2012年12月26日

つば九郎、増額辞退で残留

 プロ野球ヤクルトから“マスコット史上初のフリーエージェント(FA)宣言”していたつば九郎が26日、球団と交渉し、現状維持の推定年俸1万円プラス出来高払いで残留を決めた。
 3日にFA宣言して以来、22団体からオファーを受け、心は揺れた。しかし、衣笠剛球団社長からチームを離れれば帽子や胸のロゴは使えなくなると説得されると、うろたえた様子になり、筆談で「やくるとすわろーずにあいをかんじます」と残留を表明。名前にちなんだ年俸2万8960円の増額提示も「めいわくかけた」と辞退した。
 来季はデビュー20年目の記念の年。人気者は「らいねんはおとなしくします」と改心を誓った。 [ 共同通信 2012年12月26日 17:34 ]


11月24日。エスポートミズノのイベント後「本気で12月のじゅるすけが埋まっていないよう」と書いたんだけど・・12月3日。突然のFA宣言。
みなさまへ。

すっかりまちは、あきめいて、ときめいて。きょうは、じんぐうのいちょうなみきにいってきました。

だいすきなじんぐうきゅうじょう、だいすきなやくるとすわろーず!だいすきな、ちーむのみんな、かんとく、こーち、うらかたのみなさん、しゃちょうをはじめ、ふろんとのみなさん。そして、おうえんしてくれる、みんなへ、つばくろうは、もっともっと、みんなの、こくみんてきつばくろうになるために、ますこっとしじょうはつの、FAせんげんをします!!!

つばくろうという、やくるとすわろーずのなまえを、せおったままのFAせんげんだから、やきゅうかいでなく、ほかのおしごとからの、おふぁーをまちます。

じゃにーず、こっかい、がっこうのせんせい、AKB、いんしょくぎょうかい、あざぶかいわいなど、いろんなところからの、おふぁーまちをします。けちゃっぷみたいに、どばーっと、おふぁーこないかな!

さいごに、やくるとすわろーずふぁんのみんなへ。つばくろうのこときらいになっても、やくるとすわろーずを、きらいになりないでね!ぺこり。


まぁ球団に話題も無いし今年は年俸釣り上げ作戦で行くのかな?!とさらっと受け止めたものの,来年からホームの帽子が1993年までのものに戻るのに合わせて,「ヤー坊」と「スーちゃん」が復活するのか?!なんてちょっぴり脳裏を過ぎったりもしましたよ。。正直。。

そして予め仕組まれていたのか?!というくらい他社の動きも早かった。そして条件もどんどん高騰していった。

■株式会社マネースクウェア・ジャパン(FX運用会社)
■九州忍者保存協会(忍者団体)
■ZERO1(プロレス団体)
■日本相撲協会マスコット「ひよの山」(大相撲)
■Google 日本法人(IT企業)
■神宮スパイダース(週刊モーニング連載中「グラゼニ」より)
■FC東京(日本プロサッカーリーグ・J1)
■西麻布鉄腕(居酒屋)
■bijin-tokei(美人時計)
■テレビ静岡(テレビ局)
■げんべい(ビーチサンダルメーカー)
■ちゃい九炉 秋葉原店(居酒屋)
■横浜・関内 HOMERUN BAR(居酒屋)
■チア・スポ(東海ラジオ番組)
■東京ヤクルトスワローズ松山協力会(応援団体)
■川崎フロンターレ(日本プロサッカーリーグ・J1)
■日本女子プロ将棋協会(将棋団体)
■東京海上保安部(海上保安庁)
■北上市商業観光課(岩手県)
■やじうまテレビ!(テレビ朝日番組)
■ニッポン放送(ラジオ局)
■サンケイスポーツ(スポーツ新聞社)

ヤクルト選手の契約更改なんて1秒もニュースにならないのに,あの国営メディアがこの模様を報道してしまうという・・
まぁこうして終わってみれば,巨人・阿部の契約更改や,ハム・大谷くんの入団と比べても負けない,いやそれ以上の多くの時間が割かれた球界の話題だったのではないのでしょうか(笑)

“ざんりゅうせんげん”

 2012.12.3にFAせんげんをしてから、くのうのひびがつづきました。しょうじき、どこからもおふぁーがなかったらと、なやみました。だけど、つばくろうのためにけちゃっぷのように、どば〜っと、23ものかいしゃからおふぁーを、いただきました。いろんなかいしゃをほうもんしいろいろなことをまなびました。

