ヤクルトは1日、新垣渚投手(36)と来季の契約を結ばないと発表した。新垣は2014年途中にソフトバンクから移籍。今季は6試合登板で1勝2敗に終わった。
木谷良平(27)、寺田哲也(29)、中元勇作(27)、田川賢吾(22)、児山祐斗(21)の5投手と、田中雅彦捕手(34)、松井淳(28)、川上竜平(23)の両外野手にも戦力外通告した。
成本年秀2軍投手コーチ、芹沢裕二2軍バッテリーコーチも退団する。[ 時事通信 10月1日(土)15時49分配信 ]
惜別メッセージ2016です。。
35.田川賢吾(2013-2016)
高知中央高校から2012年ドラフト3位入団。
ドラフト時の戦評には,「187cmの長身から投げ下ろす最速148km/hのストレート大型右腕で,打者としても高評価」とあった。
1年目はイースタンで3試合に登板。0勝1敗防御率9.00。
2014年4月10日に腰椎椎間板ヘルニアの摘出手術を受けた影響で2014年は登板なし。
2015年に2年ぶりの実戦復帰を果たしたが,3試合0勝1敗防御率8.44。
それでも2016年3月21日埼玉西武戦(戸田)で中継ぎとしてファーム初勝利。8月16日巨人戦(東京ドーム)では先発として杉内俊哉と投げ合い5回無失点で勝利投手になるなど,順調に回復と成長を見せているものだと思ったが…。19試合に登板も,2勝3敗防御率7.28。投げられるようにはなったが数字が物語ってしまうのだろうか。
38.寺田哲也(2015-2016)
作新学院大学を卒業後,独立リーグ新潟アルビレックスBB〜香川オリーブガイナーズとわたり歩き2014年ドラフト4位で入団。新潟時代には主戦投手として2012年独立リーグ日本一に貢献。最多勝,最優秀防御率,最多奪三振のタイトルも獲得しており,即戦力投手を求める現場の要望が反映された指名となった。
2015年5月9日に一軍登録されたが,登板機会なく5月13日に抹消。そして8月27日巨人戦(神宮)で登録即先発。プロ初登板は3回を投げて勝ち負けつかずという内容だった。
しかしこの寺田の3イニングながなければチームは優勝出来なかったかも知れない。巨人−阪神−巨人と続く試練の8試合の3試合目。山中浩史の離脱で先発が一枚足りない中で,制球に苦しみながらも巨人打線にホームを踏ませず,チームは8回裏2死から勝ち越しに成功。見事同一カード3連勝を飾ることが出来たのだから…。
今年は開幕直後の2016年3月31日に徳山武陽がインフルエンザA型に感染し緊急昇格。4月6日広島戦(マツダ)で背筋痛を訴えたデイビーズの代役先発を託されたが,2回持たず6失点KOで敗戦投手に。翌日抹消されると,その後一軍からお呼びがかかることはなかった。。
通算2年間で3試合 0勝1敗 防御率10.80。その数字以上に強く印象に残っている選手。
39.中元勇作(2015-2016)
伯和ビクトリーズから2014年ドラフト5位入団。
「左スリークォーターで打者からは球の出所が見にくい投球フォームが特徴。細身だがストレートのキレ良くスライダー・チェンジアップの精度も良い」というスカウト評。
ルーキーイヤーはファームで中継ぎとして42試合に登板。2勝4敗防御率4.67。7月7日楽天戦(戸田)では野手不足によって代走としても出場していた。
しかし今季は春季キャンプ中に謎の帰京をし,そのままシーズン通して登板なく,戸田でランニング中心のメニューをこなす日々だった。「野球は続けないと思う。肘の状態も良くないし、治りきらないままだった」と現役引退を表明。
中日落合博満GMによるここ3年間の社会人,大学,独立リーグ出身の即戦力偏向ドラフトが槍玉にあげられているが,2014年のヤクルトも同様に即戦力投手を7人中5名指名しているが,この2年間誰一人としてプロ初勝利を挙げておれず,5人合わせても23
1/3イニングを放ったのみの現状。これで早くも2名が退団することになる。
61.児山祐斗(2014-2016)
岡山関西高校から2013年ドラフト5位入団。
「テイクバックが小さく,球持ちがいいフォームから最速140km/hのストレートと,スライダー,カーブを操る」ということで,かつて石井弘寿がつけていた背番号「61」を与えられた期待の左腕。
一年目は左肩痛の影響もあって登板は6試合0勝1敗防御率1.80。それでも真中満新監督が就任した直後の松山秋季キャンプに抜擢されると,翌2015年の浦添キャンプからオープン戦を通じて一軍帯同を果たすなど監督の評価は高かった。
