ヤクルトは2日、近藤一樹(37)、山中浩史(35)、山田大樹(32)、平井諒(29)、風張蓮(27)、田川賢吾(26)、育成のジュリアス(23)の7投手と来季の契約を結ばないと発表した。
近藤は今季限りでの引退が決まっている巨人の岩隈とともに、2004年に消滅した近鉄でプレーした最後の現役投手。球団幹部によると、現役続行を希望している。2日現在の通算成績は347試合登板で43勝57敗4セーブ、防御率4.50。[ 11/2(月) 17:28配信 時事通信 ]
例年より一ヶ月遅れでこの時期がやってきてしまいました。。
20.近藤一樹(2016途-2020)
2016年7月17日八木亮祐との交換トレードで移籍。背番号は八木が背負っていた「70」。8月5日阪神戦(神宮)で移籍後初登板。


移籍2年目から中継ぎとしてフル回転。54試合に登板し14ホールドを挙げた2017年。6月30日阪神戦(甲子園)では9回裏2死二三塁,カウント2-2から秋吉亮にアクシデントが発生し急遽緊急登板。1球で原口文仁を空振り三振に仕留め,これがプロ初セーブ。
2018年は守護神を予定していた新外国人のマット・カラシティーや秋吉の不振により,8回のセットアッパーに定着。前年96敗を喫したチームが一転2位躍進に大きく貢献する大車輪の活躍。2015年秋吉に並ぶ球団記録の74試合登板。球団記録を更新する35ホールド,42ホールドポイントで,プロ17年目にして自身初タイトルとなる「最優秀中継ぎ投手」を受賞。背番号も山本哲哉が背負ってきた「20」に変更された。