 まねーすくうぇあ・じゃぱんでは、おかねのたいせつさ、ぜろわん・おおたにしゃちょうからは、ぷろれすのだいごみ、にほんすもうきょうかいからは、でんとうぶんか、ぐーぐるじゃぱんでは、にほんごのふかみ、にんじゃほぞんきょうかいからは、せいしき『どろん!』FCとうきょうからは、すぽーつをもりあげること、にっぽんほうそうからは、ことばをつたえるむずかしさ、などどのおしごとからもたいせつな、なにかをまなんだようなきがします。

 どの、かいしゃも、とてもみりょくをかんじました。でも、つばくろうは、やくるとすわろーずのつばくろう。まだまだ、やりたいこと、やりとげることがたくさんあることにきがつきました。

 そのなにかをきづかせてくれたのが、ちーむのみんなでありふぁんのみんなでした。

 だいすきなみんなとまたいっしょに、『こころを1つに!』ゆうしょうしたい!! るーびーかけしたい!! みんなをえみふるにしたい!!

 つばくろうは、やくるとすわろーずに、ざんりゅうします。このたび、ごしんぱいをおかけしたことを、おわびいたします。これからも、おうえん、よろしくおねがいいたします。

 そして、これまでねっしんにおさそいいただいたかいしゃのみなさま、ごめんなさい。

 これからは、やくるとすわろーずといっしょに、おたがいをもりあげていけるようになりたいな。

 また、かいしゃにおじゃましたいし、みなさんには、じんぐうきゅうじょうにも、おこしください。

 そとでのむるーびーは、しゃすでりですよ。でへへ。

 2012.12.26 とうきょうやくるとすわろーず つばくろう

 P.S. みやもとさんを、てぶらでかえすわけには、いかないでしょ!!


289612.JPG
えちごという土地柄も幸いしましたが,今年も数多く触れあうことが出来ました!

つば九郎音頭〜おとなのじじょう〜。つば九郎でぃ〜ぶぃでぃ〜上下巻。みんなで、えみふる!〜人生が楽しくなる80個くらいの言葉。全部に直筆サインもらえました。
非売品のTシャツやヘルメットもげっとできました。つーしょっとしゃしんもいっぱい撮ってもらいました。

でもつば九郎が一番輝く瞬間。それは・・
289612_2.jpg
「試合開始前にバックスクリーンに映し出されるスワローズナインの映像を直立不動で注視し,映像が終わると深々とお辞儀をする」
鈴木燕市市長が訴えたこのスワローズを愛する”真摯な姿勢”なんだってことに,改めて気がつかされました。


でもね・・
本来ならばマスコットじゃなくて選手が目立たなきゃならないんだよ。
もし当初の予定通り10月5日の阪神−ヤクルト戦が金本知憲選手の引退試合だったら,「選手の皆さん、選手よりマスコットが目立っているようでは駄目だと思います。」って言われていたかもよ。

だからさ・・

来年は優勝して日本一になろうよ!
そうすれば絶対小川監督はニュースで持ち上げられるし,選手もスポーツニュースやバラエティ番組に出演依頼殺到するから。その時つば九郎も一緒に出てもらおうよ!!

つば九郎一羽に仕事させないようにしようヤ!


改めて。
拝啓 つば九郎さま

 らいねんもしくよろ

敬具 
       マーサ
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2012年12月25日

総括2012―故障者続出の中で…

はじめに
 オープン戦を実に41年ぶりの”優勝”で飾り,その勢いのままペナントレースに突入した2012年小川淳司監督率いる東京ヤクルトスワローズ。開幕戦では5年連続開幕投手を任された石川雅規が9回1死までノーヒットノーランという快投。最後はストッパーを任されたトニー・バーネットが締め,4-0の完封勝利で飾る。団子状態のペナントレース序盤ではあったが,4月20日からは引き分け挟んで6連勝。4月は中日と同率首位で折り返す。

 5月4日には33,866人と超満員に膨れ上がった神宮球場で宮本慎也が史上40人目となる通産2000本安打を達成。前年本塁打王のウラディミール・バレンティンは今年も春先から大爆発。5月1日DeNA戦(横浜)で1試合3本塁打。5月6日現在で早くも12本の本塁打を量産。打率,打点とも他を大きく引き離し断トツの三冠王コースを歩んでいた。チームは首位中日と1.0ゲーム差の2位で交流戦に突入する。

