2015年12月26日

総括2015―14年ぶり7度目セ・リーグ優勝

はじめに

 誰がこの結末を予想できたであろうか?

 東京ヤクルトスワローズ2015セントラルリーグ優勝記念オフィシャルDVDの冒頭ナレーションはこう始まっている。昨年の総括2014で次のように締めくくってことを覚えている人はいるだろうか。

 2015年は親会社のヤクルト本社にとって創業80周年の節目の年。1970年にヤクルト本社が球団経営権を取得してから3年連続最下位はおろか,丸15年間優勝から遠ざかったことも皆無だ。
 優勝から遠ざかる事14年―そのリミットとなる年に最下位から一気に頂点まで羽ばたくことができるだろうか。

 1994年広沢克己(→巨人)2000年川崎憲次郎(→中日)ヤクルトからセ・リーグ他球団にFA移籍があった翌年のスワローズはいずれも優勝しているジンクス。

 1987年阿波野秀幸(近鉄)2001年赤星憲広(阪神)と最下位から新人王を輩出した2年後にチームが優勝しているジンクス1997年小坂誠(ロッテ)という例もありますがそもそもロッテはレギュラーシーズン1位での優勝は1970年以降無いし…

 2年連続最下位からの逆襲―ヤクルト本社創業80周年&真中新監督船出イヤーの2015年。大いに期待しようじゃないか。


 このように綴ったものの,まさか2年連続最下位のチームが優勝を成し遂げると本気で思っていた人はいたのであろうか。攻撃力はそこそこだが,投手力とそれを含めた守備力で劣るというのが評論家諸氏による開幕前のスワローズに対する一般的な評価であった。

リーグワーストのチーム防御率4.62,救援投手陣防御率4.58,そしてリーグワースト2位の失策数97。最下位に沈んでいたチームの課題は明らかだった。「他球団に比べて投手力が劣っていると感じています。ピッチャーを含めたディフェンスが大事なのかなと思います」就任会見でこう語った真中満監督の掲げたスローガンは「つばめ改革」―。

まず投手陣に劇的な変化を感じさせるスタートだった。セ・リーグ記録の開幕から11試合連続3失点以下,プロ野球記録の開幕から13試合連続3失点以下を更新し,開幕から14試合連続3失点以下というプロ野球新記録を樹立した。オーランド・ロマンローガン・オンドルセクトニー・バーネットの3人の助っ人外国人トリオによる勝利の方程式を確立。終盤リードした試合は確実にモノにしていった。イニング跨ぎや連投を厭わない秋吉亮,ロングリリーフをこなせる徳山武陽松岡健一。貴重な左腕中澤雅人久古健太郎が最少失点で耐えて彼らにつなぐ。ブルペンは見事なまでに変貌を遂げた。

同じく課題だった守備は,FAで獲得した大引啓次の加入によって意識の高まりが生まれた。そして扇の要に中村悠平が固定されたことで安定感が増し,失策数はリーグ最少の71にまで改善された。

打線はウラディミール・バレンティンラスティングス・ミレッジという大砲をシーズンの大半負傷離脱で欠く中で,川端慎吾山田哲人畠山和洋が軸となって機能した。シーズン後半から2番川端,3番山田,4番畠山の並びが固定され,1番には比屋根渉上田剛史といった俊足の打者が入ることで,得点圏のチャンスを作り,山田から始まるクリーンアップに回すという攻撃が整った。畠山の後にも高井雄平がいることで,勝負せざるを得ない状況を作り出していた。

日本生命セパ交流戦で44勝61敗3分と大きく負け越したセ・リーグは,ここで生まれた借金17を分配しなければならない状態に陥り,7月3日と21日にはセ・リーグ全球団が勝率.500を下回るという球界史上初の事態にまで陥った。この歴史的な混戦の時期に現れた2人の投手がいた。館山昌平山中浩史。館山は3度の靭帯移植手術を乗り越え7月11日横浜DeNA戦(神宮)で2012年9月25日阪神戦(神宮)以来実に1019日ぶりの白星を挙げた。山中は今季初登板となった6月12日埼玉西武戦(西武ドーム)でプロ初勝利をマークするとそこから6戦6勝。金田正一氏が国鉄時代の1958年に達成して以来球団史上57年ぶり2度目となる快挙であった。終盤には怪我で離脱していた石山泰稚杉浦稔大が戻ってきたことも大きかった。

そんな中で一年間先発ローテーションを守り続けたきた石川雅規小川泰弘という左右二人の両腕に14年ぶりの優勝が懸かったマウンドが託された。9月27日巨人戦(東京ドーム)。敗れればゲーム差0.0で2位巨人に並ばれるという瀬戸際で優勝へのマジックナンバー「3」を点灯させた。本拠地最終戦となった10月2日阪神戦(神宮)。延長11回までもつれた接戦を制し,ついに東京ヤクルトスワローズは14年ぶり7度目となるセ・リーグ優勝を果たした。
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前シーズン最下位だった球団の優勝は,2001年大阪近鉄以来14年ぶり6球団目の出来事だった。

【表1】セ・リーグ順位表
順位チーム試合勝数敗数引分勝率勝差得点失点本塁打盗塁打率防御率
1ヤクルト14376652.53957451810783.2573.31
2巨 人14375671.5281.54894439899.2432.78
3阪 神14370712.4966.04655507848.2473.47
4広 島14369713.4936.550647410580.2462.92
5中 日14362774.44613.04735047188.2533.19
6DeNA14362801.43714.550859811257.2493.80


史上稀にみる大混戦となったセ・リーグ。広島を除く5球団が一度は首位に立った。混戦を抜け出したと思えば連敗して下位に。最終的にヤクルトが抜け出せたのも終盤に連敗を喫することなく戦えたからかも知れない。
138試合目まで自力優勝の可能性を残した王座巨人。リーグ最高の防御率2.78を残しながら打率はリーグ最低。規定打席到達者で3割打者は皆無。ベストナインにも誰一人選出されなかった。
9月上旬まで首位に立っていたのは阪神。藤浪晋太郎が14勝7敗と大車輪の働きを見せながらも,他の先発投手陣が貯金を作れずチームとして機能しなかった。
開幕前は優勝候補筆頭に挙げられていた広島。前田健太が15勝で沢村賞。新外国人のクリス・ジョンソンは防御率1.85で最優秀防御率。メジャーリーグから8年ぶりに復帰した黒田博樹は11勝。福井優也も9勝。にもかかわらず打線が機能せず,勝負所での弱さが露呈し3年ぶりのBクラスに転落。
チームとして過渡期を迎えた中日は大胆な世代交代が進められ,大野雄大,若松駿太,亀澤恭平といった若手が台頭してきたが,堅守が崩壊し低迷を強いられた。
前半戦を首位で折り返したのはDeNAだった。5月16日には26勝15敗貯金11で,17勝23敗の最下位ヤクルトに8.5差をつけていた。そこからの大失速。しかし四番に固定された筒香嘉智が球界を代表するスラッガーとなり,チーム本塁打数112はリーグ最多。ルーキー山崎康晃がルーキー記録となる37セーブをあげ新人王に輝く活躍を見せた。【表1】

チーム成績
【表2-1】チーム月別成績
通産
試合勝数負数引分勝率順位打率本塁得点失点防御勝率順位
34220.5002.2211982.00.5002
42413110.5422.2411171551.93.5362
5259151.3756.24517931194.35.4625
6201190.5502.2631991723.34.4863
7211290.5711.307211131014.62.5053
82614120.5381.25721108963.44.5132
9201361.6841.2471679522.25.5361
103210.6672.228110154.20.5391


