ヤクルトは3日、ドラフト1位で2015年に入団した竹下真吾投手(26)と来季の契約を結ばないと発表した。昨年プロ初登板したが、今年は出番がなかった。
飯原誉士外野手(34)、今浪隆博内野手(33)らも戦力外となった。[ 10/3(火) 16:38配信 時事通信 ]
戦力外通告について
次の選手について、本日10月3日(火)、戦力外通告いたしました。
竹下真吾投手
土肥寛昌投手
ジュリアス投手
徳山武陽投手
中島彰吾投手
星野雄大選手
新田玄気選手(育成)
今浪隆博選手
飯原誉士選手
榎本葵選手
原泉選手 [ http://www.yakult-swallows.co.jp/news/detail/21248 ]
伊藤、押尾コーチが退団=プロ野球・ヤクルト
ヤクルトは5日、伊藤智仁投手コーチ(46)と押尾健一戦略コーチ兼投手コーチ補佐(46)の退団の申し入れを受理したと発表した。[ 10/5(木) 19:07配信 時事通信 ]
来季の契約について
来季の契約について
次のコーチについて、本日10月3日(火)、来季の契約を締結しない旨を通達いたしました。
笘篠誠治外野守備走塁コーチ
水谷新太郎チーフ兼内野守備走塁コーチ[ http://www.yakult-swallows.co.jp/news/detail/21249 ]
惜別メッセです。
22.竹下真吾(2015-2017)
2014年ドラフト会議,安樂智大の抽選を外してのドラフト1位指名。ヤマハからは2012年石山泰稚以来となる指名。即戦力リリーフ左腕としての期待を受け背番号は「22」が与えられた。
この年は新人全員春季キャンプ二軍スタートという首脳陣の方針。オープン戦中盤に一軍に呼ばれたものの,結局1年目はファーム暮らし。19試合に登板しリリーフで3勝を挙げたが,防御率は9.16。投球回18回
2/3に対し,与四球は21。即戦力の呼び声からは程遠い成績だった。
1年目の秋季松山キャンプ,2年目の春季浦添キャンプと一軍でフォームの見直しなどに取り組み,2016年6月15日ついに一軍登録を果たす。翌16日ソフトバンク戦(神宮)でプロ初登板。しかし2回
2/3を被本塁打2,4失点という洗礼を浴び,翌17日に登録抹消。結局この試合がプロ最初で最後の一軍登板となった。2016年のファーム成績は43試合登板で2勝5敗,防御率3.74。53回を投げ与四死球が52と球のバラつきなど課題克服の兆しは見えず。
2017年のファーム登板は20試合で,勝敗つかずの防御率10.88。22回
1/3で与四死球38。四球・暴投・タイムリーで1イニングを投げ切れるかどうかという登板が続く日々。。
ドラフト1位が3年で戦力外通告というのは平成に入ってからは1996年伊藤彰,1997年三上真司,2006年高市俊の4年を下回り最も短い期間でのものとなってしまった。
・初登板:2016年6月16日ソフトバンク戦(神宮)救援登板
・初奪三振:2016年6月16日ソフトバンク戦(神宮)東浜巨から
45.土肥寛昌(2015-2017)
2014年ドラフト6位指名。埼玉栄高−東洋大−ホンダ鈴鹿という球歴をもち,社会人の即戦力右腕という期待がかかった。
しかし竹下同様1年目の一軍登板は無し。2年目の2016年6月17日竹下に代わって初めて一軍登録され,29日広島戦(マツダ)で初登板。
一軍登板は2016年,2017年といずれも4試合づつ。2017年7月26日中日戦(神宮)では0-10と10点ビハインドの6回表から2番手で登板。2イニング4奪三振無失点投球で流れを引き寄せ,土肥に送られた代打中村悠平の本塁打からあの奇跡の大逆転劇が始まった。中村の打球を見つめ両手で万歳するベンチの土肥の表情も印象的だった。
・初登板:2016年6月29日広島戦(マツダ)救援登板
・初奪三振:2016年7月30日巨人戦(東京ドーム)橋本到から
48.日隈ジュリアス(2016-2017)
2015年ドラフト4位指名。
2016年5月15日ロッテ戦(戸田)で公式戦初登板を果たしたが,一年目の登板はこの1試合のみ。8月31日に左肘関節のクリーニング手術を受けたが癒えず,2017年5月10日に左肘靱帯のトミー・ジョン手術に踏み切った。全治1年。戦力外通告を受けたが他球団の獲得が無ければ育成選手として再契約の見込みで,来夏頃の復帰が待たれる。
