はじめに 昨シーズン限りで現役引退した宮本慎也氏に,スワローズは「決して明るい未来ではない」と苦言を呈された。オフの補強は2年ぶりの日本復帰となる
真田裕貴,新外国人
クリス・ナーブソン,
クリス・カーペンターの3名のみ。シーズン前の評論家諸氏の順位予想では,ほぼ全員に”最下位”と予想された。
それでも故障者の復帰が最大の補強という淡い期待感はあった。ところがキャンプでドラフト1位ルーキー
杉浦稔大が右肘内側側副靱帯断裂し離脱。4月2日広島戦(マツダ)で守護神
トニー・バーネットがベースカバーの際に左膝後十字靱帯を部分断裂。右肘靭帯再建手術から復活を目指していた
館山昌平は4月5日イースタン巨人戦(戸田)で1球投じたところで降板。検査の結果右肘関節外側滑膜ヒダ・骨棘切除術,前腕屈筋腱縫合術,内側側副靭帯再建手術に踏み切り今季絶望。
4月6日阪神戦(神宮)では
村中恭兵が腰に張りを訴え翌日に登録抹消。そして昨季最多勝と新人王を獲得し開幕投手にも指名された
小川泰弘が4月18日阪神戦(甲子園)で阪神・鳥谷敬の打球を腕に受け右手有鉤骨鉤骨折。6月にはバーネットに代わりストッパーを務めていた
オーランド・ロマンが右肘変形性肘関節症の手術のため渡米。4月10日に腰椎椎間板ヘルニア摘出手術を受けた
田川賢吾のほか,
平井諒が右肩クリーニング手術,
金伏ウーゴが左肘内側側副靭帯再建術手術,育成枠の
中根佑二が右膝十字靭帯損傷靭帯再建手術からのリハビリでいずれも一年間ファーム含め実戦登板無く終わるなど投手の絶対的な頭数が不足しており,投壊はもはや避けては通れなかった。
リーグワーストの防御率4.62,失点717はともにリーグワースト。2年連続最下位という結果は当然といわれても止む無しか。先発陣の防御率4.64,救援投手陣の防御率4.58と援護をもらっても投手陣が守りきれない試合が目立った。交流戦前の6連勝で4位まで浮上したがあとは5位6位を彷徨うばかり。7月11に最下位に転落すると以後一度も這い上がることなく9月29日に球団史上ワーストタイとなる2年連続最下位が確定。併せて
小川淳司監督の退任と
真中満新監督誕生の運びとなった。
そんな状況下でも
石川雅規はチームで唯一規定投球回数をクリアしかつ自身3年ぶり10度目となる二桁勝利を達成し投手陣を支えてくれた。小川は約3ヶ月の離脱がありながら9勝6敗と3つの貯金を作り,同じく2年目の
石山泰稚は7月から先発に配置転換されると,勝ち星にこそ恵まれなかったが適性を感じさせる投球内容を披露。開幕ローテーション入りした
秋吉亮も勝ちパターンの起用に落ち着きルーキーながら61試合に登板し19ホールドをマーク。
中澤雅人も8月以降中継ぎとして23試合で防御率1.80という数字を残した。9月に入ってようやく一軍初登板を果たした杉浦も4試合に先発し2勝を挙げるという潜在能力の高さを示した。
八木亮祐は昨年と同じ5勝ではあったが,負け数を13→6に減らした。7月5日広島戦(マツダ)では
岩橋慶侍が,9月3日中日戦(神宮)で
徳山武陽が嬉しいプロ初勝利を挙げた。また5月3日対阪神戦(神宮)では
久古健太郎がプロ野球史上2人目となる打者0での勝利投手に,9月5日巨人戦(神宮)では
七條佑樹が自身719日ぶりとなる白星をプロ初の完投勝利で飾りお立ち台で涙した。
昨年の経験を糧に一年間通しての活躍が期待された
木谷良平と
古野正人だったが,それぞれ4勝と3勝,
赤川克紀は2年連続未勝利。
江村将也は左肘の状態が思わしくなく19試合の登板に終わった。
山本哲哉は3年連続50試合以上登板も防御率を3.55と大きく下げてしまった。
松岡健一も先発から中継ぎに再転向させられるなど苦しいシーズンとなった。
佐藤由規,
大場達也,
児山祐斗は一軍での登板は無かった。
一方で攻撃陣はリーグ最高いや球団史上最強ともいえる布陣となった。
その筆頭が日本人右打者最多安打記録を更新した
山田哲人だ。193安打,29本塁打,15盗塁。190安打以上はプロ野球史上16人目,22歳シーズンでの到達は1994年イチロー(オリックス)の21歳に次ぐ年少記録。4月から9月まで6ヶ月連続先頭打者本塁打というのはプロ野球初の珍記録となった。