開幕戦から延長戦にもつれこんだが,延長11回にミレッジが決勝打を放ち白星スタート。3月31日神宮開幕阪神戦はFA移籍の成瀬善久が移籍後初登板初勝利。

4月8日中日戦(神宮)ではミレッジに代わり外野手と起用されていた田中浩康がサヨナラタイムリー。9日中日戦(神宮)には新垣渚が自身597日ぶりとなる移籍後初勝利。19日DeNA戦(神宮)では上田が,24日巨人戦(神宮)では川端がそれぞれサヨナラ勝利を演出。神宮球場7連勝など,4月17日から29日まで首位をキープした。

5月1日広島戦(神宮)でオープン戦,開幕2戦目と全く打ち崩せなかった広島・黒田の攻略に成功。3日広島戦(神宮)ではプロ初登板初先発となった風張蓮がわずか8球で危険球退場となるアクシデントも,風張のあとを受けた徳山,古野正人が粘りの投球。死球を受けた雄平に代わってライトに入った荒木貴裕が1号3ランを放つなど,控え選手たちの活躍でまずまずのスタートを切ったかのように思われた。しかし例年苦手としている5月。好調を支えてきた投手陣に疲労の色が隠せず,4日DeNA戦(横浜)から16日巨人戦(東京ドーム)まで9連敗を喫し,最下位に転落。今年も定位置かなどと揶揄された。

それでも不幸中の幸いかどのチームも抜け出す要素なく混セ状態が続いていた。24日広島戦(マツダ)では大引の穴を埋めてきた今浪隆博がプロ初本塁打。さらに1点を追う9回表2死一二塁から途中出場の三輪正義が前進守備のレフト頭上を越える逆転の三塁打。6月24日中日戦(ナゴヤドーム)では選手会長森岡良介の決勝タイムリーなど日替わりヒーローが生まれることで,なんとか踏みとどまってきた。

そして・・・。6月28日巨人戦(神宮)館山が復活のマウンドに上がったことで,ベンチの結束さらにはスタンドのファンのムードは一気に上がった。6月28安打8本塁打23打点,打率.378の成績を残した畠山が月間MVPを獲得。6月1日時点で6.0あった首位との差を2.0に縮め7月を迎える。

7月2日阪神戦(神宮)5月下旬に緊急獲得したミッチ・デニングの連夜の決勝打もあって首位に浮上したが,そこから4連敗で一気に5位まで落ちてしまう。さらには畠山が左内転筋肉離れによる離脱。チームの危機に四番起用されたたのは山田だった。7月10日DeNA戦(神宮)四番としての初打席でいきなり本塁打。翌11日DeNA戦(神宮)で館山が1019日ぶりの勝利。40勝43敗1分の4位でオールスターを迎えたが,そのオールスターを挟んで7連勝。夏場になり打線が昨年の勢いを取り戻してきた。

巨人,阪神との競り合い。日々順位が変動するなか,若いチームに”優勝”という二文字が見え始めた。「チャレンジャー」「一戦必勝」「ヤクルトスタイル」。8月に入ってこれらの言葉が多く聞かれるようになった。8月9日中日戦(ナゴヤドーム)で松岡が自身5年ぶりのセーブをマーク。21-22日中日戦(神宮)で山田がプロ野球タイ記録となる4打席連続本塁打。23日終了時で56勝57敗1分借金1だったチームは巨人−阪神−巨人と続く試練の8試合を迎えることになる。その初戦に登板を予定していた開幕から無傷の6連勝中の山中が右大胸筋肉離れの離脱で離脱という緊急事態に中4日登板を打診され,見事に応えた石川の熱投がチームを一つにした。26日巨人戦(神宮)0-0で迎えた4回裏2死満塁の場面で投手の小川が菅野智之に対しファールで喰らいつき,11球粘った末押し出し四球を選んでみせた。27日巨人戦(神宮)プロ初登板初先発寺田哲也が制球に苦しみながらも得点を与えず,8回裏2死二三塁から寺田の同級生川端が決勝打で巨人に同一カード3連勝。30日阪神戦(甲子園)には館山が自身5年ぶりの本塁打。9月2日巨人戦(金沢)では苦手のポレダを攻略し,試練と位置付けた8試合を6勝1敗1中止で乗り切ってみせた。

いざ頂点へ。9月10日DeNA戦(神宮)で石川が現役投手としては最多となる自身11回目の2桁勝利を挙げ阪神と並んで同率首位にたつと,チームとして連敗しない粘りをみせ僅かながらリードを保っていく。18日巨人戦(神宮)では左太腿のリハビリを行っていたバレンティンが復帰。翌19日巨人戦(神宮)では果敢な劇走で今季初のお立ち台に。21日阪神戦(甲子園),26日巨人戦(東京ドーム)と敵地で引導を渡し熾烈な三つ巴を制した。【表2-1】

【表2-2】チーム成績 ※()はリーグ順位
試合勝数負数引分勝率勝差順位得点失点本塁打盗塁打率防御率
201514376652.539-1.51574(1)518(4)107(2)83(3).257(1)3.31(4)
201414460813.42621.06667(1)717(6)139(3)62(5).279(1)4.62(6)
201314457834.40728.56577(3)682(5)134(2)70(4).253(4)4.26(5)
2012144686511.51120.03499(2)514(5)90(2)63(4).260(1)3.35(5)
2011144705915.5432.52484(1)504(5)86(3)43(5).244(3)3.36(5)
201014472684.5146.54617(3)621(3)124(3)66(4).268(2)3.85(2)
200914471721.49622.03548(3)606(5)116(4)106(1).259(2)3.97(5)
200814466744.47117.55583(2)569(4)83(5)148(1).266(4)3.75(4)
200714460840.41720.56596(3)623(4)139(2)66(2).269(2)4.07(5)

得点数は昨年に較べ100近く減少するもリーグトップ。チーム打率も1分4厘下がったがそれでもなおリーグNo.1を誇った。バレンティンが1本塁打に終わったにもかかわらず本塁打数はリーグ2位。劇的に変わったのが投手陣,とりわけリリーフ陣であった。ロマン,オンドルセク,バーネットの3人が揃って登板した試合では23勝2敗2分と抜群の勝率を誇った。他にも先制した試合の勝率は.750(昨年は.575)逆転負けは昨年の38試合から19試合と半減した。【表2-2】

【表3】チーム別対戦成績
巨 人阪 神広 島中 日DeNAソフト日ハムロッテ西 武オリク楽 天
試合2525252525333333143
勝利121214131711212176
敗戦13131111821121265
引分000100100002
得点821039810010811171915129574
失点8210292966315211412615518
安打1802162202292342033332524261240
本塁1617142318414145107
三振143168147152166302515241722909
四球6686757172816111189433
死球5865613210037
併殺151618231521102396
盗塁111422131715000083
失策61614151113212071
打率.225.259.259.266.276.208.280.327.240.238.257.257
防御3.113.703.363.362.255.405.404.333.962.085.003.31

チームの貯金「11」のうち実に「9」が対DeNA戦。カード別の負け越しも巨人,阪神,ソフトバンク,埼玉西武,東北楽天にそれぞれ「1」ずつ。野村克也元ヤクルト監督が
”優勝するためにはカモにする相手を作らないと”と説いてたが優勝時にはこれがモノをいう。しかし昨年は8勝16敗と苦手にした相手だけに,油断は禁物か。【表3】

【表4】守備成績
チーム守備率試合守機備会刺殺補殺失策併殺捕逸
参加球団
ヤクルト.987143545138181562713741404
巨 人.9871435471381315867229510812
阪 神.986143539938171505772851036
DeNA.9851435472380315878227010111
広 島.9841435621385916748828910610
中 日.9831435522383715919430311012

