2016年10月31日

ヤクルトが来季コーチ陣発表=プロ野球

 ヤクルトは31日、来季のコーチ陣を発表した。高津臣吾投手コーチが2軍監督に就き、石井弘寿2軍投手コーチが1軍に昇格。今季限りで引退した森岡良介氏が野手コーチ補佐に就任した。
 【1軍】▽監督 真中満▽ヘッド 三木肇▽投手 伊藤智仁、石井弘寿▽チーフ打撃 杉村繁▽打撃 宮出隆自▽外野守備走塁 福地寿樹▽野手コーチ補佐 森岡良介▽バッテリー 野村克則▽戦略兼投手コーチ補佐 押尾健一
 【2軍】▽監督 高津臣吾。[ 時事通信 10/31(月) 18:24配信 ] 

2017年コーチングスタッフについて
2017年のコーチングスタッフは次のとおりです。
一軍
監督 77 真中満
ヘッドコーチ 88 三木肇
投手コーチ 84 伊藤智仁
投手コーチ 98 石井弘寿
チーフ打撃コーチ 74 杉村繁
打撃コーチ 76 宮出隆自
外野守備走塁コーチ 73 福地寿樹
野手コーチ補佐 75 森岡良介
バッテリーコーチ 78 野村克則
戦略コーチ兼投手コーチ補佐 81 押尾健一

二軍
監督 99 高津臣吾
チーフ兼内野守備走塁コーチ 89 水谷新太郎
投手コーチ 72 小野寺力
打撃コーチ 82 松元ユウイチ
打撃コーチ 85 北川博敏
外野守備走塁コーチ 79 笘篠誠治
バッテリーコーチ 80 野口寿浩


明日で閉幕から一ヶ月。日本シリーズも終わり,ようやく来シーズンに向けた動きも本格化してきました。まずは組閣発表から。

真中体制3年目となる一軍は,高津投手コーチが二軍監督に就任し,その枠に石井弘寿二軍投手コーチが昇格。今季限りで現役を引退した森岡良介が野手コーチ補佐。押尾健一戦略コーチが投手コーチ補佐を兼ねる形に。
この順番からするに,伊藤智仁投手コーチがブルペンからベンチ担当に回り,石井弘コーチがブルペン担当ということになるのでしょうか。
三木ヘッドコーチは兼任していた内野守備走塁コーチの肩書が取れたため,森岡野手コーチ補佐が内野守備走塁面を担当し,一塁のコーチャーボックスに入る可能性も?!

大きく変わったのは二軍。
退任が発表されていた成本年秀二軍投手コーチ,芦澤裕二二軍バッテリーコーに加え,宮本賢治二軍監督が退任し松井勇典氏の後任としてファームディレクターに就任。斉藤宜之二軍打撃コーチが再びフロント入り(スカウト復帰?)。

72.小野寺力
二軍投手コーチとして5年ぶりとなるヤクルトに復帰。指導者としては未知数ですが,西武では小野寺ファーム投手兼育成コーチの就任から大石達也が一軍に定着するようになったとも言われているようなのでその手腕に期待。

85.北川博敏
2015年までオリックスの一軍打撃コーチを務めていた北川氏。2001年日本シリーズで対戦した大阪近鉄がリーグ優勝を決めた試合で劇的なあの伝説の代打逆転サヨナラ満塁本塁打を放ったことで有名。真中監督とは日本大学時代の後輩に当たり,大引坂口近藤らとも元チームメイト。は北川コーチの就任で松元ユウイチコーチと左右のバランスが取れたように感じます。背番号はミレッジがつけていた「85」。

80.野口寿浩
1998年開幕直前に城石憲之現日本ハム打撃コーチとのトレードで移籍した野口氏が実に19年ぶりにスワローズ復帰。古田敦也の控えに甘んじていたが,移籍先の日本ハムでレギュラーを掴み,阪神時代には矢野輝弘のサブとして2度のリーグ優勝に貢献。出場機会を求め横浜にFA移籍。4チームを渡り歩いた経験があるが,指導者としては初めて。
中村悠平西田明央がおり向こう5〜10年は安泰と思われるポジション。まず一軍に呼ばれることのないベテランと若手の捕手をどう競わせ,どうモチベーションを与えるか。それが野口コーチに課せられた使命のように感じます。
背番号は小川SDが1996年から2014年まで背負った「80」。3年ぶりに解禁されます。。

水谷新太郎二軍内野守備走塁コーチがチーフを兼任する形で高津二軍監督を支える形に。
ただし投手面は高津二軍監督が投手を指導できる立場であるとはいえ,投手コーチ1人制を敷くとはどうも考えられない。
ロッテ 小谷2軍投手コーチが退団、辞意申し出 若手育成に手腕
 ロッテは31日、小谷正勝2軍投手コーチ(71)の退団を発表した。小谷コーチからの辞意申し出を球団が受理した。横浜(現DeNA)、ヤクルト、巨人でコーチを歴任し、13年にロッテ入り。コーチ歴30年を超える名伯楽は、若手投手の育成に力を注いできた。 [ スポニチアネックス 10/31(月) 20:49配信 ]

米野、荒張ら引退=プロ野球・日本ハム
 日本ハムは30日、米野智人(34)、荒張裕司(27)両捕手が今季限りで現役を引退すると発表した。
 米野は札幌市内で会見し、「リーグ優勝して日本一になったチームで野球人生を終えられることは本当に幸せだと思う」と語った。兼任していた2軍バッテリーコーチ補佐からも退く。[ 時事通信 10/30(日) 18:03配信 ]

それぞれ二軍チーフ投手コーチ,二軍バッテリーコーチ補佐の就任があるのか否か。気になります。

例年通りだと明日には交流戦,明後日にはセ・リーグ公式戦の日程が発表されるはずです。

追記
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2016年10月20日

【ヤクルト】単独指名1位寺島ら、150キロ超投手ズラリ

 ドラフト1位で単独指名に成功した高校ナンバーワン左腕、寺島成輝(18)ら、指名した6人中5人が投手という顔ぶれになった。
 中尾まで続いた上位指名4投手は、いずれも最高150キロ台をマークする本格派。一転して6位の菊沢は28歳、軟式チームでプレーする隠し球「ハンカチ世代最後の男」だ。
 単独指名に成功した真中監督は、昨年の勘違いガッツポーズを振り返り「個人的には抽選がなくて良かった」と語った。
 ◆指名選手◆
 1位・寺島 成輝 (履正社、投手、左左)
 2位・星 知弥 (明大、投手、右右)
 3位・梅野 雄吾 (九産大九産、投手、右右)
 4位・中尾 輝 (名古屋経大、投手、左左)
 5位・古賀 優大 (明徳義塾、捕手、右右)
 6位・菊沢 竜佑 (相双リテック、投手、右右)
[ スポーツ報知 10月20日(木)21時11分配信 ]

