 | 盗塁 | 打率 | 防御率 | |
月曜日 | 1 | 1 | 0 | 0 | 1.00 | 9 | 3 | 0 | 3 | .303 | 3.00 |
火曜日 | 24 | 4 | 20 | 0 | .167 | 79 | 145 | 15 | 14 | .232 | 6.14 |
水曜日 | 25 | 13 | 12 | 0 | .520 | 110 | 118 | 23 | 13 | .272 | 4.46 |
木曜日 | 18 | 10 | 7 | 1 | .588 | 99 | 95 | 12 | 13 | .268 | 5.12 |
金曜日 | 23 | 11 | 12 | 0 | .478 | 87 | 91 | 18 | 19 | .228 | 3.84 |
土曜日 | 27 | 16 | 11 | 0 | .593 | 115 | 112 | 22 | 11 | .273 | 4.08 |
日曜日 | 25 | 9 | 16 | 0 | .360 | 95 | 130 | 23 | 9 | .255 | 4.99 |
計 | 143 | 64 | 78 | 1 | .451 | 594 | 694 | 113 | 82 | .256 | 4.73 |
【表6-2】セ・リーグ各球団曜日別勝敗
球団別に着目してみたが,広島の火曜日(.826)とDeNAの土曜日(.769)が際立つが,均せば納得できる数字が並んでいるだけに,勝率.167は余計に際立つ【表6-2】。
広 島 | 巨 人 | 横浜DeNA | |||||||||||||
試合 | 勝数 | 負数 | 引分 | 勝率 | 試合 | 勝数 | 負数 | 引分 | 勝率 | 試合 | 勝数 | 負数 | 引分 | 勝率 | |
月曜日 | 2 | 1 | 1 | 0 | .500 | 2 | 1 | 1 | 0 | .500 | 4 | 1 | 3 | 0 | .250 |
火曜日 | 23 | 19 | 4 | 0 | .826 | 21 | 13 | 8 | 0 | .619 | 23 | 9 | 14 | 0 | .391 |
水曜日 | 23 | 13 | 10 | 0 | .565 | 25 | 17 | 8 | 0 | .680 | 23 | 13 | 10 | 0 | .565 |
木曜日 | 20 | 12 | 8 | 0 | .600 | 19 | 7 | 11 | 1 | .389 | 18 | 6 | 11 | 1 | .353 |
金曜日 | 23 | 14 | 9 | 0 | .609 | 25 | 11 | 13 | 1 | .458 | 24 | 12 | 11 | 1 | .522 |
土曜日 | 27 | 15 | 11 | 1 | .577 | 27 | 8 | 18 | 1 | .308 | 26 | 20 | 6 | 0 | .769 |
日曜日 | 25 | 15 | 9 | 1 | .625 | 24 | 14 | 10 | 0 | .583 | 25 | 8 | 16 | 1 | .333 |
阪 神 | 東京ヤクルト | 中 日 | |||||||||||||
試合 | 勝数 | 負数 | 引分 | 勝率 | 試合 | 勝数 | 負数 | 引分 | 勝率 | 試合 | 勝数 | 負数 | 引分 | 勝率 | |
月曜日 | 3 | 2 | 1 | 0 | .667 | 1 | 1 | 0 | 0 | 1.00 | 2 | 1 | 1 | 0 | .500 |
火曜日 | 23 | 12 | 11 | 0 | .522 | 24 | 4 | 20 | 0 | .167 | 24 | 11 | 13 | 0 | .458 |
水曜日 | 22 | 7 | 15 | 0 | .318 | 25 | 13 | 12 | 0 | .520 | 24 | 7 | 17 | 0 | .292 |
木曜日 | 18 | 10 | 6 | 2 | .625 | 18 | 10 | 7 | 1 | .588 | 17 | 5 | 11 | 1 | .313 |
金曜日 | 25 | 11 | 14 | 0 | .440 | 23 | 11 | 12 | 0 | .478 | 24 | 12 | 12 | 0 | .500 |
土曜日 | 27 | 11 | 16 | 0 | .407 | 27 | 16 | 11 | 0 | .593 | 26 | 9 | 16 | 1 | .360 |
日曜日 | 25 | 11 | 13 | 1 | .458 | 25 | 9 | 16 | 0 | .360 | 26 | 13 | 12 | 1 | .520 |
火曜日といえば6連戦の初戦にあたり,裏ローテとはいわれるが柱となる投手を据えることが多くなる。また連戦の初戦ということでできるだけ中継ぎをつぎ込むのは避けたいという思惑も交錯する曜日。来季は火曜日のローテーション運用にも注目したい。
おわりに〜2017シーズンに向けて
昨年9月に自身2度目となるトミージョン手術を受けた山本哲哉は9月1日イースタンロッテ戦(ロッテ浦和)で実戦復帰を果たすなど順調に回復し,来季は一軍復帰が見込めそう。廣岡の陰に隠れがちだが渡辺大樹も高卒ルーキーながらイースタンで76試合に出場,打率.254と安定した守備が評価され,台湾で行われたウィンターリーグのイースタンリーグの選抜メンバーに選出された。一方で高橋奎二と日隈ジュリアスは故障に泣かされ一年をほぼ棒に振るった。ファームの捕手は主に星野雄大と山川晃司が務めた。2年目の原泉も終盤は怪我で出番なく終えている。
寺田,中元勇作,児山祐斗,木谷良平,新垣,田中雅彦,松井淳,川上竜平が戦力外通告を受け,田川賢吾と古野正人は来季より育成契約を結ぶことになった。コーチ転身を打診された田中浩康は出場機会を求めDeNAに移籍することになった。ペレス,デイビーズ,ジェフンの外国人選手3名も退団となり,新たにメジャー通算19試合0勝1敗のプレストン・ギルメット,同通算35試合8勝17敗のデービッド・ブキャナン,同通算209試合30勝41敗のロス・オーレンドルフの3投手と,ディーン・グリーンを獲得した。
2009年以降7年連続してドラフト1位指名の競合に敗れていたが,今年は寺島成輝(投手・履正社高)の単独指名に成功。星知弥(投手・明治大),梅野雄吾(投手・九産高),中尾輝(投手・名古屋経大),古賀優大(捕手・明徳義塾高),菊沢竜佑(投手・相双リテック)と投手を中心に6名,育成ドラフトでは大村孟(捕手・BCリーグ石川)を指名した。合同トライアウトからは前楽天・榎本葵との契約合意に達した。
来季就任3年目となる真中監督体制。2014年から一軍投手コーチを務めてきた高津臣吾コーチが二軍監督に就任することに伴い,伊藤智仁投手コーチがブルペン担当からベンチ担当となり,ファームから昇格した石井弘寿投手コーチがブルペンを担当し,押尾健一戦略担当コーチが新たに投手コーチ補佐も兼務し,3名体制で投手再建に着手することになる。野手は三木肇ヘッドコーチ以下,杉村繁チーフ打撃コーチ,宮出隆自打撃コーチ,福地寿樹外野守備走塁コーチ,野村克則バッテリーコーチと顔ぶれは変わらないが,今季限りで現役引退した森岡野手コーチ補佐として新たに加わる。
2年連続最下位と低迷を続けるファームは,宮本賢治二軍監督,成本年秀二軍投手コーチ,斉藤宜之二軍打撃コーチ,芹澤裕二二軍バッテリーコーチが退団となり,水谷新太郎二軍内野守備走塁コーチがチーフを兼ね,留任は松元ユウイチ二軍打撃コーチ,笘篠誠治二軍外野守備走塁コーチのみ。赤堀元之二軍投手コーチ,小野寺力二軍投手コーチ,北川博敏二軍打撃コーチ,野口寿浩二軍バッテリーコーチと4名を新たに招聘した。
野手は現有戦力がある程度計算でき,新たな戦力も台頭しつつある。投手は新外国人3名とルーキーに期待しないと計算が立たないため,現有戦力の底上げと後ろの確立が求められる。ここを建て直せば2年ぶりのV奪回も見えてくるだろう。もちろん大型補強の巨人を走らせないことも必須となる。
参考資料
『週刊ベースボール』第71巻 第65号 通産3426号,ベースボールマガジン社,2016.12
「ニッカンスコア速報」
http://www.nikkansports.com/baseball/professional/schedule/2016/s201603.html
http://www.nikkansports.com/baseball/professional/schedule/2016/s201604.html
http://www.nikkansports.com/baseball/professional/schedule/2016/s201605.html
http://www.nikkansports.com/baseball/professional/schedule/2016/s201606.html
http://www.nikkansports.com/baseball/professional/schedule/2016/s201607.html
http://www.nikkansports.com/baseball/professional/schedule/2016/s201608.html
http://www.nikkansports.com/baseball/professional/schedule/2016/s201609.html
http://www.nikkansports.com/baseball/professional/schedule/2016/s201610.html
2015年12月26日
総括2015―14年ぶり7度目セ・リーグ優勝
はじめに
誰がこの結末を予想できたであろうか?
東京ヤクルトスワローズ2015セントラルリーグ優勝記念オフィシャルDVDの冒頭ナレーションはこう始まっている。昨年の総括2014で次のように締めくくってことを覚えている人はいるだろうか。
このように綴ったものの,まさか2年連続最下位のチームが優勝を成し遂げると本気で思っていた人はいたのであろうか。攻撃力はそこそこだが,投手力とそれを含めた守備力で劣るというのが評論家諸氏による開幕前のスワローズに対する一般的な評価であった。
リーグワーストのチーム防御率4.62,救援投手陣防御率4.58,そしてリーグワースト2位の失策数97。最下位に沈んでいたチームの課題は明らかだった。「他球団に比べて投手力が劣っていると感じています。ピッチャーを含めたディフェンスが大事なのかなと思います」就任会見でこう語った真中満監督の掲げたスローガンは「つばめ改革」―。
まず投手陣に劇的な変化を感じさせるスタートだった。セ・リーグ記録の開幕から11試合連続3失点以下,プロ野球記録の開幕から13試合連続3失点以下を更新し,開幕から14試合連続3失点以下というプロ野球新記録を樹立した。オーランド・ロマン,ローガン・オンドルセク,トニー・バーネットの3人の助っ人外国人トリオによる勝利の方程式を確立。終盤リードした試合は確実にモノにしていった。イニング跨ぎや連投を厭わない秋吉亮,ロングリリーフをこなせる徳山武陽,松岡健一。貴重な左腕中澤雅人,久古健太郎が最少失点で耐えて彼らにつなぐ。ブルペンは見事なまでに変貌を遂げた。
同じく課題だった守備は,FAで獲得した大引啓次の加入によって意識の高まりが生まれた。そして扇の要に中村悠平が固定されたことで安定感が増し,失策数はリーグ最少の71にまで改善された。
打線はウラディミール・バレンティン,ラスティングス・ミレッジという大砲をシーズンの大半負傷離脱で欠く中で,川端慎吾,山田哲人,畠山和洋が軸となって機能した。シーズン後半から2番川端,3番山田,4番畠山の並びが固定され,1番には比屋根渉や上田剛史といった俊足の打者が入ることで,得点圏のチャンスを作り,山田から始まるクリーンアップに回すという攻撃が整った。畠山の後にも高井雄平がいることで,勝負せざるを得ない状況を作り出していた。
日本生命セパ交流戦で44勝61敗3分と大きく負け越したセ・リーグは,ここで生まれた借金17を分配しなければならない状態に陥り,7月3日と21日にはセ・リーグ全球団が勝率.500を下回るという球界史上初の事態にまで陥った。この歴史的な混戦の時期に現れた2人の投手がいた。館山昌平と山中浩史。館山は3度の靭帯移植手術を乗り越え7月11日横浜DeNA戦(神宮)で2012年9月25日阪神戦(神宮)以来実に1019日ぶりの白星を挙げた。山中は今季初登板となった6月12日埼玉西武戦(西武ドーム)でプロ初勝利をマークするとそこから6戦6勝。金田正一氏が国鉄時代の1958年に達成して以来球団史上57年ぶり2度目となる快挙であった。終盤には怪我で離脱していた石山泰稚,杉浦稔大が戻ってきたことも大きかった。
そんな中で一年間先発ローテーションを守り続けたきた石川雅規,小川泰弘という左右二人の両腕に14年ぶりの優勝が懸かったマウンドが託された。9月27日巨人戦(東京ドーム)。敗れればゲーム差0.0で2位巨人に並ばれるという瀬戸際で優勝へのマジックナンバー「3」を点灯させた。本拠地最終戦となった10月2日阪神戦(神宮)。延長11回までもつれた接戦を制し,ついに東京ヤクルトスワローズは14年ぶり7度目となるセ・リーグ優勝を果たした。
前シーズン最下位だった球団の優勝は,2001年大阪近鉄以来14年ぶり6球団目の出来事だった。
【表1】セ・リーグ順位表
史上稀にみる大混戦となったセ・リーグ。広島を除く5球団が一度は首位に立った。混戦を抜け出したと思えば連敗して下位に。最終的にヤクルトが抜け出せたのも終盤に連敗を喫することなく戦えたからかも知れない。
138試合目まで自力優勝の可能性を残した王座巨人。リーグ最高の防御率2.78を残しながら打率はリーグ最低。規定打席到達者で3割打者は皆無。ベストナインにも誰一人選出されなかった。
9月上旬まで首位に立っていたのは阪神。藤浪晋太郎が14勝7敗と大車輪の働きを見せながらも,他の先発投手陣が貯金を作れずチームとして機能しなかった。
開幕前は優勝候補筆頭に挙げられていた広島。前田健太が15勝で沢村賞。新外国人のクリス・ジョンソンは防御率1.85で最優秀防御率。メジャーリーグから8年ぶりに復帰した黒田博樹は11勝。福井優也も9勝。にもかかわらず打線が機能せず,勝負所での弱さが露呈し3年ぶりのBクラスに転落。
チームとして過渡期を迎えた中日は大胆な世代交代が進められ,大野雄大,若松駿太,亀澤恭平といった若手が台頭してきたが,堅守が崩壊し低迷を強いられた。
前半戦を首位で折り返したのはDeNAだった。5月16日には26勝15敗貯金11で,17勝23敗の最下位ヤクルトに8.5差をつけていた。そこからの大失速。しかし四番に固定された筒香嘉智が球界を代表するスラッガーとなり,チーム本塁打数112はリーグ最多。ルーキー山崎康晃がルーキー記録となる37セーブをあげ新人王に輝く活躍を見せた。【表1】
チーム成績
【表2-1】チーム月別成績
開幕戦から延長戦にもつれこんだが,延長11回にミレッジが決勝打を放ち白星スタート。3月31日神宮開幕阪神戦はFA移籍の成瀬善久が移籍後初登板初勝利。
4月8日中日戦(神宮)ではミレッジに代わり外野手と起用されていた田中浩康がサヨナラタイムリー。9日中日戦(神宮)には新垣渚が自身597日ぶりとなる移籍後初勝利。19日DeNA戦(神宮)では上田が,24日巨人戦(神宮)では川端がそれぞれサヨナラ勝利を演出。神宮球場7連勝など,4月17日から29日まで首位をキープした。
5月1日広島戦(神宮)でオープン戦,開幕2戦目と全く打ち崩せなかった広島・黒田の攻略に成功。3日広島戦(神宮)ではプロ初登板初先発となった風張蓮がわずか8球で危険球退場となるアクシデントも,風張のあとを受けた徳山,古野正人が粘りの投球。死球を受けた雄平に代わってライトに入った荒木貴裕が1号3ランを放つなど,控え選手たちの活躍でまずまずのスタートを切ったかのように思われた。しかし例年苦手としている5月。好調を支えてきた投手陣に疲労の色が隠せず,4日DeNA戦(横浜)から16日巨人戦(東京ドーム)まで9連敗を喫し,最下位に転落。今年も定位置かなどと揶揄された。
それでも不幸中の幸いかどのチームも抜け出す要素なく混セ状態が続いていた。24日広島戦(マツダ)では大引の穴を埋めてきた今浪隆博がプロ初本塁打。さらに1点を追う9回表2死一二塁から途中出場の三輪正義が前進守備のレフト頭上を越える逆転の三塁打。6月24日中日戦(ナゴヤドーム)では選手会長森岡良介の決勝タイムリーなど日替わりヒーローが生まれることで,なんとか踏みとどまってきた。
そして・・・。6月28日巨人戦(神宮)館山が復活のマウンドに上がったことで,ベンチの結束さらにはスタンドのファンのムードは一気に上がった。6月28安打8本塁打23打点,打率.378の成績を残した畠山が月間MVPを獲得。6月1日時点で6.0あった首位との差を2.0に縮め7月を迎える。
7月2日阪神戦(神宮)5月下旬に緊急獲得したミッチ・デニングの連夜の決勝打もあって首位に浮上したが,そこから4連敗で一気に5位まで落ちてしまう。さらには畠山が左内転筋肉離れによる離脱。チームの危機に四番起用されたたのは山田だった。7月10日DeNA戦(神宮)四番としての初打席でいきなり本塁打。翌11日DeNA戦(神宮)で館山が1019日ぶりの勝利。40勝43敗1分の4位でオールスターを迎えたが,そのオールスターを挟んで7連勝。夏場になり打線が昨年の勢いを取り戻してきた。
巨人,阪神との競り合い。日々順位が変動するなか,若いチームに”優勝”という二文字が見え始めた。「チャレンジャー」「一戦必勝」「ヤクルトスタイル」。8月に入ってこれらの言葉が多く聞かれるようになった。8月9日中日戦(ナゴヤドーム)で松岡が自身5年ぶりのセーブをマーク。21-22日中日戦(神宮)で山田がプロ野球タイ記録となる4打席連続本塁打。23日終了時で56勝57敗1分借金1だったチームは巨人−阪神−巨人と続く試練の8試合を迎えることになる。その初戦に登板を予定していた開幕から無傷の6連勝中の山中が右大胸筋肉離れの離脱で離脱という緊急事態に中4日登板を打診され,見事に応えた石川の熱投がチームを一つにした。26日巨人戦(神宮)0-0で迎えた4回裏2死満塁の場面で投手の小川が菅野智之に対しファールで喰らいつき,11球粘った末押し出し四球を選んでみせた。27日巨人戦(神宮)プロ初登板初先発寺田哲也が制球に苦しみながらも得点を与えず,8回裏2死二三塁から寺田の同級生川端が決勝打で巨人に同一カード3連勝。30日阪神戦(甲子園)には館山が自身5年ぶりの本塁打。9月2日巨人戦(金沢)では苦手のポレダを攻略し,試練と位置付けた8試合を6勝1敗1中止で乗り切ってみせた。
いざ頂点へ。9月10日DeNA戦(神宮)で石川が現役投手としては最多となる自身11回目の2桁勝利を挙げ阪神と並んで同率首位にたつと,チームとして連敗しない粘りをみせ僅かながらリードを保っていく。18日巨人戦(神宮)では左太腿のリハビリを行っていたバレンティンが復帰。翌19日巨人戦(神宮)では果敢な劇走で今季初のお立ち台に。21日阪神戦(甲子園),26日巨人戦(東京ドーム)と敵地で引導を渡し熾烈な三つ巴を制した。【表2-1】
【表2-2】チーム成績 ※()はリーグ順位
得点数は昨年に較べ100近く減少するもリーグトップ。チーム打率も1分4厘下がったがそれでもなおリーグNo.1を誇った。バレンティンが1本塁打に終わったにもかかわらず本塁打数はリーグ2位。劇的に変わったのが投手陣,とりわけリリーフ陣であった。ロマン,オンドルセク,バーネットの3人が揃って登板した試合では23勝2敗2分と抜群の勝率を誇った。他にも先制した試合の勝率は.750(昨年は.575)。逆転負けは昨年の38試合から19試合と半減した。【表2-2】
【表3】チーム別対戦成績
チームの貯金「11」のうち実に「9」が対DeNA戦。カード別の負け越しも巨人,阪神,ソフトバンク,埼玉西武,東北楽天にそれぞれ「1」ずつ。野村克也元ヤクルト監督が
”優勝するためにはカモにする相手を作らないと”と説いてたが優勝時にはこれがモノをいう。しかし昨年は8勝16敗と苦手にした相手だけに,油断は禁物か。【表3】
【表4】守備成績
巨人は長年正捕手を務めていた阿部を一塁へコンバート。開幕はヤクルトからFAで加入した相川亮二と2年目の小林誠司の体制でスタートも,相川が故障で離脱すると阿部が捕手に再転向。その後も実松一成,加藤健らとの併用が続いた。広島は石原慶幸と会沢翼の併用で,先発投手によって二人を使い分けていた。中日は谷繁元信捕手兼任監督の後継者が現れず,松井雅人,杉山翔大,桂依央利らがマスクを被った。DeNAは嶺井博希,高城俊人,黒羽根利規を,阪神も藤井彰人,鶴岡一成,梅野隆太郎らを使い分けていた。シーズンを通して捕手を固定出来たのはヤクルトのみ。そして中村は135試合に出場し捕逸はわずかに3とその数字が際立った。3連戦トータルでの組み立て,さらには連投ある救援陣や相手打者の調子を把握しながらの組み立てが出来た強みがあった。【表4】
【表5】交流戦順位表と通算成績[2005-2015]
今年も交流戦ではパ・リーグが圧倒的な力を見せつけた。今季から各チーム18試合制となり,各カードとも本拠地と敵地での3試合を隔年で行う方式に変更され,優勝球団は決めず,勝ち越したリーグの6球団に順位に応じて賞金が割り振られる方式になった。通算成績はパの61勝44敗3分となりこれで6年連続の勝ち越しとなった。勝率もソフトバンクが最高で,5位までをオリックスを除く5球団が独占した。セ・リーグでは阪神が唯一10勝8敗と勝ち越したのみ。とりわけ交流戦まで首位だったDeNAは引き分け挟んで10連敗を喫するなど3勝14敗と大きく負け越した。【表5】
DATE2015〜2番川端慎吾
【表6-1】セ・リーグ各球団イニング別得失点
リーグトップの574得点を記録したが,そのうち15.1%にあたる84得点を初回に挙げた。これもまたリーグトップの数字で,今季の犠打数2という2番川端の存在もクローズアップされた。初回から犠打で簡単に1つのアウトを献上するのではなく,ビックイニングを狙う攻撃的真中野球の象徴とも言われた。セ・リーグ各球団の2番打者を見てみると菊池涼介(広島)の49犠打を始め,片岡治大(巨人)36犠打,大和(阪神)28犠打,亀沢恭平(中日)27犠打,白崎浩之(DeNA)22犠打といずれも20以上の犠打を記録している。
2番に川端が起用された試合は143試合中およそ半分の70試合あったが,初回における打撃成績を以下に抽出した。すなわちどのような状況で3番打者を最初の打席で迎えていたかの表である。【表6-2】
【表6-2】2番川端スタメン試合の初回攻撃内訳
川端自らがあげた打点は1試合のみ。一方で川端の打席で走者を三塁まで進める状況を作り出した試合は9試合あっていずれの試合でも初回に得点をあげている。さらにはランナーを置いて川端に回った26試合でも,左方向の打球が多く,左打者が右方向に引っ張って一二塁間を破って走者を進めるというセオリーにも全く囚われることなく自身の打撃スタイルを崩していなかったことも読み取れる。余談になるが,比屋根が初回に出塁した試合は19試合あったが,うち16試合で初回得点を記録している。
おわりに〜2016シーズンに向けて
14年ぶりの優勝を果たしたその日七條佑樹,江村将也,赤川克紀,大場達也,金伏ウーゴ,川ア成晃,中根佑二,阿部健太に戦力外が通告された。14年ぶりに出場した日本シリーズではソフトバンクに圧倒され,選手層の差も明らかになった。
鉄壁を誇った救援陣もロマンとバーネットが退団したことで,再構成を余儀なくされる。先発候補としてヤンキースからメジャー通算43勝65敗の右腕カイル・デイビーズを獲得。さらにプレミア12でのドミニカ代表左腕ルイス・ペレス,元レイズの右腕ジョシュ・ルーキの獲得に動いた。とはいえ未知数。
左投手では久古と中澤の負担が大きかったため,1年目一軍登板なく終わった竹下真吾,中元勇作。1試合の登板に終わった岩橋慶侍,昨年までローテーションを守りながら今季は2試合の先発登板のみに終わった八木亮祐 ,2007年以来自身2度目の一軍登板無しに終わった村中恭平,ハワイウィンターリーグで経験を積む児山祐斗。彼らの台頭が待たれる。
一軍登板2試合で3イニング計3失点と打ち込まれた木谷良平は背番号16をはく奪された。土肥寛昌はファームで37試合に登板も課題を残す。右肩痛からの復帰を目指す由規と平井諒は中島彰吾と同じ育成枠となる。田川賢吾もリハビリからの復帰が待たれる。3年連続で50試合以上に登板してブルペンを支えてきた山本哲哉は右肘内側側副靭帯再建手術に踏み切ることとなった。
捕手は中村がほぼ一人でマスクを被り続けたことで,西田明央はファームで実戦経験を積む日々。田中雅彦,星野雄大,藤井亮太が一軍帯同という難しい役回りをこなした。藤井は外野手としてスタメン出場の機会も与えられた。高卒ルーキー山川晃司は捕手としての課題に取り組む日々。巨人から移籍の井野卓は怪我に泣いた。
一軍内野手の壁は厚いものの少ないながら与えられた出番で持ち味を発揮した西浦直亨と谷内亮太は鍛錬の日々を送る。巨人から人的補償で獲得した奥村展征だったが腰痛でほぼ一年を棒に振ってしまった。
原泉は貴重な右の長距離砲としての期待が懸かる一方で,。ベテランの域に差し掛かった武内晋一,飯原誉士は怪我があったとはいえすっかり存在感を失ってしまっている。持ち前の長打力が鳴りを潜めてしまった松井淳,開幕から極度の打撃不振に陥り背番号36がはく奪となった山田の翌年のドラフト1位川上竜平も危機感が強まる。球団は固定することができなかった1番・センター候補としてオリックスを自由契約となった坂口智隆と,北海道日本ハムを自由契約になった鵜久森淳志,2人の外野手の獲得に動いた。
日本シリーズ開幕前々日に開かれた ドラフト会議では原樹理(投手・東洋大)廣岡大志(内野手・智弁学園高)高橋奎二(投手・龍谷大平安高)日隈ジュリアス(投手・高知中央高)山崎晃大朗(外野手・日本大)渡邉大樹(内野手・専大松戸高)の6名を指名した。
「つばめ改革」をスローガンに掲げた就任1年目。選手の意識改革の一端はコーチが担った。走塁面では三木肇作戦兼内野守備走塁コーチと福地寿樹外野守備走塁コーチによって一つ先の塁を狙う意識が生まれた。高津臣吾投手コーチ,伊藤智仁投手コーチ,野村克則バッテリーコーチが一体となり連携をとったことで,投手と捕手の信頼関係はより強固なものとなった。杉村繁チーフ打撃コーチ,宮出隆自打撃コーチが築き上げてきたリーグNo.1の打撃力は今年も健在だった。そして来季はこれまで三木コーチが担っていた戦略面を押尾健一スコアラーが作戦コーチを兼務する形となる。
その傍ら108試合39勝64敗5分 勝率.379と断トツの最下位に終わったファームは,伊東昭光二軍監督,山部太二軍投手コーチ,池山隆寛野手総合コーチ,土橋勝征二軍外野守備走塁コーチ,伊勢孝夫バッティングアドバイザーが退団。宮本賢治二軍監督が就任し,成本年秀二軍投手コーチ,石井弘寿二軍投手コーチ,斉藤宜之二軍打撃コーチ,松元ユウイチ二軍打撃コーチ,水谷新太郎二軍内野守備走塁コーチ,笘篠誠治二軍外野守備走塁コーチ,芹澤裕二二軍バッテリーコーチという体制に生まれ変わる。
日本シリーズを戦い終え,選手たちは口々に”連覇”そして”日本一”という目標を掲げている。
ヤクルトが日本シリーズで敗れた翌年は必ず優勝するジンクス。
球団史上2度目の連覇。そして15年ぶりの日本一へ。2016年真中ヤクルトの目標はただひとつだ。
東京ヤクルトスワローズ2015セントラルリーグ優勝記念オフィシャルDVDと同じように締めくくりたいと思う。
振り返れば2013年4月5日。館山の離脱という悪夢から始まったような気がする。2年連続の最下位からの優勝。3年越しの壮大なヒューマンドラマを見せてもらった2015年―。
いま改めて思う。東京ヤクルトスワローズを好きでよかった。
参考資料
『サンケイスポーツ特別版臨時増刊 ヤクルト14年ぶりセ界一』産業経済新聞社,2015.10
『週刊ベースボール11月1日号増刊 東京ヤクルトスワローズ優勝記念号』第70巻 第54号 通産3348号,ベースボールマガジン社,2015.10
『輝け甲子園の星増刊 2015激闘セ・リーグ優勝速報号 おめでとう東京ヤクルトスワローズ』日刊スポーツ出版社,2015.10
『週刊ベースボール』第70巻 第65号 通産3359号,ベースボールマガジン社,2015.12
「ニッカンスコア速報」
http://www.nikkansports.com/baseball/professional/schedule/2015/s201503.html
http://www.nikkansports.com/baseball/professional/schedule/2015/s201504.html
http://www.nikkansports.com/baseball/professional/schedule/2015/s201505.html
http://www.nikkansports.com/baseball/professional/schedule/2015/s201506.html
http://www.nikkansports.com/baseball/professional/schedule/2015/s201507.html
http://www.nikkansports.com/baseball/professional/schedule/2015/s201508.html
http://www.nikkansports.com/baseball/professional/schedule/2015/s201509.html
http://www.nikkansports.com/baseball/professional/schedule/2015/s201510.html
誰がこの結末を予想できたであろうか?
東京ヤクルトスワローズ2015セントラルリーグ優勝記念オフィシャルDVDの冒頭ナレーションはこう始まっている。昨年の総括2014で次のように締めくくってことを覚えている人はいるだろうか。
2015年は親会社のヤクルト本社にとって創業80周年の節目の年。1970年にヤクルト本社が球団経営権を取得してから3年連続最下位はおろか,丸15年間優勝から遠ざかったことも皆無だ。
優勝から遠ざかる事14年―そのリミットとなる年に最下位から一気に頂点まで羽ばたくことができるだろうか。
1994年広沢克己(→巨人)2000年川崎憲次郎(→中日)ヤクルトからセ・リーグ他球団にFA移籍があった翌年のスワローズはいずれも優勝しているジンクス。
1987年阿波野秀幸(近鉄)2001年赤星憲広(阪神)と最下位から新人王を輩出した2年後にチームが優勝しているジンクス1997年小坂誠(ロッテ)という例もありますがそもそもロッテはレギュラーシーズン1位での優勝は1970年以降無いし…。
2年連続最下位からの逆襲―ヤクルト本社創業80周年&真中新監督船出イヤーの2015年。大いに期待しようじゃないか。
このように綴ったものの,まさか2年連続最下位のチームが優勝を成し遂げると本気で思っていた人はいたのであろうか。攻撃力はそこそこだが,投手力とそれを含めた守備力で劣るというのが評論家諸氏による開幕前のスワローズに対する一般的な評価であった。
リーグワーストのチーム防御率4.62,救援投手陣防御率4.58,そしてリーグワースト2位の失策数97。最下位に沈んでいたチームの課題は明らかだった。「他球団に比べて投手力が劣っていると感じています。ピッチャーを含めたディフェンスが大事なのかなと思います」就任会見でこう語った真中満監督の掲げたスローガンは「つばめ改革」―。
まず投手陣に劇的な変化を感じさせるスタートだった。セ・リーグ記録の開幕から11試合連続3失点以下,プロ野球記録の開幕から13試合連続3失点以下を更新し,開幕から14試合連続3失点以下というプロ野球新記録を樹立した。オーランド・ロマン,ローガン・オンドルセク,トニー・バーネットの3人の助っ人外国人トリオによる勝利の方程式を確立。終盤リードした試合は確実にモノにしていった。イニング跨ぎや連投を厭わない秋吉亮,ロングリリーフをこなせる徳山武陽,松岡健一。貴重な左腕中澤雅人,久古健太郎が最少失点で耐えて彼らにつなぐ。ブルペンは見事なまでに変貌を遂げた。
同じく課題だった守備は,FAで獲得した大引啓次の加入によって意識の高まりが生まれた。そして扇の要に中村悠平が固定されたことで安定感が増し,失策数はリーグ最少の71にまで改善された。
打線はウラディミール・バレンティン,ラスティングス・ミレッジという大砲をシーズンの大半負傷離脱で欠く中で,川端慎吾,山田哲人,畠山和洋が軸となって機能した。シーズン後半から2番川端,3番山田,4番畠山の並びが固定され,1番には比屋根渉や上田剛史といった俊足の打者が入ることで,得点圏のチャンスを作り,山田から始まるクリーンアップに回すという攻撃が整った。畠山の後にも高井雄平がいることで,勝負せざるを得ない状況を作り出していた。
日本生命セパ交流戦で44勝61敗3分と大きく負け越したセ・リーグは,ここで生まれた借金17を分配しなければならない状態に陥り,7月3日と21日にはセ・リーグ全球団が勝率.500を下回るという球界史上初の事態にまで陥った。この歴史的な混戦の時期に現れた2人の投手がいた。館山昌平と山中浩史。館山は3度の靭帯移植手術を乗り越え7月11日横浜DeNA戦(神宮)で2012年9月25日阪神戦(神宮)以来実に1019日ぶりの白星を挙げた。山中は今季初登板となった6月12日埼玉西武戦(西武ドーム)でプロ初勝利をマークするとそこから6戦6勝。金田正一氏が国鉄時代の1958年に達成して以来球団史上57年ぶり2度目となる快挙であった。終盤には怪我で離脱していた石山泰稚,杉浦稔大が戻ってきたことも大きかった。
そんな中で一年間先発ローテーションを守り続けたきた石川雅規,小川泰弘という左右二人の両腕に14年ぶりの優勝が懸かったマウンドが託された。9月27日巨人戦(東京ドーム)。敗れればゲーム差0.0で2位巨人に並ばれるという瀬戸際で優勝へのマジックナンバー「3」を点灯させた。本拠地最終戦となった10月2日阪神戦(神宮)。延長11回までもつれた接戦を制し,ついに東京ヤクルトスワローズは14年ぶり7度目となるセ・リーグ優勝を果たした。
前シーズン最下位だった球団の優勝は,2001年大阪近鉄以来14年ぶり6球団目の出来事だった。
【表1】セ・リーグ順位表
順位 | チーム | 試合 | 勝数 | 敗数 | 引分 | 勝率 | 勝差 | 得点 | 失点 | 本塁打 | 盗塁 | 打率 | 防御率 |
1 | ヤクルト | 143 | 76 | 65 | 2 | .539 | 574 | 518 | 107 | 83 | .257 | 3.31 | |
2 | 巨 人 | 143 | 75 | 67 | 1 | .528 | 1.5 | 489 | 443 | 98 | 99 | .243 | 2.78 |
3 | 阪 神 | 143 | 70 | 71 | 2 | .496 | 6.0 | 465 | 550 | 78 | 48 | .247 | 3.47 |
4 | 広 島 | 143 | 69 | 71 | 3 | .493 | 6.5 | 506 | 474 | 105 | 80 | .246 | 2.92 |
5 | 中 日 | 143 | 62 | 77 | 4 | .446 | 13.0 | 473 | 504 | 71 | 88 | .253 | 3.19 |
6 | DeNA | 143 | 62 | 80 | 1 | .437 | 14.5 | 508 | 598 | 112 | 57 | .249 | 3.80 |
史上稀にみる大混戦となったセ・リーグ。広島を除く5球団が一度は首位に立った。混戦を抜け出したと思えば連敗して下位に。最終的にヤクルトが抜け出せたのも終盤に連敗を喫することなく戦えたからかも知れない。
138試合目まで自力優勝の可能性を残した王座巨人。リーグ最高の防御率2.78を残しながら打率はリーグ最低。規定打席到達者で3割打者は皆無。ベストナインにも誰一人選出されなかった。
9月上旬まで首位に立っていたのは阪神。藤浪晋太郎が14勝7敗と大車輪の働きを見せながらも,他の先発投手陣が貯金を作れずチームとして機能しなかった。
開幕前は優勝候補筆頭に挙げられていた広島。前田健太が15勝で沢村賞。新外国人のクリス・ジョンソンは防御率1.85で最優秀防御率。メジャーリーグから8年ぶりに復帰した黒田博樹は11勝。福井優也も9勝。にもかかわらず打線が機能せず,勝負所での弱さが露呈し3年ぶりのBクラスに転落。
チームとして過渡期を迎えた中日は大胆な世代交代が進められ,大野雄大,若松駿太,亀澤恭平といった若手が台頭してきたが,堅守が崩壊し低迷を強いられた。
前半戦を首位で折り返したのはDeNAだった。5月16日には26勝15敗貯金11で,17勝23敗の最下位ヤクルトに8.5差をつけていた。そこからの大失速。しかし四番に固定された筒香嘉智が球界を代表するスラッガーとなり,チーム本塁打数112はリーグ最多。ルーキー山崎康晃がルーキー記録となる37セーブをあげ新人王に輝く活躍を見せた。【表1】
チーム成績
【表2-1】チーム月別成績
通産 | |||||||||||||
月 | 試合 | 勝数 | 負数 | 引分 | 勝率 | 順位 | 打率 | 本塁 | 得点 | 失点 | 防御 | 勝率 | 順位 |
3 | 4 | 2 | 2 | 0 | .500 | 2 | .221 | 1 | 9 | 8 | 2.00 | .500 | 2 |
4 | 24 | 13 | 11 | 0 | .542 | 2 | .241 | 11 | 71 | 55 | 1.93 | .536 | 2 |
5 | 25 | 9 | 15 | 1 | .375 | 6 | .245 | 17 | 93 | 119 | 4.35 | .462 | 5 |
6 | 20 | 11 | 9 | 0 | .550 | 2 | .263 | 19 | 91 | 72 | 3.34 | .486 | 3 |
7 | 21 | 12 | 9 | 0 | .571 | 1 | .307 | 21 | 113 | 101 | 4.62 | .505 | 3 |
8 | 26 | 14 | 12 | 0 | .538 | 1 | .257 | 21 | 108 | 96 | 3.44 | .513 | 2 |
9 | 20 | 13 | 6 | 1 | .684 | 1 | .247 | 16 | 79 | 52 | 2.25 | .536 | 1 |
10 | 3 | 2 | 1 | 0 | .667 | 2 | .228 | 1 | 10 | 15 | 4.20 | .539 | 1 |
開幕戦から延長戦にもつれこんだが,延長11回にミレッジが決勝打を放ち白星スタート。3月31日神宮開幕阪神戦はFA移籍の成瀬善久が移籍後初登板初勝利。
4月8日中日戦(神宮)ではミレッジに代わり外野手と起用されていた田中浩康がサヨナラタイムリー。9日中日戦(神宮)には新垣渚が自身597日ぶりとなる移籍後初勝利。19日DeNA戦(神宮)では上田が,24日巨人戦(神宮)では川端がそれぞれサヨナラ勝利を演出。神宮球場7連勝など,4月17日から29日まで首位をキープした。
5月1日広島戦(神宮)でオープン戦,開幕2戦目と全く打ち崩せなかった広島・黒田の攻略に成功。3日広島戦(神宮)ではプロ初登板初先発となった風張蓮がわずか8球で危険球退場となるアクシデントも,風張のあとを受けた徳山,古野正人が粘りの投球。死球を受けた雄平に代わってライトに入った荒木貴裕が1号3ランを放つなど,控え選手たちの活躍でまずまずのスタートを切ったかのように思われた。しかし例年苦手としている5月。好調を支えてきた投手陣に疲労の色が隠せず,4日DeNA戦(横浜)から16日巨人戦(東京ドーム)まで9連敗を喫し,最下位に転落。今年も定位置かなどと揶揄された。
それでも不幸中の幸いかどのチームも抜け出す要素なく混セ状態が続いていた。24日広島戦(マツダ)では大引の穴を埋めてきた今浪隆博がプロ初本塁打。さらに1点を追う9回表2死一二塁から途中出場の三輪正義が前進守備のレフト頭上を越える逆転の三塁打。6月24日中日戦(ナゴヤドーム)では選手会長森岡良介の決勝タイムリーなど日替わりヒーローが生まれることで,なんとか踏みとどまってきた。
そして・・・。6月28日巨人戦(神宮)館山が復活のマウンドに上がったことで,ベンチの結束さらにはスタンドのファンのムードは一気に上がった。6月28安打8本塁打23打点,打率.378の成績を残した畠山が月間MVPを獲得。6月1日時点で6.0あった首位との差を2.0に縮め7月を迎える。
7月2日阪神戦(神宮)5月下旬に緊急獲得したミッチ・デニングの連夜の決勝打もあって首位に浮上したが,そこから4連敗で一気に5位まで落ちてしまう。さらには畠山が左内転筋肉離れによる離脱。チームの危機に四番起用されたたのは山田だった。7月10日DeNA戦(神宮)四番としての初打席でいきなり本塁打。翌11日DeNA戦(神宮)で館山が1019日ぶりの勝利。40勝43敗1分の4位でオールスターを迎えたが,そのオールスターを挟んで7連勝。夏場になり打線が昨年の勢いを取り戻してきた。
巨人,阪神との競り合い。日々順位が変動するなか,若いチームに”優勝”という二文字が見え始めた。「チャレンジャー」「一戦必勝」「ヤクルトスタイル」。8月に入ってこれらの言葉が多く聞かれるようになった。8月9日中日戦(ナゴヤドーム)で松岡が自身5年ぶりのセーブをマーク。21-22日中日戦(神宮)で山田がプロ野球タイ記録となる4打席連続本塁打。23日終了時で56勝57敗1分借金1だったチームは巨人−阪神−巨人と続く試練の8試合を迎えることになる。その初戦に登板を予定していた開幕から無傷の6連勝中の山中が右大胸筋肉離れの離脱で離脱という緊急事態に中4日登板を打診され,見事に応えた石川の熱投がチームを一つにした。26日巨人戦(神宮)0-0で迎えた4回裏2死満塁の場面で投手の小川が菅野智之に対しファールで喰らいつき,11球粘った末押し出し四球を選んでみせた。27日巨人戦(神宮)プロ初登板初先発寺田哲也が制球に苦しみながらも得点を与えず,8回裏2死二三塁から寺田の同級生川端が決勝打で巨人に同一カード3連勝。30日阪神戦(甲子園)には館山が自身5年ぶりの本塁打。9月2日巨人戦(金沢)では苦手のポレダを攻略し,試練と位置付けた8試合を6勝1敗1中止で乗り切ってみせた。
いざ頂点へ。9月10日DeNA戦(神宮)で石川が現役投手としては最多となる自身11回目の2桁勝利を挙げ阪神と並んで同率首位にたつと,チームとして連敗しない粘りをみせ僅かながらリードを保っていく。18日巨人戦(神宮)では左太腿のリハビリを行っていたバレンティンが復帰。翌19日巨人戦(神宮)では果敢な劇走で今季初のお立ち台に。21日阪神戦(甲子園),26日巨人戦(東京ドーム)と敵地で引導を渡し熾烈な三つ巴を制した。【表2-1】
【表2-2】チーム成績 ※()はリーグ順位
試合 | 勝数 | 負数 | 引分 | 勝率 | 勝差 | 順位 | 得点 | 失点 | 本塁打 | 盗塁 | 打率 | 防御率 | |
2015 | 143 | 76 | 65 | 2 | .539 | -1.5 | 1 | 574(1) | 518(4) | 107(2) | 83(3) | .257(1) | 3.31(4) |
2014 | 144 | 60 | 81 | 3 | .426 | 21.0 | 6 | 667(1) | 717(6) | 139(3) | 62(5) | .279(1) | 4.62(6) |
2013 | 144 | 57 | 83 | 4 | .407 | 28.5 | 6 | 577(3) | 682(5) | 134(2) | 70(4) | .253(4) | 4.26(5) |
2012 | 144 | 68 | 65 | 11 | .511 | 20.0 | 3 | 499(2) | 514(5) | 90(2) | 63(4) | .260(1) | 3.35(5) |
2011 | 144 | 70 | 59 | 15 | .543 | 2.5 | 2 | 484(1) | 504(5) | 86(3) | 43(5) | .244(3) | 3.36(5) |
2010 | 144 | 72 | 68 | 4 | .514 | 6.5 | 4 | 617(3) | 621(3) | 124(3) | 66(4) | .268(2) | 3.85(2) |
2009 | 144 | 71 | 72 | 1 | .496 | 22.0 | 3 | 548(3) | 606(5) | 116(4) | 106(1) | .259(2) | 3.97(5) |
2008 | 144 | 66 | 74 | 4 | .471 | 17.5 | 5 | 583(2) | 569(4) | 83(5) | 148(1) | .266(4) | 3.75(4) |
2007 | 144 | 60 | 84 | 0 | .417 | 20.5 | 6 | 596(3) | 623(4) | 139(2) | 66(2) | .269(2) | 4.07(5) |
得点数は昨年に較べ100近く減少するもリーグトップ。チーム打率も1分4厘下がったがそれでもなおリーグNo.1を誇った。バレンティンが1本塁打に終わったにもかかわらず本塁打数はリーグ2位。劇的に変わったのが投手陣,とりわけリリーフ陣であった。ロマン,オンドルセク,バーネットの3人が揃って登板した試合では23勝2敗2分と抜群の勝率を誇った。他にも先制した試合の勝率は.750(昨年は.575)。逆転負けは昨年の38試合から19試合と半減した。【表2-2】
【表3】チーム別対戦成績
巨 人 | 阪 神 | 広 島 | 中 日 | DeNA | ソフト | 日ハム | ロッテ | 西 武 | オリク | 楽 天 | 計 | |
試合 | 25 | 25 | 25 | 25 | 25 | 3 | 3 | 3 | 3 | 3 | 3 | 143 |
勝利 | 12 | 12 | 14 | 13 | 17 | 1 | 1 | 2 | 1 | 2 | 1 | 76 |
敗戦 | 13 | 13 | 11 | 11 | 8 | 2 | 1 | 1 | 2 | 1 | 2 | 65 |
引分 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | 0 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 2 |
得点 | 82 | 103 | 98 | 100 | 108 | 11 | 17 | 19 | 15 | 12 | 9 | 574 |
失点 | 82 | 102 | 92 | 96 | 63 | 15 | 21 | 14 | 12 | 6 | 15 | 518 |
安打 | 180 | 216 | 220 | 229 | 234 | 20 | 33 | 33 | 25 | 24 | 26 | 1240 |
本塁 | 16 | 17 | 14 | 23 | 18 | 4 | 1 | 4 | 1 | 4 | 5 | 107 |
三振 | 143 | 168 | 147 | 152 | 166 | 30 | 25 | 15 | 24 | 17 | 22 | 909 |
四球 | 66 | 86 | 75 | 71 | 72 | 8 | 16 | 11 | 11 | 8 | 9 | 433 |
死球 | 5 | 8 | 6 | 5 | 6 | 1 | 3 | 2 | 1 | 0 | 0 | 37 |
併殺 | 15 | 16 | 18 | 23 | 15 | 2 | 1 | 1 | 0 | 2 | 3 | 96 |
盗塁 | 11 | 14 | 22 | 13 | 17 | 1 | 5 | 0 | 0 | 0 | 0 | 83 |
失策 | 6 | 16 | 14 | 15 | 11 | 1 | 3 | 2 | 1 | 2 | 0 | 71 |
打率 | .225 | .259 | .259 | .266 | .276 | .208 | .280 | .327 | .240 | .238 | .257 | .257 |
防御 | 3.11 | 3.70 | 3.36 | 3.36 | 2.25 | 5.40 | 5.40 | 4.33 | 3.96 | 2.08 | 5.00 | 3.31 |
チームの貯金「11」のうち実に「9」が対DeNA戦。カード別の負け越しも巨人,阪神,ソフトバンク,埼玉西武,東北楽天にそれぞれ「1」ずつ。野村克也元ヤクルト監督が
”優勝するためにはカモにする相手を作らないと”と説いてたが優勝時にはこれがモノをいう。しかし昨年は8勝16敗と苦手にした相手だけに,油断は禁物か。【表3】
【表4】守備成績
チーム | 守備率 | 試合 | 守機備会 | 刺殺 | 補殺 | 失策 | 併殺 | 捕逸 | |
参加 | 球団 | ||||||||
ヤクルト | .987 | 143 | 5451 | 3818 | 1562 | 71 | 374 | 140 | 4 |
巨 人 | .987 | 143 | 5471 | 3813 | 1586 | 72 | 295 | 108 | 12 |
阪 神 | .986 | 143 | 5399 | 3817 | 1505 | 77 | 285 | 103 | 6 |
DeNA | .985 | 143 | 5472 | 3803 | 1587 | 82 | 270 | 101 | 11 |
広 島 | .984 | 143 | 5621 | 3859 | 1674 | 88 | 289 | 106 | 10 |
中 日 | .983 | 143 | 5522 | 3837 | 1591 | 94 | 303 | 110 | 12 |
巨人は長年正捕手を務めていた阿部を一塁へコンバート。開幕はヤクルトからFAで加入した相川亮二と2年目の小林誠司の体制でスタートも,相川が故障で離脱すると阿部が捕手に再転向。その後も実松一成,加藤健らとの併用が続いた。広島は石原慶幸と会沢翼の併用で,先発投手によって二人を使い分けていた。中日は谷繁元信捕手兼任監督の後継者が現れず,松井雅人,杉山翔大,桂依央利らがマスクを被った。DeNAは嶺井博希,高城俊人,黒羽根利規を,阪神も藤井彰人,鶴岡一成,梅野隆太郎らを使い分けていた。シーズンを通して捕手を固定出来たのはヤクルトのみ。そして中村は135試合に出場し捕逸はわずかに3とその数字が際立った。3連戦トータルでの組み立て,さらには連投ある救援陣や相手打者の調子を把握しながらの組み立てが出来た強みがあった。【表4】
【表5】交流戦順位表と通算成績[2005-2015]
通算[2005-2015] | |||||||||||||||||||
試合 | 勝数 | 負数 | 引分 | 勝率 | 順位 | 得点 | 失点 | 本塁 | 盗塁 | 打率 | 防御率 | 試合 | 勝数 | 負数 | 引分 | 勝率 | 勝差 | ||