巨人は長年正捕手を務めていた阿部を一塁へコンバート。開幕はヤクルトからFAで加入した相川亮二と2年目の小林誠司の体制でスタートも,相川が故障で離脱すると阿部が捕手に再転向。その後も実松一成,加藤健らとの併用が続いた。広島は石原慶幸と会沢翼の併用で,先発投手によって二人を使い分けていた。中日は谷繁元信捕手兼任監督の後継者が現れず,松井雅人,杉山翔大,桂依央利らがマスクを被った。DeNAは嶺井博希,高城俊人,黒羽根利規を,阪神も藤井彰人,鶴岡一成,梅野隆太郎らを使い分けていた。シーズンを通して捕手を固定出来たのはヤクルトのみ。そして中村は135試合に出場し捕逸はわずかに3とその数字が際立った。3連戦トータルでの組み立て,さらには連投ある救援陣や相手打者の調子を把握しながらの組み立てが出来た強みがあった。【表4】

【表5】交流戦順位表と通算成績[2005-2015]
通算[2005-2015]
試合勝数負数引分勝率順位得点失点本塁盗塁打率防御率試合勝数負数引分勝率勝差
福岡ソフトバンク181260.6671位90592313.2872.9128216710411.616
北海道日本ハム181161.6472位82721213.2633.2628215012210.55117.5
千葉ロッテ181080.5565位8690134.2864.8828214712114.5491.0
巨 人187110.38911位60581416.2442.952821471269.5382.5
中 日187101.41210位5269914.2453.4928214013210.5156.5
埼玉西武181062.6253位7266207.2723.452821391376.5043.0
阪 神181080.5566位578094.2353.928213613610.5001.0
オリックス188100.4449位6747159.2402.612821361388.4961.0
東京ヤクルト18891.4718位8383196.2594.392821321437.4804.5
東北楽天181080.5564位65561713.2372.472821271514.4576.5
広 島18990.5007位79792110.2603.9828211415810.41910.0
横浜DeNA183141.17612位5993168.2594.732821051707.38210.5


今年も交流戦ではパ・リーグが圧倒的な力を見せつけた。今季から各チーム18試合制となり,各カードとも本拠地と敵地での3試合を隔年で行う方式に変更され,優勝球団は決めず,勝ち越したリーグの6球団に順位に応じて賞金が割り振られる方式になった。通算成績はパの61勝44敗3分となりこれで6年連続の勝ち越しとなった。勝率もソフトバンクが最高で,5位までをオリックスを除く5球団が独占した。セ・リーグでは阪神が唯一10勝8敗と勝ち越したのみ。とりわけ交流戦まで首位だったDeNAは引き分け挟んで10連敗を喫するなど3勝14敗と大きく負け越した。【表5】

DATE2015〜2番川端慎吾
【表6-1】セ・リーグ各球団イニング別得失点
チームイニング12345678910-合計
東京ヤクルト得点84615260667253704511574
失点5443636970636551391518
(勝利時得点67513846555236572911442
失点2116162830162018210186
(敗戦引分時得点1710141411201713160132
失点3327474140474533181332
巨 人得点5136626073527045319489
失点6234455437754645369443
阪 神得点60494748427348622610465
失点3842556986746774396550
広 島得点7837594960743862418506
失点62505555475651543212474
中 日得点43455463436950702610473
失点6835693859555179455504
横浜DeNA得点6143625064605860491508
失点98654965558957614514598


リーグトップの574得点を記録したが,そのうち15.1%にあたる84得点を初回に挙げた。これもまたリーグトップの数字で,今季の犠打数2という2番川端の存在もクローズアップされた。初回から犠打で簡単に1つのアウトを献上するのではなく,ビックイニングを狙う攻撃的真中野球の象徴とも言われた。セ・リーグ各球団の2番打者を見てみると菊池涼介(広島)の49犠打を始め,片岡治大(巨人)36犠打,大和(阪神)28犠打,亀沢恭平(中日)27犠打,白崎浩之(DeNA)22犠打といずれも20以上の犠打を記録している。

2番に川端が起用された試合は143試合中およそ半分の70試合あったが,初回における打撃成績を以下に抽出した。すなわちどのような状況で3番打者を最初の打席で迎えていたかの表である。【表6-2】

【表6-2】2番川端スタメン試合の初回攻撃内訳
結果結果状況得点勝敗
3/274山田中安左飛1死二塁1
3/284山田三振中飛2死0
3/294山田三ゴ二ゴ2死0
3/314山田右飛投ゴ2死0
4/14山田三振三振2死0
4/27荒木左飛遊ゴ2死0
4/37荒木中飛中安1死一塁5
4/47荒木一邪遊ゴ2死0
4/57荒木中飛右21死二塁0
4/77荒木三振左飛2死0
7/88比屋根遊ゴ左飛2死0
7/208比屋根中安左21死二塁2
7/218比屋根左飛遊安1死一塁4
7/228比屋根右安三振1死一塁2
7/248比屋根死球右安0死一二塁1
7/258比屋根遊ゴ遊ゴ2死1
7/268比屋根左2投犠失0死一三塁3
7/288比屋根三ゴ左飛2死0
7/298比屋根一邪一飛2死0
7/308比屋根中安右20死二三塁3
7/318比屋根四球四球0死一二塁4
8/18比屋根右安右安0死一三塁1
8/28比屋根右安走塁死左飛2死0
8/48比屋根遊ゴ三振2死0
8/58比屋根遊ゴ中安1死一塁0
8/68比屋根中安中安0死一三塁1
8/78比屋根中安四球0死一三塁1
8/88比屋根遊ゴ中安1死一塁0
8/98比屋根三振四球1死一塁1
8/118比屋根右飛左飛2死1
8/128比屋根遊ゴ中安1死一塁1
8/138比屋根三振遊失1死一塁0
8/148三輪四球三ゴ1死二塁0
8/158比屋根三ゴ二ゴ2死0
8/168比屋根二飛二ゴ2死0
8/188比屋根三振中飛2死0
8/198比屋根右安右安0死一三塁4
8/208比屋根三ゴ四球1死一塁0
8/218比屋根死球三失0死一二塁0
8/228比屋根左本一ゴ1死2
8/238比屋根三振一ゴ2死0
8/258比屋根中安右安0死一二塁1
8/268比屋根三振遊ゴ2死0
8/278比屋根右飛遊ゴ2死0
8/288三輪遊直一ゴ2死0
8/298比屋根中安三ゴ1死三塁1
8/308比屋根左飛二直2死0
9/28比屋根中安三ゴ1死三塁2
9/48比屋根右安遊ゴ1死二塁3
9/58比屋根二ゴ中飛2死0
9/68比屋根三振四球1死一塁0
9/108比屋根二飛中安1死一塁0
9/128上田四球投併2死0
9/138上田二ゴ二飛2死0
9/158比屋根左安遊ゴ1死一塁0
9/168比屋根四球四球0死一二塁1
9/188比屋根投ゴ一直2死0
9/198上田二ゴ三ゴ2死0
9/208比屋根中飛中安1死一塁0
9/218上田一ゴ四球1死一塁0
9/229荒木中安投犠失0死一二塁2
9/238上田一ゴ三ゴ2死1
9/249荒木左飛中安1死一塁2
9/268上田死球打妨0死一二塁3
9/278上田中安遊ゴ1死一塁0
9/288上田左安右中20死二三塁1
9/298上田二ゴ中安1死一塁0
10/28上田三振中安1死一塁1
10/38上田遊ゴ中安1死一塁1
10/48上田投ゴ遊ゴ2死0


川端自らがあげた打点は1試合のみ。一方で川端の打席で走者を三塁まで進める状況を作り出した試合は9試合あっていずれの試合でも初回に得点をあげている。さらにはランナーを置いて川端に回った26試合でも,左方向の打球が多く,左打者が右方向に引っ張って一二塁間を破って走者を進めるというセオリーにも全く囚われることなく自身の打撃スタイルを崩していなかったことも読み取れる。余談になるが,比屋根が初回に出塁した試合は19試合あったが,うち16試合で初回得点を記録している。