昨年は早々から高山俊の1位指名を公表していたが,今年は他球団との駆け引き合戦。
今朝のサンスポには「桜美林大の最速153キロ右腕・佐々木千隼投手(4年)、東京ガス・山岡泰輔投手(21)、作新学院高・今井達也投手(3年)の3人まで絞った」とあったが,結果的には見事な三味線。
しかし終わってみればスポニチだけに「ヤクルト、履正社・寺島一本釣りも 先発左腕駒不足解消へ」とすっぱ抜かれていたと。。

1位 寺島成輝(履正社高・投手)
履正社・寺島はヤクルトが単独1位指名
 履正社(大阪)寺島成輝投手(3年)はヤクルトが単独1位指名した
 最速150キロを誇る高校NO・1左腕。今夏甲子園に出場しU18アジア選手権でも高校日本代表の主力投手として優勝に貢献した。緩急自在の巧みな投球術と度胸満点のプレートさばきで高校生ながら即戦力として評価されていた。[ 日刊スポーツ 10月20日(木)17時32分配信 ]

履正社・寺島「山田さんと野球できるのがうれしい」
 ヤクルトから1位指名を受けた履正社・寺島成輝投手(3年)は指名の感想を問われると、真っ先に高校の大先輩の名前を口にした。
 「山田さんと野球を出来ることがうれしい。(山田は)雲の上の存在。まだ一緒には野球できないかもしれないけど、出来る環境にはある」。2年連続トリプルスリーを達成した山田との競演を思い描いた。[ 日刊スポーツ 10月20日(木)17時46分配信 ]

外れ外れ1位が招いた山田哲人との縁。履正社高校から高校NO.1左腕の一本釣りに成功!
素材は一級品。あとはどう育てられるか。キャンプは一軍なのか二軍なのか。小笠原慎之助のように交流戦頃のデビューを目指すのか。じっくりいくのか。重大な使命(指名)ですよ。
1998年7月30日生まれ。その日は試合が無かったのでその前日のスタメン。
G飯田F真中C土橋A古田B副島D池山H山部→稲葉E宮本@エーカー
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2位 星知弥(明治大・投手)
【ヤクルト2位】明大・156キロ右腕「やってやるぞという気持ちです」星知弥
 ヤクルトからドラフト2位指名を受けた明大の156キロ右腕、星知弥投手(22)が20日、4年間同じユニホームで戦い、ドラフト1位で中日入りした柳との対戦を熱望した。大学時代に慣れ親しんだ神宮でプレーできることになり「やってやるぞという気持ちです。(柳は)同じセ・リーグでできるので、投げ合いたい気持ちが強いです」と力を込めた。
 星は宇都宮工時代は甲子園出場なし。真中監督は同じ栃木県出身だ。明大では川上憲伸、野村祐輔らが背負った11番を継承した。3年までは未勝利だったが、4年になって通算3勝をマークしている。[ スポーツ報知 10月20日(木)19時9分配信 ]

明治大学からは2003年ドラフト6巡目佐藤賢以来の指名。真中監督,飯原,成瀬と同郷栃木県出身。2014年まで在籍した又野知弥と同名。
最速156km/hながらコントロールは??ということで五十嵐亮太のように中継ぎとしてストレートでおしていくタイプかな?!

3位 梅野雄吾(九産大九産高・投手)
九州産・梅野「上位でうれしい」ヤクルト3位に笑み
 九州産の最速154キロ右腕、梅野雄吾投手(3年)が、ヤクルト3位指名に笑みを浮かべた。
 福岡市内の学校で会見に臨んだ梅野は「3位という上位で指名してもらってうれしい。ヤクルトは明るい球団というイメージだし、楽しみです」と終始白い歯を浮かべた。
 目標とするプロ野球選手は、広島の大瀬良で「短いイニングで勝負できる投手になりたい。新人王が取りたいです」と抱負を口にしていた。[ 日刊スポーツ 10月20日(木)19時28分配信 ]

3位は梅ちゃん先生。甲子園出場は無いものの昨秋福岡大大濠高との県大会準決勝でノーヒットノーランを達成しているという右腕。ストレートで押す投球スタイルで高校生ながら即戦力という声も。「プロでは短いイニングを投げたい。セーブ、ホールドでいい数字を残したい」と最初から中継ぎを公言しているのも強み。活かしたい!
1999年1月13日生まれ。宇多田ヒカルの『Automatic』が流行し出した頃に生まれたという・・「七回目のベルで受話器を取った君 名前を言わなくても声ですぐ分かってくれる」の歌詞分からないよね。。

4位 中尾輝(名古屋経済大・投手)
中尾姓は2011年まで在籍した中尾敏浩以来。
名古屋経済大学は愛知大学リーグ2部所属。無名ながらも左上手からMAX148km/hのストレートでグイグイ攻める左の剛腕。
ここまでヤクルトに足りない速球派投手でみっちりと固めてきた。

5位 古賀優大(明徳義塾高・捕手)
ヤクルト5位の明徳義塾・古賀に恩師の馬淵監督エール「頑張れば稼げる世界」
 明徳義塾の古賀優大捕手(18)が、ヤクルトから5位指名された。グラウンドでの練習後、寮で吉報を受けると「すごく緊張していたので、指名されてほっとした」と笑顔。そして「将来、ジャパンの正捕手になれるように頑張りたい」と力強く目標を語った。
 強肩強打の捕手で、二塁送球は最速1・78秒を誇る。今夏の甲子園では16打数10安打の大活躍でチームをベスト4に導いた。目標の選手には、明徳義塾の先輩で同じ捕手のオリックス・伊藤光の名を挙げる。チームメートから胴上げで祝福された古賀は馬淵史郎監督(60)ともガッチリ握手。馬淵監督は「厳しいけど頑張れば稼げる世界。必死でやってほしい」とエールを送った。[ デイリースポーツ 10月20日(木)21時28分配信 ]

田中雅彦に戦力外を通告し,中村悠平西田明央と20代の捕手が凌ぎを削るチーム事情。捕手はあくまで将来性を重視。まずは焦らずじっくりファームで試合経験を積むことから。山川への刺激にもなる。
1998年8月7日生まれ。恒例その日のスタメン。
C辻G真中F副島A古田D池山H山部→稲葉B度会E城石@川崎
西武とヤクルトの監督が1・2番を組む。予告先発が定着し偵察メンバーというのもそろそろ通じなくなるでしょうか。