1番打者の山田に牽引され,8月には球団記録を更新する8試合連続2桁安打,プロ野球タイ記録となる8試合連続7得点以上も成し遂げた。山田のほか,
高井雄平(.316),
畠山和洋(.310),
川端慎吾(.305),
ウラディミール・バレンティン(.301)と規定打席に達した5人全員が打率3割以上。
松元ユウイチの代打成績も.317と高いものだった。チーム打率も昨年の.253から.279に,総得点も577から667へと大幅にアップしている。開幕4番を務めながら右肩関節上方関節唇損傷手術のため10試合の出場で帰国した
ラスティングス・ミレッジ不在など全く感じさせない陣容だった。
それでもチームの勝利に結びつかなかったのには,投手陣の弱さとともに守備力の低さにも一因があった。守備率(.982)と失策数(97)はいずれもリーグワースト2位。守備位置別で見ると,二塁手・山田が2位の13失策。三塁手・川端が1位タイの14失策。遊撃手
森岡良介が4位タイの10失策。外野手も雄平,
上田剛史がともに1位タイの7失策。
比屋根渉は56試合の出場で5失策。
飯原誉士の最終戦で犯したシーズン唯一の失策もあまりに印象が悪かった。薄暮で打球を見失ったり,クッションボールを誤ったり,他の野手との連携ミスによって進塁を許してしまうという記録に表れないミスが多く目立った。
またセンターラインの一角である遊撃手は,
西浦直亨が開幕スタメンの座を射止めたものの打力不足もあって,森岡,開幕直後日本ハムから
増渕竜義とのトレードで獲得した
今浪隆博,
荒木貴裕,
川島慶三(7月に
新垣渚,
山中浩史との交換トレードで,
日高亮とともにソフトバンクへ移籍),
谷内亮太とのべ6選手が入れ替わりでスタメン起用されたが,シーズン通して固定とはいかなかった。
捕手では
中村悠平がスタメンマスクを92試合任され自己最多となる99試合に出場。
相川亮二は47試合に留まり「横一線で競争できる環境」を求めてFA移籍を決断した。シーズン終盤には
西田明央も5試合起用され9/24広島戦(神宮)ではプロ初本塁打を放つなど台頭をアピールした。他に一軍でマスクを被ったのは複数ポジションをこなせる
藤井亮太のみで,
田中雅彦,
星野雄大には一軍登録がなかった。
田中浩康は山田にセカンドのポジションを完全に奪われた形となり,ファーストあるいはサードでの出場機会を窺った。
武内晋一は55試合,
三輪正義は4年ぶりに50試合以下となる32試合,昨年開幕スタメンを勝ち取った
松井淳は10試合の出場に留まった。
川ア成晃はファーム8位の打率.294でイースタン・リーグ優秀選手賞を受賞。2011年ドラフト1位
川上竜平は3年目を迎えたが未だ一軍登録すら叶わない状態でいる。
【表1】セ・リーグ順位表順位 | チーム | 試合 | 勝数 | 敗数 | 引分 | 勝率 | 勝差 | 得点 | 失点 | 本塁打 | 盗塁 | 打率 | 防御率 |
1 | 巨 人 | 144 | 82 | 61 | 1 | .573 | | 596 | 552 | 144 | 102 | .257 | 3.58 |
2 | 阪 神 | 144 | 75 | 68 | 1 | .524 | 7.0 | 599 | 614 | 94 | 55 | .264 | 3.88 |
3 | 広 島 | 144 | 74 | 68 | 2 | .521 | 0.5 | 649 | 610 | 153 | 96 | .272 | 3.79 |
4 | 中 日 | 144 | 67 | 73 | 4 | .479 | 6.0 | 570 | 590 | 87 | 75 | .258 | 3.69 |
5 | DeNA | 144 | 67 | 75 | 2 | .472 | 1.0 | 568 | 624 | 121 | 76 | .253 | 3.76 |
6 | ヤクルト | 144 | 60 | 81 | 3 | .426 | 6.5 | 667 | 717 | 139 | 62 | .279 | 4.62 |