おわりに〜2016シーズンに向けて
 14年ぶりの優勝を果たしたその日七條佑樹江村将也赤川克紀大場達也金伏ウーゴ川ア成晃中根佑二阿部健太に戦力外が通告された。14年ぶりに出場した日本シリーズではソフトバンクに圧倒され,選手層の差も明らかになった。

鉄壁を誇った救援陣もロマンとバーネットが退団したことで,再構成を余儀なくされる。先発候補としてヤンキースからメジャー通算43勝65敗の右腕カイル・デイビーズを獲得。さらにプレミア12でのドミニカ代表左腕ルイス・ペレス,元レイズの右腕ジョシュ・ルーキの獲得に動いた。とはいえ未知数。

左投手では久古と中澤の負担が大きかったため,1年目一軍登板なく終わった竹下真吾中元勇作。1試合の登板に終わった岩橋慶侍,昨年までローテーションを守りながら今季は2試合の先発登板のみに終わった八木亮祐 ,2007年以来自身2度目の一軍登板無しに終わった村中恭平,ハワイウィンターリーグで経験を積む児山祐斗。彼らの台頭が待たれる。

一軍登板2試合で3イニング計3失点と打ち込まれた木谷良平は背番号16をはく奪された。土肥寛昌はファームで37試合に登板も課題を残す。右肩痛からの復帰を目指す由規平井諒中島彰吾と同じ育成枠となる。田川賢吾もリハビリからの復帰が待たれる。3年連続で50試合以上に登板してブルペンを支えてきた山本哲哉は右肘内側側副靭帯再建手術に踏み切ることとなった。

捕手は中村がほぼ一人でマスクを被り続けたことで,西田明央はファームで実戦経験を積む日々。田中雅彦星野雄大藤井亮太が一軍帯同という難しい役回りをこなした。藤井は外野手としてスタメン出場の機会も与えられた。高卒ルーキー山川晃司は捕手としての課題に取り組む日々。巨人から移籍の井野卓は怪我に泣いた。

一軍内野手の壁は厚いものの少ないながら与えられた出番で持ち味を発揮した西浦直亨谷内亮太は鍛錬の日々を送る。巨人から人的補償で獲得した奥村展征だったが腰痛でほぼ一年を棒に振ってしまった。

原泉は貴重な右の長距離砲としての期待が懸かる一方で,。ベテランの域に差し掛かった武内晋一飯原誉士は怪我があったとはいえすっかり存在感を失ってしまっている。持ち前の長打力が鳴りを潜めてしまった松井淳,開幕から極度の打撃不振に陥り背番号36がはく奪となった山田の翌年のドラフト1位川上竜平も危機感が強まる。球団は固定することができなかった1番・センター候補としてオリックスを自由契約となった坂口智隆と,北海道日本ハムを自由契約になった鵜久森淳志,2人の外野手の獲得に動いた。

日本シリーズ開幕前々日に開かれた ドラフト会議では原樹理(投手・東洋大)廣岡大志(内野手・智弁学園高)高橋奎二(投手・龍谷大平安高)日隈ジュリアス(投手・高知中央高)山崎晃大朗(外野手・日本大)渡邉大樹(内野手・専大松戸高)の6名を指名した。

「つばめ改革」をスローガンに掲げた就任1年目。選手の意識改革の一端はコーチが担った。走塁面では三木肇作戦兼内野守備走塁コーチと福地寿樹外野守備走塁コーチによって一つ先の塁を狙う意識が生まれた。高津臣吾投手コーチ,伊藤智仁投手コーチ,野村克則バッテリーコーチが一体となり連携をとったことで,投手と捕手の信頼関係はより強固なものとなった。杉村繁チーフ打撃コーチ,宮出隆自打撃コーチが築き上げてきたリーグNo.1の打撃力は今年も健在だった。そして来季はこれまで三木コーチが担っていた戦略面を押尾健一スコアラーが作戦コーチを兼務する形となる。

その傍ら108試合39勝64敗5分 勝率.379と断トツの最下位に終わったファームは,伊東昭光二軍監督,山部太二軍投手コーチ,池山隆寛野手総合コーチ,土橋勝征二軍外野守備走塁コーチ,伊勢孝夫バッティングアドバイザーが退団。宮本賢治二軍監督が就任し,成本年秀二軍投手コーチ,石井弘寿二軍投手コーチ,斉藤宜之二軍打撃コーチ,松元ユウイチ二軍打撃コーチ,水谷新太郎二軍内野守備走塁コーチ,笘篠誠治二軍外野守備走塁コーチ,芹澤裕二二軍バッテリーコーチという体制に生まれ変わる。

日本シリーズを戦い終え,選手たちは口々に”連覇”そして”日本一”という目標を掲げている。

ヤクルトが日本シリーズで敗れた翌年は必ず優勝するジンクス。

球団史上2度目の連覇。そして15年ぶりの日本一へ。2016年真中ヤクルトの目標はただひとつだ。

東京ヤクルトスワローズ2015セントラルリーグ優勝記念オフィシャルDVDと同じように締めくくりたいと思う。
振り返れば2013年4月5日。館山の離脱という悪夢から始まったような気がする。2年連続の最下位からの優勝。3年越しの壮大なヒューマンドラマを見せてもらった2015年―。
いま改めて思う。東京ヤクルトスワローズを好きでよかった。

参考資料
『サンケイスポーツ特別版臨時増刊 ヤクルト14年ぶりセ界一』産業経済新聞社,2015.10
『週刊ベースボール11月1日号増刊 東京ヤクルトスワローズ優勝記念号』第70巻 第54号 通産3348号,ベースボールマガジン社,2015.10
『輝け甲子園の星増刊 2015激闘セ・リーグ優勝速報号 おめでとう東京ヤクルトスワローズ』日刊スポーツ出版社,2015.10
『週刊ベースボール』第70巻 第65号 通産3359号,ベースボールマガジン社,2015.12

「ニッカンスコア速報」
http://www.nikkansports.com/baseball/professional/schedule/2015/s201503.html
http://www.nikkansports.com/baseball/professional/schedule/2015/s201504.html
http://www.nikkansports.com/baseball/professional/schedule/2015/s201505.html
http://www.nikkansports.com/baseball/professional/schedule/2015/s201506.html
http://www.nikkansports.com/baseball/professional/schedule/2015/s201507.html
http://www.nikkansports.com/baseball/professional/schedule/2015/s201508.html
http://www.nikkansports.com/baseball/professional/schedule/2015/s201509.html
http://www.nikkansports.com/baseball/professional/schedule/2015/s201510.html
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2015年12月24日

新外国人3投手を獲得=ロマン、ミレッジは退団―プロ野球・ヤクルト

イブにブログ更新ですが何か( *`ω´)

 ヤクルトは24日、来季の新外国人として3投手を獲得したと発表した。
 カイル・デイビーズ(32)は大リーグ通算152試合に投げ43勝65敗の右腕で、今季はヤンキースで1試合に登板。球団は先発として期待している。1年契約で年俸60万ドル(約7200万円)、背番号は34。
 左投げのルイス・ペレス(30)は年俸45万ドル(約5400万円)で背番号13。右投げのジョシュ・ルーキ(31)は年俸30万ドル(約3600万円)で背番号53。
 オーランド・ロマン投手、ラスティングス・ミレッジ外野手、ミッチ・デニング外野手の3選手の退団も発表。ウラディミール・バレンティン外野手とは年俸300万ドル(約3億6000万円)で、ローガン・オンドルセク投手とは同180万ドル(約2億1600万円)で来季の契約を結んだ。(金額は推定)。[ 時事通信 12月24日(木)16時54分配信 ]