 ところが・・である。交流戦初戦の5月16日ソフトバンク戦(神宮)で14-3した翌17日から30日まで,チーム39年ぶりの10連敗を喫する。不振の原因は8試合連続1得点以下という打線にあったが,中でもバレンティンが交流戦31打数3安打と極度の不振を極め,とうとう出場選手登録抹消される事態に。結局交流戦は9勝15敗0分と大きく負け越し,初の最下位に終わった。

 それでもそこから大きな連敗もせずセ・リーグではなんとか巨人・中日に次いで3位をキープしていた。6月1o埼玉西武戦(神宮)で和製大砲松井淳がプロ初本塁打をマーク。11日には宮本が通算2000試合出場を達成。日高亮もセットアッパーとして連日のように登板を続けた。

 7月に入ると打線が爆発。3連勝でスタートするが,そこから勢いがパタリととまる。オールスター直前の対横浜DeNA戦(横浜)で今季初(にして唯一の)同一カード3連敗を喫してしまい,勝率で広島を僅かに下回り4位で前半戦を折り返した。

 7月28日を最後に勝率.500を切るとチームは思うように勝ち進めない。8月8日DeNA戦(神宮)で七條祐樹がおよそ1年ぶり,14日広島戦(マツダ)では中澤雅人がおよそ2年ぶりの白星を挙げ,オーランド・ロマンが2試合連続完封を含む3試合連続完投勝利。困った時に頼りになる松井光介が10試合連続無失点リリーフなど一筋の光が射しこむも長くは続かず,一時は最大借金8とクライマックスシリーズ進出も絶望かと思われた。

 しかし昨年の優勝争いの「体験」が9月で活かされた。広島が6勝17敗1分と失速する中で16勝8敗1分と猛チャージ。中でも勝負どころで抜群の安定感を発揮した館山昌平とトップバッターに定着した野手転向3年目の雄平が要所でチームを引っ張ってくれた。29日中日戦(神宮)で試合には敗れたが,広島が黒星を喫したことで順位が確定。なんとか2年連続でAクラスに滑り込んだが,2位中日には9.5ゲーム差引き離され優勝争いには程遠かった。

 2年連続3回目の進出となったクライマックスシリーズではあったが,毎試合1点ずつしかあげることができず,またしてもナゴヤドーム[尾張]で終戦[終わり]を迎えた―【表1】。

【表1】チーム月別成績
通産
試合勝数負数引分勝率順位打率本塁得点失点防御勝率順位
322001.001.29621031.501.001
4231382.6191.239961532.22.6521
5226151.2866.2391361984.22.4774
6191171.6112.2541886743.67.5163
7196103.3754.2841993944.84.4874
82710143.4174.24817821043.48.4714
9251681.6672.2851183742.66.5083
107830.5714.277123141.80.5113


 昨年以上にコマ不足故障者が目立ったシーズンでもあった。2011年に15試合1002/3イニング投球の由規,同12試合55イニング投球山本斉が故障で登板ゼロ。ストッパー林昌勇が春先から調子があがらず外国人枠の関係もあって開幕二軍スタート。セットアッパーとして63試合登板した松岡健一もシーズン早々に右太股痛で離脱。同じくルーキーながら52試合登板の久古健太郎もオフに手術した血行障害が癒えず苦しんだ。シーズン通して昌勇と久古は9試合,松岡が7試合の登板に終わった。

 宮本が2000本安打を達成した5月4日の試合で上田がフェンスに直撃し右肩を負傷。6日には新選手会長武内晋一が右手首三角線維軟骨複合体損傷でそれぞれ長期離脱を余儀なくされると,9日の試合で先発の村中恭平が打球を右脛に受け,10日には新背番号5を背負って5番打者に定着していた川端慎吾も腰痛で登録抹消。6月には飯原誉士が左手中指MP関節尺側側副靭帯損傷。

 後半戦に入り,林昌勇に代わる新守護神バーネットが腰痛で7月28日に抹消されると,翌29日に宮本が右肋軟骨骨折,8月2日バレンティン右臀筋肉離れ。18日相川亮二左第2肋軟骨骨折。
 8月31日畠山和洋右脇腹肉離れ,上田剛史左大腿部直筋肉離れ。9月1日松井淳左手親指付け根靭帯損傷,2日館山昌平右足首打撲。
 13日川本良平左肩甲上腕関節前方脱臼,14日比屋根渉右太腿損傷,17日ラスティングス・ミレッジ左肩鎖関節捻挫。