福岡ソフトバンク | 18 | 12 | 6 | 0 | .667 | 1位 | 90 | 59 | 23 | 13 | .287 | 2.91 | 282 | 167 | 104 | 11 | .616 | ||
北海道日本ハム | 18 | 11 | 6 | 1 | .647 | 2位 | 82 | 72 | 12 | 13 | .263 | 3.26 | 282 | 150 | 122 | 10 | .551 | 17.5 | |
千葉ロッテ | 18 | 10 | 8 | 0 | .556 | 5位 | 86 | 90 | 13 | 4 | .286 | 4.88 | 282 | 147 | 121 | 14 | .549 | 1.0 | |
巨 人 | 18 | 7 | 11 | 0 | .389 | 11位 | 60 | 58 | 14 | 16 | .244 | 2.95 | 282 | 147 | 126 | 9 | .538 | 2.5 | |
中 日 | 18 | 7 | 10 | 1 | .412 | 10位 | 52 | 69 | 9 | 14 | .245 | 3.49 | 282 | 140 | 132 | 10 | .515 | 6.5 | |
埼玉西武 | 18 | 10 | 6 | 2 | .625 | 3位 | 72 | 66 | 20 | 7 | .272 | 3.45 | 282 | 139 | 137 | 6 | .504 | 3.0 | |
阪 神 | 18 | 10 | 8 | 0 | .556 | 6位 | 57 | 80 | 9 | 4 | .235 | 3.9 | 282 | 136 | 136 | 10 | .500 | 1.0 | |
オリックス | 18 | 8 | 10 | 0 | .444 | 9位 | 67 | 47 | 15 | 9 | .240 | 2.61 | 282 | 136 | 138 | 8 | .496 | 1.0 | |
東京ヤクルト | 18 | 8 | 9 | 1 | .471 | 8位 | 83 | 83 | 19 | 6 | .259 | 4.39 | 282 | 132 | 143 | 7 | .480 | 4.5 | |
東北楽天 | 18 | 10 | 8 | 0 | .556 | 4位 | 65 | 56 | 17 | 13 | .237 | 2.47 | 282 | 127 | 151 | 4 | .457 | 6.5 | |
広 島 | 18 | 9 | 9 | 0 | .500 | 7位 | 79 | 79 | 21 | 10 | .260 | 3.98 | 282 | 114 | 158 | 10 | .419 | 10.0 | |
横浜DeNA | 18 | 3 | 14 | 1 | .176 | 12位 | 59 | 93 | 16 | 8 | .259 | 4.73 | 282 | 105 | 170 | 7 | .382 | 10.5 |
今年も交流戦ではパ・リーグが圧倒的な力を見せつけた。今季から各チーム18試合制となり,各カードとも本拠地と敵地での3試合を隔年で行う方式に変更され,優勝球団は決めず,勝ち越したリーグの6球団に順位に応じて賞金が割り振られる方式になった。通算成績はパの61勝44敗3分となりこれで6年連続の勝ち越しとなった。勝率もソフトバンクが最高で,5位までをオリックスを除く5球団が独占した。セ・リーグでは阪神が唯一10勝8敗と勝ち越したのみ。とりわけ交流戦まで首位だったDeNAは引き分け挟んで10連敗を喫するなど3勝14敗と大きく負け越した。【表5】
DATE2015〜2番川端慎吾
【表6-1】セ・リーグ各球団イニング別得失点
チーム | イニング | 1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 | 9 | 10- | 合計 |
東京ヤクルト | 得点 | 84 | 61 | 52 | 60 | 66 | 72 | 53 | 70 | 45 | 11 | 574 |
失点 | 54 | 43 | 63 | 69 | 70 | 63 | 65 | 51 | 39 | 1 | 518 | |
(勝利時 | 得点 | 67 | 51 | 38 | 46 | 55 | 52 | 36 | 57 | 29 | 11 | 442 |
失点 | 21 | 16 | 16 | 28 | 30 | 16 | 20 | 18 | 21 | 0 | 186 | |
(敗戦引分時 | 得点 | 17 | 10 | 14 | 14 | 11 | 20 | 17 | 13 | 16 | 0 | 132 |
失点 | 33 | 27 | 47 | 41 | 40 | 47 | 45 | 33 | 18 | 1 | 332 | |
巨 人 | 得点 | 51 | 36 | 62 | 60 | 73 | 52 | 70 | 45 | 31 | 9 | 489 |
失点 | 62 | 34 | 45 | 54 | 37 | 75 | 46 | 45 | 36 | 9 | 443 | |
阪 神 | 得点 | 60 | 49 | 47 | 48 | 42 | 73 | 48 | 62 | 26 | 10 | 465 |
失点 | 38 | 42 | 55 | 69 | 86 | 74 | 67 | 74 | 39 | 6 | 550 | |
広 島 | 得点 | 78 | 37 | 59 | 49 | 60 | 74 | 38 | 62 | 41 | 8 | 506 |
失点 | 62 | 50 | 55 | 55 | 47 | 56 | 51 | 54 | 32 | 12 | 474 | |
中 日 | 得点 | 43 | 45 | 54 | 63 | 43 | 69 | 50 | 70 | 26 | 10 | 473 |
失点 | 68 | 35 | 69 | 38 | 59 | 55 | 51 | 79 | 45 | 5 | 504 | |
横浜DeNA | 得点 | 61 | 43 | 62 | 50 | 64 | 60 | 58 | 60 | 49 | 1 | 508 |
失点 | 98 | 65 | 49 | 65 | 55 | 89 | 57 | 61 | 45 | 14 | 598 |
リーグトップの574得点を記録したが,そのうち15.1%にあたる84得点を初回に挙げた。これもまたリーグトップの数字で,今季の犠打数2という2番川端の存在もクローズアップされた。初回から犠打で簡単に1つのアウトを献上するのではなく,ビックイニングを狙う攻撃的真中野球の象徴とも言われた。セ・リーグ各球団の2番打者を見てみると菊池涼介(広島)の49犠打を始め,片岡治大(巨人)36犠打,大和(阪神)28犠打,亀沢恭平(中日)27犠打,白崎浩之(DeNA)22犠打といずれも20以上の犠打を記録している。
2番に川端が起用された試合は143試合中およそ半分の70試合あったが,初回における打撃成績を以下に抽出した。すなわちどのような状況で3番打者を最初の打席で迎えていたかの表である。【表6-2】
【表6-2】2番川端スタメン試合の初回攻撃内訳
結果 | 結果 | 状況 | 得点 | 勝敗 | ||
3/27 | 4山田 | 中安 | 左飛 | 1死二塁 | 1 | ○ |
3/28 | 4山田 | 三振 | 中飛 | 2死 | 0 | ● |
3/29 | 4山田 | 三ゴ | 二ゴ | 2死 | 0 | ● |
3/31 | 4山田 | 右飛 | 投ゴ | 2死 | 0 | ○ |
4/1 | 4山田 | 三振 | 三振 | 2死 | 0 | ● |
4/2 | 7荒木 | 左飛 | 遊ゴ | 2死 | 0 | ○ |
4/3 | 7荒木 | 中飛 | 中安 | 1死一塁 | 5 | ○ |
4/4 | 7荒木 | 一邪 | 遊ゴ | 2死 | 0 | ○ |
4/5 | 7荒木 | 中飛 | 右2 | 1死二塁 | 0 | ● |
4/7 | 7荒木 | 三振 | 左飛 | 2死 | 0 | ● |
7/8 | 8比屋根 | 遊ゴ | 左飛 | 2死 | 0 | ● |
7/20 | 8比屋根 | 中安 | 左2 | 1死二塁 | 2 | ○ |
7/21 | 8比屋根 | 左飛 | 遊安 | 1死一塁 | 4 | ○ |
7/22 | 8比屋根 | 右安 | 三振 | 1死一塁 | 2 | ○ |
7/24 | 8比屋根 | 死球 | 右安 | 0死一二塁 | 1 | ○ |
7/25 | 8比屋根 | 遊ゴ | 遊ゴ | 2死 | 1 | ○ |
7/26 | 8比屋根 | 左2 | 投犠失 | 0死一三塁 | 3 | ○ |
7/28 | 8比屋根 | 三ゴ | 左飛 | 2死 | 0 | ● |
7/29 | 8比屋根 | 一邪 | 一飛 | 2死 | 0 | ○ |
7/30 | 8比屋根 | 中安 | 右2 | 0死二三塁 | 3 | ● |
7/31 | 8比屋根 | 四球 | 四球 | 0死一二塁 | 4 | ● |
8/1 | 8比屋根 | 右安 | 右安 | 0死一三塁 | 1 | ○ |
8/2 | 8比屋根 | 右安走塁死 | 左飛 | 2死 | 0 | ○ |
8/4 | 8比屋根 | 遊ゴ | 三振 | 2死 | 0 | ● |
8/5 | 8比屋根 | 遊ゴ | 中安 | 1死一塁 | 0 | ● |
8/6 | 8比屋根 | 中安 | 中安 | 0死一三塁 | 1 | ○ |
8/7 | 8比屋根 | 中安 | 四球 | 0死一三塁 | 1 | ● |
8/8 | 8比屋根 | 遊ゴ | 中安 | 1死一塁 | 0 | ● |
8/9 | 8比屋根 | 三振 | 四球 | 1死一塁 | 1 | ○ |
8/11 | 8比屋根 | 右飛 | 左飛 | 2死 | 1 | ○ |
8/12 | 8比屋根 | 遊ゴ | 中安 | 1死一塁 | 1 | ○ |
8/13 | 8比屋根 | 三振 | 遊失 | 1死一塁 | 0 | ● |
8/14 | 8三輪 | 四球 | 三ゴ | 1死二塁 | 0 | ● |
8/15 | 8比屋根 | 三ゴ | 二ゴ | 2死 | 0 | ○ |
8/16 | 8比屋根 | 二飛 | 二ゴ | 2死 | 0 | ● |
8/18 | 8比屋根 | 三振 | 中飛 | 2死 | 0 | ● |
8/19 | 8比屋根 | 右安 | 右安 | 0死一三塁 | 4 | ○ |
8/20 | 8比屋根 | 三ゴ | 四球 | 1死一塁 | 0 | ● |
8/21 | 8比屋根 | 死球 | 三失 | 0死一二塁 | 0 | ● |
8/22 | 8比屋根 | 左本 | 一ゴ | 1死 | 2 | ○ |
8/23 | 8比屋根 | 三振 | 一ゴ | 2死 | 0 | ● |
8/25 | 8比屋根 | 中安 | 右安 | 0死一二塁 | 1 | ○ |
8/26 | 8比屋根 | 三振 | 遊ゴ | 2死 | 0 | ○ |
8/27 | 8比屋根 | 右飛 | 遊ゴ | 2死 | 0 | ○ |
8/28 | 8三輪 | 遊直 | 一ゴ | 2死 | 0 | ● |
8/29 | 8比屋根 | 中安 | 三ゴ | 1死三塁 | 1 | ○ |
8/30 | 8比屋根 | 左飛 | 二直 | 2死 | 0 | ○ |
9/2 | 8比屋根 | 中安 | 三ゴ | 1死三塁 | 2 | ○ |
9/4 | 8比屋根 | 右安 | 遊ゴ | 1死二塁 | 3 | ○ |
9/5 | 8比屋根 | 二ゴ | 中飛 | 2死 | 0 | ● |
9/6 | 8比屋根 | 三振 | 四球 | 1死一塁 | 0 | ○ |
9/10 | 8比屋根 | 二飛 | 中安 | 1死一塁 | 0 | ○ |
9/12 | 8上田 | 四球 | 投併 | 2死 | 0 | ● |
9/13 | 8上田 | 二ゴ | 二飛 | 2死 | 0 | ● |
9/15 | 8比屋根 | 左安 | 遊ゴ | 1死一塁 | 0 | ○ |
9/16 | 8比屋根 | 四球 | 四球 | 0死一二塁 | 1 | ○ |
9/18 | 8比屋根 | 投ゴ | 一直 | 2死 | 0 | ● |
9/19 | 8上田 | 二ゴ | 三ゴ | 2死 | 0 | ○ |
9/20 | 8比屋根 | 中飛 | 中安 | 1死一塁 | 0 | ● |
9/21 | 8上田 | 一ゴ | 四球 | 1死一塁 | 0 | ○ |
9/22 | 9荒木 | 中安 | 投犠失 | 0死一二塁 | 2 | ○ |
9/23 | 8上田 | 一ゴ | 三ゴ | 2死 | 1 | ○ |
9/24 | 9荒木 | 左飛 | 中安 | 1死一塁 | 2 | ○ |
9/26 | 8上田 | 死球 | 打妨 | 0死一二塁 | 3 | ● |
9/27 | 8上田 | 中安 | 遊ゴ | 1死一塁 | 0 | ○ |
9/28 | 8上田 | 左安 | 右中2 | 0死二三塁 | 1 | ○ |
9/29 | 8上田 | 二ゴ | 中安 | 1死一塁 | 0 | ● |
10/2 | 8上田 | 三振 | 中安 | 1死一塁 | 1 | ○ |
10/3 | 8上田 | 遊ゴ | 中安 | 1死一塁 | 1 | ○ |
10/4 | 8上田 | 投ゴ | 遊ゴ | 2死 | 0 | ● |
川端自らがあげた打点は1試合のみ。一方で川端の打席で走者を三塁まで進める状況を作り出した試合は9試合あっていずれの試合でも初回に得点をあげている。さらにはランナーを置いて川端に回った26試合でも,左方向の打球が多く,左打者が右方向に引っ張って一二塁間を破って走者を進めるというセオリーにも全く囚われることなく自身の打撃スタイルを崩していなかったことも読み取れる。余談になるが,比屋根が初回に出塁した試合は19試合あったが,うち16試合で初回得点を記録している。
おわりに〜2016シーズンに向けて
14年ぶりの優勝を果たしたその日七條佑樹,江村将也,赤川克紀,大場達也,金伏ウーゴ,川ア成晃,中根佑二,阿部健太に戦力外が通告された。14年ぶりに出場した日本シリーズではソフトバンクに圧倒され,選手層の差も明らかになった。
鉄壁を誇った救援陣もロマンとバーネットが退団したことで,再構成を余儀なくされる。先発候補としてヤンキースからメジャー通算43勝65敗の右腕カイル・デイビーズを獲得。さらにプレミア12でのドミニカ代表左腕ルイス・ペレス,元レイズの右腕ジョシュ・ルーキの獲得に動いた。とはいえ未知数。
左投手では久古と中澤の負担が大きかったため,1年目一軍登板なく終わった竹下真吾,中元勇作。1試合の登板に終わった岩橋慶侍,昨年までローテーションを守りながら今季は2試合の先発登板のみに終わった八木亮祐 ,2007年以来自身2度目の一軍登板無しに終わった村中恭平,ハワイウィンターリーグで経験を積む児山祐斗。彼らの台頭が待たれる。
一軍登板2試合で3イニング計3失点と打ち込まれた木谷良平は背番号16をはく奪された。土肥寛昌はファームで37試合に登板も課題を残す。右肩痛からの復帰を目指す由規と平井諒は中島彰吾と同じ育成枠となる。田川賢吾もリハビリからの復帰が待たれる。3年連続で50試合以上に登板してブルペンを支えてきた山本哲哉は右肘内側側副靭帯再建手術に踏み切ることとなった。
捕手は中村がほぼ一人でマスクを被り続けたことで,西田明央はファームで実戦経験を積む日々。田中雅彦,星野雄大,藤井亮太が一軍帯同という難しい役回りをこなした。藤井は外野手としてスタメン出場の機会も与えられた。高卒ルーキー山川晃司は捕手としての課題に取り組む日々。巨人から移籍の井野卓は怪我に泣いた。
一軍内野手の壁は厚いものの少ないながら与えられた出番で持ち味を発揮した西浦直亨と谷内亮太は鍛錬の日々を送る。巨人から人的補償で獲得した奥村展征だったが腰痛でほぼ一年を棒に振ってしまった。
原泉は貴重な右の長距離砲としての期待が懸かる一方で,。ベテランの域に差し掛かった武内晋一,飯原誉士は怪我があったとはいえすっかり存在感を失ってしまっている。持ち前の長打力が鳴りを潜めてしまった松井淳,開幕から極度の打撃不振に陥り背番号36がはく奪となった山田の翌年のドラフト1位川上竜平も危機感が強まる。球団は固定することができなかった1番・センター候補としてオリックスを自由契約となった坂口智隆と,北海道日本ハムを自由契約になった鵜久森淳志,2人の外野手の獲得に動いた。
日本シリーズ開幕前々日に開かれた ドラフト会議では原樹理(投手・東洋大)廣岡大志(内野手・智弁学園高)高橋奎二(投手・龍谷大平安高)日隈ジュリアス(投手・高知中央高)山崎晃大朗(外野手・日本大)渡邉大樹(内野手・専大松戸高)の6名を指名した。
「つばめ改革」をスローガンに掲げた就任1年目。選手の意識改革の一端はコーチが担った。走塁面では三木肇作戦兼内野守備走塁コーチと福地寿樹外野守備走塁コーチによって一つ先の塁を狙う意識が生まれた。高津臣吾投手コーチ,伊藤智仁投手コーチ,野村克則バッテリーコーチが一体となり連携をとったことで,投手と捕手の信頼関係はより強固なものとなった。杉村繁チーフ打撃コーチ,宮出隆自打撃コーチが築き上げてきたリーグNo.1の打撃力は今年も健在だった。そして来季はこれまで三木コーチが担っていた戦略面を押尾健一スコアラーが作戦コーチを兼務する形となる。
その傍ら108試合39勝64敗5分 勝率.379と断トツの最下位に終わったファームは,伊東昭光二軍監督,山部太二軍投手コーチ,池山隆寛野手総合コーチ,土橋勝征二軍外野守備走塁コーチ,伊勢孝夫バッティングアドバイザーが退団。宮本賢治二軍監督が就任し,成本年秀二軍投手コーチ,石井弘寿二軍投手コーチ,斉藤宜之二軍打撃コーチ,松元ユウイチ二軍打撃コーチ,水谷新太郎二軍内野守備走塁コーチ,笘篠誠治二軍外野守備走塁コーチ,芹澤裕二二軍バッテリーコーチという体制に生まれ変わる。
日本シリーズを戦い終え,選手たちは口々に”連覇”そして”日本一”という目標を掲げている。
ヤクルトが日本シリーズで敗れた翌年は必ず優勝するジンクス。
球団史上2度目の連覇。そして15年ぶりの日本一へ。2016年真中ヤクルトの目標はただひとつだ。
東京ヤクルトスワローズ2015セントラルリーグ優勝記念オフィシャルDVDと同じように締めくくりたいと思う。
振り返れば2013年4月5日。館山の離脱という悪夢から始まったような気がする。2年連続の最下位からの優勝。3年越しの壮大なヒューマンドラマを見せてもらった2015年―。
いま改めて思う。東京ヤクルトスワローズを好きでよかった。
参考資料
『サンケイスポーツ特別版臨時増刊 ヤクルト14年ぶりセ界一』産業経済新聞社,2015.10
『週刊ベースボール11月1日号増刊 東京ヤクルトスワローズ優勝記念号』第70巻 第54号 通産3348号,ベースボールマガジン社,2015.10
『輝け甲子園の星増刊 2015激闘セ・リーグ優勝速報号 おめでとう東京ヤクルトスワローズ』日刊スポーツ出版社,2015.10
『週刊ベースボール』第70巻 第65号 通産3359号,ベースボールマガジン社,2015.12
「ニッカンスコア速報」
http://www.nikkansports.com/baseball/professional/schedule/2015/s201503.html
http://www.nikkansports.com/baseball/professional/schedule/2015/s201504.html
http://www.nikkansports.com/baseball/professional/schedule/2015/s201505.html
http://www.nikkansports.com/baseball/professional/schedule/2015/s201506.html
http://www.nikkansports.com/baseball/professional/schedule/2015/s201507.html
http://www.nikkansports.com/baseball/professional/schedule/2015/s201508.html
http://www.nikkansports.com/baseball/professional/schedule/2015/s201509.html
http://www.nikkansports.com/baseball/professional/schedule/2015/s201510.html
2014年12月27日
総括2014―2年連続最下位
はじめに
昨シーズン限りで現役引退した宮本慎也氏に,スワローズは「決して明るい未来ではない」と苦言を呈された。オフの補強は2年ぶりの日本復帰となる真田裕貴,新外国人クリス・ナーブソン,クリス・カーペンターの3名のみ。シーズン前の評論家諸氏の順位予想では,ほぼ全員に”最下位”と予想された。
それでも故障者の復帰が最大の補強という淡い期待感はあった。ところがキャンプでドラフト1位ルーキー杉浦稔大が右肘内側側副靱帯断裂し離脱。4月2日広島戦(マツダ)で守護神トニー・バーネットがベースカバーの際に左膝後十字靱帯を部分断裂。右肘靭帯再建手術から復活を目指していた館山昌平は4月5日イースタン巨人戦(戸田)で1球投じたところで降板。検査の結果右肘関節外側滑膜ヒダ・骨棘切除術,前腕屈筋腱縫合術,内側側副靭帯再建手術に踏み切り今季絶望。
4月6日阪神戦(神宮)では村中恭兵が腰に張りを訴え翌日に登録抹消。そして昨季最多勝と新人王を獲得し開幕投手にも指名された小川泰弘が4月18日阪神戦(甲子園)で阪神・鳥谷敬の打球を腕に受け右手有鉤骨鉤骨折。6月にはバーネットに代わりストッパーを務めていたオーランド・ロマンが右肘変形性肘関節症の手術のため渡米。4月10日に腰椎椎間板ヘルニア摘出手術を受けた田川賢吾のほか,平井諒が右肩クリーニング手術,金伏ウーゴが左肘内側側副靭帯再建術手術,育成枠の中根佑二が右膝十字靭帯損傷靭帯再建手術からのリハビリでいずれも一年間ファーム含め実戦登板無く終わるなど投手の絶対的な頭数が不足しており,投壊はもはや避けては通れなかった。
リーグワーストの防御率4.62,失点717はともにリーグワースト。2年連続最下位という結果は当然といわれても止む無しか。先発陣の防御率4.64,救援投手陣の防御率4.58と援護をもらっても投手陣が守りきれない試合が目立った。交流戦前の6連勝で4位まで浮上したがあとは5位6位を彷徨うばかり。7月11に最下位に転落すると以後一度も這い上がることなく9月29日に球団史上ワーストタイとなる2年連続最下位が確定。併せて小川淳司監督の退任と真中満新監督誕生の運びとなった。
そんな状況下でも石川雅規はチームで唯一規定投球回数をクリアしかつ自身3年ぶり10度目となる二桁勝利を達成し投手陣を支えてくれた。小川は約3ヶ月の離脱がありながら9勝6敗と3つの貯金を作り,同じく2年目の石山泰稚は7月から先発に配置転換されると,勝ち星にこそ恵まれなかったが適性を感じさせる投球内容を披露。開幕ローテーション入りした秋吉亮も勝ちパターンの起用に落ち着きルーキーながら61試合に登板し19ホールドをマーク。中澤雅人も8月以降中継ぎとして23試合で防御率1.80という数字を残した。9月に入ってようやく一軍初登板を果たした杉浦も4試合に先発し2勝を挙げるという潜在能力の高さを示した。八木亮祐は昨年と同じ5勝ではあったが,負け数を13→6に減らした。7月5日広島戦(マツダ)では岩橋慶侍が,9月3日中日戦(神宮)で徳山武陽が嬉しいプロ初勝利を挙げた。また5月3日対阪神戦(神宮)では久古健太郎がプロ野球史上2人目となる打者0での勝利投手に,9月5日巨人戦(神宮)では七條佑樹が自身719日ぶりとなる白星をプロ初の完投勝利で飾りお立ち台で涙した。
昨年の経験を糧に一年間通しての活躍が期待された木谷良平と古野正人だったが,それぞれ4勝と3勝,赤川克紀は2年連続未勝利。江村将也は左肘の状態が思わしくなく19試合の登板に終わった。山本哲哉は3年連続50試合以上登板も防御率を3.55と大きく下げてしまった。松岡健一も先発から中継ぎに再転向させられるなど苦しいシーズンとなった。佐藤由規,大場達也,児山祐斗は一軍での登板は無かった。
一方で攻撃陣はリーグ最高いや球団史上最強ともいえる布陣となった。
その筆頭が日本人右打者最多安打記録を更新した山田哲人だ。193安打,29本塁打,15盗塁。190安打以上はプロ野球史上16人目,22歳シーズンでの到達は1994年イチロー(オリックス)の21歳に次ぐ年少記録。4月から9月まで6ヶ月連続先頭打者本塁打というのはプロ野球初の珍記録となった。
1番打者の山田に牽引され,8月には球団記録を更新する8試合連続2桁安打,プロ野球タイ記録となる8試合連続7得点以上も成し遂げた。山田のほか,高井雄平(.316),畠山和洋(.310),川端慎吾(.305),ウラディミール・バレンティン(.301)と規定打席に達した5人全員が打率3割以上。松元ユウイチの代打成績も.317と高いものだった。チーム打率も昨年の.253から.279に,総得点も577から667へと大幅にアップしている。開幕4番を務めながら右肩関節上方関節唇損傷手術のため10試合の出場で帰国したラスティングス・ミレッジ不在など全く感じさせない陣容だった。
それでもチームの勝利に結びつかなかったのには,投手陣の弱さとともに守備力の低さにも一因があった。守備率(.982)と失策数(97)はいずれもリーグワースト2位。守備位置別で見ると,二塁手・山田が2位の13失策。三塁手・川端が1位タイの14失策。遊撃手森岡良介が4位タイの10失策。外野手も雄平,上田剛史がともに1位タイの7失策。比屋根渉は56試合の出場で5失策。飯原誉士の最終戦で犯したシーズン唯一の失策もあまりに印象が悪かった。薄暮で打球を見失ったり,クッションボールを誤ったり,他の野手との連携ミスによって進塁を許してしまうという記録に表れないミスが多く目立った。
またセンターラインの一角である遊撃手は,西浦直亨が開幕スタメンの座を射止めたものの打力不足もあって,森岡,開幕直後日本ハムから増渕竜義とのトレードで獲得した今浪隆博,荒木貴裕,川島慶三(7月に新垣渚,山中浩史との交換トレードで,日高亮とともにソフトバンクへ移籍),谷内亮太とのべ6選手が入れ替わりでスタメン起用されたが,シーズン通して固定とはいかなかった。
捕手では中村悠平がスタメンマスクを92試合任され自己最多となる99試合に出場。相川亮二は47試合に留まり「横一線で競争できる環境」を求めてFA移籍を決断した。シーズン終盤には西田明央も5試合起用され9/24広島戦(神宮)ではプロ初本塁打を放つなど台頭をアピールした。他に一軍でマスクを被ったのは複数ポジションをこなせる藤井亮太のみで,田中雅彦,星野雄大には一軍登録がなかった。
田中浩康は山田にセカンドのポジションを完全に奪われた形となり,ファーストあるいはサードでの出場機会を窺った。武内晋一は55試合,三輪正義は4年ぶりに50試合以下となる32試合,昨年開幕スタメンを勝ち取った松井淳は10試合の出場に留まった。川ア成晃はファーム8位の打率.294でイースタン・リーグ優秀選手賞を受賞。2011年ドラフト1位川上竜平は3年目を迎えたが未だ一軍登録すら叶わない状態でいる。
【表1】セ・リーグ順位表
巨人が3連覇を果たしたシーズンではあったが,昨年までの圧倒的な戦力は感じなかった。打撃10傑に入った選手は皆無。阿部慎之介は打率.248。最優秀防御率を獲得しMVPにも輝いた菅野智之が途中離脱し,内海哲也も7勝止まり。スコット・マシソン,山口鉄也,西村健太朗のいわゆる勝利の方程式も鉄壁には程遠かった。それでも勝ててしまう総合力,負けない強さを感じさせた1年だった。
とりわけ接戦の試合終盤で起用される鈴木尚広の起用法が見事だった。42回の代走起用のうち23回生還し,その際の勝率は22勝1敗という強烈な印象を残させた。ここから学ぶべきものが他球団にもあるはずだ。【表1】
チーム成績
【表2-1】チーム月別成績
月別成績を見ると4月の防御率が5.74。25試合で失点152ということでは1試合平均6.08点奪われた計算となる。ペナントレースを戦う上で序盤で躓くとやはり厳しくなる。それでも5月は月間首位と意地を見せた。5月,8月と勝ち越した月はチーム打率も高い。やはり打ち勝つしかなかった一年だった。【表2-1】。
【表2-2】チーム成績 ※()はリーグ順位
2年連続最下位とはいえ,首位とのゲーム差は28.5→21.0と7.5差縮まっている。2012年は3位ながら首位巨人と20.0差離されていたのだから,それと比べてもリーグ間の戦力差は縮まりつつある。打率(.279),得点(667)ともにリーグトップ。防御率(4.62),失点(717)ともにリーグワースト。とにかく今年はこの数字に尽きるのだろう。【表2-2】。
【表3】チーム別対戦成績
巨人と阪神にそれぞれ1つの負け越し。中日に1つの勝ち越し。交流戦はトータルで2つの負け越し。これだけ切り取るとそこまで極端に悪い成績ではない。広島とDeNAにそれぞれ8つずつ負け越し,2チームから”お客さん”扱いされてしまっては最下位という順位は必然といえる。仮にDeNAとの対戦成績が12勝12敗であったなら,最終勝率はヤクルト.454,DeNA.444となり順位が逆転した計算になる。また今季のDeNA戦は予め8カード中7カードが金土日月に組まれており,井納翔一とモスコーソがともに対ヤクルト戦に7試合ずつ先発登板。計3勝9敗と完全にカモにされてしまったことも大きく影響しただろうか。【表3】。
【表4】守備成績
守備率(.982)と失策数(97)はいずれもリーグワースト2位。2011年にはリーグトップの守備率.990を誇ったチームだ。守備の重要性は明らかである。【表4】
【表5】交流戦通算成績[2005-2014]
2007年から続いてきた各カード4試合(ホーム,ビジター各2試合)の計24試合制度が,来シーズンから各カード3試合となり,隔年で本拠地と敵地で3連戦を戦う形に変更される。3連戦と変則的2連戦では戦い方にも影響を与えるのだろうか。原則3連戦だった2005-2006年の方が2007-2014年と比較して勝率が1割以上高いチームはロッテ,阪神,ヤクルト,DeNAの4球団。ヤクルトにとって試合数の変更が交流戦アレルギー克服のキッカケとなるか注目したいところ。【表5】
小川監督への感謝
例年気になった視点からのデータ検証をしてきたが,今年に関してはここをどうにかしてもどうなるものではないレベルの試合が続いたし,先にも述べたように守備での記録に表れないミスがあまりに目立ったことが最下位の原因であると思うので,今年は小川監督への謝辞をもって締めくくりとしたい。
2010年5月26日。あまりに突然の監督代行就任だった。球団幹部からの急な要請に責任はヘッドコーチの自分にもある。なにより自分は監督の器ではないと断ったそうだが,「誰かが監督をやらないといけないんだ」と強い口調で返されたことで受諾したと言われている。12球団一地味で目立たない監督。かくいう自分も就任当初はこう思った。ところが就任後からチームの雰囲気がガラリと変わった。
試合でミスをすればベテランでも降格。外国人も結果がでなければスタメンから外す。それまで出場機会に恵まれなかった選手の抜擢。勝てば選手の手柄,負ければ監督の責任。その姿勢は一貫していた。
さらにはそれまで14勝41敗1分の借金27で”犬”とまで揶揄された巨人相手に,同じメンバーで戦って8勝7敗1分と勝ち越した。59勝36敗3分と脅威の成績。既定路線と見られていた荒木大輔投手コーチ(当時)の監督就任を覆した。それはファンの誰しもが納得する選択であった。
正式に監督に就任した2011年は終盤まで首位を走りながら,土壇場で中日にひっくり返されての2位。翌2013年も3位にはなったが,いずれもクライマックスシリーズで中日に敗れて日本シリーズ進出は叶わなかった。そして2013,2014年は故障者の続出もあって2年連続で最下位。この責任を痛感した小川監督は選手で10年,指導者として19年間背負い続けたスワローズのユニホームに別れを告げた。
監督代行時代も含めて5年間で積み上げた白星の数は314。この数字は野村克也監督(628勝=1990-1998年),若松勉監督(496勝=1999-2005年)に次いで球団歴代3位。2年連続Aクラス入りも,小川監督以外には若松監督(4年連続=2001-2004年),野村監督(3年連続=1991-1993年),広岡達朗監督(2年連続=1977-1978年)しかいない。2011年8月2日対中日戦(ナゴヤドーム)では球団史上最速通算176試合目での監督通算100勝(176試合100勝62敗14分)を達成した。紛れもなく球団史に名を残す名将である。
そんな監督にもシーズンが進むにつれ容赦ない罵声が浴びせられたのは事実だ。それでも2010年に瀕死のチームを救ってくれた小川監督。一度溺れそうになったところを助けてくれた人にそんな声を浴びせられるだろうか?私には出来ない。だからブログ上の采配批判からも逃げてきた。実際今季は試合後の監督談話にもどこか他人事のように感じられることも多々あったが,それでもこの気持ちがあったから感情を露わにするという面に欠けた印象をもたれた事にも納得している。
「やっぱり悔しさかな。2年連続最下位っていう悔しさは当然ありますけど,それと2011年に優勝できなかったっていう悔しさと両方かなぁ」と悔しさを口にした小川監督。それでも決して途中で投げ出さず最後まで戦い抜き次期監督に”代行”という肩書なく託すという小川監督なりの責任の全うの仕方があったようだ。任期途中で投げだす事の功と罪。投げだす事は容易でも途中から任される事の責任の重さ。「辞める方が楽になれるかもしれない。でも最後までやる。オレからは辞めない」―7月10日の朝小川監督はこう報道陣に語ったそうだ。
指揮官が最も印象に残っている試合は監督代行として初めて指揮を執った2010年05月27日楽天戦(神宮)だという。この日最後に綴った「コミュニケーション・風通し・活気。勝利こそ掴めなかったが,止まっていた何かが動き出した気もした。」という一文はいま読み返しても何かグッとくるものがある。個人的には2011年07月07日巨人戦(神宮)。最終回2死満塁カウント2-1から一塁走者相川に代走川本良平を告げサヨナラ勝ちを収めた試合。これほどまでに監督采配の妙を魅せてもらった試合もなかなかない。
小川監督を胴上げするという願いは結局叶うことなく終わってしまったが,山田,川端,雄平といった小川監督の蒔いた種と,出しかけている芽がが大輪の花を咲かせることを願うばかり。監督からシニアディレクターと立場は変われども,自らが蒔いた種は必ず最後まで面倒を見てくれるはずだから…。
【表6】小川淳司監督通算成績
おわりに〜2015シーズンに向けて
ナーブソン,カーペンターの両外国人投手と阿部健太,山本斉,押本健彦,真田,新田玄気,岩村明憲,野口祥順,又野知弥,育成の佐藤貴規が退団。
ドラフト会議では高校生・安楽智大(済美高→東北楽天)の競合に外れると,即戦力の社会人竹下真吾(ヤマハ)に指名方針を切り換え,風張蓮(東農大北海道オホーツク),寺田哲也(四国IL・香川),中元勇作(伯和ビクトリーズ),土肥寛昌(ホンダ鈴鹿),育成中島彰吾(福岡工大)と8人中6人を社会人・大学・独立リーグ出身の投手で固めた。野手の指名は捕手の山川晃司(福岡工大城東)と外野手の原泉(第一工大)の2名。
そして何より球団史上初めてFA選手を2名獲得した。まずは北海道日本ハムから遊撃の守備力に定評のある大引啓次を獲得。さらには千葉ロッテから2009年から4年連続で2桁勝利を挙げ,通算90勝の左腕成瀬善久の獲得にも成功した。これに伴う人的補償はなく,相川の移籍で手薄になっていた捕手を補うべく巨人から戦力外通告を受けていた井野卓が入団。
年内決着とはならなかったが,レッズからFAとなっていたメジャー通算281試合登板,21勝11敗2セーブを誇る203cmの長身右腕ローガン・アンドルセクとも大筋契約合意したもようだ。相川の人的補償も求める方向で年明けには決着がつきそう。
小川監督の腹心であった佐藤真一作戦兼打撃コーチ,さらに城石憲之内野守備走塁コーチ,小野公誠バッテリーコーチが退団。
真中監督をサポートするコーチ陣は,ヘッド格の作戦(兼内野守備走塁)コーチに三木肇二軍内野守備走塁コーチが昇格。高津臣吾,伊藤智仁両投手コーチは留任。新任だった高津コーチは春先投手陣再編に苦労したが,石山,秋吉,中澤らの配置転換がようやく終盤になって形になってきただけに2年目は防御率の改善に着手してほしいもの。山田との師弟コンビも大きく取り上げらられた杉村繁打撃コーチはチーフ打撃コーチに。宮出隆自二軍打撃コーチが一軍に昇格し来季は一塁ベースコーチを務める。三塁ベースコーチとして的確な指示を見せてくれた福地寿樹外野守備走塁コーチ。バッテリーコーチには野村克則二軍バッテリーコーチが昇格。一気に若返る捕手陣にどうリードを教育していくのか見もの。
ファームは伊東昭光二軍監督。山部太,石井弘寿投手コーチに加え,社会人・東京ガスから成本年秀チーフ投手コーチが新たに就任。池山隆寛打撃コーチは将来的な視野もあるか野手総合コーチという立場に。斉藤宜之打撃コーチはスカウトからの異動となった。9年ぶり復帰となった水谷新太郎内野守備走塁コーチ。土橋勝征外野守備走塁コーチ。伊勢孝夫チーフ打撃コーチは年齢を考慮してかバッティングアドバイザーという肩書に。バッテリーコーチには韓国・三星から芹澤裕二コーチが招聘された。
2015年は親会社のヤクルト本社にとって創業80周年の節目の年。1970年にヤクルト本社が球団経営権を取得してから3年連続最下位はおろか,丸15年間優勝から遠ざかったことも皆無だ。
優勝から遠ざかる事14年―そのリミットとなる年に最下位から一気に頂点まで羽ばたくことができるだろうか。
1994年広沢克己(→巨人)2000年川崎憲次郎(→中日)ヤクルトからセ・リーグ他球団にFA移籍があった翌年のスワローズはいずれも優勝しているジンクス。
1987年阿波野秀幸(近鉄)2001年赤星憲広(阪神)と最下位から新人王を輩出した2年後にチームが優勝しているジンクス1997年小坂誠(ロッテ)という例もありますがそもそもロッテはレギュラーシーズン1位での優勝は1970年以降無いし…。
2年連続最下位からの逆襲―ヤクルト本社創業80周年&真中新監督船出イヤーの2015年。大いに期待しようじゃないか。
参考資料
『週刊ベースボール』第69巻 第68号 通産3292号,ベースボールマガジン社,2014.12
日刊スポーツ 第24637号,日刊スポーツ新聞社,2014.12.11
「ニッカンスコア速報」
http://www.nikkansports.com/baseball/professional/schedule/2014/s201403.html
http://www.nikkansports.com/baseball/professional/schedule/2014/s201404.html
http://www.nikkansports.com/baseball/professional/schedule/2014/s201405.html
http://www.nikkansports.com/baseball/professional/schedule/2014/s201406.html
http://www.nikkansports.com/baseball/professional/schedule/2014/s201407.html
http://www.nikkansports.com/baseball/professional/schedule/2014/s201408.html
http://www.nikkansports.com/baseball/professional/schedule/2014/s201409.html
http://www.nikkansports.com/baseball/professional/schedule/2014/s201410.html
昨シーズン限りで現役引退した宮本慎也氏に,スワローズは「決して明るい未来ではない」と苦言を呈された。オフの補強は2年ぶりの日本復帰となる真田裕貴,新外国人クリス・ナーブソン,クリス・カーペンターの3名のみ。シーズン前の評論家諸氏の順位予想では,ほぼ全員に”最下位”と予想された。
それでも故障者の復帰が最大の補強という淡い期待感はあった。ところがキャンプでドラフト1位ルーキー杉浦稔大が右肘内側側副靱帯断裂し離脱。4月2日広島戦(マツダ)で守護神トニー・バーネットがベースカバーの際に左膝後十字靱帯を部分断裂。右肘靭帯再建手術から復活を目指していた館山昌平は4月5日イースタン巨人戦(戸田)で1球投じたところで降板。検査の結果右肘関節外側滑膜ヒダ・骨棘切除術,前腕屈筋腱縫合術,内側側副靭帯再建手術に踏み切り今季絶望。
4月6日阪神戦(神宮)では村中恭兵が腰に張りを訴え翌日に登録抹消。そして昨季最多勝と新人王を獲得し開幕投手にも指名された小川泰弘が4月18日阪神戦(甲子園)で阪神・鳥谷敬の打球を腕に受け右手有鉤骨鉤骨折。6月にはバーネットに代わりストッパーを務めていたオーランド・ロマンが右肘変形性肘関節症の手術のため渡米。4月10日に腰椎椎間板ヘルニア摘出手術を受けた田川賢吾のほか,平井諒が右肩クリーニング手術,金伏ウーゴが左肘内側側副靭帯再建術手術,育成枠の中根佑二が右膝十字靭帯損傷靭帯再建手術からのリハビリでいずれも一年間ファーム含め実戦登板無く終わるなど投手の絶対的な頭数が不足しており,投壊はもはや避けては通れなかった。
リーグワーストの防御率4.62,失点717はともにリーグワースト。2年連続最下位という結果は当然といわれても止む無しか。先発陣の防御率4.64,救援投手陣の防御率4.58と援護をもらっても投手陣が守りきれない試合が目立った。交流戦前の6連勝で4位まで浮上したがあとは5位6位を彷徨うばかり。7月11に最下位に転落すると以後一度も這い上がることなく9月29日に球団史上ワーストタイとなる2年連続最下位が確定。併せて小川淳司監督の退任と真中満新監督誕生の運びとなった。
そんな状況下でも石川雅規はチームで唯一規定投球回数をクリアしかつ自身3年ぶり10度目となる二桁勝利を達成し投手陣を支えてくれた。小川は約3ヶ月の離脱がありながら9勝6敗と3つの貯金を作り,同じく2年目の石山泰稚は7月から先発に配置転換されると,勝ち星にこそ恵まれなかったが適性を感じさせる投球内容を披露。開幕ローテーション入りした秋吉亮も勝ちパターンの起用に落ち着きルーキーながら61試合に登板し19ホールドをマーク。中澤雅人も8月以降中継ぎとして23試合で防御率1.80という数字を残した。9月に入ってようやく一軍初登板を果たした杉浦も4試合に先発し2勝を挙げるという潜在能力の高さを示した。八木亮祐は昨年と同じ5勝ではあったが,負け数を13→6に減らした。7月5日広島戦(マツダ)では岩橋慶侍が,9月3日中日戦(神宮)で徳山武陽が嬉しいプロ初勝利を挙げた。また5月3日対阪神戦(神宮)では久古健太郎がプロ野球史上2人目となる打者0での勝利投手に,9月5日巨人戦(神宮)では七條佑樹が自身719日ぶりとなる白星をプロ初の完投勝利で飾りお立ち台で涙した。
昨年の経験を糧に一年間通しての活躍が期待された木谷良平と古野正人だったが,それぞれ4勝と3勝,赤川克紀は2年連続未勝利。江村将也は左肘の状態が思わしくなく19試合の登板に終わった。山本哲哉は3年連続50試合以上登板も防御率を3.55と大きく下げてしまった。松岡健一も先発から中継ぎに再転向させられるなど苦しいシーズンとなった。佐藤由規,大場達也,児山祐斗は一軍での登板は無かった。
一方で攻撃陣はリーグ最高いや球団史上最強ともいえる布陣となった。
その筆頭が日本人右打者最多安打記録を更新した山田哲人だ。193安打,29本塁打,15盗塁。190安打以上はプロ野球史上16人目,22歳シーズンでの到達は1994年イチロー(オリックス)の21歳に次ぐ年少記録。4月から9月まで6ヶ月連続先頭打者本塁打というのはプロ野球初の珍記録となった。
1番打者の山田に牽引され,8月には球団記録を更新する8試合連続2桁安打,プロ野球タイ記録となる8試合連続7得点以上も成し遂げた。山田のほか,高井雄平(.316),畠山和洋(.310),川端慎吾(.305),ウラディミール・バレンティン(.301)と規定打席に達した5人全員が打率3割以上。松元ユウイチの代打成績も.317と高いものだった。チーム打率も昨年の.253から.279に,総得点も577から667へと大幅にアップしている。開幕4番を務めながら右肩関節上方関節唇損傷手術のため10試合の出場で帰国したラスティングス・ミレッジ不在など全く感じさせない陣容だった。
それでもチームの勝利に結びつかなかったのには,投手陣の弱さとともに守備力の低さにも一因があった。守備率(.982)と失策数(97)はいずれもリーグワースト2位。守備位置別で見ると,二塁手・山田が2位の13失策。三塁手・川端が1位タイの14失策。遊撃手森岡良介が4位タイの10失策。外野手も雄平,上田剛史がともに1位タイの7失策。比屋根渉は56試合の出場で5失策。飯原誉士の最終戦で犯したシーズン唯一の失策もあまりに印象が悪かった。薄暮で打球を見失ったり,クッションボールを誤ったり,他の野手との連携ミスによって進塁を許してしまうという記録に表れないミスが多く目立った。
またセンターラインの一角である遊撃手は,西浦直亨が開幕スタメンの座を射止めたものの打力不足もあって,森岡,開幕直後日本ハムから増渕竜義とのトレードで獲得した今浪隆博,荒木貴裕,川島慶三(7月に新垣渚,山中浩史との交換トレードで,日高亮とともにソフトバンクへ移籍),谷内亮太とのべ6選手が入れ替わりでスタメン起用されたが,シーズン通して固定とはいかなかった。
捕手では中村悠平がスタメンマスクを92試合任され自己最多となる99試合に出場。相川亮二は47試合に留まり「横一線で競争できる環境」を求めてFA移籍を決断した。シーズン終盤には西田明央も5試合起用され9/24広島戦(神宮)ではプロ初本塁打を放つなど台頭をアピールした。他に一軍でマスクを被ったのは複数ポジションをこなせる藤井亮太のみで,田中雅彦,星野雄大には一軍登録がなかった。
田中浩康は山田にセカンドのポジションを完全に奪われた形となり,ファーストあるいはサードでの出場機会を窺った。武内晋一は55試合,三輪正義は4年ぶりに50試合以下となる32試合,昨年開幕スタメンを勝ち取った松井淳は10試合の出場に留まった。川ア成晃はファーム8位の打率.294でイースタン・リーグ優秀選手賞を受賞。2011年ドラフト1位川上竜平は3年目を迎えたが未だ一軍登録すら叶わない状態でいる。
【表1】セ・リーグ順位表
順位 | チーム | 試合 | 勝数 | 敗数 | 引分 | 勝率 | 勝差 | 得点 | 失点 | 本塁打 | 盗塁 | 打率 | 防御率 |
1 | 巨 人 | 144 | 82 | 61 | 1 | .573 | 596 | 552 | 144 | 102 | .257 | 3.58 | |
2 | 阪 神 | 144 | 75 | 68 | 1 | .524 | 7.0 | 599 | 614 | 94 | 55 | .264 | 3.88 |
3 | 広 島 | 144 | 74 | 68 | 2 | .521 | 0.5 | 649 | 610 | 153 | 96 | .272 | 3.79 |
4 | 中 日 | 144 | 67 | 73 | 4 | .479 | 6.0 | 570 | 590 | 87 | 75 | .258 | 3.69 |
5 | DeNA | 144 | 67 | 75 | 2 | .472 | 1.0 | 568 | 624 | 121 | 76 | .253 | 3.76 |
6 | ヤクルト | 144 | 60 | 81 | 3 | .426 | 6.5 | 667 | 717 | 139 | 62 | .279 | 4.62 |
巨人が3連覇を果たしたシーズンではあったが,昨年までの圧倒的な戦力は感じなかった。打撃10傑に入った選手は皆無。阿部慎之介は打率.248。最優秀防御率を獲得しMVPにも輝いた菅野智之が途中離脱し,内海哲也も7勝止まり。スコット・マシソン,山口鉄也,西村健太朗のいわゆる勝利の方程式も鉄壁には程遠かった。それでも勝ててしまう総合力,負けない強さを感じさせた1年だった。
とりわけ接戦の試合終盤で起用される鈴木尚広の起用法が見事だった。42回の代走起用のうち23回生還し,その際の勝率は22勝1敗という強烈な印象を残させた。ここから学ぶべきものが他球団にもあるはずだ。【表1】
チーム成績
【表2-1】チーム月別成績
通産 | |||||||||||||
月 | 試合 | 勝数 | 負数 | 引分 | 勝率 | 順位 | 打率 | 本塁 | 得点 | 失点 | 防御 | 勝率 | 順位 |
3 | 2 | 1 | 1 | 0 | .500 | 3 | .351 | 2 | 13 | 6 | 3.00 | .500 | 3 |
4 | 25 | 8 | 17 | 0 | .320 | 5 | .273 | 30 | 128 | 152 | 5.74 | .333 | 5 |
5 | 25 | 13 | 11 | 1 | .542 | 1 | .309 | 28 | 145 | 117 | 4.45 | .431 | 5 |
6 | 16 | 7 | 8 | 1 | .467 | 4 | .255 | 8 | 68 | 80 | 4.41 | .439 | 5 |
7 | 22 | 6 | 16 | 0 | .273 | 6 | .272 | 15 | 72 | 112 | 4.72 | .398 | 6 |
8 | 25 | 14 | 11 | 0 | .560 | 3 | .291 | 33 | 137 | 124 | 4.67 | .434 | 6 |
9 | 25 | 9 | 15 | 1 | .375 | 6 | .261 | 21 | 91 | 106 | 4.05 | .423 | 6 |
10 | 4 | 2 | 2 | 0 | .500 | 4 | .248 | 2 | 13 | 20 | 3.25 | .426 | 6 |
月別成績を見ると4月の防御率が5.74。25試合で失点152ということでは1試合平均6.08点奪われた計算となる。ペナントレースを戦う上で序盤で躓くとやはり厳しくなる。それでも5月は月間首位と意地を見せた。5月,8月と勝ち越した月はチーム打率も高い。やはり打ち勝つしかなかった一年だった。【表2-1】。
【表2-2】チーム成績 ※()はリーグ順位
試合 | 勝数 | 負数 | 引分 | 勝率 | 勝差 | 順位 | 得点 | 失点 | 本塁打 | 盗塁 | 打率 | 防御率 | |
2014 | 144 | 60 | 81 | 3 | .426 | 21.0 | 6 | 667(1) | 717(6) | 139(3) | 62(5) | .279(1) | 4.62(6) |