115(2012)62.徳山武陽(2013-2017)
2011年育成ドラフト1位指名。背番号は「115」。
2012年は育成選手としてファームで13試合に登板。5勝2敗,防御率3.26の成績を残した。
2013年もファームの先発要員として5月12日までに5試合に登板し3勝1敗,防御率1.67の好成績を残していた徳山。一軍で館山昌平や由規など先発陣の故障離脱者が相次いでおり,5月13日に支配下登録,背番号は「62」となった。
5月15日埼玉西武戦(神宮)でプロ初登板初先発デビュー。その初球を浅村栄斗に先頭打者本塁打されたが,一軍初登板における第一打者に本塁打を喫するのは球団史上4人目,初回先頭打者本塁打となると球団史上初という珍記録となった。3回3失点で敗戦投手となったが,5月22日日本ハム戦(札幌ドーム),9月3日巨人戦(富山),9月12日広島戦(神宮)と計4試合で先発登板。
自身6試合目の先発登板となった2014年9月3日中日戦(神宮)で嬉しいプロ初勝利を記録した。
この年のオフに就任した真中満監督からの期待も高く,2015年は自身初の浦添キャンプスタート。開幕一軍に名を連ねると,古野正人とともにビハインド時の中継ぎ或いはロングリリーフ要員として大車輪の活躍。久古健太郎,秋吉亮,オーランド・ロマン,ローガン・オンドルセク,そしてトニー・バーネットと強力なセットアップ陣につなげるまでの貴重な役回りを務めてくれた。
2015年5月3日広島戦(神宮)ではプロ初登板初先発となった風張蓮が打者2人目で危険球退場の処分を受け,急遽2番手でマウンドに。2回
2/3を投げ,プロ2勝目を掴んだ。優勝翌日の10月3日広島戦(マツダ)では延長10回裏に登板。11回表にチームが勝ちこしたたことでプロ3勝目が舞い込むが,これが最後の勝利になってしまうとは・・
2016年は開幕一軍スタートも,開幕直後の3月31日インフルエンザに感染し一軍登録抹消。10日程度で復帰かと思われたが,再登録は交流戦明けの6月28日にずれ込み,7月1日に再登録で抹消。僅か3試合の登板に終わってしまう。9月に不調を訴え,10月のフェニックスリーグ登板後に緊急帰京。精密検査を受けた結果国指定の難病黄色靱帯骨化症を発症している事が判明。11月22日に手術に踏み切ることに。
2017年9月29日日本ハム戦(鎌ヶ谷)で打者27人3安打完封勝利をあげるまでに回復していた矢先の非情な戦力外通告。「正直まだ整理はついていないので迷っています」と語るが,身体のことを踏まえてどのような進路を決断するのか。ただただ見守りたい。。
・初登板・初先発:2013年5月15日埼玉西武戦(神宮)
・初奪三振:2013年5月15日埼玉西武戦(神宮)牧田和久から
・初勝利・初先発勝利:2014年9月3日中日戦(神宮)
・初打点:2015年10月3日広島戦(マツダ)押し出し四球
111(2015)71.中島彰吾(2016-2017)
2014年育成ドラフト1位指名。背番号は111。
2015年ファームで12試合に登板し防御率1.38。13回で15奪三振という光る数字も。野手不足により外野手としてスタメン起用される試合もあった。
2016年は開幕から10試合連続無失点,防御率2.40の成績が評価され5月2日に支配下選手登録。背番号は「71」に変更となった。5月4日一軍登録も登板機会なく5月13日に登録抹消。再登録された7月9日中日戦(神宮)でプロ初登板。1回
1/3無失点デビューを飾った。この年は3試合に登板し防御率6.00。
2017年は2試合に登板,防御率13.50。7月30日に登録抹消され,今回の戦力外通告。大量点差がつかないと登板機会が与えられないという不遇な面も否めない起用が多かったように感じる。
・初登板:2016年7月9日中日戦(神宮)救援登板
・初奪三振:2016年7月9日中日戦(神宮)エルナンデスから
37.星野雄大(2013-2017)
2012年ドラフト5位指名。捕手というポジション柄どうしても出番は限られる。
2015年4月21日にプロ初の一軍登録を果たしたが,出場機会がないまま4月24日に登録抹消。8月5日に再登録されたが,またも試合出場なく8月7日に抹消。
