2019年09月17日

寺原と三輪が引退へ=プロ野球・ヤクルト

 ヤクルトは17日、寺原隼人投手(35)と三輪正義内野手(35)が今季限りで現役を引退すると発表した。寺原は球団を通じ「1年でも長く野球をやりたかった私にチャンスをくれて感謝しかない」との談話を出した。
 寺原は宮崎・日南学園高からドラフト1巡目で2002年にダイエー(現ソフトバンク)入り。4度目の移籍で今季からヤクルトでプレー。通算成績は303試合に投げて73勝81敗23セーブ、防御率3.88。
 三輪は大学生・社会人ドラフト6巡目で08年にヤクルト入団。通算成績は418試合に出場し、打率2割3分6厘、0本塁打、16打点。(記録は17日現在)。[ 9/17(火) 15:28配信 時事通信 ]

60.三輪正義(2008-2019)
プロ通算62安打。16打点。本塁打0―。
成績だけみればすでにこの時点で村上宗隆に遠く及ばない。しかし数字ではない記憶に残る選手。それが三輪正義という選手。

四国アイランドリーグ香川から2007年ドラフト6巡目指名。ドラフト前の松山秋季キャンプで四国アイランドリーグ選抜との練習試合があり,当時の高田繁新監督の掲げるスモールベースボールに合致するということから指名に至ったとか。

入団一年目2008年はイースタン・リーグで80試合出場。リーグ2位となる24盗塁を記録。

2年目の2009年6月26日に川本良平に代わってプロ初の一軍選手登録されるも翌27日に野口祥順と入れ替えで抹消。7月9日に野口に代わって再登録。7月10日横浜戦(神宮)で松元ユウイチの代走でプロ初出場。16日に抹消され以降一軍出場無し。イースタンリーグでは盗塁王(36盗塁),最高出塁率(.397)の二冠。打率もリーグ3位の.321。秋季教育リーグに帯同していたが,クライマックスシリーズ第3戦で野口のインフルエンザが判明。急遽一軍に昇格し,代走出場した。

3年目を迎えた2010年。オープン戦から一軍に昇格すると,そのまま自身初の開幕一軍入り。4月9日阪神戦(甲子園)1番レフトでプロ初スタメン。第1打席で安藤優也からプロ初安打。しかし10試合の出場で4月28日に登録抹消された。

4年目で自身初浦添キャンプスタートとなった2011年。54試合に出場。うちスタメン出場は1試合。東日本大震災の影響から3時間30分ルールが設けられたこともあり,試合終盤の代走の切り札としての出場が増えた。ほぼフルシーズンに一軍帯同。守備ではレフト,センター,ライトと外野全ポジションのほか,サード,セカンドも守った。

2012年は前年同様3時間30分ルールもあって,2011年を上回る65試合に出場。代走,守備固めを託された。

2013年の春先ファームの練習試合では捕手での起用。自身4年ぶりに開幕一軍こそ逃したが,4月12日に一軍登録されると,4月17日中日戦(神宮)でプロ初の一塁の守備に就くなど,ユーティリティーさにさらに磨きがかかった。4月25日広島戦(神宮)で菊池原毅からサヨナラ安打。これが三輪にとってプロ初打点だった。

2014年。チームは春先から低迷。三輪の出場も32試合に留まった。チームが低迷するとどうしてもこういうプレーヤーの枠がまず削られてしまうのだ。

それが裏付けられる形となった2015年。自己最多となる87試合に出場。20安打,7打点はいずれも自身最多。プロ初の三塁打も2本放った。日本シリーズ第4戦にも出場。ベンチに三輪がいることで,終盤競った試合の選手起用のバリエーションが増えるのだ。万が一のことがあっても三輪がいるからということでベンチの傭兵を惜しみなく使える安心感。

2016年6月26日中日戦(神宮)。4-4の延長11回1死満塁の場面で比屋根渉の代打で登場。自身3年ぶり2度目となるサヨナラ安打を放ちお立ち台に。この日はローガン・オンドルセクが比屋根の失策に対し怒りを爆発させた試合。

2017年の出場試合は16。三輪を使いこなせないすなわちチームは低迷。

2018年7月30日国内フリーエージェント資格を取得。これは独立リーグ出身選手では初となった。8月4日阪神戦(京セラドーム)。延長11回表に9-8と勝ち越して,その裏レフトの守備に就いた三輪。しかし三輪が打球を後逸しサヨナラ負け。石山泰稚にこの年初めて負けがついた。ネットでは三輪の守備に辛辣な言葉もあった。それから10日後の8月14日巨人戦(神宮)。1点を追う9回裏0死一二塁の場面で代打を告げられ,見事犠打を決め,チームは川端慎吾のタイムリーで逆転サヨナラ勝ち。三輪の犠打が勝利を呼び寄せた。犠打で感動するなんてシーンはこの試合以外記憶にないくらいだ。

2019年は一軍昇格ないまま,現役引退を表明。春季練習試合では野手に故障者が多くスタメンを組むのがやっとの状態。三輪は内外野どこでも守った。そして気がつけば後身に熱心に犠打を教える機会も増えていたという。

「12年もできるとは思っていなかった。入ったときは2、3年で終わると思っていたので。使ってくれた首脳陣に感謝したいです。(15年に)リーグ優勝を決めた試合に出場できたことが思い出です」
皆が優勝できたことを思い出としてユニフォームを脱ぐ。やはり優勝というのはプロ野球選手にとってかけがえのないものなのだと改めて感じる。

記録
 ・初出場:2009年7月10日横浜戦(神宮)松元ユウイチの代走
 ・初盗塁:2010年4月3日横浜戦(神宮)[山口俊-橋本将]
 ・初先発:2010年4月9日阪神戦(甲子園)
 ・初打席・初安打:2010年4月9日阪神戦(甲子園)[安藤優也]
 ・初打点:2013年4月25日広島戦(神宮)[菊地原毅]

記憶
もし三輪が落合中日,原巨人,もしくはソフトバンクという常勝軍団のピースであったら,もっともっと重宝されたスーパーバイブルプレーヤーになっていたのではないかとすら思う。あるいは時代が違って野村ヤクルトだったら,ノムさんはどんな起用をしただろうか。

秀でた犠打の技術。走塁技術。声出し。ムードメーカー。そしていじられキャラ。雨天中止時のヘッドスライディング。ファン感謝DAYのキスシーン。
勝利と言う名の正義の為に駆けぬけてくれた12年間。ありがとうございました。
東京 ☁ | Comment(0) | SWALLOWS | at 22:17 | 更新情報をチェックする
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