6位 菊沢竜佑(相双リテック(軟式野球)・投手)
ヤクルト隠し玉!佑世代、早起き野球の菊沢6位指名
 ヤクルトに隠し玉がいた。早起き軟式野球のMVPエースを6位で指名した。
 軟式野球の相双リテック(福島県)菊沢竜佑投手(28歳=立大出身、183センチ、85キロ、右投げ右打ち)だ。最速148キロの直球とスライダー、カーブ、シュート、フォークを操る。
 マー君や斎藤佑樹らと同世代。秋田高時代から注目されていた右腕は立大に入学。1年春からリーグ戦登板を果たした。2年時に初勝利を挙げるなど期待されたが故障などもあり通算14試合登板で1勝1敗に終わった。卒業後は横浜金港クラブでプレー。都市対抗出場まであと1歩という健闘を見せた。その後は米独立リーグでもプレーした。
 相双リテックは東日本大震災で被災したいわき市にあり、地域の復旧・復興を目指すための「設計・施工・管理」を統合した地域密着型の会社として設立された。
 菊沢は8月に行われた福島県早起き野球大会で優勝しMVPを獲得。9月の全日本軟式野球大会では準決勝で無安打無得点を達成し準優勝を果たした。
 指名を受けた菊沢は「華々しい実績がなくて、レールを踏み外した野球人生。でも夢の途中でくすぶっているような、そういう人に夢を与えるピッチングをしていきたい」とあきらめずつかんだプロへの扉を喜んだ。[ 日刊スポーツ 10月20日(木)18時58分配信 ]

隠し玉ながら今朝の段階で漏れていたのですが・・・
東京六大学〜社会人野球〜米独立リーグと渡り歩いた苦労人。田中将大,斎藤佑樹同世代も来年29歳。もしかしたら菊沢が昭和生まれ最後のドラフト指名選手になるのかも・・

育成1位 大村孟(石川ミリオンスターズ・捕手)
育成でも捕手を指名。となると藤井は野手転向ということになるのでしょうかね。

終わってみれば投手5・捕手2というドラフトに。となると野手はFAである程度目星がついているということなのでしょうか???!

ドラフト当夜恒例の背番号予想行きましょうか。
空き番:(6)・7・10・13・15・23・(27)・28・34・{35}・38・39・{40}・57・58・61・64・66・69。
()は名誉番号。{}は育成のために空けておくと思われます。

寺島は出世番号「23」でしょう。青木山田とすっかり野手のイメージですが,それ以前は藤井秀悟戎信行酒井圭一ら投手が背負っていました。そして何より山田の後輩。これ以外の番号が浮かびません。
星には明治大学の先輩佐藤賢打撃投手も背負っていた「13」で。
梅野に「57」。中尾は左腕ということで「34」「61」あたりを。
古賀は明徳義塾ということで森岡がつけていた「68」。山中を「28」「38」あたりに軽くしてあげて。
菊沢は「66」あたりに落ち着くのではないでしょうか。

背番号絡みでは今浪「59」→「10」,坂口「42」→「7」,竹下「22」→「64」あたりも考えられるでしょうか?!
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2016年10月07日

ヤクルトの田中浩が戦力外=プロ野球

 ヤクルトは7日、田中浩康内野手(34)に戦力外通告をしたと発表した。本人は現役続行を希望している。山田の台頭で近年は出場機会が減り、今季は31試合で打率1割8分8厘にとどまった。
 小川シニアディレクターは「指導者として戦力になってほしいと伝えたが、本人の現役続行への強い希望があった」と話した。[ 時事通信 10月7日(金)17時52分配信 ]


第一次戦力外通告期間ギリギリでの通告。ヤクルト球団としては異例中の異例の出来事となった。
異例と言ったのは過去に一度だけ2009年大塚淳(現ブルペン捕手)内野手に対して,第二次通告期間での通告があったからだ。しかしこれは10月に行われるフェニックスリーグに派遣出来る選手がギリギリの8人(一軍はクライマックスシリーズを控えており,故障離脱者も多数)という事態に陥っており,フェニックス終了後スタッフとして契約したもの。
それほどまでに熟考を重ねた上での,田中浩康本人の決断および答えだと思います。

現役に対する未練―ベストナインおよびゴールデングラブまで獲得したことのある選手なだけに選手としての自負もあるだろう。
指導者のポストを断ったこと―もし浩康に妻子がいたならば安定を選んだのかもしれない。自由が効くという気持ちはなんとなく理解出来る。

ただコーチにも枠がある以上再びヤクルトに帰ってユニフォームを着ることが確約されたわけではない。広島石井琢朗打撃コーチのように移籍先でそのままコーチに就任する例もある。
かつて事実上の戦力外を無償トレードもしくは金銭トレードという呼び方をしていたが,これに近いのではないか。坂口智隆が合同トライアウトを経由せずヤクルトに移籍したように水面下の動きがあって,中村紀洋や松中信彦のようにはならないと信じているが…

7.田中浩康(2005-2016)
2004年ドラフト自由獲得枠で早稲田大学より入団。背番号は「7」。

開幕一軍入りを果たした田中。2005年4月6日対中日戦(神宮)10回裏鈴木健の代走でプロ初出場。プロ初打席は4月10日対広島戦(広島市民)7回表。山本樹の代打で出場し大竹寛の前にショートゴロ。5月4日対中日戦(ナゴヤドーム)7回表朝倉健太からプロ初安打を放つ。
しかし出場機会をあまり得られないまま5月30日に登録抹消され二軍で実戦経験を積むことに。8月にはイースタン・リーグ月間MVPを獲得した。

2006年はオープン戦から結果を残し,3月31日対阪神戦(大阪ドーム)2番セカンドで自身初の開幕スタメンの座を掴みとったが,当時の内野にはファーストアダム・リグス,セカンドグレッグ・ラロッカ,サード岩村明憲,ショート宮本慎也というレギュラー陣がおり,前半は控えの内野手として一軍と二軍の往復が続いていた。プロ初打点は6月11日対ソフトバンク戦(ヤフードーム),プロ初本塁打は8月4日対中日戦(神宮)で佐藤充から。翌8月5日対中日戦(神宮)にプロ初犠打を決めている。
8月16日にラロッカが左膝を,20日に宮本が左脹脛を痛め相次いで離脱(当時の古田敦也監督の方針により詳しい症状は明かされず)したことで田中は一軍に定着。最終的に75試合に出場,打率.266,5本塁打,22打点の成績だった。