巨人が3連覇を果たしたシーズンではあったが,昨年までの圧倒的な戦力は感じなかった。打撃10傑に入った選手は皆無。阿部慎之介は打率.248。最優秀防御率を獲得しMVPにも輝いた菅野智之が途中離脱し,内海哲也も7勝止まり。スコット・マシソン,山口鉄也,西村健太朗のいわゆる勝利の方程式も鉄壁には程遠かった。それでも勝ててしまう総合力,負けない強さを感じさせた1年だった。
とりわけ接戦の試合終盤で起用される鈴木尚広の起用法が見事だった。42回の代走起用のうち23回生還し,その際の勝率は22勝1敗という強烈な印象を残させた。ここから学ぶべきものが他球団にもあるはずだ。【表1】
チーム成績【表2-1】チーム月別成績 | | | | | | | | | | | | 通産 |
月 | 試合 | 勝数 | 負数 | 引分 | 勝率 | 順位 | 打率 | 本塁 | 得点 | 失点 | 防御 | 勝率 | 順位 |
3 | 2 | 1 | 1 | 0 | .500 | 3 | .351 | 2 | 13 | 6 | 3.00 | .500 | 3 |
4 | 25 | 8 | 17 | 0 | .320 | 5 | .273 | 30 | 128 | 152 | 5.74 | .333 | 5 |
5 | 25 | 13 | 11 | 1 | .542 | 1 | .309 | 28 | 145 | 117 | 4.45 | .431 | 5 |
6 | 16 | 7 | 8 | 1 | .467 | 4 | .255 | 8 | 68 | 80 | 4.41 | .439 | 5 |
7 | 22 | 6 | 16 | 0 | .273 | 6 | .272 | 15 | 72 | 112 | 4.72 | .398 | 6 |
8 | 25 | 14 | 11 | 0 | .560 | 3 | .291 | 33 | 137 | 124 | 4.67 | .434 | 6 |
9 | 25 | 9 | 15 | 1 | .375 | 6 | .261 | 21 | 91 | 106 | 4.05 | .423 | 6 |
10 | 4 | 2 | 2 | 0 | .500 | 4 | .248 | 2 | 13 | 20 | 3.25 | .426 | 6 |
月別成績を見ると4月の防御率が5.74。25試合で失点152ということでは1試合平均6.08点奪われた計算となる。ペナントレースを戦う上で序盤で躓くとやはり厳しくなる。それでも5月は月間首位と意地を見せた。5月,8月と勝ち越した月はチーム打率も高い。やはり打ち勝つしかなかった一年だった。【表2-1】。
【表2-2】チーム成績 ※()はリーグ順位
| 試合 | 勝数 | 負数 | 引分 | 勝率 | 勝差 | 順位 | 得点 | 失点 | 本塁打 | 盗塁 | 打率 | 防御率 |
2014 | 144 | 60 | 81 | 3 | .426 | 21.0 | 6 | 667(1) | 717(6) | 139(3) | 62(5) | .279(1) | 4.62(6) |
2013 | 144 | 57 | 83 | 4 | .407 | 28.5 | 6 | 577(3) | 682(5) | 134(2) | 70(4) | .253(4) | 4.26(5) |
2012 | 144 | 68 | 65 | 11 | .511 | 20.0 | 3 | 499(2) | 514(5) | 90(2) | 63(4) | .260(1) | 3.35(5) |
2011 | 144 | 70 | 59 | 15 | .543 | 2.5 | 2 | 484(1) | 504(5) | 86(3) | 43(5) | .244(3) | 3.36(5) |
2010 | 144 | 72 | 68 | 4 | .514 | 6.5 | 4 | 617(3) | 621(3) | 124(3) | 66(4) | .268(2) | 3.85(2) |
