ヤクルトは5日、来季のコーチ陣を発表した。
三木肇作戦コーチがヘッドコーチに昇格。押尾健一戦略担当スコアラーは戦略コーチとなり、引き続きスコアラーも兼ねる。
【1軍】▽監督 真中満▽ヘッド兼内野守備走塁 三木肇▽投手 高津臣吾、伊藤智仁▽チーフ打撃 杉村繁▽打撃 宮出隆自▽外野守備走塁 福地寿樹▽バッテリー 野村克則▽戦略 押尾健一
【2軍】▽監督 宮本賢治。[ 時事通信 11月5日(木)17時32分配信 ]
2016年コーチングスタッフについて
一軍
監督 77 真中満
ヘッド兼内野守備走塁コーチ 88 三木肇
投手コーチ 99 高津臣吾
投手コーチ 84 伊藤智仁
チーフ打撃コーチ 74 杉村繁
打撃コーチ 76 宮出隆自
外野守備走塁コーチ 73 福地寿樹
バッテリーコーチ 78 野村克則
戦略コーチ兼スコアラー 81 押尾健一
二軍
監督 72 宮本賢治
投手コーチ 86 成本年秀
投手コーチ 98 石井弘寿
打撃コーチ 83 斉藤宜之
打撃コーチ 82 松元ユウイチ
内野守備走塁コーチ 89 水谷新太郎
外野守備走塁コーチ 79 笘篠誠治
バッテリーコーチ 90 芹澤裕二
2014年は10月23日。2013年は10月22日。Bクラスに終わると日本シリーズの前には新体制が発表されていましたが,今年は日本シリーズ後11月に入っての発表。
一軍首脳陣は変化なし。事実上の腹心だった三木作戦コーチ兼内野守備走塁コーチが正式にヘッドの肩書に。三木コーチが担っていた戦略面を,今季全試合ベンチに帯同していた押尾健一スコアラーがユニフォームを着て担う形に。背番号は渡辺進さん伊勢孝夫さんと受け継がれてきた「81」。
一方今季39勝64敗5分 勝率.379,首位と18.0差をつけられて断トツの最下位に終わったファームは抜本的な改革に。
ヤクルト・伊東2軍監督が退任 山部&土橋コーチも来季契約せず
ヤクルトの伊東昭光2軍監督(52)が今季限りで退任することが18日、分かった。また、山部太2軍投手コーチ(44)、土橋勝征2軍外野守備走塁コーチ(46)も球団側から来季の契約を結ばない意向を伝えられた。秋季教育リーグ「みやざきフェニックス・リーグ」終了を待って正式発表される。
伊東監督は1985年ドラフト1位で入団以来、エースとして活躍し、88年にはリリーフとして18勝を挙げ最多勝を獲得。引退後は1軍投手コーチ、ヘッドコーチなどを歴任し、2014年に2軍監督に就任。ヤクルトひと筋で選手育成に尽力してきた。球団側は功績を評価し、フロント入りを打診している。
2軍の外野守備走塁コーチには今季限りで楽天を退団した笘篠誠治氏(51)を招へいする予定だ。[ サンケイスポーツ 10月19日(月) 05時05分配信 ]
伊勢バッテイングアドバイザー,池山二軍打撃コーチに続き,伊東監督,山部二軍投手コーチ,土橋二軍外野守備走塁コーチが退団。
二軍監督には宮本賢治ファームディレクターが16年ぶりに現場復帰となり,3人体制を敷いていた投手及び打撃コーチは2人制に。外野守備走塁コーチには経験豊富な笘篠コーチを招聘。
92.伊東昭光(2011-2015)
2011年編成部から二軍投手コーチに現場復帰し,2014年真中二軍監督の一軍昇格に伴って二軍監督に昇格するも,最下位の責任を取らされる形で退任。DeNAラミレス新監督にヘッド格として招聘されるという一部報道もあったが,フロントに残ることになりそう。
昨年は絶対的な(投げられる状態になる)投手の不足。そして今年は絶対的な(試合に出られる状態にある)野手の不足と,ファームの置かれた悲惨な状況がありましたからね・・
79.山部太(2014-2015)
2006年の現役引退後,2010年までファームのコンディショニングと投手コーチを歴任。2011年から3年間フロント入りし,2014年から再び現役復帰。
前任時に,村中恭兵・増渕竜義・佐藤由規・赤川克紀ら若手投手陣を次々と一軍に送り込んだ育成の実績を買われたのであろうが,彼らにとっても試練の年となってしまった。