一気に3投手の獲得が発表されました。一つの基準として大リーグ通算成績を。

デイビーズ:通算152試合 43勝65敗 防御率5.57
ルーキ:通算72試合 2勝5敗 防御率6.16
ペレス:通算78試合 5勝6敗 防御率4.50
--------------------------------------
ラルー:通算63試合 1勝2敗 防御率5.56
カーペンター:通算18試合 1勝0敗 防御率5.63
ナーブソン:通算97試合 26勝18敗 防御率4.65
オンドルセク:通産281試合 21勝11敗 防御率3.89

34.カイル・デイビーズ
 ○高野光(1984-1993)→○クラーク(1994)→○北川哲也(1995-1999)→○ニューマン(2001-2002)→○ベバリン(2003-2004)→○ガトームソン(2005-2006)→△シコースキー(2007)→○リオス(2008)→○八木亮祐(2009-2010)→64バーネット(2011-2015)→○デイビーズ(2016-)
実績からしても安心出来そう。34はすっかり助っ人の番号に。

53.ジョシュ・ルーキ
○幸田正広(1989-1997)→○五十嵐亮太(1998-2009)→○ホワイトセル(2010-2011)→○ロマン(2012-2015)→○ルーキ(2016-)
ジョシュが再び背番号53を。ただ身長196cm体重111kgという体型が気になる。ちなみ今季カープにいたザガースキーたんは身長183cm体重109kgでしたが・・・

13.ルイス・ペレス
63加藤博人(1990-2000)→△寺村友和(2001-2002)→○佐藤賢(2004-2011)→○太田裕哉(2012-2013)→00川島慶三(2014)→○ペレス(2016-)
背番号13の左投手。賢さん以来の神宮登板なるか。実績はラルー・カーペンターとナーブソンの間くらいか(不安)

ということで退団が発表された3選手に惜別メッセを。

85.ラスティングス・ミレッジ
獲得が発表されたのは2011年12月27日。ポスティングシステムでメジャーリーグ移籍を目指す青木宣親の穴を埋める外野手そしてリードオフマンとしての期待が懸かった。
開幕当初から主に3番を任されていたが,青木に代わるセンターを任された上田剛史の故障離脱,さらには田中浩康,比屋根渉,雄平,飯原誉士,山田哲人と日替わり起用せざるを得なかったチーム状況もあって,2012年5月28日より1番打者を任されるようになる。8月31日には畠山和洋が怪我で離脱したことで,スワローズ第102代4番打者となった。
9月16日DeNA戦(神宮)で走塁の際に足を滑らせ両手をついた際に左肩鎖関節を捻挫してしまい,レギュラーシーズン終了(中日とのクライマックスシリーズファーストステージで復帰)となったが,シーズン通算では打率.300(リーグ5位),本塁打21(リーグ4位),打点65(リーグ5位),OPS.865という好成績をマークし,オフに新たに3年+オプションの長期契約を結ぶ。

しかし…。
2013年は前年ほどの好成績は残せず。8月8日中日戦(ナゴヤドーム)で守備の際に左足首靭帯を断裂し,そのままシーズン中の復帰が絶望に。

2014年も開幕から4番を任されたものの,4月12日に外国人枠の関係で二軍降格となると,5月20日に右肩関節・上方関節唇損傷手術に踏み切り,その治療に専念するため帰国。

2015年。前年の手術の影響で2月の浦添キャンプは別メニュー調整。右肩の状態が不安視されていたが,広島との開幕戦(マツダ)で延長11回表2死一二塁のチャンスで中崎から決勝の2点タイムリー三塁打を放ち,チームの開幕勝利に貢献してくれた。
しかしながらまたしてもアクシデント発生。スタメン出場予定だった3月31日神宮開幕阪神戦の試合開始直前に右肩に違和感を訴え出場を回避。検査の結果「右肩甲下筋肉離れ」と診断されわずか3試合の出場で離脱。5月19日DeNA戦(神宮)で復帰するも,23日広島戦(マツダ)の4回裏梵英心が放った左中間へ打球を追った際,センター雄平と激突。顔が膨れ上がりそのまま担架で運ばれ交代。検査の結果「右前頭部打撲」と診断され今度は5試合の出場で再度戦線離脱。チームは6人目の外国人ミッチ・デニングの獲得に動いた直後だった。
それでもファームで腐ることなく調整を続け,8月22日中日戦(神宮)で一軍復帰。9月4日広島戦(神宮)では苦手としていた左腕クリス・ジョンソンから本塁打を放ち勝利に貢献。しかしバレンティンの一軍復帰に伴う外国人枠の関係で登録抹消。秋季フェニックスリーグにも参加し,保留者名簿にも掲載されたが,球団側が来季年俸を支払って契約を打ち切る形に。
毎年怪我で離脱し,とりわけここ2年はそれぞれ10,24試合の出場にとどまっていたため,給料泥棒などと批難されることも多かったが,それでも一生懸命に打球を追う姿や,一塁への全力疾走など決して野球を軽んずるような選手ではなかった。

71.ミッチ・デニング
2015年5月22日BCリーグ新潟から緊急補強。年俸360万円の格安助っ人と話題を呼んだ。獲得が発表された直後にミレッジが戦線離脱したため,支配下選手登録翌日の5月26日に即一軍合流。デビュー戦となった日本ハム戦(神宮)は4回裏古野正人の代打で起用されいきなり死球を受ける。5月27日日本ハム戦(神宮)では4-5と1点ビハインドの土壇場9回裏2死二塁の場面でファイターズの守護神増井浩俊から放った来日初安打が起死回生の同点打に。6月7日千葉ロッテ戦(神宮)では3-3と同点に追いついた7回裏なお1死満塁の場面で試合を決定づける満塁弾。
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打率.222 4本塁打。これだけを切り取ると外国人としては物足りない数字に映るかもしれないが,異国の地日本で独立リーグを経由しながらつかんだ舞台。野球に真摯に取り組み,努力を厭わないその姿をファンは知っている。さらにはサインを求めるファン一人一人に嫌な顔せず最後まで丁寧に応じてくれていた姿勢は忘れられない。
優勝を語る上で忘れてはならない存在。「日本で長くプレーしたい」その声がどこかの球団に届いてほしい・・・

53.オーランド・ロマン
2012年1月13日台湾リーグで最多勝という触れ込みで獲得が発表された。当初は5番目の外国人という位置づけであったが,林昌勇の不振で開幕早々に出番が。4月6日中日戦(ナゴヤドーム)で来日初登板初先発。4月22日巨人戦(神宮)来日初勝利。7月27日中日戦(ナゴヤドーム)で初完投勝利,8月2日阪神戦(甲子園)で初完封勝利を挙げるなど26試合に登板し9勝(11敗)。規定投球回数に達し防御率3.04という成績を残し,2013年に開催された第3回WBCプエルトリコ代表にも選出された。

当初先発としてスタートを切った2013年は,リリーフ陣の相次ぐ離脱があり中継ぎに配置転換。5月1日DeNA戦(横浜)で来日初ホールド,5月18日ロッテ戦(神宮)で初セーブを記録していたが,5月29日オリックス戦(神宮)に先発起用され,その翌日にクリス・ラルー登録に伴う外国人枠の関係で一軍登録を抹消されてしまう。夏場左脹脛肉離れで1ヶ月ほど離脱を余儀なくされたが,9月14日に再び一軍登録されてからは,中継ぎとしてビハインド時のロングリリーフからセットアップまで,とにかく首脳陣の一貫しないあらゆる起用に応えた一年となった。