2013 | 144 | 57 | 83 | 4 | .407 | 28.5 | 6 | 577(3) | 682(5) | 134(2) | 70(4) | .253(4) | 4.26(5) |
2012 | 144 | 68 | 65 | 11 | .511 | 20.0 | 3 | 499(2) | 514(5) | 90(2) | 63(4) | .260(1) | 3.35(5) |
2011 | 144 | 70 | 59 | 15 | .543 | 2.5 | 2 | 484(1) | 504(5) | 86(3) | 43(5) | .244(3) | 3.36(5) |
2010 | 144 | 72 | 68 | 4 | .514 | 6.5 | 4 | 617(3) | 621(3) | 124(3) | 66(4) | .268(2) | 3.85(2) |
2009 | 144 | 71 | 72 | 1 | .496 | 22.0 | 3 | 548(3) | 606(5) | 116(4) | 106(1) | .259(2) | 3.97(5) |
2008 | 144 | 66 | 74 | 4 | .471 | 17.5 | 5 | 583(2) | 569(4) | 83(5) | 148(1) | .266(4) | 3.75(4) |
2007 | 144 | 60 | 84 | 0 | .417 | 20.5 | 6 | 596(3) | 623(4) | 139(2) | 66(2) | .269(2) | 4.07(5) |
2年連続最下位とはいえ,首位とのゲーム差は28.5→21.0と7.5差縮まっている。2012年は3位ながら首位巨人と20.0差離されていたのだから,それと比べてもリーグ間の戦力差は縮まりつつある。打率(.279),得点(667)ともにリーグトップ。防御率(4.62),失点(717)ともにリーグワースト。とにかく今年はこの数字に尽きるのだろう。【表2-2】。
【表3】チーム別対戦成績
巨 人 | 阪 神 | 広 島 | 中 日 | DeNA | ソフト | オリク | 日ハム | ロッテ | 西 武 | 楽 天 | 計 | |
試合 | 24 | 24 | 24 | 24 | 24 | 4 | 4 | 4 | 4 | 4 | 4 | 144 |
勝利 | 11 | 11 | 8 | 12 | 8 | 1 | 3 | 1 | 1 | 2 | 2 | 60 |
敗戦 | 13 | 13 | 16 | 11 | 16 | 2 | 1 | 2 | 3 | 2 | 2 | 81 |
引分 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | 1 | 0 | 1 | 0 | 0 | 0 | 3 |
得点 | 120 | 133 | 102 | 107 | 81 | 22 | 17 | 20 | 29 | 27 | 9 | 667 |
失点 | 106 | 131 | 140 | 102 | 107 | 23 | 12 | 27 | 31 | 26 | 12 | 717 |
安打 | 256 | 260 | 231 | 210 | 202 | 45 | 30 | 43 | 50 | 41 | 33 | 1401 |
本塁 | 25 | 23 | 23 | 28 | 22 | 5 | 1 | 3 | 3 | 5 | 1 | 139 |
三振 | 134 | 158 | 144 | 136 | 146 | 42 | 31 | 29 | 19 | 20 | 18 | 877 |
四球 | 78 | 86 | 64 | 69 | 57 | 11 | 13 | 22 | 13 | 16 | 14 | 443 |
死球 | 3 | 10 | 7 | 5 | 4 | 1 | 1 | 2 | 0 | 1 | 1 | 35 |
併殺 | 17 | 12 | 22 | 18 | 27 | 1 | 0 | 6 | 1 | 2 | 6 | 112 |
盗塁 | 9 | 11 | 12 | 10 | 8 | 2 | 5 | 0 | 0 | 2 | 3 | 62 |
失策 | 15 | 16 | 14 | 16 | 16 | 1 | 4 | 5 | 5 | 1 | 4 | 97 |
打率 | .294 | .309 | .272 | .265 | .249 | .287 | .226 | .295 | .325 | .285 | .258 | .279 |
防御 | 3.91 | 5.02 | 5.52 | 4.00 | 4.21 | 5.08 | 2.50 | 5.92 | 7.07 | 6.69 | 3.09 | 4.62 |
巨人と阪神にそれぞれ1つの負け越し。中日に1つの勝ち越し。交流戦はトータルで2つの負け越し。これだけ切り取るとそこまで極端に悪い成績ではない。広島とDeNAにそれぞれ8つずつ負け越し,2チームから”お客さん”扱いされてしまっては最下位という順位は必然といえる。仮にDeNAとの対戦成績が12勝12敗であったなら,最終勝率はヤクルト.454,DeNA.444となり順位が逆転した計算になる。また今季のDeNA戦は予め8カード中7カードが金土日月に組まれており,井納翔一とモスコーソがともに対ヤクルト戦に7試合ずつ先発登板。計3勝9敗と完全にカモにされてしまったことも大きく影響しただろうか。【表3】。
【表4】守備成績
チーム | 守備率 | 試合 | 守機備会 | 刺殺 | 補殺 | 失策 | 併殺 | 捕逸 | |
参加 | 球団 | ||||||||
巨 人 | .987 | 144 | 5666 | 3919 | 1676 | 71 | 335 | 123 | 5 |
中 日 | .986 | 144 | 5522 | 3880 | 1567 | 75 | 405 | 149 | 10 |
阪 神 | .98413 | 144 | 5359 | 3846 | 1428 | 85 | 316 | 112 | 4 |
広 島 | .98410 | 144 | 5600 | 3851 | 1660 | 89 | 387 | 143 | 5 |
ヤクルト | .982 | 144 | 5468 | 3849 | 1522 | 97 | 367 | 132 | 6 |
DeNA | .979 | 144 | 5561 | 3868 | 1577 | 116 | 391 | 143 | 10 |
守備率(.982)と失策数(97)はいずれもリーグワースト2位。2011年にはリーグトップの守備率.990を誇ったチームだ。守備の重要性は明らかである。【表4】
【表5】交流戦通算成績[2005-2014]
[2005-2006] | [2007-2014] | ||||||||||||||||
試合 | 勝数 | 負数 | 引分 | 勝率 | 勝差 | 試合 | 勝数 | 負数 | 引分 | 勝率 | 試合 | 勝数 | 負数 | 引分 | 勝率 | ||
福岡ソフトバンク | 264 | 155 | 98 | 11 | .613 | 72 | 43 | 28 | 1 | .606 | 192 | 112 | 70 | 10 | .615 | ||
巨 人 | 264 | 140 | 115 | 9 | .549 | 16.0 | 72 | 31 | 37 | 4 | .456 | 192 | 109 | 78 | 5 | .583 | |
千葉ロッテ | 264 | 137 | 113 | 14 | .548 | 0.5 | 72 | 47 | 24 | 1 | .662 | 192 | 90 | 89 | 13 | .503 | |
北海道日本ハム | 264 | 139 | 116 | 9 | .545 | 0.5 | 72 | 29 | 41 | 2 | .414 | 192 | 110 | 75 | 7 | .595 | |
中 日 | 264 | 133 | 122 | 9 | .522 | 6.0 | 72 | 35 | 36 | 1 | .493 | 192 | 98 | 86 | 8 | .533 | |
オリックス | 264 | 128 | 128 | 8 | .500 | 5.5 | 72 | 29 | 40 | 3 | .420 | 192 | 99 | 88 | 5 | .529 | |
埼玉西武 | 264 | 129 | 131 | 4 | .496 | 1.0 | 72 | 37 | 34 | 1 | .521 | 192 | 92 | 97 | 3 | .487 | |
阪 神 | 264 | 126 | 128 | 10 | .496 | 0.0 | 72 | 42 | 28 | 2 | .600 | 192 | 84 | 100 | 8 | .457 | |
東京ヤクルト | 264 | 124 | 134 | 6 | .481 | 4.0 | 72 | 42 | 30 | 0 | .583 | 192 | 82 | 104 | 6 | .441 | |
東北楽天 | 264 | 117 | 143 | 4 | .450 | 8.0 | 72 | 28 | 44 | 0 | .389 | 192 | 89 | 99 | 4 | .473 | |
広 島 | 264 | 105 | 149 | 10 | .413 | 9.0 | 72 | 27 | 44 | 1 | .380 | 192 | 78 | 105 | 9 | .426 | |
横浜DeNA | 264 | 102 | 156 | 6 | .395 | 5.0 | 72 | 34 | 38 | 0 | .472 | 192 | 68 | 118 | 6 | .366 |
2007年から続いてきた各カード4試合(ホーム,ビジター各2試合)の計24試合制度が,来シーズンから各カード3試合となり,隔年で本拠地と敵地で3連戦を戦う形に変更される。3連戦と変則的2連戦では戦い方にも影響を与えるのだろうか。原則3連戦だった2005-2006年の方が2007-2014年と比較して勝率が1割以上高いチームはロッテ,阪神,ヤクルト,DeNAの4球団。ヤクルトにとって試合数の変更が交流戦アレルギー克服のキッカケとなるか注目したいところ。【表5】
小川監督への感謝
例年気になった視点からのデータ検証をしてきたが,今年に関してはここをどうにかしてもどうなるものではないレベルの試合が続いたし,先にも述べたように守備での記録に表れないミスがあまりに目立ったことが最下位の原因であると思うので,今年は小川監督への謝辞をもって締めくくりとしたい。
2010年5月26日。あまりに突然の監督代行就任だった。球団幹部からの急な要請に責任はヘッドコーチの自分にもある。なにより自分は監督の器ではないと断ったそうだが,「誰かが監督をやらないといけないんだ」と強い口調で返されたことで受諾したと言われている。12球団一地味で目立たない監督。かくいう自分も就任当初はこう思った。ところが就任後からチームの雰囲気がガラリと変わった。
試合でミスをすればベテランでも降格。外国人も結果がでなければスタメンから外す。それまで出場機会に恵まれなかった選手の抜擢。勝てば選手の手柄,負ければ監督の責任。その姿勢は一貫していた。
さらにはそれまで14勝41敗1分の借金27で”犬”とまで揶揄された巨人相手に,同じメンバーで戦って8勝7敗1分と勝ち越した。59勝36敗3分と脅威の成績。既定路線と見られていた荒木大輔投手コーチ(当時)の監督就任を覆した。それはファンの誰しもが納得する選択であった。
正式に監督に就任した2011年は終盤まで首位を走りながら,土壇場で中日にひっくり返されての2位。翌2013年も3位にはなったが,いずれもクライマックスシリーズで中日に敗れて日本シリーズ進出は叶わなかった。そして2013,2014年は故障者の続出もあって2年連続で最下位。この責任を痛感した小川監督は選手で10年,指導者として19年間背負い続けたスワローズのユニホームに別れを告げた。
監督代行時代も含めて5年間で積み上げた白星の数は314。この数字は野村克也監督(628勝=1990-1998年),若松勉監督(496勝=1999-2005年)に次いで球団歴代3位。2年連続Aクラス入りも,小川監督以外には若松監督(4年連続=2001-2004年),野村監督(3年連続=1991-1993年),広岡達朗監督(2年連続=1977-1978年)しかいない。2011年8月2日対中日戦(ナゴヤドーム)では球団史上最速通算176試合目での監督通算100勝(176試合100勝62敗14分)を達成した。紛れもなく球団史に名を残す名将である。
そんな監督にもシーズンが進むにつれ容赦ない罵声が浴びせられたのは事実だ。それでも2010年に瀕死のチームを救ってくれた小川監督。一度溺れそうになったところを助けてくれた人にそんな声を浴びせられるだろうか?私には出来ない。だからブログ上の采配批判からも逃げてきた。実際今季は試合後の監督談話にもどこか他人事のように感じられることも多々あったが,それでもこの気持ちがあったから感情を露わにするという面に欠けた印象をもたれた事にも納得している。
「やっぱり悔しさかな。2年連続最下位っていう悔しさは当然ありますけど,それと2011年に優勝できなかったっていう悔しさと両方かなぁ」と悔しさを口にした小川監督。それでも決して途中で投げ出さず最後まで戦い抜き次期監督に”代行”という肩書なく託すという小川監督なりの責任の全うの仕方があったようだ。任期途中で投げだす事の功と罪。投げだす事は容易でも途中から任される事の責任の重さ。「辞める方が楽になれるかもしれない。でも最後までやる。オレからは辞めない」―7月10日の朝小川監督はこう報道陣に語ったそうだ。
指揮官が最も印象に残っている試合は監督代行として初めて指揮を執った2010年05月27日楽天戦(神宮)だという。この日最後に綴った「コミュニケーション・風通し・活気。勝利こそ掴めなかったが,止まっていた何かが動き出した気もした。」という一文はいま読み返しても何かグッとくるものがある。個人的には2011年07月07日巨人戦(神宮)。最終回2死満塁カウント2-1から一塁走者相川に代走川本良平を告げサヨナラ勝ちを収めた試合。これほどまでに監督采配の妙を魅せてもらった試合もなかなかない。
小川監督を胴上げするという願いは結局叶うことなく終わってしまったが,山田,川端,雄平といった小川監督の蒔いた種と,出しかけている芽がが大輪の花を咲かせることを願うばかり。監督からシニアディレクターと立場は変われども,自らが蒔いた種は必ず最後まで面倒を見てくれるはずだから…。
【表6】小川淳司監督通算成績
試合 | 勝数 | 負数 | 引分 | 勝率 | 勝差 | 順位 | 得点 | 失点 | 本塁打 | 盗塁 | 打率 | 防御率 | |
2010 | 98 | 59 | 36 | 3 | .621 | * | 4 | 473(2) | 421(2) | 124(3) | 87(3) | .283(2) | 3.86(2) |
2011 | 144 | 70 | 59 | 15 | .543 | 2.5 | 2 | 484(1) | 504(5) | 86(3) | 43(5) | .244(3) | 3.36(5) |
2012 | 144 | 68 | 65 | 11 | .511 | 20.0 | 3 | 499(2) | 514(5) | 90(2) | 63(4) | .260(1) | 3.35(5) |
2013 | 144 | 57 | 83 | 4 | .407 | 28.5 | 6 | 577(3) | 682(5) | 134(2) | 70(4) | .253(4) | 4.26(5) |
2014 | 144 | 60 | 81 | 3 | .426 | 21.0 | 6 | 667(1) | 717(6) | 139(3) | 62(5) | .279(1) | 4.62(6) |
おわりに〜2015シーズンに向けて
ナーブソン,カーペンターの両外国人投手と阿部健太,山本斉,押本健彦,真田,新田玄気,岩村明憲,野口祥順,又野知弥,育成の佐藤貴規が退団。
ドラフト会議では高校生・安楽智大(済美高→東北楽天)の競合に外れると,即戦力の社会人竹下真吾(ヤマハ)に指名方針を切り換え,風張蓮(東農大北海道オホーツク),寺田哲也(四国IL・香川),中元勇作(伯和ビクトリーズ),土肥寛昌(ホンダ鈴鹿),育成中島彰吾(福岡工大)と8人中6人を社会人・大学・独立リーグ出身の投手で固めた。野手の指名は捕手の山川晃司(福岡工大城東)と外野手の原泉(第一工大)の2名。
そして何より球団史上初めてFA選手を2名獲得した。まずは北海道日本ハムから遊撃の守備力に定評のある大引啓次を獲得。さらには千葉ロッテから2009年から4年連続で2桁勝利を挙げ,通算90勝の左腕成瀬善久の獲得にも成功した。これに伴う人的補償はなく,相川の移籍で手薄になっていた捕手を補うべく巨人から戦力外通告を受けていた井野卓が入団。
年内決着とはならなかったが,レッズからFAとなっていたメジャー通算281試合登板,21勝11敗2セーブを誇る203cmの長身右腕ローガン・アンドルセクとも大筋契約合意したもようだ。相川の人的補償も求める方向で年明けには決着がつきそう。
小川監督の腹心であった佐藤真一作戦兼打撃コーチ,さらに城石憲之内野守備走塁コーチ,小野公誠バッテリーコーチが退団。
真中監督をサポートするコーチ陣は,ヘッド格の作戦(兼内野守備走塁)コーチに三木肇二軍内野守備走塁コーチが昇格。高津臣吾,伊藤智仁両投手コーチは留任。新任だった高津コーチは春先投手陣再編に苦労したが,石山,秋吉,中澤らの配置転換がようやく終盤になって形になってきただけに2年目は防御率の改善に着手してほしいもの。山田との師弟コンビも大きく取り上げらられた杉村繁打撃コーチはチーフ打撃コーチに。宮出隆自二軍打撃コーチが一軍に昇格し来季は一塁ベースコーチを務める。三塁ベースコーチとして的確な指示を見せてくれた福地寿樹外野守備走塁コーチ。バッテリーコーチには野村克則二軍バッテリーコーチが昇格。一気に若返る捕手陣にどうリードを教育していくのか見もの。
ファームは伊東昭光二軍監督。山部太,石井弘寿投手コーチに加え,社会人・東京ガスから成本年秀チーフ投手コーチが新たに就任。池山隆寛打撃コーチは将来的な視野もあるか野手総合コーチという立場に。斉藤宜之打撃コーチはスカウトからの異動となった。9年ぶり復帰となった水谷新太郎内野守備走塁コーチ。土橋勝征外野守備走塁コーチ。伊勢孝夫チーフ打撃コーチは年齢を考慮してかバッティングアドバイザーという肩書に。バッテリーコーチには韓国・三星から芹澤裕二コーチが招聘された。
2015年は親会社のヤクルト本社にとって創業80周年の節目の年。1970年にヤクルト本社が球団経営権を取得してから3年連続最下位はおろか,丸15年間優勝から遠ざかったことも皆無だ。
優勝から遠ざかる事14年―そのリミットとなる年に最下位から一気に頂点まで羽ばたくことができるだろうか。
1994年広沢克己(→巨人)2000年川崎憲次郎(→中日)ヤクルトからセ・リーグ他球団にFA移籍があった翌年のスワローズはいずれも優勝しているジンクス。
1987年阿波野秀幸(近鉄)2001年赤星憲広(阪神)と最下位から新人王を輩出した2年後にチームが優勝しているジンクス1997年小坂誠(ロッテ)という例もありますがそもそもロッテはレギュラーシーズン1位での優勝は1970年以降無いし…。
2年連続最下位からの逆襲―ヤクルト本社創業80周年&真中新監督船出イヤーの2015年。大いに期待しようじゃないか。
参考資料
『週刊ベースボール』第69巻 第68号 通産3292号,ベースボールマガジン社,2014.12
日刊スポーツ 第24637号,日刊スポーツ新聞社,2014.12.11
「ニッカンスコア速報」
http://www.nikkansports.com/baseball/professional/schedule/2014/s201403.html
http://www.nikkansports.com/baseball/professional/schedule/2014/s201404.html
http://www.nikkansports.com/baseball/professional/schedule/2014/s201405.html
http://www.nikkansports.com/baseball/professional/schedule/2014/s201406.html
http://www.nikkansports.com/baseball/professional/schedule/2014/s201407.html
http://www.nikkansports.com/baseball/professional/schedule/2014/s201408.html
http://www.nikkansports.com/baseball/professional/schedule/2014/s201409.html
http://www.nikkansports.com/baseball/professional/schedule/2014/s201410.html
2013年12月25日
総括2013―6年ぶりの最下位
はじめに
小川淳司監督就任3年目のシーズンは借金26で2007年以来6年ぶりに最下位に終わったが,ウラディミール・バレンティンがリーグMVPを,ルーキーの小川泰弘が新人王を獲得。投打2人が記録をつくるもチーム成績につながらなかった1年となった。
バレンティンは開幕前のWBCにオランダ代表として出場した際に左内転筋の肉離れを起こし開幕には間に合わなかった。開幕13試合目となる4月12日巨人戦(東京ドーム)からチームに合流した。この時点で横浜DeNAトニー・ブランコは6本の本塁打を放っていたが,バレンティンの猛追が始まる。復帰3試合目までヒット1本だったが,4試合目の4月16日中日戦(神宮)で1号2号を連発。29日DeNA戦(横浜)では春先恒例のハマスタ3連発を放つなど4月に8本。5月末には7本差あったが,6月に4本のブランコに対し,バレンティンは11本放ちついに並ぶ。7月2日のDeNA戦(平塚)で追い抜くとその後はバレンティンの独り舞台。9月11日広島戦(神宮)に55号を放ち,1964年王貞治(巨人),2001年タフィー・ローズ(大阪近鉄),2002年アレックス・カブレラ(西武)のもつ日本記録に並ぶと,4日後の9月15日阪神戦(神宮)で56号,57号を連発し日本記録を樹立。最終的にはシーズン60本で本塁打王のタイトルを獲得した。
小川はプロ初登板の4月3日広島戦(マツダスタジアム)で7回2死まで2失点(自責0)でプロ初登板初勝利を挙げると,4月は3勝0敗。アメリカ大リーグ往年の名投手ノーラン・ライアンを参考にしたという左足を高く上げる豪快なフォームがたちまち話題となった。5月2勝1敗,6月3勝1敗。6月15日オリックス戦(京セラドーム大阪)から8月3日広島戦(神宮)にかけてはすべて土曜日に登板し,完封2を含む7連勝。6月22日広島戦(マツダスタジアム)の7勝目は,開幕63試合目にしてチーム初完投勝利。7月13日広島戦(神宮)の10勝目は,セ・リーグでは1999年上原浩治(巨人)以来14年ぶりのルーキー10勝1番乗りとなった。9月7日まで白星から見放されたが,その後4勝を挙げ終わってみれば16勝4敗で最多勝と最高勝率のタイトルを獲得。ルーキーの15勝以上は史上13人目,最多勝はセ・リーグで4人目。
同じくルーキーの石山泰稚も60試合に登板し3勝3敗10セーブ。新人投手で60試合以上登板はセ・リーグ9人目という働きを見せてくれた。
19年間の長きにわたりチームを支えてきた宮本慎也が現役引退を発表。通算2162試合出場は球団史上1位,2133安打は若松勉の2173に次ぐ球団史上2位となった。
開幕投手を務めた館山昌平が,2試合目の登板となった4月5日DeNA戦(神宮)の試合中に右肘に痛みを訴え降板。右肘靭帯再建手術を受けることになり今シーズン中の復帰は絶望となった。館山と同じ日に中継ぎの日高亮も左肩痛で抹消されている。4月6日DeNA戦(神宮)では相川亮二がホームベース上でブランコの強烈なタックルを受け左肩鎖関節亜脱臼。4月17日中日戦(神宮)では打球を追った高井雄平が右膝前十字靭帯を断裂。平井諒は右肩痛を訴えクリーニング手術を受け実戦復帰まで半年を要することに。5月12日阪神戦(松山)では開幕直前に川本良平との交換トレードで移籍してきた田中雅彦がマット・マートンのタックルを受け左鎖骨骨折。交流戦を前にヤ戦病院は深刻化していた。
開幕スタメンを果たした松井淳は6月2日ファーム巨人戦(戸田)で死球を受け左前腕部骨折。金伏ウーゴもシーズン途中に左肘内側側副靭帯再建術手術を受けた。前年右肘靭帯再建手術を受けた山本斉はファームでの実戦復帰にとどまった。
交流戦期間中の6月9日に早くも自力優勝の可能性が消滅。前半戦を1986年以来実に27年ぶり最下位で折り返すと,その後もなかなか波に乗れないチームは結局1度の月間勝ち越しすらないまま,10月1日に6年ぶりの最下位が確定した。
誤算を挙げればきりがないが,前年セーブ王に輝いた守護神トニー・バーネットが不安定な投球から救援失敗を繰り返し,館山に代わるローテーションを期待し獲得したクリス・ラルーは5試合に先発登板し0勝2敗,防御率9.00と散々な結果に終わり,前年9勝のオーランド・ロマンも起用法が一貫せず3勝止まり。5年続けて50試合以上に登板してくれた押本健彦も勤続疲労か本来の投球内容に程遠く,スワローズ移籍後最少となる26試合の登板に終わってしまった。
ドライチ4兄弟は村中恭平の挙げた5勝のみ。赤川克紀は勝ち星なしに終わり,増渕竜義は中継ぎで5試合に登板しただけ。佐藤由規は4月11日に右肩のクリーニング手術を受けたため今年も実戦登板なし。中澤雅人,七條祐樹も登録と抹消を繰り返すばかりで一軍定着はならなかった。
野手では川端慎吾がキャンプ早々に脊柱起立筋肉離れでリタイア。回復が思わしくなく4月22日には左足首関節の手術を受け,実戦復帰は7月にずれ込んだ。それと入れ替わるかのようにラスティングス・ミレッジが8月7日中日戦(ナゴヤドーム)で打球を追った際着地に失敗し左脹脛肉離れで離脱。畠山和洋は左内腹斜筋肉離れ,武内晋一も右膝蓋骨骨折でシーズン途中離脱した。正捕手が期待された中村悠平は大きな怪我こそなかったものの,再調整で二軍落ちを命ぜられるなどプロの壁にぶつかり,結局一年間登録抹消の無かった選手は自己最多の64試合に登板し,25ホールドをマークした山本哲哉と森岡良介の2人のみだった。
こうしたチーム状況下で新たな戦力も芽生えた。5年目の八木亮祐が7月2日DeNA戦(平塚)でプロ初完封勝利を挙げるなど,1年間通してローテーションを守った。7月3日DeNA戦(横浜)では阿部健太が大阪近鉄時代の2003年9月14日以来,国内のみでは史上最長となる3580日ぶりの勝利投手となった。4月23日広島戦(神宮)で江村将也,7月12日広島戦(神宮)で木谷良平,8月6日中日戦(浜松)で古野正人がそれぞれ嬉しいプロ初勝利を挙げた。9月3日巨人戦(富山)では支配下登録された徳山武陽があと1アウトでプロ初勝利を逃したが,巨人相手に見事な投球を見せた。10月2日巨人戦(東京ドーム)では松岡健一がプロ入り9年目で初完投初完封勝利を成し遂げた。久古健太郎も後半に入りようやく安定感を取り戻してきた。大場達也は4月17日中日戦(神宮)でプロ初登板を果たした。
野手では4月25日広島戦(神宮)で三輪正義がプロ初打点となるサヨナラタイムリーを放った。新田玄気5月15日埼玉西武戦(神宮),比屋根渉5月18日千葉ロッテ戦(神宮),荒木貴裕6月27日DeNA戦(神宮),上田剛史7月13日広島戦(神宮)がそれぞれプロ初本塁打を,川崎成晃4月21日阪神戦(甲子園),西田明央5月20日東北楽天戦(クリネックス宮城),谷内亮太8月28日DeNA戦(神宮)がそれぞれプロ初出場を果たした。
4月7日DeNA戦(神宮)で7年ぶりに復帰した岩村明憲がお立ち台に,右肘手術から2年ぶりに一軍復帰した川島慶三も101試合に出場し,堅実な守備を随所で見せてくれた。山田哲人はセカンドのレギュラーポジションを与えられ,松元ユウイチは終盤44試合の出場ながら打率.301と好調をキープ,飯原誉士も復調気配を見せた。
9月21日阪神戦(甲子園)で藤本敦士が史上459人目,9月29日DeNA戦(神宮)で田中浩康が史上461人目の通算1000試合出場。5月28日オリックス戦(神宮)で相川が史上272人目の通算1000本安打。9月24日巨人戦(神宮)で石川雅規が史上86人目の通算2000投球回記録をそれぞれ達成した。
田川賢吾,星野雄大,川上竜平,又野知弥,野口祥順は一軍登録無く終わった。【表1】
【表1】チーム月別成績
チーム成績
今年も巨人の圧倒的な強さのみが際立ったシーズンとなった【表 2-1】。
【表2-1】セ・リーグ順位表
シーズン途中に2011年度より12球団で採用されてきた統一球が,これまでとは異なる反発係数のボールにすり替えられ開幕から使用されていたことが発覚した。この影響は少なからずあるため,失点,防御率ともに3年連続リーグ5位といっても,過去2年間とは一概に比較できないが,前回最下位だった2007年と比べても,失点が+59,防御率も+0.19と投手成績は悪化したことは否めないだろう。打撃面に関してはバレンティンが引っ張ってくれた部分も大きいが,後述したいと思う。【表 2-2】
【表2-2】チーム成績 ※()はリーグ順位
本拠地神宮球場では31勝32敗1分,勝率.492ながら,神宮以外では26勝51敗3分,勝率.338。東京ドームでは9試合1勝8敗,勝率.111。1999年以来15年連続負け越し。投手陣は神宮での防御率が4.21に対し神宮以外で4.31と大差なかったが,神宮で.280に対し他球場で.231。神宮球場以外の20球場で打率1割台が8球場もあった。
対埼玉西武戦9連敗,西武ドーム10連敗,西武主催試合11連敗と西武アレルギーが年々深刻化している。【表3】
【表3】チーム別対戦成績
守備率もここ5年間上位をキープしていたが,5位に転落した。【表4】
【表4】守備成績
交流戦に関しては,2010年以降35勝57敗4分と大きく負け越しており,とうとう通算成績でも9位にまで転落してしまった。【表5】
【表5】交流戦通算成績[2005-2013]
検証2013−2番手以降を攻略できない打線
今季577得点を試合毎に,先発投手から奪った得点と,2番手以降から奪った得点とに分けてみた。字数の都合で全ては省略するが,相手投手の防御率に換算すると先発投手が4.35,2番手以降が3.46であった。
このうち,先発投手降板時の勝敗と最終的な勝敗とを比べて逆転があったものを以下に時系列に抽出する。【表6】。
【表6】得点内訳(先発投手と2番手以降)
先発降板時ビハインドから勝利したのが3試合(※逆転勝ち)。先発降板時同点から勝利したのが6試合(※勝ち越し)。先発降板時リードから敗れたのが13試合(※逆転負け)。先発降板時同点から敗れたのが6試合(※負け越し)。先発降板時リードから引き分けに終わったのが3試合(※逃切失敗)というデータが抽出された。
このうち逆転負け13試合では,先発投手から501/3回で51得点(防御率9.13)と打ち崩しておきながら,2番手以降からは72回2/3回で12得点(防御率1.49)と完全に打線の勢いを相手中継ぎ投手に封じられている。さらに2番手以降から1点も奪えなかった試合は66試合もあった。
DeNA戦が10試合。6月27日(神宮)が典型です。何を言いたいか。お分かりいただけますでしょうか。
おわりに〜2014シーズンに向けて
大黒柱である宮本が引退した。そしてその宮本に最下位なのに「全く補強をしない」と様々な方面で苦言を呈された。
太田裕哉,松井光介,藤田太陽,正田樹,ラファエル・フェルナンデス,水野祐希,水田圭介,楠城祐介が退団し,ドラフトで杉浦稔大(國學院大)西浦直亨(法政大)秋吉亮(パナソニック)岩橋慶侍(京都産業大)児山祐斗(関西高)藤井亮太(シティライト岡山)の6名を指名した。
2年ぶりの日本復帰となる真田裕貴と,ラルーに代わる外国人クリス・カーペンターの獲得が発表されたのみで,支配下選手は現状65名である。育成選手として新たに契約を結び直した佐藤貴規,中根佑二の支配下選手登録の可能性を加味しても,まだ3枠は補強に費やせるはずである。球団フロントの姿勢を問いただしたい。
一方でコーチ人事は大幅に刷新されることになった。荒木大輔投手コーチ,飯田哲也外野守備走塁コーチ,加藤博人二軍投手コーチが退団。中西親志バッテリーコーチ,松井優典二軍育成コーチがフロントに転出された。
4年ぶりに設けられたヘッドコーチに佐藤真一作戦兼打撃コーチが就任。投手コーチには高津臣吾氏が7年ぶりにスワローズに復帰。5年ぶりにファームを優勝に導いた真中満二軍監督はチーフ打撃コーチに昇格し,同じくファームから杉村繁打撃コーチ,福地寿樹外野守備走塁コーチ,小野公誠バッテリーコーチがそれぞれ昇格した。留任は伊藤智仁投手コーチと城石憲之内野守備走塁コーチのみとなる。
ファームは伊東昭光二軍監督以下,山部太,石井弘寿投手コーチ,伊勢孝夫チーフ打撃コーチ,池山隆寛,宮出隆自二軍打撃コーチ,土橋勝征二軍外野守備走塁コーチ。さらには日本ハムより三木肇二軍内野守備走塁コーチを,巨人から野村克則二軍バッテリーコーチをそれぞれ招聘した。全員がスワローズOBで固められたことになる。
例年期待を込め威勢よく締めてきたが,正直「決して明るい未来ではない」と思う。宮本の穴。ピンチになると自然とマウンドに輪が出来,投手は落ち着きを取り戻す。精神的支柱でもあった宮本が後半ベンチを温めるようになり,コーチ兼任の立場からチームに睨みを効かせてくれた。その宮本がチームを去った。
これはあくまで個人的な意見だが,宮本に対し首脳陣には遠慮,選手には委縮する面があったと思う。そうした要素が2014年シーズンどう出てくるかに尽きるのではないかと思う。若手が責任感と自覚をもち率先して行動するようになるのか否か。いわゆる今の子たちが多いだけにそういう要素がどう転じるか。楽しみでもあり不安でもある。いい意味で宮本を見返すくらいの奮起を促したいと思う。
参考資料
『週刊ベースボール』第68巻 第68号 通産3221号,ベースボールマガジン社,2013.12
「ニッカンスコア速報」
http://www.nikkansports.com/baseball/professional/schedule/2013/s201303.html
http://www.nikkansports.com/baseball/professional/schedule/2013/s201304.html
http://www.nikkansports.com/baseball/professional/schedule/2013/s201305.html
http://www.nikkansports.com/baseball/professional/schedule/2013/s201306.html
http://www.nikkansports.com/baseball/professional/schedule/2013/s201307.html
http://www.nikkansports.com/baseball/professional/schedule/2013/s201308.html
http://www.nikkansports.com/baseball/professional/schedule/2013/s201309.html
http://www.nikkansports.com/baseball/professional/schedule/2013/s201310.html
小川淳司監督就任3年目のシーズンは借金26で2007年以来6年ぶりに最下位に終わったが,ウラディミール・バレンティンがリーグMVPを,ルーキーの小川泰弘が新人王を獲得。投打2人が記録をつくるもチーム成績につながらなかった1年となった。
バレンティンは開幕前のWBCにオランダ代表として出場した際に左内転筋の肉離れを起こし開幕には間に合わなかった。開幕13試合目となる4月12日巨人戦(東京ドーム)からチームに合流した。この時点で横浜DeNAトニー・ブランコは6本の本塁打を放っていたが,バレンティンの猛追が始まる。復帰3試合目までヒット1本だったが,4試合目の4月16日中日戦(神宮)で1号2号を連発。29日DeNA戦(横浜)では春先恒例のハマスタ3連発を放つなど4月に8本。5月末には7本差あったが,6月に4本のブランコに対し,バレンティンは11本放ちついに並ぶ。7月2日のDeNA戦(平塚)で追い抜くとその後はバレンティンの独り舞台。9月11日広島戦(神宮)に55号を放ち,1964年王貞治(巨人),2001年タフィー・ローズ(大阪近鉄),2002年アレックス・カブレラ(西武)のもつ日本記録に並ぶと,4日後の9月15日阪神戦(神宮)で56号,57号を連発し日本記録を樹立。最終的にはシーズン60本で本塁打王のタイトルを獲得した。
小川はプロ初登板の4月3日広島戦(マツダスタジアム)で7回2死まで2失点(自責0)でプロ初登板初勝利を挙げると,4月は3勝0敗。アメリカ大リーグ往年の名投手ノーラン・ライアンを参考にしたという左足を高く上げる豪快なフォームがたちまち話題となった。5月2勝1敗,6月3勝1敗。6月15日オリックス戦(京セラドーム大阪)から8月3日広島戦(神宮)にかけてはすべて土曜日に登板し,完封2を含む7連勝。6月22日広島戦(マツダスタジアム)の7勝目は,開幕63試合目にしてチーム初完投勝利。7月13日広島戦(神宮)の10勝目は,セ・リーグでは1999年上原浩治(巨人)以来14年ぶりのルーキー10勝1番乗りとなった。9月7日まで白星から見放されたが,その後4勝を挙げ終わってみれば16勝4敗で最多勝と最高勝率のタイトルを獲得。ルーキーの15勝以上は史上13人目,最多勝はセ・リーグで4人目。
同じくルーキーの石山泰稚も60試合に登板し3勝3敗10セーブ。新人投手で60試合以上登板はセ・リーグ9人目という働きを見せてくれた。
19年間の長きにわたりチームを支えてきた宮本慎也が現役引退を発表。通算2162試合出場は球団史上1位,2133安打は若松勉の2173に次ぐ球団史上2位となった。
開幕投手を務めた館山昌平が,2試合目の登板となった4月5日DeNA戦(神宮)の試合中に右肘に痛みを訴え降板。右肘靭帯再建手術を受けることになり今シーズン中の復帰は絶望となった。館山と同じ日に中継ぎの日高亮も左肩痛で抹消されている。4月6日DeNA戦(神宮)では相川亮二がホームベース上でブランコの強烈なタックルを受け左肩鎖関節亜脱臼。4月17日中日戦(神宮)では打球を追った高井雄平が右膝前十字靭帯を断裂。平井諒は右肩痛を訴えクリーニング手術を受け実戦復帰まで半年を要することに。5月12日阪神戦(松山)では開幕直前に川本良平との交換トレードで移籍してきた田中雅彦がマット・マートンのタックルを受け左鎖骨骨折。交流戦を前にヤ戦病院は深刻化していた。
開幕スタメンを果たした松井淳は6月2日ファーム巨人戦(戸田)で死球を受け左前腕部骨折。金伏ウーゴもシーズン途中に左肘内側側副靭帯再建術手術を受けた。前年右肘靭帯再建手術を受けた山本斉はファームでの実戦復帰にとどまった。
交流戦期間中の6月9日に早くも自力優勝の可能性が消滅。前半戦を1986年以来実に27年ぶり最下位で折り返すと,その後もなかなか波に乗れないチームは結局1度の月間勝ち越しすらないまま,10月1日に6年ぶりの最下位が確定した。
誤算を挙げればきりがないが,前年セーブ王に輝いた守護神トニー・バーネットが不安定な投球から救援失敗を繰り返し,館山に代わるローテーションを期待し獲得したクリス・ラルーは5試合に先発登板し0勝2敗,防御率9.00と散々な結果に終わり,前年9勝のオーランド・ロマンも起用法が一貫せず3勝止まり。5年続けて50試合以上に登板してくれた押本健彦も勤続疲労か本来の投球内容に程遠く,スワローズ移籍後最少となる26試合の登板に終わってしまった。
ドライチ4兄弟は村中恭平の挙げた5勝のみ。赤川克紀は勝ち星なしに終わり,増渕竜義は中継ぎで5試合に登板しただけ。佐藤由規は4月11日に右肩のクリーニング手術を受けたため今年も実戦登板なし。中澤雅人,七條祐樹も登録と抹消を繰り返すばかりで一軍定着はならなかった。
野手では川端慎吾がキャンプ早々に脊柱起立筋肉離れでリタイア。回復が思わしくなく4月22日には左足首関節の手術を受け,実戦復帰は7月にずれ込んだ。それと入れ替わるかのようにラスティングス・ミレッジが8月7日中日戦(ナゴヤドーム)で打球を追った際着地に失敗し左脹脛肉離れで離脱。畠山和洋は左内腹斜筋肉離れ,武内晋一も右膝蓋骨骨折でシーズン途中離脱した。正捕手が期待された中村悠平は大きな怪我こそなかったものの,再調整で二軍落ちを命ぜられるなどプロの壁にぶつかり,結局一年間登録抹消の無かった選手は自己最多の64試合に登板し,25ホールドをマークした山本哲哉と森岡良介の2人のみだった。
こうしたチーム状況下で新たな戦力も芽生えた。5年目の八木亮祐が7月2日DeNA戦(平塚)でプロ初完封勝利を挙げるなど,1年間通してローテーションを守った。7月3日DeNA戦(横浜)では阿部健太が大阪近鉄時代の2003年9月14日以来,国内のみでは史上最長となる3580日ぶりの勝利投手となった。4月23日広島戦(神宮)で江村将也,7月12日広島戦(神宮)で木谷良平,8月6日中日戦(浜松)で古野正人がそれぞれ嬉しいプロ初勝利を挙げた。9月3日巨人戦(富山)では支配下登録された徳山武陽があと1アウトでプロ初勝利を逃したが,巨人相手に見事な投球を見せた。10月2日巨人戦(東京ドーム)では松岡健一がプロ入り9年目で初完投初完封勝利を成し遂げた。久古健太郎も後半に入りようやく安定感を取り戻してきた。大場達也は4月17日中日戦(神宮)でプロ初登板を果たした。
野手では4月25日広島戦(神宮)で三輪正義がプロ初打点となるサヨナラタイムリーを放った。新田玄気5月15日埼玉西武戦(神宮),比屋根渉5月18日千葉ロッテ戦(神宮),荒木貴裕6月27日DeNA戦(神宮),上田剛史7月13日広島戦(神宮)がそれぞれプロ初本塁打を,川崎成晃4月21日阪神戦(甲子園),西田明央5月20日東北楽天戦(クリネックス宮城),谷内亮太8月28日DeNA戦(神宮)がそれぞれプロ初出場を果たした。
4月7日DeNA戦(神宮)で7年ぶりに復帰した岩村明憲がお立ち台に,右肘手術から2年ぶりに一軍復帰した川島慶三も101試合に出場し,堅実な守備を随所で見せてくれた。山田哲人はセカンドのレギュラーポジションを与えられ,松元ユウイチは終盤44試合の出場ながら打率.301と好調をキープ,飯原誉士も復調気配を見せた。
9月21日阪神戦(甲子園)で藤本敦士が史上459人目,9月29日DeNA戦(神宮)で田中浩康が史上461人目の通算1000試合出場。5月28日オリックス戦(神宮)で相川が史上272人目の通算1000本安打。9月24日巨人戦(神宮)で石川雅規が史上86人目の通算2000投球回記録をそれぞれ達成した。
田川賢吾,星野雄大,川上竜平,又野知弥,野口祥順は一軍登録無く終わった。【表1】
【表1】チーム月別成績
通産 | |||||||||||||
月 | 試合 | 勝数 | 負数 | 引分 | 勝率 | 順位 | 打率 | 本塁 | 得点 | 失点 | 防御 | 勝率 | 順位 |
3 | 3 | 2 | 1 | 0 | .667 | 2 | .182 | 1 | 6 | 9 | 2.67 | .667 | 2 |
4 | 25 | 11 | 14 | 0 | .440 | 4 | .225 | 19 | 88 | 96 | 3.46 | .464 | 3 |
5 | 23 | 7 | 15 | 1 | .318 | 6 | .240 | 18 | 88 | 112 | 4.39 | .400 | 6 |
6 | 17 | 6 | 11 | 0 | .353 | 6 | .271 | 18 | 67 | 90 | 4.66 | .388 | 6 |
7 | 21 | 8 | 13 | 0 | .381 | 6 | .260 | 28 | 94 | 129 | 5.88 | .386 | 6 |
8 | 26 | 11 | 15 | 0 | .423 | 5 | .269 | 30 | 125 | 135 | 4.76 | .395 | 6 |
9 | 23 | 10 | 10 | 3 | .500 | 4 | .281 | 17 | 96 | 95 | 3.51 | .410 | 6 |
10 | 6 | 2 | 4 | 0 | .333 | 4 | .183 | 3 | 13 | 16 | 2.29 | .407 | 6 |
チーム成績
今年も巨人の圧倒的な強さのみが際立ったシーズンとなった【表 2-1】。
【表2-1】セ・リーグ順位表
順位 | チーム | 試合 | 勝数 | 敗数 | 引分 | 勝率 | 勝差 | 得点 | 失点 | 本塁打 | 盗塁 | 打率 | 防御率 |
1 | 巨 人 | 144 | 84 | 53 | 7 | .613 | 597 | 508 | 145 | 90 | .262 | 3.21 | |
2 | 阪 神 | 144 | 73 | 67 | 4 | .521 | 12.5 | 531 | 488 | 82 | 81 | .255 | 3.07 |
3 | 広 島 | 144 | 69 | 72 | 3 | .489 | 4.5 | 557 | 554 | 110 | 112 | .248 | 3.46 |
4 | 中 日 | 144 | 64 | 77 | 3 | .454 | 5.0 | 526 | 599 | 111 | 57 | .245 | 3.81 |
5 | DeNA | 144 | 64 | 79 | 1 | .448 | 1.0 | 630 | 686 | 132 | 54 | .262 | 4.50 |
6 | ヤクルト | 144 | 57 | 83 | 4 | .407 | 5.5 | 577 | 682 | 134 | 70 | .253 | 4.26 |
シーズン途中に2011年度より12球団で採用されてきた統一球が,これまでとは異なる反発係数のボールにすり替えられ開幕から使用されていたことが発覚した。この影響は少なからずあるため,失点,防御率ともに3年連続リーグ5位といっても,過去2年間とは一概に比較できないが,前回最下位だった2007年と比べても,失点が+59,防御率も+0.19と投手成績は悪化したことは否めないだろう。打撃面に関してはバレンティンが引っ張ってくれた部分も大きいが,後述したいと思う。【表 2-2】
【表2-2】チーム成績 ※()はリーグ順位
試合 | 勝数 | 負数 | 引分 | 勝率 | 勝差 | 順位 | 得点 | 失点 | 本塁打 | 盗塁 | 打率 | 防御率 | |
2013 | 144 | 57 | 83 | 4 | .407 | 28.5 | 6 | 577(3) | 682(5) | 134(2) | 70(4) | .253(4) | 4.26(5) |
2012 | 144 | 68 | 65 | 11 | .511 | 20.0 | 3 | 499(2) | 514(5) | 90(2) | 63(4) | .260(1) | 3.35(5) |
2011 | 144 | 70 | 59 | 15 | .543 | 2.5 | 2 | 484(1) | 504(5) | 86(3) | 43(5) | .244(3) | 3.36(5) |
2010 | 144 | 72 | 68 | 4 | .514 | 6.5 | 4 | 617(3) | 621(3) | 124(3) | 66(4) | .268(2) | 3.85(2) |
2009 | 144 | 71 | 72 | 1 | .496 | 22.0 | 3 | 548(3) | 606(5) | 116(4) | 106(1) | .259(2) | 3.97(5) |
2008 | 144 | 66 | 74 | 4 | .471 | 17.5 | 5 | 583(2) | 569(4) | 83(5) | 148(1) | .266(4) | 3.75(4) |
2007 | 144 | 60 | 84 | 0 | .417 | 20.5 | 6 | 596(3) | 623(4) | 139(2) | 66(2) | .269(2) | 4.07(5) |
本拠地神宮球場では31勝32敗1分,勝率.492ながら,神宮以外では26勝51敗3分,勝率.338。東京ドームでは9試合1勝8敗,勝率.111。1999年以来15年連続負け越し。投手陣は神宮での防御率が4.21に対し神宮以外で4.31と大差なかったが,神宮で.280に対し他球場で.231。神宮球場以外の20球場で打率1割台が8球場もあった。
対埼玉西武戦9連敗,西武ドーム10連敗,西武主催試合11連敗と西武アレルギーが年々深刻化している。【表3】
【表3】チーム別対戦成績
巨 人 | 阪 神 | 広 島 | 中 日 | DeNA | 楽 天 | 西 武 | ロッテ | ソフト | オリク | 日ハム | 計 | |
試合 | 24 | 24 | 24 | 24 | 24 | 4 | 4 | 4 | 4 | 4 | 4 | 144 |
勝利 | 9 | 7 | 11 | 13 | 10 | 1 | 0 | 3 | 1 | 2 | 0 | 57 |
敗戦 | 14 | 16 | 12 | 11 | 14 | 3 | 4 | 1 | 3 | 2 | 3 | 83 |
引分 | 1 | 1 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 4 |
得点 | 71 | 77 | 114 | 111 | 118 | 14 | 9 | 16 | 11 | 24 | 12 | 577 |
失点 | 82 | 111 | 137 | 98 | 131 | 18 | 20 | 15 | 25 | 18 | 27 | 682 |
安打 | 179 | 177 | 223 | 219 | 232 | 36 | 28 | 25 | 24 | 40 | 37 | 1220 |
本塁 | 20 | 17 | 26 | 18 | 32 | 4 | 3 | 7 | 2 | 2 | 3 | 134 |
三振 | 142 | 157 | 157 | 147 | 143 | 18 | 38 | 24 | 23 | 26 | 25 | 900 |
四球 | 77 | 75 | 88 | 99 | 108 | 3 | 9 | 15 | 7 | 21 | 17 | 519 |
