日米通算2723安打をマークし、セ・リーグ首位打者に3度輝いたヤクルトの青木宣親外野手(42)が13日、今季限りでの現役引退を表明した。
同日の記者会見で「2024年のシーズンをもって引退することを決意した」と語った。
球界最年長野手として迎えたプロ21年目の今季は、61試合に出場して20安打。打率は1割9分2厘にとどまり、8月5日に出場選手登録を抹消された。
宮崎・日向高から早大を経て、ドラフト4巡目で2004年にヤクルト入団。巧みなバットコントロールが持ち味で、日米通算の安打数は日本選手歴代5位に相当する。05、07、10年に首位打者を獲得。足も速く、06年には盗塁王に輝いた。
12年からは米大リーグに挑戦し、ブルワーズやロイヤルズなど7球団を渡り歩いた。18年にはヤクルトに復帰し、21年の日本一、22年のセ・リーグ連覇に貢献。通算では日本で1949安打、メジャーでは774安打をマークした。
野球の国・地域別対抗戦のワールド・ベースボール・クラシック(WBC)は日本が連覇した06、09年に加え、17年も出場。08年北京五輪でもプレーした。
プロ野球では通算1713試合に出場し、打率3割1分3厘、145本塁打、667打点。米大リーグでは759試合(投手出場1試合含む)で打率2割8分5厘、33本塁打、219打点。(記録は12日現在)。[ 9/13(金) 9:24配信 時事通信 ]
8月5日ドミンゴ・サンタナの一軍復帰を前に登録抹消公示。この時に覚悟したものがとうとう訪れてしまった。
23.青木宣親(2004-2009)1.青木宣親(2010-2011)
早稲田大学から2003年ドラフト4巡目指名。当時の早大は1学年上に和田毅,同学年に鳥谷敬・比嘉寿光・由田慎太郎。1学年下に田中浩康,2学年下に武内晋一とその後プロで活躍する選手を擁し東京六大学リーグ2002年春から4季連続優勝と黄金期。2002年春から3季連続でベストナインに選ばれていたが,その順位が示すように小柄で大学時代0本塁打の青木のドラフト時点の評価は決して高いものでは無かった。背番号は早大で4学年上藤井秀悟も背負っていた「23」。
2004年の一軍出場は10試合。ほぼ一年間ファームでプレーした。301打数112安打打率.372でイースタン・リーグの首位打者と最高出塁率のタイトルを獲得。盗塁もリーグ2位の21をマーク。フレッシュオールスターゲームでは最優秀賞を獲得した。ちなみにこの打率は2001年以降のリーグの最高打率で未だ更新されていない。
外野手の稲葉篤紀がFAで北海道日本ハムへ移籍した2005年。自身初の開幕一軍入りを果たすと,4月1日開幕阪神戦(大阪ドーム)2番センターでスタメン出場。いきなり2安打放つもその後は低打率と三振の多さに悩まされていた。それでも若松勉監督は辛抱強くスタメン起用を続け,この年から導入されたセ・パ交流戦を機に安打を量産。1番センターのポジションを不動のものとし,10月1日阪神戦(神宮)に当時のセ・リーグタイ記録となる192安打。10月6日中日戦(神宮)にセ・リーグ新記録となる193安打。11日横浜戦(神宮)には1994年オリックスイチロー以来史上2人目となるシーズン200安打を達成。
最終的に202安打を放って最多安打。打率.344で首位打者のタイトルも獲得。新人王にも選出された。ファームと一軍で首位打者になったのも,イチロー(ウエスタン・リーグ1992年,パ・リーグ1994年〜2000年)史上以来2人目と一気に球界を代表するスターにのし上がった。
その後2005年に続いて2007年,2010年と首位打者を3度獲得。2006年には盗塁王も獲得。2010年に自身2度目の200本安打。2006年から5年連続で2ケタ本塁打をマーク。6年連続でゴールデン・グラブ賞。改めてその足跡を辿ろう。
2006年。第1回ワールド・ベースボール・クラシックの日本代表にも選出され,センターとして日本の初優勝に貢献。公式戦では全146試合に1番センターで出場。両リーグトップの192安打を放ち2年連続最多安打。赤星憲広の6年連続を阻止し盗塁王のタイトルを獲得。7月21日オールスターゲーム第1戦(神宮)で松坂大輔から安打,吉井理人から本塁打を放ち最優秀選手賞。
2007年は同僚アレックス・ラミレスとハイレベルな首位打者・最多安打争いを繰り広げた末,ラミレスの打率.343をわずかに上回る打率.346で2度目となる首位打者に。さらに最高出塁率のタイトルも獲得。古田敦也引退試合となった10月7日広島戦(神宮)でプロ入り初めて4番打者として起用された。