2019年は8月25日に登録抹消され9月18日に再登録と離脱期間もあったが, 59試合登板で22ホールドポイント。


2020年 の登板は20試合で0勝1敗2ホールド。9月22日に登録抹消となっていたが,“総合的な判断”ということで来季契約を結ばない旨が通告された。
愛称近ちゃん。近ちゃんと言えば印象的なルーティンが2つある。1つはマウンド上での丁寧な指さし確認。もう1つは3つ目のアウトを奪ってベンチに戻ると,くるりとグランドに向きを変え,ベンチに戻ってくる野手全員とグラブでハイタッチを交わす儀式。近ちゃんがリズムよくアウトを重ねるとどこか打線も活気づく場面が多かった。
そして今そしてこれからこの近ちゃんの儀式をまさに継承しようとしている投手がいる。清水昇。ヤクルトを離れることになるけれど,近ちゃんの投魂はきっと受け継がれていくはずだ。。
【記録】
・初セーブ:2017年6月30日阪神戦(甲子園)
・1球セーブ:同上※史上60人目
・1球セーブ1球奪三振:同上※史上初
34.山田大樹(2018-2020)
2017年11月11日にソフトバンクホークスから無償トレードという形で移籍。背番号はソフトバンク時代と同じ「34」。表記は同姓の山田哲人がいるため,「山田大」に。
2018年6月22日巨人戦(東京ドーム)で移籍後初登板初先発。しかし22/3回6失点で敗戦投手に。翌週29日阪神戦(神宮)も先発したが,3回KO。移籍一年目の登板はこの2試合のみ。
2019年は交流戦期間中の6月13日に一軍登録されると中継ぎで3試合の登板を経て,6月20日古巣のソフトバンク戦(神宮)から先発に回った。7月8日DeNA戦(神宮)で5
1/3回3失点で移籍後初勝利を挙げると,そこから8月1日DeNA戦(横浜)まで無傷の4連勝。シーズン後半最下位に沈むチームの中で先発ローテーションを守り,5勝を挙げた。
開幕が遅れた2020年は,6月に入って再開された練習試合で結果を残し,開幕ローテ入りが有力視されていた高橋奎二の調子が上がらないこともあり,開幕3戦目となる6月21日中日戦(神宮)の先発マウンドを託された。7回3失点とQSをクリアする投球も,打線が梅津の前に沈黙し敗戦投手に。翌週28日巨人戦(神宮)は1
2/3回5失点でKOされ7月1日に星知弥と入れ替わりで登録抹消。ファームではチームトップの63
1/3回を投げ2勝6敗,防御率4.55という成績も一軍からお呼びがかかることはなかった。
62.田川賢吾(2018-2020)←117.(2017-2018)←35.(2013-2016)
高知中央高から2012年ドラフト3位指名。担当スカウト岡林洋一。背番号は「35」。
高卒1年目となる2013年は,イースタン・リーグで3試合に登板。0勝1敗,防御率9.00の成績。2年目の2014年4月10日に腰椎椎間板ヘルニアの摘出手術を受け,一・二軍とも公式戦登板無し。
2015年イースタン3試合0勝1敗,防御率8.44。2016年イースタン19試合2勝3敗,防御率7.28。オフに育成契約となり背番号は「117」へ変更された。
2017年イースタン28試合5勝6敗,防御率4.43。
2018年のオープン戦で一軍初昇格。リリーフで結果を残し,開幕前の3月20日に支配下登録。背番号は「62」に変更となり,自身初となる一軍登録並びに開幕一軍入りを果たし,4月3日広島戦(神宮)でプロ初登板。しかし5日館山昌平との入れ替わりで登録抹消。結局一軍登板はこの1試合のみ。
2019年はイースタンで2試合連続完投勝利など結果を残し,8月24日阪神戦(神宮)でプロ初先発の機会を与えられた。3
1/3回 6失点で敗戦投手となったが,9月15日広島戦(マツダ)で52/3回1失点の投球。入団7年目で嬉しいプロ初勝利を挙げた。
2020年はイースタン20試合0勝1敗2セーブ,防御率1.95の成績も一軍登板は皆無だった。
【記録】
・初登板:2018年4月3日広島戦(神宮)
・初奪三振:同上[石原慶幸]
・初先発:2019年8月24日阪神戦(神宮)
・初勝利・初先発勝利:2019年9月15日広島戦(マツダ)
・初打席:2019年8月24日[西勇輝]
64.風張蓮(2018-2020)←32.(2015-2017)
東京農業大学北海道オホーツクから2014年ドラフト2位指名。背番号は「32」。
一軍・二軍いずれもプロ初先発マウンドで2人目の打者で危険球退場という珍しいエピソードが。2015年3月29日日本ハム戦(戸田)。初回1死から11球目を危険球宣告され退場。プロ初登板初先発となった5月3日広島戦(神宮)でも初回1死から8球目が菊池涼介の頭部への死球となり危険球退場。プロ初登板での危険球退場はプロ野球史上3人目の出来事だった。2015年の一軍登板はこの試合のみ。イースタンは12試合1勝6敗,防御率5.02。
2016年8試合0勝0敗,防御率8.10。2017年3試合0勝0敗,防御率6.75と一軍では結果は伴わなかったが,イースタンでは2016年41試合3勝4敗3セーブ,防御率3.42。2017年51試合4勝0敗5セーブ,防御率1.76とファームでは安定感を増していた。
2018年.開幕直後の4月3日に一軍昇格すると,4月7日巨人戦(神宮)で,先発石川雅規を受け2回無失点に抑えると,チームは逆転勝利をおさめ,風張にプロ初勝利が舞い込んだ。