2014年はクリス・ナーブソン,クリス・カーペンターの獲得に伴い二軍スタートとなるも,4月12日に投手陣強化のためミレッジに代わって一軍昇格。トニー・バーネットの離脱,前年終盤に抑えを務めた石山泰稚の不調などが重なり,今度はクローザーを託される形に。5月16-18日中日戦(ナゴヤドーム)では3試合連続セーブをマークするなど,16試合16イニングを投げ自責点1と好調を持続していた。ところがその後右腕に違和感を訴えしばらく様子を見ていたが,とうとう5月24日に抹消され,検査の結果右腕変形性肘関節症と診断され,米国で手術に踏み切ることに。全治が明らかにされないなか,フェニックスリーグでの復帰を目指し日本に戻りリハビリを続けていた。12月4日に残留が発表される。

故障も癒えた2015年は初登板となった4月2日阪神戦(神宮)こそ先発だったが,次の登板から中継ぎに回ると,ローガン・オンドルセク,バーネットにつなぐ勝利の方程式を構築。
それでありながらシーズン終盤先発の頭数が足りなくなったところでは再び先発マウンドを託されるなど,とにかくフォア・ザ・チームに徹してくれた。チーム最年長のよき兄貴分としてブルペンをまとめ,フル回転。10月2日阪神戦(神宮)では延長に入って2イニングを無失点に抑え優勝を決めた試合の勝利投手となった。

確かに後半失速した面は否めない。さらに来季38歳という年齢もあり勤続疲労も不安視される。しかしこれほどまでに性格が良くチームに尽くしてくれた外国人がかつていただろうか?
いい意味でも悪い意味でも使い勝手よく終わってしまった。こんな形でのお別れとなるとは・・正直寂しい。


「みなさんに すてきなX’ますを」
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2015年12月15日

2月20日からオープン戦=プロ野球

 セ、パ両リーグは15日、2016年のオープン戦日程を発表した。
 2月20日から3月21日まで、今年より2試合多い98試合を行う。球団別ではヤクルトと巨人の19試合が最多。
 開幕日は新監督を迎えたチーム同士の対戦となる巨人―DeNA(沖縄セルラー那覇)と中日―ロッテ(北谷)、ヤクルト―広島(浦添)の3試合。2年連続日本一のソフトバンクは、3月3日にヤフオクドームで阪神と初戦を行う。
 公式戦はセ、パ両リーグとも3月25日に開幕する。[ 時事通信 12月15日(火)14時27分配信 ] 


2016年東京ヤクルトスワローズオープン戦日程表
2/2021
広島阪神
浦添浦添
13:0013:00
22232425262728
巨人
東京ドーム
18:0014:00
293/123456
横浜DeNA中日
横浜ナゴヤドーム
13:0013:0012:3014:00
78910111213
楽天オリク広島ソフトバンク
明石京セラマツダヤフオク
13:0013:0013:0013:0013:00
14151617181920
広島巨人阪神日本ハム
神宮神宮神宮札幌ドーム
13:0013:0013:0014:0013:00
21222324252627
日ハム巨 人
札幌ド東京ドーム
13:00

12球団最多の19試合。沖縄→東京→名古屋→関西→広島→福岡→東京→札幌と春先から実にハードなじゅるすけが組まれました。

オープン戦見聞LOGデータを。

浦添での広島戦は初。
浦添での阪神戦は2013年2月23日以来3年ぶり。
ナゴヤドームでは2010年3月19-21日以来6年ぶり。
ヤフオクドームは2014年3月11日以来2年ぶり。
神宮での広島戦は2010年3月18日以来6年ぶり。
札幌ドームでは2013年3月2-3日以来3年ぶり。

そして横浜スタジアムでは2011年3月11日以来5年ぶりの開催となります。
7回表途中コールドゲームとなったあの日。観客がグランドに避難するなど混乱に陥りました。忘れてはなりません。。

で,素朴な疑問。
神宮での試合は平日しか無いけど,出陣式するののか??
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2015年12月12日

バーネット、レンジャーズ2年契約=ダルビッシュと同僚に―地元紙

 【ナッシュビル(米テネシー州)時事】米紙ダラス・モーニング・ニューズ(電子版)は10日、ダルビッシュ有投手が所属する大リーグのレンジャーズが、プロ野球のヤクルトから自由契約となったトニー・バーネット投手(32)と2年契約で合意したと報じた。
 同投手はポスティングシステム(入札制度)を利用して大リーグ移籍を目指したが、交渉がまとまらず自由契約となっていた。
 バーネットは2006年にダイヤモンドバックスからドラフト指名を受け、米マイナーを経て日本に移籍した。レンジャーズのダニエルズ・ゼネラルマネジャーは取材に対し、「獲得に興味を持っていることは間違いない」と述べるにとどめた。
 バーネットはヤクルト6年目の今季、抑えとしてリーグ最多の41セーブを挙げ優勝に貢献した。日本での通算成績は11勝19敗97セーブ、防御率3.58。[ 時事通信 12月11日(金)7時52分配信 ]


64(2010)34(2011-2015).トニー・バーネット
2010年1月7日に獲得が発表された右腕。当初球団としては先発を考えており,来日初登板初先発となった4月2日対横浜戦(横浜)で7回無失点11奪三振の快投。チームの外国人投手としては,2003年のジェイソン・ベバリン以来となる来日初登板初勝利をマーク。
この日の見聞LOGには「7回1死満塁から内藤・金城と尾花ベイの代打攻勢に対し連続三振に斬って魅せたガッツポーズ!」とありますが,最初からその片鱗はあったんですね。
翌週4月9日対阪神戦(甲子園)も勝利投手となり連勝スタートを飾ったが,その後は高田ヤクルトのチーム状態とシンクロするかのように白星から見放されるようになる。4月15日対広島戦(マツダ)では前田健太と互角に投げ合い7回1失点,4月22日対中日戦(ナゴヤドーム)も6回2失点。登板4試合時点で防御率1.73とセ・リーグ単独トップに立ったものの,それ以降は序盤から打ち込まれる或いは四球から乱れるなど安定感を欠くように。同じ新外国人のデラクルスとの併用という形で登録抹消を繰り返し,11月30日には一度球団からウェーバー公示されたものの,先発投手として獲得を検討していた韓国の右腕・「英洙のメディカルチェックが不合格となったため,2011年1月12日に再契約を結ぶことに。

背番号が64→34となり,先発からリリーフへ配置転換されたバーネットは,まさに前年までとは打って変わったかのように変貌を遂げた。
開幕から中継ぎとして安定した投球を続ける。5月16日に身内の不幸で一時帰国を余儀なくされたが,6月3日に一軍復帰し,気がづけばストッパー林昌勇につなぐセットアッパーとして8回を任されるように。
9月6日に右手首を剥離骨折し戦線離脱となったが,シーズン最終戦に復帰。11月4日クライマックスシリーズファイナルステージ第3戦(ナゴヤドーム)では先発村中恭平の後を受け4回途中から2番手として21/3イニングを投げ勝利投手になっている。

2012年は林昌勇の不調もあって開幕からクローザーに。5月17日対オリックス戦(神宮)で李大浩に本塁打を浴びるまで18試合連続無失点を続けていた。自身初のオールスターにも選出され,この年は33セーブを挙げ,中日岩瀬仁紀と共にセーブ王に輝いた。
10月15日クライマックスシリーズファーストステージ第3戦(ナゴヤドーム)。1-0と1点リードの8回1アウトの場面で投入されるも,トニー・ブランコに逆転満塁本塁打を浴び,チームはシーズンの幕を閉じた。

