2011年01月29日

書評『Facebook 世界を征するソーシャルプラットフォーム』

山脇伸介『Facebook 世界を征するソーシャルプラットフォーム』,ソフトバンク新書,2011


映画『ソーシャルネットワーク』を観たついでに購入。1時間足らずであっさりと読めました。

第1章 フェイスブックとは何か?
「そこにあるコンテンツは今までのポータルサイトのそれとは異なる。それは友達の近況であったり,自分が読みたい新聞だったり,好きなアーティストからのメッセージだったりする。つまり自分用にカスタマイズされたコンテンツが並ぶ」(p.34)
 まぁ確かにフェイスブックでもカスタマイズ出来るが,これはiGoogleでも同じことだから・・。
「ソーシャルフィルタリング,すなわち『私の知っている誰か』がフィルタリング=選別して送り出してくれた情報だからこそ,私にとって重要であり,興味が湧く」(p.36)
 このあたりのフィルタリングもかつてはYahoo!だったりしたものが,Twitterで多様な立場の人から「精査されたニュース」が流れてくるようになった。

第2章 フェイスブックの生い立ち
「フェースブック設立までの経緯は,映画『ソーシャルネットワーク』のストーリーとオーバーラップするところでもある。映画では虚実を交えた人間ドラマが展開されている」(p.40)
 訴訟社会アメリカならではというストーリー。映画で定番の笑いや涙を誘うような展開とは程遠いが,ある意味でテンポ(怒涛の早口口調)がいい。そしてラストシーンがごく普通の”人間的な”感じが描かれていて,印象に残った。
 個人的には新入生課題で名前と写真と自己紹介を入れさせられただけの学内的フェイスブックならこれより前に経験してたのに・・・。モバイル端末から常時接続なんて考えられなかったし,同じサーバーに接続された限られた台数のパソコンからしかアクセス出来ないし,連携もなかったからな。フェイスブックのアイディア知ってたら今頃マークじゃなくてマーサだったわww 

第3章 勝ち続ける理由
「ツイッターのつぶやきをフェイスブックに連動させて表示させるアプリも用意されている」(p.91)
 ここに何の意味があるのか今一解せない。ツイッターとフェイスブック利用者が重複しているから尚更そう感じるのだろうけど・・。「ニュースフィード」にはツイッター上にも書かれているので重複する情報と,フェースブックのみの情報の区別がつきにくい。連動ツイート数が多くなればなるほど。
「フェイスブックはフローでありながらストックの役割も果たすのである」(p.92)
 ツリー形式の掲示板という従来の感じが「ストック」の役目になっている。

第4章 フェイスブックエコノミー
「インターネットの普及で少なくとも私たちはこれまでと比較にならない量の商品やサービスの情報を,自らの手で得られるようになった」(p.99)
 消費プロセスの話。AISASの次の段階について触れられ,「個々のInterest」がより鮮明になると。
「ソーシャルメディアは人と人との直接的な,とてもパーソナルなつながりに回帰させてくれたのだと思う。そして私は,ソーシャルメディアが人と人とをつなぐものだと考えた時,そこにストーリー=物語が生まれることが大きなカギになると考えている」(pp.104-105)
 まさに1/21放送の『クローズアップ現代』とは正反対でネットを捉えた感じ。旧来じゃ到底考えられなかったような人あるいは土地とをつないだことだって留意しておかないと。
 あと関係ないけど,「つなぐ」をひらがなで表してくれていたのがすごく良かったです。漢字で書くと「繋ぐ」だけどこの字って見た感じ「繁」に似てるからあんま使いたくないん・・・さ(ゴニョゴニョ) 

第5章 フェイスブックの陥
「ある日突然,実名でないという理由でアカウントを抹消されたという話も聞く」「フェイスブックで本名を使っていなかった人が突然アカウントを停止された」(p.122)
 必ず挙げられるフェイスブックと実名の問題。日本で根付くのか否かという。この事例が今後どうなるかは分からないが,本名でなくても登録という流れは出てきたようだ。個人的には別に本名に拘る必要も無いと思う。ニックネームであれハンドルネームであれ偽名であれ同一人物であれば,それはそれで立派なパーソナリティをもつことになるのだから。でもせっかくならせめて顔写真くらいは欲しい。せめて何かは身を明らかにして証明しておかないと。
「有名人や有名映画のキャラクターの名前に至っては,NGワードとしてあらかじめはじかれてしまう仕組みになっている」(p.123)
 偽名なりすまし。この辺りは厳格化しないと。政治家はともかく芸能人は入り込むべきではないのかも‥。ましてホイホイと友達申請してしまうアカならまず業者だろうから。

第6章 「ソーシャル化」するメディア
「プロでもない,普通の人で,知人からつながっていた,会ったこともない,知らない人でも,そこで書かれていることを見て,私が信頼できると思ったら,それでいいし,そういうオススメ情報が,信頼できる。その上,タダですよね。今までは雑誌を買っていたんですよね,重いのに。私にはいらない情報もたくさんついてくるのに」(p.141)
 印象に残った言葉。第5章と通じる部分で,信頼できればそれで十分。

「個々人が自分の関心のある情報にしか目を向けなくなれば,『デイリー・ミー』は社会の断絶(分極化)を招くという危惧もある」(p.143)
 分極化の危険は,フィルタリング次第で充分回避できるのではないか。寧ろ視野が広がっていると思う。気の合う人間関係での話なんかよりはよっぽど。合わせる合わせない考えなくていいんだし。

「ソーシャルメディアの時代」「マスメディアは今まで通り,大量の情報を送り続けているのだが,図3でわかるようにユーザー同士が相互に双方向性を持ち,交錯する大量の情報の中で,マスメディアの影響力は相対的に下がってしまう」(p.150)
 「相対的な」低下。まさにその通りなんだろうな。

「2009年以降,ツイッターの普及で,日本でもつぶやきながらテレビを見るという楽しみ方が珍しいものではなくなってきている」(p.157)「なんといっても楽しいのはスポーツ中継だ」(p.159)
 スポーツきたよ!!これからの時代アンドロイド搭載テレビチューナーがひとつの主流になるんじゃないかなぁと個人的には感じる。

「ツイッターがパブリックビューイングなら,フェイスブックは仲間内での観賞会」(p.160)
 実に的確に表されていると感じた。やっぱり驚くのは個人個人が多くの情報を所有しているということ。グループではあたかもその「場」にいたように「体験を共有」させてもらえる。

第7章 夜空のムコウ―フェイスブック後を生きるということ
 SMAPの歌詞に乗せてこの13年のインターネットを振り返る。うち12年を生で見てきたから,やっぱり色々変わった。

「ブログで自分の好きなことや,凝っていること,誰にも負けないコレクションやスキルを簡単に発信できるようにもなった」(p.174)
 その通り!
 
「名無しの落書きではなく,私以外の何者でもない私と,心を通じあわせることのできる人探しであったり,議論であったり,共感の確認であったり,すべてはコミュニケーションなのだ」(pp.181-182)
 所詮バーチャルで片づけられてきた時代と比べてもツールは進化を遂げているのは感じるし,閉ざされた世界でなく開かれた世界にもなっている。
 昨日今日始まったことじゃないんだし,ネット上で築かれた財産があるんだから,それをもっと目に見える形で可視化できれば,より信憑性が増す。それを集積(集約)できる場所の一つがFacebookなのかもしれない・・ね。今のところは。



ということで中の人○十代の投稿はこれにてお終い!次回更新からはx十路な人になりますぬ・・・。
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