ここで信頼感を得た右腕は,再調整の期間もありながら,53試合に登板。57
2/3回を投げ2勝3敗,防御率4.37。
しかし2019年14試合防御率7.11。2020年11試合防御率7.98とエレベーター選手は脱せず。9月3日阪神戦(甲子園)では自身5年ぶり2度目となる先発マウンドもアピールには程遠かった。風張の退団により2014年ドラフト組は6年で全滅となった。
【記録】
・初登板・初先発登板:2015年5月3日広島戦(神宮)
・初奪三振:2016年4月19日阪神戦(甲子園)[江越大賀]
・初勝利:2018年4月7日巨人戦(神宮)
・初ホールド:2018年6月16日日本ハム戦(札幌ドーム)
68.山中浩史(2014途-2020)
2014年7月20日。川島慶三・日高亮との交換トレードで,新垣渚と共にヤクルトへ移籍。背番号「68」。
移籍から5日後の7月25日DeNA戦(神宮)に移籍後初登板。一年目は7試合勝ち敗け無し。
2015年6月12日埼玉西武戦(プリンスドーム)でシーズン初登板初先発。牧田和久とのアンダースロー対決を制し,プロ初勝利。ここから怒涛の快投を魅せ続けてくれた。8月11日広島戦(マツダ)で自身初の完投勝利を完封で飾り,ヤクルトでは1958年金田正一以来となるシーズン初登板からの6連勝を記録。
8月18日DeNA戦(横浜)で右大胸筋肉離れ。翌8月19日に出場選手登録抹消。9月20日阪神戦(甲子園)復帰したが,敗戦投手となり連勝記録はストップしてしまったが,チームのリーグ優勝に大きく貢献してくれた選手の一人であり,山中がいなければ優勝は無かったといっても過言ではないだろう。だがクライマックスシリーズ,古巣ソフトバンクとの日本シリーズでは登板機会がなかった。
2016年もシーズン初登板初先発となった4月20日阪神戦(甲子園)で勝利投手となり,登録抹消を挟みながらも先発ローテーションに定着し22試合に登板。とりわけ阪神戦には相性良く2試合連続完投勝利など6試合3勝1敗,防御率1.49と虎キラーぶりを発揮。いう好成績を残した。一方で対広島戦は4試合0勝4敗,防御率7.91。カードによっての起用法も模索されるようになっていく。
開幕ローテーション入りした2017年だったが,初勝利は9試合目の7月28日中日戦(神宮)と,13試合2勝6敗,防御率5.14。

2018年4月12日中日戦(ナゴヤドーム)で自身4年ぶりの救援登板。6月28日中日戦(神宮)で移籍後初ホールドをマークするなど配置転換もあったが,シーズン終盤8月30日阪神戦(甲子園),9月15日阪神戦(甲子園)と好相性の阪神戦で2試合連続先発勝利とキラーぶりは健在だった。
2019年は5月30日に一軍登録。7月21日阪神戦(甲子園)にシーズン初先発も敗戦投手に。4試合0勝2敗と,5年振りに未勝利で終わった。
2020年シーズン初登板は8月2日中日戦(ナゴヤドーム)。「腹をくくって投げた」と8回を4安打無失点の完璧なピッチングも,打線が梅津晃大の前に沈黙。結局0-0のスコアレスドローで勝ち負けつかず。8月9日DeNA戦(神宮)では一球の失投が満塁本塁打となり敗戦投手も内容は決して悪くなかった。そして16日DeNA戦(横浜)。いきなり3連打を浴びて無死満塁のピンチを招き,押し出し四球を与えるも,以降変幻自在の投球術でフライアウトの山を築き,5回を投げ切り701日ぶりの勝利投手に。しかし9月21日中日戦(ナゴヤドーム)4回3失点で敗戦投手に。これが最後の登板となってしまった。
【記録】
・初勝利・初先発勝利:2015年6月12日埼玉西武戦(プリンスドーム)
・初完投・初完投勝利・初完封勝利:2015年8月11日広島戦(マツダ)
・初安打・初打点:2015年7月2日阪神戦(神宮)[能見篤史]
119.ジュリアス(2018-2020)←48.(2016-2017)
高知中央高から2016年ドラフト4位指名。背番号「48」。こちらも担当スカウトは岡林。
2016年5月15日ロッテ戦(戸田)で二軍公式戦初登板。しかし故障によりこの登板を最後に,8月31日に左肘関節のクリーニング手術。2017年5月10日に左肘靱帯のトミー・ジョン手術。オフに育成選手契約。背番号「119」。
2018年実戦復帰し,イースタン12試合登板,防御率5.11。オフに育成再契約。