しかしイースタンの成績は2015年が17試合4勝5敗防御率5.07。2016年は19試合0勝3敗5.73と思ったように伸びてこなかった。これはファームの育成面に問題があるのではないか。
優しい顔をしており,その応対からは実直さ素直さがひしひしと伝わってきた。その従順さゆえに,あれこれ自分と葛藤してしまった面があったのだろうか…
16(2012-2015)64.木谷良平(2016)
九州共立大学から2011年ドラフト2位指名。背番号は2007年ドラフト1位加藤幹典から剥奪する形で「16」が与えられた。
ルーキーイヤーの2012年は二軍で16試合2勝4敗防御率6.48と即戦力としては振るわなかった。
2年目の2013年5月31日にプロ初の一軍登録を果たすと,6月3日ロッテ戦(QVCマリン)で2番手としてプロ初登板。3イニングを無失点に抑え,小川淳司監督から「今日ぐらい投げてくれれば,登板のチャンスは出てくるんじゃないか」と及第点を与えられると,その後は主にロングリリーフとして起用。
6月25日DeNA戦(神宮)でプロ初ホールドをマーク。7月12日広島戦(神宮)では9-7と乱戦の4番手として6回表から登板。2イニングを打者6人完全パーフェクトピッチでプロ初勝利を手にした。8月16日阪神戦(京セラドーム大阪)でプロ初先発。勝ち負けこそつかなかったが,変化球を軸に打たせて取るピッチングで7回を新井貴浩の本塁打による1失点のみにまとめてみせた。
以降先発ローテーションに定着し,シーズン終了までに先発で2勝を挙げた。思い起こせば宮本慎也の引退試合の先発は木谷だった。
2014年は開幕こそ一軍から外れたが,シーズン最初の登板となった4月13日DeNA戦(横浜)7回2失点で勝利投手になると,そこから5月23日埼玉西武戦(西武ドーム)までにこの時点でチームトップとなる4勝をマーク。開幕投手を務めた小川泰弘の骨折離脱など苦しむ投手陣の中で実質エース級の働きをしてきた。
ところがこの試合を境に序盤から打ち込まれるようになり,防御率は5点台後半まで悪化。7月からはリリーフに回ったがそれでも投球内容は安定せず。8月26日広島戦(マツダ)で自身約2ヶ月ぶりの先発に復帰も,1回持たず7失点KO。翌日に登録抹消となった。
2015年も浦添キャンプスタートだったが,登板は6月3日東北楽天戦(神宮)と8月13日広島戦(マツダ)の2試合計3イニングのみに終わる。
背番号「16」は剥奪され「64」に変更された2016年。8月5日阪神戦(神宮)で初登板したが,ゴメス・原口に連続安打,江越に犠打。北條は三振に奪うも,代打狩野に四球を与え,2死満塁と3人の走者を残したところで降板。リリーフした成瀬善久が高山にタイムリーを浴びたため,2/3イニング2失点 防御率27.00という数字が残ることに。
独特のフォームは二段モーションの指摘もあった。このあたりも木谷の野球生活に少なからず影響してしまったのだろうか。。
45(2014)66.新垣渚(2015-2016)
2014年7月20日。川島慶三,日高亮との交換トレードで福岡ソフトバンクから山中浩史と共に移籍してきた。
8月9日対DeNA戦(横浜)で移籍後初登板初先発。初回先頭打者に四球,暴投などもあり2失点。結局4回5安打3四死球5奪三振4失点で敗戦投手に。
続く8月16日対中日戦(ナゴヤドーム)でも3回7安打4失点で敗戦投手で二軍降格となったが,この試合でセ・リーグタイ記録の1試合4暴投を記録。1試合4暴投以上をセ・パ両リーグで記録したのは史上初。さらに自身3度目となりこれはチームメイトとなった高井雄平の2度を抜き最多という珍記録を樹立した。
オフには自らの意志で背番号を66に変更した。ここにはホークスでチームメイトだった沢村賞右腕斉藤和巳氏への念があったのだろう。
2015年の初登板となった4月9日対中日戦(神宮)で5回を8安打2失点。自らに代打が送られた5回裏に味方が3点を入れ逆転しそのまま勝利したため,ソフトバンク時代の2013年8月20日以来新垣自身2年ぶり,移籍後初勝利をマーク。8月8日対中日戦(ナゴヤドーム)で4回4失点。シーズン10敗目を喫し翌9日に抹消されるまでほぼローテーションを守り続けた。3勝10敗 防御率4.64とはいえ新垣の3勝無くして優勝はなかった。
