G 000 010 000 1
S 000 101 00x 2
○杉浦(2-2)7,H山本哲
1/3,S秋吉(4)1
2/3−西田
59勝目。
杉浦対巨人戦初登板初勝利。課題だった立ち上がりで,大田・橋本・坂本を3者連続三振。そして特筆すべきは今日も無四球。新人王の権利も残せた。
ここまでのピッチングを見せられると,杉浦で気がかりなのは肘だけ。手術しないで完治するもののか。
先制タイムリー谷内。谷内の打撃がようやく勝利に結びつき,プロ初のお立ち台。杉浦との國學院大學先輩後輩コンビ爽やかでした。
6回裏0死一塁から畠の代走で起用され,盗塁を仕掛け,相手の送球が逸れる間に一気に三塁を陥れ,誉士の犠飛で間一髪生還の上田。それでも走塁で何を考えているのか分からないと古田氏は分析していた。スライディングも結果的にセーフだったけど,正直に突っ込んでよかったのか。では果たして僅差の終盤でこれが出来るのか。
10月1日。複雑な1日でした。。
岩村、真田ら戦力外=プロ野球・ヤクルト
ヤクルトは1日、岩村明憲内野手、真田裕貴投手と来季の契約を結ばないと発表した。阿部健太投手、押本健彦投手、山本斉投手、新田玄気捕手、野口祥順内野手、又野知弥内野手、育成の中根佑二投手と佐藤貴規外野手も戦力外通告を受けた。
岩村、真田、押本、又野は現役続行を希望している。[ 時事通信 10月1日(水)19時5分配信 ]
58.阿部健太(2012-2014)
数少なくなってきた元近鉄戦士。2011年オフのトライアウトで正田樹,木下達生,水田圭介とともにヤクルトに入団。
2012年のオープン戦ではあの林昌勇を差し置いてストッパーとして君臨。6試合に登板し7イニング無安打無失点5セーブをマークし,トライアウト組では唯一の開幕一軍を掴み取る。
2013年7月3日対DeNA戦(横浜)で3点ビハインドの4回から2番手で登板。1イニングを1安打無失点に抑えると,直後5回表にチームが逆転しそのまま勝利したため,阿部がルーキー時代の2003年9月14日以来3580日ぶりの勝利投手に。日本プロ野球のみでプレーした選手としては元阪神の遠山奬志の3507日を更新する最長記録を達成した。
2014年は11試合に登板し防御率13.11。ファームでは先発を務めるなど投手のコマ不足を補ってくれたが…。球団から打撃投手を打診されたようで,現役引退を決断。
63.山本斉(2008-2014)
酒田南高校から2007年高校生ドラフト3巡目で入団。当時のスカウトの評価では由規のハズレ1位級とあり,期待も大きかった。
ルーキーイヤーの2008年はファームで7試合の登板に終わったが,当時の高田繁監督の期待も高く,松山秋季キャンプに抜擢されている。

2009年7月31日にプロ初の一軍登録されるも,登板機会なく抹消。10月11日に再び一軍に登録され同日の対中日最終戦(神宮)でプロ初登板初先発。勝ち負けこそつかなかったが,6回被安打5,奪三振3,与四球2,3失点というデビューを飾った。
2010年春季キャンプに自身初の一軍スタートとなったが,キャンプ終盤に故障で離脱。8月29日阪神戦(神宮)に先発するも,2回4失点でプロ初黒星。結局一軍ではこの1試合の登板に終わった。
2011年4月22日対広島戦(マツダ)で7回を投げ被安打2,無失点という投球で4年目にして嬉しいプロ初勝利をマークしたが,その後はオールスターまで9度の先発登板も,打線の援護にも恵まれず6連敗となりファーム落ち。優勝争いが佳境を迎えた終盤チームに故障者が続出し,再び山本に白羽の矢がたつも,10月9日広島戦(神宮)で先発登板後故障を訴え離脱。右肘靭帯の疲労骨折が判明し,2012年5月14日群馬県館林市の病院で右肘内側側副靱帯の再建手術を受けたが,思うように状態が回復せず,無情の通告となった。
65.押本健彦(2008-2014)
2008年1月。藤井秀悟,坂元弥太郎,三木肇との3対3の交換トレードで川島慶三,橋本義隆と共に移籍してきた右腕。
移籍一年目からセットアッパーとして君臨。3月29日対巨人戦(神宮)で移籍後初勝利。開幕から24試合連続無自責点。5月23日対ロッテ戦(千葉マリン)でプロ初セーブを記録。前年崩壊した中継ぎ陣は,この押本の加入と,中継ぎに転向した松岡健一,さらに故障から復帰した五十嵐亮太,そして不動のストッパー林昌勇によって,安定した勝利の方程式が確立された。
2008年67試合27ホールド,2009年51試合12ホールド,2010年61試合16ホールド,2011年はチームトップの65試合で23ホールド,2012年も背番号と同じ65試合の22ホールド。5年連続50試合以上登板というタフネス右腕。