 怒涛の怪我週間が4度は訪れていた・・。一年間通して登録抹消が無かったのは日高,赤川克紀押本健彦田中浩康の4名のみ。クライマックスシリーズ直前に腰痛で戦線離脱してしまったが森岡良介三輪正義はユーティリティプレーヤーとして一軍のベンチに欠かせない存在だった。

 故障者が出れば必ずその穴を埋めていくのがスワローズ。自己最多となる50試合に登板し防御率1.21とセットアッパーに成長した山本哲哉はじめ,ラファエル・フェルナンデス平井諒八木亮祐の4名が嬉しいプロ初勝利をマーク。かつてのパ・リーグ新人王正田樹は実に7年ぶりの一軍登板。育成から支配下登録された金伏ウーゴもプロ初登板を果たした。捕手では4年目中村悠平がチーム最多の69試合でスタメンマスクを被り,新田玄気がプロ初打点を挙げ,2年目西田明央はプロ初の一軍登録をされた。主軸の離脱が相次いだことで,経験豊富な藤本敦士松元ユウイチ野口祥順にスタメンが託される試合もあった。

チーム成績
  首位とのゲーム差に注目すると「20.0」。これは最下位に終わった2007年と比較しても0.5しか変わらない。それほど今年の巨人は圧倒的に強かった…。開幕当初借金7まで陥ったこともあったのが信じられないほどに強かった…。確かに村田,ホールトン,杉内という超大型補強はあったが,高木京介,田原誠二といったルーキーの中継ぎ投手が台頭し,橋上秀樹戦略コーチの存在も大きくクローズアップされ,正直全く隙間が無かった。。

 ただし,広島がエース前田健太を対巨人戦で1試合しか登板させなかったり,横浜DeNAが東京ドームで1勝も挙げられなかったなど,本気でジャイアンツを倒そうという姿勢が感じられなかったペナントレースでもあった。リーグ全体のバランスを考えないとシーズンそのものがシラけてしまうように感じてならない【表2-1】。
【表2-1】セ・リーグ順位表
順位チーム試合勝数敗数引分勝率勝差得点失点本塁打盗塁打率防御率
1巨 人144864315.66753435494102.2562.16
2中 日144755316.58610.54234057059.2452.58
3ヤクルト144686511.5119.54995149063.2603.35
4広 島144617112.4626.54274547679.2332.72
5阪 神144557514.4235.04114385865.2362.65
6DeNA144468513.3519.54225716661.2333.76


 打撃成績に目を転じると,チーム打率.260はリーグトップ。得点と本塁打数も巨人に次いで第2位。一方投手成績は失点,防御率ともにDeNAに次いでブービー。順位を分かちたものの責任の所在はどちらにあるかというと・・・?統一球の導入で投手優位はここ2年明らかではあるが,打撃に関してはこの1年で1分6厘上がった訳で,対応が数字として表れている。ということは投手全体で取り組むべき何かがまだ足りないのでは無かろうかと思えてならない【表2-2】。

【表2-2】チーム成績 ※()はリーグ順位
試合勝数負数引分勝率勝差順位得点失点本塁打盗塁打率防御率
2012144686511.51120.03499(2)514(5)90(2)63(4).260(1)3.35(5)
2011144705915.5432.52484(1)504(5)86(3)43(5).244(3)3.36(5)
201014472684.5146.54617(3)621(3)124(3)66(4).268(2)3.85(2)
200914471721.49622.03548(3)606(5)116(4)106(1).259(2)3.97(5)
200814466744.47117.55583(2)569(4)83(5)148(1).266(4)3.75(4)
200714460840.41720.56596(3)623(4)139(2)66(2).269(2)4.07(5)


  対セ・リーグでは巨人以外の4球団に勝ち越し。苦手とされたドームでの勝率も14勝13敗2分(内訳:ナゴヤドーム6勝3敗1分,東京ドーム4勝6敗1分,京セラドーム1勝1敗,ヤフードーム2勝0敗,札幌ドーム1勝1敗,西武ドーム0勝2敗)と大きく改善された。