信頼感が揺らいだ2013年。開幕からクローザーを任されていたが,4月17日対中日戦(神宮)で事件は起きた。6-6と同点の11回表からマウンドにあがったバーネット。2死一二塁からルナはサードゴロ。サード宮本慎也がセカンドに送球しフォースアウトチェンジと思われたが,二塁塁審橋本信治はセーフの判定(走者は大島洋平)。セカンドのベースカバーに入っていたショート森岡良介は,アウトとセルフジャッジしたか,隙を突かれた形で二塁走者の岩崎恭平の本塁生還を許し,中日に勝ち越された。その判定に怒りが収まらぬまま,続く松井佑介に投じた投球はあっさりとスタンドに運ばれ,再びマウンド上で激怒。橋本塁審がバーネットに詰め寄りあわや退場の騒ぎを起こした。
その翌日右内腹斜筋肉離れを理由に登録抹消されることに。5月26日に復帰したが,5月31日・6月1日対埼玉西武戦(西武ドーム)では2試合連続でサヨナラ打を浴び敗戦投手になるなど失点を重ね,6月17日に再び登録抹消。それでも7月13日に再登録されてからはストッパーの座ははく奪されたものの,中継ぎとして安定感を取り戻し,特に9月・10月は登板15試合で防御率0.00と復調気配をみせた。それでも前半戦の乱調が響き1勝8敗7S,防御率6.02。チームも最下位に沈んだ。

2014年も開幕直後の4月2日対広島戦(マツダ)でピッチャーゴロを処理した際,打者走者にタッチしようと飛び付き負傷。左膝後十字靱帯部分断裂で2ヶ月以上の離脱を余儀なくされた。
6月19日に一軍復帰。6月25日対千葉ロッテ戦(神宮)14-1と大量リードの9回表に登板した。ルイス・クルーズに本塁打を浴びた際,クルーズに対し”さっさと走れ”とクルーズに激怒。クルーズもこれに応酬し,本塁を踏んだ後両者が言い合いとなり,一触即発の事態に。
7月5日対広島戦(マツダ)で2013年8月8日対中日戦(ナゴヤドーム)以来自身11ヶ月ぶりのセーブをマークしたが,今度は8月19日対巨人戦(神宮)。4-3と1点リードの9回表2死一塁から長野久義に三塁線を破られると,レフトバレンティンの緩慢な動きが仇となり一塁走者大田泰示が一気に本塁まで生還し,同点に追いつかれてしまう。その裏バレンティンに打席が回り凡退した際,ベンチからロッカールームに向かおうとしたバレンティンにバーネットが詰め寄りベンチ内で乱闘騒ぎを起こしてしまう。
9月23日に左外腹斜筋損傷で離脱そのまま帰国するまで,14のセーブを挙げたが,2年連続最下位のチーム状態を象徴するかのように,不協和音を生むような態度が目についていたのは事実。

2015年春季キャンプオープン戦を通じ,新加入のローガン・オンドルセクとの競争の末にストッパーに指名されることとなったが,この時点ではまだ半信半疑だった。しかし・・・
3月27日広島との開幕戦(マツダ)から23試合連続無失点スタート。ロマン・オンドルセク・バーネットとつなぐ勝利の方程式ROBは確実に相手チームから白星を奪っていった。
終わってみればセーブが付く場面での救援失敗はチームが14年ぶりのセ・リーグ優勝を決めた10月2日対阪神戦(神宮)で8回表関本健太郎に浴びた同点タイムリーの1試合のみというまさに絶対的守護神であった。
41セーブは球団最多記録。呉昇桓(阪神)とともに自身2度目のセーブ王にも輝いた。


試合を締めると同時に魅せた吠えながらのガッツポーズ。シーズン終盤大事な試合になればなるほどその動作に力が増していった。バーネットの穴はそう簡単に埋められそうもない。それほどまでの圧巻なピッチングだった。
それでも彼の6年間の功績に応える形で,チームはトニーのメジャー挑戦を容認した。球団からしたら当初描いていたものとは違ったものとなったが,円満移籍となるトニー。

Thank you Tony Barnette for 6 years!!

年度登板勝利敗北SPHP勝率打者投球回安打本塁四球死球三振暴投失点自責防御率
2010164500.444376792/399941470255535.99
20114811222.5001994743213454014142.68
20125712333.333213541/344411252215111.82
20134718714.111176401/336419262029276.02
20143312144.333132321/327411042012123.34
20155931416.750246622/33711935611091.29
通算26011199749.36713423161/3286241141533651351263.58
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2015年12月11日

原「連覇の力に」=ヤクルトが新入団発表―プロ野球

 ヤクルトは11日、東京都内で新人6選手の入団発表を行い、ドラフト1位指名の原樹理(東洋大、背番号16)は「石川投手のように長く活躍して、ヤクルトに恩返しをしたい。少しでも連覇の力になりたい」と抱負を述べた。[ 時事通信 12月11日(金)17時4分配信 ]


大安吉日の入団発表。
原、背番号16に意気込む=ヤクルトと仮契約―プロ野球
 ヤクルトは30日、ドラフト1位で指名した東洋大の原樹理投手(22)と埼玉県川越市の同大学で入団交渉し、契約金1億円プラス出来高払い、年俸1500万円で仮契約した。
 背番号は16。原は「10番台の背番号を頂き、期待されていると感じた。1年目からシーズンを通して活躍したい」と意気込んだ。
 原は鋭いシュートが武器の右腕で、今秋には東都大学リーグ2部だった東洋大を7季ぶりの1部復帰に導いた。ヤクルトの鳥原公二チーフスカウトは「将来的には先発の柱になってほしい」と期待を込めた。金額は推定。[ 時事通信 11月30日(月)18時47分配信 ]


優勝した年のドライチ。14年前の石川雅規も優勝はすぐ手の届くものと感じていたそうです。
「連覇のために、少しでも力になりたいと思います。」1992-1993年以来のセ・リーグ連覇を目指す来季。1993年はドラフト1位の伊藤智仁が序盤彗星のごとく現れ,連覇に貢献してくれました。原樹理も同じ運命を辿れとは言えませんが…新人王目指して!
さらには「高山(阪神1位指名)を外して自分は1位指名されたので、高山以上の成績を残して、原で良かったと思われるようにしたい。」クジを巡る二人の因縁にも注目ですね。

ヤクルト 2位指名の智弁学園高・広岡と合意
 ヤクルトがドラフト2位指名した奈良・智弁学園高の広岡大志内野手(18)=183センチ、80キロ、右投げ右打ち=の入団が8日、決まった。契約金5千万円、年俸600万円で合意した。(金額は推定)

内野手の出世番号である背番号36を与えられた廣岡。
 ○池山隆寛(1984-1991)→○住友健人(1993-1999)→1池山隆寛(2000-2002)→○川端慎吾(2006-2011)→○川上竜平(2012-2015)→○廣岡大志(2016-)
池山は兵庫,川端は大阪,そして廣岡は奈良。ブレイクには”関西出身”という共通項(住友は徳島,川上は沖縄)がある。
1997年生まれの廣岡にとって池山は「池山さんの(現役時代の)映像を『YouTube』で見ました。ブンブン丸と呼ばれたんですよね?出世できるように頑張ります」と,最早この感覚になってしまうんですね。
果たして背番号「1」と「36」が二遊間を組む日は訪れるのか。それが意味するものは廣岡のデビューが先か?山田のメジャーが先か?