2008年。5月5日右脇腹痛で自身初となる怪我による登録抹消を経験したが5月29日に復帰。この年は内川聖一と首位打者争いを繰り広げ,タイトルこそ逃したが自己最高の打率.347。8月には宮本慎也と共に北京オリンピックの野球日本代表にも選出された。
2009年。第2回WBCに2大会連続2度目の選出され,3番打者として全試合に出場。37打数12安打打率.324打点7の成績でベストナインに選出された。2大会連続世界一に輝いたものの,開幕以降その反動からか攻守に精彩を欠き,当時の監督高田繁に「論ずるに値しない。もともと守備に気持ちが入ってない人だけど…。やることはやってもらわないと」と吐き捨てられ,センターの守備位置を剥奪されたこともあった。
打率は.303と物足りなかったが,出塁率.400で自身2度目の最高出塁率のタイトルを獲得。オールスターゲーム第1戦(札幌ドーム)で自身2度目のオールスター最優秀選手獲得。シーズン終了後にはテレビ東京アナウンサー大竹佐知さんと結婚。背番号も若松勉,池山隆寛,岩村明憲が背負った「1」に変更されることが決まった。
2010年。4月半ばから青木もチームも極度の不振に陥り,チームは5月26日時点で借金が19まで膨れ上がり高田は休養。入団時に二軍監督を務めていた小川淳司監督代行が就任し,青木を再び1番に固定したことで,チームとともに一気に復調した。
7月4日中日戦(秋田)でセ・リーグ史上最速となる770試合目で通算1000安打を達成。9月は月間打率.420で月間MVP受賞。26日中日戦(神宮)でプロ野球史上初となる2度目のシーズン200安打達成。当時で歴代3位となる年間209安打を放った。打率.3584で自身3度目となる首位打者を獲得。
2011年。この年から導入された統一球の影響からか,安打数はセ・リーグ2位ながら170本。打率は.292で,6年連続で継続していたシーズン打率.300も途切れてしまった。11月10日にポスティングシステムを行使してのMLB挑戦を表明。12月18日に250万ドルでミルウォーキー・ブルワーズが交渉権を得て活躍の場をメジャーリーグに移すことになる。
時は流れ2018年1月30日早朝の出来事だった。MLB市場の歴史的な停滞の影響で所属球団が未定となっていた青木の復帰基本合意のニュースが流れてきたの。この日は奇しくも私の誕生日。これ以上無い最高のプレゼントに心が躍った。
23.青木宣親(2018-2024)
背番号は入団時の「23」。
日本復帰初戦となる開幕DeNA戦(横浜)は4番センター。5打席目で日本復帰後初安打初打点。6月14日西武戦(メットライフ)で史上9人目となる初回先頭打者ランニング本塁打。6月は打率.388,4本塁打,22打点で自身8年ぶりとなる月間MVPに選出された。開幕当初こそ日本野球へのアジャストに苦しんだが,最終的には打率.327,キャリアハイの67打点。前年96敗の最下位に沈んだチームは2位にまで躍進した。巨人とのクライマックスシリーズファーストステージ(神宮)では青木が負傷の影響でベンチ入りメンバーにこそ名を連ねたが出場できる状態には程遠くチームは2連敗で敗退。青木の存在の大きさを痛感することになった。
5月3日中日戦(神宮)の第4打席をもってNPB歴代通算打率記録の対象となる4000打数に到達。このオフ時点で4395打数1446安打打率.329となり,レロン・リーを抜いてトップに躍り出た。
2019年。4月6日中日戦(神宮)では延長12回2死無走者の場面で代打出場し,小熊凌祐からサヨナラソロ本塁打を放った。
4月25日巨人戦(神宮)では菅野智之から青木・山田哲人・ウラディミール・バレンティンで3者連続本塁打を記録。5月26日中日戦(神宮)でも再び3人で3者連続本塁打。NPBでもそれぞれが平成最後と令和初の3者連続本塁打となっている。5月17日DeNA戦(神宮)今永昇太から通算100本塁打。5月22日対阪神戦(甲子園)で藤川球児から通算1500安打を達成。1156試合での1500安打達成は史上最速記録。134試合に出場し,打率.297,16本塁打,58打点。
2020年。
バレンティンの移籍もあってセンターからレフトにコンバート。6月19日開幕中日戦(神宮)は3番レフトでスタメン出場。7月11日巨人戦(ほっともっと)で球団通算8000号本塁打。9月20日広島戦(神宮)では中村祐太から濱田大貴・青木・山田でチーム25年ぶりとなる初回先頭打者からの3者連続本塁打。3年連続チームトップとなる打率.317。リーグ2位の出塁率.424。長打率.557,OPS.981はいずれもキャリアハイを更新。オフに新たに推定10億の3年契約を結んだ。