 課題は埼玉西武戦。特に西武ドームでは2008年5月21日に勝って以来現在8連敗中で,なおかつ22イニング連続無得点と鬼門中の鬼門。ここをどう乗り越えるかも一つの見どころ【表3】。

【表3】チーム別対戦成績

巨 人中 日広 島阪 神DeNA日ハム西 武ソフト楽 天ロッテオリク順位
試合2424242424444444144-
勝利913121213203211683
敗戦118101110241233653
引分43211000000116
得点808687838415327111584992
失点85578390911127151721175145
安打20318820722120333174237343312181
本塁1919131213413321902
三振1591211441381172124172618208051
四球76616867819823101084212
死球959105201123474
併殺2214232320330413116
盗塁11991412201104634
失策1010121517021221723
打率.258.243.262.284.269.254.137.296.264.252.237.2601
防御3.282.273.423.193.672.786.433.753.755.033.893.355


 守備成績という観点では,ようやく田中浩の守備が記者にも評価され,自身初のゴールデングラブ賞を受賞した。ヤクルトから二塁手がゴールデングラブ賞に選出されたのも創設41年目にして初のことであった。今年の守備率は.995。448刺殺は1950年阪神・白坂長栄が作った431刺殺のリーグ記録を更新。来季120試合以上二塁手として出場し,今年同様の守備率(.995)を保てば,通算1000試合以上出場した二塁手としては阪神・和田豊(現監督)を抜きトップに躍り出る可能性もあるようで,史上最高のセカンド名手の称号を得る日も近そうだ。

【表4】守備成績
チーム守備率試合守機備会刺殺補殺失策併殺捕逸
参加球団
中 日.9901445545385616345537213711
阪 神.9873144546438171578692771015
ヤクルト.9869144552738091646723661343
巨 人.986144558338571649773511242
DeNA.9851445431377415778029210810
広 島.9801445566381716361133101137


 かつては得意だった交流戦も,3年連続で負け越しで通産の貯金も1に。通算順位も昨年の4位タイから8位に転落した【表5】。とほほのほ。。

【表5】交流戦通算成績[2005-2012]
試合勝数負数引分勝率勝差
福岡ソフトバンク216126828.606
千葉ロッテ2161129113.55211.5
北海道日本ハム216115947.5500.0
巨 人216111978.5343.5
中 日216110997.5261.5
阪 神2161051029.5074.0
埼玉西武2161071054.5050.5
東京ヤクルト2161071063.5020.5
オリックス2161011087.4834.0
東北楽天216931194.4399.5
広 島2168512110.4135.0
横浜DeNA216821286.3905.0



検証−満塁のピンチは本当だったか?!
 攻撃時に満塁になる時に用いられ,本来なら得点の大チャンスである満塁時に得点率が低く,逆にピンチとみなす”満塁のピンチ”という用語。また満塁から三者残塁でチェンジとなる”ZGS”(残塁グランドスラムの略称)。
この2つの言葉は今シーズンとりわけ交流戦序盤で印象に残った。今一度振り返ってみる。

   5/17 2死満塁→宮本投ゴ
   5/17 2死満塁→ミレ遊飛
   5/17 2死満塁→相川三振
   5/19 2死満塁→森岡三振
   5/20 2死満塁→相川四球 森岡左飛
   5/20 1死満塁→相川二飛 藤本遊ゴ
   5/24 1死満塁→畠山三振 宮本三ゴ
   5/24 2死満塁→畠山捕邪
   5/24 0死満塁→バレ三振 畠山二併
   5/27 1死満塁→田中三振 館山三振

 のべ15回満塁の状況がありながら,安打は0。得点は押し出し死球による1点のみ。これに象徴されるように好機に1本が出なかった。.。

 今シーズンの満塁機打率を調べてみると,140打数31安打打率.221。これはリーグ5位の成績であった。打数順にソートすると畠山,ミレッジこそ.300を超えたが,川端が.167,バレンティンと宮本がともに.200と中軸が不振を極めた。チーム最多3四球を選んだのが田中浩だった【表6】。