2017年4月12日自身2年ぶりに一軍登録されるも,またもや出場無く4月28日に登録抹消。6月17日自身4度目となる出場選手登録は,正捕手中村が右大腿骨骨挫傷で離脱中に加え西田明央が自打球を受けベンチ入り出来ず。藤井亮太は内野手としての出場が続き,井野卓がスタメンマスクを託されるというチーム状況下での登録となった。6月18日日本ハム戦(神宮)で大量点差のついた9回表に念願のプロ初出場を果たした。マスクを被りジョシュ・ルーキをリード。1イニング無失点というデビューを飾る。その裏あと1人でプロ初打席が回ってきたが,前の打者武内晋一が倒れゲームセット。しかしこの試合で負傷し高卒ルーキー古賀優大と入れ替わり登録抹消され,しばらく実戦からも遠ざかるという不運。
・初出場:2017年6月18日日本ハム戦(神宮)捕手で途中出場
104.新田玄気(2017)
2014年シーズンをもって現役を引退し,この年の秋季キャンプから裏方へ転身。
2017年の交流戦明けに,星野が怪我をしたことで,古賀が一軍に呼ばれ,育成の大村孟は故障で守備に就けない(DHでの起用のみ)という事情も重なり,二軍の試合に出場できる捕手が山川晃司のみで控え捕手が皆無という非常事態に,選手不足に伴う暫定措置ながら6月24日付で育成選手契約を締結。
3年振りの現役復帰となった。故障者の回復もあり試合出場は3試合に留まったが,今後も裏方としてチームを支えてくれることになるだろう。
59.今浪隆博(2014-2017)
2014年の開幕直後3月31日に増渕竜義との交換トレードで移籍。4月12日右内腹斜筋損傷の森岡良介に代わって移籍後初の一軍登録。しかし森岡の復帰と同時に5月8日登録抹消されその後一軍登録なし。出場は僅か13試合に留まり,増渕を放出してまでして獲得した今浪に対する風当たりは決して良いものではなかったように記憶している。
移籍2年目の2015年。ショートのポジションを森岡,FA加入の大引啓次と1984年生まれの同級生トリオで争う展開に。5月5日に大引が左内腹斜筋肉離れで離脱すると,ショートでのスタメン機会を与えられ,打撃面で勝負強さを光らせる。途中1ヶ月ほど一軍を離れたが,再登録された後半戦以降は大引に代わるショートスタメンや代打の切り札としての起用が増え,3割を超える高打率をマークしてチームの優勝に貢献。
自己最多となる94試合に出場し,打率.279,1本塁打,28打点。一塁・三塁・遊撃と複数ポジションでのスタメン起用,さらには代打で9打点,得点圏打率.533と勝負強さが光った2016年。
その裏で病が今浪を襲っていた。2016年6月17日西武戦(神宮)では炭谷銀仁朗が打ったフライを追いかけ川端慎吾と衝突,そのまま担架で病院に運ばれた。翌18日に登録抹消されたが,抹消から10日未満となる6月24日に一軍登録。この年から設けられた「脳震盪の登録抹消特例」適用第1号となった。9月2日広島戦(神宮)を体調不良で欠場すると,血液検査で甲状腺機能の数値に異常が確認されたということで3日登録抹消。9月22日に一軍復帰したが,26日に再び抹消。明らかに身体が異常を訴えていた。
2017年は西都キャンプで別メニュー調整。実戦復帰は4月28日横浜DeNA戦(横須賀)となったが,そこから打率.414の好成績を残し,5月18日に一軍復帰。登録即スタメン出場も果たしたが,29日に抹消。2ヶ月ほど戦列を離れ,7月21日日本ハム戦(戸田)で実戦復帰。しかし8月23日巨人戦(東京ドーム)でヒットを放った直後に代走を告げられそれ以降ファームでも出場が無かった。
ヤクルト今浪引退「僕の体では戦えない、橋本病」
ヤクルト今浪隆博内野手(33)が3日、現役引退すると表明した。この日、都内の事務所に訪れ、球団に伝えた。その後、取材に応じ、体調不良を理由に現役を退くと説明した。
「引退しますといいました。今の僕の体では戦えないというのが大きい。病気とまず戦っていかないといけいない。試合に出るにつれて、体の不調が出てくる。医者に診てもらっても数値は正常といわれるが、自分は正常ではないと感じることが多かった。そういう人間が1人でもいると周りに迷惑をかける。申し訳ないなという気持ちもあり、もっと早く言うべきだった。戦力外というタイミングで言えた。区切りが付いた。病名は甲状腺機能低下症、橋本病です」と話した。