2009 | 144 | 71 | 72 | 1 | .496 | 22.0 | 3 | 548(3) | 606(5) | 116(4) | 106(1) | .259(2) | 3.97(5) |
2008 | 144 | 66 | 74 | 4 | .471 | 17.5 | 5 | 583(2) | 569(4) | 83(5) | 148(1) | .266(4) | 3.75(4) |
2007 | 144 | 60 | 84 | 0 | .417 | 20.5 | 6 | 596(3) | 623(4) | 139(2) | 66(2) | .269(2) | 4.07(5) |
2年連続最下位とはいえ,首位とのゲーム差は28.5→21.0と7.5差縮まっている。2012年は3位ながら首位巨人と20.0差離されていたのだから,それと比べてもリーグ間の戦力差は縮まりつつある。打率(.279),得点(667)ともにリーグトップ。防御率(4.62),失点(717)ともにリーグワースト。とにかく今年はこの数字に尽きるのだろう。【表2-2】。
【表3】チーム別対戦成績 | 巨 人 | 阪 神 | 広 島 | 中 日 | DeNA | ソフト | オリク | 日ハム | ロッテ | 西 武 | 楽 天 | 計 |
試合 | 24 | 24 | 24 | 24 | 24 | 4 | 4 | 4 | 4 | 4 | 4 | 144 |
勝利 | 11 | 11 | 8 | 12 | 8 | 1 | 3 | 1 | 1 | 2 | 2 | 60 |
敗戦 | 13 | 13 | 16 | 11 | 16 | 2 | 1 | 2 | 3 | 2 | 2 | 81 |
引分 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | 1 | 0 | 1 | 0 | 0 | 0 | 3 |
得点 | 120 | 133 | 102 | 107 | 81 | 22 | 17 | 20 | 29 | 27 | 9 | 667 |
失点 | 106 | 131 | 140 | 102 | 107 | 23 | 12 | 27 | 31 | 26 | 12 | 717 |
安打 | 256 | 260 | 231 | 210 | 202 | 45 | 30 | 43 | 50 | 41 | 33 | 1401 |
本塁 | 25 | 23 | 23 | 28 | 22 | 5 | 1 | 3 | 3 | 5 | 1 | 139 |
三振 | 134 | 158 | 144 | 136 | 146 | 42 | 31 | 29 | 19 | 20 | 18 | 877 |
四球 | 78 | 86 | 64 | 69 | 57 | 11 | 13 | 22 | 13 | 16 | 14 | 443 |
死球 | 3 | 10 | 7 | 5 | 4 | 1 | 1 | 2 | 0 | 1 | 1 | 35 |
併殺 | 17 | 12 | 22 | 18 | 27 | 1 | 0 | 6 | 1 | 2 | 6 | 112 |
盗塁 | 9 | 11 | 12 | 10 | 8 | 2 | 5 | 0 | 0 | 2 | 3 | 62 |
失策 | 15 | 16 | 14 | 16 | 16 | 1 | 4 | 5 | 5 | 1 | 4 | 97 |
打率 | .294 | .309 | .272 | .265 | .249 | .287 | .226 | .295 | .325 | .285 | .258 | .279 |
防御 | 3.91 | 5.02 | 5.52 | 4.00 | 4.21 | 5.08 | 2.50 | 5.92 | 7.07 | 6.69 | 3.09 | 4.62 |