【表6】状況別成績:満塁時
打率打数安打本塁打点三振四球死球犠打
畠山.3571451141000
ミレッジ.3081341113100
川端.167122062100
相川.273113091200
バレンティン.200102054000
宮本.200102050100
田中浩.333930113300
森岡.25082022000
雄平.28672042000
福地.33362040100
中村.20051031000
松井淳.20051022000
飯原.25041030000
館山.0004001
武内.00030001000
藤本.00030000000
上田.33331022000
赤川.0003000
宮出.00020001000
三輪.00020001000
ロマン.0002000
比屋根.00010000000
新田.00010000000
石川.0001000
村中.0001001
.2211403128326900



おわりに〜2013シーズンに向けて
  昨年の総括で「2011年の『体験』を風化させないためにも来年が非常に重要になる」だろうと書いた。今オフでの小川監督の勇退,荒木大輔コーチの監督就任,宮本のコーチ専任は避けられたが,これらはあくまで1年持ち越しとなっただけである。

 バレンティン,ミレッジ,バーネット,ロマンとは複数年契約を結び他球団への流出は阻止した。東北楽天を戦力外になった岩村明憲が7年ぶりにスワローズに復帰する。だがそれ以外の目立った補強はドラフト(石山泰稚小川泰弘田川賢吾星野雄大江村将也谷内亮太大場達也)とトライアウト(藤田太陽)のみで,現有戦力の底上げに終始するほかない。ただし優勝を狙うためには,リーグの実力均衡も不可欠だろう。


 一年間起用法に苦しんだ増渕竜義。思うように一軍出場試合が伸びなかった山田哲人荒木貴裕。また今年ルーキーながら一軍出場を果たせなかった川上竜平木谷良平太田裕哉中根佑二古野雅人には特に発破を掛けたい。

 一年間をリハビリに費やした川島慶三川崎成晃は一日も早い怪我からの再起を願う。移籍二年目で結果が問われる阿部健太水田圭介楠城祐介。そろそろ一軍を目指したい水野祐希又野知弥。現時点での支配下登録者数は「67」ということで佐藤貴規徳山武陽には道が拓かれていることだろう。

 コーチングスタッフではブンブン丸池山隆寛打撃コーチが11年ぶりに神宮球場に帰ってくる。伊藤智仁投手コーチ,佐藤真一打撃兼作戦担当コーチ,飯田哲也城石憲之守備走塁コーチ,中西親志バッテリーコーチは留任。新設ポストの一二軍巡回ヒッティングコーディネーターに伊勢孝夫コーチが。真中満二軍監督以下,伊東昭光加藤博人二軍投手コーチ,土橋勝征二軍守備走塁コーチ,松井優典石井弘寿二軍育成コーチに加え新たに今シーズン限りで現役を引退した福地寿樹が二軍守備走塁コーチ,宮出隆自が打撃コーチに。さらに小野公誠二軍バッテリーコーチも新任コーチとして着任する。

 過去6回の優勝を全て知る赤ストライプが8年ぶりに復活。ホームの帽子は紺地に白の「YSマーク」が20年ぶりに甦る2013年シーズン。
 毎年のようにジンクスを書いてきたが未だ叶わぬまま…。来年も監督3年目のジンクス(野村克也監督も若松監督も契約最終年の就任3年目に優勝した)には当てはまるが・・。もっと単純に行こう。

2013年は巳年。前回2001年の巳年に優勝してるから2013年は優勝ヤ!



参考資料
『週刊ベースボール』第67巻 第62号 通産3150号,ベースボールマガジン社,2012.12

「ニッカンスコア速報」
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2012年12月13日

石山、同世代対決を心待ち=ヤクルトが新入団発表―プロ野球

 ヤクルトは13日、東京都港区内で、新人7選手の入団発表を行った。ドラフト1位指名の石山泰稚投手(ヤマハ)=背番号12=は「坂本選手(巨人)や田中選手(楽天)ら、同じ1988年生まれにはすごい選手がたくさんいる。打者、投手関係なく戦ってみたい」と、同世代との対決を心待ちにしていた。他の選手と背番号は以下の通り。
 ▽小川泰弘投手(創価大、29)▽田川賢吾投手(高知中央高、35)▽江村将也投手(ワイテック、43)▽星野雄大捕手(四国アイランドリーグplus・香川、37)▽谷内亮太内野手(国学院大、46)▽大場達也投手(日立製作所、49)。 [ 時事通信 12月13日(木)18時13分配信 ]