2021年。
自主トレ期間中ならびに開幕直後のコロナウイルス陽性者濃厚接触者による隔離離脱期間が調整を難しくさせ,シーズン打率は.258。通算打率も.319に下がったため,歴代通算打率1位の座からは陥落してしまったが,青木にとっては初めてのセ・リーグリーグ優勝。そして日本シリーズでオリックスを4勝2敗で下し,悲願の「ヤクルトでの日本一」を果たした。5月26日日本ハム戦(神宮)で日本人史上4人目となる日米通算2500安打達成。
2022年。
開幕阪神戦(京セラドーム)から2番レフトでスタメンに名を連ねたが,コロナ陽性反応など3度の出場選手登録抹消もあり,交流戦以降徐々にスタメンを外れる試合も増え代打での出場が多くなっていく。チームは連覇を果たしたが出場試合数は2004年を除くと最少となる81試合。打率.248,5本塁打,22打点。
2023年。
7月28日DeNA戦(神宮)で代打3ランを放ち通算1000得点。出場96試合。打率.253,3本塁打,19打点の成績もチームの精神的支柱として球団は評価。史上最大となる2億円減の1億4000万円で契約を更改。
2024年。
4月13日DeNA戦(横浜)上茶谷大河から走者一掃となる逆転タイムリー二塁打を放ちお立ち台にあがるも,以降打率.100台と低迷。8月5日に出場戦登録を外れ,9月13日今季限りの引退が発表された。
日米通算安打数は,イチロー (4367=日1278米3089),張本勲(3085),野村克也(2901),王貞治(2786)に次いで第5位。歴史に名を残す偉大な選手である。
渡米前はどちらかというと孤高な印象だった青木。優勝争いからもクライマックス争いからも脱落し,とりわけシーズン終盤は淡々と安打を積み重ねるだけ。感情も決して豊かとはいえず,ベンチでもどこか浮いたような存在だった。そんな青木が復帰してまるで人が変わったかのように,感情を出し,ベンチでは終始ナインを鼓舞するようになっていた。自主トレで青木塾を開講し,多くの後輩が青木を慕った。一体何がここまで青木を変えたのか。そのあたりはこの本をじっくり読みたいと思う。
青木世界観 (文春e-book) - 青木 宣親, 尾崎 世界観あと自分にとっては,試合前つば九郎とストレッチをしながら何やら会話をする光景がたまらなく好きだった。つば九郎は「いままでの1ばんのおもいでは、せれもにーがおわるまでは、いいません。まだまだいっしょにたたかえますからね。」と。そうまだ終わってはいないんだ。そしてきっとこれからも続くんだ。そう信じているから。
【記録】
・初出場:2004年7月17日巨人戦(東京ドーム)
・初打席:同上ショートゴロ[中村隼人]
・初先発出場:2004年10月6日阪神戦(神宮)
・初安打:同上[安藤優也]
・初盗塁:同上[安藤優也 -矢野輝弘]
・初打点:2005年4月5日中日戦(神宮)[朝倉健太]
・初本塁打:2005年4月6日中日戦(神宮)[落合英二]
・1000安打:2010年7月4日中日戦(秋田)[平井正史]史上258人目
・1000試合出場:2018年4月17日広島戦(呉)史上489人目
・100本塁打:2019年5月17日DeNA戦(神宮)[今永昇太]史上292人目
・1500安打:2019年5月22日阪神戦(甲子園)[藤川球児]史上126人目
・300二塁打:2021年8月21日広島戦(マツダ)[カイル・バード]史上74人目
・1500試合出場:2022年4月30日DeN戦(神宮)史上201人目
・1000得点:2023年7月28日DeNA戦(神宮)[東克樹]史上46人目
【タイトル表彰】
・首位打者:3回(2005年・2007年・2010年)
・盗塁王:1回(2006年)
・最高出塁率:2回(2007年・2009年)
・最多安打:2回(2005年・2006年)
・新人王(2005年)
・ベストナイン:7回(2005年 - 2011年)
・ゴールデングラブ賞:7回(2006年 - 2011年・2020年)
・月間MVP:4回(2005年8月・2007年4月・2010年9月・2018年6月)
・スカパー! サヨナラ賞:1回(2019年3・4月)
・オールスターゲームMVP:2回(2006年第1戦・2009年第1戦)
・フレッシュオールスターゲームMVP:1回(2004年)
・WBCベストナイン:1回(2009年)