巨人と阪神にそれぞれ1つの負け越し。中日に1つの勝ち越し。交流戦はトータルで2つの負け越し。これだけ切り取るとそこまで極端に悪い成績ではない。広島とDeNAにそれぞれ8つずつ負け越し,2チームから”お客さん”扱いされてしまっては最下位という順位は必然といえる。仮にDeNAとの対戦成績が12勝12敗であったなら,最終勝率はヤクルト.454,DeNA.444となり順位が逆転した計算になる。また今季のDeNA戦は予め8カード中7カードが金土日月に組まれており,井納翔一とモスコーソがともに対ヤクルト戦に7試合ずつ先発登板。計3勝9敗と完全にカモにされてしまったことも大きく影響しただろうか。【表3】。
【表4】守備成績チーム | 守備率 | 試合 | 守機備会 | 刺殺 | 補殺 | 失策 | 併殺 | 捕逸 |
参加 | 球団 |
巨 人 | .987 | 144 | 5666 | 3919 | 1676 | 71 | 335 | 123 | 5 |
中 日 | .986 | 144 | 5522 | 3880 | 1567 | 75 | 405 | 149 | 10 |
阪 神 | .98413 | 144 | 5359 | 3846 | 1428 | 85 | 316 | 112 | 4 |
広 島 | .98410 | 144 | 5600 | 3851 | 1660 | 89 | 387 | 143 | 5 |
ヤクルト | .982 | 144 | 5468 | 3849 | 1522 | 97 | 367 | 132 | 6 |
DeNA | .979 | 144 | 5561 | 3868 | 1577 | 116 | 391 | 143 | 10 |
守備率(.982)と失策数(97)はいずれもリーグワースト2位。2011年にはリーグトップの守備率.990を誇ったチームだ。守備の重要性は明らかである。【表4】
【表5】交流戦通算成績[2005-2014] | | | | | | | | [2005-2006] | [2007-2014] |
| 試合 | 勝数 | 負数 | 引分 | 勝率 | 勝差 | | 試合 | 勝数 | 負数 | 引分 | 勝率 | 試合 | 勝数 | 負数 | 引分 | 勝率 |
福岡ソフトバンク | 264 | 155 | 98 | 11 | .613 | | | 72 | 43 | 28 | 1 | .606 | 192 | 112 | 70 | 10 | .615 |
巨 人 | 264 | 140 | 115 | 9 | .549 | 16.0 | | 72 | 31 | 37 | 4 | .456 | 192 | 109 | 78 | 5 | .583 |
千葉ロッテ | 264 | 137 | 113 | 14 | .548 | 0.5 | | 72 | 47 | 24 | 1 | .662 | 192 | 90 | 89 | 13 | .503 |
北海道日本ハム | 264 | 139 | 116 | 9 | .545 | 0.5 | | 72 | 29 | 41 | 2 | .414 | 192 | 110 | 75 | 7 | .595 |
中 日 | 264 | 133 | 122 | 9 | .522 | 6.0 | | 72 | 35 | 36 | 1 | .493 | 192 | 98 | 86 | 8 | .533 |
オリックス | 264 | 128 | 128 | 8 | .500 | 5.5 | | 72 | 29 | 40 | 3 | .420 | 192 | 99 | 88 | 5 | .529 |
埼玉西武 | 264 | 129 | 131 | 4 | .496 | 1.0 | | 72 | 37 | 34 | 1 | .521 | 192 | 92 | 97 | 3 | .487 |
阪 神 | 264 | 126 | 128 | 10 | .496 | 0.0 | | 72 | 42 | 28 | 2 | .600 | 192 | 84 | 100 | 8 | .457 |
東京ヤクルト | 264 | 124 | 134 | 6 | .481 | 4.0 | | 72 | 42 | 30 | 0 | .583 | 192 | 82 | 104 | 6 | .441 |