2019年イースタン23試合2勝1敗,防御率5.49。オフにはウィンターリーグにも派遣され5試合2勝0敗,防御率0.60の成績で最優秀投手賞を受賞。今季の飛躍が期待されていた。
しかし2020年は育成契約後では最少のイースタン10試合の登板に終わり,防御率4.38。怪我に泣いた5年間だった。
67.平井諒(2010-2020) 167.(2016)
帝京第五高から2009年ドラフト4位指名。背番号「67」。
ルーキーイヤー2010年はイースタンで9試合登板。201/3回,防御率4.43。24奪三振が示すように速球を武器に三振を奪えるピッチャーとして期待も高く,秋季松山キャンプにも抜擢される。
2011年はイースタン14試合4勝2敗1セーブ,防御率2.75と順調に成長。
2012年自身初の春季浦添キャンプスタートから開幕一軍を勝ち取り,4月5日阪神戦(神宮)でプロ初登板。4月8日中日戦(ナゴヤドーム)延長10回裏2死から1/3回を無失点で試合完了しプロ初セーブ。4月28日広島戦(マツダ)で救援登板し,プロ初勝利。22試合2勝2敗1セーブと将来が楽しみなピッチャーだった。
ところが2013年。4月7日DeNA戦(神宮)でシーズン初勝利をあげるなど,開幕から7試合で防御率1.42と安定した投球を繰り広げていたが,4月18日に右肩痛で登録抹消。7月2日に右肩のクリーニング手術に踏み切り,以降2年半の長期にわたって登板無し。
この長いリハビリ期間に「スワローズカップ」のために館山昌平とともに燕市を訪れてくれたのだが,今でこそ言えるがふと見せる死んだ魚のような目の表情があまりに印象深くて,この日を境に平井が一段と気になる存在となった。


2015年11月12日に一度育成契約となり背番号も「167」となったが,2016年6月6日支配下選手に再登録。背番号も再び「67」へ。
ここから不死鳥のように平井が蘇ってくれた。6月14日に実に3年ぶりとなる一軍登録されると,8試合連続無失点など33試合に登板。延長11回表に登板した8月25日中日戦(神宮)では1回を無失点に抑えた裏に相手投手の暴投でチームがサヨナラ勝ち。実に1236日ぶりの白星が舞い込み自身初のお立ち台に。
「初めまして、平井諒です」「1点も与えないよう、気迫で投げました。緊迫した試合で緊張感がありました。もう1イニング投げる予定でしたが、試合を決めてくれないかなと祈るような思いでした」「お立ち台に立てると思っていなかったので興奮しました。(2軍投手コーチの)石井弘寿さんが引退試合で『一度もお立ち台に立ったことがない』と言っていて、中継ぎの投手には立てない場所なのかなと思っていました」33試合1勝1敗7ホールド,防御率2.81と完全復活を感じさせてくれた。しかし平井の肩肘の状態は一進一退。隔年の登板が続くことになる。

2017年4試合,防御率10.13。2018年登板0。
2019年8月3日に2年ぶりに一軍登録され,8月17日中日戦(神宮)ではチーム初採用となった「ブルペンデー」でプロ初先発。8月31日中日戦(ナゴヤドーム)で1101日ぶりの勝利を挙げるなど,20試合登板。

ただ2020年に至ってはファームでも1試合も登板が無かった。キャンプの段階からいつ投げるのだと気にしていたが,結局登板が無いままシーズンが終わってしまった。。
【記録】
・初登板:2012年4月5日阪神戦(神宮)
・初セーブ:2012年4月8日中日戦(ナゴヤドーム)
・初奪三振:2012年4月14日DeNA戦(神宮)[石川雄洋]
・初ホールド:2012年4月26日中日戦(神宮)
・初勝利:2012年4月28日広島戦(マツダ)
・初先発登板:2019年8月17日中日戦(神宮)
一番印象的な一枚があった。ブルペンを支えた近ちゃん&平井。改めてバリバリの主力やエースピッチャーよりも中継ぎに感情移入しているんだなぁと。。