2016年の初登板初先発となった4月28日広島戦(神宮)で勝利投手となったのがスワローズでは最後の勝利に。5月10日広島戦(神宮)で通算1000奪三振,5月17日広島戦(マツダ)では史上3人目となる通算100暴投を記録した。
他球団での現役続行を目指すとのこと。岐路に立たされてきた松坂世代。。
28.田中雅彦(2013-2016)
2013年3月25日川本良平との交換トレードで千葉ロッテから移籍。背番号は川本がつけていた「28」。
正捕手相川亮二の故障もあって早速スタメン出場の機会が増えていく。しかし5月12日対阪神戦(松山)でマット・マートンのタックルを受け負傷交代。左鎖骨骨折が判明し,離脱を余儀なくされた。
2014年は田中自身ロッテ時代の2007年以来となる一軍出場無しに終わった一方でファームでは怪我人続出もあって,捕手ではなく内野手としての出場が増えていた。
2015年も前半戦は二軍での出場が中心だったが,西田明央に実戦経験を積ませるという方針もあって6月30日に一軍昇格。捕手2人制ということもあり年間の出場試合数は僅か6試合だったが,二番手捕手として中村悠平のバックアップに専念。まさに縁の下の力持ちとしてチーム14年ぶりの優勝を陰で支えてくれた。
今季は再び一軍登録なく言い方悪いが最年長かつ外様の捕手がチームを去ることに。。野口祥順,米野智人,細見直樹,川島亮,青木宣親,佐藤賢,塚本浩二,正田樹という昭和56年度世代もこれで在籍0となってしまう。。
57.松井淳(2010-2016)
日本大学国際関係学部から2009年ドラフト5位で入団。大学で同期の麻生知史も育成ドラフト2位で指名された。背番号は「57」。
2011年6月14日対埼玉西武戦(神宮)で一軍初出場。3回裏に山岸穣の代打で登場し岸孝之から三振を喫した。
2012年5月31日に一軍昇格。6月2日対ソフトバンク戦(ヤフードーム)9番指名打者としてプロ初となるスタメン出場。6月6日対オリックス戦(京セラドーム)に木佐貫洋からプロ初安打。すぐさまプロ初盗塁も決めた。6月8日対千葉ロッテ戦(神宮)で宮出隆自の代打として出場すると,中郷大樹からセンター前にタイムリーを放ちプロ初打点。6月10日対埼玉西武戦(神宮)で牧田和久からプロ初本塁打を放った。
その瞬間の傘の花
6月13日対東北楽天戦(クリネックス宮城)ではあの田中将大からも本塁打を放ちこの年の交流戦で大ブレイク。しかし8月30日対広島戦(神宮)で今村猛から第5号本塁打を放った翌日の打撃練習中に左手母指球痛を訴えると,左手親指付け根靭帯損傷が判明し登録抹消となってしまったが,46試合に出場し5本塁打 15打点 打率.287。
期待のホープとしてレプリカユニフォームも発売され2013年3月29日対阪神戦(神宮)の開幕スタメンにも名を連ねた。しかしその期待とは裏腹にそこまでの結果を残せず投手補充のため4月4日に登録抹消,二軍調整に。そこで不思議なほどのハイペースで死球を受けた。挙句の果てに 6月に左尺骨骨折が発覚し,一軍復帰はシーズンも最終盤の9月25日に。この年は開幕戦を含め僅か11試合の出場に留まってしまう。
その後2014年10試合→2015年7試合→2016年2試合と一軍出場試合数は年々減少。
思い切りの良いフルスイングが魅力の和製長距離砲も,ファームの指導者の方針なのか?そのスケールが小さくなっていくのが明らかだった。それともあの死球が彼の良さである思い切った踏み込みに恐怖心を与えてしまったのだろうか。。
29歳にして現役引退を決意したという松井。神宮球場で彼のプロ初本塁打と最後の一軍出場を見届けたのも何かの縁だろうか。
36(2012-2015)69.川上竜平(2016)
青森・光星学院(現八戸学院光星)で第93回全国高等学校野球選手権大会準優勝。3年夏の甲子園では3本塁打を放つなど高校通算27本塁打を放った川上。
2011年ドラフトで,高橋周平の外れ1位として指名。高校時代は外野手で,その身体能力の高さから投手も務めていたが,池山隆寛→川端慎吾と受け継がれてきた背番号「36」が与えられたように,将来の大型ショートとしての期待が懸けられていた。
1年目は左手首を痛め出遅れ,44試合 103打数18安打 本塁打1 打点6 打率.175。内野手として登録されたものの実戦は外野手のみでの出場に。
2年目81試合 131打数35安打 本塁打0 打点14 打率.267。打撃の確実性は上がったが事実上外野手の控えで終わる。
3年目76試合 216打数 41安打 本塁打1 打点16 打率.190。
