ヤクルトは2日、成瀬善久投手(32)に来季の契約を結ばないと通告した。成瀬はロッテからフリーエージェント宣言して2015年に移籍。プロ15年目の今季は登板機会がなかったが、通算100勝まであと4勝としており、現役続行の意思を示した。
球団は古野正人(32)、久古健太郎(32)、菊沢竜佑(30)、由規(28)各投手と、大松尚逸内野手(36)、比屋根渉(31)、鵜久森淳志(31)両外野手にも契約を更新しないと通告した。[ 10/2(火) 16:36配信 時事通信 ]
17.成瀬善久(2015-2018)
2014年オフに千葉ロッテから国内FA宣言し,スワローズに移籍。背番号はロッテ時代と同じ「17」。
2015年3月31日。チームの本拠地開幕戦となる阪神戦(神宮)の先発を託される。初回に西岡剛に3ラン本塁打を浴びるも,その後を無失点で5回を投げ切り,移籍後初登板初勝利を挙げたものの,5月28日日本ハム戦(神宮)で2勝目を挙げるまで5連敗。その後も勝利投手となったゲームでも3失点以上を喫するなど登板する度に打ち込まれる試合が続き,7月31日阪神戦(甲子園)で3
2/3回5失点(自責点4)の翌日に登録抹消され,その後登板機会は無かった。投球回は79
1/3回ながら被本塁打はリーグワースト2位。
2016年も開幕ローテーションに名を連ね4月に2勝を挙げたが,7月8日中日戦(神宮)に先発し,5
2/3回で勝利投手となったのが,最後の勝利。その後中継ぎに転向を命ぜられ,8月6日に登録抹消後登板無し。
3年契約の最終年となる2017年は左内転筋肉離れの影響で開幕二軍スタート。登板数は僅か12試合(うち先発1試合)。0勝1敗,防御率5.40。プロ12年目にして初の未勝利に終わり,契約更改では86%となる1億2400万円減の2000万円で更改。
「ふがいなかった。(ヤクルトに)来てから迷惑しか掛けてない。あらためてやるしかないと思いました」と悲壮の決意で今季に臨んだが,一軍登板すら無く終わった。
記録
・初打点:2016年5月20日DeNA戦(神宮)[井納翔一]
26.久古健太郎(2011-2018)
2010年ドラフト5位指名。背番号は「26」。
慢性的な左の中継ぎ投手不足というチーム事情もあって,ルーキーイヤー開幕一軍スタートした。2011年4月24日広島戦(マツダ)の2番手としてプロ初登板を果たすと,この試合で1
1/3回を1安打無失点。早速プロ入り初勝利を挙げた。当初は左のワンポイント起用も,投げるたびに信頼を勝ち取り,5月半ばには1イニングを任されるまでに。7月10日阪神戦(秋田)から9月9日阪神戦(神宮)まで実に21試合連続無失点。これは1999年岩瀬仁紀(中日)に並ぶセントラル・リーグ新人投手最高記録に並んだ。しかしシーズン終了後に左手血行障害の手術を行ったことが明らかになる。
その影響もあり,翌2012年は9試合の登板に終わる。故障も癒えた2013年は38試合の登板で,2勝1敗9ホールド,防御率2.76という安定感を取り戻す。
2014年5月3日阪神戦(神宮)ではNPB史上2人目,セ・リーグでは初となる対戦打者0人で勝利投手に。これは同点で迎えた8回表二死一塁の場面で3番手として登板し,カウント2-2から一塁への牽制球で一塁走者の大和をアウト(記録は盗塁刺)にしてイニングを完了。裏に味方が勝ち越し点を挙げ,9回から4番手山本哲哉に交代したことによるものだった。
2015年は,左打者用のワンポイントのみならず,7回・8回において秋吉亮,ローガン・オンドルセクと共にセットアッパーを務め,8ホールド,防御率2.55とチームのリーグ優勝に大きく貢献した。
2016年も貴重な左のセットアップとして39試合に登板したが,2017年は6試合の登板で防御率も27.00と打ちこまれ,今季はプロ入り初の一軍登板0に終わっていた。
2015年の日本シリーズでは,この年山田哲人とともにトリプルスリーを達成した柳田悠岐を2試合続けて三振に斬ってとる名勝負を届けてくれた。そんな柳田を2017年6月6日の交流戦(ヤフオクドーム)で完全に打ち取った三塁線ボテボテの打球が無情にも切れずにサヨナラ負けを喫し,そこに座り込む久古の姿も印象的だった。
本来であれば球団も引退試合を用意すべきの功績の中継ぎ投手。「興味を示してくださる球団があれば考えますし、なければ潔く辞めようと考えています。トライアウトは受けないです」と心境を語っている。