死球 | 5 | 3 | 7 | 5 | 5 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 25 |
併殺 | 17 | 16 | 18 | 13 | 20 | 2 | 2 | 5 | 3 | 3 | 2 | 101 |
盗塁 | 6 | 11 | 12 | 16 | 11 | 3 | 2 | 2 | 3 | 2 | 2 | 70 |
失策 | 11 | 14 | 15 | 19 | 9 | 4 | 4 | 4 | 7 | 0 | 6 | 93 |
打率 | .235 | .221 | .267 | .270 | .284 | .259 | .211 | .207 | .194 | .288 | .253 | .253 |
防御 | 3.13 | 4.06 | 4.75 | 3.75 | 5.30 | 4.24 | 4.00 | 3.86 | 5.82 | 4.63 | 4.97 | 4.26 |
守備率もここ5年間上位をキープしていたが,5位に転落した。【表4】
【表4】守備成績
チーム | 守備率 | 試合 | 守機備会 | 刺殺 | 補殺 | 失策 | 併殺 | 捕逸 | |
参加 | 球団 | ||||||||
巨 人 | .989 | 144 | 5567 | 3902 | 1603 | 62 | 278 | 101 | 7 |
阪 神 | .988 | 144 | 5556 | 3888 | 1604 | 64 | 345 | 127 | 3 |
DeNA | .988 | 144 | 5425 | 3838 | 1521 | 66 | 344 | 130 | 8 |
中 日 | .986 | 144 | 5588 | 3894 | 1616 | 78 | 316 | 113 | 11 |
ヤクルト | .983 | 144 | 5504 | 3856 | 1555 | 93 | 304 | 111 | 4 |
広 島 | .981 | 144 | 5675 | 3872 | 1697 | 106 | 438 | 159 | 2 |
交流戦に関しては,2010年以降35勝57敗4分と大きく負け越しており,とうとう通算成績でも9位にまで転落してしまった。【表5】
【表5】交流戦通算成績[2005-2013]
試合 | 勝数 | 負数 | 引分 | 勝率 | 勝差 | |
福岡ソフトバンク | 240 | 141 | 90 | 9 | .610 | |
千葉ロッテ | 240 | 125 | 101 | 14 | .553 | 13.5 |
北海道日本ハム | 240 | 128 | 104 | 8 | .552 | 0.0 |
巨 人 | 240 | 124 | 107 | 9 | .537 | 3.5 |
中 日 | 240 | 120 | 112 | 8 | .517 | 4.5 |
阪 神 | 240 | 117 | 113 | 10 | .509 | 2.0 |
埼玉西武 | 240 | 118 | 118 | 4 | .500 | 2.0 |
オリックス | 240 | 114 | 118 | 8 | .491 | 2.0 |
東京ヤクルト | 240 | 114 | 122 | 4 | .483 | 2.0 |
東北楽天 | 240 | 108 | 128 | 4 | .458 | 6.0 |
広 島 | 240 | 96 | 134 | 10 | .417 | 9.0 |
横浜DeNA | 240 | 89 | 145 | 6 | .380 | 9.0 |
検証2013−2番手以降を攻略できない打線
今季577得点を試合毎に,先発投手から奪った得点と,2番手以降から奪った得点とに分けてみた。字数の都合で全ては省略するが,相手投手の防御率に換算すると先発投手が4.35,2番手以降が3.46であった。
このうち,先発投手降板時の勝敗と最終的な勝敗とを比べて逆転があったものを以下に時系列に抽出する。【表6】。
【表6】得点内訳(先発投手と2番手以降)
試合 | 月日 | 対戦相手 | 球場 | 先発 | 得点 | 勝敗 | 後ろ | 得点 | 勝敗 | 備考 |
8 | 4.6 | DeNA | 神宮 | 4 | 3 | ○ | 5 | 0 | ● | 逆転負け |
17 | 4.17 | 中日 | 神宮 | 2.66 | 3 | ○ | 7.33 | 3 | ● | 逆転負け |
19 | 4.19 | 阪神 | 甲子園 | 5.33 | 3 | ○ | 6.66 | 0 | ● | 逆転負け |
22 | 4.23 | 広島 | 神宮 | 7 | 1 | △ | 1 | 2 | ○ | 勝ち越し |
23 | 4.25 | 〃 | 〃 | 5 | 3 | ● | 6.33 | 5 | ○ | 逆転勝ち |
26 | 4.28 | 巨人 | 神宮 | 6 | 0 | ● | 2 | 2 | ○ | 逆転勝ち |
28 | 4.30 | DeNA | 横浜 | 6 | 4 | △ | 3 | 0 | ● | 負け越し |
29 | 5.1 | 〃 | 〃 | 2.66 | 3 | ○ | 8.33 | 1 | ● | 逆転負け |
32 | 5.5 | 阪神 | 甲子園 | 7 | 3 | △ | 2 | 4 | ○ | 勝ち越し |
33 | 5.6 | 中日 | 神宮 | 3 | 3 | △ | 5 | 4 | ○ | 勝ち越し |
41 | 5.17 | ロッテ | 神宮 | 7 | 2 | ● | 1 | 4 | ○ | 逆転勝ち |
46 | 5.23 | 日本ハム | 札幌ド | 5 | 2 | ○ | 7 | 1 | △ | 逃切失敗 |
52 | 6.1 | 西武 | 西武ド | 9 | 2 | △ | 1 | 0 | ● | 負け越し |
62 | 6.16 | オリックス | 京セラ | 4.66 | 6 | ○ | 4.33 | 2 | ● | 逆転負け |
64 | 6.23 | 広島 | マツダ | 5 | 4 | ○ | 4 | 0 | ● | 逆転負け |
66 | 6.27 | DeNA | 神宮 | 1 | 5 | ○ | 8 | 1 | ● | 逆転負け |
80 | 7.15 | DeNA | 横浜 | 6.66 | 3 | ○ | 2.33 | 0 | ● | 逆転負け |
82 | 7.17 | 〃 | 〃 | 4 | 3 | ○ | 5 | 1 | ● | 逆転負け |
85 | 7.26 | 広島 | マツダ | 6 | 4 | △ | 4 | 1 | ● | 負け越し |
87 | 7.28 | 〃 | 〃 | 4 | 4 | ○ | 5 | 3 | ● | 逆転負け |
96 | 8.8 | 中日 | ナゴド | 5 | 1 | △ | 4 | 4 | ○ | 勝ち越し |
99 | 8.13 | 中日 | 神宮 | 8 | 1 | △ | 0.33 | 1 | ○ | 勝ち越し |
102 | 8.16 | 阪神 | 京セラ | 7.66 | 1 | △ | 1.33 | 0 | ● | 負け越し |
115 | 8.31 | DeNA | 神宮 | 3.66 | 8 | ○ | 5.33 | 1 | ● | 逆転負け |
116 | 9.1 | 〃 | 〃 | 3 | 1 | △ | 6 | 0 | ● | 負け越し |
117 | 9.3 | 巨人 | 富山 | 8 | 3 | ○ | 4 | 0 | △ | 逃切失敗 |
128 | 9.18 | DeNA | 横浜 | 6 | 4 | △ | 3 | 1 | ○ | 勝ち越し |
130 | 9.21 | 阪神 | 甲子園 | 4 | 6 | ○ | 8 | 1 | △ | 逃切失敗 |
138 | 9.30 | DeNA | 神宮 | 2.66 | 3 | ○ | 6.33 | 0 | ● | 逆転負け |
142 | 10.4 | 阪神 | 神宮 | 7 | 2 | △ | 5 | 0 | ● | 負け越し |
144 | 10.8 | 巨人 | 東京ド | 4 | 3 | ○ | 5 | 0 | ● | 逆転負け |
先発降板時ビハインドから勝利したのが3試合(※逆転勝ち)。先発降板時同点から勝利したのが6試合(※勝ち越し)。先発降板時リードから敗れたのが13試合(※逆転負け)。先発降板時同点から敗れたのが6試合(※負け越し)。先発降板時リードから引き分けに終わったのが3試合(※逃切失敗)というデータが抽出された。
このうち逆転負け13試合では,先発投手から501/3回で51得点(防御率9.13)と打ち崩しておきながら,2番手以降からは72回2/3回で12得点(防御率1.49)と完全に打線の勢いを相手中継ぎ投手に封じられている。さらに2番手以降から1点も奪えなかった試合は66試合もあった。
DeNA戦が10試合。6月27日(神宮)が典型です。何を言いたいか。お分かりいただけますでしょうか。
おわりに〜2014シーズンに向けて
大黒柱である宮本が引退した。そしてその宮本に最下位なのに「全く補強をしない」と様々な方面で苦言を呈された。
太田裕哉,松井光介,藤田太陽,正田樹,ラファエル・フェルナンデス,水野祐希,水田圭介,楠城祐介が退団し,ドラフトで杉浦稔大(國學院大)西浦直亨(法政大)秋吉亮(パナソニック)岩橋慶侍(京都産業大)児山祐斗(関西高)藤井亮太(シティライト岡山)の6名を指名した。
2年ぶりの日本復帰となる真田裕貴と,ラルーに代わる外国人クリス・カーペンターの獲得が発表されたのみで,支配下選手は現状65名である。育成選手として新たに契約を結び直した佐藤貴規,中根佑二の支配下選手登録の可能性を加味しても,まだ3枠は補強に費やせるはずである。球団フロントの姿勢を問いただしたい。
一方でコーチ人事は大幅に刷新されることになった。荒木大輔投手コーチ,飯田哲也外野守備走塁コーチ,加藤博人二軍投手コーチが退団。中西親志バッテリーコーチ,松井優典二軍育成コーチがフロントに転出された。
4年ぶりに設けられたヘッドコーチに佐藤真一作戦兼打撃コーチが就任。投手コーチには高津臣吾氏が7年ぶりにスワローズに復帰。5年ぶりにファームを優勝に導いた真中満二軍監督はチーフ打撃コーチに昇格し,同じくファームから杉村繁打撃コーチ,福地寿樹外野守備走塁コーチ,小野公誠バッテリーコーチがそれぞれ昇格した。留任は伊藤智仁投手コーチと城石憲之内野守備走塁コーチのみとなる。
ファームは伊東昭光二軍監督以下,山部太,石井弘寿投手コーチ,伊勢孝夫チーフ打撃コーチ,池山隆寛,宮出隆自二軍打撃コーチ,土橋勝征二軍外野守備走塁コーチ。さらには日本ハムより三木肇二軍内野守備走塁コーチを,巨人から野村克則二軍バッテリーコーチをそれぞれ招聘した。全員がスワローズOBで固められたことになる。
例年期待を込め威勢よく締めてきたが,正直「決して明るい未来ではない」と思う。宮本の穴。ピンチになると自然とマウンドに輪が出来,投手は落ち着きを取り戻す。精神的支柱でもあった宮本が後半ベンチを温めるようになり,コーチ兼任の立場からチームに睨みを効かせてくれた。その宮本がチームを去った。
これはあくまで個人的な意見だが,宮本に対し首脳陣には遠慮,選手には委縮する面があったと思う。そうした要素が2014年シーズンどう出てくるかに尽きるのではないかと思う。若手が責任感と自覚をもち率先して行動するようになるのか否か。いわゆる今の子たちが多いだけにそういう要素がどう転じるか。楽しみでもあり不安でもある。いい意味で宮本を見返すくらいの奮起を促したいと思う。
残された選手個々が自覚をもって新たなシーズンに挑んで欲しい
参考資料
『週刊ベースボール』第68巻 第68号 通産3221号,ベースボールマガジン社,2013.12
「ニッカンスコア速報」
http://www.nikkansports.com/baseball/professional/schedule/2013/s201303.html
http://www.nikkansports.com/baseball/professional/schedule/2013/s201304.html
http://www.nikkansports.com/baseball/professional/schedule/2013/s201305.html
http://www.nikkansports.com/baseball/professional/schedule/2013/s201306.html
http://www.nikkansports.com/baseball/professional/schedule/2013/s201307.html
http://www.nikkansports.com/baseball/professional/schedule/2013/s201308.html
http://www.nikkansports.com/baseball/professional/schedule/2013/s201309.html
http://www.nikkansports.com/baseball/professional/schedule/2013/s201310.html
2012年12月25日
総括2012―故障者続出の中で…
はじめに
オープン戦を実に41年ぶりの”優勝”で飾り,その勢いのままペナントレースに突入した2012年小川淳司監督率いる東京ヤクルトスワローズ。開幕戦では5年連続開幕投手を任された石川雅規が9回1死までノーヒットノーランという快投。最後はストッパーを任されたトニー・バーネットが締め,4-0の完封勝利で飾る。団子状態のペナントレース序盤ではあったが,4月20日からは引き分け挟んで6連勝。4月は中日と同率首位で折り返す。
5月4日には33,866人と超満員に膨れ上がった神宮球場で宮本慎也が史上40人目となる通産2000本安打を達成。前年本塁打王のウラディミール・バレンティンは今年も春先から大爆発。5月1日DeNA戦(横浜)で1試合3本塁打。5月6日現在で早くも12本の本塁打を量産。打率,打点とも他を大きく引き離し断トツの三冠王コースを歩んでいた。チームは首位中日と1.0ゲーム差の2位で交流戦に突入する。
ところが・・である。交流戦初戦の5月16日ソフトバンク戦(神宮)で14-3した翌17日から30日まで,チーム39年ぶりの10連敗を喫する。不振の原因は8試合連続1得点以下という打線にあったが,中でもバレンティンが交流戦31打数3安打と極度の不振を極め,とうとう出場選手登録抹消される事態に。結局交流戦は9勝15敗0分と大きく負け越し,初の最下位に終わった。
それでもそこから大きな連敗もせずセ・リーグではなんとか巨人・中日に次いで3位をキープしていた。6月1o埼玉西武戦(神宮)で和製大砲松井淳がプロ初本塁打をマーク。11日には宮本が通算2000試合出場を達成。日高亮もセットアッパーとして連日のように登板を続けた。
7月に入ると打線が爆発。3連勝でスタートするが,そこから勢いがパタリととまる。オールスター直前の対横浜DeNA戦(横浜)で今季初(にして唯一の)同一カード3連敗を喫してしまい,勝率で広島を僅かに下回り4位で前半戦を折り返した。
7月28日を最後に勝率.500を切るとチームは思うように勝ち進めない。8月8日DeNA戦(神宮)で七條祐樹がおよそ1年ぶり,14日広島戦(マツダ)では中澤雅人がおよそ2年ぶりの白星を挙げ,オーランド・ロマンが2試合連続完封を含む3試合連続完投勝利。困った時に頼りになる松井光介が10試合連続無失点リリーフなど一筋の光が射しこむも長くは続かず,一時は最大借金8とクライマックスシリーズ進出も絶望かと思われた。
しかし昨年の優勝争いの「体験」が9月で活かされた。広島が6勝17敗1分と失速する中で16勝8敗1分と猛チャージ。中でも勝負どころで抜群の安定感を発揮した館山昌平とトップバッターに定着した野手転向3年目の雄平が要所でチームを引っ張ってくれた。29日中日戦(神宮)で試合には敗れたが,広島が黒星を喫したことで順位が確定。なんとか2年連続でAクラスに滑り込んだが,2位中日には9.5ゲーム差引き離され優勝争いには程遠かった。
2年連続3回目の進出となったクライマックスシリーズではあったが,毎試合1点ずつしかあげることができず,またしてもナゴヤドーム[尾張]で終戦[終わり]を迎えた―【表1】。
【表1】チーム月別成績
昨年以上にコマ不足故障者が目立ったシーズンでもあった。2011年に15試合1002/3イニング投球の由規,同12試合55イニング投球山本斉が故障で登板ゼロ。ストッパー林昌勇が春先から調子があがらず外国人枠の関係もあって開幕二軍スタート。セットアッパーとして63試合登板した松岡健一もシーズン早々に右太股痛で離脱。同じくルーキーながら52試合登板の久古健太郎もオフに手術した血行障害が癒えず苦しんだ。シーズン通して昌勇と久古は9試合,松岡が7試合の登板に終わった。
宮本が2000本安打を達成した5月4日の試合で上田がフェンスに直撃し右肩を負傷。6日には新選手会長武内晋一が右手首三角線維軟骨複合体損傷でそれぞれ長期離脱を余儀なくされると,9日の試合で先発の村中恭平が打球を右脛に受け,10日には新背番号5を背負って5番打者に定着していた川端慎吾も腰痛で登録抹消。6月には飯原誉士が左手中指MP関節尺側側副靭帯損傷。
後半戦に入り,林昌勇に代わる新守護神バーネットが腰痛で7月28日に抹消されると,翌29日に宮本が右肋軟骨骨折,8月2日バレンティン右臀筋肉離れ。18日相川亮二左第2肋軟骨骨折。
8月31日畠山和洋右脇腹肉離れ,上田剛史左大腿部直筋肉離れ。9月1日松井淳左手親指付け根靭帯損傷,2日館山昌平右足首打撲。
13日川本良平左肩甲上腕関節前方脱臼,14日比屋根渉右太腿損傷,17日ラスティングス・ミレッジ左肩鎖関節捻挫。
怒涛の怪我週間が4度は訪れていた・・。一年間通して登録抹消が無かったのは日高,赤川克紀,押本健彦,田中浩康の4名のみ。クライマックスシリーズ直前に腰痛で戦線離脱してしまったが森岡良介と三輪正義はユーティリティプレーヤーとして一軍のベンチに欠かせない存在だった。
故障者が出れば必ずその穴を埋めていくのがスワローズ。自己最多となる50試合に登板し防御率1.21とセットアッパーに成長した山本哲哉はじめ,ラファエル・フェルナンデス,平井諒,八木亮祐の4名が嬉しいプロ初勝利をマーク。かつてのパ・リーグ新人王正田樹は実に7年ぶりの一軍登板。育成から支配下登録された金伏ウーゴもプロ初登板を果たした。捕手では4年目中村悠平がチーム最多の69試合でスタメンマスクを被り,新田玄気がプロ初打点を挙げ,2年目西田明央はプロ初の一軍登録をされた。主軸の離脱が相次いだことで,経験豊富な藤本敦士,松元ユウイチ,野口祥順にスタメンが託される試合もあった。
チーム成績
首位とのゲーム差に注目すると「20.0」。これは最下位に終わった2007年と比較しても0.5しか変わらない。それほど今年の巨人は圧倒的に強かった…。開幕当初借金7まで陥ったこともあったのが信じられないほどに強かった…。確かに村田,ホールトン,杉内という超大型補強はあったが,高木京介,田原誠二といったルーキーの中継ぎ投手が台頭し,橋上秀樹戦略コーチの存在も大きくクローズアップされ,正直全く隙間が無かった。。
ただし,広島がエース前田健太を対巨人戦で1試合しか登板させなかったり,横浜DeNAが東京ドームで1勝も挙げられなかったなど,本気でジャイアンツを倒そうという姿勢が感じられなかったペナントレースでもあった。リーグ全体のバランスを考えないとシーズンそのものがシラけてしまうように感じてならない【表2-1】。
【表2-1】セ・リーグ順位表
打撃成績に目を転じると,チーム打率.260はリーグトップ。得点と本塁打数も巨人に次いで第2位。一方投手成績は失点,防御率ともにDeNAに次いでブービー。順位を分かちたものの責任の所在はどちらにあるかというと・・・?統一球の導入で投手優位はここ2年明らかではあるが,打撃に関してはこの1年で1分6厘上がった訳で,対応が数字として表れている。ということは投手全体で取り組むべき何かがまだ足りないのでは無かろうかと思えてならない【表2-2】。
【表2-2】チーム成績 ※()はリーグ順位
対セ・リーグでは巨人以外の4球団に勝ち越し。苦手とされたドームでの勝率も14勝13敗2分(内訳:ナゴヤドーム6勝3敗1分,東京ドーム4勝6敗1分,京セラドーム1勝1敗,ヤフードーム2勝0敗,札幌ドーム1勝1敗,西武ドーム0勝2敗)と大きく改善された。
課題は埼玉西武戦。特に西武ドームでは2008年5月21日に勝って以来現在8連敗中で,なおかつ22イニング連続無得点と鬼門中の鬼門。ここをどう乗り越えるかも一つの見どころ【表3】。
【表3】チーム別対戦成績
守備成績という観点では,ようやく田中浩の守備が記者にも評価され,自身初のゴールデングラブ賞を受賞した。ヤクルトから二塁手がゴールデングラブ賞に選出されたのも創設41年目にして初のことであった。今年の守備率は.995。448刺殺は1950年阪神・白坂長栄が作った431刺殺のリーグ記録を更新。来季120試合以上二塁手として出場し,今年同様の守備率(.995)を保てば,通算1000試合以上出場した二塁手としては阪神・和田豊(現監督)を抜きトップに躍り出る可能性もあるようで,史上最高のセカンド名手の称号を得る日も近そうだ。
【表4】守備成績
かつては得意だった交流戦も,3年連続で負け越しで通産の貯金も1に。通算順位も昨年の4位タイから8位に転落した【表5】。とほほのほ。。
【表5】交流戦通算成績[2005-2012]
検証−満塁のピンチは本当だったか?!
攻撃時に満塁になる時に用いられ,本来なら得点の大チャンスである満塁時に得点率が低く,逆にピンチとみなす”満塁のピンチ”という用語。また満塁から三者残塁でチェンジとなる”ZGS”(残塁グランドスラムの略称)。
この2つの言葉は今シーズンとりわけ交流戦序盤で印象に残った。今一度振り返ってみる。
5/17 2死満塁→宮本投ゴ
5/17 2死満塁→ミレ遊飛
5/17 2死満塁→相川三振
5/19 2死満塁→森岡三振
5/20 2死満塁→相川四球 森岡左飛
5/20 1死満塁→相川二飛 藤本遊ゴ
5/24 1死満塁→畠山三振 宮本三ゴ
5/24 2死満塁→畠山捕邪
5/24 0死満塁→バレ三振 畠山二併
5/27 1死満塁→田中三振 館山三振
のべ15回満塁の状況がありながら,安打は0。得点は押し出し死球による1点のみ。これに象徴されるように好機に1本が出なかった。.。
今シーズンの満塁機打率を調べてみると,140打数31安打で打率.221。これはリーグ5位の成績であった。打数順にソートすると畠山,ミレッジこそ.300を超えたが,川端が.167,バレンティンと宮本がともに.200と中軸が不振を極めた。チーム最多3四球を選んだのが田中浩だった【表6】。
【表6】状況別成績:満塁時
おわりに〜2013シーズンに向けて
昨年の総括で「2011年の『体験』を風化させないためにも来年が非常に重要になる」だろうと書いた。今オフでの小川監督の勇退,荒木大輔コーチの監督就任,宮本のコーチ専任は避けられたが,これらはあくまで1年持ち越しとなっただけである。
バレンティン,ミレッジ,バーネット,ロマンとは複数年契約を結び他球団への流出は阻止した。東北楽天を戦力外になった岩村明憲が7年ぶりにスワローズに復帰する。だがそれ以外の目立った補強はドラフト(石山泰稚,小川泰弘,田川賢吾,星野雄大,江村将也,谷内亮太,大場達也)とトライアウト(藤田太陽)のみで,現有戦力の底上げに終始するほかない。ただし優勝を狙うためには,リーグの実力均衡も不可欠だろう。
一年間起用法に苦しんだ増渕竜義。思うように一軍出場試合が伸びなかった山田哲人と荒木貴裕。また今年ルーキーながら一軍出場を果たせなかった川上竜平,木谷良平,太田裕哉,中根佑二,古野雅人には特に発破を掛けたい。
一年間をリハビリに費やした川島慶三,川崎成晃は一日も早い怪我からの再起を願う。移籍二年目で結果が問われる阿部健太,水田圭介,楠城祐介。そろそろ一軍を目指したい水野祐希,又野知弥。現時点での支配下登録者数は「67」ということで佐藤貴規,徳山武陽には道が拓かれていることだろう。
コーチングスタッフではブンブン丸池山隆寛打撃コーチが11年ぶりに神宮球場に帰ってくる。伊藤智仁投手コーチ,佐藤真一打撃兼作戦担当コーチ,飯田哲也・城石憲之守備走塁コーチ,中西親志バッテリーコーチは留任。新設ポストの一二軍巡回ヒッティングコーディネーターに伊勢孝夫コーチが。真中満二軍監督以下,伊東昭光・加藤博人二軍投手コーチ,土橋勝征二軍守備走塁コーチ,松井優典・石井弘寿二軍育成コーチに加え新たに今シーズン限りで現役を引退した福地寿樹が二軍守備走塁コーチ,宮出隆自が打撃コーチに。さらに小野公誠二軍バッテリーコーチも新任コーチとして着任する。
過去6回の優勝を全て知る赤ストライプが8年ぶりに復活。ホームの帽子は紺地に白の「YSマーク」が20年ぶりに甦る2013年シーズン。
毎年のようにジンクスを書いてきたが未だ叶わぬまま…。来年も監督3年目のジンクス(野村克也監督も若松監督も契約最終年の就任3年目に優勝した)には当てはまるが・・。もっと単純に行こう。
参考資料
『週刊ベースボール』第67巻 第62号 通産3150号,ベースボールマガジン社,2012.12
「ニッカンスコア速報」
http://www.nikkansports.com/baseball/professional/schedule/2012/s201203.html
http://www.nikkansports.com/baseball/professional/schedule/2012/s201204.html
http://www.nikkansports.com/baseball/professional/schedule/2012/s201205.html
http://www.nikkansports.com/baseball/professional/schedule/2012/s201206.html
http://www.nikkansports.com/baseball/professional/schedule/2012/s201207.html
http://www.nikkansports.com/baseball/professional/schedule/2012/s201208.html
http://www.nikkansports.com/baseball/professional/schedule/2012/s201209.html
http://www.nikkansports.com/baseball/professional/schedule/2012/s201210.html
オープン戦を実に41年ぶりの”優勝”で飾り,その勢いのままペナントレースに突入した2012年小川淳司監督率いる東京ヤクルトスワローズ。開幕戦では5年連続開幕投手を任された石川雅規が9回1死までノーヒットノーランという快投。最後はストッパーを任されたトニー・バーネットが締め,4-0の完封勝利で飾る。団子状態のペナントレース序盤ではあったが,4月20日からは引き分け挟んで6連勝。4月は中日と同率首位で折り返す。
5月4日には33,866人と超満員に膨れ上がった神宮球場で宮本慎也が史上40人目となる通産2000本安打を達成。前年本塁打王のウラディミール・バレンティンは今年も春先から大爆発。5月1日DeNA戦(横浜)で1試合3本塁打。5月6日現在で早くも12本の本塁打を量産。打率,打点とも他を大きく引き離し断トツの三冠王コースを歩んでいた。チームは首位中日と1.0ゲーム差の2位で交流戦に突入する。
ところが・・である。交流戦初戦の5月16日ソフトバンク戦(神宮)で14-3した翌17日から30日まで,チーム39年ぶりの10連敗を喫する。不振の原因は8試合連続1得点以下という打線にあったが,中でもバレンティンが交流戦31打数3安打と極度の不振を極め,とうとう出場選手登録抹消される事態に。結局交流戦は9勝15敗0分と大きく負け越し,初の最下位に終わった。
それでもそこから大きな連敗もせずセ・リーグではなんとか巨人・中日に次いで3位をキープしていた。6月1o埼玉西武戦(神宮)で和製大砲松井淳がプロ初本塁打をマーク。11日には宮本が通算2000試合出場を達成。日高亮もセットアッパーとして連日のように登板を続けた。
7月に入ると打線が爆発。3連勝でスタートするが,そこから勢いがパタリととまる。オールスター直前の対横浜DeNA戦(横浜)で今季初(にして唯一の)同一カード3連敗を喫してしまい,勝率で広島を僅かに下回り4位で前半戦を折り返した。
7月28日を最後に勝率.500を切るとチームは思うように勝ち進めない。8月8日DeNA戦(神宮)で七條祐樹がおよそ1年ぶり,14日広島戦(マツダ)では中澤雅人がおよそ2年ぶりの白星を挙げ,オーランド・ロマンが2試合連続完封を含む3試合連続完投勝利。困った時に頼りになる松井光介が10試合連続無失点リリーフなど一筋の光が射しこむも長くは続かず,一時は最大借金8とクライマックスシリーズ進出も絶望かと思われた。
しかし昨年の優勝争いの「体験」が9月で活かされた。広島が6勝17敗1分と失速する中で16勝8敗1分と猛チャージ。中でも勝負どころで抜群の安定感を発揮した館山昌平とトップバッターに定着した野手転向3年目の雄平が要所でチームを引っ張ってくれた。29日中日戦(神宮)で試合には敗れたが,広島が黒星を喫したことで順位が確定。なんとか2年連続でAクラスに滑り込んだが,2位中日には9.5ゲーム差引き離され優勝争いには程遠かった。
2年連続3回目の進出となったクライマックスシリーズではあったが,毎試合1点ずつしかあげることができず,またしてもナゴヤドーム[尾張]で終戦[終わり]を迎えた―【表1】。
【表1】チーム月別成績
通産 | |||||||||||||
月 | 試合 | 勝数 | 負数 | 引分 | 勝率 | 順位 | 打率 | 本塁 | 得点 | 失点 | 防御 | 勝率 | 順位 |
3 | 2 | 2 | 0 | 0 | 1.00 | 1 | .296 | 2 | 10 | 3 | 1.50 | 1.00 | 1 |
4 | 23 | 13 | 8 | 2 | .619 | 1 | .239 | 9 | 61 | 53 | 2.22 | .652 | 1 |
5 | 22 | 6 | 15 | 1 | .286 | 6 | .239 | 13 | 61 | 98 | 4.22 | .477 | 4 |
6 | 19 | 11 | 7 | 1 | .611 | 2 | .254 | 18 | 86 | 74 | 3.67 | .516 | 3 |
7 | 19 | 6 | 10 | 3 | .375 | 4 | .284 | 19 | 93 | 94 | 4.84 | .487 | 4 |
8 | 27 | 10 | 14 | 3 | .417 | 4 | .248 | 17 | 82 | 104 | 3.48 | .471 | 4 |
9 | 25 | 16 | 8 | 1 | .667 | 2 | .285 | 11 | 83 | 74 | 2.66 | .508 | 3 |
10 | 7 | 8 | 3 | 0 | .571 | 4 | .277 | 1 | 23 | 14 | 1.80 | .511 | 3 |
昨年以上にコマ不足故障者が目立ったシーズンでもあった。2011年に15試合1002/3イニング投球の由規,同12試合55イニング投球山本斉が故障で登板ゼロ。ストッパー林昌勇が春先から調子があがらず外国人枠の関係もあって開幕二軍スタート。セットアッパーとして63試合登板した松岡健一もシーズン早々に右太股痛で離脱。同じくルーキーながら52試合登板の久古健太郎もオフに手術した血行障害が癒えず苦しんだ。シーズン通して昌勇と久古は9試合,松岡が7試合の登板に終わった。
宮本が2000本安打を達成した5月4日の試合で上田がフェンスに直撃し右肩を負傷。6日には新選手会長武内晋一が右手首三角線維軟骨複合体損傷でそれぞれ長期離脱を余儀なくされると,9日の試合で先発の村中恭平が打球を右脛に受け,10日には新背番号5を背負って5番打者に定着していた川端慎吾も腰痛で登録抹消。6月には飯原誉士が左手中指MP関節尺側側副靭帯損傷。
後半戦に入り,林昌勇に代わる新守護神バーネットが腰痛で7月28日に抹消されると,翌29日に宮本が右肋軟骨骨折,8月2日バレンティン右臀筋肉離れ。18日相川亮二左第2肋軟骨骨折。
8月31日畠山和洋右脇腹肉離れ,上田剛史左大腿部直筋肉離れ。9月1日松井淳左手親指付け根靭帯損傷,2日館山昌平右足首打撲。
13日川本良平左肩甲上腕関節前方脱臼,14日比屋根渉右太腿損傷,17日ラスティングス・ミレッジ左肩鎖関節捻挫。
怒涛の怪我週間が4度は訪れていた・・。一年間通して登録抹消が無かったのは日高,赤川克紀,押本健彦,田中浩康の4名のみ。クライマックスシリーズ直前に腰痛で戦線離脱してしまったが森岡良介と三輪正義はユーティリティプレーヤーとして一軍のベンチに欠かせない存在だった。
故障者が出れば必ずその穴を埋めていくのがスワローズ。自己最多となる50試合に登板し防御率1.21とセットアッパーに成長した山本哲哉はじめ,ラファエル・フェルナンデス,平井諒,八木亮祐の4名が嬉しいプロ初勝利をマーク。かつてのパ・リーグ新人王正田樹は実に7年ぶりの一軍登板。育成から支配下登録された金伏ウーゴもプロ初登板を果たした。捕手では4年目中村悠平がチーム最多の69試合でスタメンマスクを被り,新田玄気がプロ初打点を挙げ,2年目西田明央はプロ初の一軍登録をされた。主軸の離脱が相次いだことで,経験豊富な藤本敦士,松元ユウイチ,野口祥順にスタメンが託される試合もあった。
チーム成績
首位とのゲーム差に注目すると「20.0」。これは最下位に終わった2007年と比較しても0.5しか変わらない。それほど今年の巨人は圧倒的に強かった…。開幕当初借金7まで陥ったこともあったのが信じられないほどに強かった…。確かに村田,ホールトン,杉内という超大型補強はあったが,高木京介,田原誠二といったルーキーの中継ぎ投手が台頭し,橋上秀樹戦略コーチの存在も大きくクローズアップされ,正直全く隙間が無かった。。
ただし,広島がエース前田健太を対巨人戦で1試合しか登板させなかったり,横浜DeNAが東京ドームで1勝も挙げられなかったなど,本気でジャイアンツを倒そうという姿勢が感じられなかったペナントレースでもあった。リーグ全体のバランスを考えないとシーズンそのものがシラけてしまうように感じてならない【表2-1】。
【表2-1】セ・リーグ順位表
順位 | チーム | 試合 | 勝数 | 敗数 | 引分 | 勝率 | 勝差 | 得点 | 失点 | 本塁打 | 盗塁 | 打率 | 防御率 |
1 | 巨 人 | 144 | 86 | 43 | 15 | .667 | 534 | 354 | 94 | 102 | .256 | 2.16 | |
2 | 中 日 | 144 | 75 | 53 | 16 | .586 | 10.5 | 423 | 405 | 70 | 59 | .245 | 2.58 |
3 | ヤクルト | 144 | 68 | 65 | 11 | .511 | 9.5 | 499 | 514 | 90 | 63 | .260 | 3.35 |
4 | 広 島 | 144 | 61 | 71 | 12 | .462 | 6.5 | 427 | 454 | 76 | 79 | .233 | 2.72 |
5 | 阪 神 | 144 | 55 | 75 | 14 | .423 | 5.0 | 411 | 438 | 58 | 65 | .236 | 2.65 |
6 | DeNA | 144 | 46 | 85 | 13 | .351 | 9.5 | 422 | 571 | 66 | 61 | .233 | 3.76 |
打撃成績に目を転じると,チーム打率.260はリーグトップ。得点と本塁打数も巨人に次いで第2位。一方投手成績は失点,防御率ともにDeNAに次いでブービー。順位を分かちたものの責任の所在はどちらにあるかというと・・・?統一球の導入で投手優位はここ2年明らかではあるが,打撃に関してはこの1年で1分6厘上がった訳で,対応が数字として表れている。ということは投手全体で取り組むべき何かがまだ足りないのでは無かろうかと思えてならない【表2-2】。
【表2-2】チーム成績 ※()はリーグ順位
試合 | 勝数 | 負数 | 引分 | 勝率 | 勝差 | 順位 | 得点 | 失点 | 本塁打 | 盗塁 | 打率 | 防御率 | |
2012 | 144 | 68 | 65 | 11 | .511 | 20.0 | 3 | 499(2) | 514(5) | 90(2) | 63(4) | .260(1) | 3.35(5) |
2011 | 144 | 70 | 59 | 15 | .543 | 2.5 | 2 | 484(1) | 504(5) | 86(3) | 43(5) | .244(3) | 3.36(5) |
2010 | 144 | 72 | 68 | 4 | .514 | 6.5 | 4 | 617(3) | 621(3) | 124(3) | 66(4) | .268(2) | 3.85(2) |
2009 | 144 | 71 | 72 | 1 | .496 | 22.0 | 3 | 548(3) | 606(5) | 116(4) | 106(1) | .259(2) | 3.97(5) |
2008 | 144 | 66 | 74 | 4 | .471 | 17.5 | 5 | 583(2) | 569(4) | 83(5) | 148(1) | .266(4) | 3.75(4) |
2007 | 144 | 60 | 84 | 0 | .417 | 20.5 | 6 | 596(3) | 623(4) | 139(2) | 66(2) | .269(2) | 4.07(5) |
対セ・リーグでは巨人以外の4球団に勝ち越し。苦手とされたドームでの勝率も14勝13敗2分(内訳:ナゴヤドーム6勝3敗1分,東京ドーム4勝6敗1分,京セラドーム1勝1敗,ヤフードーム2勝0敗,札幌ドーム1勝1敗,西武ドーム0勝2敗)と大きく改善された。
課題は埼玉西武戦。特に西武ドームでは2008年5月21日に勝って以来現在8連敗中で,なおかつ22イニング連続無得点と鬼門中の鬼門。ここをどう乗り越えるかも一つの見どころ【表3】。
【表3】チーム別対戦成績
巨 人 | 中 日 | 広 島 | 阪 神 | DeNA | 日ハム | 西 武 | ソフト | 楽 天 | ロッテ | オリク | 計 | 順位 | |
試合 | 24 | 24 | 24 | 24 | 24 | 4 | 4 | 4 | 4 | 4 | 4 | 144 | - |
勝利 | 9 | 13 | 12 | 12 | 13 | 2 | 0 | 3 | 2 | 1 | 1 | 68 | 3 |
敗戦 | 11 | 8 | 10 | 11 | 10 | 2 | 4 | 1 | 2 | 3 | 3 | 65 | 3 |
引分 | 4 | 3 | 2 | 1 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 11 | 6 |
得点 | 80 | 86 | 87 | 83 | 84 | 15 | 3 | 27 | 11 | 15 | 8 | 499 | 2 |
失点 | 85 | 57 | 83 | 90 | 91 | 11 | 27 | 15 | 17 | 21 | 17 | 514 | 5 |
安打 | 203 | 188 | 207 | 221 | 203 | 33 | 17 | 42 | 37 | 34 | 33 | 1218 | 1 |
本塁 | 19 | 19 | 13 | 12 | 13 | 4 | 1 | 3 | 3 | 2 | 1 | 90 | 2 |
三振 | 159 | 121 | 144 | 138 | 117 | 21 | 24 | 17 | 26 | 18 | 20 | 805 | 1 |
四球 | 76 | 61 | 68 | 67 | 81 | 9 | 8 | 23 | 10 | 10 | 8 | 421 | 2 |
死球 | 9 | 5 | 9 | 10 | 5 | 2 | 0 | 1 | 1 | 2 | 3 | 47 | 4 |
併殺 | 22 | 14 | 23 | 23 | 20 | 3 | 3 | 0 | 4 | 1 | 3 | 116 | |
盗塁 | 11 | 9 | 9 | 14 | 12 | 2 | 0 | 1 | 1 | 0 | 4 | 63 | 4 |
失策 | 10 | 10 | 12 | 15 | 17 | 0 | 2 | 1 | 2 | 2 | 1 | 72 | 3 |
打率 | .258 | .243 | .262 | .284 | .269 | .254 | .137 | .296 | .264 | .252 | .237 | .260 | 1 |
防御 | 3.28 | 2.27 | 3.42 | 3.19 | 3.67 | 2.78 | 6.43 | 3.75 | 3.75 | 5.03 | 3.89 | 3.35 | 5 |
守備成績という観点では,ようやく田中浩の守備が記者にも評価され,自身初のゴールデングラブ賞を受賞した。ヤクルトから二塁手がゴールデングラブ賞に選出されたのも創設41年目にして初のことであった。今年の守備率は.995。448刺殺は1950年阪神・白坂長栄が作った431刺殺のリーグ記録を更新。来季120試合以上二塁手として出場し,今年同様の守備率(.995)を保てば,通算1000試合以上出場した二塁手としては阪神・和田豊(現監督)を抜きトップに躍り出る可能性もあるようで,史上最高のセカンド名手の称号を得る日も近そうだ。
【表4】守備成績
チーム | 守備率 | 試合 | 守機備会 | 刺殺 | 補殺 | 失策 | 併殺 | 捕逸 | |
参加 | 球団 | ||||||||
中 日 | .990 | 144 | 5545 | 3856 | 1634 | 55 | 372 | 137 | 11 |
阪 神 | .9873 | 144 | 5464 | 3817 | 1578 | 69 | 277 | 101 | 5 |
ヤクルト | .9869 | 144 | 5527 | 3809 | 1646 | 72 | 366 | 134 | 3 |
巨 人 | .986 | 144 | 5583 | 3857 | 1649 | 77 | 351 | 124 | 2 |
DeNA | .985 | 144 | 5431 | 3774 | 1577 | 80 | 292 | 108 | 10 |
広 島 | .980 | 144 | 5566 | 3817 | 1636 | 113 | 310 | 113 | 7 |
かつては得意だった交流戦も,3年連続で負け越しで通産の貯金も1に。通算順位も昨年の4位タイから8位に転落した【表5】。とほほのほ。。
【表5】交流戦通算成績[2005-2012]
試合 | 勝数 | 負数 | 引分 | 勝率 | 勝差 | |
福岡ソフトバンク | 216 | 126 | 82 | 8 | .606 | |
千葉ロッテ | 216 | 112 | 91 | 13 | .552 | 11.5 |
北海道日本ハム | 216 | 115 | 94 | 7 | .550 | 0.0 |
巨 人 | 216 | 111 | 97 | 8 | .534 | 3.5 |
中 日 | 216 | 110 | 99 | 7 | .526 | 1.5 |
阪 神 | 216 | 105 | 102 | 9 | .507 | 4.0 |
埼玉西武 | 216 | 107 | 105 | 4 | .505 | 0.5 |
東京ヤクルト | 216 | 107 | 106 | 3 | .502 | 0.5 |
オリックス | 216 | 101 | 108 | 7 | .483 | 4.0 |
東北楽天 | 216 | 93 | 119 | 4 | .439 | 9.5 |
広 島 | 216 | 85 | 121 | 10 | .413 | 5.0 |
横浜DeNA | 216 | 82 | 128 | 6 | .390 | 5.0 |
検証−満塁のピンチは本当だったか?!
攻撃時に満塁になる時に用いられ,本来なら得点の大チャンスである満塁時に得点率が低く,逆にピンチとみなす”満塁のピンチ”という用語。また満塁から三者残塁でチェンジとなる”ZGS”(残塁グランドスラムの略称)。
この2つの言葉は今シーズンとりわけ交流戦序盤で印象に残った。今一度振り返ってみる。
5/17 2死満塁→宮本投ゴ
5/17 2死満塁→ミレ遊飛
5/17 2死満塁→相川三振
5/19 2死満塁→森岡三振
5/20 2死満塁→相川四球 森岡左飛
5/20 1死満塁→相川二飛 藤本遊ゴ
5/24 1死満塁→畠山三振 宮本三ゴ
5/24 2死満塁→畠山捕邪
5/24 0死満塁→バレ三振 畠山二併
5/27 1死満塁→田中三振 館山三振
のべ15回満塁の状況がありながら,安打は0。得点は押し出し死球による1点のみ。これに象徴されるように好機に1本が出なかった。.。
今シーズンの満塁機打率を調べてみると,140打数31安打で打率.221。これはリーグ5位の成績であった。打数順にソートすると畠山,ミレッジこそ.300を超えたが,川端が.167,バレンティンと宮本がともに.200と中軸が不振を極めた。チーム最多3四球を選んだのが田中浩だった【表6】。
【表6】状況別成績:満塁時
打率 | 打数 | 安打 | 本塁 | 打点 | 三振 | 四球 | 死球 | 犠打 | |
畠山 | .357 | 14 | 5 | 1 | 14 | 1 | 0 | 0 | 0 |
ミレッジ | .308 | 13 | 4 | 1 | 11 | 3 | 1 | 0 | 0 |
川端 | .167 | 12 | 2 | 0 | 6 | 2 | 1 | 0 | 0 |
相川 | .273 | 11 | 3 | 0 | 9 | 1 | 2 | 0 | 0 |
バレンティン | .200 | 10 | 2 | 0 | 5 | 4 | 0 | 0 | 0 |
宮本 | .200 | 10 | 2 | 0 | 5 | 0 | 1 | 0 | 0 |
田中浩 | .333 | 9 | 3 | 0 | 11 | 3 | 3 | 0 | 0 |
森岡 | .250 | 8 | 2 | 0 | 2 | 2 | 0 | 0 | 0 |
雄平 | .286 | 7 | 2 | 0 | 4 | 2 | 0 | 0 | 0 |
福地 | .333 | 6 | 2 | 0 | 4 | 0 | 1 | 0 | 0 |
中村 | .200 | 5 | 1 | 0 | 3 | 1 | 0 | 0 | 0 |
松井淳 | .200 | 5 | 1 | 0 | 2 | 2 | 0 | 0 | 0 |
飯原 | .250 | 4 | 1 | 0 | 3 | 0 | 0 | 0 | 0 |
館山 | .000 | 4 | 0 | 0 | 1 | ||||
武内 | .000 | 3 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | 0 | 0 |
藤本 | .000 | 3 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 |
上田 | .333 | 3 | 1 | 0 | 2 | 2 | 0 | 0 | 0 |
赤川 | .000 | 3 | 0 | 0 | 0 | ||||
宮出 | .000 | 2 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | 0 | 0 |
三輪 | .000 | 2 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | 0 | 0 |
ロマン | .000 | 2 | 0 | 0 | 0 | ||||
比屋根 | .000 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 |
新田 | .000 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 |
石川 | .000 | 1 | 0 | 0 | 0 | ||||
村中 | .000 | 1 | 0 | 0 | 1 | ||||
計 | .221 | 140 | 31 | 2 | 83 | 26 | 9 | 0 | 0 |
おわりに〜2013シーズンに向けて
昨年の総括で「2011年の『体験』を風化させないためにも来年が非常に重要になる」だろうと書いた。今オフでの小川監督の勇退,荒木大輔コーチの監督就任,宮本のコーチ専任は避けられたが,これらはあくまで1年持ち越しとなっただけである。
バレンティン,ミレッジ,バーネット,ロマンとは複数年契約を結び他球団への流出は阻止した。東北楽天を戦力外になった岩村明憲が7年ぶりにスワローズに復帰する。だがそれ以外の目立った補強はドラフト(石山泰稚,小川泰弘,田川賢吾,星野雄大,江村将也,谷内亮太,大場達也)とトライアウト(藤田太陽)のみで,現有戦力の底上げに終始するほかない。ただし優勝を狙うためには,リーグの実力均衡も不可欠だろう。
一年間起用法に苦しんだ増渕竜義。思うように一軍出場試合が伸びなかった山田哲人と荒木貴裕。また今年ルーキーながら一軍出場を果たせなかった川上竜平,木谷良平,太田裕哉,中根佑二,古野雅人には特に発破を掛けたい。
一年間をリハビリに費やした川島慶三,川崎成晃は一日も早い怪我からの再起を願う。移籍二年目で結果が問われる阿部健太,水田圭介,楠城祐介。そろそろ一軍を目指したい水野祐希,又野知弥。現時点での支配下登録者数は「67」ということで佐藤貴規,徳山武陽には道が拓かれていることだろう。
コーチングスタッフではブンブン丸池山隆寛打撃コーチが11年ぶりに神宮球場に帰ってくる。伊藤智仁投手コーチ,佐藤真一打撃兼作戦担当コーチ,飯田哲也・城石憲之守備走塁コーチ,中西親志バッテリーコーチは留任。新設ポストの一二軍巡回ヒッティングコーディネーターに伊勢孝夫コーチが。真中満二軍監督以下,伊東昭光・加藤博人二軍投手コーチ,土橋勝征二軍守備走塁コーチ,松井優典・石井弘寿二軍育成コーチに加え新たに今シーズン限りで現役を引退した福地寿樹が二軍守備走塁コーチ,宮出隆自が打撃コーチに。さらに小野公誠二軍バッテリーコーチも新任コーチとして着任する。
過去6回の優勝を全て知る赤ストライプが8年ぶりに復活。ホームの帽子は紺地に白の「YSマーク」が20年ぶりに甦る2013年シーズン。
毎年のようにジンクスを書いてきたが未だ叶わぬまま…。来年も監督3年目のジンクス(野村克也監督も若松監督も契約最終年の就任3年目に優勝した)には当てはまるが・・。もっと単純に行こう。
2013年は巳年。前回2001年の巳年に優勝してるから2013年は優勝ヤ!
