2020年04月09日

関根潤三さん死去、93歳 「二刀流」、元大洋、ヤクルト監督―プロ野球

 プロ野球の近鉄で投手、外野手として活躍し、大洋(現DeNA)、ヤクルトの監督を務めた関根潤三(せきね・じゅんぞう)さんが9日午前9時45分、老衰のため東京都内の病院で死去した。93歳だった。東京都出身。葬儀の日取りは未定。近く家族葬で執り行う。喪主は長男優一(ゆういち)氏。
 法政大で投手として東京六大学リーグ歴代5位の通算41勝(30敗)を挙げ、打者としても活躍。1949年秋に来日した米マイナーリーグのサンフランシスコ・シールズ戦で六大学選抜の投手として好投した。
 50年近鉄に入団。54年に16勝するなど通算65勝94敗。57年に外野手となり、通算1137安打、打率2割7分9厘。投手、野手の両方でオールスターに出場した。
 65年に巨人でプレーし、引退。その後はコーチなどを経て82年から大洋で3年間、87年からはヤクルトで3年間監督を務めた。2003年野球殿堂入り。穏やかな語り口の解説に人気があり、温厚な人柄は長嶋茂雄元巨人監督ら多くの野球人に慕われた。[ 4/9(木) 17:03配信 時事通信 ] 

コロナで滅入っているときに再び訃報。ノムさんが亡くなってから2ヶ月と経っていないのに,ノムさんの前任で1987(昭和62)年から1989(平成元)年まで3年間スワローズの監督を務められた関根潤三さん。

自分が生まれて初めて神宮球場に連れていってもらったのが1988(昭和63)年8月6日なので,その時監督を務められていたのが関根さんでした。当時はほんと野球のルールすら分からなくて,知っている選手も辛うじてテレビで見たことのある巨人の原辰徳と呂明賜とヤクルトの長嶋一茂くらいの少年でした。まぁこの日を境に劇的に変わっていくのですが←

3年連続Bクラスで退任となり,野村克也監督にバトンタッチ。関根さんはフジテレビの解説者としてお茶の間の人に。

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高校に合格した15の春でしたかね。オープン戦で放送ブースにいらした関根さんに”サインお願いします”と色紙を差し出すと,”僕なんかで良いの?”なんて謙遜されながらも,嬉しそうにスラスラとペンを走らせてくれました。快く握手もしてくださったことを15の少年は鮮明に憶えています。

野球解説はもちろんのこと,フジテレビ全盛期には珍プレー好プレーやプロ野球対抗歌合戦といったオフのバラエティ番組にもゲストとしてご出演されていました。

SWALLOWS BASEBALL L!VEでは2011年9月18日横浜戦が最後の解説となっていました。
 2006年 7試合2勝5敗 勝率.286
 2007年 6試合3勝3敗 勝率.500
 2008年 10試合3勝7敗 勝率.300
 2009年 8試合4勝4敗 勝率.500
 2010年 10試合4勝6敗 勝率.400
 2011年 5試合0勝3敗2分 勝率.000
これまた関根さんらしいというか16勝28敗2分 勝率.364でほぼ1勝2敗ペース(苦笑)。
関根さんを語るエピソードとして有名な「(起爆剤と間違え)覚醒剤」発言。交流戦開幕から9連敗を喫し,試合後に高田繁監督(当時)の辞任が発表されることとなった2010年5月26日東北楽天戦の解説を務めていたのが関根さんでした。

中継解説からは退かれたものの,その後もCSプロ野球ニュースには定期的にご出演され,晩年は週末のご意見番としてあの笑顔を届けてくれました。
監督時代の教え子の笘ぴょんが必死にフォローしながら毎月最終日曜日のご出演のみになったのが4年前(2016年)でした。8月までは出演されていましたが,翌9月はご出演がなく,翌年の開幕直前スペシャルにもご登場されなくなりました。オフの『プロ野球ここだけの話』でプロ野球ニュースを特集された時もご出演がなく,心のどこかで気にかけていたのですが,昨年秋の東京六大学野球母校法政大の試合を神宮球場でご観戦されているお姿が報道されていたのを拝見していたので,安心していたところの訃報でした。

自分にとっては祖父くらいの年齢でまさにおじいちゃんという言葉がぴったりの関根さん。「よろしくどうぞ」この一言と,あの笑顔で心が穏やかになりました。

謹んでご冥福をお祈り致します。

2020年4月9日
東京 ☁ | Comment(0) | SWALLOWS | at 21:53 | 更新情報をチェックする
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