3位高橋と仮契約=プロ野球・ヤクルト
 【ヤクルト】3位指名の高橋奎二投手(京都・龍谷大平安高)と契約金5000万円、年俸600万円で仮契約した。 金額は推定。[ 時事通信 11月20日(金)16時14分配信 ] 

左のライアンに託された背番号47。かつて山田も披露した身体を張ったパフォーマンス。度胸は◎。
「僕は小川(泰弘)さんのように足を高く上げるところが特徴です。目標は巨人の杉内さん。コントロールのキレを磨いていきたい」
かつては工藤公康や野口茂樹といった左腕の代名詞。高校生くらいの世代だと背番号47=ホークスの杉内というイメージあるんでしょうかね。。ちょっと安心(笑)

ヤクルト、4位日隈と仮契約=プロ野球・ドラフト
 【ヤクルト】4位指名の日隈ジュリアス投手(高知中央高)と契約金3200万円、年俸500万円で仮契約した。(金額は推定)。[時事通信 11月27日(金)18時19分配信 ]
 
登録名はジュリアス。まずは父親の話題が先行。
「どんどんストレートで押していくのが自分のスタイルなので、それを早く神宮で見せられるように努力したいです」まずは長所を伸ばして欲しいですね。

5位山崎と仮契約=プロ野球・ヤクルト
 【ヤクルト】5位指名の山崎晃大朗外野手(日大)と契約金3800万円、年俸800万円で仮契約した。(金額は推定)。[ 時事通信 11月16日(月)21時32分配信 ] 

つば九郎席となった山崎。まずはますこっとの洗礼を受けるも無難にかわす。
「走攻守であらゆる場面でチームを引っ張っていける選手になりたいです」。
浦添キャンプスタートも濃厚で,上田比屋根坂口鵜久森とのセンター試験に挑む。

ヤクルト、6位渡辺と仮契約=プロ野球・ドラフト
 【ヤクルト】6位指名の渡辺大樹内野手(千葉・専大松戸高)と契約金2500万円、年俸500万円で仮契約した。(金額は推定)。[ 時事通信 11月19日(木)17時55分配信 ]
 
「自分のセールスポイントは長打力と足なので、それを活かして早く神宮でプレーできるように頑張りたいです」
ドラフト下位指名ながらも三輪や鈴木尚広といった足のスペシャリストというポジションを掴んだ選手もいる。同期の廣岡と較べるのではなく,自分の道を探ってほしい。

最後にドラフト当夜の背番号予想クイズの正解発表!どん。

原樹に「13」。山崎は真中監督の後輩&左投げ左打ちの外野手ということで「31」。
高校生4人に仲良く40番台を。ハーフということもあり日隈に「49」。高橋に左腕エースの代名詞「47」。廣岡に宮出コーチが付けていた「43」。渡邉には同姓の渡邉打撃投手や岩村明憲が付けていた「48」。
これでどうでしょうか?

「11」は温情で空けておくでしょう。
「15」「16」あたりは松坂世代の元メジャーリーガー獲得如何で,番号のはく奪があるかも。

原樹理×13→16
廣岡×43→36
高橋○47
ジュリアス×49→48
山崎○31
渡邉×48→49

ということで正答率は33%。ジュリアスと渡邉が逆だったのが悔やまれます…。
「「15」「16」あたりは」「番号のはく奪があるかも。」もある意味当たったんだけどなぁ…。
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2015年12月08日

ヤクルトの山田は2億2000万円=来季から背番号1に―プロ野球・契約更改

ぶろぐーではあんまりおカネの話はしないんだけど,背番号1の継承記念日ということで2009年12月29日に続いてログを残しておこうと思います。

 ヤクルトの山田哲人内野手(23)が8日、東京都内の球団事務所で契約更改交渉に臨み、1億4000万円増の2億2000万円でサインした。
 背番号は「23」から「1」に変わる。
 高卒野手で6年目の年俸が2億円を超えたのは、イチロー(現マーリンズ)、松井秀喜(元ヤンキースなど)に次ぎ3人目。今季は打率3割2分9厘、38本塁打、34盗塁で「トリプル3」を達成し、チームの優勝に貢献。セ・リーグ最優秀選手(MVP)にも輝いた。山田は「すごく評価していただき、気持ちよくサインした」と話した。
 交渉後の記者会見には、マリナーズ入団が決まった青木宣親外野手が現れた。ヤクルトで背番号1を付けていた先輩から「特別な番号。人間的な面でもチームを引っ張ってほしい」と激励されると、「背番号に恥じないように頑張りたい」。若松勉、池山隆寛らも背負った重みを感じていた。(金額は推定)。[ 時事通信 12月8日(火)17時52分配信 ]
 
IMAG1357.jpg
2013年オフの福袋に入っていた山田の直筆サイン入りボール。この時点ではまだセカンドのレギュラーを掴みかけの選手で,日本を代表するような選手になるなんて想像も出来ませんでした・・
「23」時代の貴重なサインボール。大切にしたいと思います。

流行語大賞も受賞し,今や一般のニュースでも取り上げられる存在に。イチロー・松井レベルになるんでしょうね。。

36池山隆寛(1992-1999)→48岩村明憲(2001-2006)→23青木宣親(2010-2011)→23山田哲人(2016-)
新たな背番号「1」が生まれた年のスワローズは1992年優勝,2001年優勝,2010年小川ヤクルトといずれもリーグで1番の成績を収めています。2016年も期待しましょう。

チームは優勝旅行を来週に控え順調に進む契約更改。
ヤクルトの畠山は新たに3年契約=プロ野球・契約更改
 【ヤクルト】今季105打点で打点王となった畠山が新たに年俸変動制の3年契約を結んだ。
 来季年俸は4000万円増の1億3000万円。取得した国内フリーエージェント権は行使しなかった。15年目を終えて1億円の大台を突破し、「来年も優勝して、日本一を目指したい」と話した。
 正捕手として活躍し、初めてベストナインに選ばれた中村は2700万円増の6700万円で更改。「古田さんの背番号27をつけたい気持ちはある。そのためにもレベルアップしたい」と意気込みを語った。
 両リーグ最多の74試合に登板した秋吉は3200万円から倍以上となる6800万円でサインした。金額は推定。[ 時事通信 12月8日(火)18時40分配信 ] 


大トリは名実ともにあのマスコットとしても,残されたメンバーからするとトリは小川?慎吾?

一方で,トニーについては彼の意志を尊重する方向で進むようです・・
バーネット、交渉成立せず=入札制度での米移籍断念―プロ野球・ヤクルト
 ヤクルトは7日、ポスティングシステム(入札制度)を利用して米大リーグ移籍を目指していたトニー・バーネット投手(32)の交渉がまとまらなかったと発表した。
 奥村政之編成部国際担当次長によると、バーネットは複数球団と交渉したが、期限だった日本時間同日午前7時(米東部時間6日午後5時)までに合意できなかった。米球界経験者が入札制度を使ったのは初めてで、ヤクルトは譲渡金を50万ドル(約6000万円)に設定していた。
 ヤクルトはバーネットの希望を最優先する方針で、米移籍の可能性は残されている。
 バーネットは今季、リーグ最多の41セーブを挙げてリーグ優勝に貢献した。[ 時事通信 12月7日(月)15時18分配信 ]

バーネットが自由契約に=米挑戦の意志固く―プロ野球・ヤクルト
 ヤクルトは8日、トニー・バーネット投手(32)を保留選手名簿から外し、自由契約にした。
 奥村政之編成部国際担当次長によると、バーネットの米大リーグ挑戦の意志が固いことや、米大リーグ側から同投手の身分照会があったことを踏まえ、保有権を放棄した。
 バーネットはポスティングシステム(入札制度)を利用して米大リーグ移籍を目指したが、交渉はまとまらなかった。[ 時事通信 12月8日(火)19時25分配信 ]
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2015年12月02日

HP15周年

今年もこの日が。

2014.12.01から2015.11.30までの1日あたりの訪問者(IP)は295.87/day,1年間のページビュー(PV)は計553,609でした。
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内容が淡々としたものになってきているというご指摘を受け,今年は自分なりに感じた試合のポイントとデータを列記するように心がけてみました。「テレビ見てなくても解る内容」のお役に立てたでしょうか?!

チームのおかげで,シーズンも終盤になるにつれ自分自身の文章にも熱が入っていたとは思うのですが・・

続けることが目的にならないよう,今後とも精進していきたいと思う所存です。
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