東北楽天 | 264 | 117 | 143 | 4 | .450 | 8.0 | | 72 | 28 | 44 | 0 | .389 | 192 | 89 | 99 | 4 | .473 |
広 島 | 264 | 105 | 149 | 10 | .413 | 9.0 | | 72 | 27 | 44 | 1 | .380 | 192 | 78 | 105 | 9 | .426 |
横浜DeNA | 264 | 102 | 156 | 6 | .395 | 5.0 | | 72 | 34 | 38 | 0 | .472 | 192 | 68 | 118 | 6 | .366 |
2007年から続いてきた各カード4試合(ホーム,ビジター各2試合)の計24試合制度が,来シーズンから各カード3試合となり,隔年で本拠地と敵地で3連戦を戦う形に変更される。3連戦と変則的2連戦では戦い方にも影響を与えるのだろうか。原則3連戦だった2005-2006年の方が2007-2014年と比較して勝率が1割以上高いチームはロッテ,阪神,ヤクルト,DeNAの4球団。ヤクルトにとって試合数の変更が交流戦アレルギー克服のキッカケとなるか注目したいところ。【表5】
小川監督への感謝 例年気になった視点からのデータ検証をしてきたが,今年に関してはここをどうにかしてもどうなるものではないレベルの試合が続いたし,先にも述べたように守備での記録に表れないミスがあまりに目立ったことが最下位の原因であると思うので,今年は小川監督への謝辞をもって締めくくりとしたい。
2010年5月26日。あまりに突然の監督代行就任だった。球団幹部からの急な要請に責任はヘッドコーチの自分にもある。なにより自分は監督の器ではないと断ったそうだが,「誰かが監督をやらないといけないんだ」と強い口調で返されたことで受諾したと言われている。12球団一地味で目立たない監督。かくいう自分も就任当初はこう思った。ところが就任後からチームの雰囲気がガラリと変わった。
試合でミスをすればベテランでも降格。外国人も結果がでなければスタメンから外す。それまで出場機会に恵まれなかった選手の抜擢。勝てば選手の手柄,負ければ監督の責任。その姿勢は一貫していた。
さらにはそれまで14勝41敗1分の借金27で”犬”とまで揶揄された巨人相手に,同じメンバーで戦って8勝7敗1分と勝ち越した。59勝36敗3分と脅威の成績。既定路線と見られていた荒木大輔投手コーチ(当時)の監督就任を覆した。それはファンの誰しもが納得する選択であった。
正式に監督に就任した2011年は終盤まで首位を走りながら,土壇場で中日にひっくり返されての2位。翌2013年も3位にはなったが,いずれもクライマックスシリーズで中日に敗れて日本シリーズ進出は叶わなかった。そして2013,2014年は故障者の続出もあって2年連続で最下位。この責任を痛感した小川監督は選手で10年,指導者として19年間背負い続けたスワローズのユニホームに別れを告げた。
監督代行時代も含めて5年間で積み上げた白星の数は314。この数字は野村克也監督(628勝=1990-1998年),若松勉監督(496勝=1999-2005年)に次いで球団歴代3位。2年連続Aクラス入りも,小川監督以外には若松監督(4年連続=2001-2004年),野村監督(3年連続=1991-1993年),広岡達朗監督(2年連続=1977-1978年)しかいない。2011年8月2日対中日戦(ナゴヤドーム)では球団史上最速通算176試合目での監督通算100勝(176試合100勝62敗14分)を達成した。紛れもなく球団史に名を残す名将である。
そんな監督にもシーズンが進むにつれ容赦ない罵声が浴びせられたのは事実だ。それでも2010年に瀕死のチームを救ってくれた小川監督。一度溺れそうになったところを助けてくれた人にそんな声を浴びせられるだろうか?私には出来ない。だからブログ上の采配批判からも逃げてきた。実際今季は試合後の監督談話にもどこか他人事のように感じられることも多々あったが,それでもこの気持ちがあったから感情を露わにするという面に欠けた印象をもたれた事にも納得している。