参考資料
『週刊ベースボール』第67巻 第62号 通産3150号,ベースボールマガジン社,2012.12
「ニッカンスコア速報」
http://www.nikkansports.com/baseball/professional/schedule/2012/s201203.html
http://www.nikkansports.com/baseball/professional/schedule/2012/s201204.html
http://www.nikkansports.com/baseball/professional/schedule/2012/s201205.html
http://www.nikkansports.com/baseball/professional/schedule/2012/s201206.html
http://www.nikkansports.com/baseball/professional/schedule/2012/s201207.html
http://www.nikkansports.com/baseball/professional/schedule/2012/s201208.html
http://www.nikkansports.com/baseball/professional/schedule/2012/s201209.html
http://www.nikkansports.com/baseball/professional/schedule/2012/s201210.html
2011年12月25日
総括2011―首位と2.5ゲーム差を分けたもの
はじめに
開幕までちょうどあと2週間と迫った3月11日金曜日の午後に発生した東日本大震災−。地震・原発・デマ・津波・・プロ野球開幕という高揚感は一気に吹き飛んだ。コミッショナー・オーナー・選手会が大臣を巻き込んで論議を重ねた末に,開幕が3月25日から4月12日へと延期となった2011年のペナントレース。試合開始から3時間30分を超えて新しいイニングには入らない。4月中は東京電力管内におけるナイトゲームの開催を自粛する。当初発表となっていた5カード15試合の日程を再編し,クリネックススタジアム宮城で震災復興オールスターゲームを開催する方向で検討などなど,異様なムードで2011年シーズンの開幕を迎えた。
このお陰でと言っては語弊が生まれてしまうが,右手第5指末節骨骨折で開幕アウトとみられていた田中浩康が開幕に間に合い,ほぼ万全のメンバーで臨むことになった。しかしながら石川雅規・佐藤由規・館山昌平で開幕から3連敗を喫するなど昨年序盤の悪夢すら蘇るスタートではあったが,今シーズンより先発に転向した増渕竜義と4番に座った畠山和洋の活躍で開幕からに5試合目にしてようやくシーズン1勝目を挙げると,ここから一気に引き分けを挟んで9連勝。4月22日には4年目山本斉がプロ初勝利を手にした。4月24日に首位に立ち,5月1日には1997年以来14年ぶりのリーグ10勝一番乗りを果たす。その勢いはとどまることを知らず,16勝7敗3分 勝率.696という上々の成績で2位中日に3.0ゲーム差をつけ交流戦に突入する。
交流戦の初戦から武田勝,ダルビッシュ有,田中将大とパ・リーグを代表する投手との対戦が続き,好調だった打線が調子を崩されてしまうとチームの勢いにも陰りが見え始め,5月29日には中日に首位の座を明け渡してしまう。それでも5月31日対ロッテ戦(QVC)で勝利し再びゲーム差無しの単独首位に返り咲くと,6月は10勝6敗3分,7月も12勝6敗4分と首位の座をキープするどころか,7月19日から8月6日にかけては,スワローズ以外の5球団が借金を抱えるというまさに独走状態に。この快進撃が世間にも評価されオールスターゲームには由規,畠山,青木宣親,ウラジミール・バレンティンの4名がファン投票で選出される。これは1978年(鈴木康二朗,ヒルトン,角富士夫,若松勉)・1993年(古田敦也,ジャック・ハウエル,池山隆寛,飯田哲也)以来球団史上3度目ということもあり,10年ぶりのリーグ制覇そして日本一に向けてチームもファンもその期待は高まるばかりだった。
唯一序盤から濱中治,飯原誉士,武内晋一,福地寿樹,松元ユウイチ,ジョシュ・ホワイトセル,アーロン・ガイエル,宮出隆自と固定出来ずに苦しんだ3番打者には24歳のショートストップ川端慎吾が定着し,ルーキー七條祐樹はプロ初登板から無傷の4連勝など新たな力も芽吹き始めていた。
8月最初のカードはナゴヤドームでの中日戦。実はこの組み合わせはシーズン前の順延と地方開催の連戦中止が重なり,チーム78試合目にしてようやく回ってきたものだった。その初戦で小川監督は,球団史上最速となる通産100勝をマークし,この時点で中日に10.0ゲームの差をつけた。しかし,この日を境に打撃陣に疲労の色が見え始めた。小川監督が就任して以来初めての同一カード3連敗に加え,(最長タイとなる2度の5連敗もあり)初の月間負け越し。それでも指揮官は月が変わればツキも変わると言いきった。その通りの快進撃が再び始まる。
9月1日から15日にかけての5カード13試合を12勝1敗と着実に貯金を増やしていった。ところがこの期間中に2番手捕手としてチームを支えてきた川本良平が右足首前距腓靭帯断裂,ストッパー林昌勇にバトンを渡すセットアッパーに定着したトニー・バーネットが右手首豆状骨剥離骨折,先発ローテーションの一角由規が右肩張りで登録抹消。扇の要相川亮二は右手親指亀裂と剥離骨折を押しながら強行出場するなど,故障者が目立つようになっていた。
そして9月入って同じようなハイペースで白星を重ねてきたのが昨年の覇者中日ドラゴンズだった。22日からの直接対決4連戦第1Rは3連敗スタート。4戦目こそ8月にプロ初勝利を挙げたばかりの赤川克紀がプロ初完投勝利で一矢報いたもののその差は3.0。優勝の二文字を手にするためには,10月10日からの4連戦が最大の山となるだろう。そんな重苦しい重圧と緊張感がチームを取り巻いていた。そんな最中に左のセットアッパーとして台頭したルーキー久古健太郎,エース石川,そしてチームの精神的支柱宮本慎也が相次いで肺炎に感染。調子の上がらない村中恭兵は左肩痛,貴重なバイブルプレーヤー川島慶三も右肘靭帯再建と負の連鎖は止まらない。それでも川端の生涯初グランドスラム,日高亮プロ初勝利など必死に首位の座を守り続けてきた。
10月6日に首位の座を奪われこそしたが,本拠地神宮球場の広島カープ戦で福地がサヨナラタイムリーと勢いをつけて,直接対決4連戦第2Rで勝ち越したチームにマジック4が点灯するという天王山の地・ナゴヤに乗り込んだ。結果はまさかの4連敗。1度も先制点を奪うことすらできず,2004年から8年間という落合野球との"経験の差"をまざまざと見せつけられた。18日今シーズン敵地で苦しめられた阪神タイガース相手に一矢報いるも,中日が横浜ベイスターズ相手に引き分けに持ち込んだことで,スワローズが勝率でドラゴンズを上回れる可能性が消滅。10年ぶりとなる優勝の悲願は叶わなかった【表1】。
2009年以来球団史上2回目となるクライマックスシリーズに進出したスワローズ。史上初めて神宮球場で開催されたクライマックスシリーズは,スタンドが傘の花で埋め尽くされ,巨大戦力誇る讀賣ジャイアンツを接戦に次ぐ接戦の末最終戦で振り切り,初めてジャイアンツ・ドラゴンズ以外のチームでファイナルステージの舞台に駒を進めた。
1勝のアドバンテージを含め0勝2敗となった状態で,公式戦未出場の高卒ルーキー山田哲人と若手のホープ上田剛史を1・2番コンビに据えるという大胆采配を見せ,2戦目・3戦目を連勝,対戦成績を2勝2敗のタイまで持ち込んだが,最後は右手血行障害を抱えながらもマウンドに立ち続けた館山が力尽き,激動の2011年シーズンは152試合目にしてその幕を下ろした。
【表1】チーム月別成績
チーム成績
今シーズンより導入された統一球によって,投高打低が顕著になったことはここ数年のチーム成績からも明らかである。昨年比で打率は2分4厘下がり,本塁打数も38本の減少。得点は133マイナスとながらリーグトップとなった。失点,防御率に関しては近年でも最高の数字ではあるが,いずれも横浜に次いでリーグ5位の数字であった。盗塁数は年々減少している【表2】。
こと投手に関しては支配下登録33投手のうち一軍未登録に終わったのは高木啓充,吉川昌宏,八木亮祐の3名のみ(平井諒は一軍登板機会無く抹消)で,のべ29人の登板は横浜と並び12球団最多タイ。そのうち川島亮,山岸穣,佐藤賢,高市俊,中澤雅人,岡本直也,石井弘寿,ラファエル・フェルナンデスの8名が投球回数3イニング以下にとどまり,引退試合登板の石井を除く7人で合算すると14イニング失点23自責点22,防御率に換算すると14.14という成績になってしまう。川島亮,佐藤賢,高市,岡本,高木,石井,吉川の7名が退団となったが,一軍で通じる投手の駒数を充実させることは大きな課題であるように思われる。
【表2】チーム成績 ※()はリーグ順位
【表2-2】セ・リーグ順位表
2000年以来実に11年ぶり,今世紀初めて対巨人戦に勝ち越した。一方ドーム球場では6勝25敗3分の勝率.194(内訳:ナゴヤドーム2勝9敗1分,東京ドーム2勝5敗1分,京セラドーム0勝7敗1分,ヤフードーム1勝1敗,札幌ドーム1勝1敗,西武ドーム0勝2敗)と散々な成績に終わった。ドーム対策も急務である。
【表3】チーム別対戦成績
守備成績は2年ぶりにリーグトップを奪還した。特筆すべきは宮本で,三塁手として132試合に出場し,失策を記録したのは6月19日ロッテ戦先頭打者岡田幸文のサードゴロをファンブルしたのみ。守備率.997は,三塁手としては1968年徳武定之(中日)の.993を抜きセ・リーグ新記録となった【表4】。
【表4】守備成績
今年も57勝78敗9分とパ・リーグに圧倒された交流戦であったが,通産成績では中日とタイながらセ・リーグトップに返り咲いた。勝率的には阪神・巨人とも肉薄しているが,あと2勝と迫った通産100勝をリーグ一番乗りで達成したいところである【表5】。
【表5】交流戦通産成績[2005-2011]
中日と2.5ゲーム差を分けたものとは一体何だったのだろうか
今シーズンは3時間30分を超えて新しいイニングに入らない規定が設けられた。これにより例年に比べ引き分け試合が増えることは予想されたが,スワローズは12球団で最多の15試合となった。この15試合のうち先発投手に勝ちの権利があったのは4月16日村中,6月30日館山,7月30日由規の3試合のみで,先発が5イニング持たなかった試合が7試合あることを考えても,松岡健一,押本健彦,久古,バーネットら中継ぎ陣が踏ん張って引き分けにもちこんだという見方が出来る【表6】。
【表6】今季引き分け試合の戦績
しかし最終的に優勝した中日とは負け数(59)が等しく,2.5ゲームの差を分けたものは引き分け数にあったとも言える。もっと言えば,対中日との引き分け3試合で勝利を収めていれば,最終成績はヤクルト73勝59敗12分 勝率.5530 中日75勝62敗7分 勝率.5434という計算になり,1分差で中日をかわしたことにもなる。あくまでも仮定の話ではあるが,あと1点ずつ(計3点)多く得点を奪えていれば,あるいはあと1点づつ(計3失点)失点を与えなければ優勝出来たのである。ちなみに振り返るといずれも中日はチェンが先発した試合であった。
7/14 神宮 9回戦 15,261人 3時間48分
チェン,小林正,鈴木,河原,岩瀬,浅尾−小山
石川71/3,H松岡2/3,Hバーネット1,H押本2/3,久古1/3−相川
森野8号ソロ(2表石川),ホワイトセル10号2ラン(6裏チェン)
8/3 ナゴヤドーム 11回戦 27,093人 3時間44分
七條7,Hバーネット1,H林昌勇1,松岡1−相川
チェン,浅尾,河原,岩瀬−小山
8/24 神宮 14回戦 25,477人 3時間47分
チェン,久本,鈴木,小林正,平井,浅尾,岩瀬−谷繁
七條2,押本3,H渡辺1,H松岡1,バーネット1,H久古2/3,林昌勇1/3−相川
畠山15号2ラン(1裏チェン),谷繁2号ソロ(3表押本),堂上直2号ソロ(8表バーネット)
試合は「1点を守り抜くか、相手を『0』にすれば負けない」のだ。敵将落合監督8年間の集大成はまさにこの1点1点の積み重ねに集約されていた。これを144試合のどこで発揮したらよいのか。どの場面で何をすればいいのか。この小さいようで大きな差をどこまで詰められるか。地道な基本作業の反復が求められている。
おわりに〜2012シーズンに向けて
優勝争いを「体験」しただけであって,優勝しないことには「経験」にはならない―宮本の言葉は実に重みがある。近年終盤まで首位を独走していたが逆転で優勝を逃したチームといえば,1996年広島(11.5差),1998年日本ハム(10.0差),2008年阪神(13.0差)が思い出されるが,いずれのチームも翌年Vを逃しているし,その後長期間低迷に陥っている傾向も否めない。優勝を逃した以上来季への展望はそれほど明るいものではないように思えてならない。さらにいえば重度の故障を押してまで戦った選手は復帰出来るのか?若い力は研究されてジンクスに陥ってしまうのではないか?不安は募るばかりである。それに加えてチームの看板であり,野球に興味の無い人にでも知名度を誇った青木という選手が抜ける。実力に加え,人気面でも低下することが懸念される。
ライバルでもある巨人は,2007-2008年セ・リーグ本塁打王・村田修一,2005年パ・リーグ最多勝・最優秀防御率,2008-2009年パ・リーグ最多奪三振投手・杉内俊哉,2011年パ・リーグ最多勝投手DJホールトンという巨大補強を敢行。アレックス・ラミレス,セス・グライシンガー,マーク・クルーンを補強した2008年に負けずとも劣らぬ,優勝へのなりふり構わない姿勢を見せている。
2011年の「体験」を風化させないためにも来年が非常に重要になる。2012年シーズンの戦いは,スワローズの向こう10年を決める一年になると言っても決して過言ではないと思う。なぜならば,優勝を逃せば小川監督自身が責任を感じ続投を拒否する可能性も否めないし,フロントも当初の契約通りということで,既定路線でもある荒木大輔チーフ兼投手コーチの監督就任を進めるだろう。そして新体制に移行する過程で,長年チームを支えてきた宮本も現役引退しコーチ専任を余儀なくされる・・
私情を挿むことを承知で言うが,もしこうなったら再びチームは低迷することになるだろう。監督の知名度だけで勝てるとは到底思えない。投手出身者が下積みもなく勝てるほど甘くない。この最悪の事態を阻止するためにも勝つしかないのだ。それも巨人に。
広沢克己,ジャック・ハウエル,川口和久を補強した1995年。清原和博,石井浩郎,エリック・ヒルマンを乱獲した1997年。タフィ・ローズ・小久保裕紀と大砲を揃えた2004年。李スンヨプ,ジェルミー・パウエル,豊田清,野口茂樹まで加えた2005年。いずれも元タイトルホルダーという巨大補強が必ずしも成功するとは限らない。選手だけで野球をするのではない。チームとして一体になって機能するのが野球というスポーツなのである。
話をヤクルトに戻す。青木という名前を伏せて打率.292・本塁打4・盗塁8の外野手が抜けたと考えてみたらどうだろうか。かつて青木に「走・守は素晴らしいです。あとは打撃。辛抱×2。長い目で行きましょう。」と書いたことがあった。2005年4月のことである。青木も最初はそんなものだった。
「クリーンアップを育てるのは時間がかかるし、しんどいが1、2番はまだなんとかなる。」とは伊勢孝夫総合コーチの話だ。確かに岩村明憲,古田敦也,ラミレスと不動のクリーンナップ打者でもあった選手が抜けた(退いた)年は,その穴を埋めるのに苦労した。しかし1番打者ならたとえ打率.250でも出塁率や盗塁でそれを補い,かつ守備が安定してさえいれば,一軍は立派に務まる。
2005年(当時)若松勉監督は開幕戦から青木を,宮本と岩村・ラミレス・古田のクリーンナップに挟まれた2番打者として起用していた。打撃はともかく守備で外せないそう監督自ら語っていた。この起用法がポスト青木育成のヒントになるように思う。一番打者が出塁すれば犠打を指示,失敗しても自らが走ることで得点圏に走者を置いてクリーンナップにつなぐ役割をまずは徹底する。当時の宮本の役割を果たせるのは浩康だろうし,川端・畠山・バレンティンに回せば点になるという意識が強くなれば,青木の穴はすんなり埋まるように思う。そこから真の1番打者に定着できるかは起用された本人の才能と努力次第で,青木は1番を不動のものとしていっただけ。だからこの点はそれほど心配していない。
優勝から遠ざかること11年。11年間という年月で募った想いがあるからこそ宮本,福地,相川,石川,館山,田中,畠山が輪の中心となって,小川監督を胴上げする光景が見たい。林昌勇,松岡,押本の長年の労をねぎらいたい。川端,村中,増渕,上田,由規,山本斉,赤川,日高,山田の若さはじける笑顔が見たい。陽気なバーネットとバレンティン。縁の下の力持ち福川将和,宮出,藤本敦士,渡辺恒樹,松井光介,ユウイチ,野口祥順,川本,武内,飯原,森岡良介,三輪正義,七條,久古,山本哲哉,中村悠平。すっかりチームに溶け込んだ川島,一場靖弘,山岸,小野寺力,水田圭介,正田樹,楠城祐介,阿部健太,木下達生。戸田を羽ばたく新田玄気,高井雄平,中澤,加藤幹典,川崎成晃,フェルナンデス,水野祐希,荒木貴裕,松井淳,八木,平井,西田明央,又野知弥。そして川上竜平,木谷良平,比屋根渉,太田裕哉,中根佑二,古野雅人のルーキー達。上野啓輔,麻生知史,北野洸貴,曲尾マイケ,佐藤貴規,徳山武陽,金伏ウーゴの育成選手。
伊藤智仁投手コーチ,佐藤真一打撃兼作戦担当コーチ,飯田哲也・城石憲之守備走塁コーチ,中西親志バッテリーコーチ。真中満二軍監督,伊東昭光・加藤博人二軍投手コーチ,淡口憲治・池山隆寛二軍打撃コーチ,土橋勝征・度会博文二軍守備走塁コーチ,古久保健二二軍バッテリーコーチ,松井優典・石井二軍育成コーチ。新たにスコアラーに就任することになった衣川篤史さんを始め裏方さん,河端龍,加藤謙二郎両広報,スタジアムDJパトリック・ユウさん。そしてつば九郎,つばみ,燕太郎。
衣笠剛球団社長兼オーナー代行以下,フロント・監督・コーチ・選手・スタッフ・ファンが一体となって”優勝”を勝ち取るその一心で,勝負の2012年にしてほしい。
追伸として,毎年書いているような気もするが,ジンクスを2つほど提示しておこう。
1つは実質監督3年目のジンクス。1976年シーズン途中にヘッドコーチから監督代行を務めた広岡達朗監督は翌77年に正式に監督に就任し,実質3年目の1978年にスワローズを初優勝に導いた。野村克也監督も若松監督も就任3年目にチームは優勝している。古田監督と高田繁監督は3年ともたなかった。実質3シーズン目を迎える小川監督には吉兆だ。
もう1つは高木豊氏がベイスターズのユニフォームを着るジンクス。フジテレビ野球解説でもお馴染みの高木豊氏がベイスターズのヘッドコーチに就任したが,実はこの高木氏は現役時代ベイスターズ元年でもあった1993年のオフにトレードで日本ハムに移籍し1年間限りで現役を引退し,フジテレビの解説者に。2001年横浜の内野守備走塁コーチとして8年ぶりに古巣復帰するもその年限りで辞任し,再びフジテレビ解説者となっていた。今回は11年ぶりの復帰となるが,奇しくも高木氏がベイスターズの一員であった2年間のスワローズの順位はというと,いずれも優勝&日本一。2度あることは3度あると信じて願掛けしたい。
参考資料
『週刊ベースボール』第66巻 第60号 通産3087号,ベースボールマガジン社,2011.12
ニッカンスコア速報
http://www.nikkansports.com/baseball/professional/schedule/2011/s201104.html
http://www.nikkansports.com/baseball/professional/schedule/2011/s201105.html
http://www.nikkansports.com/baseball/professional/schedule/2011/s201106.html
http://www.nikkansports.com/baseball/professional/schedule/2011/s201107.html
http://www.nikkansports.com/baseball/professional/schedule/2011/s201108.html
http://www.nikkansports.com/baseball/professional/schedule/2011/s201109.html
http://www.nikkansports.com/baseball/professional/schedule/2011/s201110.html
開幕までちょうどあと2週間と迫った3月11日金曜日の午後に発生した東日本大震災−。地震・原発・デマ・津波・・プロ野球開幕という高揚感は一気に吹き飛んだ。コミッショナー・オーナー・選手会が大臣を巻き込んで論議を重ねた末に,開幕が3月25日から4月12日へと延期となった2011年のペナントレース。試合開始から3時間30分を超えて新しいイニングには入らない。4月中は東京電力管内におけるナイトゲームの開催を自粛する。当初発表となっていた5カード15試合の日程を再編し,クリネックススタジアム宮城で震災復興オールスターゲームを開催する方向で検討などなど,異様なムードで2011年シーズンの開幕を迎えた。
このお陰でと言っては語弊が生まれてしまうが,右手第5指末節骨骨折で開幕アウトとみられていた田中浩康が開幕に間に合い,ほぼ万全のメンバーで臨むことになった。しかしながら石川雅規・佐藤由規・館山昌平で開幕から3連敗を喫するなど昨年序盤の悪夢すら蘇るスタートではあったが,今シーズンより先発に転向した増渕竜義と4番に座った畠山和洋の活躍で開幕からに5試合目にしてようやくシーズン1勝目を挙げると,ここから一気に引き分けを挟んで9連勝。4月22日には4年目山本斉がプロ初勝利を手にした。4月24日に首位に立ち,5月1日には1997年以来14年ぶりのリーグ10勝一番乗りを果たす。その勢いはとどまることを知らず,16勝7敗3分 勝率.696という上々の成績で2位中日に3.0ゲーム差をつけ交流戦に突入する。
交流戦の初戦から武田勝,ダルビッシュ有,田中将大とパ・リーグを代表する投手との対戦が続き,好調だった打線が調子を崩されてしまうとチームの勢いにも陰りが見え始め,5月29日には中日に首位の座を明け渡してしまう。それでも5月31日対ロッテ戦(QVC)で勝利し再びゲーム差無しの単独首位に返り咲くと,6月は10勝6敗3分,7月も12勝6敗4分と首位の座をキープするどころか,7月19日から8月6日にかけては,スワローズ以外の5球団が借金を抱えるというまさに独走状態に。この快進撃が世間にも評価されオールスターゲームには由規,畠山,青木宣親,ウラジミール・バレンティンの4名がファン投票で選出される。これは1978年(鈴木康二朗,ヒルトン,角富士夫,若松勉)・1993年(古田敦也,ジャック・ハウエル,池山隆寛,飯田哲也)以来球団史上3度目ということもあり,10年ぶりのリーグ制覇そして日本一に向けてチームもファンもその期待は高まるばかりだった。
唯一序盤から濱中治,飯原誉士,武内晋一,福地寿樹,松元ユウイチ,ジョシュ・ホワイトセル,アーロン・ガイエル,宮出隆自と固定出来ずに苦しんだ3番打者には24歳のショートストップ川端慎吾が定着し,ルーキー七條祐樹はプロ初登板から無傷の4連勝など新たな力も芽吹き始めていた。
8月最初のカードはナゴヤドームでの中日戦。実はこの組み合わせはシーズン前の順延と地方開催の連戦中止が重なり,チーム78試合目にしてようやく回ってきたものだった。その初戦で小川監督は,球団史上最速となる通産100勝をマークし,この時点で中日に10.0ゲームの差をつけた。しかし,この日を境に打撃陣に疲労の色が見え始めた。小川監督が就任して以来初めての同一カード3連敗に加え,(最長タイとなる2度の5連敗もあり)初の月間負け越し。それでも指揮官は月が変わればツキも変わると言いきった。その通りの快進撃が再び始まる。
9月1日から15日にかけての5カード13試合を12勝1敗と着実に貯金を増やしていった。ところがこの期間中に2番手捕手としてチームを支えてきた川本良平が右足首前距腓靭帯断裂,ストッパー林昌勇にバトンを渡すセットアッパーに定着したトニー・バーネットが右手首豆状骨剥離骨折,先発ローテーションの一角由規が右肩張りで登録抹消。扇の要相川亮二は右手親指亀裂と剥離骨折を押しながら強行出場するなど,故障者が目立つようになっていた。
そして9月入って同じようなハイペースで白星を重ねてきたのが昨年の覇者中日ドラゴンズだった。22日からの直接対決4連戦第1Rは3連敗スタート。4戦目こそ8月にプロ初勝利を挙げたばかりの赤川克紀がプロ初完投勝利で一矢報いたもののその差は3.0。優勝の二文字を手にするためには,10月10日からの4連戦が最大の山となるだろう。そんな重苦しい重圧と緊張感がチームを取り巻いていた。そんな最中に左のセットアッパーとして台頭したルーキー久古健太郎,エース石川,そしてチームの精神的支柱宮本慎也が相次いで肺炎に感染。調子の上がらない村中恭兵は左肩痛,貴重なバイブルプレーヤー川島慶三も右肘靭帯再建と負の連鎖は止まらない。それでも川端の生涯初グランドスラム,日高亮プロ初勝利など必死に首位の座を守り続けてきた。
10月6日に首位の座を奪われこそしたが,本拠地神宮球場の広島カープ戦で福地がサヨナラタイムリーと勢いをつけて,直接対決4連戦第2Rで勝ち越したチームにマジック4が点灯するという天王山の地・ナゴヤに乗り込んだ。結果はまさかの4連敗。1度も先制点を奪うことすらできず,2004年から8年間という落合野球との"経験の差"をまざまざと見せつけられた。18日今シーズン敵地で苦しめられた阪神タイガース相手に一矢報いるも,中日が横浜ベイスターズ相手に引き分けに持ち込んだことで,スワローズが勝率でドラゴンズを上回れる可能性が消滅。10年ぶりとなる優勝の悲願は叶わなかった【表1】。
2009年以来球団史上2回目となるクライマックスシリーズに進出したスワローズ。史上初めて神宮球場で開催されたクライマックスシリーズは,スタンドが傘の花で埋め尽くされ,巨大戦力誇る讀賣ジャイアンツを接戦に次ぐ接戦の末最終戦で振り切り,初めてジャイアンツ・ドラゴンズ以外のチームでファイナルステージの舞台に駒を進めた。
1勝のアドバンテージを含め0勝2敗となった状態で,公式戦未出場の高卒ルーキー山田哲人と若手のホープ上田剛史を1・2番コンビに据えるという大胆采配を見せ,2戦目・3戦目を連勝,対戦成績を2勝2敗のタイまで持ち込んだが,最後は右手血行障害を抱えながらもマウンドに立ち続けた館山が力尽き,激動の2011年シーズンは152試合目にしてその幕を下ろした。
【表1】チーム月別成績
通産 | |||||||||||||
月 | 試合 | 勝数 | 負数 | 引分 | 勝率 | 順位 | 打率 | 本塁 | 得点 | 失点 | 防御 | 勝率 | 順位 |
4 | 16 | 9 | 5 | 2 | .643 | 1 | .272 | 15 | 63 | 50 | 2.89 | .643 | 1 |
5 | 20 | 9 | 9 | 2 | .500 | 3 | .233 | 10 | 55 | 71 | 3.41 | .563 | 1 |
6 | 19 | 10 | 6 | 3 | .625 | 1 | .259 | 12 | 61 | 70 | 3.50 | .583 | 1 |
7 | 22 | 12 | 6 | 4 | .667 | 1 | .257 | 11 | 81 | 72 | 2.98 | .606 | 1 |
8 | 25 | 7 | 15 | 3 | .318 | 5 | .224 | 14 | 75 | 92 | 3.57 | .534 | 1 |
9 | 25 | 17 | 7 | 1 | .708 | 2 | .249 | 20 | 114 | 79 | 3.02 | .571 | 1 |
10 | 17 | 6 | 11 | 0 | .353 | 5 | .215 | 3 | 35 | 70 | 4.31 | .543 | 2 |
チーム成績
今シーズンより導入された統一球によって,投高打低が顕著になったことはここ数年のチーム成績からも明らかである。昨年比で打率は2分4厘下がり,本塁打数も38本の減少。得点は133マイナスとながらリーグトップとなった。失点,防御率に関しては近年でも最高の数字ではあるが,いずれも横浜に次いでリーグ5位の数字であった。盗塁数は年々減少している【表2】。
こと投手に関しては支配下登録33投手のうち一軍未登録に終わったのは高木啓充,吉川昌宏,八木亮祐の3名のみ(平井諒は一軍登板機会無く抹消)で,のべ29人の登板は横浜と並び12球団最多タイ。そのうち川島亮,山岸穣,佐藤賢,高市俊,中澤雅人,岡本直也,石井弘寿,ラファエル・フェルナンデスの8名が投球回数3イニング以下にとどまり,引退試合登板の石井を除く7人で合算すると14イニング失点23自責点22,防御率に換算すると14.14という成績になってしまう。川島亮,佐藤賢,高市,岡本,高木,石井,吉川の7名が退団となったが,一軍で通じる投手の駒数を充実させることは大きな課題であるように思われる。
【表2】チーム成績 ※()はリーグ順位
試合 | 勝数 | 負数 | 引分 | 勝率 | 勝差 | 順位 | 得点 | 失点 | 本塁打 | 盗塁 | 打率 | 防御率 | |
2011 | 144 | 70 | 59 | 15 | .543 | 2.5 | 2 | 484(1) | 504(5) | 86(3) | 43(5) | .244(3) | 3.36(5) |
2010 | 144 | 72 | 68 | 4 | .514 | 6.5 | 4 | 617(3) | 621(3) | 124(3) | 66(4) | .268(2) | 3.85(2) |
2009 | 144 | 71 | 72 | 1 | .496 | 22.0 | 3 | 548(3) | 606(5) | 116(4) | 106(1) | .259(2) | 3.97(5) |
2008 | 144 | 66 | 74 | 4 | .471 | 17.5 | 5 | 583(2) | 569(4) | 83(5) | 148(1) | .266(4) | 3.75(4) |
2007 | 144 | 60 | 84 | 0 | .417 | 20.5 | 6 | 596(3) | 623(4) | 139(2) | 66(2) | .269(2) | 4.07(5) |
【表2-2】セ・リーグ順位表
順位 | チーム | 試合 | 勝数 | 敗数 | 引分 | 勝率 | 勝差 | 得点 | 失点 | 本塁打 | 盗塁 | 打率 | 防御率 |
1 | 中 日 | 144 | 75 | 59 | 10 | .560 | 419 | 410 | 82 | 41 | .228 | 2.46 | |
2 | ヤクルト | 144 | 70 | 59 | 15 | .543 | 2.5 | 484 | 504 | 85 | 43 | .244 | 3.36 |
3 | 巨 人 | 144 | 71 | 62 | 11 | .534 | 3.5 | 471 | 417 | 108 | 106 | .243 | 2.61 |
4 | 阪 神 | 144 | 68 | 70 | 6 | .493 | 9.0 | 482 | 443 | 80 | 62 | .255 | 2.83 |
5 | 広 島 | 144 | 60 | 76 | 8 | .441 | 16.0 | 439 | 496 | 52 | 65 | .245 | 3.22 |
6 | 横 浜 | 144 | 47 | 86 | 11 | .353 | 27.5 | 423 | 587 | 78 | 31 | .239 | 3.87 |
2000年以来実に11年ぶり,今世紀初めて対巨人戦に勝ち越した。一方ドーム球場では6勝25敗3分の勝率.194(内訳:ナゴヤドーム2勝9敗1分,東京ドーム2勝5敗1分,京セラドーム0勝7敗1分,ヤフードーム1勝1敗,札幌ドーム1勝1敗,西武ドーム0勝2敗)と散々な成績に終わった。ドーム対策も急務である。
【表3】チーム別対戦成績
中 日 | 巨 人 | 阪 神 | 広 島 | 横 浜 | ソフト | 日ハム | 西 武 | オリク | 楽 天 | ロッテ | 計 | 順位 | |
試合数 | 24 | 24 | 24 | 24 | 24 | 4 | 4 | 4 | 4 | 4 | 4 | 144 | - |
勝利数 | 10 | 12 | 10 | 13 | 15 | 1 | 2 | 1 | 1 | 2 | 3 | 70 | 2 |
敗戦数 | 11 | 8 | 14 | 9 | 5 | 2 | 2 | 3 | 2 | 2 | 1 | 59 | 1 |
引分数 | 3 | 4 | 0 | 2 | 4 | 1 | 0 | 0 | 1 | 0 | 0 | 15 | 1 |
得点 | 63 | 82 | 82 | 102 | 98 | 5 | 7 | 9 | 5 | 21 | 10 | 484 | 1 |
失点 | 70 | 80 | 103 | 85 | 76 | 14 | 13 | 26 | 13 | 14 | 10 | 504 | 5 |
安打数 | 182 | 196 | 162 | 197 | 217 | 20 | 30 | 34 | 25 | 40 | 29 | 1132 | 4 |
本塁打数 | 11 | 12 | 16 | 16 | 19 | 1 | 2 | 1 | 2 | 5 | 0 | 85 | 3 |
三振数 | 137 | 153 | 154 | 134 | 141 | 27 | 20 | 31 | 30 | 26 | 24 | 877 | 2 |
四球数 | 52 | 70 | 79 | 91 | 78 | 7 | 9 | 9 | 9 | 10 | 16 | 430 | 1 |
死球数 | 4 | 9 | 5 | 13 | 6 | 3 | 2 | 1 | 0 | 3 | 0 | 46 | 4 |
併殺打数 | 17 | 19 | 16 | 18 | 14 | 2 | 1 | 3 | 1 | 1 | 4 | 96 | 3 |
盗塁数 | 8 | 2 | 5 | 11 | 5 | 2 | 0 | 3 | 1 | 2 | 4 | 43 | 5 |
失策数 | 7 | 10 | 11 | 6 | 13 | 2 | 1 | 2 | 1 | 1 | 2 | 56 | 1 |
打率 | .234 | .254 | .218 | .252 | .274 | .179 | .234 | .241 | .192 | .292 | .227 | .244 | 3 |
防御率 | 2.91 | 3.13 | 3.98 | 3.41 | 3.01 | 4.06 | 3.09 | 6.25 | 3.00 | 3.67 | 2.50 | 3.36 | 5 |
守備成績は2年ぶりにリーグトップを奪還した。特筆すべきは宮本で,三塁手として132試合に出場し,失策を記録したのは6月19日ロッテ戦先頭打者岡田幸文のサードゴロをファンブルしたのみ。守備率.997は,三塁手としては1968年徳武定之(中日)の.993を抜きセ・リーグ新記録となった【表4】。
【表4】守備成績
チーム | 守備率 | 試合 | 守機備会 | 刺殺 | 補殺 | 失策 | 併殺 | 捕逸 | |
参加 | 球団 | ||||||||
ヤクルト | .980 | 144 | 5341 | 3801 | 1484 | 56 | 341 | 123 | 4 |
広 島 | .9881 | 144 | 5388 | 3812 | 1512 | 64 | 241 | 89 | 12 |
巨 人 | .9879 | 144 | 5576 | 3853 | 1656 | 67 | 313 | 116 | 4 |
阪 神 | .9862 | 144 | 5394 | 3799 | 1521 | 74 | 285 | 104 | 7 |
横 浜 | .9859 | 144 | 5333 | 3767 | 1491 | 75 | 299 | 112 | 8 |
中 日 | .9850 | 144 | 5586 | 3847 | 1656 | 83 | 317 | 116 | 4 |
今年も57勝78敗9分とパ・リーグに圧倒された交流戦であったが,通産成績では中日とタイながらセ・リーグトップに返り咲いた。勝率的には阪神・巨人とも肉薄しているが,あと2勝と迫った通産100勝をリーグ一番乗りで達成したいところである【表5】。
【表5】交流戦通産成績[2005-2011]
試合 | 勝数 | 負数 | 引分 | 勝率 | 勝差 | |
福岡ソフトバンク | 192 | 118 | 69 | 5 | .631 | - |
千葉ロッテ | 192 | 100 | 84 | 8 | .543 | 16.5 |
北海道日本ハム | 192 | 101 | 86 | 5 | .540 | 0.5 |
東京ヤクルト | 192 | 98 | 91 | 3 | .519 | 4.0 |
中 日 | 192 | 98 | 91 | 3 | .519 | 0.0 |
阪 神 | 192 | 96 | 90 | 6 | .516 | 0.5 |
巨 人 | 192 | 94 | 90 | 8 | .511 | 1.0 |
埼玉西武 | 192 | 94 | 94 | 4 | .500 | 2.0 |
オリックス | 192 | 91 | 95 | 6 | .489 | 2.0 |
東北楽天 | 192 | 83 | 105 | 4 | .441 | 9.0 |
広 島 | 192 | 75 | 110 | 7 | .405 | 6.5 |
横浜DeNA | 192 | 73 | 114 | 5 | .390 | 3.0 |
中日と2.5ゲーム差を分けたものとは一体何だったのだろうか
今シーズンは3時間30分を超えて新しいイニングに入らない規定が設けられた。これにより例年に比べ引き分け試合が増えることは予想されたが,スワローズは12球団で最多の15試合となった。この15試合のうち先発投手に勝ちの権利があったのは4月16日村中,6月30日館山,7月30日由規の3試合のみで,先発が5イニング持たなかった試合が7試合あることを考えても,松岡健一,押本健彦,久古,バーネットら中継ぎ陣が踏ん張って引き分けにもちこんだという見方が出来る【表6】。
【表6】今季引き分け試合の戦績
月日 | 球場 | 対戦相手 | 時間 | スコア | バッテリー |
4.16 | 神 宮 | 横 浜 | 3:34 | 6-6 | 村中70/3,Hバーネット1,林昌勇1−相川 |
4.23 | マツダ | 広 島 | 4:10 | 6-6 | 高市21/3,橋本2/3,押本2,バーネット2,松岡1,林昌勇1−川本 |
5.8 | 松 山 | 広 島 | 3:37 | 3-3 | 増渕62/3,久古1/3,Hバーネット1,林昌勇1−相川 |
5.23 | 神 宮 | ソフトバンク | 1:41 | 0-0 | 館山5−相川 |
6.9 | 京セラドーム | オリックス | 3:32 | 1-1 | 由規4,H松岡2,H久古11/3,H押本2/3,H林昌勇1,バーネット1−相川 |
6.29 | 郡 山 | 巨 人 | 3:40 | 5-5 | 加藤42/3,松岡1/3,H久古1,押本2,Hバーネット1,林昌勇1−相川 |
6.30 | 東京ドーム | 巨 人 | 3:51 | 4-4 | 館山8,林昌勇1,バーネット1−相川 |
7.14 | 神 宮 | 中 日 | 3:48 | 2-2 | 石川71/3,H松岡2/3,Hバーネット1,H押本2/3,久古1/3−相川 |
7.18 | 横 浜 | 横 浜 | 3:33 | 2-2 | 七條32/3,赤川21/3,押本1,久古1,バーネット1−相川 |
7.30 | 神 宮 | 巨 人 | 3:53 | 2-2 | 由規62/3,H久古1/3,Hバーネット1,林昌勇1−相川 |
7.31 | 神 宮 | 巨 人 | 3:51 | 6-6 | 増渕2,赤川2,松岡2,押本2,バーネット1−相川 |
8.3 | ナゴヤドーム | 中 日 | 3:44 | 1-1 | 七條7,Hバーネット1,H林昌勇1,松岡1−相川 |
8.17 | 神 宮 | 横 浜 | 4:06 | 10-10 | 七條2/3,渡辺31/3,小野寺1,松岡2,H久古2/3,H押本1/3,バーネット1−相川,川本 |
8.24 | 神 宮 | 中 日 | 3:47 | 6-6 | 七條2,押本3,H渡辺1,H松岡1,バーネット1,H久古2/3,林昌勇1/3−相川 |
9.17 | 神 宮 | 横 浜 | 3:33 | 2-2 | 石川61/3,松井光0/3,H押本2/3,H松岡1,H久古2/3,林昌勇1/3−相川 |
しかし最終的に優勝した中日とは負け数(59)が等しく,2.5ゲームの差を分けたものは引き分け数にあったとも言える。もっと言えば,対中日との引き分け3試合で勝利を収めていれば,最終成績はヤクルト73勝59敗12分 勝率.5530 中日75勝62敗7分 勝率.5434という計算になり,1分差で中日をかわしたことにもなる。あくまでも仮定の話ではあるが,あと1点ずつ(計3点)多く得点を奪えていれば,あるいはあと1点づつ(計3失点)失点を与えなければ優勝出来たのである。ちなみに振り返るといずれも中日はチェンが先発した試合であった。
7/14 神宮 9回戦 15,261人 3時間48分
中 日 | 0 | 1 | 0 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 2 | ||
ヤクルト | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 2 | 0 | 0 | 0 | 0 | 2 |
チェン,小林正,鈴木,河原,岩瀬,浅尾−小山
石川71/3,H松岡2/3,Hバーネット1,H押本2/3,久古1/3−相川
森野8号ソロ(2表石川),ホワイトセル10号2ラン(6裏チェン)
首位攻防の第3戦は引き分けに終わった。2回表に中日が森野の2試合連続となるソロで先制すると、4回にも和田の適時打で加点。対するヤクルトは6回、ホワイトセルの2ランで同点とする。その後は両チームとも小刻みな継投で相手打線を封じ、スコアボードに0を並べた。
8/3 ナゴヤドーム 11回戦 27,093人 3時間44分
ヤクルト | 0 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | ||
中 日 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 |
七條7,Hバーネット1,H林昌勇1,松岡1−相川
チェン,浅尾,河原,岩瀬−小山
中日は1回裏、1死二塁からグスマンの適時打で先制する。対するヤクルトは直後の2回、先発の七條が自ら適時打を放ち同点とした。その後は両軍投手陣が粘りの投球。9回には中日が無死一二塁の好機をつくるも決定打を欠き、試合は10回終了で規定により引き分けとなった。
8/24 神宮 14回戦 25,477人 3時間47分
中 日 | 1 | 3 | 1 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | 0 | 6 | |||
ヤクルト | 3 | 1 | 2 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 6 |
チェン,久本,鈴木,小林正,平井,浅尾,岩瀬−谷繁
七條2,押本3,H渡辺1,H松岡1,バーネット1,H久古2/3,林昌勇1/3−相川
畠山15号2ラン(1裏チェン),谷繁2号ソロ(3表押本),堂上直2号ソロ(8表バーネット)
1点を追うヤクルトは3回裏、1死満塁の好機でガイエルが適時二塁打を放ち逆転に成功。対する中日も8回、堂上直がソロを放ち同点とする。その後は両軍救援陣が完ぺきな投球で得点を許さず、合わせて39選手が出場した総力戦は、規定により引き分けに終わった。
試合は「1点を守り抜くか、相手を『0』にすれば負けない」のだ。敵将落合監督8年間の集大成はまさにこの1点1点の積み重ねに集約されていた。これを144試合のどこで発揮したらよいのか。どの場面で何をすればいいのか。この小さいようで大きな差をどこまで詰められるか。地道な基本作業の反復が求められている。
おわりに〜2012シーズンに向けて
優勝争いを「体験」しただけであって,優勝しないことには「経験」にはならない―宮本の言葉は実に重みがある。近年終盤まで首位を独走していたが逆転で優勝を逃したチームといえば,1996年広島(11.5差),1998年日本ハム(10.0差),2008年阪神(13.0差)が思い出されるが,いずれのチームも翌年Vを逃しているし,その後長期間低迷に陥っている傾向も否めない。優勝を逃した以上来季への展望はそれほど明るいものではないように思えてならない。さらにいえば重度の故障を押してまで戦った選手は復帰出来るのか?若い力は研究されてジンクスに陥ってしまうのではないか?不安は募るばかりである。それに加えてチームの看板であり,野球に興味の無い人にでも知名度を誇った青木という選手が抜ける。実力に加え,人気面でも低下することが懸念される。
ライバルでもある巨人は,2007-2008年セ・リーグ本塁打王・村田修一,2005年パ・リーグ最多勝・最優秀防御率,2008-2009年パ・リーグ最多奪三振投手・杉内俊哉,2011年パ・リーグ最多勝投手DJホールトンという巨大補強を敢行。アレックス・ラミレス,セス・グライシンガー,マーク・クルーンを補強した2008年に負けずとも劣らぬ,優勝へのなりふり構わない姿勢を見せている。
2011年の「体験」を風化させないためにも来年が非常に重要になる。2012年シーズンの戦いは,スワローズの向こう10年を決める一年になると言っても決して過言ではないと思う。なぜならば,優勝を逃せば小川監督自身が責任を感じ続投を拒否する可能性も否めないし,フロントも当初の契約通りということで,既定路線でもある荒木大輔チーフ兼投手コーチの監督就任を進めるだろう。そして新体制に移行する過程で,長年チームを支えてきた宮本も現役引退しコーチ専任を余儀なくされる・・
私情を挿むことを承知で言うが,もしこうなったら再びチームは低迷することになるだろう。監督の知名度だけで勝てるとは到底思えない。投手出身者が下積みもなく勝てるほど甘くない。この最悪の事態を阻止するためにも勝つしかないのだ。それも巨人に。
広沢克己,ジャック・ハウエル,川口和久を補強した1995年。清原和博,石井浩郎,エリック・ヒルマンを乱獲した1997年。タフィ・ローズ・小久保裕紀と大砲を揃えた2004年。李スンヨプ,ジェルミー・パウエル,豊田清,野口茂樹まで加えた2005年。いずれも元タイトルホルダーという巨大補強が必ずしも成功するとは限らない。選手だけで野球をするのではない。チームとして一体になって機能するのが野球というスポーツなのである。
話をヤクルトに戻す。青木という名前を伏せて打率.292・本塁打4・盗塁8の外野手が抜けたと考えてみたらどうだろうか。かつて青木に「走・守は素晴らしいです。あとは打撃。辛抱×2。長い目で行きましょう。」と書いたことがあった。2005年4月のことである。青木も最初はそんなものだった。
「クリーンアップを育てるのは時間がかかるし、しんどいが1、2番はまだなんとかなる。」とは伊勢孝夫総合コーチの話だ。確かに岩村明憲,古田敦也,ラミレスと不動のクリーンナップ打者でもあった選手が抜けた(退いた)年は,その穴を埋めるのに苦労した。しかし1番打者ならたとえ打率.250でも出塁率や盗塁でそれを補い,かつ守備が安定してさえいれば,一軍は立派に務まる。
2005年(当時)若松勉監督は開幕戦から青木を,宮本と岩村・ラミレス・古田のクリーンナップに挟まれた2番打者として起用していた。打撃はともかく守備で外せないそう監督自ら語っていた。この起用法がポスト青木育成のヒントになるように思う。一番打者が出塁すれば犠打を指示,失敗しても自らが走ることで得点圏に走者を置いてクリーンナップにつなぐ役割をまずは徹底する。当時の宮本の役割を果たせるのは浩康だろうし,川端・畠山・バレンティンに回せば点になるという意識が強くなれば,青木の穴はすんなり埋まるように思う。そこから真の1番打者に定着できるかは起用された本人の才能と努力次第で,青木は1番を不動のものとしていっただけ。だからこの点はそれほど心配していない。
優勝から遠ざかること11年。11年間という年月で募った想いがあるからこそ宮本,福地,相川,石川,館山,田中,畠山が輪の中心となって,小川監督を胴上げする光景が見たい。林昌勇,松岡,押本の長年の労をねぎらいたい。川端,村中,増渕,上田,由規,山本斉,赤川,日高,山田の若さはじける笑顔が見たい。陽気なバーネットとバレンティン。縁の下の力持ち福川将和,宮出,藤本敦士,渡辺恒樹,松井光介,ユウイチ,野口祥順,川本,武内,飯原,森岡良介,三輪正義,七條,久古,山本哲哉,中村悠平。すっかりチームに溶け込んだ川島,一場靖弘,山岸,小野寺力,水田圭介,正田樹,楠城祐介,阿部健太,木下達生。戸田を羽ばたく新田玄気,高井雄平,中澤,加藤幹典,川崎成晃,フェルナンデス,水野祐希,荒木貴裕,松井淳,八木,平井,西田明央,又野知弥。そして川上竜平,木谷良平,比屋根渉,太田裕哉,中根佑二,古野雅人のルーキー達。上野啓輔,麻生知史,北野洸貴,曲尾マイケ,佐藤貴規,徳山武陽,金伏ウーゴの育成選手。
伊藤智仁投手コーチ,佐藤真一打撃兼作戦担当コーチ,飯田哲也・城石憲之守備走塁コーチ,中西親志バッテリーコーチ。真中満二軍監督,伊東昭光・加藤博人二軍投手コーチ,淡口憲治・池山隆寛二軍打撃コーチ,土橋勝征・度会博文二軍守備走塁コーチ,古久保健二二軍バッテリーコーチ,松井優典・石井二軍育成コーチ。新たにスコアラーに就任することになった衣川篤史さんを始め裏方さん,河端龍,加藤謙二郎両広報,スタジアムDJパトリック・ユウさん。そしてつば九郎,つばみ,燕太郎。
衣笠剛球団社長兼オーナー代行以下,フロント・監督・コーチ・選手・スタッフ・ファンが一体となって”優勝”を勝ち取るその一心で,勝負の2012年にしてほしい。
追伸として,毎年書いているような気もするが,ジンクスを2つほど提示しておこう。
1つは実質監督3年目のジンクス。1976年シーズン途中にヘッドコーチから監督代行を務めた広岡達朗監督は翌77年に正式に監督に就任し,実質3年目の1978年にスワローズを初優勝に導いた。野村克也監督も若松監督も就任3年目にチームは優勝している。古田監督と高田繁監督は3年ともたなかった。実質3シーズン目を迎える小川監督には吉兆だ。
もう1つは高木豊氏がベイスターズのユニフォームを着るジンクス。フジテレビ野球解説でもお馴染みの高木豊氏がベイスターズのヘッドコーチに就任したが,実はこの高木氏は現役時代ベイスターズ元年でもあった1993年のオフにトレードで日本ハムに移籍し1年間限りで現役を引退し,フジテレビの解説者に。2001年横浜の内野守備走塁コーチとして8年ぶりに古巣復帰するもその年限りで辞任し,再びフジテレビ解説者となっていた。今回は11年ぶりの復帰となるが,奇しくも高木氏がベイスターズの一員であった2年間のスワローズの順位はというと,いずれも優勝&日本一。2度あることは3度あると信じて願掛けしたい。
参考資料
『週刊ベースボール』第66巻 第60号 通産3087号,ベースボールマガジン社,2011.12
ニッカンスコア速報
http://www.nikkansports.com/baseball/professional/schedule/2011/s201104.html
http://www.nikkansports.com/baseball/professional/schedule/2011/s201105.html