それでも昨年は山部コーチと同じ左腕の岩橋慶侍,中澤雅人らを中継ぎ投手として一軍に送り込んでくれた。
75.土橋勝征(2007-2015)
山部コーチと同じく2006年の現役引退後,二軍打撃コーチ(2007-2008)−内野守備走塁コーチ(2009)−二軍内野守備走塁コーチ(2010-2013)−二軍外野守備走塁コーチ(2014-2015)と担当を転々。
セカンドのイメージが強かっただけに,外野守備走塁コーチ?という声があったのも事実。それでも野村監督時代は外野もこなしたいぶし銀。寡黙な性格で熱心に練習につきあってくれたイメージが強いが,○○は土橋が育てたって選手はいるのかなぁ・・と。
フロント入りということで,今度はスーツ姿に。さぞ凛々しいお姿を神宮で拝見できることでしょう。
2軍監督に宮本賢治氏=プロ野球・ヤクルト
ヤクルトは29日、来季の2軍監督に今季ファームディレクターを務めた宮本賢治氏(56)が就任すると発表した。伊東監督は編成部門などでチームに残る見込み。[ 時事通信 2015年10月30日 00時46分配信 ]

現場復帰は2000年以来16年ぶり。スカウト時代には青木宣親,田中浩康,武内晋一らを担当。ファームディレクターとして小川SDも全幅の信頼を寄せる方だけに,まずはキッチリ試合が出来るチーム作りから取り組んでいただきたいものです。
79.笘篠誠治
1990年代西武黄金期を支えた外野手。実弟が最近ヤクルトを毛嫌いしている解説の目立つ広島OB笘篠賢治氏。
1997年現役引退後,西武(1998-2007)−中日(2008-2011)−ソフトバンク(2012-2014)−東北楽天(2015)−東京ヤクルト(2016-)と19年間ユニフォームを着続けるスペシャリスト。落合中日,秋山ソフトバンクでも一軍のベースコーチを務めており勝ち方も知る。
日本人の外野専任が少ない選手層。その手腕に期待が懸かります。
そして最後に来季より二軍打撃コーチに就任する松元ユウイチ。
ユウイチが引退へ=プロ野球・ヤクルト
ヤクルトの松元ユウイチ外野手(34)が19日、今季限りでの現役引退を表明した。
ブラジル出身のユウイチは1999年に入団。ヤクルト一筋でプレーし、通算546試合で240安打、打率2割6分3厘、11本塁打、115打点。2013年にはブラジル代表としてワールド・ベースボール・クラシック(WBC)にも出場した。ユウイチは「悔いのない野球人生だった。みんなのおかげで、最後は日本シリーズで野球をやれて幸せ」と語った。[ 時事通信 10月19日(月)19時13分配信 ]
65(1999-2007)49(2008)31(2009-2015).松元ユウイチ
1999年ブラジルからの野球留学生としてツギオ佐藤とともにスワローズに入団。ドラフトを経由しない外国人選手扱いということもあり,一軍出場には障壁が多かった。
2002年5月29日。ロベルト・ペタジーニが左太腿裏肉離れ,真中満が左脇腹腹斜筋肉離れと左打ちの野手が同時に故障で抹消。ユウイチにとっては願ったり叶ったりの外国人枠に空きが出たため入団4年目にして初の一軍登録となった。プロ初出場は5月30日対巨人戦(神宮)8番ライトでスタメン起用。プロ初打席で初安打を武田一浩からマークした。6月12日ペタジーニの復帰に伴い登録抹消。10月1日アラン・ニューマンの抹消に伴い再び一軍登録されると,10月6日対阪神戦(甲子園)で藤川球児からプロ初打点を挙げた。オフのIBAFインターコンチネンタルカップにはブラジル代表として招集されている。
2004年3月19日に日本国籍を取得したことで,外国人枠の制限に縛られることなく出場機会が増えていく。
2005年はプロ初となる開幕一軍を掴みフルシーズンを一軍で過ごした。4月2日対阪神戦(大阪ドーム)で安藤優也からプロ初本塁打。8月27日対横浜戦(神宮)では自身初となるサヨナラ安打。75試合に出場し,頭角を現したように思われたが,翌2006年は4月30日に急性腰痛で抹消されるとそのまま椎間板ヘルニアの手術に踏み切り,この年は僅か3打席のみとシーズンを棒に振るう形に。