「やっぱり悔しさかな。2年連続最下位っていう悔しさは当然ありますけど,それと2011年に優勝できなかったっていう悔しさと両方かなぁ」と悔しさを口にした小川監督。それでも決して途中で投げ出さず最後まで戦い抜き次期監督に”代行”という肩書なく託すという小川監督なりの責任の全うの仕方があったようだ。任期途中で投げだす事の功と罪。投げだす事は容易でも途中から任される事の責任の重さ。
「辞める方が楽になれるかもしれない。でも最後までやる。オレからは辞めない」―7月10日の朝小川監督はこう報道陣に語ったそうだ。
指揮官が最も印象に残っている試合は監督代行として初めて指揮を執った
2010年05月27日楽天戦(神宮)だという。この日最後に綴った「コミュニケーション・風通し・活気。勝利こそ掴めなかったが,止まっていた何かが動き出した気もした。」という一文はいま読み返しても何かグッとくるものがある。個人的には
2011年07月07日巨人戦(神宮)。最終回2死満塁カウント2-1から一塁走者相川に代走川本良平を告げサヨナラ勝ちを収めた試合。これほどまでに監督采配の妙を魅せてもらった試合もなかなかない。
小川監督を胴上げするという願いは結局叶うことなく終わってしまったが,山田,川端,雄平といった小川監督の蒔いた種と,出しかけている芽がが大輪の花を咲かせることを願うばかり。監督からシニアディレクターと立場は変われども,自らが蒔いた種は必ず最後まで面倒を見てくれるはずだから…。
【表6】小川淳司監督通算成績 | 試合 | 勝数 | 負数 | 引分 | 勝率 | 勝差 | 順位 | 得点 | 失点 | 本塁打 | 盗塁 | 打率 | 防御率 |
2010 | 98 | 59 | 36 | 3 | .621 | * | 4 | 473(2) | 421(2) | 124(3) | 87(3) | .283(2) | 3.86(2) |
2011 | 144 | 70 | 59 | 15 | .543 | 2.5 | 2 | 484(1) | 504(5) | 86(3) | 43(5) | .244(3) | 3.36(5) |
2012 | 144 | 68 | 65 | 11 | .511 | 20.0 | 3 | 499(2) | 514(5) | 90(2) | 63(4) | .260(1) | 3.35(5) |
2013 | 144 | 57 | 83 | 4 | .407 | 28.5 | 6 | 577(3) | 682(5) | 134(2) | 70(4) | .253(4) | 4.26(5) |
2014 | 144 | 60 | 81 | 3 | .426 | 21.0 | 6 | 667(1) | 717(6) | 139(3) | 62(5) | .279(1) | 4.62(6) |
おわりに〜2015シーズンに向けて ナーブソン,カーペンターの両外国人投手と
阿部健太,
山本斉,
押本健彦,真田,
新田玄気,
岩村明憲,
野口祥順,
又野知弥,育成の
佐藤貴規が退団。
ドラフト会議では高校生・安楽智大(済美高→東北楽天)の競合に外れると,即戦力の社会人
竹下真吾(ヤマハ)に指名方針を切り換え,
風張蓮(東農大北海道オホーツク),
寺田哲也(四国IL・香川),
中元勇作(伯和ビクトリーズ),
土肥寛昌(ホンダ鈴鹿),育成
中島彰吾(福岡工大)と8人中6人を社会人・大学・独立リーグ出身の投手で固めた。野手の指名は捕手の
山川晃司(福岡工大城東)と外野手の
原泉(第一工大)の2名。
そして何より球団史上初めてFA選手を2名獲得した。まずは北海道日本ハムから遊撃の守備力に定評のある
大引啓次を獲得。さらには千葉ロッテから2009年から4年連続で2桁勝利を挙げ,通算90勝の左腕
成瀬善久の獲得にも成功した。これに伴う人的補償はなく,相川の移籍で手薄になっていた捕手を補うべく巨人から戦力外通告を受けていた
井野卓が入団。
年内決着とはならなかったが,レッズからFAとなっていたメジャー通算281試合登板,21勝11敗2セーブを誇る203cmの長身右腕
ローガン・アンドルセクとも大筋契約合意したもようだ。相川の人的補償も求める方向で年明けには決着がつきそう。