記録
・初登板・初勝利:2011年4月24日広島戦(マツダ)
・初奪三振:2011年4月30日阪神戦(甲子園)[関本賢太郎]
・初ホールド:2011年5月1日阪神戦(甲子園)
・初セーブ:2011年8月21日巨人戦(東京ドーム)
・打者0人で勝利投手:2014年5月3日阪神戦(神宮)NPB史上2人目,セ・リーグ初
35.菊沢竜佑(2017-2018)
2016年ドラフト6位指名。秋田高−立大−横浜金港クラブ−アメリカ独立リーグ−相双リテックと渡り歩き,28歳という球団史上最高齢でのドラフト指名。おそらく球界を見渡しても昭和生まれ最後のドラフト指名選手となるであろう。
軟式ながら最速148km/hを投げ込むという触れ込みでドラフトでは隠し玉と言われたが,相双リテックは球団スポンサーでもあり,その会長は日大出身ということもあり,当時から黒い噂が無きにしもあらずだった。
今季のファームでの防御率は1.93という安定感はあったが,真中色の排除という面もあるのではないか。「野球にはひと区切りつけようかなと思います」と現役引退を表明している。
記録
・初登板:2017年9月12日中日戦(神宮)
・初奪三振:同上[京田陽太]
40.古野正人(2012-2016,2018) 118(2017-2018)
2011年ドラフト6位指名。背番号40。
即戦力が期待された右腕は2012年浦添キャンプスタートも,右肩痛を発症し2月12日に離脱。
2013年4月19日阪神戦(甲子園)でプロ初登板。11回裏からの登板で0に抑えたことでプロ初ホールドをマーク。7月3日DeNA戦(横浜)でプロ初先発。プロ2試合目の先発となった8月6日中日戦(浜松)で6回無失点の投球でプロ初勝利。
2014年は自身初の開幕ローテーション入り。5月までに3勝を挙げた。
2015年は自己最多となる27試合に登板。うち10試合で先発を任され,4勝3敗1ホールド,防御率4.78という成績でチームの優勝に貢献。
しかし2016年6月15日ソフトバンク戦(神宮)の先発登板で,打球を処理する際に右肩を負傷。この回復に時間を要することから,オフに支配下選手契約が解除され,育成選手として再契約することに。これに伴い背番号は「118」に変更された。
2017年10月31日規約により育成選手として再契約。
2018年はファームで11試合2勝3敗,防御率2.43という成績を残し,7月30日に再び支配下登録に移行した。背番号もジョーダン・アルメンゴの契約解除で空き番号となっていた「40」に復帰。8月15日巨人戦(神宮)で自身2年ぶりとなる一軍登板。8月29日阪神戦(甲子園)では自身1161日ぶりの白星を挙げたものの,その後登板機会なく,非情の戦力外通告となった。
記録
・初登板・初ホールド:2013年4月19日阪神戦(甲子園)
・初奪三振:同上[坂克彦]
・初先発:2013年7月3日DeNA戦(横浜)
・初勝利・初先発勝利:2013年8月6日中日戦(浜松)
・初安打・初打点:2014年5月13日巨人戦(いわき)[杉内俊哉]
66.大松尚逸(2017-2018)
2016年5月右足アキレス腱断裂の重傷を負った影響で,千葉ロッテから戦力外通告を受けていたが,西都キャンプでの入団テストを経て2017年2月19日契約合意。背番号は「66」。
イースタンで6試合打率.526,2本塁打,8打点と結果を残し,開幕一軍メンバーに名を連ねた。開幕の3月31日DeNA戦(神宮)で代打起用され,自身596日ぶりの一軍公式戦出場を果たす。
5月9日広島戦(神宮)延長12回無死で代打起用されると,中田廉から自身3年ぶり,移籍後初本塁打がサヨナラ弾。さらに7月26日中日戦(神宮)では,10 - 10で迎えた延長10回裏に伊藤準規からシーズン2本目の代打サヨナラ本塁打。0-10からの逆転勝利というNPB一軍公式戦史上4度目の快挙を演出した。9月16日広島戦(マツダ)でも7回表2死二三塁から代打で同点タイムリーは,マジック1とした広島の地元での胴上げを阻止する一打となった。この年のチーム年間勝利数の1/15が大松のバットによって演出されたものであったとも言えた。
今季は春季キャンプ終了後に一軍合流したが,チームが関東に戻ると同時に再び二軍合流。そのまま一度も一軍での出場機会無く終わった。これも2017年の記憶の排除の一環という意味合いなのだろうか。
0.比屋根渉(2012-2018)
