2019年09月08日

畠山が今季限りで引退=プロ野球・ヤクルト

 ヤクルトの畠山和洋内野手(36)が、今季限りで現役を引退する意思を固めたことが8日、分かった。今季は下半身のコンディション不良の影響などで、一度も1軍に選手登録されていなかった。
 畠山は岩手・専大北上高からドラフト5位で2001年にヤクルト入り。強打を武器に15年には主軸として26本塁打を放ち、105打点で打点王に輝くなどリーグ優勝に貢献した。12、15年には一塁手としてゴールデングラブ賞を受賞。プロ19年間で通算1105試合に出場し、打率2割6分5厘、936安打、128本塁打、567打点(7日現在)。[ 9/8(日) 11:55配信 時事通信 ]

33.畠山和洋(2001-2019)
専大北上高校で甲子園出場。2000年ドラフト5位指名。同期入団に松谷秀幸(興南高)坂元弥太郎(浦和学院高)。
二軍時代はとにかく練習をさぼり,パチンコ店に入り浸るほどの“問題児”で,当時の小川淳司二軍監督が指導者時代にたった一度だけ手を上げたのがこの畠山だったとか。

入団2年目の2002年は,19本塁打・56打点でイースタン・リーグの本塁打王と打点王の二冠に輝くも,一軍からお呼びがかかるには至らず。

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プロ初の一軍は入団4年目の2004年8月4日。アテネ五輪に出場する宮本慎也の代わりの内野手として初登録。8月6日横浜戦(平塚)で石川雅規の代打としてプロ初出場。8日にアレックス・ラミレスの復帰で登録を抹消されるも,シーズン終盤10月5日に再昇格。6日阪神戦(神宮)8番一塁でプロ初スタメン。ちなみにこの日のスタメンはG青木E宮本D岩村A古田FラミレスH稲葉C土橋B畠山@石川というメンバーで,稲葉篤紀と青木宣親が同時にスタメンに名を連ねた2試合のうちの1試合。7日巨人戦(神宮)で高橋尚成からプロ初安打。

畠山と同学年となる松岡健一(九州東海大)田中浩康(早稲田大)川本良平(亜細亜大)が入団してきた2005年は,左太腿裏肉離れで離脱した古田敦也と入れ代わって昇格した8月19日阪神戦(神宮)に代打で藤田太陽からプロ初本塁打を放ったが,一ヶ月後9月19日に抹消。

2006年はファームで打率.313,7本塁打。101安打で最多安打のタイトルを獲得するも,一軍での出場は僅か7試合でヒット無し。

2007年はプロ初の開幕一軍に名を連ね,4月25日阪神戦(甲子園)で下柳剛から自身2年ぶりの本塁打を放つも出場は37試合と,プロ7年目に差し掛かりファームの帝王と呼ばれる位置だった。

それでも最初の転機となった2008年。開幕こそ二軍だったが,川島慶三の故障や,アダム・リグスの不振などが重なり4月8日に一軍昇格すると,4月15日横浜戦(神宮)で土肥義弘から本塁打を放つなど一軍に対応。5月18日阪神戦で初めて4番を任されると,年俸800万円の四番打者としてシーズン終盤まで全う。121試合,9本塁打,58打点で,自身初の規定打席にも到達した。

しかし翌2009年は,新外国人ジェイミー・デントナの加入によって4番一塁の座を奪われ,代打での出場が主に。打率.236,4本塁打,19打点と大きく成績を落とした。

畠山の野球人生を大きく変えたのが2010年だった。前年同様開幕から代打起用が大半だったが,4番を任せたデントナの極度の不振によってチームは大きく低迷。5月26日楽天戦(神宮)をもって高田繁監督が引責辞任。翌27日から小川監督代行が就任する事態となる。その小川監督代行が4番レフトとして大抜擢。93試合の出場ながら14本塁打。出塁率.380,長打率.551と持ち前の長打力が威力を発揮しはじめた。