今浪は07年に日本ハムに入団。14年途中にトレードでヤクルトへと加入していた。[ 2017年10月3日15時29分 日刊スポーツ ]
お立ち台を自ら滑り台と称した。「スタメンで出なくていい」「たまたま」「打てなかったらしゃあない」という発言は弱気な面を隠していたのだろうか。一球一打に高い集中力を研ぎ澄まし,数々の快音を響かせた今浪。記録よりも記憶に残る選手として,すっかりヤクルトファンから愛される存在になっていた。
46(2006-2007).9飯原誉士(2008-2017)
2005年大学・社会人ドラフトで白鴎大学から5巡目指名。栃木県の大学からプロ入りするのは飯原が初となった。
2006年春季キャンプでは第1回WBCの合宿に参加する青木宣親と入れ替わる形で浦添キャンプに合流。下位指名ということもあり,注目度はさほど高くなかったが,オープン戦でも打率4割超という好成績を維持し,そのままルーキーながら開幕一軍メンバーに名を連ねた。3月31日の開幕阪神戦(神宮)でレフトアレックス・ラミレスの守備固めとしてプロ初出場。4月22日横浜戦(神宮)に7番ライトでプロ初スタメン。初安打,初盗塁を記録すると,翌23日横浜戦(神宮)プロ初打点含む3安打でプロ初猛打賞をマーク。一軍出場は28試合に終わったが,二軍では打率.274,5本塁打,12盗塁。7月20日のフレッシュオールスターゲームでも4安打3得点1盗塁の活躍で,チームでは青木以来のMVPを獲得。オフにはハワイ・ウィンターリーグに派遣され,リーグ最多の5本塁打と将来が期待された。
2007年は外野手登録ながらその打撃を活かそうと古田捕手兼任監督は,岩村明憲のメジャー移籍で空いた三塁手のポジションを宮出隆自,畠山和洋らと争わせた。この年は三塁手118試合,遊撃手11試合,外野手11試合,二塁手1試合として起用されたが,リーグ最多となる18失策と守備が安定しなかった。これが打撃面にも影響したか,初の規定打席に到達したものの,打率.246,83三振と持ち前の思い切りの良さが失われる結果に。それでもチーム最多の23盗塁を決めており,オフに就任した高田繁監督が外野への再コンバートを決め,背番号も「9」へと変更された。
2008年ラミレスの移籍もありレフトのポジションに収まる。しかし5月から調子を落とし人的補償で移籍してきた福地寿樹にレギュラーの座を奪われかけたが,福地が不振のアーロン・ガイエルの代わりにライトへと回り,川島慶三や武内との併用の末,交流戦明けからレフトの座を完全に射止め,青木が北京五輪で離脱中にクリーンアップを任されるまでに成長し,2年連続で規定打席に到達。135試合に出場し打率.291,9本塁打,28盗塁と走攻揃った外野手でヤクルトに欠かせない存在となっていた。
しかし2009年はガイエルの復活もありスタメン出場は対左投手のみが多くなる。94試合に出場し,打率.250。10月2日に右肩棘下筋肉離れで離脱し,クライマックスシリーズには出場できずにシーズンを終える。
2010年小川代行監督就任後再びレギュラー外野手に定着。自己最多の15本塁打を記録。一方で盗塁失敗が増え8盗塁に終わる,
2011年は開幕から極度の不振に陥り,登録と抹消を繰り返した一年に。出場試合は前年の半分以下となる64試合で打率.126。本塁打,盗塁いずれも0。それでも入団6年目で初めて出場したクライマックスシリーズのファイナルステージ第2戦で左腕のチェンから決勝本塁打を放ちチームの勝利に貢献していた。
2012年に入っても調子は上がらず。2年ぶりの本塁打と盗塁を1つずつ記録したが,50試合の出場で打率.161。
2013年も開幕から21打席ノーヒットで4月26日に登録抹消。5月25日に再登録されると,ようやく調子を取り戻し3年ぶりにOPS.700超えなど,復調をアピール。
2014年は96試合の出場で,規定打席には到達しなかったが打率.306をマークしていた。シーズン最終の10月7日DeNA戦(神宮)の8回表。3-2と1点リードした2死一二塁の場面。白崎の平凡なレフトフライを飯原がまさかの落球で2者が生還。逆転を許し,小川泰弘の2年連続10桁勝利の可能性を消してしまった。