4年目は怪我人が多いチーム事情もあって,外野以外にセカンドショートでの出場機会を与えられるなど95試合に出場。265打数 54安打 3本塁打 18打点 打率.204。
背番号「36」は智辯学園からドラフト2位入団の廣岡大志に奪われ「69」に変更となり背水の陣で迎えた5年目も82試合 159打数30安打 0本塁打 11打点 打率.189。
高校時代ともにクリーンアップを組んでいた一学年下の田村龍弘(ロッテ)北條史也(阪神)とは対照的に成績は一向に上向く気配を見せなかった。
体質なのかプロとしての身体つきになかなかなっていかなかった。試行錯誤したという打撃フォーム。入団時とは異なるポジションでの起用など,その指導法が一貫しなかったという面は気の毒にも感じる。
ヤクルト球団のドラフト1位指名選手が一軍出場0試合でのまま退団となるのは1996年伊藤彰以来史上2人目となった。
ルーキーイヤーの川上。彼の左後ろに山田哲人というのがあまりに対照的に映ってしまう。。
86.成本年秀(2015-2016)
2007年以来8年ぶりにコーチ復帰。しかし
この2年間一体誰を育てたというのでしょうか?しかも肩書としては二軍チーフ投手コーチ。若いコーチも育てる役目を担ったポストだったはずですよね?
そもそも一軍投手コーチを務めた2007年ヤクルト,2011年千葉ロッテがいずれもチーム防御率,順位とも最下位に沈んだという最下位請負人。
正直コーチとしての手腕そのものが問われます。球団もみっちりと人選してほしい。
90.芹澤裕二(2015-2016)
2012年から2014年まで韓国三星ライオンズの一軍バッテリーコーチを務め,チームは3年連続優勝。2015年より二軍バッテリーコーチに就任されました。山川はどこまで成長できたのでしょうか。
中村悠平(26)西田明央(24)と他球団が羨むような若手捕手が二人おり,ポジション柄しばらくはチーム編成としてファームの捕手をどう位置づけるかは難しい面もあるとは思いますが…
68(2009-2013)10.森岡良介(2014-2016)
森岡が引退=プロ野球・ヤクルト
ヤクルトは26日、森岡良介内野手(32)が今季限りで現役を引退すると発表した。
高知・明徳義塾高から2003年にドラフト1巡目で中日に入団。09年、ヤクルトに移籍し昨季までの2年間は選手会長を務めた。26日現在での通算成績は556試合で打率2割4分1厘、7本塁打、97打点。[ 時事通信 9月26日(月)17時51分配信 ]
2008年オフに中日を戦力外となり,トライアウトを経てスワローズへ入団。背番号は「68」。
移籍元年となる2009年は,プロ7年目にして自身初の開幕一軍入りを果たした、内野のポジションを守れる器用さが認められ、初の開幕一軍入りを果たした。
9月8日対広島戦(神宮)で前田健太から移籍後初本塁打。チーム史上初のクライマックスシリーズ出場が懸かっていた10月9日対阪神戦(神宮)では,セカンドで鳥谷敬の痛烈な安打を全身で止めて内野安打に抑えたことで二塁走者の本塁生還を防ぎ得点を防ぐ好守備を魅せるなど内野のユーティリティープレーヤーとしての地位を築いていた。
2010年は一軍での出場機会は21試合にとどまったが,イースタン・リーグで首位打者を獲得。
その存在感をより発揮するようになったのは移籍3年目の2011年だろうか。
シーズン終盤にかけて川端慎吾,川島慶三,荒木貴裕と相次ぐ離脱。もうショートを守れる選手は森岡しか残されていなかった。10月29日チーム史上初のクライマックスシリーズファイナルステージ進出を決めた巨人とのクライマックスシリーズファーストステージ第3戦。7回裏に貴重な追加点となるタイムリーを放ち,5月26日対オリックス戦以来となるお立ち台に呼ばれた森岡。
「9年目の森岡ですけど、お立ち台、2回目で〜す!」「(タイムリーを打った瞬間は)おしっこ漏れそうでした〜!」と絶叫し,満員の神宮球場のファンを沸かせた。
2014年4月12日に右内腹斜筋損傷で一ヶ月ほど戦線離脱したが,それ以外は大きな故障もなく2012年から3年間常時一軍ベンチメンバー入り。ショートのスタメンとして,時にはスーパーサブとして3年連続100試合以上に出場。とりわけ古巣中日戦では無類の勝負強さを発揮してくれた。
2014年からは選手会長に就任。併せて背番号も「10」に変更された。
それでもショートの守備には粗さも持ちあわせており,森岡の守備にマウンド上のトニー・バーネットが怒りを露わにするという試合もあった。