ラロッカの退団でレギュラーを完全に掴んだ2007年。早稲田大学で1学年先輩青木宣親と1・2番コンビを組み,132試合に出場。打率.295,5本塁打,51打点。51犠打、8三塁打はいずれもリーグトップ。入団3年目にしてセカンドのベストナインにも選出された。

青木ほどの派手さはないが,堅実な田中もまたスワローズの顔となっていく。
2008年はチームでただ一人全144試合に出場。打率.290,5本塁打,50打点。セカンドでリーグトップの守備率.995をマークするほどの堅守を誇るも,ゴールデングラブ賞は荒木雅博(中日)の前に阻まれていた。

2009年は打率.258,4本塁打,35打点と成績を下げたが,リーグ最多の38犠打でつなぎに徹し,守備でも積極的にボールに飛びつくプレーで幾度となくチームのピンチを救った。守備率も.996で2年連続リーグトップ。

前年の課題を乗り越え自身初の打率.300をマークした2010年。リーグ3位の67四球を選び,出塁率は.385と高い数字を残す。守備では堅実ぶりが災いしイージーミスも。今度は派手なファインプレーが印象強い平野恵(阪神)にゴールデングラブ賞を奪わることに。

チームが躍進を続けた2011年。打撃こそ打率.252と下げてしまうが,歴代3位となるシーズン62犠打でチームに貢献した。

2012年6月23日巨人戦(東京ドーム)には通算250犠打を達成。出塁率はリーグ9位の.354,得点圏打率はリーグ4位の.313などチームの2年連続クライマックスシリーズ出場に貢献。自身5年ぶり2度目となるベストナインに選出される。
そして何よりようやくその堅守が認められ,念願かつヤクルトの二塁手としては史上初となるゴールデングラブ賞を受賞。充実の1年を終えオフには総額2億5000万円(推定)で新たに2年契約を結んだ。

そして春のキャンプではチームのキャプテンに任名される―。左胸に光る「C」のマーク。ここから田中の野球人生は転機を迎えた―。
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浩康自身初めてとも言えよう極度の打撃不振。打率は.200前後を彷徨う日々。さらにチームは交流戦を境に最下位に転落。奇しくも田中の31歳の誕生日である5月24日に一軍登録から抹消されることになる。

2007年からの6年間で一軍を外れたのは左脹脛痛で離脱した2009年10月3日〜16日の僅か2週間のみ。「東京タフガイ」と名乗るほど故障にも強い選手が,故障以外で一軍を外れるのは田中にとって実に7年ぶりだった。それでもこの時点では多くのファンは10日間程度のリフレッシュ期間だろうと捉えていた。。しかし・・・

翌25日に一軍昇格したのが山田だった。その日に行われた対ソフトバンク戦(神宮)7番セカンドでスタメン出場するとマルチ安打。29日対オリックス戦(神宮)では「プロ3年目の山田です。僕が起爆剤になってチームを盛り上げていきたいと思います!」とまだまだあどけない20歳の青年がお立ち台デビューを飾っていた。

大方の予想通り6月8日に再び一軍に戻ってきた浩康。
そして田中にとっても山田にとってももっといえばチームにとっても転換期となった試合が6月9日北海道日本ハム戦(神宮)だったのではないだろうか。今改めて振り返ると・・

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この日のスタメンはE山田G比屋根FミレッジHバレンティンB畠山A相川C田中浩D荒木@ラルー。対する日本ハムは2番E大引5番H大谷7番C今浪。

ラルー神宮初登板で盛り上がった試合。しかし試合内容はお寒いものだった。
計6失策を犯し早くも自力優勝消滅。ショートスタメンの山田は送球エラーにお手玉に落球と3つのエラー。山田を使うならセカンドという方向性が見出されたと同時に,浩康の居場所が無くなった。
このまま山田は自己最多の94試合に出場し打率.283,3本塁打,9盗塁。一方で浩康は97試合で打率.225。8年ぶりに本塁打0に終わった。

山田が日本人右打者年間最多安打記録を塗り替えた2014年。5月13日対巨人戦(東京ドーム)でサード, 6月11日対東北楽天戦(コボスタ宮城)ではファーストでスタメン起用されるなどセカンド以外の出場機会を得たが,レギュラー奪取には至らず。全試合一軍登録されていたが,77試合の出場に終わる。

2015年は更なる出場機会を探るべく外野手にも挑戦するなど82試合に出場したが打率は.201。優勝争いが佳境にさしかかった9月20日には山中浩史の登録に伴い出場選手登録抹消される屈辱もあった。10月1日に再登録され,優勝を決めた阪神戦(神宮)では同点の延長11回裏1死一三塁一打サヨナラの場面で代打出場。前進守備に阻まれこそしたが球場全体からこれ以上ないほどの大声援を背に受けた。

海外FA権を行使した上で残留した2016年だったが,出場は31試合。スタメン起用されたのは5月4日,5日対DeNA戦(横浜)の2試合のみ。打率は.188と.200を切る状態で,7月23日に登録を抹消されるともう一軍からお呼びがかかることもなかった。
8月10日山田が左第八肋骨骨挫傷で抹消され,およそ3年ぶりに一軍のセカンドのポジションが空いたにも関わらず,そこを守ったのは谷内亮太,奥村展征という若手選手。浩康に出番すら与えられなかったというのはあまりに非情だった。

2013年6月9日―山田と田中が入れ替わることを余儀なくされたあの守乱。
もし山田が送球に難を抱えていなければ,ショートとして起用されていたかもしれない。そうすれば田中は今でもセカンドでいぶし銀のプレーを魅せていたかもしれない。そうなれば大引啓次の獲得はなかっただろうし,かといって山田がセカンドに転向していなければ2年連続トリプルスリーという偉業だって生まれていなかったかもしれない。。

人生どう転ぶかなんて誰にも分からない。浩康の今後の野球人生だって現時点では誰にも分からない。それでも浩康自身が決断した道。浩康が選んだ道なのだから後悔なんてないはず。