2007年も怪我に泣く。春季キャンプ中の2月12日。打撃練習中に足元に落ちていたボールを踏んで転倒し左足首を骨折。5月には走者と交錯し今度は左手小指を骨折。オールスター後に本格的に実戦復帰すると,圧倒的な数字を残し,8月23日に古田敦也兼任捕手に代わっての一軍昇格を果たすと,登録即スタメンとなった阪神戦(神宮)で1号満塁本塁打を含む4打数4安打6打点の大活躍。9月22日対広島戦(神宮)でスワローズ第92代に四番打者に抜擢され,5打数4安打。のべ5試合で四番打者を務めた。33試合の出場ながら,打率.340,3本塁打,16打点の好成績を残し,背番号は「65」から「49」に変更されることになった。
2008年は持病の腰痛を発症し開幕一軍には間に合わなかったが,5月3日に一軍昇格すると,自身最多の80試合に出場。代打での勝負強さも発揮し,2度のお立ち台。引退した真中満の背番号「31」を受け継ぐことになった。
2009年。開幕から一軍も,前年のような勝負強さをなかなか発揮できぬまま8月7日に登録抹消。しかしその直後からチームが故障者の連鎖に見舞われる。ジェイミー・デントナ,宮本慎也,川島慶三。投手でも五十嵐亮太,林昌勇,萩原淳,由規。一軍にはその時怪我をしていないメンバーが招集される。もはやそんなチーム状態でチームは史上初のクライマックスシリーズ出場を目指し,阪神との熾烈な争いを繰り広げていた。そこで勝負強さを発揮したのがユウイチ。9月28日対阪神戦(神宮)5番ファーストでスタメン出場。6回裏に均衡を破るタイムリーを放ちお立ち台に。さらに10月8日対阪神戦(神宮)でも先発出場し3回裏に貴重な追加点となるライトオーバーのタイムリー二塁打を放ち,チームにクライマックス出場マジック2を灯させた。クライマックスシリーズでは代打での1打席のみ(結果は三振)に終わっている。
2010年。開幕こそ一軍だったものの登録と抹消を繰り返され,挙句の果てに監督の交代劇。小川代行体制となってから初の一軍昇格となった8月6日対横浜戦(横浜)で自身3年ぶりとなる本塁打を放った。
震災の影響で開幕が順延となった2011年。4月26日対巨人戦(静岡)では3番レフトでスタメン出場しお立ち台にあがるなど,順調な滑り出しをみせたが,好不調の波が激しく,一軍と二軍を行き来するシーズンに。チームは2度目のクライマックスシリーズ出場を果たしたが,ファーストステージの前日に無念の登録抹消。規定により10日間は登録できないため,そのままシーズン終了となってしまう。
2012年も同じようなシーズンを過ごした。結果を残せず登録抹消。シーズン終盤主力の相次ぐ離脱による一軍昇格。クライマックスシリーズ前の登録抹消。
オフには第3回WBCブラジル代表の主将として,予選で強豪パナマとコロンビアを撃破。母国ブラジルのWBC本戦初出場に貢献した。
日本で開かれたWBC第1Rから始まった2013年。指名打者制の使える交流戦期間こそ一軍登録されたが,ファーム暮らしが続いた。だが8月20日に昇格すると勝負強さを発揮。8月30日対横浜DeNA(神宮)で小林太志から自身2年ぶりとなる本塁打。9月には6試合連続マルチ安打の活躍を見せ,10月3日対巨人(東京ドーム)では2008年6月18日以来およそ5年半ぶりとなる四番に座った。44試合の出場ながら25打点。打率も.300を超えるアベレージを残し,9月24日対巨人(神宮)では生涯唯一の三塁打を記録している。
代打ながら開幕から5打席連続安打を放つなど好調なスタートを切った2014年だったが,5月26日右内腹斜筋肉離れで離脱。オールスター明けの7月26日に一軍復帰。代打時の打率は.317と代打の切り札として存在感を発揮とりわけ得点圏打率.448とここぞの勝負強さが光った。