でもこれによる蓄積疲労は相当なものだったのだろう…。ここ2年は明らかに生彩を欠いたものだった。中継ぎ崩壊が叫ばれる中でも7月14日を最後に一軍からお声がかからなかったということ。トレード移籍。年俸6200万。さまざまな要因が複合してしまったのだろう…。
現役続行を希望するとのこと。良し悪しあるが,もし押本がヤクルトの生え抜きであれば,もっと違った対応になったのだと思う。。寡黙ながらファンにも温かく接してくれた。こんな形でチームを去らなくてはならないなんて…酷だ。。
66.真田裕貴(2014)
2014年唯一にして最大の補強がこの有り様じゃ,現場は可哀想だっていう話。
クラブハウスから自転車移動で,子供のサインの要請にも忙しいからと応じようとしない。巨人のドラフト1位。ポスティングでメジャー移籍要求。プライドが強いのだろうか。残念ながら彼からは謙虚さを感じられなかった。
32.新田玄気(2009-2014)
2008年ドラフト5位でパナソニックから入団。同年で引退した小野公誠の背番号「32」を引き継いだ。
2010年8月26日対横浜戦(神宮)で山口からプロ初打席初安打。2012年9月15日対DeNA戦(神宮)で藤江からプロ初打点。2013年5月15日対埼玉西武戦(神宮)で牧田からプロ初本塁打。こうみると神宮の申し子という感じ。
ただ新田の在籍した6年間は,相川,中村,西田という主戦捕手がおり,一軍でもファームでも捕手での出場機会は限られて,右の代打あるいはサブの内野手という役割が主だっていたのは不運な面もあった。
走りだせ 走りだせ 明日を迎えに行くよ♪嵐の「Happiness」を聴くと新田玄気が想いだされる。
39.又野知弥(2011-2014)
北海道北照高校から2010年ドラフト4位入団。この年は3位で西田明央も指名されており,高校時代はバッテリーを組んだ二人が同じチームに指名された。
その長打力を活かそうと外野のほかにも三塁手として期待がかけられてきたが,西田との差は開いていった。4年間一軍登録がなく,22歳という年齢での通告。プロ野球選手としての見切りをつけられたということになってしまうんだろう。。
48.岩村明憲(2013-2014)
東北楽天を自由契約となり,7年ぶりにスワローズ復帰。背番号はスワローズ入団時から2000年まで着用していた「48」。
2013年4月7日対DeNA戦(神宮)で2006年10月10日以来となる神宮球場での本塁打。お立ち台での「ただいま!」に思わず涙腺が崩壊してしまった。75試合の出場に留まり打率.246,3本塁打。数字としては物足りなさはあるものの,背番号「1」の岩村を知っているものとしてやはり復帰は嬉しいものだった。
ただ今年は6月14日北海道日本ハム戦(札幌ドーム)で4打席連続二塁打という日本タイ記録を樹立しているが,7月28日を最後に一軍登録なし。それはつまりこういうことだった。
岩村にサードのレギュラーを奪われた池山は,ファーストセカンドレフトライトとどこでも守る姿勢をみせ,ベンチでも自ら先頭となって若手を迎え,声を出し,それがファンにも受け入れられた。ただ岩村はどうだっただろう。ベンチにどっかと腰を下ろし,雑談。容姿も含め,後輩に何かを残すという姿勢は感じられなかった。
他球団での現役続行を希望。ポストというのは遠のいたのかなぁと。そして岩村の退団で2001年を知るメンバーは完全に居なくなってしまう。。
55.野口祥順
正直ショックすぎて惜別のコメントを出せない。。昨年ならまだ仕方ないって思えた部分があったかもしれない。
4月30日に綴ったのが本音。。ほんと野口って自分にとって特別な選手。これは一生変わらないと思う。。
111.佐藤貴規
2010年の育成ドラフト3位入団。正直言うと当時は将来的な由規のFAを見据え,人的な経緯で入団という見方をしていた。それでも2012年にはファームでチームトップの打率と安打数を残すなど,実力をつけてきたこと。
しかしながらチームの支配下選手登録に空きがあり,かつ外野手の絶対数も決して豊富とは言えない状況下でも支配下登録されない。由規がこういう状況になったということと関係はあるのだろうか…
138.中根佑二
2年連続の戦力外通告。再度育成契約が結ばれる模様。ファームではブルペンに入るまで回復してきているとのことで,まずは投げられるようになってから。
もう一つ。
バレンティン、手術へ=左アキレスけん痛で渡米中―プロ野球・ヤクルト
ヤクルトは1日、ウラディミール・バレンティン外野手が米国時間1日に左アキレスけんの手術を受けると発表した。昨季から痛めており、検査のためシーズン終了を待たずに渡米した。 [ 時事通信 10月1日(水)19時25分配信 ]
手術なら全治6ヶ月ですよね。開幕間に合うのかしら…。