スワローズでの12年間。1195試合に出場。打率.270,30本塁打,328打点。293犠打は歴代6位。この記録はまだまだ伸びるものと信じている。

浩康自身の明日を掴め 輝け浩康
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2016年10月01日

新垣ら戦力外=プロ野球・ヤクルト & 森岡が引退=プロ野球・ヤクルト

 ヤクルトは1日、新垣渚投手(36)と来季の契約を結ばないと発表した。新垣は2014年途中にソフトバンクから移籍。今季は6試合登板で1勝2敗に終わった。
 木谷良平(27)、寺田哲也(29)、中元勇作(27)、田川賢吾(22)、児山祐斗(21)の5投手と、田中雅彦捕手(34)、松井淳(28)、川上竜平(23)の両外野手にも戦力外通告した。
 成本年秀2軍投手コーチ、芹沢裕二2軍バッテリーコーチも退団する。[ 時事通信 10月1日(土)15時49分配信 ]
  
惜別メッセージ2016です。。

35.田川賢吾(2013-2016)
高知中央高校から2012年ドラフト3位入団。
ドラフト時の戦評には,「187cmの長身から投げ下ろす最速148km/hのストレート大型右腕で,打者としても高評価」とあった。

1年目はイースタンで3試合に登板。0勝1敗防御率9.00。
2014年4月10日に腰椎椎間板ヘルニアの摘出手術を受けた影響で2014年は登板なし。
2015年に2年ぶりの実戦復帰を果たしたが,3試合0勝1敗防御率8.44。

それでも2016年3月21日埼玉西武戦(戸田)で中継ぎとしてファーム初勝利。8月16日巨人戦(東京ドーム)では先発として杉内俊哉と投げ合い5回無失点で勝利投手になるなど,順調に回復と成長を見せているものだと思ったが…。19試合に登板も,2勝3敗防御率7.28。投げられるようにはなったが数字が物語ってしまうのだろうか。

38.寺田哲也(2015-2016)
作新学院大学を卒業後,独立リーグ新潟アルビレックスBB〜香川オリーブガイナーズとわたり歩き2014年ドラフト4位で入団。新潟時代には主戦投手として2012年独立リーグ日本一に貢献。最多勝,最優秀防御率,最多奪三振のタイトルも獲得しており,即戦力投手を求める現場の要望が反映された指名となった。

2015年5月9日に一軍登録されたが,登板機会なく5月13日に抹消。そして8月27日巨人戦(神宮)で登録即先発。プロ初登板は3回を投げて勝ち負けつかずという内容だった。
しかしこの寺田の3イニングながなければチームは優勝出来なかったかも知れない。巨人−阪神−巨人と続く試練の8試合の3試合目。山中浩史の離脱で先発が一枚足りない中で,制球に苦しみながらも巨人打線にホームを踏ませず,チームは8回裏2死から勝ち越しに成功。見事同一カード3連勝を飾ることが出来たのだから…。

今年は開幕直後の2016年3月31日に徳山武陽がインフルエンザA型に感染し緊急昇格。4月6日広島戦(マツダ)で背筋痛を訴えたデイビーズの代役先発を託されたが,2回持たず6失点KOで敗戦投手に。翌日抹消されると,その後一軍からお呼びがかかることはなかった。。

通算2年間で3試合 0勝1敗 防御率10.80。その数字以上に強く印象に残っている選手。

39.中元勇作(2015-2016)
伯和ビクトリーズから2014年ドラフト5位入団。
「左スリークォーターで打者からは球の出所が見にくい投球フォームが特徴。細身だがストレートのキレ良くスライダー・チェンジアップの精度も良い」というスカウト評。

ルーキーイヤーはファームで中継ぎとして42試合に登板。2勝4敗防御率4.67。7月7日楽天戦(戸田)では野手不足によって代走としても出場していた。
しかし今季は春季キャンプ中に謎の帰京をし,そのままシーズン通して登板なく,戸田でランニング中心のメニューをこなす日々だった。「野球は続けないと思う。肘の状態も良くないし、治りきらないままだった」と現役引退を表明。

中日落合博満GMによるここ3年間の社会人,大学,独立リーグ出身の即戦力偏向ドラフトが槍玉にあげられているが,2014年のヤクルトも同様に即戦力投手を7人中5名指名しているが,この2年間誰一人としてプロ初勝利を挙げておれず,5人合わせても231/3イニングを放ったのみの現状。これで早くも2名が退団することになる。

61.児山祐斗(2014-2016)
岡山関西高校から2013年ドラフト5位入団。
「テイクバックが小さく,球持ちがいいフォームから最速140km/hのストレートと,スライダー,カーブを操る」ということで,かつて石井弘寿がつけていた背番号「61」を与えられた期待の左腕。

一年目は左肩痛の影響もあって登板は6試合0勝1敗防御率1.80。それでも真中満新監督が就任した直後の松山秋季キャンプに抜擢されると,翌2015年の浦添キャンプからオープン戦を通じて一軍帯同を果たすなど監督の評価は高かった。

しかしイースタンの成績は2015年が17試合4勝5敗防御率5.07。2016年は19試合0勝3敗5.73と思ったように伸びてこなかった。これはファームの育成面に問題があるのではないか。

優しい顔をしており,その応対からは実直さ素直さがひしひしと伝わってきた。その従順さゆえに,あれこれ自分と葛藤してしまった面があったのだろうか…

16(2012-2015)64.木谷良平(2016)
九州共立大学から2011年ドラフト2位指名。背番号は2007年ドラフト1位加藤幹典から剥奪する形で「16」が与えられた。

ルーキーイヤーの2012年は二軍で16試合2勝4敗防御率6.48と即戦力としては振るわなかった。

2年目の2013年5月31日にプロ初の一軍登録を果たすと,6月3日ロッテ戦(QVCマリン)で2番手としてプロ初登板。3イニングを無失点に抑え,小川淳司監督から「今日ぐらい投げてくれれば,登板のチャンスは出てくるんじゃないか」と及第点を与えられると,その後は主にロングリリーフとして起用。
6月25日DeNA戦(神宮)でプロ初ホールドをマーク。7月12日広島戦(神宮)では9-7と乱戦の4番手として6回表から登板。2イニングを打者6人完全パーフェクトピッチでプロ初勝利を手にした。8月16日阪神戦(京セラドーム大阪)でプロ初先発。勝ち負けこそつかなかったが,変化球を軸に打たせて取るピッチングで7回を新井貴浩の本塁打による1失点のみにまとめてみせた。