2015年。オープン戦も終盤となる3月14日東北楽天戦(静岡)からの一軍合流ながら,6試合で10打数6安打 打率.600と好調をキープ。プロ17年目にして自身初となる開幕戦6番ライトでスタメン起用を掴んだ。1980年度生まれの選手が開幕戦に名を連ねるのもチーム史上初の出来事であった。
その後は主に左の代打の切り札としての起用で,打率も.170にとどまったが,チーム野手最年長として精神的支柱となり14年ぶりのセントラル・リーグ優勝に貢献してくれた。
10月16日クライマックスシリーズファイナルステージ第3戦(神宮)の8回裏,オンドルセクの代打で起用されたが,これはユウイチ自身2009年10月19日対中日戦(ナゴヤドーム)以来実に6年ぶりとなるクライマックスシリーズでの打席となった。
10月29日神宮球場での最終戦ともなった日本シリーズ第5戦の7回裏。秋吉に代わる代打での出場が現役最後の打席となった(セカンドゴロ)。試合後ライトのポジション付近でナインから胴上げされ,かつての同僚であるソフトバンクの五十嵐亮太,川島慶三,飯田哲也コーチらも労いに訪れた際には号泣し,「大したスーパースターじゃないのにこれだけ応援してくれてありがたかった」と語ったという。
年度 | 試合 | 打席 | 打数 | 得点 | 安打 | 二塁 | 三塁 | 本塁 | 打点 | 盗塁 | 打率 |
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2002 | 10 | 27 | 24 | 2 | 6 | 1 | 0 | 0 | 3 | 0 | .250 |
2003 | 12 | 14 | 14 | 2 | 4 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | .286 |
2004 | 20 | 28 | 28 | 1 | 11 | 1 | 0 | 0 | 5 | 0 | .393 |
2005 | 75 | 151 | 137 | 10 | 33 | 6 | 0 | 2 | 13 | 0 | .241 |
2006 | 3 | 3 | 3 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | .000 |
2007 | 33 | 105 | 103 | 11 | 35 | 6 | 0 | 3 | 16 | 0 | .340 |
2008 | 80 | 147 | 134 | 9 | 34 | 7 | 0 | 0 | 15 | 0 | .254 |
2009 | 51 | 75 | 67 | 2 | 15 | 4 | 0 | 0 | 4 | 1 | .224 |
2010 | 35 | 45 | 41 | 2 | 9 | 2 | 0 | 1 | 6 | 0 | .220 |
2011 | 51 | 63 | 57 | 2 | 11 | 2 | 0 | 1 | 8 | 0 | .193 |
2012 | 21 | 40 | 37 | 1 | 7 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | .189 |
2013 | 44 | 153 | 139 | 19 | 43 | 1 | 1 | 4 | 25 | 0 | .309 |
2014 | 72 | 89 | 83 | 1 | 24 | 3 | 0 | 0 | 14 | 0 | .289 |
2015 | 39 | 51 | 47 | 1 | 8 | 2 | 0 | 0 | 5 | 0 | .170 |
通算 | 546 | 991 | 914 | 64 | 240 | 36 | 1 | 11 | 115 | 1 | .263 |
「こういう終わり方ができて、みんなに感謝。本当に幸せ者です」松元ユウイチ選手。17年間のプロ生活おつかれさまでした。
こうしてまた一人同学年の選手がユニフォームを脱いでいく。。寂しいものです。。