2015年は僅か18試合の出場で,5月17日に登録抹消されたまま故障もあって再登録なし。胴上げの輪には加わったものの,貢献度は薄かった。
入団から続けてきた開幕一軍登録が10年で途切れた2016年。主に代打で63試合の出場だったが,印象に残ったのは2016年4月30日巨人戦(神宮)での一発。2-3と1点ビハインドの7回裏山口鉄也から放った値千金の逆転2ラン本塁打でお立ち台に。小川に勝利投手をプレゼントした。
2017年はファームで結果を残していたが,一軍出場は自己最少の17試合にとどまる。球団は功労者としてフロント入りを打診したが,飯原本人は「球団には感謝しかないが、現役を続けたい」と現役への思いが強く,来季は他球団でのプレーを目指すことになった。12年間の通算成績は901試合,打率.258,49本塁打,246打点。
・初出場:2006年3月31日阪神戦(神宮)
・初先発出場,初打席:2006年4月22日横浜戦(神宮)
・初安打:2006年4月22日横浜戦(神宮)ソニアから
・初盗塁:2006年4月22日横浜戦(神宮)
・初打点:2006年4月23日横浜戦(神宮)吉見祐治から
・初本塁打:2007年4月5日阪神戦(神宮)ボーグルソンから
・フレッシュオールスターゲームMVP:2006年
64.榎本葵(2017)
2016年11月12日の12球団合同トライアウト(甲子園)を経て獲得が発表された。
オープン戦期間中の3月17日に一軍合流すると,13打数6安打,打率.462と結果を残し,開幕一軍を掴みとった。4月5日に抹消,5月6日に再登録されるも,21日に抹消。出場は代打のみで7打数1安打。
野手不足のファームで外野を守り続けたが,自身2度目の戦力外通告となった。
65.原泉(2015-2017)
2014年ドラフト7位指名。恵まれた体形と長打力から喜界島のバレンティンと呼ばれ,貴重な右の長距離砲と期待が高かった。
2015年は101試合に出場。打率.177ながら6本塁打と大器の片鱗を見せていた。
2年目の2016年は故障もあり出場試合は61試合に減ったが,打率は.236,3本塁打と確実性を上げていた。
3年目となる2017年109試合に出場。打率は.215ながら11本塁打と持ち前の長打力が出てきた矢先の通告となった。「トライアウトは受けようと思っています。受ける方向でこれから練習していこうと思います」と現役続行の意思。指導者や環境が変わればまだまだ可能性は秘めていると思われます。
84.伊藤智仁(2004-2017)
現役引退した翌2004年から二軍育成コーチに就任。背番号は現役時代の4倍となる「84」。
2008年より一軍投手コーチに就任。ブルペン担当として荒木大輔コーチと6年,高津臣吾コーチと3年間コンビを組み,2015年にはチームの優勝に尽力。
2017年からベンチ担当を務めたが,成績不振の責任をとって退任を発表。バーネットら外国人投手からの信頼も厚く,原樹理,星知弥を先発として育て上げた。
81.押尾健一(2016-2017)
1999年に現役引退後,2000年から打撃投手兼スコアラーを務めてきた。
現役時代のチームメイトだった真中監督就任に伴い,新設ポストの「一軍戦略担当スコアラー」へ異動。真中監督が「押尾が言っていることはコーチと同じ」と伝えるほど信頼関係は厚く,2016年にはからは新設ポストの「一軍戦略コーチ」を兼務,2017年は一軍戦略コーチに加え,一軍投手コーチ補佐も務めてきた。
真中監督退任に伴い,自らも28年間袖を通し続けたスワローズのユニフォームを脱ぐことになってしまった。
89.水谷新太郎(2015-2017)
1990年に現役引退後,1991年から2006年まで守備走塁コーチを務め,2007年からスカウトに転身。2008年から2012年まで横浜ベイスターズの内野守備コーチ。2015年からヤクルト二軍内野守備走塁コーチとして復帰。2017年はチーフコーチを兼任した。
12月で64歳の誕生日を迎える水谷コーチ。長きにわたりヤクルトに貢献してくれた。
79.笘篠誠治(2016-2017)
1997年の現役引退後,西武・中日・ソフトバンク・楽天・ヤクルトと一度も現場を離れることなくユニフォームを着続ける名コーチ。
山崎晃大朗の後ろ方向の打球には強いが前方向に弱い守備力はどう映ったのだろうか。