http://www.nikkansports.com/baseball/professional/schedule/2011/s201106.html
http://www.nikkansports.com/baseball/professional/schedule/2011/s201107.html
http://www.nikkansports.com/baseball/professional/schedule/2011/s201108.html
http://www.nikkansports.com/baseball/professional/schedule/2011/s201109.html
http://www.nikkansports.com/baseball/professional/schedule/2011/s201110.html
2010年12月25日
総括2010―借金19+貯金23
はじめに
借金19+貯金23―5/26の高田繁監督辞任を境に,これが本当に同じチームなのか?と思えるくらい劇的に変わった。敢えて高田監督と小川淳司監督代行という二人指揮官が率いたチーム状況の違いを前面に出しながら総括することになるが,高田繁という人物そのものを否定する訳ではないということだけは断っておきたい。4番(アレックス・ラミレス),最多勝投手(セス・グライシンガー),開幕投手(石井一久)が抜け,18年間チームの顔として君臨し続けてきた古田敦也も居なくなり・・・。それこそ焼畑状態のチームを率いることになったにも関わらず,僅か2年という短期間でチームを立て直してくれたのは高田監督に他ならない。
弱者が出来る野球とは何か―両翼が拡張されリニューアルした神宮球場を本拠地にするチームで足を絡めることを指針とし,石井一の人的補償で福地寿樹,藤井秀悟とのトレードで川島慶三を獲得する。将来を見据え村中恭平,増渕竜義,由規という若手投手も積極的に起用した。前年火の車だった中継ぎ抑えには先発で伸び悩んでいた松岡健一を配置転換,トレードの押本健彦と新外国人林昌勇の加入,さらに五十嵐亮太が右肘手術から復活を遂げたこともあって早々に盤石の態勢が整備された。監督就任2年目を迎えるにあたり,弁慶の泣き所だった福川将和,川本良平など固定できなかった捕手を,高田監督の懇願が実る形で球団史上初となるFAによって獲得(相川亮二)することになり,懸案事項も一気に解決させた。現場の監督として出席したドラフト会議では2007年大学社会人ドラフトで俊足野手(鬼崎裕司,中尾敏浩,三輪正義),2008年には高校生左腕(赤川克紀,八木亮祐,日高亮)と捕手(中村悠平,新田玄気),2009年が即戦力(中澤雅人,山本哲哉,荒木貴裕,松井淳)とチームの現状と将来を見据えての一貫したドラフト戦略を指示した。2年連続してFA参戦(藤本敦士)にも乗り出すなど,選手編成の意味ではGMとして北海道日本ハムを常勝軍団に育て上げた手腕を如何なく発揮してくれた。
だがチームを預かる監督としては,2008年9月の3試合連続サヨナラ負けに端を発する1992年以来16年ぶりの8連敗(うち7試合が1点差負け),2009年8月からの12カード連続負け越し,1992年以来17年ぶりの9連敗,1970年以来39年ぶりの神宮球場10連敗,そして今年の開幕4カード目から15カード連続勝ち越し無し,さらにチームとして2年連続交流戦では史上ワースト2位となる9連敗(辞任までの直近22試合で2勝20敗)と,一度狂った歯車をなかなか建て直せないという事態が3年続いたことは事実で,ここには監督としての責任が問われて然るべきである。元来高田監督というのは放任主義で,選手の指導はコーチに一任し,選手との積極的なコミュニケーションも行わなっかったとされる。
例えば4/3横浜戦(神宮)ではサヨナラ弾を放った川本が「宮本さんが起用されると思っていた」と話したように,延長に備えベンチ前で自軍投手とキャッチボールをしていたところからの代打起用されていた。宮本慎也が「試合直前にセカンドスタメンを告げられた」と話したこともあった。5/1横浜戦(神宮)にはサイドハンド投手加賀対策に左打者7人をスタメン起用しながら,4回の第三打席2死満塁の場面で相手が左投手・高宮に交代していたこともあってか,その前日は猛打賞を放つなど直前の打席まで11打数7安打2本塁打と当たりに当たっていた6番武内晋一にあっさり右の代打衣川篤史を起用(結果は右飛)してしまうなど左対左に対する固定観念も強かった。青木宣親や田中浩康に対しては「もともと守備に気持ちが入ってない人」「下手なんです」と上から斬り捨てるような発言がメディアを通じて表に出たこともあった。
選手からしてみれば突然の交代やあらゆる打順変更などを命ぜられ,相手投手の左右や調子の良し悪しで極端にメンバーを動かしてしまう強いて言えば一貫しない起用法に対しての戸惑いが生まれ,かつその最終的な責任の所在が曖昧なままとなったことで,指揮官としての求心力は完全に失われたに等しかった。それでもこれがいい意味で選手への刺激になったこともまた事実で,最後の最後に自らを犠牲にしてまでチームに荒治療を施してくれたことには感謝したい。
そしてそんなチーム状況下で就任した小川監督代行は,就任2試合目から青木を3番から1番に据えるという色を出した。チームの構成上青木を3番から外してしまうと,どうしてもクリーンアップを打てる打者が一人足りなくなってしまうということで,高田前監督は4/14広島戦(マツダ)-4/17巨人戦(松山)と4/21-22中日戦(ナゴヤドーム)で宮本をそこにはめることで解決しようとしたが,そうなると自然に下位打線も変更を余儀なくされる。ところが小川監督はスランプに喘いでいたアーロン・ガイエルを3番に,4番ジェイミー・デントナを挟んで5番に武内もしくは飯原誉士を据えることで,宮本以下を動かすことはしなかった。この打順で東北楽天の誇る二枚看板・岩隈久志,田中将大に連勝するなど,0勝9敗の状態でバトンを受けた交流戦を9勝14敗1分にまで盛り返してきた。
セ・リーグの戦いに戻り3カード目の6/26阪神戦(神宮)からは新外国人ジョシュ・ホワイトセルが合流。ガイエルとの併用の末に7/10広島戦(神宮)から本格的に4番を務めるようになる。外野手そしてクリーンアップの一角には和製大砲である畠山和洋を抜擢し,8番ショートには右の荒木,左の藤本,鬼崎,川端慎吾を相手先発の左右分け隔てなく均等にスタメンの機会を与えた末に,最終的には川端がそれをものにすることになった。川端は開幕直後からイースタンで好調をキープし,一軍にも呼ばれたことがあったが,スタメンはおろか守備機会すら与えられることなく,代打で3試合(無安打2三振)のみの出場で再び戸田行きとなっていた選手である。8青木 4田中 9飯原 3ホワイトセル 7畠山 2相川 5宮本 6川端 という基本オーダーに,火 村中 水 石川雅規 木 由規 金 館山昌平 の先発ローテーションが固定された後半戦には,8/3広島戦(神宮)-8/13阪神戦(京セラ)にかけて2002年以来8年ぶり球団史上5度目の10連勝,7/27広島戦(神宮)-8/25横浜戦(神宮)にかけても同じく2002年以来8年ぶり球団記録タイとなる神宮球場11連勝をマークし,8/24横浜戦(神宮)でとうとう最大19あった借金を完済し,4/18巨人戦(松山)以来に勝率を.500へと戻した。
一時はクライマックスシリーズ進出圏内となる3位に3.5ゲーム差まで迫るなど,いつしか1996年長嶋茂雄監督率いる巨人が首位広島と最大11.5ゲーム差から逆転優勝を果たしたことでその年の流行語にもなった「メークミラクル」と,一時発売が中止されていたものの生まれ変わって春から販売が再開された自社製品「ミルミル」とを掛け合わせた「メークミルミル」という造語まで生まれた。
最大借金19から貯金4でシーズンを終えたのは,セ・リーグでは1966年阪神以来44年ぶり2度目の快挙であった。またこの年の阪神は最終的な貯金が2であったため,それを上回りリーグ史上最高の成績となった。これこそ「メークミルミル」と呼ぶに相応しい。そんな躍進を成し遂げた小川監督の正式な就任を望むファンの声が,既定路線と言われていた荒木大輔監督就任を覆し,とうとう現実のものとなった。
チーム成績
確かに順位としては昨年クライマックスシリーズ圏内である3位から圏外の4位へと1つ下げたが,チームとしては2004年以来実に6年ぶりに勝率.500を超えた。また注目すべきは,首位とのゲーム差6.5で,最下位に終わった2007年に20.5,一昨年が5位で17.5,昨年は3位ながら15.5であったことを考えれば,いかに上位との戦力を詰めたが分かるだろう【表2】。そして5/27-以降の勝率はリーグ断トツトップの数字で,指揮官としてはリーグ優勝した中日,ソフトバンクをも上回り12球団で最高勝率をマークした。-5/26を境にセ・リーグの勝敗表を分割すると【表3-a】のようになり,仮に全球団がこの期間(5/27-閉幕)の勝率を維持したとして144試合に換算すると,ヤクルトは2位中日に5.0ゲーム差をつけて優勝した計算になる。ちなみにこの換算勝敗は,中日・阪神・広島の勝率とは1分以内で,ほぼ相違ないものとなっている。逆に-5/26までのペースを一年間保ってようやく100敗の大台に到達するかという数字にもなる【表3-b】。それぞれの期間で防御率は「3.84」と「3.86」で大差ないことから,極度の打線不振がそのまま勝敗に現れていたことにもなる。その状態を見かねてフロントは大田卓司二軍打撃コーチ昇格による打撃コーチ3人態勢を提唱したが,大田コーチがそれを固辞,一度白紙に戻ったことで,伊勢孝夫打撃アドバイザー(のちに打撃コーチ補佐)招聘の動きとなった。野村克也監督退任から12年が経ち,薄れてしまったID野球を今一度復興させる方向へとチームは歩みだした。
【表1】チーム月別成績
【表2】チーム成績 ※()はリーグ順位
【表3-a】5/26を境としたセ・リーグ勝敗表
【表3-b】5/27-ベース換算勝敗表とセ・リーグ順位表
対戦成績【表4】に目を転じると,巨人にはこれで10年連続負け越しを喫したが,-12→-13→-1とゲーム差に換算して昨年比-6.0差としたこともあり,その内容は過去2年とは全く異なるものだと主張したい。それ以上に大きく負け越したのが阪神だった。対戦打率は最多安打を獲得したマートンの.462(106-49)を筆頭に,平野.398(88-35),金本.367(60-22),新井.337(95-32),ブラぜル・城島.323(93-30)と,鳥谷.247(97-24)を除いた主力メンバーにことごとく打ち込まれた。直接「防御率」には関わらない「失策数」が突出していながらこの数字であるので,マートン・平野の上位対策がまず求められそう。城島の加入によって足が封じ込まれたことも特徴として現れている。逆に対中日戦はこれで3年連続の勝ち越し。「得点」・「安打数」・「本塁打数」・「打率」いずれもセ・リーグ5球団の中で最も低い数値にも関わらず,それ以下に相手を抑えこんでいる。中日が51勝17敗1分,勝率にして.750と大きく勝ち越したナゴヤドームでも,ヤクルトは6勝5敗1分と一つ勝ち越すなど,中日側に苦手意識が根付いてきたように思えるようなここ数年の戦いである【表5】。昨年は「57」とリーグ最少だった失策数は「80」へと大幅に増加した。チーム最多は宮本の「12」で,藤本が「11」と続いた。2年連続でゴールデングラブ賞を受賞した宮本だが,今シーズンは宮本ならではというべきか無理な体勢から送球して記録した失策ではなく,正面の打球を後ろに逸らすような場面が何度か見られるようにもなったことが気になるところではある【表6】。
【表4】対戦成績
【表5】対戦別チーム成績
【表6】守備成績
例年得意としてきた交流戦では,ちょうど絶不調期と重なったこともあり,初の勝率3割台(.391),過去最低の11位に終わったが,それでも過去6年間の通産順位では3位阪神と0.5差の4位に留まり,セ・リーグ最多勝は保っている。今年は1位〜6位をパ・リーグが独占し,セ・リーグのレベルが低いと揶揄されたが,トータルで見ると決してそのようなことはなく,上位2球団(ソフトバンク・千葉ロッテ)と下位2球団(広島・横浜)が抜きんでているだけで,それほどまでの差は無いということは留意してもらいたい【表7】。
【表7】交流戦通産成績[2005-2010]
小川采配の堅実さは是か非か
小川監督が青木を1番に据えたことで必然的に初回から青木が出塁することが多くなった。首位打者を獲った打者なのだから当然といえば当然であるかもしれない。そんな青木を塁に置いてまずどんな攻撃を仕掛けるべきなのか。
ほとんどのケースで犠打が選択されたが,この作戦にネット上では「またか」「コピペ」「つまらん」などの声がよく見られた(浅い回はテキスト観戦が多いので余計目についただけかも知れないが)。またこのケース(初回0死一塁以上)で,古田兼任監督はテレビ朝日系列のスポーツバラエティ番組で,”捕手としては(投手の立ち上がりに犠打で)確実にアウトを1つ献上してくれる方が助かる”という旨の発言をし,自身も監督してアダム・リグスを2番に置き,犠打をしない攻撃的布陣を組んでいた。参考までに2009年セパ全試合での統計によれば初回0死一塁のケースで得点が1点以上が入る確率は犠打成功時が約36%,犠打失敗時が約40%というデータが提示されていた。
それでは実際に今シーズン初回先頭打者が出塁したケースについて,2番打者の打撃成績と初回の得点および当該試合の勝敗を【表8-a】【表8-b】に示す。ただし先頭打者本塁打が出た4試合は除外してある。
【表8-a】初回先頭打者出塁時にみる2番打者の結果と得点・勝敗(-5/26)
【表8-b】初回先頭打者出塁時にみる2番打者の結果と得点・勝敗(5/27-)
【表9】初回先頭打者出塁時にみる犠打と得点・勝敗
注)「連続出塁」とは犠打成功,犠打失敗のいずれにも含まれないケース。「得点率」とは初回に1得点以上記録した試合で割ったものをそれぞれ示している。
小川体制になってから初回に走者を置いたケースで打球が外野まで飛んだ試合は皆無で,いわゆるエンドランが成功した形になったことは一度も無かった。得点率も犠打の成功/失敗に関わらず高田監督時代の方が高かった。それでも小川監督が率いてから初回に犠打を成功させた試合の勝率は,チーム勝率(.621)をさらに上回る.700をマークしており,さらに1番青木・2番田中のコンビに限れば,3試合に1試合しか得点にはつながらなかったものの(得点率.333),13勝4敗1分で勝率.765にまで上昇している(失敗時は5勝4敗勝率.555得点率.222)。つまるところこれは采配が一貫され,選手がそれを理解し,個々が与えられた役割をこなすという相互の信頼関係が生んだ賜物なのだろうか・・。
これを『灯台下暗し』というのだろう。まさかこんな身近なところに救世主がいたとは・・・。それほどまでにヘッドコーチ時代の小川コーチは目立たなかった。ベンチの隅でただ黙々と高田監督のサインを伝えるだけ。ヘッドとして監督に何かを進言したとしても果たして受け入れられているのだろうかと疑うほどに地味な存在で,5/26未明の後任人事発表の際にも「トップを代えたところで,何も変わらない。むしろ根本的問題を後回しにするだけ」*1だと感じていた。だが翌27日の初采配後に「コミュニケーション・風通し・活気。勝利こそ掴めなかったが,止まっていた何かが動き出した気がした」*2と綴ったことは今思えば決して間違っていなかった。
試合後の談話において「私のミス」と勝敗の責任は全て自分にあると立場を明確にさせた。崩壊しかけた組織にあってある程度のリスクを背負わなければ前には踏み出せないと,畠山らをレフトで起用し着眼点を変えた。ファームから昇格させたばかりの荒木,鬼崎,川端を少なくとも2試合は続けてスタメン起用したように忍耐強さも見せた。これは後々に明らかになったことだが,レギュラーから弾き出された形になった福地,デントナ,ガイエルには自ら口頭でのフォローを欠かさなかったという。6/20広島戦(マツダ)で大きな走塁ミスを犯した飯原をその裏の守備から即ベンチに下げるという厳格さを見せ次の試合はスタメンからも外したが,その試合で代打から途中出場の機会を与え,次の試合でも同様の起用をし,飯原自身も2試合続けて安打を放つという結果で応え,ミスから3試合後の6/24巨人戦(神宮)には再びスタメンに戻すという一連の起用法も実に印象的だった。現場の最高責任者として選手のモチベーションを高め,チームという組織を再構築することができたのは小川監督の長けた人心掌握術によるものも少なくないだろう。そんな小川監督を端的に紹介した記事があったのでここに引用させていただく。
おわりに〜2011シーズンに向けて
今オフ最もファンをやきもきさせたであろう林昌勇の残留交渉には成功した。彼が移籍することになってしまうと,投手陣の編成は根本から考え直さなければならなかった。外国人に対する多額の年俸には慢心を心配する声もあるが,本人が2年後のメジャー挑戦を匂わせるなど,高いモチベーションがあればそれほどまでに心配することもなさそうだ。
残念ながらドラフトで即戦力候補斎藤佑樹の獲得することができなかったため,石川,館山,村中,由規の先発4本柱に次ぐ先発の台頭が待たれる。主に前半戦で7勝を挙げた中澤,かつての新人王川島亮,シーズン中にそれぞれ1試合だけ先発の機会を与えられた赤川,山本斉,山岸穣,秋季キャンプに抜擢され小川監督の評価も高かった日高,2年目の平井諒らの争いに期待するしかなく,ある程度計算が立てられるような実績ある外国人を一枚獲得したいところ。
林昌勇につなぐまでのセットアッパーは松岡,増渕,押本で盤石なものになった。ただしこの3人に続く投手がいないのもまた実情で,彼らを勝ちパターンは当然ながら,ビハインドあるいは大量リードの場面でも投入しなければならないこともしばしばあった。橋本義隆,松井光介,吉川昌宏といった経験豊富な投手にはセットアッパーの負担を減らすような投球を期待したい。ドラフト2位右腕七條祐樹も最初は中継ぎで様子をみることにになるだろうか。絶対数が少ない左腕には佐藤賢,渡辺恒樹,ルーキー九古健太郎が一年を通してブルペン待機してくれるようでないとバランスが悪くなる。そして何より4年間登板の無い石井弘寿の復帰を願うばかりだ。伸び悩む加藤幹典,一場靖弘,高市俊,高木啓充に活路は見いだせるのか。
山本哲と八木は実戦で投げられるようになることが最優先である。ラファエル・フェルナンデス,上野啓輔は支配下選手登録を目指す。
一方野手最大の不安は来季も4番を予定するホワイトセルにあるような気がする。途中来日初年は好成績を残したものの,翌年はサッパリというケースは過去に多々あった。実際6月4試合打率.417 2本塁打 6打点,7月17試合打率.291 4本塁打 16打点,8月26試合 打率.368 7本塁打 22打点だったものが,9月21試合で 打率.221 2本塁打 9打点と極端に成績を落としている。相手からのマークも厳しくなり,高めの釣り球など弱点とされるコースを徹底的に攻められつつあるので,それを跳ね返すだけの適応力を見せてもらうしかあるまい。
不動の1番センター青木を挟むことになる外野の2枠には,後半戦レギュラーを掴んだ飯原,畠山。デントナに代わる右の外野手として獲得したウラディミール・バレンティン,レギュラー奪取に燃える福地,ガイエル,オリックスから移籍の濱中治,2009年のキャンプ・オープン戦以来に復帰となった宮出隆自,一軍で自信をつけた上田剛史,野手転向2年目で結果が求められる雄平と激戦の様相を呈してきた。2年目の松井淳,ルーキー川崎成晃,又野知弥はまずはファームで外野の定位置を掴みたいところ。中尾は与えられた出番を確実にモノにしていかないともうあとがない。
頑丈な体と堅守を誇るセカンド田中は来季こそオールスター選出とゴールデングラブ賞獲得を叶えて欲しい。通産2000本安打まであと168本と迫った宮本は,来季何本安打を積み重ねられるかが焦点になるが,今シーズン同様定期的に休養を与えていくことになることは間違いない。最大の激戦区はショート。後半レギュラーを掴んだ川端に,右肘手術から復帰する川島慶,さらに藤本,荒木,鬼崎がそこに挑む形になる。大型ショートと呼び声高いドラフト1位指名の山田哲人がここに割りこめるかも楽しみである。野口祥順,三輪,森岡良介はその脚力で一軍に残りたいところ。武内,松元ユウイチ,吉本亮は代打と内外野の守備がこなせる選手であり,出番を窺う。
正捕手としては勿論,打者としてもチームトップの65打点を稼いだ相川の存在はもはや欠くことができないほど大きなものとなった。2番手捕手には川本,3番手捕手に福川と控えるが,ファームで優先的にマスクを被り英才教育を受けた中村が二人を脅かすまで成長出来るかが楽しみである。さらにドラフト3位で西田明央が入団したことで,衣川,新田の両名は捕手というよりも右の代打として勝負を懸けるしかなくなってきた。水野祐希は焦らず捕手としての仕事をこなすことだ。
麻生知史,曲尾マイケ,北野洸貴,佐藤貴規という4名の育成選手からスワローズ史上初野手としての支配下登録なる選手は現れるか。
2001年若松勉監督が率いて4年ぶり6度目となるセ・リーグを制覇してからはや9年。歓喜の優勝の輪の中にいた選手はもう宮本と石井しか残されていない・・。福地,相川,ユウイチ,野口,畠山,石川,福川のようにプロ10年以上在籍しながら優勝未経験の選手も増えてきた。
ファームには野村ID野球の名参謀である松井優典二軍育成兼寮長が13年ぶり,選手会長も務めた伊東昭光二軍投手が4年ぶり,中継ぎエース加藤博人二軍投手が12年ぶり,そしてブンブン丸池山隆寛二軍打撃が9年ぶりにコーチとしてそれぞれスワローズに復帰した。スワローズの伝統である明るいチームワークと,野村・若松両監督の下で選手あるいはコーチとしてともに優勝を経験した伊藤智仁投手,佐藤真一打撃,飯田哲也守備走塁,城石憲之守備走塁,中西親志バッテリー,真中満二軍監督,土橋勝征二軍守備走塁,度会博文二軍守備走塁,さらに高田前監督に請われた指導者の中では唯一残留することになる淡口憲治二軍打撃,2001年日本シリーズを敵として戦った古久保健二二軍バッテリーというコーチングスタッフとがうまく融和して,”優勝”の二文字を目指して欲しい。ただただそれを願うばかりである。
その人身掌握術で,瀕死の燕を救った小川淳司監督なら必ずや成し遂げてくれるはずだ。信じよう。10年ぶりの美酒を味わうその瞬間を―。
参考資料
二宮清純「ヤクルト・小川淳司 史上最強の地味監督」,『SPORTS COMMUNICATIONS』,スポーツコミュニケーションズ,2010.11
http://www.ninomiyasports.com/sc/modules/bulletin02/article.php?storyid=4587
http://www.ninomiyasports.com/sc/modules/bulletin02/article.php?storyid=4592
阿部珠樹「<ヤクルト新監督の野球哲学> 小川淳司[代行から監督の座へ] 燕を甦らせた男の眼力と深謀遠慮」,『Sports Graphic Number』第766号,文藝春秋,2010.11
http://number.bunshun.jp/articles/-/65176
http://number.bunshun.jp/articles/-/65176?page=2
http://number.bunshun.jp/articles/-/65176?page=3
『週刊ベースボール』第65巻 第56号 通産3025号,ベースボールマガジン社,2010.12
ニッカンスコア速報
http://www.nikkansports.com/baseball/professional/schedule/2010/s201003.html
http://www.nikkansports.com/baseball/professional/schedule/2010/s201004.html
http://www.nikkansports.com/baseball/professional/schedule/2010/s201005.html
http://www.nikkansports.com/baseball/professional/schedule/2010/s201006.html
http://www.nikkansports.com/baseball/professional/schedule/2010/s201007.html
http://www.nikkansports.com/baseball/professional/schedule/2010/s201008.html
http://www.nikkansports.com/baseball/professional/schedule/2010/s201009.html
http://www.nikkansports.com/baseball/professional/schedule/2010/s201010.html
借金19+貯金23―5/26の高田繁監督辞任を境に,これが本当に同じチームなのか?と思えるくらい劇的に変わった。敢えて高田監督と小川淳司監督代行という二人指揮官が率いたチーム状況の違いを前面に出しながら総括することになるが,高田繁という人物そのものを否定する訳ではないということだけは断っておきたい。4番(アレックス・ラミレス),最多勝投手(セス・グライシンガー),開幕投手(石井一久)が抜け,18年間チームの顔として君臨し続けてきた古田敦也も居なくなり・・・。それこそ焼畑状態のチームを率いることになったにも関わらず,僅か2年という短期間でチームを立て直してくれたのは高田監督に他ならない。
弱者が出来る野球とは何か―両翼が拡張されリニューアルした神宮球場を本拠地にするチームで足を絡めることを指針とし,石井一の人的補償で福地寿樹,藤井秀悟とのトレードで川島慶三を獲得する。将来を見据え村中恭平,増渕竜義,由規という若手投手も積極的に起用した。前年火の車だった中継ぎ抑えには先発で伸び悩んでいた松岡健一を配置転換,トレードの押本健彦と新外国人林昌勇の加入,さらに五十嵐亮太が右肘手術から復活を遂げたこともあって早々に盤石の態勢が整備された。監督就任2年目を迎えるにあたり,弁慶の泣き所だった福川将和,川本良平など固定できなかった捕手を,高田監督の懇願が実る形で球団史上初となるFAによって獲得(相川亮二)することになり,懸案事項も一気に解決させた。現場の監督として出席したドラフト会議では2007年大学社会人ドラフトで俊足野手(鬼崎裕司,中尾敏浩,三輪正義),2008年には高校生左腕(赤川克紀,八木亮祐,日高亮)と捕手(中村悠平,新田玄気),2009年が即戦力(中澤雅人,山本哲哉,荒木貴裕,松井淳)とチームの現状と将来を見据えての一貫したドラフト戦略を指示した。2年連続してFA参戦(藤本敦士)にも乗り出すなど,選手編成の意味ではGMとして北海道日本ハムを常勝軍団に育て上げた手腕を如何なく発揮してくれた。
だがチームを預かる監督としては,2008年9月の3試合連続サヨナラ負けに端を発する1992年以来16年ぶりの8連敗(うち7試合が1点差負け),2009年8月からの12カード連続負け越し,1992年以来17年ぶりの9連敗,1970年以来39年ぶりの神宮球場10連敗,そして今年の開幕4カード目から15カード連続勝ち越し無し,さらにチームとして2年連続交流戦では史上ワースト2位となる9連敗(辞任までの直近22試合で2勝20敗)と,一度狂った歯車をなかなか建て直せないという事態が3年続いたことは事実で,ここには監督としての責任が問われて然るべきである。元来高田監督というのは放任主義で,選手の指導はコーチに一任し,選手との積極的なコミュニケーションも行わなっかったとされる。
例えば4/3横浜戦(神宮)ではサヨナラ弾を放った川本が「宮本さんが起用されると思っていた」と話したように,延長に備えベンチ前で自軍投手とキャッチボールをしていたところからの代打起用されていた。宮本慎也が「試合直前にセカンドスタメンを告げられた」と話したこともあった。5/1横浜戦(神宮)にはサイドハンド投手加賀対策に左打者7人をスタメン起用しながら,4回の第三打席2死満塁の場面で相手が左投手・高宮に交代していたこともあってか,その前日は猛打賞を放つなど直前の打席まで11打数7安打2本塁打と当たりに当たっていた6番武内晋一にあっさり右の代打衣川篤史を起用(結果は右飛)してしまうなど左対左に対する固定観念も強かった。青木宣親や田中浩康に対しては「もともと守備に気持ちが入ってない人」「下手なんです」と上から斬り捨てるような発言がメディアを通じて表に出たこともあった。
選手からしてみれば突然の交代やあらゆる打順変更などを命ぜられ,相手投手の左右や調子の良し悪しで極端にメンバーを動かしてしまう強いて言えば一貫しない起用法に対しての戸惑いが生まれ,かつその最終的な責任の所在が曖昧なままとなったことで,指揮官としての求心力は完全に失われたに等しかった。それでもこれがいい意味で選手への刺激になったこともまた事実で,最後の最後に自らを犠牲にしてまでチームに荒治療を施してくれたことには感謝したい。
そしてそんなチーム状況下で就任した小川監督代行は,就任2試合目から青木を3番から1番に据えるという色を出した。チームの構成上青木を3番から外してしまうと,どうしてもクリーンアップを打てる打者が一人足りなくなってしまうということで,高田前監督は4/14広島戦(マツダ)-4/17巨人戦(松山)と4/21-22中日戦(ナゴヤドーム)で宮本をそこにはめることで解決しようとしたが,そうなると自然に下位打線も変更を余儀なくされる。ところが小川監督はスランプに喘いでいたアーロン・ガイエルを3番に,4番ジェイミー・デントナを挟んで5番に武内もしくは飯原誉士を据えることで,宮本以下を動かすことはしなかった。この打順で東北楽天の誇る二枚看板・岩隈久志,田中将大に連勝するなど,0勝9敗の状態でバトンを受けた交流戦を9勝14敗1分にまで盛り返してきた。
セ・リーグの戦いに戻り3カード目の6/26阪神戦(神宮)からは新外国人ジョシュ・ホワイトセルが合流。ガイエルとの併用の末に7/10広島戦(神宮)から本格的に4番を務めるようになる。外野手そしてクリーンアップの一角には和製大砲である畠山和洋を抜擢し,8番ショートには右の荒木,左の藤本,鬼崎,川端慎吾を相手先発の左右分け隔てなく均等にスタメンの機会を与えた末に,最終的には川端がそれをものにすることになった。川端は開幕直後からイースタンで好調をキープし,一軍にも呼ばれたことがあったが,スタメンはおろか守備機会すら与えられることなく,代打で3試合(無安打2三振)のみの出場で再び戸田行きとなっていた選手である。8青木 4田中 9飯原 3ホワイトセル 7畠山 2相川 5宮本 6川端 という基本オーダーに,火 村中 水 石川雅規 木 由規 金 館山昌平 の先発ローテーションが固定された後半戦には,8/3広島戦(神宮)-8/13阪神戦(京セラ)にかけて2002年以来8年ぶり球団史上5度目の10連勝,7/27広島戦(神宮)-8/25横浜戦(神宮)にかけても同じく2002年以来8年ぶり球団記録タイとなる神宮球場11連勝をマークし,8/24横浜戦(神宮)でとうとう最大19あった借金を完済し,4/18巨人戦(松山)以来に勝率を.500へと戻した。
一時はクライマックスシリーズ進出圏内となる3位に3.5ゲーム差まで迫るなど,いつしか1996年長嶋茂雄監督率いる巨人が首位広島と最大11.5ゲーム差から逆転優勝を果たしたことでその年の流行語にもなった「メークミラクル」と,一時発売が中止されていたものの生まれ変わって春から販売が再開された自社製品「ミルミル」とを掛け合わせた「メークミルミル」という造語まで生まれた。
最大借金19から貯金4でシーズンを終えたのは,セ・リーグでは1966年阪神以来44年ぶり2度目の快挙であった。またこの年の阪神は最終的な貯金が2であったため,それを上回りリーグ史上最高の成績となった。これこそ「メークミルミル」と呼ぶに相応しい。そんな躍進を成し遂げた小川監督の正式な就任を望むファンの声が,既定路線と言われていた荒木大輔監督就任を覆し,とうとう現実のものとなった。
チーム成績
確かに順位としては昨年クライマックスシリーズ圏内である3位から圏外の4位へと1つ下げたが,チームとしては2004年以来実に6年ぶりに勝率.500を超えた。また注目すべきは,首位とのゲーム差6.5で,最下位に終わった2007年に20.5,一昨年が5位で17.5,昨年は3位ながら15.5であったことを考えれば,いかに上位との戦力を詰めたが分かるだろう【表2】。そして5/27-以降の勝率はリーグ断トツトップの数字で,指揮官としてはリーグ優勝した中日,ソフトバンクをも上回り12球団で最高勝率をマークした。-5/26を境にセ・リーグの勝敗表を分割すると【表3-a】のようになり,仮に全球団がこの期間(5/27-閉幕)の勝率を維持したとして144試合に換算すると,ヤクルトは2位中日に5.0ゲーム差をつけて優勝した計算になる。ちなみにこの換算勝敗は,中日・阪神・広島の勝率とは1分以内で,ほぼ相違ないものとなっている。逆に-5/26までのペースを一年間保ってようやく100敗の大台に到達するかという数字にもなる【表3-b】。それぞれの期間で防御率は「3.84」と「3.86」で大差ないことから,極度の打線不振がそのまま勝敗に現れていたことにもなる。その状態を見かねてフロントは大田卓司二軍打撃コーチ昇格による打撃コーチ3人態勢を提唱したが,大田コーチがそれを固辞,一度白紙に戻ったことで,伊勢孝夫打撃アドバイザー(のちに打撃コーチ補佐)招聘の動きとなった。野村克也監督退任から12年が経ち,薄れてしまったID野球を今一度復興させる方向へとチームは歩みだした。
【表1】チーム月別成績
通産 | |||||||||||||
月 | 試合 | 勝数 | 負数 | 引分 | 勝率 | 順位 | 打率 | 本塁 | 得点 | 失点 | 防御 | 勝率 | 順位 |
3 | 5 | 4 | 1 | 0 | .800 | 1 | .295 | 6 | 30 | 18 | 3.68 | .800 | 1 |
4 | 24 | 7 | 16 | 1 | .304 | 6 | .249 | 23 | 76 | 96 | 3.26 | .393 | 6 |
5 | 20 | 3 | 16 | 1 | .158 | 6 | .208 | 9 | 53 | 96 | 4.46 | .298 | 6 |
6 | 22 | 14 | 8 | 0 | .636 | 1 | .279 | 19 | 100 | 94 | 3.99 | .406 | 4 |
7 | 19 | 11 | 8 | 0 | .579 | 3 | .278 | 18 | 97 | 91 | 4.50 | .443 | 4 |
8 | 26 | 18 | 8 | 0 | .692 | 1 | .312 | 30 | 163 | 115 | 3.85 | .500 | 4 |
9 | 22 | 11 | 9 | 2 | .550 | 2 | .267 | 14 | 75 | 81 | 3.20 | .507 | 4 |
10 | 6 | 4 | 2 | 0 | .667 | 2 | .259 | 5 | 23 | 30 | 4.25 | .514 | 4 |
【表2】チーム成績 ※()はリーグ順位
試合 | 勝数 | 負数 | 引分 | 勝率 | 勝差 | 順位 | 打率 | 本塁打 | 得点 | 失点 | 防御率 | |
2010 | 144 | 72 | 68 | 4 | .514 | 6.5 | 4 | .268(2) | 124(3) | 617(3) | 621(3) | 3.85(2) |
-5/26 | 46 | 13 | 32 | 1 | .289 | 15.0 | 6 | .236(6) | 37(4) | 144(6) | 200(2) | 3.84(3) |
5/27- | 98 | 59 | 36 | 3 | .621 | -5.0 | 1 | .283(2) | 87(3) | 473(2) | 421(2) | 3.86(2) |
2009 | 144 | 71 | 72 | 1 | .496 | 22.0 | 3 | .259(2) | 116(4) | 548(3) | 606(5) | 3.97(5) |
【表3-a】5/26を境としたセ・リーグ勝敗表
-5/26 | 試合 | 勝数 | 負数 | 引分 | 勝率 | 勝差 | 5/27- | 試合 | 勝数 | 負数 | 引分 | 勝率 | 勝差 | |
巨 人 | 47 | 29 | 18 | 0 | .617 | ヤクルト | 98 | 59 | 36 | 3 | .621 | |||
阪 神 | 46 | 25 | 21 | 0 | .543 | 3.5 | 中 日 | 95 | 53 | 40 | 2 | .570 | 5.0 | |
中 日 | 49 | 26 | 22 | 1 | .542 | 3.5 | 阪 神 | 98 | 53 | 42 | 3 | .558 | 6.0 | |
横 浜 | 46 | 20 | 26 | 0 | .435 | 8.5 | 巨 人 | 97 | 50 | 46 | 1 | .521 | 9.5 | |
広 島 | 48 | 19 | 29 | 0 | .396 | 10.5 | 広 島 | 96 | 39 | 55 | 2 | .415 | 19.5 | |
ヤクルト | 46 | 13 | 32 | 1 | .289 | 15.0 | 横 浜 | 98 | 28 | 69 | 1 | .289 | 32.0 |
【表3-b】5/27-ベース換算勝敗表とセ・リーグ順位表
試合 | 勝数 | 負数 | 引分 | 勝率 | 勝差 | 試合 | 勝数 | 負数 | 引分 | 勝率 | 勝差 | |||
ヤクルト | 144 | 87 | 53 | 4 | .621 | 中 日 | 144 | 79 | 62 | 3 | .560 | |||
中 日 | 144 | 80 | 61 | 3 | .570 | 7.5 | 阪 神 | 144 | 78 | 63 | 3 | .553 | 1.0 | |
阪 神 | 144 | 78 | 62 | 4 | .558 | 9.0 | 巨 人 | 144 | 79 | 64 | 1 | .552 | 1.0 | |
巨 人 | 144 | 75 | 68 | 1 | .521 | 13.5 | ヤクルト | 144 | 72 | 68 | 4 | .514 | 6.5 | |
広 島 | 144 | 59 | 82 | 3 | .415 | 28.5 | 広 島 | 144 | 58 | 84 | 2 | .408 | 21.5 | |
ヤクルト | 144 | 41 | 100 | 3 | .289 | 46.5 | 横 浜 | 144 | 48 | 95 | 1 | .336 | 32.0 | |
横 浜 | 144 | 41 | 102 | 1 | .289 | 47.5 |
対戦成績【表4】に目を転じると,巨人にはこれで10年連続負け越しを喫したが,-12→-13→-1とゲーム差に換算して昨年比-6.0差としたこともあり,その内容は過去2年とは全く異なるものだと主張したい。それ以上に大きく負け越したのが阪神だった。対戦打率は最多安打を獲得したマートンの.462(106-49)を筆頭に,平野.398(88-35),金本.367(60-22),新井.337(95-32),ブラぜル・城島.323(93-30)と,鳥谷.247(97-24)を除いた主力メンバーにことごとく打ち込まれた。直接「防御率」には関わらない「失策数」が突出していながらこの数字であるので,マートン・平野の上位対策がまず求められそう。城島の加入によって足が封じ込まれたことも特徴として現れている。逆に対中日戦はこれで3年連続の勝ち越し。「得点」・「安打数」・「本塁打数」・「打率」いずれもセ・リーグ5球団の中で最も低い数値にも関わらず,それ以下に相手を抑えこんでいる。中日が51勝17敗1分,勝率にして.750と大きく勝ち越したナゴヤドームでも,ヤクルトは6勝5敗1分と一つ勝ち越すなど,中日側に苦手意識が根付いてきたように思えるようなここ数年の戦いである【表5】。昨年は「57」とリーグ最少だった失策数は「80」へと大幅に増加した。チーム最多は宮本の「12」で,藤本が「11」と続いた。2年連続でゴールデングラブ賞を受賞した宮本だが,今シーズンは宮本ならではというべきか無理な体勢から送球して記録した失策ではなく,正面の打球を後ろに逸らすような場面が何度か見られるようにもなったことが気になるところではある【表6】。
【表4】対戦成績
中 日 | 阪 神 | 巨 人 | 広 島 | 横 浜 | ソフト | 西 武 | ロッテ | 日ハム | オリク | 楽 天 | 計 | |
2010 | 15(1)08 | 09(0)15 | 11(1)12 | 14(0)10 | 14(1)09 | 1(0)3 | 1(0)3 | 1(0)3 | 3(0)1 | 1(0)3 | 2(1)1 | 72(4)68 |
-5/26 | 03(1)05 | 01(0)04 | 03(0)05 | 02(0)04 | 04(0)05 | 0(0)2 | 0(0)2 | 0(0)2 | 0(0)0 | 0(0)2 | 0(0)1 | 13(1)32 |
5/27- | 12(0)03 | 08(0)11 | 08(1)07 | 12(0)06 | 10(0)04 | 1(0)1 | 1(0)1 | 1(0)1 | 3(0)1 | 1(0)1 | 2(1)0 | 59(3)36 |
2009 | 13(0)11 | 15(0)09 | 05(1)18 | 12(0)12 | 11(0)13 | 1(0)3 | 2(0)2 | 3(0)1 | 2(0)2 | 4(0)0 | 3(0)1 | 71(1)72 |
【表5】対戦別チーム成績
中 日 | 阪 神 | 巨 人 | 広 島 | 横 浜 | ソフト | 西 武 | ロッテ | 日ハム | オリク | 楽 天 | 計 | 順位 | |
得点 | 89 | 105 | 96 | 103 | 131 | 10 | 19 | 15 | 22 | 15 | 12 | 617 | 3 |
失点 | 60 | 148 | 116 | 76 | 101 | 17 | 16 | 43 | 18 | 18 | 8 | 621 | 3 |
安打数 | 198 | 208 | 212 | 228 | 261 | 30 | 29 | 31 | 41 | 32 | 34 | 1304 | 3 |
本塁打数 | 15 | 23 | 21 | 21 | 26 | 1 | 4 | 5 | 6 | 2 | 0 | 124 | 3 |
三振数 | 145 | 128 | 164 | 142 | 168 | 41 | 26 | 25 | 28 | 29 | 28 | 924 | 1 |
四球数 | 74 | 70 | 77 | 74 | 78 | 8 | 15 | 8 | 13 | 15 | 17 | 449 | 2 |
死球数 | 18 | 19 | 18 | 13 | 18 | 5 | 2 | 3 | 0 | 2 | 1 | 99 | 1 |
併殺打数 | 14 | 22 | 16 | 14 | 18 | 2 | 1 | 3 | 4 | 3 | 2 | 99 | 3 |
盗塁数 | 6 | 3 | 21 | 12 | 12 | 3 | 1 | 1 | 1 | 2 | 4 | 66 | 4 |
失策数 | 10 | 22 | 10 | 17 | 11 | 3 | 0 | 4 | 1 | 1 | 1 | 80 | 2 |
打率 | .255 | .261 | .259 | .283 | .306 | .221 | .223 | .235 | .297 | .242 | .243 | .268 | 2 |
防御率 | 2.13 | 5.73 | 4.23 | 2.74 | 3.88 | 3.65 | 4.19 | 9.00 | 4.50 | 4.25 | 1.62 | 3.85 | 2 |
【表6】守備成績
チーム | 守備率 | 試合 | 守機備会 | 刺殺 | 補殺 | 失策 | 併殺 | 捕逸 | |
参加 | 球団 | ||||||||
横 浜 | .986 | 144 | 5497 | 3801 | 1618 | 78 | 319 | 116 | 7 |
ヤクルト | .9854 | 144 | 5516 | 3861 | 1575 | 80 | 343 | 127 | 11 |
阪 神 | .98508 | 144 | 5497 | 3850 | 1565 | 82 | 389 | 141 | 4 |
広 島 | .98502 | 144 | 5475 | 3839 | 1554 | 82 | 333 | 124 | 6 |
中 日 | .984 | 144 | 5566 | 3856 | 1619 | 91 | 345 | 125 | 8 |
巨 人 | .982 | 144 | 5501 | 3837 | 1564 | 100 | 341 | 120 | 8 |
例年得意としてきた交流戦では,ちょうど絶不調期と重なったこともあり,初の勝率3割台(.391),過去最低の11位に終わったが,それでも過去6年間の通産順位では3位阪神と0.5差の4位に留まり,セ・リーグ最多勝は保っている。今年は1位〜6位をパ・リーグが独占し,セ・リーグのレベルが低いと揶揄されたが,トータルで見ると決してそのようなことはなく,上位2球団(ソフトバンク・千葉ロッテ)と下位2球団(広島・横浜)が抜きんでているだけで,それほどまでの差は無いということは留意してもらいたい【表7】。
【表7】交流戦通産成績[2005-2010]
試合 | 勝数 | 負数 | 引分 | 勝率 | 勝差 | |
福岡ソフトバンク | 168 | 100 | 65 | 3 | .606 | |
千葉ロッテ | 168 | 92 | 70 | 6 | .568 | 6.5 |
阪 神 | 168 | 86 | 76 | 6 | .531 | 12.5 |
東京ヤクルト | 168 | 88 | 79 | 1 | .527 | 13.0 |
巨 人 | 168 | 84 | 77 | 7 | .522 | 14.0 |
北海道日本ハム | 168 | 85 | 78 | 5 | .521 | 14.0 |
中 日 | 168 | 84 | 81 | 3 | .509 | 16.0 |
埼玉西武 | 168 | 81 | 84 | 3 | .491 | 19.0 |
オリックス | 168 | 76 | 88 | 4 | .463 | 23.5 |
東北楽天 | 168 | 74 | 92 | 2 | .446 | 26.5 |
広 島 | 168 | 69 | 94 | 5 | .423 | 30.0 |
横 浜 | 168 | 66 | 101 | 1 | .395 | 35.0 |
小川采配の堅実さは是か非か
小川監督が青木を1番に据えたことで必然的に初回から青木が出塁することが多くなった。首位打者を獲った打者なのだから当然といえば当然であるかもしれない。そんな青木を塁に置いてまずどんな攻撃を仕掛けるべきなのか。
ほとんどのケースで犠打が選択されたが,この作戦にネット上では「またか」「コピペ」「つまらん」などの声がよく見られた(浅い回はテキスト観戦が多いので余計目についただけかも知れないが)。またこのケース(初回0死一塁以上)で,古田兼任監督はテレビ朝日系列のスポーツバラエティ番組で,”捕手としては(投手の立ち上がりに犠打で)確実にアウトを1つ献上してくれる方が助かる”という旨の発言をし,自身も監督してアダム・リグスを2番に置き,犠打をしない攻撃的布陣を組んでいた。参考までに2009年セパ全試合での統計によれば初回0死一塁のケースで得点が1点以上が入る確率は犠打成功時が約36%,犠打失敗時が約40%というデータが提示されていた。
それでは実際に今シーズン初回先頭打者が出塁したケースについて,2番打者の打撃成績と初回の得点および当該試合の勝敗を【表8-a】【表8-b】に示す。ただし先頭打者本塁打が出た4試合は除外してある。
【表8-a】初回先頭打者出塁時にみる2番打者の結果と得点・勝敗(-5/26)
月日 | 球場 | 対戦相手 | 先発投手 | 1番 | 結果 | 2番 | 結果 | 得点 | 勝敗 |
3.27 | 東京ド | 巨人 | ゴンザレス | 福地 | 右安 | 田中 | 一飛 | 1 | ○ |
4.03 | 神 宮 | 横浜 | 藤江 | 福地 | 左安 | 鬼崎 | 四球 | 7 | ○ |
4.06 | 神 宮 | 広島 | 青木高 | 福地 | 右2 | 田中 | 一犠 | 1 | ● |
4.09 | 甲子園 | 阪神 | 安藤 | 三輪 | 中安 | 田中 | 三ゴ | 1 | ○ |
4.11 | 甲子園 | 阪神 | 下柳 | 飯原 | 中安 | 田中 | 投犠 | 0 | ● |
4.22 | ナゴヤ | 中日 | 吉見 | 田中 | 左安 | 森岡 | 一犠 | 0 | ● |
4.23 | 横 浜 | 横浜 | 清水 | 田中 | 四球 | 森岡 | 捕邪 | 0 | ○ |
4.25 | 横 浜 | 横浜 | 加賀 | 田中 | 右安 | 森岡 | 投犠 | 0 | ● |
4.30 | 神 宮 | 横浜 | 三浦 | 田中 | 中安 | 宮本 | 投犠 | 5 | ● |
5.01 | 神 宮 | 横浜 | 加賀 | 上田 | 右安 | 森岡 | 投犠 | 2 | ○ |
5.04 | 東京ド | 巨人 | ゴンザレス | 福地 | 中安 | 宮本 | 四球 | 0 | ● |
5.05 | 東京ド | 巨人 | 東野 | 福地 | 左安 | 上田 | 中飛 | 0 | ● |
5.09 | ナゴヤ | 中日 | 朝倉 | 福地 | 中安 | 田中 | 右安 | 4 | ○ |
5.15 | 神 宮 | ソフト | 和田 | 田中 | 左安 | 宮本 | 投犠 | 0 | ● |
5.19 | 西武ド | 西武 | 石井一 | 田中 | 右2 | 宮本 | 捕ゴ | 0 | ● |
5.26 | 神 宮 | 楽天 | 戸村 | 福地 | 右安 | 田中 | 投ゴ | 0 | ● |
【表8-b】初回先頭打者出塁時にみる2番打者の結果と得点・勝敗(5/27-)
月日 | 球場 | 対戦相手 | 先発投手 | 1番 | 結果 | 2番 | 結果 | 得点 | 勝敗 |
6.09 | 札幌ド | 日本ハム | 増井 | 青木 | 中安 | 田中 | 捕犠 | 0 | ○ |
6.12 | ク宮城 | 楽天 | 岩隈 | 青木 | 中安 | 田中 | 投犠 | 0 | ○ |
6.14 | 神 宮 | 日本ハム | 武田勝 | 青木 | 中安 | 田中 | 投犠 | 4 | ○ |
6.20 | マツダ | 広島 | ジオ | 青木 | 中安 | 田中 | 投犠 | 0 | ○ |
6.24 | 神 宮 | 巨人 | 内海 | 青木 | 二安 | 福地 | 捕犠 | 1 | ● |
6.25 | 神 宮 | 阪神 | 久保 | 青木 | 中安 | 田中 | 三振 | 0 | ● |
6.26 | 神 宮 | 阪神 | 鶴 | 青木 | 左2 | 田中 | 一飛 | 0 | ○ |
6.29 | 那 覇 | 横浜 | 三浦 | 青木 | 中安 | 田中 | 一犠 | 0 | ○ |
7.06 | 倉 敷 | 阪神 | スタンリッジ | 青木 | 中安 | 田中 | 捕邪 | 0 | ● |
7.11 | 神 宮 | 広島 | スタルツ | 青木 | 投安 | 田中 | 二安 | 1 | ○ |
7.28 | 神 宮 | 広島 | 今井 | 青木 | 四球 | 田中 | 一犠 | 1 | ○ |
7.29 | 神 宮 | 広島 | スタルツ | 青木 | 左安 | 田中 | 投犠 | 0 | ○ |
8.04 | 神 宮 | 中日 | 山井 | 青木 | 左安 | 田中 | 投犠 | 3 | ○ |
8.06 | 横 浜 | 横浜 | 大家 | 青木 | 右安 | 田中 | 遊ゴ | 8 | ○ |