以降先発ローテーションに定着し,シーズン終了までに先発で2勝を挙げた。思い起こせば宮本慎也の引退試合の先発は木谷だった。
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2014年は開幕こそ一軍から外れたが,シーズン最初の登板となった4月13日DeNA戦(横浜)7回2失点で勝利投手になると,そこから5月23日埼玉西武戦(西武ドーム)までにこの時点でチームトップとなる4勝をマーク。開幕投手を務めた小川泰弘の骨折離脱など苦しむ投手陣の中で実質エース級の働きをしてきた。
ところがこの試合を境に序盤から打ち込まれるようになり,防御率は5点台後半まで悪化。7月からはリリーフに回ったがそれでも投球内容は安定せず。8月26日広島戦(マツダ)で自身約2ヶ月ぶりの先発に復帰も,1回持たず7失点KO。翌日に登録抹消となった。

2015年も浦添キャンプスタートだったが,登板は6月3日東北楽天戦(神宮)と8月13日広島戦(マツダ)の2試合計3イニングのみに終わる。

背番号「16」は剥奪され「64」に変更された2016年。8月5日阪神戦(神宮)で初登板したが,ゴメス・原口に連続安打,江越に犠打。北條は三振に奪うも,代打狩野に四球を与え,2死満塁と3人の走者を残したところで降板。リリーフした成瀬善久が高山にタイムリーを浴びたため,2/3イニング2失点 防御率27.00という数字が残ることに。

独特のフォームは二段モーションの指摘もあった。このあたりも木谷の野球生活に少なからず影響してしまったのだろうか。。

45(2014)66.新垣渚(2015-2016)
2014年7月20日。川島慶三,日高亮との交換トレードで福岡ソフトバンクから山中浩史と共に移籍してきた。
8月9日対DeNA戦(横浜)で移籍後初登板初先発。初回先頭打者に四球,暴投などもあり2失点。結局4回5安打3四死球5奪三振4失点で敗戦投手に。
続く8月16日対中日戦(ナゴヤドーム)でも3回7安打4失点で敗戦投手で二軍降格となったが,この試合でセ・リーグタイ記録の1試合4暴投を記録。1試合4暴投以上をセ・パ両リーグで記録したのは史上初。さらに自身3度目となりこれはチームメイトとなった高井雄平の2度を抜き最多という珍記録を樹立した。

オフには自らの意志で背番号を66に変更した。ここにはホークスでチームメイトだった沢村賞右腕斉藤和巳氏への念があったのだろう。

2015年の初登板となった4月9日対中日戦(神宮)で5回を8安打2失点。自らに代打が送られた5回裏に味方が3点を入れ逆転しそのまま勝利したため,ソフトバンク時代の2013年8月20日以来新垣自身2年ぶり,移籍後初勝利をマーク。8月8日対中日戦(ナゴヤドーム)で4回4失点。シーズン10敗目を喫し翌9日に抹消されるまでほぼローテーションを守り続けた。3勝10敗 防御率4.64とはいえ新垣の3勝無くして優勝はなかった。

2016年の初登板初先発となった4月28日広島戦(神宮)で勝利投手となったのがスワローズでは最後の勝利に。5月10日広島戦(神宮)で通算1000奪三振,5月17日広島戦(マツダ)では史上3人目となる通算100暴投を記録した。

他球団での現役続行を目指すとのこと。岐路に立たされてきた松坂世代。。

28.田中雅彦(2013-2016)
2013年3月25日川本良平との交換トレードで千葉ロッテから移籍。背番号は川本がつけていた「28」。
正捕手相川亮二の故障もあって早速スタメン出場の機会が増えていく。しかし5月12日対阪神戦(松山)でマット・マートンのタックルを受け負傷交代。左鎖骨骨折が判明し,離脱を余儀なくされた。

2014年は田中自身ロッテ時代の2007年以来となる一軍出場無しに終わった一方でファームでは怪我人続出もあって,捕手ではなく内野手としての出場が増えていた。

2015年も前半戦は二軍での出場が中心だったが,西田明央に実戦経験を積ませるという方針もあって6月30日に一軍昇格。捕手2人制ということもあり年間の出場試合数は僅か6試合だったが,二番手捕手として中村悠平のバックアップに専念。まさに縁の下の力持ちとしてチーム14年ぶりの優勝を陰で支えてくれた。

今季は再び一軍登録なく言い方悪いが最年長かつ外様の捕手がチームを去ることに。。野口祥順,米野智人,細見直樹,川島亮,青木宣親,佐藤賢,塚本浩二,正田樹という昭和56年度世代もこれで在籍0となってしまう。。

57.松井淳(2010-2016)
日本大学国際関係学部から2009年ドラフト5位で入団。大学で同期の麻生知史も育成ドラフト2位で指名された。背番号は「57」。

2011年6月14日対埼玉西武戦(神宮)で一軍初出場。3回裏に山岸穣の代打で登場し岸孝之から三振を喫した。

2012年5月31日に一軍昇格。6月2日対ソフトバンク戦(ヤフードーム)9番指名打者としてプロ初となるスタメン出場。6月6日対オリックス戦(京セラドーム)に木佐貫洋からプロ初安打。すぐさまプロ初盗塁も決めた。6月8日対千葉ロッテ戦(神宮)で宮出隆自の代打として出場すると,中郷大樹からセンター前にタイムリーを放ちプロ初打点。6月10日対埼玉西武戦(神宮)で牧田和久からプロ初本塁打を放った。
その瞬間の傘の花
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6月13日対東北楽天戦(クリネックス宮城)ではあの田中将大からも本塁打を放ちこの年の交流戦で大ブレイク。しかし8月30日対広島戦(神宮)で今村猛から第5号本塁打を放った翌日の打撃練習中に左手母指球痛を訴えると,左手親指付け根靭帯損傷が判明し登録抹消となってしまったが,46試合に出場し5本塁打 15打点 打率.287。

期待のホープとしてレプリカユニフォームも発売され2013年3月29日対阪神戦(神宮)の開幕スタメンにも名を連ねた。しかしその期待とは裏腹にそこまでの結果を残せず投手補充のため4月4日に登録抹消,二軍調整に。そこで不思議なほどのハイペースで死球を受けた。挙句の果てに 6月に左尺骨骨折が発覚し,一軍復帰はシーズンも最終盤の9月25日に。この年は開幕戦を含め僅か11試合の出場に留まってしまう。

その後2014年10試合→2015年7試合→2016年2試合と一軍出場試合数は年々減少。
思い切りの良いフルスイングが魅力の和製長距離砲も,ファームの指導者の方針なのか?そのスケールが小さくなっていくのが明らかだった。それともあの死球が彼の良さである思い切った踏み込みに恐怖心を与えてしまったのだろうか。。