小川監督の腹心であった
佐藤真一作戦兼打撃コーチ,さらに
城石憲之内野守備走塁コーチ,
小野公誠バッテリーコーチが退団。
真中監督をサポートするコーチ陣は,ヘッド格の作戦(兼内野守備走塁)コーチに
三木肇二軍内野守備走塁コーチが昇格。
高津臣吾,
伊藤智仁両投手コーチは留任。新任だった高津コーチは春先投手陣再編に苦労したが,石山,秋吉,中澤らの配置転換がようやく終盤になって形になってきただけに2年目は防御率の改善に着手してほしいもの。山田との師弟コンビも大きく取り上げらられた
杉村繁打撃コーチはチーフ打撃コーチに。
宮出隆自二軍打撃コーチが一軍に昇格し来季は一塁ベースコーチを務める。三塁ベースコーチとして的確な指示を見せてくれた
福地寿樹外野守備走塁コーチ。バッテリーコーチには
野村克則二軍バッテリーコーチが昇格。一気に若返る捕手陣にどうリードを教育していくのか見もの。
ファームは
伊東昭光二軍監督。
山部太,
石井弘寿投手コーチに加え,社会人・東京ガスから
成本年秀チーフ投手コーチが新たに就任。
池山隆寛打撃コーチは将来的な視野もあるか野手総合コーチという立場に。
斉藤宜之打撃コーチはスカウトからの異動となった。9年ぶり復帰となった
水谷新太郎内野守備走塁コーチ。
土橋勝征外野守備走塁コーチ。
伊勢孝夫チーフ打撃コーチは年齢を考慮してかバッティングアドバイザーという肩書に。バッテリーコーチには韓国・三星から
芹澤裕二コーチが招聘された。
2015年は親会社のヤクルト本社にとって創業80周年の節目の年。1970年にヤクルト本社が球団経営権を取得してから3年連続最下位はおろか,丸15年間優勝から遠ざかったことも皆無だ。
優勝から遠ざかる事14年―そのリミットとなる年に最下位から一気に頂点まで羽ばたくことができるだろうか。
1994年広沢克己(→巨人)2000年川崎憲次郎(→中日)ヤクルトから
セ・リーグ他球団にFA移籍があった翌年のスワローズはいずれも優勝しているジンクス。
1987年阿波野秀幸(近鉄)2001年赤星憲広(阪神)と
最下位から新人王を輩出した2年後にチームが優勝しているジンクス
1997年小坂誠(ロッテ)という例もありますがそもそもロッテはレギュラーシーズン1位での優勝は1970年以降無いし…。
2年連続最下位からの逆襲―ヤクルト本社創業80周年&真中新監督船出イヤーの2015年。大いに期待しようじゃないか。参考資料『週刊ベースボール』第69巻 第68号 通産3292号,ベースボールマガジン社,2014.12
日刊スポーツ 第24637号,日刊スポーツ新聞社,2014.12.11
「ニッカンスコア速報」
http://www.nikkansports.com/baseball/professional/schedule/2014/s201403.htmlhttp://www.nikkansports.com/baseball/professional/schedule/2014/s201404.htmlhttp://www.nikkansports.com/baseball/professional/schedule/2014/s201405.htmlhttp://www.nikkansports.com/baseball/professional/schedule/2014/s201406.htmlhttp://www.nikkansports.com/baseball/professional/schedule/2014/s201407.htmlhttp://www.nikkansports.com/baseball/professional/schedule/2014/s201408.htmlhttp://www.nikkansports.com/baseball/professional/schedule/2014/s201409.htmlhttp://www.nikkansports.com/baseball/professional/schedule/2014/s201410.html