2015年北海道日本ハムからFAで大引啓次が加入し,ベンチを温めることが多くなった森岡。8月17日には故障以外の理由では4年ぶりに一軍登録を外されてしまう。それでもチームに優勝へのマジックナンバーが点灯した9月28日に一軍に再登録され,選手会長として歓喜の優勝のビールかけの音頭をとった。
迎えた2016年。オープン戦では38打数14安打打率.368と絶好調だった。ところが―。
4月9日DeNA戦(横浜)の7回表杉浦の代打として登場し山口俊から今季2本目の安打となる右中間二塁打が,現役最後の安打となるなどこの時誰が想像したであろうか?
それ以降代打起用で凡退が続き,4月21日に登録抹消。交流戦前に再登録されるも6月8日に再び抹消。7月28日に登録されるも8月4日に抹消。
チームは川端慎吾,山田哲人,今浪隆博といった内野手に戦線離脱者が相次いだが,西浦直亨,谷内亮太,奥村展征といった若手にチャンスが与えられ,困った時の森岡に一軍からお呼びがかかることはなかった。これが森岡に退路を決意させたのであろうか。。
通算成績はプロ14年間で557試合 290安打 7本塁打 97打点 打率.241と決して突出したものではなかった。
それでも最後は引退試合と銘打たれたわけではないが,試合前にはチーム全員が森岡の背番号「10」のユニホームを着て練習し,満員札止めの神宮球場で10度胴上げされるなど盛大なセレモニーで送りだされたその人柄。そしてどんな状況でも先頭に立って声を出し,野球に対し真摯な姿勢で取り組むその姿。
「もうおなかいっぱいです」と晴れやかな表情が彼の野球人生を物語っていた。
スワローズで8年間ありがとうございました。そして14年間のプロ生活お疲れさまでした。
森岡良介年度別成績
年度 | 打率 | 試合 | 打席 | 打数 | 安打 | 二塁 | 三塁 | 本塁 | 打点 | 得点 | 盗塁 |
2003 | 中日 | .286 | 3 | 7 | 7 | 2 | 1 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 |
2004 | 中日 | .000 | 1 | 1 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 |
2005 | 中日 | .000 | 2 | 1 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 |
2006 | 中日 | .192 | 17 | 31 | 26 | 5 | 1 | 0 | 0 | 1 | 5 | 0 |
2007 | 中日 | .111 | 11 | 11 | 9 | 1 | 0 | 0 | 1 | 1 | 2 | 1 |
2008 | 中日 | .000 | 5 | 5 | 4 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 |
2009 | ヤクルト | .209 | 35 | 47 | 43 | 9 | 1 | 0 | 1 | 2 | 3 | 0 |
2010 | ヤクルト | .256 | 21 | 56 | 43 | 11 | 3 | 0 | 0 | 5 | 6 | 0 |
2011 | ヤクルト | .256 | 52 | 97 | 86 | 22 | 2 | 0 | 0 | 6 | 6 | 0 |
2012 | ヤクルト | .249 | 100 | 282 | 245 | 61 | 8 | 3 | 1 | 18 | 19 | 1 |
2013 | ヤクルト | .247 | 109 | 347 | 295 | 73 | 10 | 1 | 1 | 21 | 28 | 0 |
2014 | ヤクルト | .276 | 100 | 326 | 301 | 83 | 16 | 2 | 2 | 31 | 26 | 1 |
2015 | ヤクルト | .188 | 75 | 125 | 112 | 21 | 2 | 1 | 1 | 9 | 10 | 1 |
2016 | ヤクルト | .065 | 26 | 33 | 31 | 2 | 1 | 0 | 0 | 3 | 1 | 0 |
通算 | .241 | 557 | 1369 | 1204 | 290 | 45 | 7 | 7 | 97 | 107 | 4 |