29歳にして現役引退を決意したという松井。神宮球場で彼のプロ初本塁打と最後の一軍出場を見届けたのも何かの縁だろうか。
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36(2012-2015)69.川上竜平(2016)
青森・光星学院(現八戸学院光星)で第93回全国高等学校野球選手権大会準優勝。3年夏の甲子園では3本塁打を放つなど高校通算27本塁打を放った川上。
2011年ドラフトで,高橋周平の外れ1位として指名。高校時代は外野手で,その身体能力の高さから投手も務めていたが,池山隆寛→川端慎吾と受け継がれてきた背番号「36」が与えられたように,将来の大型ショートとしての期待が懸けられていた。

1年目は左手首を痛め出遅れ,44試合 103打数18安打 本塁打1 打点6 打率.175。内野手として登録されたものの実戦は外野手のみでの出場に。

2年目81試合 131打数35安打 本塁打0 打点14 打率.267。打撃の確実性は上がったが事実上外野手の控えで終わる。

3年目76試合 216打数 41安打 本塁打1 打点16 打率.190。

4年目は怪我人が多いチーム事情もあって,外野以外にセカンドショートでの出場機会を与えられるなど95試合に出場。265打数 54安打 3本塁打 18打点 打率.204。

背番号「36」は智辯学園からドラフト2位入団の廣岡大志に奪われ「69」に変更となり背水の陣で迎えた5年目も82試合 159打数30安打 0本塁打 11打点 打率.189。

高校時代ともにクリーンアップを組んでいた一学年下の田村龍弘(ロッテ)北條史也(阪神)とは対照的に成績は一向に上向く気配を見せなかった。
体質なのかプロとしての身体つきになかなかなっていかなかった。試行錯誤したという打撃フォーム。入団時とは異なるポジションでの起用など,その指導法が一貫しなかったという面は気の毒にも感じる。
ヤクルト球団のドラフト1位指名選手が一軍出場0試合でのまま退団となるのは1996年伊藤彰以来史上2人目となった。
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ルーキーイヤーの川上。彼の左後ろに山田哲人というのがあまりに対照的に映ってしまう。。

86.成本年秀(2015-2016)
2007年以来8年ぶりにコーチ復帰。しかしこの2年間一体誰を育てたというのでしょうか?しかも肩書としては二軍チーフ投手コーチ。若いコーチも育てる役目を担ったポストだったはずですよね?
そもそも一軍投手コーチを務めた2007年ヤクルト,2011年千葉ロッテがいずれもチーム防御率,順位とも最下位に沈んだという最下位請負人。
正直コーチとしての手腕そのものが問われます。球団もみっちりと人選してほしい。

90.芹澤裕二(2015-2016)
2012年から2014年まで韓国三星ライオンズの一軍バッテリーコーチを務め,チームは3年連続優勝。2015年より二軍バッテリーコーチに就任されました。山川はどこまで成長できたのでしょうか。
中村悠平(26)西田明央(24)と他球団が羨むような若手捕手が二人おり,ポジション柄しばらくはチーム編成としてファームの捕手をどう位置づけるかは難しい面もあるとは思いますが…

68(2009-2013)10.森岡良介(2014-2016)
森岡が引退=プロ野球・ヤクルト
 ヤクルトは26日、森岡良介内野手(32)が今季限りで現役を引退すると発表した。
 高知・明徳義塾高から2003年にドラフト1巡目で中日に入団。09年、ヤクルトに移籍し昨季までの2年間は選手会長を務めた。26日現在での通算成績は556試合で打率2割4分1厘、7本塁打、97打点。[ 時事通信 9月26日(月)17時51分配信 ]

2008年オフに中日を戦力外となり,トライアウトを経てスワローズへ入団。背番号は「68」。

移籍元年となる2009年は,プロ7年目にして自身初の開幕一軍入りを果たした、内野のポジションを守れる器用さが認められ、初の開幕一軍入りを果たした。
9月8日対広島戦(神宮)で前田健太から移籍後初本塁打。チーム史上初のクライマックスシリーズ出場が懸かっていた10月9日対阪神戦(神宮)では,セカンドで鳥谷敬の痛烈な安打を全身で止めて内野安打に抑えたことで二塁走者の本塁生還を防ぎ得点を防ぐ好守備を魅せるなど内野のユーティリティープレーヤーとしての地位を築いていた。

2010年は一軍での出場機会は21試合にとどまったが,イースタン・リーグで首位打者を獲得。

その存在感をより発揮するようになったのは移籍3年目の2011年だろうか。
シーズン終盤にかけて川端慎吾,川島慶三,荒木貴裕と相次ぐ離脱。もうショートを守れる選手は森岡しか残されていなかった。10月29日チーム史上初のクライマックスシリーズファイナルステージ進出を決めた巨人とのクライマックスシリーズファーストステージ第3戦。7回裏に貴重な追加点となるタイムリーを放ち,5月26日対オリックス戦以来となるお立ち台に呼ばれた森岡。「9年目の森岡ですけど、お立ち台、2回目で〜す!」「(タイムリーを打った瞬間は)おしっこ漏れそうでした〜!」と絶叫し,満員の神宮球場のファンを沸かせた。

2014年4月12日に右内腹斜筋損傷で一ヶ月ほど戦線離脱したが,それ以外は大きな故障もなく2012年から3年間常時一軍ベンチメンバー入り。ショートのスタメンとして,時にはスーパーサブとして3年連続100試合以上に出場。とりわけ古巣中日戦では無類の勝負強さを発揮してくれた。

2014年からは選手会長に就任。併せて背番号も「10」に変更された。
それでもショートの守備には粗さも持ちあわせており,森岡の守備にマウンド上のトニー・バーネットが怒りを露わにするという試合もあった。

2015年北海道日本ハムからFAで大引啓次が加入し,ベンチを温めることが多くなった森岡。8月17日には故障以外の理由では4年ぶりに一軍登録を外されてしまう。それでもチームに優勝へのマジックナンバーが点灯した9月28日に一軍に再登録され,選手会長として歓喜の優勝のビールかけの音頭をとった。

迎えた2016年。オープン戦では38打数14安打打率.368と絶好調だった。ところが―。
4月9日DeNA戦(横浜)の7回表杉浦の代打として登場し山口俊から今季2本目の安打となる右中間二塁打が,現役最後の安打となるなどこの時誰が想像したであろうか?
それ以降代打起用で凡退が続き,4月21日に登録抹消。交流戦前に再登録されるも6月8日に再び抹消。7月28日に登録されるも8月4日に抹消。
チームは川端慎吾,山田哲人,今浪隆博といった内野手に戦線離脱者が相次いだが,西浦直亨,谷内亮太,奥村展征といった若手にチャンスが与えられ,困った時の森岡に一軍からお呼びがかかることはなかった。これが森岡に退路を決意させたのであろうか。。