8.08 | 横 浜 | 横浜 | 大家 | 青木 | 中安 | 田中 | 一安 | 1 | ○ |
8.10 | 神 宮 | 巨人 | グライシンガー | 青木 | 遊安 | 田中 | 捕犠 | 0 | ○ |
8.13 | 京セラ | 阪神 | 鶴 | 青木 | 左安 | 田中 | 投犠 | 2 | ○ |
8.21 | ナゴヤ | 中日 | 山本昌 | 青木 | 左安 | 田中 | 投犠 | 1 | ● |
8.22 | ナゴヤ | 中日 | 中田賢 | 青木 | 左2 | 田中 | 二ゴ | 0 | ○ |
8.24 | 神 宮 | 横浜 | 清水 | 青木 | 死球 | 田中 | 一犠 | 0 | ○ |
8.25 | 神 宮 | 横浜 | 高崎 | 青木 | 左2 | 田中 | 捕犠 | 0 | ○ |
8.28 | 神 宮 | 阪神 | 秋山 | 青木 | 四球 | 田中 | 投犠 | 0 | ● |
8.31 | 石 川 | 巨人 | 東野 | 青木 | 右安 | 田中 | 捕邪 | 3 | ○ |
9.01 | 富 山 | 巨人 | 藤井 | 青木 | 三失 | 田中 | 一犠 | 0 | △ |
9.03 | 横 浜 | 横浜 | 阿斗里 | 青木 | 四球 | 田中 | 投犠 | 0 | ○ |
9.04 | 横 浜 | 横浜 | 大家 | 青木 | 右安 | 田中 | 三ゴ | 0 | ● |
9.09 | 神 宮 | 広島 | 前田健 | 青木 | 右2 | 田中 | 捕犠 | 1 | ● |
9.12 | 甲子園 | 阪神 | 秋山 | 青木 | 中安 | 田中 | 投犠 | 0 | ● |
9.15 | 神 宮 | 巨人 | 内海 | 青木 | 三安 | 宮本 | 投犠 | 0 | ● |
9.16 | 神 宮 | 巨人 | 高木 | 青木 | 左安 | 宮本 | 投併 | 0 | ○ |
9.23 | マツダ | 広島 | 前田健 | 青木 | 中安 | 田中 | 遊ゴ | 0 | ○ |
9.25 | 神 宮 | 巨人 | 藤井 | 青木 | 中安 | 田中 | 投ゴ | 0 | ● |
10.8 | 東京ド | 巨人 | 内海 | 青木 | 左2 | 川端 | 捕犠 | 1 | ○ |
【表9】初回先頭打者出塁時にみる犠打と得点・勝敗
犠打成功 | 犠打失敗 | 連続出塁 | |||||||||
試合 | 勝率 | 試合 | 得点率 | 勝率 | 試合 | 得点率 | 勝率 | 試合 | 得点率 | 勝率 | |
-5.26 | 16 | .375 | 7 | .429 | .143 | 6 | .333 | .500 | 3 | .667 | .667 |
5.27- | 33 | .688 | 21 | .381 | .700 | 10 | .200 | .600 | 2 | 1.00 | 1.00 |
計 | 49 | .541 | 28 | .393 | .536 | 16 | .250 | .563 | 5 | .800 | .800 |
注)「連続出塁」とは犠打成功,犠打失敗のいずれにも含まれないケース。「得点率」とは初回に1得点以上記録した試合で割ったものをそれぞれ示している。
小川体制になってから初回に走者を置いたケースで打球が外野まで飛んだ試合は皆無で,いわゆるエンドランが成功した形になったことは一度も無かった。得点率も犠打の成功/失敗に関わらず高田監督時代の方が高かった。それでも小川監督が率いてから初回に犠打を成功させた試合の勝率は,チーム勝率(.621)をさらに上回る.700をマークしており,さらに1番青木・2番田中のコンビに限れば,3試合に1試合しか得点にはつながらなかったものの(得点率.333),13勝4敗1分で勝率.765にまで上昇している(失敗時は5勝4敗勝率.555得点率.222)。つまるところこれは采配が一貫され,選手がそれを理解し,個々が与えられた役割をこなすという相互の信頼関係が生んだ賜物なのだろうか・・。
これを『灯台下暗し』というのだろう。まさかこんな身近なところに救世主がいたとは・・・。それほどまでにヘッドコーチ時代の小川コーチは目立たなかった。ベンチの隅でただ黙々と高田監督のサインを伝えるだけ。ヘッドとして監督に何かを進言したとしても果たして受け入れられているのだろうかと疑うほどに地味な存在で,5/26未明の後任人事発表の際にも「トップを代えたところで,何も変わらない。むしろ根本的問題を後回しにするだけ」*1だと感じていた。だが翌27日の初采配後に「コミュニケーション・風通し・活気。勝利こそ掴めなかったが,止まっていた何かが動き出した気がした」*2と綴ったことは今思えば決して間違っていなかった。
試合後の談話において「私のミス」と勝敗の責任は全て自分にあると立場を明確にさせた。崩壊しかけた組織にあってある程度のリスクを背負わなければ前には踏み出せないと,畠山らをレフトで起用し着眼点を変えた。ファームから昇格させたばかりの荒木,鬼崎,川端を少なくとも2試合は続けてスタメン起用したように忍耐強さも見せた。これは後々に明らかになったことだが,レギュラーから弾き出された形になった福地,デントナ,ガイエルには自ら口頭でのフォローを欠かさなかったという。6/20広島戦(マツダ)で大きな走塁ミスを犯した飯原をその裏の守備から即ベンチに下げるという厳格さを見せ次の試合はスタメンからも外したが,その試合で代打から途中出場の機会を与え,次の試合でも同様の起用をし,飯原自身も2試合続けて安打を放つという結果で応え,ミスから3試合後の6/24巨人戦(神宮)には再びスタメンに戻すという一連の起用法も実に印象的だった。現場の最高責任者として選手のモチベーションを高め,チームという組織を再構築することができたのは小川監督の長けた人心掌握術によるものも少なくないだろう。そんな小川監督を端的に紹介した記事があったのでここに引用させていただく。
時の顔 プロ野球ヤクルトの監督に就任した小川淳司さん
高田繁前監督が成績不振で辞任した5月下旬以降,監督代行としてヤクルトを立て直した。貯金23は今期の指揮官で最多。9年間の二軍監督の経験を生かし,くすぶっていた選手の力を巧みに引き出した。サヨナラ本塁打の飯原誉士選手には自腹を切って贈り物をするなど,きめ細かい気配りも。選手からの信望の厚さも決め手になって,監督に昇格した。「これも頑張ってくれた選手のおかげ。これからもよろしくお願いします,と言いたい」との言葉には,人柄がにじみ出た。千葉・習志野高で夏の甲子園の優勝投手。中大時代には大学日本代表で巨人の原辰徳監督,オリックスの岡田彰布監督と中軸を組んだが「高校の時が自分のピーク。二人と僕は実績が違うから…」とどこまでも謙虚だ。中日戦で自軍の打者に死球が相次ぎ,落合博満監督に「逃げるのも技術」と挑発されても「登録を外すほどでなくてよかった」。翌日のメンバー表の交換では年長の落合監督に対し,いつものように帽子をとり,頭を下げてあいさつしていた。監督に就任しても「何も変えない」と強調し,「これからも選手が働きやすい環境をつくっていきたい」。管理型,放任型とは一線を画した手法でチームを操縦する身上を口にした。「監督のストレスは感じないのでは。二軍監督時代にたくさん負けて,免疫ができているから」と笑って言える。温厚さと実直さで,球団内では「会社勤めもできる人」と言われている。家族は夫人と1男1女。千葉県出身。53歳。【2010(平成22)年10月13日 信濃毎日新聞6版 総合2面】
おわりに〜2011シーズンに向けて
今オフ最もファンをやきもきさせたであろう林昌勇の残留交渉には成功した。彼が移籍することになってしまうと,投手陣の編成は根本から考え直さなければならなかった。外国人に対する多額の年俸には慢心を心配する声もあるが,本人が2年後のメジャー挑戦を匂わせるなど,高いモチベーションがあればそれほどまでに心配することもなさそうだ。
残念ながらドラフトで即戦力候補斎藤佑樹の獲得することができなかったため,石川,館山,村中,由規の先発4本柱に次ぐ先発の台頭が待たれる。主に前半戦で7勝を挙げた中澤,かつての新人王川島亮,シーズン中にそれぞれ1試合だけ先発の機会を与えられた赤川,山本斉,山岸穣,秋季キャンプに抜擢され小川監督の評価も高かった日高,2年目の平井諒らの争いに期待するしかなく,ある程度計算が立てられるような実績ある外国人を一枚獲得したいところ。
林昌勇につなぐまでのセットアッパーは松岡,増渕,押本で盤石なものになった。ただしこの3人に続く投手がいないのもまた実情で,彼らを勝ちパターンは当然ながら,ビハインドあるいは大量リードの場面でも投入しなければならないこともしばしばあった。橋本義隆,松井光介,吉川昌宏といった経験豊富な投手にはセットアッパーの負担を減らすような投球を期待したい。ドラフト2位右腕七條祐樹も最初は中継ぎで様子をみることにになるだろうか。絶対数が少ない左腕には佐藤賢,渡辺恒樹,ルーキー九古健太郎が一年を通してブルペン待機してくれるようでないとバランスが悪くなる。そして何より4年間登板の無い石井弘寿の復帰を願うばかりだ。伸び悩む加藤幹典,一場靖弘,高市俊,高木啓充に活路は見いだせるのか。
山本哲と八木は実戦で投げられるようになることが最優先である。ラファエル・フェルナンデス,上野啓輔は支配下選手登録を目指す。
一方野手最大の不安は来季も4番を予定するホワイトセルにあるような気がする。途中来日初年は好成績を残したものの,翌年はサッパリというケースは過去に多々あった。実際6月4試合打率.417 2本塁打 6打点,7月17試合打率.291 4本塁打 16打点,8月26試合 打率.368 7本塁打 22打点だったものが,9月21試合で 打率.221 2本塁打 9打点と極端に成績を落としている。相手からのマークも厳しくなり,高めの釣り球など弱点とされるコースを徹底的に攻められつつあるので,それを跳ね返すだけの適応力を見せてもらうしかあるまい。
不動の1番センター青木を挟むことになる外野の2枠には,後半戦レギュラーを掴んだ飯原,畠山。デントナに代わる右の外野手として獲得したウラディミール・バレンティン,レギュラー奪取に燃える福地,ガイエル,オリックスから移籍の濱中治,2009年のキャンプ・オープン戦以来に復帰となった宮出隆自,一軍で自信をつけた上田剛史,野手転向2年目で結果が求められる雄平と激戦の様相を呈してきた。2年目の松井淳,ルーキー川崎成晃,又野知弥はまずはファームで外野の定位置を掴みたいところ。中尾は与えられた出番を確実にモノにしていかないともうあとがない。
頑丈な体と堅守を誇るセカンド田中は来季こそオールスター選出とゴールデングラブ賞獲得を叶えて欲しい。通産2000本安打まであと168本と迫った宮本は,来季何本安打を積み重ねられるかが焦点になるが,今シーズン同様定期的に休養を与えていくことになることは間違いない。最大の激戦区はショート。後半レギュラーを掴んだ川端に,右肘手術から復帰する川島慶,さらに藤本,荒木,鬼崎がそこに挑む形になる。大型ショートと呼び声高いドラフト1位指名の山田哲人がここに割りこめるかも楽しみである。野口祥順,三輪,森岡良介はその脚力で一軍に残りたいところ。武内,松元ユウイチ,吉本亮は代打と内外野の守備がこなせる選手であり,出番を窺う。
正捕手としては勿論,打者としてもチームトップの65打点を稼いだ相川の存在はもはや欠くことができないほど大きなものとなった。2番手捕手には川本,3番手捕手に福川と控えるが,ファームで優先的にマスクを被り英才教育を受けた中村が二人を脅かすまで成長出来るかが楽しみである。さらにドラフト3位で西田明央が入団したことで,衣川,新田の両名は捕手というよりも右の代打として勝負を懸けるしかなくなってきた。水野祐希は焦らず捕手としての仕事をこなすことだ。
麻生知史,曲尾マイケ,北野洸貴,佐藤貴規という4名の育成選手からスワローズ史上初野手としての支配下登録なる選手は現れるか。
2001年若松勉監督が率いて4年ぶり6度目となるセ・リーグを制覇してからはや9年。歓喜の優勝の輪の中にいた選手はもう宮本と石井しか残されていない・・。福地,相川,ユウイチ,野口,畠山,石川,福川のようにプロ10年以上在籍しながら優勝未経験の選手も増えてきた。
ファームには野村ID野球の名参謀である松井優典二軍育成兼寮長が13年ぶり,選手会長も務めた伊東昭光二軍投手が4年ぶり,中継ぎエース加藤博人二軍投手が12年ぶり,そしてブンブン丸池山隆寛二軍打撃が9年ぶりにコーチとしてそれぞれスワローズに復帰した。スワローズの伝統である明るいチームワークと,野村・若松両監督の下で選手あるいはコーチとしてともに優勝を経験した伊藤智仁投手,佐藤真一打撃,飯田哲也守備走塁,城石憲之守備走塁,中西親志バッテリー,真中満二軍監督,土橋勝征二軍守備走塁,度会博文二軍守備走塁,さらに高田前監督に請われた指導者の中では唯一残留することになる淡口憲治二軍打撃,2001年日本シリーズを敵として戦った古久保健二二軍バッテリーというコーチングスタッフとがうまく融和して,”優勝”の二文字を目指して欲しい。ただただそれを願うばかりである。
その人身掌握術で,瀕死の燕を救った小川淳司監督なら必ずや成し遂げてくれるはずだ。信じよう。10年ぶりの美酒を味わうその瞬間を―。
参考資料
二宮清純「ヤクルト・小川淳司 史上最強の地味監督」,『SPORTS COMMUNICATIONS』,スポーツコミュニケーションズ,2010.11
http://www.ninomiyasports.com/sc/modules/bulletin02/article.php?storyid=4587
http://www.ninomiyasports.com/sc/modules/bulletin02/article.php?storyid=4592
阿部珠樹「<ヤクルト新監督の野球哲学> 小川淳司[代行から監督の座へ] 燕を甦らせた男の眼力と深謀遠慮」,『Sports Graphic Number』第766号,文藝春秋,2010.11
http://number.bunshun.jp/articles/-/65176
http://number.bunshun.jp/articles/-/65176?page=2
http://number.bunshun.jp/articles/-/65176?page=3
『週刊ベースボール』第65巻 第56号 通産3025号,ベースボールマガジン社,2010.12
ニッカンスコア速報
http://www.nikkansports.com/baseball/professional/schedule/2010/s201003.html
http://www.nikkansports.com/baseball/professional/schedule/2010/s201004.html
http://www.nikkansports.com/baseball/professional/schedule/2010/s201005.html
http://www.nikkansports.com/baseball/professional/schedule/2010/s201006.html
http://www.nikkansports.com/baseball/professional/schedule/2010/s201007.html
http://www.nikkansports.com/baseball/professional/schedule/2010/s201008.html
http://www.nikkansports.com/baseball/professional/schedule/2010/s201009.html
http://www.nikkansports.com/baseball/professional/schedule/2010/s201010.html
2009年12月23日
総括2009−球団史上初クライマックスシリーズ進出までの道のり
はじめに
1月16日。ヤクルト球団史上初となるFA選手獲得となる相川亮二の加入が正式に決定し,前年5位からの巻き返しを目指した高田繁監督就任2年目のシーズン。
開幕から阪神・中日という前年Aクラスチーム相手に2カード連続で勝ち越し,上々のスタートを切り,4月は12勝10敗と勝ち越す。その後も西のチーム(中日・阪神・広島)には全て勝ち越し,東のチーム(巨人・横浜)には負け越すという相性が極端に現れながらも,21勝13敗の2位という成績で交流戦を迎えた。
交流戦開幕後はなかなか波に乗ることができず一進一退の状態が続いていたが,6月14日のオリックス戦で,後にギネス世界記録に正式認定されることになる11打数連続安打の日本記録を樹立したあたりからチームは急加速。18日のロッテ戦はガイエルのサヨナラ本塁打,20日の西武戦はデントナがサヨナラ打。交流戦最終戦となる21日の西武戦でも福地寿樹の打球が相手敵失を誘い球団史上3度目となる3試合連続のサヨナラ勝ちを収める。過去に記録した年(1978年・1995年)はいずれもチームは優勝・日本一に輝いているという縁起の良さも相まって,優勝への期待も高まった。
交流戦終了時首位・巨人とは2.0ゲーム差の2位。リーグ戦再開最初のカードはその巨人だった。3連勝すれば首位という期待も懸かったものの,その初戦に金田正一を抜き球団新記録となる14連勝を誇っていた館山昌平が7失点KOで遂に連勝ストップ。翌日こそ由規の好投で勝利を収めたが,3戦目は石川雅規が崩れ結局カード負け越し。
7月はデントナが打率.416,6本塁打,25打点の驚異的な成績で月間MVPを獲得するも,チームは勝ったり負けたり。その間驚異的な勝率で追い上げてきた中日に守り続けてきた2位の座を奪われたものの,46勝33敗の3位で前半戦を折り返し。この時点でクライマックスシリーズ進出へのマジック52が点灯しており,誰もが3位以内を信じて疑わなかった・・・
ところが8月から悪夢のような日々が待ち受けていた。8日館山が右手中指を痛め登録抹消。13日の試合中にデントナが左太腿裏を肉離れ,15日には宮本慎也が左太腿を痛め登録抹消されるなど投打の主力に故障者が相次ぎ8月を7勝18敗で終える。
9月に入っても悪い流れは断ち切れず,五十嵐亮太,林昌勇が揃って登録抹消。抑えを任された松岡健一もリードを守れず完全に自信を喪失。5日からは17年ぶりの9連敗。球団史上ワーストとなる12カード連続の負け越し。本拠地神宮球場では39年ぶりとなる10連敗も記録した。最大14あった貯金を使い果たすと,12日にはとうとう4位に転落。21日には1958年以来・セ・リーグ史上6度目となる2ケタ貯金から2ケタ借金10を背負い,5位にまで転落した。
瀕死のチームを救ったのは4年目の高木啓充だった。5位転落の翌22日の広島戦でプロ初完封勝利を挙げ,チームの危機を救う。阪神・広島との熾烈な3位争いが続く一方,下旬からはそれまでチームを支えてきた川島慶三が右肘痛を訴えて以降,連鎖反応するかのように相川,飯原誉士,田中浩康,武内晋一と相次いで試合中に負傷し戦線離脱…。
それでも4番に座った青木宣親と,右手小指の骨折を抱えながらも強行出場を続ける宮本を中心に,主力不在で出場機会を得た昨年の4番打者畠山和洋をはじめ,川本良平,中村悠平,鬼崎裕司,梶本勇介,森岡良介,吉本亮,野口祥順,松元ユウイチら脇役陣が奮起。
迎えた10月8日からの阪神2連戦。その初戦に右のエース館山が5安打無失点完封勝利で3位再浮上しクライマックスシリーズ進出マジック2を再点灯させると,翌9日は左のエース石川が8回途中まで1失点に抑え,最後は林昌勇が締め直接対決2連勝。3年ぶりの3位を確定させ,球団史上初のクライマックスシリーズ進出を決めた【表1】。
【表1】チーム月別成績
【表2】チーム成績 ※()はリーグ順位
チーム防御率・失点共に下げたものの,一昨年は13勝28敗,昨年は13勝25敗と2年連続勝率3割台と課題としていた1点差試合でも19勝16敗と勝ち越し,その勝率.543はリーグ2位と,「接戦の弱さ」は克服している。
チーム打率は下がったものの,リーグ順位は2位である。本塁打数が33本増加し「長打力不足」は解消されたにも関わらず,得点は35点の減少【表2】。ここにチームとして取り組むべき課題が見出せるのでないだろうか。後で考察することにする。
次に対戦カード別成績【表3】。
【表3】対戦成績 ※( )は引き分け
こうして対戦成績を並べてみると,8・9月の低迷があったものの,トータルでは五分に近い成績で終わっているのだ。巨人戦を除けば……。対巨人戦がシーズン5勝以下に終わったのは1970年(5勝21敗)以来39年ぶり。最後に勝ち越したのは2000年で,以降9年間連続で負け越し。この間の成績は84勝141敗3分。勝率.373。
とにもかくにも対巨人戦を何とかしないとならないのだが,実は巨人戦が突出して悪いという数字が並ぶ訳でもないのである。
【表4】対戦別チーム成績
打率に限っては対広島・阪神・横浜戦よりも高く,安打数もほとんど変わらない。失策数も対中日戦と並んで最も少ない。
単純計算であるが巨人戦以外の対セ・リーグ4球団では安打数の45.0%,対パ・リーグ戦でも46.7%が得点に結びついているのに,対巨人戦となると36.1%に激減。塁を賑わせることは出来ているのにも関わらず,得点に結びつかない。三振と併殺打数が最も多く,機動力も発揮できていない。
失点・防御率ともワーストであり,1点でも多く取る工夫が他球団以上に必要なのにそれが出来ていないのだ。攻撃に関してチームとして工夫したものを指示していくなどすれば数字の上昇は見込めるのではないだろうか。
守備に関しては【表5】の通り,リーグ最高の成績を残すことが出来た。これに関しては多いに誇ってよいだろう。守りから攻撃のリズムを生んだ試合も数多くあったように記憶している。
【表5】守備成績
さて先に考察すると挙げた「チームとして取り組むべき課題」について,独自の「四球率」なる数字を出してみた。「四球率」とは単純に四球の数を,四球となるカウント(0-3・1-3・2-3)での打席数で割ったものである。つまり四球を選べるカウントでどれだけ四球(死球も含んでいる)を選べたかである。それをカウント別の打率及び,通産の出塁率とともに示す【表6_1】。
【表6_1】出塁率内訳
こうして数字を出してみて面白い事に気がついた。それはデントナ・ガイエルの決めうち打率の高さだ。ガイエルに至ってはカウント0-3から実に5打数5安打である。ど真ん中ストレートと山を張ったケースでの打撃。思わず来季注目してみたくなった。
それはさておき本題。いわゆるクリーンナップの前に如何に走者を溜めるかという意味で,上位打線の出塁がポイントになるということで,「四球率」なるものを算出してみたが,今季主に1・2番を組んだ福地,川島慶の数字は決して高いものではなかったことが分かるだろう。カウント2-3からは,デントナはともかくとして,川島慶は打ったほうが確率が高いという数字まで出てしまった。
セ・リーグ上位2チームの1・2番と比べても,とりわけ2番の「四球率」にはこれほどまでの差がある【表6_2】と,小笠原・ラミレス・亀井,森野・ブランコ・和田という強力クリーンナップに与えたプレッシャーも大きくなることは自ずと予想できる。それでいてカウント2-3からの勝負強さも両名とは比較にならないほど高い数字を残している。
【表6_2】出塁率内訳
彼らは足力のある選手。四球で塁に出れば相手投手にプレッシャーを与え,打者有利の状況を作り出せる選手なのである。それはチームの得点に直結するものでもある。それだけに,この数字は実に惜しまれるものだと思う。勝負強さばかりは天性のものがあるだけに,せめてカウントやケースに応じたボールの見極め力には,より一層の磨きをかけて欲しい。
攻撃の話中心になってしまった。投手では石川,館山に次ぐ投手を確立出来なかったことが最大の課題であろう。その二人に次ぐ投手は実績からしても,そして何より年齢的に川島亮しか居ないと思っている。川島亮の今季の全登板は以下の通り【表7】。
【表7】個人投手成績_17川島亮
開幕3戦目の先発を任されたものの,夏場以降調子を落とし,8/26を最後に一軍での登板は無かった。こうして白星を挙げた試合を見ても分かるように,100球前後で6〜7イニングを3失点以内に抑えるという,先発としての最大限の責務を全う出来るだけの力は備えているのは明らかである。元々被本塁打も多かった投手。そんな細かい事は気にせず,トータルのコントロールとここ一番の気持ちを込めた投球で白星を重ねてきたタイプの投手だ。
だが首脳陣はこの事への不安感か,川島亮先発試合の場合は特に早め早めの継投を想定しているようなベンチワークが見られた。失われた信頼関係―これを取り戻すには一体どうしたらよいのだろうか。気持ちを込めた投球スタイルを生かすならリリーフ転向というのも一考の余地があるだろう。
だが本人の先発としての意思も強いと思われる。何よりスワローズに欠けている部分でもあるのだから。川島亮の右腕次第でチームの順位は左右されるといっても過言では無いだろう。
おわりに〜2010シーズンに向けて
阪神はマリナーズから強肩強打の正捕手城島を獲得。野村新監督が就任し脱ブラウン野球を図る広島。尾花新監督を迎える横浜はロッテから清水直・橋本,日本ハムからスレッジ・稲田・(坂元)弥太郎など例年にない補強を敢行した。
下位球団が積極的に補強するなか,ヤクルトは阪神からFA宣言した藤本敦士を獲得した以外は目立った補強はない。3年ぶりにAクラス入りした今季を上回り,優勝を狙うためには,現有戦力を底上げするしかないだろう。
中でも先発陣は,左右の両腕石川,館山以外は横一線。由規,村中恭兵,川島亮,ユウキ,一場靖弘,高木らがシーズンを通してローテーションを守れるようにならないとやはり苦しい。新人の中澤雅人,山本哲哉。そして赤川克紀,八木亮祐,日高亮,山本斉,増渕竜義ら一人でも多くの若手の台頭が待たれる。加藤幹典,岡本秀寛,西ア聡,高市俊らそろそろ結果を出さないと厳しい選手達の奮起も促したい。
五十嵐が抜けた救援陣は4年ぶりの一軍マウンドを目指す石井弘寿の復活に期待しよう。林昌勇,押本健彦,松岡には好不調の波を予め察知するような配慮が必要だろう。特に林昌勇の場合は来日して2年続けて交流戦までは防御率0.00を誇り,9月に調子を落とし二軍落ちというパターンが続いているだけに。
橋本義隆,松井光介,萩原淳,鎌田祐哉,吉川昌宏など困ったときに頼れる経験豊富な投手も控えている。左のワンポイントには,これまた手術からの復活を期す佐藤賢と後半実績を作った李恵践を中心に動いてもらうことになるだろう。
打撃陣は4番に青木を据えたことで,本人もチームも機能した。常時青木を4番にするためにも3番打者が鍵を握る。終盤はその役割を宮本が務めた訳だが,これ以上宮本に負担をかけるわけにも行くまい。
これを担えるのは田中浩康しかいないと私は考える。
(左)福地−(遊)藤本−(二)田中−(中)青木−(一)デントナ−(右)ガイエル−(三)宮本−(捕)相川と続けば打線の破壊力が増すに違いない。
この並びであれば,(捕)川本,福川将和,米野智人,中村(一)武内,ユウイチ,野口(三)畠山,吉本(遊)川島慶,荒木貴裕,川端慎吾,梶本,鬼崎,森岡(左)志田宗大,飯原(右)高井雄平,上田剛史,中尾敏浩と主力に時折休養を与えても,大きく打順を弄る必要も無かろう。
高田監督にとっては3年契約の最終年となる。思い起こしてみよう。野村克也監督は1年目に種を蒔き,2年目に水をやり,3年目の1992年に花を咲かせた。若松勉監督も4位,4位と続いた就任3年目の2001年にチームを優勝に導いた。そして何たる運命かスワローズの監督としては9年ぶりに就任3年目を迎える。2010年はまさに3年目のジンクスの年!
高田監督も5位・3位と着実に上ってきた階段をもう一段,いや二段上がってくれることを願って,2009年総括の締めくくりとしよう。+おまけ
1月16日。ヤクルト球団史上初となるFA選手獲得となる相川亮二の加入が正式に決定し,前年5位からの巻き返しを目指した高田繁監督就任2年目のシーズン。
開幕から阪神・中日という前年Aクラスチーム相手に2カード連続で勝ち越し,上々のスタートを切り,4月は12勝10敗と勝ち越す。その後も西のチーム(中日・阪神・広島)には全て勝ち越し,東のチーム(巨人・横浜)には負け越すという相性が極端に現れながらも,21勝13敗の2位という成績で交流戦を迎えた。
交流戦開幕後はなかなか波に乗ることができず一進一退の状態が続いていたが,6月14日のオリックス戦で,後にギネス世界記録に正式認定されることになる11打数連続安打の日本記録を樹立したあたりからチームは急加速。18日のロッテ戦はガイエルのサヨナラ本塁打,20日の西武戦はデントナがサヨナラ打。交流戦最終戦となる21日の西武戦でも福地寿樹の打球が相手敵失を誘い球団史上3度目となる3試合連続のサヨナラ勝ちを収める。過去に記録した年(1978年・1995年)はいずれもチームは優勝・日本一に輝いているという縁起の良さも相まって,優勝への期待も高まった。
交流戦終了時首位・巨人とは2.0ゲーム差の2位。リーグ戦再開最初のカードはその巨人だった。3連勝すれば首位という期待も懸かったものの,その初戦に金田正一を抜き球団新記録となる14連勝を誇っていた館山昌平が7失点KOで遂に連勝ストップ。翌日こそ由規の好投で勝利を収めたが,3戦目は石川雅規が崩れ結局カード負け越し。
7月はデントナが打率.416,6本塁打,25打点の驚異的な成績で月間MVPを獲得するも,チームは勝ったり負けたり。その間驚異的な勝率で追い上げてきた中日に守り続けてきた2位の座を奪われたものの,46勝33敗の3位で前半戦を折り返し。この時点でクライマックスシリーズ進出へのマジック52が点灯しており,誰もが3位以内を信じて疑わなかった・・・
ところが8月から悪夢のような日々が待ち受けていた。8日館山が右手中指を痛め登録抹消。13日の試合中にデントナが左太腿裏を肉離れ,15日には宮本慎也が左太腿を痛め登録抹消されるなど投打の主力に故障者が相次ぎ8月を7勝18敗で終える。
9月に入っても悪い流れは断ち切れず,五十嵐亮太,林昌勇が揃って登録抹消。抑えを任された松岡健一もリードを守れず完全に自信を喪失。5日からは17年ぶりの9連敗。球団史上ワーストとなる12カード連続の負け越し。本拠地神宮球場では39年ぶりとなる10連敗も記録した。最大14あった貯金を使い果たすと,12日にはとうとう4位に転落。21日には1958年以来・セ・リーグ史上6度目となる2ケタ貯金から2ケタ借金10を背負い,5位にまで転落した。
瀕死のチームを救ったのは4年目の高木啓充だった。5位転落の翌22日の広島戦でプロ初完封勝利を挙げ,チームの危機を救う。阪神・広島との熾烈な3位争いが続く一方,下旬からはそれまでチームを支えてきた川島慶三が右肘痛を訴えて以降,連鎖反応するかのように相川,飯原誉士,田中浩康,武内晋一と相次いで試合中に負傷し戦線離脱…。
それでも4番に座った青木宣親と,右手小指の骨折を抱えながらも強行出場を続ける宮本を中心に,主力不在で出場機会を得た昨年の4番打者畠山和洋をはじめ,川本良平,中村悠平,鬼崎裕司,梶本勇介,森岡良介,吉本亮,野口祥順,松元ユウイチら脇役陣が奮起。
迎えた10月8日からの阪神2連戦。その初戦に右のエース館山が5安打無失点完封勝利で3位再浮上しクライマックスシリーズ進出マジック2を再点灯させると,翌9日は左のエース石川が8回途中まで1失点に抑え,最後は林昌勇が締め直接対決2連勝。3年ぶりの3位を確定させ,球団史上初のクライマックスシリーズ進出を決めた【表1】。
【表1】チーム月別成績
月 | 試合 | 勝数 | 負数 | 引分 | 勝率 | 通産 | 順位 |
4 | 22 | 12 | 10 | 0 | .545 | .545 | 2 |
5 | 22 | 14 | 8 | 0 | .636 | .591 | 2 |
6 | 18 | 11 | 7 | 0 | .611 | .597 | 2 |
7 | 21 | 11 | 10 | 0 | .524 | .578 | 3 |
8 | 25 | 7 | 18 | 0 | .280 | .509 | 3 |
9 | 27 | 9 | 17 | 1 | .346 | .478 | 4 |
10 | 9 | 7 | 2 | 0 | .778 | .497 | 3 |
【表2】チーム成績 ※()はリーグ順位
試合 | 勝数 | 負数 | 引分 | 勝率 | 勝差 | 順位 | 得点 | 失点 | 本塁打 | 打率 | 防御率 | |
2009 | 144 | 71 | 72 | 1 | .496 | 22.0 | 3 | 548(3) | 606(5) | 116(4) | .259(2) | 3.97(5) |
2008 | 144 | 66 | 74 | 4 | .471 | 17.5 | 5 | 583(2) | 569(4) | 83(5) | .266(4) | 3.75(4) |
チーム防御率・失点共に下げたものの,一昨年は13勝28敗,昨年は13勝25敗と2年連続勝率3割台と課題としていた1点差試合でも19勝16敗と勝ち越し,その勝率.543はリーグ2位と,「接戦の弱さ」は克服している。
チーム打率は下がったものの,リーグ順位は2位である。本塁打数が33本増加し「長打力不足」は解消されたにも関わらず,得点は35点の減少【表2】。ここにチームとして取り組むべき課題が見出せるのでないだろうか。後で考察することにする。
次に対戦カード別成績【表3】。
【表3】対戦成績 ※( )は引き分け
巨 人 | 中 日 | 阪 神 | 広 島 | 横 浜 | 日ハム | 楽 天 | ソフト | 西 武 | ロッテ | オリク | 計 | |
2009 | 05(1)18 | 13(0)11 | 15(0)09 | 12(0)12 | 11(0)13 | 2(0)2 | 3(0)1 | 1(0)3 | 2(0)2 | 3(0)1 | 4(0)0 | 71(1)72 |
2008 | 06(0)18 | 13(2)09 | 10(1)13 | 11(1)12 | 15(0)09 | 1(0)3 | 2(0)2 | 2(0)2 | 2(0)2 | 1(0)3 | 3(0)1 | 66(4)74 |
こうして対戦成績を並べてみると,8・9月の低迷があったものの,トータルでは五分に近い成績で終わっているのだ。巨人戦を除けば……。対巨人戦がシーズン5勝以下に終わったのは1970年(5勝21敗)以来39年ぶり。最後に勝ち越したのは2000年で,以降9年間連続で負け越し。この間の成績は84勝141敗3分。勝率.373。
とにもかくにも対巨人戦を何とかしないとならないのだが,実は巨人戦が突出して悪いという数字が並ぶ訳でもないのである。
【表4】対戦別チーム成績
巨 人 | 中 日 | 阪 神 | 広 島 | 横 浜 | 日ハム | 楽 天 | ソフト | 西 武 | ロッテ | オリク | 計 | 順位 | |
得点 | 72 | 107 | 81 | 88 | 90 | 7 | 21 | 15 | 15 | 26 | 26 | 548 | 3 |
失点 | 118 | 104 | 86 | 102 | 106 | 11 | 9 | 18 | 24 | 13 | 15 | 606 | 5 |
安打数 | 199 | 224 | 191 | 199 | 197 | 26 | 34 | 37 | 37 | 49 | 45 | 1238 | 3 |
本塁打数 | 13 | 25 | 15 | 23 | 19 | 0 | 6 | 1 | 5 | 5 | 4 | 116 | 4 |
三振数 | 168 | 154 | 154 | 158 | 151 | 22 | 25 | 24 | 20 | 23 | 26 | 925 | 2 |
四球数 | 54 | 70 | 72 | 46 | 63 | 9 | 11 | 16 | 8 | 16 | 14 | 379 | 4 |
死球数 | 10 | 8 | 15 | 6 | 11 | 1 | 4 | 1 | 2 | 2 | 2 | 62 | 2 |
併殺打数 | 24 | 17 | 12 | 10 | 12 | 4 | 4 | 5 | 4 | 5 | 2 | 99 | 3 |
盗塁数 | 11 | 13 | 24 | 17 | 25 | 5 | 1 | 1 | 0 | 5 | 4 | 106 | 1 |
失策数 | 8 | 8 | 12 | 13 | 9 | 0 | 2 | 2 | 3 | 0 | 0 | 57 | 1 |
打率 | .252 | .275 | .246 | .251 | .246 | .215 | .268 | .278 | .280 | .336 | .328 | .259 | 2 |
防御率 | 4.74 | 3.95 | 3.20 | 3.91 | 4.39 | 2.83 | 2.31 | 4.37 | 5.40 | 3.16 | 3.75 | 3.97 | 5 |
打率に限っては対広島・阪神・横浜戦よりも高く,安打数もほとんど変わらない。失策数も対中日戦と並んで最も少ない。
単純計算であるが巨人戦以外の対セ・リーグ4球団では安打数の45.0%,対パ・リーグ戦でも46.7%が得点に結びついているのに,対巨人戦となると36.1%に激減。塁を賑わせることは出来ているのにも関わらず,得点に結びつかない。三振と併殺打数が最も多く,機動力も発揮できていない。
失点・防御率ともワーストであり,1点でも多く取る工夫が他球団以上に必要なのにそれが出来ていないのだ。攻撃に関してチームとして工夫したものを指示していくなどすれば数字の上昇は見込めるのではないだろうか。
守備に関しては【表5】の通り,リーグ最高の成績を残すことが出来た。これに関しては多いに誇ってよいだろう。守りから攻撃のリズムを生んだ試合も数多くあったように記憶している。
【表5】守備成績
チーム | 守備率 | 試合 | 守機備会 | 刺殺 | 補殺 | 失策 | 併殺 | 捕逸 | |
参加 | 球団 | ||||||||
ヤクルト | .990 | 144 | 5538 | 3827 | 1654 | 57 | 333 | 126 | 3 |
巨 人 | .985 | 144 | 5615 | 3924 | 1607 | 84 | 315 | 117 | 9 |
中 日 | .985 | 144 | 5576 | 3869 | 1623 | 84 | 332 | 121 | 13 |
阪 神 | .985 | 144 | 5574 | 3841 | 1647 | 86 | 315 | 118 | 5 |
横 浜 | .982 | 144 | 5463 | 3794 | 1570 | 99 | 321 | 116 | 10 |
広 島 | .982 | 144 | 5503 | 3840 | 1563 | 100 | 274 | 100 | 3 |
さて先に考察すると挙げた「チームとして取り組むべき課題」について,独自の「四球率」なる数字を出してみた。「四球率」とは単純に四球の数を,四球となるカウント(0-3・1-3・2-3)での打席数で割ったものである。つまり四球を選べるカウントでどれだけ四球(死球も含んでいる)を選べたかである。それをカウント別の打率及び,通産の出塁率とともに示す【表6_1】。
【表6_1】出塁率内訳
四球率 [出塁率] | カウント | 打席 | 打数 | 安打 | 打率 | 四球 | 割合 | 四球率 [出塁率] | カウント | 打席 | 打数 | 安打 | 打率 | 四球 | 割合 | |
青木 .524 [.400] | 0-3 | 14 | 1 | 0 | .000 | 13 | .929 | ユウイチ .467 [.307] | 0-3 | 3 | 0 | 0 | - | 3 | 1.00 | |
1-3 | 40 | 16 | 6 | .375 | 23 | .575 | 1-3 | 6 | 3 | 1 | .333 | 3 | .500 | |||
2-3 | 89 | 48 | 13 | .271 | 39 | .438 | 2-3 | 6 | 5 | 1 | .200 | 1 | .167 | |||
ガイエル .465 [.367] | 0-3 | 21 | 5 | 5 | 1.00 | 16 | .762 | 武内 .429 [.329] | 0-3 | 5 | 0 | 0 | - | 5 | 1.00 | |
1-3 | 14 | 4 | 3 | .750 | 10 | .714 | 1-3 | 8 | 6 | 3 | .500 | 2 | .250 | |||
2-3 | 79 | 52 | 9 | .173 | 27 | .342 | 2-3 | 22 | 14 | 2 | .143 | 8 | .364 | |||
田中浩 .405 [.315] | 0-3 | 4 | 0 | 0 | - | 4 | 1.00 | 畠山 .422 [.329] | 0-3 | 4 | 0 | 0 | - | 4 | 1.00 | |
1-3 | 22 | 8 | 5 | .625 | 14 | .636 | 1-3 | 15 | 8 | 2 | .250 | 7 | .467 | |||
2-3 | 58 | 42 | 8 | .190 | 16 | .276 | 2-3 | 45 | 29 | 5 | .172 | 16 | .356 | |||
デントナ .380 [.327] | 0-3 | 12 | 3 | 2 | .667 | 9 | .750 | 飯原 .417 [.315] | 0-3 | 2 | 0 | 0 | - | 2 | 1.00 | |
1-3 | 18 | 6 | 2 | .333 | 12 | .667 | 1-3 | 8 | 3 | 1 | .333 | 5 | .625 | |||
2-3 | 49 | 40 | 11 | .275 | 9 | .184 | 2-3 | 14 | 11 | 3 | .273 | 3 | .214 | |||
福地 .375 [.310] | 0-3 | 3 | 0 | 0 | - | 3 | 1.00 | 野口 .400 [.318] | 0-3 | 1 | 0 | 0 | - | 1 | 1.00 | |
1-3 | 22 | 12 | 6 | .500 | 10 | .455 | 1-3 | 2 | 1 | 1 | 1.00 | 1 | .500 | |||
2-3 | 47 | 33 | 6 | .182 | 14 | .298 | 2-3 | 12 | 8 | 3 | .375 | 4 | .333 | |||
宮本 .356 [.320] | 0-3 | 1 | 0 | 0 | - | 1 | 1.00 | 川本 .308 [.254] | 0-3 | 0 | 0 | 0 | - | 0 | - | |
1-3 | 8 | 2 | 0 | .000 | 6 | .750 | 1-3 | 0 | 0 | 0 | - | 0 | - | |||
2-3 | 36 | 27 | 6 | .222 | 9 | .250 | 2-3 | 13 | 9 | 4 | .444 | 4 | .308 | |||
相川 .354 [.286] | 0-3 | 5 | 0 | 0 | - | 5 | 1.00 | |||||||||
1-3 | 9 | 3 | 0 | .000 | 6 | .667 | ||||||||||
2-3 | 51 | 39 | 6 | .154 | 12 | .235 | ||||||||||
川島慶 .330 [.314] | 0-3 | 4 | 0 | 0 | - | 4 | 1.00 | |||||||||
1-3 | 23 | 11 | 2 | .182 | 12 | .522 | ||||||||||
2-3 | 70 | 54 | 14 | .259 | 16 | .229 |
それはさておき本題。いわゆるクリーンナップの前に如何に走者を溜めるかという意味で,上位打線の出塁がポイントになるということで,「四球率」なるものを算出してみたが,今季主に1・2番を組んだ福地,川島慶の数字は決して高いものではなかったことが分かるだろう。カウント2-3からは,デントナはともかくとして,川島慶は打ったほうが確率が高いという数字まで出てしまった。
セ・リーグ上位2チームの1・2番と比べても,とりわけ2番の「四球率」にはこれほどまでの差がある【表6_2】と,小笠原・ラミレス・亀井,森野・ブランコ・和田という強力クリーンナップに与えたプレッシャーも大きくなることは自ずと予想できる。それでいてカウント2-3からの勝負強さも両名とは比較にならないほど高い数字を残している。
【表6_2】出塁率内訳
カウント | 打席 | 打数 | 安打 | 打率 | 四球 | 割合 | |
G坂本 .363 [.357] | 0-3 | 14 | 1 | 1 | 1.00 | 13 | .929 |
1-3 | 21 | 9 | 5 | .556 | 12 | .571 | |
2-3 | 86 | 67 | 18 | .269 | 19 | .221 | |
G松本 .428 [.338] | 0-3 | 5 | 0 | 0 | - | 5 | 1.00 |
1-3 | 7 | 3 | 1 | .333 | 4 | .571 | |
2-3 | 37 | 25 | 11 | .440 | 12 | .324 | |
D荒木 .247 [.304] | 0-3 | 4 | 0 | 0 | - | 4 | 1.00 |
1-3 | 18 | 8 | 1 | .125 | 10 | .556 | |
2-3 | 79 | 68 | 22 | .324 | 11 | .139 | |
D井端 .447 [.388] | 0-3 | 14 | 0 | 0 | - | 14 | 1.00 |
1-3 | 40 | 18 | 7 | .389 | 22 | .550 | |
2-3 | 107 | 71 | 17 | .239 | 36 | .336 |
彼らは足力のある選手。四球で塁に出れば相手投手にプレッシャーを与え,打者有利の状況を作り出せる選手なのである。それはチームの得点に直結するものでもある。それだけに,この数字は実に惜しまれるものだと思う。勝負強さばかりは天性のものがあるだけに,せめてカウントやケースに応じたボールの見極め力には,より一層の磨きをかけて欲しい。
攻撃の話中心になってしまった。投手では石川,館山に次ぐ投手を確立出来なかったことが最大の課題であろう。その二人に次ぐ投手は実績からしても,そして何より年齢的に川島亮しか居ないと思っている。川島亮の今季の全登板は以下の通り【表7】。
【表7】個人投手成績_17川島亮
勝敗 | 回数 | 打者 | 球数 | 被安 | 被本 | 三振 | 四死 | 失点 | 自責 | |||
4/05 | 阪 神 | ○ | 6 | 26 | 101 | 7 | 0 | 3 | 1 | 3 | 3 | |
4/12 | 横 浜 | ● | 4 | 2/3 | 22 | 79 | 7 | 1 | 4 | 1 | 4 | 4 |
4/19 | 広 島 | ○ | 6 | 25 | 108 | 4 | 2 | 6 | 3 | 2 | 2 | |
4/28 | 中 日 | - | 5 | 2/3 | 20 | 62 | 2 | 1 | 4 | 1 | 2 | 2 |
5/09 | 広 島 | - | 5 | 0/3 | 21 | 91 | 3 | 0 | 3 | 3 | 3 | 1 |
5/17 | 阪 神 | ○ | 7 | 28 | 118 | 5 | 0 | 4 | 2 | 1 | 1 | |
5/24 | ソフトバンク | ● | 5 | 24 | 89 | 6 | 2 | 5 | 3 | 5 | 4 | |
5/31 | ロッテ | ○ | 7 | 25 | 97 | 5 | 0 | 5 | 0 | 1 | 1 | |
6/07 | 日本ハム | ● | 6 | 23 | 99 | 5 | 1 | 1 | 2 | 2 | 2 | |
7/01 | 横 浜 | - | 2 | 2/3 | 17 | 72 | 2 | 1 | 1 | 2 | 4 | 4 |
7/10 | 横 浜 | - | 5 | 1/3 | 22 | 106 | 2 | 3 | 0 | 3 | 1 | 1 |
7/17 | 広 島 | ○ | 5 | 19 | 83 | 2 | 1 | 0 | 1 | 2 | 2 | |
7/29 | 広 島 | ● | 3 | 2/3 | 19 | 65 | 1 | 1 | 1 | 2 | 5 | 3 |
8/26 | 広 島 | ● | 4 | 24 | 88 | 2 | 4 | 0 | 4 | 9 | 9 |
開幕3戦目の先発を任されたものの,夏場以降調子を落とし,8/26を最後に一軍での登板は無かった。こうして白星を挙げた試合を見ても分かるように,100球前後で6〜7イニングを3失点以内に抑えるという,先発としての最大限の責務を全う出来るだけの力は備えているのは明らかである。元々被本塁打も多かった投手。そんな細かい事は気にせず,トータルのコントロールとここ一番の気持ちを込めた投球で白星を重ねてきたタイプの投手だ。
だが首脳陣はこの事への不安感か,川島亮先発試合の場合は特に早め早めの継投を想定しているようなベンチワークが見られた。失われた信頼関係―これを取り戻すには一体どうしたらよいのだろうか。気持ちを込めた投球スタイルを生かすならリリーフ転向というのも一考の余地があるだろう。
だが本人の先発としての意思も強いと思われる。何よりスワローズに欠けている部分でもあるのだから。川島亮の右腕次第でチームの順位は左右されるといっても過言では無いだろう。
おわりに〜2010シーズンに向けて
阪神はマリナーズから強肩強打の正捕手城島を獲得。野村新監督が就任し脱ブラウン野球を図る広島。尾花新監督を迎える横浜はロッテから清水直・橋本,日本ハムからスレッジ・稲田・(坂元)弥太郎など例年にない補強を敢行した。
下位球団が積極的に補強するなか,ヤクルトは阪神からFA宣言した藤本敦士を獲得した以外は目立った補強はない。3年ぶりにAクラス入りした今季を上回り,優勝を狙うためには,現有戦力を底上げするしかないだろう。
中でも先発陣は,左右の両腕石川,館山以外は横一線。由規,村中恭兵,川島亮,ユウキ,一場靖弘,高木らがシーズンを通してローテーションを守れるようにならないとやはり苦しい。新人の中澤雅人,山本哲哉。そして赤川克紀,八木亮祐,日高亮,山本斉,増渕竜義ら一人でも多くの若手の台頭が待たれる。加藤幹典,岡本秀寛,西ア聡,高市俊らそろそろ結果を出さないと厳しい選手達の奮起も促したい。
五十嵐が抜けた救援陣は4年ぶりの一軍マウンドを目指す石井弘寿の復活に期待しよう。林昌勇,押本健彦,松岡には好不調の波を予め察知するような配慮が必要だろう。特に林昌勇の場合は来日して2年続けて交流戦までは防御率0.00を誇り,9月に調子を落とし二軍落ちというパターンが続いているだけに。
橋本義隆,松井光介,萩原淳,鎌田祐哉,吉川昌宏など困ったときに頼れる経験豊富な投手も控えている。左のワンポイントには,これまた手術からの復活を期す佐藤賢と後半実績を作った李恵践を中心に動いてもらうことになるだろう。
打撃陣は4番に青木を据えたことで,本人もチームも機能した。常時青木を4番にするためにも3番打者が鍵を握る。終盤はその役割を宮本が務めた訳だが,これ以上宮本に負担をかけるわけにも行くまい。
これを担えるのは田中浩康しかいないと私は考える。
(左)福地−(遊)藤本−(二)田中−(中)青木−(一)デントナ−(右)ガイエル−(三)宮本−(捕)相川と続けば打線の破壊力が増すに違いない。
この並びであれば,(捕)川本,福川将和,米野智人,中村(一)武内,ユウイチ,野口(三)畠山,吉本(遊)川島慶,荒木貴裕,川端慎吾,梶本,鬼崎,森岡(左)志田宗大,飯原(右)高井雄平,上田剛史,中尾敏浩と主力に時折休養を与えても,大きく打順を弄る必要も無かろう。
高田監督にとっては3年契約の最終年となる。思い起こしてみよう。野村克也監督は1年目に種を蒔き,2年目に水をやり,3年目の1992年に花を咲かせた。若松勉監督も4位,4位と続いた就任3年目の2001年にチームを優勝に導いた。そして何たる運命かスワローズの監督としては9年ぶりに就任3年目を迎える。2010年はまさに3年目のジンクスの年!