2011年は142試合に出場。オールスターゲームにもファン投票で初選出され,第1戦でMVPを獲得。4番打者としてリーグ2位の23本塁打,リーグ3位となる85打点。78四球はリーグトップとセ・リーグを代表する選手となる。

2012年は4番を外されることもあったが、オールスターゲームに監督推薦で選出され,2年連続選出。地元・岩手県営野球場で行われた第3戦で全セの4番を任され,見事敢闘選手賞に輝いた。

2013年5月13日ロッテ戦(神宮)で松永からサヨナラ満塁本塁打を放つも,打率は.219と低迷。「ハタラケヤマ」などと容赦ないヤジも飛ぶなど苦しんだ末,8月28日に登録抹消されると,左内腹斜筋肉離れが明らかとなり残りのシーズンを棒に振るうことに。

それでも挫けない畠山の強さ。2014年6月8日西武戦(神宮)で走塁中に負傷。診断の結果左大腿二頭筋肉離れが判明するも,7月29日には復帰し,最終的には17本塁打,79打点。打率.310はリーグ8位。さらに得点圏打率がリーグ2位の.402と,勝負強さを発揮するようになる。

2015年はもはや説明不要だろう。26本塁打,チーム日本人最多記録を更新する105打点でタイトル獲得。川端慎吾,山田哲人を塁に置き,引っ張って返す,右方向に走者を進める,あるいは自身が四球を選んで後続の打者につなげると,4番打者ながらイニング,点差等状況に応じて徹底したチーム打撃でチームの優勝に貢献。ベストナイン,ゴールデングラブにも受賞した。

だが翌2016年から度重なる故障に泣かされるようになる。4月15日背中の張りを訴えて離脱。5月4日に復帰するも,6月13日に手首を痛め再び登録抹消されるとこのまま一軍出場無し。左有鉤骨骨挫傷に加え,下半身の状態も悪化も伝えられた。

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2017年は4月18日巨人戦(熊本)で左脹脛を負傷し離脱。開幕から一回りとなる15試合の出場でシーズンを終える。

2018年も開幕直後4月8日にコンディション不良で抹消されるも,5月24日に復帰すると,慣れ親しんだ4番一塁のポジションは奪われ,代打として一打席の出場が主戦場となるが,それでも75試合の出場で打率.248,5本塁打,27打点と新たな役割を果たしていた。

2019年は自身11年ぶりに二軍キャンプスタートとなり,独自の調整を委ねられたかと思われていたが,守備に就くのも困難なほど両脹脛の状態が上がらず,ヤクルト一筋19年で引退を決断した。

「まだ身体は動くけど野球をやめないといけない人がほとんどの中、もう身体が動かないというところまでできた。悔いはないです」そう言ってバットを置く決意を固めた−。

タイトル
 ・打点王:1回 (2015年)
 ・ベストナイン:1回 (2015年)
 ・ゴールデングラブ賞:2回 (2012年,2015年)
 ・月間MVP:1回 (2015年6月)
 ・オールスターゲームMVP:1回 (2011年第1戦)
 ・オールスターゲーム敢闘選手賞:1回 (2012年第3戦)
記録
 ・初出場・初打席:2004年8月6日横浜戦(平塚)
 ・初スタメン:2004年10月6日阪神戦(神宮)
 ・初安打:2004年10月7日巨人戦(神宮)[高橋尚成]
 ・初本塁打・初打点:2005年8月19日阪神戦(神宮)[藤田太陽]
 ・初盗塁:2008年8月30日横浜戦(横浜)[小林太志−相川亮二]
 ・通算100本塁打:2015年4月26日巨人戦(神宮)[高木勇人]史上273人目
 ・通算1000試合出場:2016年5月25日阪神戦(神宮)史上476人目
東京 ☀ | Comment(0) | SWALLOWS | at 20:36 | 更新情報をチェックする
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