ヤクルト井野が現役引退 プロ野球
ヤクルトは2日、井野卓捕手(36)が今季限りで現役を引退すると発表した。井野は球団を通じ「かけがえのない時間を過ごせた。感謝しかない」との談話を出した。[ 11/2(月) 16:48配信 時事通信 ]
63.井野卓(2015-2020)
2015年オフに巨人を自由契約となっていた井野を相川亮二のFA移籍もあって手薄となっていた捕手強化を目論むヤクルトが獲得発表。
2016年6月29日広島戦(マツダ)で1013日ぶりの一軍出場。7月27阪神戦(甲子園)で1041日ぶりの打席。
2017年6月14日中村悠平の負傷により出場選手登録。6月16日日本ハム戦(神宮)では先発マスクの西田明央が自打球を受けたことで途中からマスクを被り,打席では実に2245日ぶりプロ通算11本目の安打が呼び水となり,チームも逆転勝ちを収めた。
翌6月17日日本ハム戦(神宮)ではデービッド・ブキャナンの完封勝利導き,マウンドでブキャナンと熱いハグを交わした。

2018年は自身初の開幕一軍入り。第3捕手的役割として一軍に帯同し,自己最多の47試合に出場。後半は石川雅規と原樹理とバッテリーを組むことが多くなり,8月16日巨人戦(神宮)では原の自身プロ初完封を導くリードを魅せてくれた。
2019年は7試合の出場に終わったが,2020年は中村悠平が開幕戦直前に離脱し開幕二戦目より一軍合流。嶋も負傷し出番が増え,8月6日広島戦(神宮)ではプロ15年目にして初の三塁打を放ち,廣岡大志の犠飛で生還。さらに次の打席ではスクイズを決める活躍でお立ち台に。「あんまり何も考えずに必死に走りました。三塁、遠かったです」と場内の笑いを誘った。
前橋工高から東北福祉大を経て東北楽天に入団。在籍7年間で出場は43試合。嶋基宏が不動のレギュラーにいた。トレードで巨人に移籍したが,そこには阿部慎之助がおり僅か2年で戦力外通告されていた。
縁の下の力持ちを絵に描いたような選手だ。試合の出番があるとしたら途中出場の捕手にアクシデントがあったときくらい。レギュラー捕手が安泰ならファームでも若手が経験を積むためにマスクを譲る。
「チームとしては,自分よりもレギュラーの捕手が出た方がいい。けがから戻ってくるまで,何とか間をつなぎたい」こんなコメントを発せられるくらい自分の立場と役割を理解し,チームに尽くしつづけた。常々感じさせる謙虚さ。
15年間通算148試合。打率.142,13打点。ホームランは0本。決して突出したような成績は無い。それでもそのうちヤクルトで95試合。プロ通算29安打中19本。うち4二塁打,1三塁打はいずれもヤクルト。プロ通算13打点中9打点。キャリアハイの4打点を2018年2020年にヤクルトでマークした。
球団を通じ「プロ野球生活15年、東京ヤクルトスワローズには6年間お世話になり、かけがえのない時間を過ごす事ができました。特にスワローズでは、試合にもたくさん使っていただき貴重な経験をさせていただきました。スワローズファンの皆さまに自分の応援歌を作っていただけた事が、すごくうれしく大切な思い出の一つです。多くの方々に支えていただき、15年間のプロ野球生活を過ごすことができました。本当に感謝しかありません。ありがとうございました」というコメントを残された井野さん。
球団に残ってくださるとのこと。他球団在籍経験+通算15年間もの経験を備えたバッテリー部門の指導者は現状のヤクルトには皆無なので一日も早く新たな道を踏み出していただきたいものです。