高田監督も5位・3位と着実に上ってきた階段をもう一段,いや二段上がってくれることを願って,2009年総括の締めくくりとしよう。+おまけ
2008年12月25日
総括2008−高田監督就任初年度
はじめに
屈辱の21年ぶりの最下位からのチーム再建を託し高田繁新監督を迎え入れた。
しかし前年60勝を挙げた投手陣から,最多勝のグライシンガー(16勝)・石井一久(9勝)・藤井秀悟(7勝)・シコースキー(1勝)と半分以上の33勝を挙げた投手が退団。野手も不動の4番・ラミレスが讀賣へ移籍したことで,戦前より戦力不足は否めなかった。
その穴を埋めるべく高田監督が打ち出したのは長打力不足を足を絡めた機動力で補う「スモール・ベースボール」。キャンプ・オープン戦を通しこの方針を徹底させ,相手チームにも足を使った攻撃をしてくることを意識させることに成功した。
そして迎えた開幕カードは,4番とエースを奪われた因縁の巨人戦。その機動力が早速発揮され,結果チーム50年ぶりとなる開幕巨人戦3タテ。さらには開幕7試合連続6得点以上という日本プロ野球史上初の記録で,早くも貯金を5とした―。
ところがその勢いは続かない。なかなか連勝が出来ず,必死で5割ラインを死守するも,とうとうその貯金も4月末に使い果たしてしまう。交流戦に入って負けが込みはじめ,6月9日には借金が8まで膨れ上がる。だがそこで沈まなかった。
7月20日に勝率を5割まで戻すことに成功。7月23日から再び5割を切るも,クライマックスシリーズ進出圏内となる3位までのゲーム差は,8月16日に1.0差まで詰め寄った。だが翌日敗れ3位浮上のチャンスを逃すと,それからズルズル5連敗を喫するも,8月30日から5連勝で9月4日には3位と0.5差の4位に浮上。
しかしながら9月9日甲子園で矢野にサヨナラ本塁打を浴び敗れた試合から悪夢のような8連敗。しかもうち7試合が1点差というなんとも悔しい負けが続いた。
結局その8連敗が最後まで響く形となる66勝74敗=借金8で高田監督就任一年目のシーズンが幕を閉じた―。勝負の世界たら・ればは禁句だが,あの8連敗がせめて4勝4敗だったなら・・・と思ってしまう。
【表1】チーム成績 ※()はリーグ順位
注)チーム本塁打は阪神と同一。チーム打率は巨人・横浜と同一。
【表1】で着目したいのは,チーム本塁打が139→83と56本も減少したにもかかわらず,総得点は596→583と僅か13点の減少に留まっている点だ。長打力を機動力で補うという当初の方針は達成されたと評価することができるだろう。これを裏返せば,長打力が発揮されるならばさらなる得点力アップが望めるということだ。長打力不足はシーズン通しての課題として首脳陣も把握しているだけに,来季への期待としたい。
【表2】イニング別失点
投手陣も失点・防御率共に成績はアップ。昨年目立った序盤でゲームを壊すような大量失点も大幅に改善された。【表2】
【表3】対戦成績
次に対戦カード別成績【表3】。やはり巨人戦の数字の悪さが目を引く。先述のようにこのカードは開幕3連勝で始まった訳だから,その後は3勝18敗と全く歯が立たなかったのだ。
今シーズンは3連敗以上を9回記録した【表4】が,リーグ戦7回のうち6回に対巨人戦が絡んでいることが分かる。ちなみに交流戦期間中はいずれもロッテ戦。
対巨人はこれで8年連続負け越し。今世紀になって未だ巨人に勝ち越すことが出来ていない・・・。こうして次のカードにまで影響してしまうほど,そのアレルギーは深刻。強力巨人打線に対して物怖じせず,強気で攻められる投手の出現を待ちたいと思う。
【表4】3連敗以上内訳
【表5】ホーム・ビジター別対戦成績
昨年はビジターゲームでの借金が実に「28」もあったが,今年は東京ドームでの成績こそ相変わらずであるものの,その借金を「6」にまで減らすことができた【表5】。
【表6】神宮球場での成績比較
逆にホームである神宮球場での戦いに苦しめられた。両翼が10メートルずつ拡張された神宮球場での成績【表6】を見ると,球場が広くなった影響が投手陣にとって「+」・攻撃陣にとって「−」に作用しているのが一目瞭然である。
再び【表5】に目を転じると,巨人が8勝,横浜にとっての5勝もビジターカードとしては最多を挙げているように,それぞれのホームグランド同様にビジターである神宮でも,チームの持ち味である長打を発揮して勝利を収めているのだ。この辺りも来季の戦い方のヒントになるかもしれない。
それでは個人成績に移ろう。
【表7】先発投手成績(リリーフ登板時の成績は含まない)
まず先発投手編【表7】。昨年入団以来5年連続二桁勝利で途切れた石川がエースの称号を取り戻し再び二桁。最終戦では打者一人を打ち取り,逆転で最優秀防御率のタイトルを獲得した。同じく昨年はチーム事情で先発・中継ぎ・抑えとフル回転を命ぜられた館山が,先発一本でほぼ一年間ローテを守り続け,12勝3敗の成績は昨年と全く正反対の数字。セ・リーグでは表彰されないものの,勝率.800はリーグトップだった。川島亮もオフのクリーニング手術によって肩の不安が無くなった。ただしローテーションの関係で悉く巨人との対戦が続いたこともあり,負けが先行。防御率も悪化してしまった。
最大の誤算はグライシンガーの穴を埋めるべく獲得したリオス。韓国球界で22勝を挙げたという触れ込み通り,オープン戦では防御率1.50と抜群の安定感を誇ったが,シーズンに入るとサッパリ・・・。チームが波に乗ろうとすると連勝を止める。リズムが悪く打線と噛み合わない。挙句の果てにドーピング違反で契約解除。リオスが前半に作った借金5はチームにとって非常に大きかった。
シーズン当初の期待に応えられなかったという意味では増渕と加藤の名前も挙げてよかろう。二人とも開幕ローテに名を連ねたが,結果を出せず中盤に二軍降格。その後故障もあり,一軍の戦力にはなれなかった。まだ体力的にプロのレベルに達していない。来季以降その素材を開花させて欲しいと思う。
ただ若い力の無限の可能性を感じたシーズンであったことも確か。まずシーズン前半は村中。首脳陣の期待は開幕二戦目先発という形で現れる。立ち上がり緊張から制球を乱し四球を連発し3失点するも,4イニング投げ失点は初回のみ。チームが逆転し敗戦投手を免れると,翌週敵地で中日相手に7回1失点という圧巻のピッチングでプロ初勝利!その後は勝ちと負けを繰り返すも,とにかく村中登板時は打線の援護に恵まれなかった。その典型が5月3日の対巨人戦。9回一死まで巨人打線をノーヒットノーランに抑えるも打線の援護は0。亀井に初安打を許してから,最後は代打大道に走者一掃タイムリーを浴び力尽きて敗戦投手となるも,ファンには強烈な印象を与えた。その後も慣れない中5日のローテーションなど,投手陣の台所事情を支えてきたもの,8月下旬にとうとう左肘に違和感を訴え登録抹消となってしまった。その後の経過が心配されるものの,この大器は大きな可能性を秘めている。
この村中をも凌ぐ可能性を感じたのが,高卒ルーキー・由規。キャンプから高卒ビッグ3として注目されたものの,まだまだプロのレベルに達していないということで,オープン戦中に二軍落ち。ところがイースタンでめきめきとその片鱗が発揮されはじめ,8月30日に待望の一軍デビュー。結果は1回2/3を5失点と散々たるものだったが,味方が大逆転勝利で敗戦投手を免れるなど,運の強さを感じるスタートとなった。2試合目の登板となった9月6日対巨人戦でプロ初勝利。さらに凄かったのが10月の2試合。10月2日広島戦は8回無失点。10月8日横浜戦も6回二死までパーフェクトピッチングの8回1失点。新人王の権利となる30イニングまであと1/3イニング残してルーキーイヤーを終えた。「1勝2敗防御率3.64」という数字以上の内容であった。
そしてシーズン最終戦では希望枠で入団した高市が5回無失点の好投で,勝利投手の権利をもってマウンドを降りた。惜しくも勝利投手とはならなかったものの,ファーム10年ぶりの優勝の立役者である高市に,来季は待望の初勝利が懸かる。
【表8】主なリリーフ投手成績
次がまさに生まれ変わった中継ぎ・抑え陣【表8】。日本ハムからトレード移籍の押本は,登板22試合目まで防御率0.00を誇った。中継ぎに配置されて変貌を遂げたのが松岡。29ホールドは阪神・久保田に次いでリーグ2位の数字。シーズン通して安定感を誇り防御率「1.39」が光る。
右肘の手術から完全復活は五十嵐。開幕戦でストッパーとしてマウンドに上がるも,最後の打者を仕留めた投球の際に左太腿肉離れを起こし翌3月29日に登録抹消されてしまう。
そこで守護神に命ぜられたのが新加入の林昌勇だった。サイドから繰り出される160キロ近いストレートで相手打者を翻弄。松岡・押本・林の「MOL」トリオはいずれも防御率0点台で,阪神の「JFK」同様に7回までリードしていれば勝てる!という雰囲気があった。
ただストッパー・林昌勇は同点時のリリーフ登板での失敗が目立った。押本に疲労が見えてくると時期を同じくして,再々調整を経て戻ってきた五十嵐が安定感を取り戻し,後半は「OMIL」という勝利の方程式が確立されたのだった。
中継ぎとしてアクシデント時のロングイニングや困ったときの先発までこなす松井・8月から合流し,2勝3ホールドの木田の存在も忘れてはならないだろう。一方で物足りなかったのが左投手(佐藤・丸山・加藤・高井)。多くの試合でブルペンは全員右投手という状態に陥るほど,左腕には泣かされた。彼らの奮起と,故障の石井弘寿の復帰を願うばかりである。
次は打者である。シーズンを終えてみて2008年のレギュラーはこの9名【表9】ということになろう。
【表9】野手成績・対戦相手別打率・左右投手別打率
FAで西武に移籍した石井一久の人的補償として移籍の福地が1番に定着。高田野球の申し子として見事阪神・赤星を上回り盗塁王に輝いた。願わくば巨人戦の打率が上がってくれれば,対巨人の戦略も変わっていたことだろう。
2番は宮本。後半戦には長年守ってきたショートの定位置を後身に譲りサードとして起用されるようになったものの,打撃では安定した成績を収めた。北京五輪ではキャプテンとしてチームのまとめ役に徹した。代表からも退き,選手会会長の座も阪神・新井に引き継ぎ,来季からは肩書きこそつかないがコーチ兼任選手として,チームを引っ張ることになる。
昨年までの1番から3番となったのは青木。自己最高の.347を残すも,それを上回る打率を残したのが横浜・内川ということで,二年連続の首位打者は逃してしまった。5月にはレギュラー定着後初めて故障で一軍を離れ,8月は北京五輪に召集されたということで,万全の状態ではなかったがこの数字なのだから流石である。
リグス・ガイエルという両外国人の不振によって5/17から4番に抜擢されたのが入団8年目の畠山であった。それまで7年間監督からも不遇の扱いを受け,”二軍の帝王”などと揶揄されており,スピード野球を掲げる高田監督の方針にも沿わないと思われていた畠山。4/8に一軍にお呼びがかかると代打起用で結果を残し,悲願のレギュラーの座は4番・ファーストであった。”年俸900万円の4番打者”としてマスコミにも取り上げられた。確かに他球団の4番と比較すると,本塁打・打点とも物足りなさを感じるかもしれないが,いずれも自己最高の数字をたたき出した。本人もコメントしているが,畠山が6番に置けるような打線を組めたならば,打線は強力なものとなるに違いない。
飯原は5番だけでなく,8月に青木が離脱中には3番も務めてくれた。チーム同様開幕直後は打ちまくったが,その後パタリと当たりが止まり,前半はベンチを温める日々もあったが,きっちりとレギュラーに戻ってきた。近い将来必ず3割・30本・30盗塁を達成できるだけの選手である。さらに上を目指して欲しい。
田中はスワローズで唯一全試合出場を果たした。スタメンを外されたのも9/11の1試合のみで,2番・3番・5番・6番・7番とあらゆる打順で起用された。セカンド守備の安定感も抜群で,守備率的にも本来ならばゴールデングラブに選出されて相応しいのだが,記者投票という壁が立ち塞がった。足があるにもかかわらず盗塁数がやや物足りないだろうか。とはいえもはや田中の敵は怪我だけではなかろうか。それほど現在のスワローズにとって攻守に欠かせない選手となった。
開幕1番に座ったのは川島慶であった。チームの開幕3連勝は慶三なくしては語れない。次のカード横浜戦で右手親指付け根靭帯を損傷し離脱。それと同時にチームが勝てなくなったのだから。せっかく射止めかけたレギュラーの座を失いたくない・・気迫の回復をみせわずか3週間で一軍復帰。サードから終盤には外野へ守備固めとして入るなどユーティリティーさが光った。そしてシーズン後半戦からは宮本と入れ替わる形でショートを任されることに。宮本にはまだまだと言われたものの,急造ショートとして身体能力の高さを感じた。オフはショート一本として守備力により磨きをかける。
さて古田の退団でいよいよ一本立ちせざるを得なくなった捕手。キャンプで川本が離脱したことで開幕スタメンの座を射止めたのは福川だった。開幕から打撃好調でチームも快進撃。ポスト・古田の誕生だと喜んだのも束の間・・。リードに精彩を欠くようになると,打撃にも悪影響を及ぼした。一時は打率.200まで割り込み,何かと不満を抱いたものだ。川本が初めて一軍登録されたのは5/29。それからはスタメンが川本でリリーフ捕手に福川という併用が続いたが,交流戦終了後から川本も極度の打撃不振に陥り,再び福川に固定。福川が本塁へスライディングした際に右足首外側靱帯部分断裂という重傷を負い終盤9/20以降は川本の出番と,結局最後まで固定という訳には行かなかったのが捕手であった。ともかく8番打者としての打撃成績も散々たるもので,とうとうフロントも肝を煮やしオフにFAで横浜の相川の獲得に乗り出すことになったが,交渉の行方そしてスワローズの捕手事情はどうなるのであろうか・・・。
【表10】野手成績・うち代打成績・左右投手別打率
それ以外の選手は【表10】に掲げた。高田監督の就任で変わったこととして一二軍の入れ替えが頻繁にされるようになったことも挙げられよう。野手では水野・大原・三輪・大塚・上田・中尾を除く選手に一軍の出場機会を与えられた。残念ながらチャンスを生かせた選手というのは少ないが,風通しが良くなったことで,選手のモチベーションは上がっただろう。
武内は打撃成績こそ芳しくないが,安定感ある一塁守備を買われ,出場機会は激増した。今シーズンチームで唯一のサヨナラ勝利を収めた試合で決勝打を放ったのもこの武内である。ユウイチも5/2から閉幕まで一軍帯同し自己最多となる80試合出場を果たした。志田も年齢的に上の立場となってきてまとめ役としてもベンチで存在感を発揮するようになった。
来季に向け楽しみなのが川端と野口。川端は城石に変わってサード・ショートの守備固めを担うまでに守備力が向上。課題だった打撃も10/7にプロ初本塁打をマーク。成長著しい選手だ。スワローズ公式サイトでも,川端を同じ背番号である池山となぞらえ「奇しくも川端選手と池山選手、プロ3年目に出場したのはともに65試合。そして4年目の池山選手は127試合に出場しレギュラー獲得した。背番号同様、同じ成功の道を歩むことができるのか。期待は膨らむばかり」と紹介した。ファンとしても来季の期待度No.1野手である。
もう一人野口。10/7にはあわやサイクルヒットの大爆発。翌10/8も2試合連続本塁打を放つなどパワーとスピードを備えた大型野手であるが,その翌々日右足蜂窩識炎を発症し戦線離脱してしまうなど,如何せん彼の場合は怪我が多すぎる。怪我さえなければレギュラーに名を連ねられるだけの選手。節目の10年目の来季こそブレイクしたい。
来日2年目のガイエルは開幕15試合で7本塁打と好調なスタートをきったが,本塁上のクロスプレーで右肘を強打してから明らかに調子を落としてしまった。ズルズルと打率も急降下しとうとう二軍での調整を命ぜられたもの,腐らず練習熱心な態度が首脳陣にも評価され,オフの手術の経過も順調ということで残留が決定した。
寂しい数字となったのは真中と宮出。昨年は代打の神様としてプロ野球新記録の31安打を放った真中だったが,開幕から勝負所の代打で起用されるも僅か1安打を放ったのみで5/2に二軍落ち。今季限りでの現役引退を決心し,来季から二軍の打撃コーチに就任することになった。
宮出も悩んだ一年になってしまった。サード起用された昨年から一転。守りなれたファースト・レフト専任となったものの,打撃が鳴りを潜めてしまった。代打起用でも「.063」という数字。中途半端なハーフスイングの三振も目立った。彼の場合も本来ならば4打席立たせてそこで結果を求めたいタイプであるが,守備力・走力などを踏まえると高田野球では代打に活路を見出すしかない。かつての真中がそうであったように,そろそろ年齢・経験といった事情に素直に応じるべきなのかもしれない。
さて今季を振り返る上で目立ったここ一番での勝負弱さについて検証してみよう。今季の1点差試合は12勝25敗だった。ちなみに昨年が13勝28敗であったから,一見数字的には大差は無いように思えてしまう。ただそれで片付けてよいのだろうか?
【表11】は,それぞれの負けを,追い上げるもあと1点追いつかなかった試合:「1点追いつかず」・一時同点まで追いついたものの逆転負けした試合:「同点止まり」・1点以上のリードを守れず逆転負け:「リード守れず」の3つに分類したものである。「リード守れず」においては,説明のため実際のスコアを用いるが,
9/15
C 000 002 000 2
S 001 000 000 1
9/16
C 040 000 100 01 6
S 020 120 000 00 5
リードした「点差」を追いつかれたイニングを「回数」とし,同点のまま推移した場合は,最終的に決勝点が入ったイニングを「決勝」とした。
【表11】1点差敗戦内訳
このように純粋に投手が打たれて負けた試合というのは25試合中6試合ということになる。「1点追いつかず」の7試合を除けば1点差負け試合のうち約半数の12試合で,なんらかのイニングで野手が1点でも取って勝ち越せたならば,そのまま勝利出来た公算が高くなった訳である。
これを裏付けるのが【表12】【表13】で,点差別での投手と野手の成績である。投手の場合2点差以上ある状況と比べ「与四死球」「被打率」こそ上がるものの,「防御率」「得点圏被打率」とも下がっているので,ランナーは出すものの何とか踏ん張っていたと言える。
片や野手はその逆で「安打」こそ出るものの,「得点圏打率」が.028も劣ることから,僅差の場面でいかに得点圏まで走者を進めつつも,それを還せなかったかが分かる。このあたりがあと1点に泣いた原因と言えよう。
【表12】点差別投手成績
【表13】点差別野手成績
ただしチームの得点圏打率はリーグ4位の.270で,一番高かった阪神の.275とそれほど差は無いのだ。レギュラー陣も飯原の.356・福地の.342など決して低い数字ではない【表14】。
それでも競り負けが多かったというのは,やはりクリーンナップを担う打者の数字の低さ故に得点に結びつかなかったのではないだろうか。特に.347の打率を誇る青木に,ここ一番での一本があまり見られなかった・・・。
【表14】得点圏打率
【表15】青木:塁状況別成績
青木の塁上走者状況別打撃成績【表15】を見ると,非得点圏打率は打率を更に上回る「.367」。本塁打も14本中13本が非得点圏。そして残念ながら満塁での打率が一番低くなっている。
.333以上打って当たり前の青木に対してはどうしても要求が高くなってしまうが,3番・青木が決めていたら・・・という試合はどうしても印象に残ってしまう。本来ならば青木は1番が適所であろうが,ヤクルトには同一タイプの選手が多く,逆にクリーンナップを任せられる選手は見当たらないというチーム構成もあり,こうして青木の数字を際立ててしまったが,青木なら出来るはずだと誰もが思っているのである。青木に懸かる期待は大きい。来季は是非青木のそのバットで,ファンの願いを叶えてくれ!!
終わりに
順位だけみれば6位→5位と1つしか上がらなかった。優勝チーム(いずれも巨人)とのゲーム差も20.5→17.5と3.0差しか縮めることが出来なかった。ただ昨年と比べても明らかにスワローズは変わった。それは1や3といった数字では量れるものではない。
課題はハッキリしている。それを十二分に把握して李恵践(斗山)・バレット(ツインズ)という二人の左腕,4番候補の主砲デントナ(ダイヤモンドバックス),チーム内の競争を煽るためにトライアウトで森岡(中日),吉本(福岡ソフトバンク)を獲得。
ドラフトでは未だ流動的なポスト古田候補の座を争う新田(パナソニック)・中村(福井商)と,2010年代の黄金時代を築くため赤川(宮崎商)・八木(享栄)・日高(日本文理大付)と左腕を徹底指名。
確かに今年は戦力的にお世辞でしか優勝を狙えるなんて言えなかったかもしれない・・・。でも来年に向けて確かな可能性を感じる。将来が楽しみな若い素材が多い。色んな経験を積んできたベテランもまだまだ健在だ。中堅は勝利に飢えている。
もはや”優勝してほしい”ではない。”優勝できる!!”んだ。この言葉を来季へ寄せ,『総括2008−高田監督就任初年度』としたいと思う。
屈辱の21年ぶりの最下位からのチーム再建を託し高田繁新監督を迎え入れた。
しかし前年60勝を挙げた投手陣から,最多勝のグライシンガー(16勝)・石井一久(9勝)・藤井秀悟(7勝)・シコースキー(1勝)と半分以上の33勝を挙げた投手が退団。野手も不動の4番・ラミレスが讀賣へ移籍したことで,戦前より戦力不足は否めなかった。
その穴を埋めるべく高田監督が打ち出したのは長打力不足を足を絡めた機動力で補う「スモール・ベースボール」。キャンプ・オープン戦を通しこの方針を徹底させ,相手チームにも足を使った攻撃をしてくることを意識させることに成功した。
そして迎えた開幕カードは,4番とエースを奪われた因縁の巨人戦。その機動力が早速発揮され,結果チーム50年ぶりとなる開幕巨人戦3タテ。さらには開幕7試合連続6得点以上という日本プロ野球史上初の記録で,早くも貯金を5とした―。
ところがその勢いは続かない。なかなか連勝が出来ず,必死で5割ラインを死守するも,とうとうその貯金も4月末に使い果たしてしまう。交流戦に入って負けが込みはじめ,6月9日には借金が8まで膨れ上がる。だがそこで沈まなかった。
7月20日に勝率を5割まで戻すことに成功。7月23日から再び5割を切るも,クライマックスシリーズ進出圏内となる3位までのゲーム差は,8月16日に1.0差まで詰め寄った。だが翌日敗れ3位浮上のチャンスを逃すと,それからズルズル5連敗を喫するも,8月30日から5連勝で9月4日には3位と0.5差の4位に浮上。
しかしながら9月9日甲子園で矢野にサヨナラ本塁打を浴び敗れた試合から悪夢のような8連敗。しかもうち7試合が1点差というなんとも悔しい負けが続いた。
結局その8連敗が最後まで響く形となる66勝74敗=借金8で高田監督就任一年目のシーズンが幕を閉じた―。勝負の世界たら・ればは禁句だが,あの8連敗がせめて4勝4敗だったなら・・・と思ってしまう。
【表1】チーム成績 ※()はリーグ順位
試合 | 勝数 | 負数 | 引分 | 勝率 | 勝差 | 順位 | 得点 | 失点 | 本塁打 | 打率 | 防御率 | |
2008 | 144 | 66 | 74 | 4 | .471 | 17.5 | 5 | 583(2) | 569(4) | 83(5) | .266(4) | 3.75(4) |
2007 | 144 | 60 | 84 | 0 | .417 | 20.5 | 6 | 596(3) | 623(4) | 139(2) | .269(2) | 4.07(5) |
注)チーム本塁打は阪神と同一。チーム打率は巨人・横浜と同一。
【表1】で着目したいのは,チーム本塁打が139→83と56本も減少したにもかかわらず,総得点は596→583と僅か13点の減少に留まっている点だ。長打力を機動力で補うという当初の方針は達成されたと評価することができるだろう。これを裏返せば,長打力が発揮されるならばさらなる得点力アップが望めるということだ。長打力不足はシーズン通しての課題として首脳陣も把握しているだけに,来季への期待としたい。
【表2】イニング別失点
イニング | 2008 | 2007 |
1 | 88 | 115 |
2 | 55 | 61 |
3 | 44 | 62 |
投手陣も失点・防御率共に成績はアップ。昨年目立った序盤でゲームを壊すような大量失点も大幅に改善された。【表2】
【表3】対戦成績
巨 人 | 阪 神 | 中 日 | 広 島 | 横 浜 | 西 武 | オリク | 日ハム | ロッテ | 楽 天 | ソフト | 計 | |
2008 | 06(0)18 | 10(1)13 | 13(1)09 | 11(1)12 | 15(0)09 | 2(0)2 | 3(0)1 | 1(0)3 | 1(0)3 | 2(0)2 | 2(0)2 | 66(4)74 |
2007 | 10(0)14 | 08(0)16 | 07(0)17 | 11(0)13 | 13(0)11 | 3(0)1 | 3(0)1 | 1(0)3 | 2(0)2 | 2(0)2 | 1(0)3 | 60(0)84 |
次に対戦カード別成績【表3】。やはり巨人戦の数字の悪さが目を引く。先述のようにこのカードは開幕3連勝で始まった訳だから,その後は3勝18敗と全く歯が立たなかったのだ。
今シーズンは3連敗以上を9回記録した【表4】が,リーグ戦7回のうち6回に対巨人戦が絡んでいることが分かる。ちなみに交流戦期間中はいずれもロッテ戦。
対巨人はこれで8年連続負け越し。今世紀になって未だ巨人に勝ち越すことが出来ていない・・・。こうして次のカードにまで影響してしまうほど,そのアレルギーは深刻。強力巨人打線に対して物怖じせず,強気で攻められる投手の出現を待ちたいと思う。
【表4】3連敗以上内訳
日付 | 数 | 対戦相手内訳 | ||
4/05-4/11 | 4 | 中日2広島1巨人1 | ||
5/03-5/06 | 4 | 巨人3横浜1 | ||
5/24-5/29 | 5 | ロッテ1楽天2日ハム2 | ||
6/07-6/09 | 3 | 西武1ロッテ2 | ||
7/02-7/04 | 3 | 巨人2広島1 | ||
7/23-7/27 | 4 | 横浜1巨人3 | ||
8/17-8/26 | 5 | 中日1巨人2阪神1広島1 | ||
9/09-9/16 | 8 | 阪神3巨人3広島2 | ||
9/24-9/28 | 3 | 中日1広島2 |
【表5】ホーム・ビジター別対戦成績
巨 人 | 阪 神 | 中 日 | 広 島 | 横 浜 | 西 武 | オリク | 日ハム | ロッテ | 楽 天 | ソフト | 計 | |
[内訳] | 06(0)18 | 10(1)13 | 13(2)09 | 11(1)12 | 15(0)09 | 2(0)2 | 3(0)1 | 1(0)3 | 1(0)3 | 2(0)2 | 2(0)2 | 66(4)74 |
ホーム | 4(0)8 | 5(1)6 | 7(1)4 | 7(0)5 | 7(0)5 | 1(0)1 | 2(0)0 | 0(0)2 | 0(0)2 | 0(0)2 | 1(0)1 | 34(2)36 |
ビジター | 2(0)10 | 5(0)7 | 6(1)5 | 4(1)7 | 8(0)4 | 1(0)1 | 1(0)1 | 1(0)1 | 1(0)1 | 2(0)0 | 1(0)1 | 32(2)38 |
昨年はビジターゲームでの借金が実に「28」もあったが,今年は東京ドームでの成績こそ相変わらずであるものの,その借金を「6」にまで減らすことができた【表5】。
【表6】神宮球場での成績比較
2008 | 2007 | |
本塁打 | 33 | 79 |
打点 | 244 | 321 |
打率 | .266 | .281 |
防御率 | 3.44 | 4.19 |
被本塁打 | 67 | 90 |
逆にホームである神宮球場での戦いに苦しめられた。両翼が10メートルずつ拡張された神宮球場での成績【表6】を見ると,球場が広くなった影響が投手陣にとって「+」・攻撃陣にとって「−」に作用しているのが一目瞭然である。
再び【表5】に目を転じると,巨人が8勝,横浜にとっての5勝もビジターカードとしては最多を挙げているように,それぞれのホームグランド同様にビジターである神宮でも,チームの持ち味である長打を発揮して勝利を収めているのだ。この辺りも来季の戦い方のヒントになるかもしれない。
それでは個人成績に移ろう。
【表7】先発投手成績(リリーフ登板時の成績は含まない)
試合 | 防御率 | 投球回 | 勝利 | 敗北 | 勝率 | 失点 | 自責 | 打者 | 被安 | 被本 | 三振 | 与四 | 与死 | |||
19 | 石川 雅規 | 29 | 2.68 | 194 | 2/3 | 12 | 10 | .545 | 59 | 58 | 791 | 180 | 21 | 112 | 41 | 4 |
25 | 館山 昌平 | 24 | 2.99 | 153 | 1/3 | 12 | 3 | .800 | 54 | 51 | 628 | 137 | 13 | 99 | 31 | 7 |
15 | 村中 恭平 | 21 | 4.34 | 122 | 1/3 | 6 | 11 | .353 | 60 | 59 | 530 | 107 | 13 | 105 | 59 | 7 |
17 | 川島 亮 | 20 | 4.70 | 115 | 7 | 9 | .438 | 67 | 60 | 497 | 115 | 19 | 83 | 44 | 2 | |
34 | リオス | 11 | 5.46 | 64 | 1/3 | 2 | 7 | .222 | 48 | 39 | 300 | 80 | 7 | 37 | 26 | 5 |
22 | 増渕 竜義 | 11 | 4.14 | 54 | 1/3 | 3 | 3 | .500 | 26 | 25 | 236 | 53 | 8 | 25 | 20 | 6 |
78 | ゴンザレス | 8 | 4.30 | 44 | 1 | 5 | .167 | 25 | 21 | 193 | 58 | 4 | 36 | 9 | 1 | |
69 | ダグラス | 6 | 3.94 | 32 | 2 | 2 | .005 | 15 | 14 | 133 | 30 | 3 | 16 | 11 | 2 | |
11 | 由 規 | 5 | 3.64 | 29 | 2/3 | 2 | 1 | .667 | 13 | 12 | 114 | 18 | 4 | 28 | 7 | 2 |
16 | 加藤 幹典 | 4 | 6.62 | 17 | 2/3 | 0 | 2 | .000 | 13 | 13 | 84 | 25 | 3 | 7 | 6 | 1 |
44 | 松井 光介 | 3 | 4.91 | 11 | 0 | 1 | .000 | 6 | 6 | 50 | 14 | 0 | 12 | 2 | 1 | |
14 | 高市 俊 | 1 | 0.00 | 5 | 0 | 0 | .000 | 0 | 0 | 16 | 1 | 0 | 6 | 1 | 0 | |
52 | 伊藤 秀範 | 1 | 18.00 | 1 | 0 | 0 | .000 | 2 | 2 | 6 | 4 | 0 | 0 | 0 | 0 |
まず先発投手編【表7】。昨年入団以来5年連続二桁勝利で途切れた石川がエースの称号を取り戻し再び二桁。最終戦では打者一人を打ち取り,逆転で最優秀防御率のタイトルを獲得した。同じく昨年はチーム事情で先発・中継ぎ・抑えとフル回転を命ぜられた館山が,先発一本でほぼ一年間ローテを守り続け,12勝3敗の成績は昨年と全く正反対の数字。セ・リーグでは表彰されないものの,勝率.800はリーグトップだった。川島亮もオフのクリーニング手術によって肩の不安が無くなった。ただしローテーションの関係で悉く巨人との対戦が続いたこともあり,負けが先行。防御率も悪化してしまった。
最大の誤算はグライシンガーの穴を埋めるべく獲得したリオス。韓国球界で22勝を挙げたという触れ込み通り,オープン戦では防御率1.50と抜群の安定感を誇ったが,シーズンに入るとサッパリ・・・。チームが波に乗ろうとすると連勝を止める。リズムが悪く打線と噛み合わない。挙句の果てにドーピング違反で契約解除。リオスが前半に作った借金5はチームにとって非常に大きかった。
シーズン当初の期待に応えられなかったという意味では増渕と加藤の名前も挙げてよかろう。二人とも開幕ローテに名を連ねたが,結果を出せず中盤に二軍降格。その後故障もあり,一軍の戦力にはなれなかった。まだ体力的にプロのレベルに達していない。来季以降その素材を開花させて欲しいと思う。
ただ若い力の無限の可能性を感じたシーズンであったことも確か。まずシーズン前半は村中。首脳陣の期待は開幕二戦目先発という形で現れる。立ち上がり緊張から制球を乱し四球を連発し3失点するも,4イニング投げ失点は初回のみ。チームが逆転し敗戦投手を免れると,翌週敵地で中日相手に7回1失点という圧巻のピッチングでプロ初勝利!その後は勝ちと負けを繰り返すも,とにかく村中登板時は打線の援護に恵まれなかった。その典型が5月3日の対巨人戦。9回一死まで巨人打線をノーヒットノーランに抑えるも打線の援護は0。亀井に初安打を許してから,最後は代打大道に走者一掃タイムリーを浴び力尽きて敗戦投手となるも,ファンには強烈な印象を与えた。その後も慣れない中5日のローテーションなど,投手陣の台所事情を支えてきたもの,8月下旬にとうとう左肘に違和感を訴え登録抹消となってしまった。その後の経過が心配されるものの,この大器は大きな可能性を秘めている。
この村中をも凌ぐ可能性を感じたのが,高卒ルーキー・由規。キャンプから高卒ビッグ3として注目されたものの,まだまだプロのレベルに達していないということで,オープン戦中に二軍落ち。ところがイースタンでめきめきとその片鱗が発揮されはじめ,8月30日に待望の一軍デビュー。結果は1回2/3を5失点と散々たるものだったが,味方が大逆転勝利で敗戦投手を免れるなど,運の強さを感じるスタートとなった。2試合目の登板となった9月6日対巨人戦でプロ初勝利。さらに凄かったのが10月の2試合。10月2日広島戦は8回無失点。10月8日横浜戦も6回二死までパーフェクトピッチングの8回1失点。新人王の権利となる30イニングまであと1/3イニング残してルーキーイヤーを終えた。「1勝2敗防御率3.64」という数字以上の内容であった。
そしてシーズン最終戦では希望枠で入団した高市が5回無失点の好投で,勝利投手の権利をもってマウンドを降りた。惜しくも勝利投手とはならなかったものの,ファーム10年ぶりの優勝の立役者である高市に,来季は待望の初勝利が懸かる。
【表8】主なリリーフ投手成績
試合 | 防御率 | 投球回 | 勝利 | 敗北 | ホールド | セーブ | 失点 | 自責 | 打者 | 被安 | 被本 | 三振 | 与四 | 与死 | |||
65 | 押本 健彦 | 67 | 3.34 | 72 | 2/3 | 5 | 6 | 27 | 1 | 31 | 27 | 302 | 74 | 8 | 46 | 14 | 1 |
21 | 松岡 健一 | 65 | 1.39 | 71 | 1/3 | 5 | 3 | 29 | 0 | 12 | 11 | 280 | 51 | 4 | 54 | 17 | 3 |
53 | 五十嵐亮太 | 44 | 2.47 | 43 | 2/3 | 3 | 2 | 12 | 3 | 13 | 12 | 171 | 35 | 3 | 42 | 6 | 2 |
12 | 林 昌勇 | 54 | 3.00 | 51 | 1 | 5 | 3 | 33 | 18 | 17 | 214 | 55 | 6 | 50 | 9 | 2 | |
中継ぎ−右投手 | |||||||||||||||||
44 | 松井 光介 | 24 | 2.67 | 30 | 1/3 | 1 | 1 | 4 | 0 | 10 | 9 | 133 | 27 | 2 | 21 | 15 | 1 |
62 | 吉川 昌宏 | 18 | 4.19 | 19 | 1/3 | 0 | 0 | 4 | 0 | 9 | 9 | 82 | 20 | 3 | 10 | 6 | 1 |
42 | 木田 優夫 | 19 | 3.05 | 20 | 2/3 | 2 | 0 | 3 | 0 | 7 | 7 | 81 | 13 | 4 | 12 | 8 | 3 |
20 | 鎌田 祐哉 | 16 | 6.86 | 21 | 0 | 2 | 1 | 0 | 16 | 16 | 103 | 33 | 5 | 19 | 8 | 1 | |
24 | 花田 真人 | 23 | 4.38 | 24 | 2/3 | 0 | 1 | 2 | 0 | 12 | 12 | 105 | 30 | 3 | 15 | 5 | 0 |
48 | 萩原 淳 | 25 | 5.63 | 32 | 1 | 0 | 0 | 0 | 23 | 20 | 144 | 44 | 5 | 16 | 9 | 0 | |
中継ぎ−左投手 | |||||||||||||||||
13 | 佐藤 賢 | 24 | 3.24 | 16 | 2/3 | 1 | 0 | 3 | 0 | 6 | 6 | 73 | 19 | 0 | 14 | 7 | 1 |
57 | 丸山 貴史 | 7 | 3.38 | 5 | 1/3 | 0 | 0 | 0 | 0 | 2 | 2 | 21 | 5 | 0 | 4 | 2 | 0 |
16 | 加藤 幹典 | 4 | 19.64 | 3 | 1/3 | 0 | 0 | 0 | 0 | 8 | 8 | 22 | 9 | 0 | 1 | 2 | 1 |
41 | 高井 雄平 | 1 | 13.50 | 0 | 2/3 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 1 | 5 | 1 | 1 | 0 | 2 | 0 |
次がまさに生まれ変わった中継ぎ・抑え陣【表8】。日本ハムからトレード移籍の押本は,登板22試合目まで防御率0.00を誇った。中継ぎに配置されて変貌を遂げたのが松岡。29ホールドは阪神・久保田に次いでリーグ2位の数字。シーズン通して安定感を誇り防御率「1.39」が光る。
右肘の手術から完全復活は五十嵐。開幕戦でストッパーとしてマウンドに上がるも,最後の打者を仕留めた投球の際に左太腿肉離れを起こし翌3月29日に登録抹消されてしまう。
そこで守護神に命ぜられたのが新加入の林昌勇だった。サイドから繰り出される160キロ近いストレートで相手打者を翻弄。松岡・押本・林の「MOL」トリオはいずれも防御率0点台で,阪神の「JFK」同様に7回までリードしていれば勝てる!という雰囲気があった。
ただストッパー・林昌勇は同点時のリリーフ登板での失敗が目立った。押本に疲労が見えてくると時期を同じくして,再々調整を経て戻ってきた五十嵐が安定感を取り戻し,後半は「OMIL」という勝利の方程式が確立されたのだった。
中継ぎとしてアクシデント時のロングイニングや困ったときの先発までこなす松井・8月から合流し,2勝3ホールドの木田の存在も忘れてはならないだろう。一方で物足りなかったのが左投手(佐藤・丸山・加藤・高井)。多くの試合でブルペンは全員右投手という状態に陥るほど,左腕には泣かされた。彼らの奮起と,故障の石井弘寿の復帰を願うばかりである。
次は打者である。シーズンを終えてみて2008年のレギュラーはこの9名【表9】ということになろう。
【表9】野手成績・対戦相手別打率・左右投手別打率
試合 | 打数 | 安打 | 打率 | 本塁 | 打点 | 盗塁 | 巨 人 | 阪 神 | 中 日 | 広 島 | 横 浜 | 対右 | 対左 | ||||
29 | 福地 寿樹 | 131 | 485 | 155 | .320 | 9 | 61 | 42 | .169 | .275 | .398 | .341 | .394 | .283 | .309 | ||
6 | 宮本 慎也 | 116 | 422 | 130 | .308 | 3 | 32 | 3 | .312 | .343 | .238 | .323 | .258 | .324 | .279 | ||
23 | 青木 宣親 | 112 | 444 | 154 | .347 | 14 | 63 | 31 | .298 | .352 | .250 | .369 | .431 | .348 | .345 | ||
33 | 畠山 和洋 | 121 | 416 | 116 | .279 | 9 | 58 | 2 | .298 | .294 | .188 | .214 | .408 | .284 | .270 | ||
9 | 飯原 誉士 | 135 | 412 | 120 | .291 | 7 | 62 | 28 | .275 | .316 | .375 | .226 | .296 | .279 | .312 | ||
7 | 田中 浩康 | 144 | 510 | 148 | .290 | 5 | 50 | 4 | .358 | .299 | .301 | .326 | .200 | .263 | .345 | ||
00 | 川島 慶三 | 121 | 353 | 90 | .255 | 4 | 35 | 20 | .242 | .250 | .292 | .241 | .304 | .238 | .281 | ||
28 | 川本 良平 | 65 | 154 | 39 | .253 | 2 | 21 | 0 | .273 | .179 | .200 | .353 | .238 | .243 | .277 | ||
37 | 福川 将和 | 105 | 241 | 50 | .207 | 7 | 35 | 1 | .184 | .158 | .184 | .235 | .292 | .199 | .225 |
FAで西武に移籍した石井一久の人的補償として移籍の福地が1番に定着。高田野球の申し子として見事阪神・赤星を上回り盗塁王に輝いた。願わくば巨人戦の打率が上がってくれれば,対巨人の戦略も変わっていたことだろう。
2番は宮本。後半戦には長年守ってきたショートの定位置を後身に譲りサードとして起用されるようになったものの,打撃では安定した成績を収めた。北京五輪ではキャプテンとしてチームのまとめ役に徹した。代表からも退き,選手会会長の座も阪神・新井に引き継ぎ,来季からは肩書きこそつかないがコーチ兼任選手として,チームを引っ張ることになる。
昨年までの1番から3番となったのは青木。自己最高の.347を残すも,それを上回る打率を残したのが横浜・内川ということで,二年連続の首位打者は逃してしまった。5月にはレギュラー定着後初めて故障で一軍を離れ,8月は北京五輪に召集されたということで,万全の状態ではなかったがこの数字なのだから流石である。
リグス・ガイエルという両外国人の不振によって5/17から4番に抜擢されたのが入団8年目の畠山であった。それまで7年間監督からも不遇の扱いを受け,”二軍の帝王”などと揶揄されており,スピード野球を掲げる高田監督の方針にも沿わないと思われていた畠山。4/8に一軍にお呼びがかかると代打起用で結果を残し,悲願のレギュラーの座は4番・ファーストであった。”年俸900万円の4番打者”としてマスコミにも取り上げられた。確かに他球団の4番と比較すると,本塁打・打点とも物足りなさを感じるかもしれないが,いずれも自己最高の数字をたたき出した。本人もコメントしているが,畠山が6番に置けるような打線を組めたならば,打線は強力なものとなるに違いない。
飯原は5番だけでなく,8月に青木が離脱中には3番も務めてくれた。チーム同様開幕直後は打ちまくったが,その後パタリと当たりが止まり,前半はベンチを温める日々もあったが,きっちりとレギュラーに戻ってきた。近い将来必ず3割・30本・30盗塁を達成できるだけの選手である。さらに上を目指して欲しい。
田中はスワローズで唯一全試合出場を果たした。スタメンを外されたのも9/11の1試合のみで,2番・3番・5番・6番・7番とあらゆる打順で起用された。セカンド守備の安定感も抜群で,守備率的にも本来ならばゴールデングラブに選出されて相応しいのだが,記者投票という壁が立ち塞がった。足があるにもかかわらず盗塁数がやや物足りないだろうか。とはいえもはや田中の敵は怪我だけではなかろうか。それほど現在のスワローズにとって攻守に欠かせない選手となった。
開幕1番に座ったのは川島慶であった。チームの開幕3連勝は慶三なくしては語れない。次のカード横浜戦で右手親指付け根靭帯を損傷し離脱。それと同時にチームが勝てなくなったのだから。せっかく射止めかけたレギュラーの座を失いたくない・・気迫の回復をみせわずか3週間で一軍復帰。サードから終盤には外野へ守備固めとして入るなどユーティリティーさが光った。そしてシーズン後半戦からは宮本と入れ替わる形でショートを任されることに。宮本にはまだまだと言われたものの,急造ショートとして身体能力の高さを感じた。オフはショート一本として守備力により磨きをかける。
さて古田の退団でいよいよ一本立ちせざるを得なくなった捕手。キャンプで川本が離脱したことで開幕スタメンの座を射止めたのは福川だった。開幕から打撃好調でチームも快進撃。ポスト・古田の誕生だと喜んだのも束の間・・。リードに精彩を欠くようになると,打撃にも悪影響を及ぼした。一時は打率.200まで割り込み,何かと不満を抱いたものだ。川本が初めて一軍登録されたのは5/29。それからはスタメンが川本でリリーフ捕手に福川という併用が続いたが,交流戦終了後から川本も極度の打撃不振に陥り,再び福川に固定。福川が本塁へスライディングした際に右足首外側靱帯部分断裂という重傷を負い終盤9/20以降は川本の出番と,結局最後まで固定という訳には行かなかったのが捕手であった。ともかく8番打者としての打撃成績も散々たるもので,とうとうフロントも肝を煮やしオフにFAで横浜の相川の獲得に乗り出すことになったが,交渉の行方そしてスワローズの捕手事情はどうなるのであろうか・・・。
【表10】野手成績・うち代打成績・左右投手別打率
試合 | 打数 | 安打 | 打率 | 本塁 | 打点 | 盗塁 | 起用数 | 打数 | 安打 | 打率 | 対右 | 対左 | ||||
36 | 川端 慎吾 | 65 | 104 | 27 | .260 | 1 | 9 | 2 | 16 | 13 | 6 | .462 | .287 | .111 | ||
55 | 野口 祥順 | 17 | 29 | 8 | .276 | 2 | 6 | 1 | 7 | 6 | 2 | .333 | .286 | .273 | ||
0 | 志田 宗大 | 40 | 45 | 10 | .222 | 0 | 1 | 3 | 28 | 33 | 6 | .204 | .222 | .222 | ||
49 | ユウイチ | 80 | 134 | 34 | .254 | 0 | 15 | 0 | 54 | 44 | 10 | .227 | .267 | .167 | ||
54 | 斉藤 宜之 | 25 | 26 | 6 | .231 | 0 | 2 | 0 | 23 | 23 | 5 | .217 | .261 | .000 | ||
8 | 武内 晋一 | 116 | 169 | 39 | .231 | 1 | 13 | 2 | 39 | 33 | 6 | .182 | .248 | .100 | ||
5 | ガイエル | 79 | 225 | 45 | .200 | 11 | 35 | 2 | 20 | 16 | 2 | .125 | .188 | .288 | ||
31 | 真中 満 | 15 | 14 | 1 | .071 | 0 | 0 | 0 | 15 | 14 | 1 | .071 | .071 | - | ||
43 | 宮出 隆自 | 29 | 47 | 6 | .128 | 0 | 2 | 0 | 17 | 16 | 1 | .063 | .000 | .171 | ||
39 | 梶本 勇介 | 20 | 28 | 6 | .214 | 0 | 3 | 3 | 2 | 2 | 0 | .000 | .231 | .200 |
それ以外の選手は【表10】に掲げた。高田監督の就任で変わったこととして一二軍の入れ替えが頻繁にされるようになったことも挙げられよう。野手では水野・大原・三輪・大塚・上田・中尾を除く選手に一軍の出場機会を与えられた。残念ながらチャンスを生かせた選手というのは少ないが,風通しが良くなったことで,選手のモチベーションは上がっただろう。
武内は打撃成績こそ芳しくないが,安定感ある一塁守備を買われ,出場機会は激増した。今シーズンチームで唯一のサヨナラ勝利を収めた試合で決勝打を放ったのもこの武内である。ユウイチも5/2から閉幕まで一軍帯同し自己最多となる80試合出場を果たした。志田も年齢的に上の立場となってきてまとめ役としてもベンチで存在感を発揮するようになった。
来季に向け楽しみなのが川端と野口。川端は城石に変わってサード・ショートの守備固めを担うまでに守備力が向上。課題だった打撃も10/7にプロ初本塁打をマーク。成長著しい選手だ。スワローズ公式サイトでも,川端を同じ背番号である池山となぞらえ「奇しくも川端選手と池山選手、プロ3年目に出場したのはともに65試合。そして4年目の池山選手は127試合に出場しレギュラー獲得した。背番号同様、同じ成功の道を歩むことができるのか。期待は膨らむばかり」と紹介した。ファンとしても来季の期待度No.1野手である。
もう一人野口。10/7にはあわやサイクルヒットの大爆発。翌10/8も2試合連続本塁打を放つなどパワーとスピードを備えた大型野手であるが,その翌々日右足蜂窩識炎を発症し戦線離脱してしまうなど,如何せん彼の場合は怪我が多すぎる。怪我さえなければレギュラーに名を連ねられるだけの選手。節目の10年目の来季こそブレイクしたい。
来日2年目のガイエルは開幕15試合で7本塁打と好調なスタートをきったが,本塁上のクロスプレーで右肘を強打してから明らかに調子を落としてしまった。ズルズルと打率も急降下しとうとう二軍での調整を命ぜられたもの,腐らず練習熱心な態度が首脳陣にも評価され,オフの手術の経過も順調ということで残留が決定した。
寂しい数字となったのは真中と宮出。昨年は代打の神様としてプロ野球新記録の31安打を放った真中だったが,開幕から勝負所の代打で起用されるも僅か1安打を放ったのみで5/2に二軍落ち。今季限りでの現役引退を決心し,来季から二軍の打撃コーチに就任することになった。
宮出も悩んだ一年になってしまった。サード起用された昨年から一転。守りなれたファースト・レフト専任となったものの,打撃が鳴りを潜めてしまった。代打起用でも「.063」という数字。中途半端なハーフスイングの三振も目立った。彼の場合も本来ならば4打席立たせてそこで結果を求めたいタイプであるが,守備力・走力などを踏まえると高田野球では代打に活路を見出すしかない。かつての真中がそうであったように,そろそろ年齢・経験といった事情に素直に応じるべきなのかもしれない。
さて今季を振り返る上で目立ったここ一番での勝負弱さについて検証してみよう。今季の1点差試合は12勝25敗だった。ちなみに昨年が13勝28敗であったから,一見数字的には大差は無いように思えてしまう。ただそれで片付けてよいのだろうか?
【表11】は,それぞれの負けを,追い上げるもあと1点追いつかなかった試合:「1点追いつかず」・一時同点まで追いついたものの逆転負けした試合:「同点止まり」・1点以上のリードを守れず逆転負け:「リード守れず」の3つに分類したものである。「リード守れず」においては,説明のため実際のスコアを用いるが,
9/15
C 000 002 000 2
S 001 000 000 1
9/16
C 040 000 100 01 6
S 020 120 000 00 5
リードした「点差」を追いつかれたイニングを「回数」とし,同点のまま推移した場合は,最終的に決勝点が入ったイニングを「決勝」とした。
【表11】1点差敗戦内訳
1点追いつかず | 同点止まり | リード守れず | |||||||||||
日付 | スコア | 相手 | 日付 | スコア | 相手 | 日付 | スコア | 相手 | 点差 | 回数 | 決勝 | ||
04/09 | 0-1 | 広島 | 04/30 | 5-6x | 阪神 | 05/06 | 1-2 | 横浜 | 1 | 8 | |||
04/11 | 1-2 | 巨人 | 05/24 | 3-4x | ロッテ | 06/08 | 3-4 | ロッテ | 1 | 8 | 10 | ||
04/26 | 0-1 | 中日 | 05/29 | 2-3 | 日ハム | 06/14 | 1-2x | 日ハム | 1 | 7 | 10 | ||
05/11 | 1-2 | 広島 | 09/09 | 2-3x | 阪神 | 07/25 | 2-3x | 巨人 | 1 | 9 | |||
05/26 | 4-5 | 楽天 | 09/10 | 3-4x | 阪神 | 07/29 | 3-4 | 阪神 | 1 | 5 | 6 | ||
09/14 | 2-3 | 巨人 | 09/13 | 8-9 | 巨人 | 08/04 | 11-12 | 広島 | 5 | 8 | |||
10/02 | 0-1 | 広島 | 08/07 | 1-2 | 中日 | 1 | 6 | 7 | |||||
08/28 | 2-3 | 広島 | 1 | 4 | 6 | ||||||||
09/11 | 4-5x | 阪神 | 2 | 9 | |||||||||
09/15 | 1-2 | 広島 | 1 | 6 | |||||||||
09/16 | 5-6 | 広島 | 1 | 7 | 11 | ||||||||
10/11 | 2-3 | 巨人 | 2 | 7 |
このように純粋に投手が打たれて負けた試合というのは25試合中6試合ということになる。「1点追いつかず」の7試合を除けば1点差負け試合のうち約半数の12試合で,なんらかのイニングで野手が1点でも取って勝ち越せたならば,そのまま勝利出来た公算が高くなった訳である。
これを裏付けるのが【表12】【表13】で,点差別での投手と野手の成績である。投手の場合2点差以上ある状況と比べ「与四死球」「被打率」こそ上がるものの,「防御率」「得点圏被打率」とも下がっているので,ランナーは出すものの何とか踏ん張っていたと言える。
片や野手はその逆で「安打」こそ出るものの,「得点圏打率」が.028も劣ることから,僅差の場面でいかに得点圏まで走者を進めつつも,それを還せなかったかが分かる。このあたりがあと1点に泣いた原因と言えよう。
【表12】点差別投手成績
防御率 | 与四死球 | 披本塁打 | 被打率 | 得点圏披打率 | |
1点差以内 | 3.44 | 3.38 | .027 | .266 | .255 |
2点差以上 | 4.10 | 2.66 | .032 | .258 | .288 |
【表13】点差別野手成績
打 数 | 安 打 | 本塁打 | 打 点 | 打 率 | 得点圏 | 長打率 | |
1点差以内 | 2477 | 644 | 35 | 258 | .260 | .256 | .358 |
2点差以上 | 2279 | 620 | 48 | 284 | .272 | .284 | .391 |
ただしチームの得点圏打率はリーグ4位の.270で,一番高かった阪神の.275とそれほど差は無いのだ。レギュラー陣も飯原の.356・福地の.342など決して低い数字ではない【表14】。
それでも競り負けが多かったというのは,やはりクリーンナップを担う打者の数字の低さ故に得点に結びつかなかったのではないだろうか。特に.347の打率を誇る青木に,ここ一番での一本があまり見られなかった・・・。
【表14】得点圏打率
打数 | 安打 | 打率 | ||
9 | 飯原 誉士 | 118 | 42 | .356 |
29 | 福地 寿樹 | 120 | 41 | .342 |
6 | 宮本 慎也 | 95 | 30 | .316 |
7 | 田中 浩康 | 131 | 41 | .313 |
28 | 川本 良平 | 38 | 11 | .289 |
33 | 畠山 和洋 | 127 | 36 | .283 |
00 | 川島 慶三 | 74 | 21 | .284 |
23 | 青木 宣親 | 101 | 28 | .277 |
37 | 福川 将和 | 80 | 17 | .213 |
【表15】青木:塁状況別成績
ランナー | 打率 | 打数 | 安打 | 本塁打 | 打点 | 三振 | 四球 | 死球 | 犠打 |
なし | .345 | 232 | 80 | 6 | 6 | 30 | 22 | 7 | 0 |
一塁 | .414 | 111 | 46 | 7 | 20 | 5 | 4 | 1 | 0 |
一二塁 | .231 | 13 | 3 | 0 | 3 | 0 | 3 | 0 | 0 |
一三塁 | .231 | 13 | 3 | 0 | 4 | 1 | 1 | 0 | 0 |
二塁 | .326 | 43 | 14 | 0 | 8 | 5 | 10 | 1 | 1 |
二三塁 | .286 | 7 | 2 | 0 | 5 | 1 | 1 | 0 | 0 |
三塁 | .286 | 14 | 4 | 0 | 8 | 2 | 1 | 0 | 0 |
満塁 | .182 | 11 | 2 | 1 | 10 | 3 | 0 | 1 | 0 |
青木の塁上走者状況別打撃成績【表15】を見ると,非得点圏打率は打率を更に上回る「.367」。本塁打も14本中13本が非得点圏。そして残念ながら満塁での打率が一番低くなっている。
.333以上打って当たり前の青木に対してはどうしても要求が高くなってしまうが,3番・青木が決めていたら・・・という試合はどうしても印象に残ってしまう。本来ならば青木は1番が適所であろうが,ヤクルトには同一タイプの選手が多く,逆にクリーンナップを任せられる選手は見当たらないというチーム構成もあり,こうして青木の数字を際立ててしまったが,青木なら出来るはずだと誰もが思っているのである。青木に懸かる期待は大きい。来季は是非青木のそのバットで,ファンの願いを叶えてくれ!!
終わりに
順位だけみれば6位→5位と1つしか上がらなかった。優勝チーム(いずれも巨人)とのゲーム差も20.5→17.5と3.0差しか縮めることが出来なかった。ただ昨年と比べても明らかにスワローズは変わった。それは1や3といった数字では量れるものではない。
課題はハッキリしている。それを十二分に把握して李恵践(斗山)・バレット(ツインズ)という二人の左腕,4番候補の主砲デントナ(ダイヤモンドバックス),チーム内の競争を煽るためにトライアウトで森岡(中日),吉本(福岡ソフトバンク)を獲得。
ドラフトでは未だ流動的なポスト古田候補の座を争う新田(パナソニック)・中村(福井商)と,2010年代の黄金時代を築くため赤川(宮崎商)・八木(享栄)・日高(日本文理大付)と左腕を徹底指名。
確かに今年は戦力的にお世辞でしか優勝を狙えるなんて言えなかったかもしれない・・・。でも来年に向けて確かな可能性を感じる。将来が楽しみな若い素材が多い。色んな経験を積んできたベテランもまだまだ健在だ。中堅は勝利に飢えている。
もはや”優勝してほしい”ではない。”優勝できる!!”んだ。この言葉を来季へ寄せ,『総括2008−高田監督就任初年度』としたいと思う。