通算成績はプロ14年間で557試合 290安打 7本塁打 97打点 打率.241と決して突出したものではなかった。
それでも最後は引退試合と銘打たれたわけではないが,試合前にはチーム全員が森岡の背番号「10」のユニホームを着て練習し,満員札止めの神宮球場で10度胴上げされるなど盛大なセレモニーで送りだされたその人柄。そしてどんな状況でも先頭に立って声を出し,野球に対し真摯な姿勢で取り組むその姿。
「もうおなかいっぱいです」と晴れやかな表情が彼の野球人生を物語っていた。

スワローズで8年間ありがとうございました。そして14年間のプロ生活お疲れさまでした。
森岡良介年度別成績
年度打率試合打席打数安打二塁三塁本塁打点得点盗塁
2003中日.2863772100010
2004中日.0001110000000
2005中日.0002110000000
2006中日.1921731265100150
2007中日.111111191001121
2008中日.0005540000000
2009ヤクルト.2093547439101230
2010ヤクルト.25621564311300560
2011ヤクルト.25652978622200660
2012ヤクルト.2491002822456183118191
2013ヤクルト.24710934729573101121280
2014ヤクルト.27610032630183162231261
2015ヤクルト.18875125112212119101
2016ヤクルト.0652633312100310
通算.241557136912042904577971074
東京 ☀ | Comment(1) | SWALLOWS Memories | at 23:59 | 更新情報をチェックする

/東京ヤクルト 1-3 広島

S 100 000 000 1
C 000 003 00x 3
●小川(8-9)6,松岡1,久古2/3,秋吉1/3−中村

▼データ
 ・公式戦全日程終了64勝78敗1分
 ・2008年以来8年ぶりの5位
 ・対広島戦8勝17敗
 ・マツダスタジアム4連敗(球団史上ワースト)
 ・5年連続閉幕戦黒星
 ・山田:2年連続トリプルスリー達成(史上初)盗塁王(2年連続2回目)

◆ポイント
 ・6回裏0死黒田中安

昨日のナイターそして今日のデーゲームと甲子園で阪神が連勝。
最後怒涛の奈々連勝締めとなったため,ヤクルトは最終戦に勝利すれば4位,負けか引き分けならば5位という,いわゆる4位”マジック1”の状態で試合に挑み,その試合を逆転で落として5位に転落してシーズンを終了。

改めて1勝の重さ。1敗の重さ。1試合1試合の大切さを感じることに。
他力本願ながら昨夜澤村がキッチリと抑えて内海の10桁勝利を消さなければ今日の勝敗に関わらず4位だったのに…。

開幕4連敗スタートに始まり結局一度も貯金を作れず。リーグ優勝を支えた主力に故障者が相次ぎ,投手陣は崩壊。チームの和が乱れているという象徴的な出来事も起きてしまった。

「精いっぱいやったが、結果が伴わなかった。もう一度僕も含め、選手一人一人が自分を見つめ直さないと」とは真中監督の談話。

10月末まで戦った疲労もあっただろう。あのソフトバックですら今季の優勝を逃したのだから。
一方で選手に少なからず慢心もあったはず。今日この瞬間からもう2017年はスタートしている。

ビジター広島戦全日程終了(2勝11敗)
4.518:0024,7643:525-12●成瀬(1-1)5,古野2/3,岩橋0/3,杉浦1/3,村中1,久古1−中村野村バレンティン1号@(野村)山田3号@(オスカル)
4.618:0022,8513:043-6●寺田(0-1)12/3,松岡31/3,村中1,秋吉1,ルーキ1−中村ジョンソン山田4号@(山田)
5.1718:0028,0862:510-9●新垣(1-2)5,松岡1,久古1,中澤1−中村,西田ジョンソン
5.1818:0028,2473:3811-3石川5,○秋吉(3-2)1,H村中1,ルーキ1,オンドルセク1−西田今村
5.1918:0028,3004:046-7x小川60/3,久古0/3,秋吉1,Hルーキ1,●村中(0-1)11/3−中村今村大引1号A(九里)
6.2818:0013,6422:482-3●山中(3-6)4,松岡2,成瀬1,久古1/3,ルーキ2/3−中村,西田野村雄平7号@(野村)大引4号@(野村)
6.2918:0028,9403:091-8●原樹理(2-8)20/3,徳山2,成瀬2,土肥1,久古1−中村,井野黒田山田26号@(黒田)
6.3018:0032,2923:525-2○村中(5-2)5,H平井2,Hルーキ1,S秋吉(2)1−中村中村恭
8.1918:0031,6443:384-6デイビーズ6,松岡2/3,岩橋0/3,H平井1/3,●ルーキ(6-5)1−西田大瀬良
8.2018:0031,3553:120-2●石川(5-7)61/3,松岡1,岩橋2/3−西田黒田
8.2118:0031,3692:500-3●山中(5-9)7,久古0/3,秋吉1−西田ヘーゲンズ
9.2414:0031,6793:100-5●小川(8-8)3,石山3,村中1,松岡2/3,久古1/3−西田野村
10.118:0031,7832:431-3●小川(8-9)6,松岡1,久古2/3,秋吉1/3−中村黒田

広島では完膚なきまでにやられました。完封負けが4試合。野村と黒田に3敗ずつ。ジョンソンに2敗。
6月29日に敗れ自力優勝の可能性が消滅しました。

順位表
順位チーム試合勝数敗数引分勝率勝差得点失点本塁盗塁打率防御率
1広島14389522.631684497153118.2723.20
2巨人14371693.50717.551954312862.2513.45
3DeNA14369713.49319.557258814067.2493.76
4阪神14364763.45724.55065469059.2453.38
5ヤクルト14364781.45125.559469411382.2564.73
6中日14358823.41430.55005738960.2453.65

防御率がリーグ断トツ最下位の4.73。しかも他5球団はいずれも3点台。課題は明白。ここをどう整備するかが問われる。

■NEXT GAME
 ・キャンプインまで4ヶ月。
 ・開幕戦は2017年3月31日。神宮開催権は有しています。相手は広島か中日かDeNAか。

おわりに
今シーズンも無事143試合全試合のブログを書くことが出来ました。これで公式戦1654試合連続記ログとなりました。読んでくださった皆さまに御礼申し上げます。ありがとうございました。
広島 ☁ | Comment(0) | SWALLOWS | at 22:52 | 更新情報をチェックする