震災復興ドラフトとも揶揄される2011年ドラフトで,日本製紙石巻から3位指名。
2012ルーキーながら開幕一軍メンバー入り。4月1日巨人戦(東京ドーム)で相川亮二の代走としてプロ初出場。いきなり二盗を決めるなど,俊足には定評があり,主に代走として出場43試合ながら11盗塁をマーク。
2013年からは上田剛史との併用ながら,左投手先発時にはスタメン起用されることも多くなり,5月18日ロッテ戦(神宮)で,当時ロッテの成瀬からプロ初本塁打を放った。
3年目の2014年は自身初の開幕二軍スタートとなったが,5月5日に一軍に登録されると,レギュラー争いを繰り広げてきたが,夏場以降失速。一軍と二軍を行き来するようになっていた。
2015年。ウラディミール・バレンティン,ラスティングス・ミレッジ,上田と相次ぐ外野手の離脱もあり,比屋根が一番に定着。これによって2番川端慎吾,3番山田哲人,4番畠山和洋という打順が見事に機能していった。特に初回比屋根が出塁すると,高い生還率を誇り,チームは勝利を積み重ねていった。上田の復帰から再び併用にはなったが,自己最多の84試合に出場。同じく自己最多の3本塁打と長打力も発揮した。
2016年6月26日中日戦(神宮)。4-1とヤクルト3点リードで迎えた9回表。抑えのローガン・オンドルセクが一死から連打と四球で満塁のピンチを招くと,代打・谷哲也のレフトへの打球をこの回から守備固めとして起用されていた比屋根が後逸し,4-4の同点に追いつかれると,ベンチに戻ったオンドルセクは激昂。首脳陣への悪態で期限処分を受けそのまっま退団となる事件が発生。
8月7日阪神戦(神宮)でも,5回表2死満塁の場面からライトに入った比屋根が,代わり端代打狩野恵輔の飛球を落球。逆転を許したが,この試合で途中出場ながら4打数4安打。その4安打目が延長10回裏自身初となるサヨナラタイムリ―で見事に汚名返上する活躍。お立ち台で「自分のミスでこんなに遅くなってしまってすみません。自分は守備の選手。守備練習してチームの勝利に貢献します」と謝罪したシーンはあまりに印象強い。
しかし2017年はプロ入り6年目にして初めて盗塁0に終わってしまう。
今季は7月24日に昇格すると,7月26日巨人戦(京セラドーム)で2年ぶりの盗塁を記録したが,30日に抹消。9月19日に再登録も27日に抹消。し烈な外野手争いに一軍での活路は見いだせなくなっていた。
主に代走と守備固めという出番ながら,そこでの牽制死や落球もあった。それでも琉球スプリンターへーサン比屋根の脚が無ければ2015年の優勝は無かったでしょう。いい意味でも悪い意味でも凶器のあった選手だった。
記録
・初出場:2012年4月1日巨人戦(東京ドーム)
・初盗塁:同上[山口鉄也・阿部慎之助]
・初スタメン:2012年4月8日中日戦(ナゴヤドーム)
・初打席:同上[山本昌]
・初打点:2012年7月26日広島戦(神宮)[岸本秀樹]
・初安打:2012年8月7日DeNA戦(神宮)[藤井秀悟]
・初本塁打:2013年5月18日ロッテ戦(神宮)[成瀬善久]
91.鵜久森淳志(2016-2018)
2015年11月10日。静岡草薙球場で行われた12球団合同トライアウトで獲得に合意し,そのまま鵜久森の地元でもある松山で行われていた秋季キャンプに合流。
2016年開幕5戦目の3月30日阪神戦(神宮)では移籍後初となるスタメン起用。この年のチーム初本塁打を岩田稔から放った。8月27日阪神戦(甲子園)では岩崎優から自身初となる満塁本塁打。左投手相手に積極的に起用され,自己最多となる46試合に出場。打率.257。4本塁打,19打点はいずれも自己最多の数字を残した。
2017年4月2日DeNA戦(神宮)。4-4で迎えた延長10回裏1死満塁の場面で代打起用されると,須田幸太からプロ野球史上16人目,チームでは1982年岩下正明以来2人目となる代打サヨナラ満塁本塁打を放ちお立ち台に。4月13日中日戦(神宮)でも代打でサヨナラ安打を放った。
今季も開幕一軍に名を連ねたが,19試合の出場に留まり,5月31日に登録抹消。その後一軍昇格無く終わった。久古,古野,鵜久森が退団となり,チームから1986年度生まれの選手は皆無となる。
記録
・初盗塁:2017年5月6日DeNA戦(横浜)[今永昇太・戸柱恭孝]
11.由規についてはおそらく動きがあるのでその時に改めてメッセージを記そうと思います。