ドラフト当夜の背番号予想クイズの正解発表!どん。

石山 ×29→12
小川 ×35→29
田川 ×62→35
江村 ×49→43
星野 ○37
谷内 ×51→46
大場 ×43→49

今年は1/7でした。どいひー>_<。。

(なんかブログとホームページの表示が変になってる…ホームから一切移動できない。勝手にホームに戻る。原因が分からない…FBとの連動を消したらブログ側の不具合は改善された)


東京 ☀ | Comment(0) | SWALLOWS | at 22:45 | 更新情報をチェックする

2012年12月11日

岩村「第二のふるさと」へ=新人時代の背番号48―プロ野球・ヤクルト

 楽天を戦力外となった岩村明憲内野手(33)が11日、古巣ヤクルトと1年契約を結んだ。年俸は1500万円プラス出来高払い。背番号は1997年のヤクルト入団時から4年間つけていた48に決まった。
 東京都内で記者会見した岩村は、7年ぶりの復帰に「第二のふるさとである神宮球場に戻ることができて、わくわくしている」。かつての定位置である三塁には、ベテランの宮本がいるが「選手である以上は試合に出たい。あれだけの方であっても挑戦していきたい」と話した。
 岩村は2007年にヤクルトからポスティングシステム(入札制度)で米大リーグのデビルレイズ(現レイズ)へ移籍。パイレーツ、アスレチックスを経て、この2年間は楽天でプレーしていた。(金額は推定)。[ 時事通信 2012年12月11日 17:38 ]


2006年11月23日。”神宮球場の三塁ベースは第二のふるさとです”そう言って神宮球場から旅立った岩村明憲が,7年という歳月を経てスワローズに帰ってきた。

あの日「最終的にはスワローズに帰ってきて欲しい」と書いた希望が叶った。正直嬉しい。

愛媛・宇和島東高校から1997年ドラフト2位でスワローズに入団。楽しみな若手が入ってきたという印象だった。
2年目の1998年5月19日。対横浜3回戦(横浜スタジアム)で7番・三塁手としてプロ初出場を果たす。
まだまだCS放送なんて普及していなかった時代。しかしながらたまたまこの試合はNHK−BSで中継があり,若武者・岩村をこの目で初めて見れた(←受験生勉強しろ)。打撃は3タコ。守っても失策を犯し結局途中でベンチに引っ込められたことは何故か鮮明に憶えている。そして確か翌日二軍落ち。野村監督(当時)の岩村に対する態度はあまりに厳しかったように感じた。

それでも岩村はその年ファームで不動の1番サードのレギュラーとしてファームの日本一に貢献。21世紀を担う若手のホープとして周囲の期待をかけられ,それに応えるように3年目の1999年から頭角を現すようになった。

まさに現在の広島・堂林を見るかのような選手だった。三振が多く,守っては失策連発。特に高津が投げてるとやたらエラーを連発し,高津のセーブ機会も何度か奪ったはずである。それでも若松監督は辛抱強く使い続けた。そう今年野村謙二郎監督が堂林を使い続けたように…

4年目の2000年には130試合に出場。その年のオフミスタースワローズの象徴背番号1を背負うことになった。

その後の活躍はもう説明不要であろう。不動のレギュラーとして,ベストナイン・ゴールデングラブの常連となり,WBC日本代表として日本の連覇にも貢献。レイズでは球団史上初のワールドシリーズまで導いた最大の功労者とまで言われた。
しかし2009年5月24日に,セカンドのクロスプレーで負った左膝の負傷が順風満帆だった彼の野球人生を大きく変えてしまった。憧れだったメジャーから日本(東北楽天)に活躍の場を求めるも,全盛期には程遠い不本意な成績で戦力外通告。そんな岩村に声をかけたのがヤクルト球団だった。

そして原点回帰の背番号「48」。
48.jpg
正直言うと背番号「1」を背負うようになってからは,主軸としての自覚がいい意味でも悪い意味でも自己主張を誇示させているイメージもあった。
そんな彼もメジャーで若手をけん引する立場になり,ようやくチームワークに目を傾けるようになったと言われている。一方楽天では周囲への遠慮もあったという。

ヤクルトで迎える野球人生の集大成。もう遠慮は要らない。逆に若い時代を知っている首脳陣は気を遣ってくれるはず。

何苦楚魂で背番号1を取り返せ!岩村ならきっと出来る!!そう信じてる。


岩村と池山コーチとの不思議な縁ってのもすごく感じる。
歴史的に見ると岩村が池山からサードのポジションを奪ったことになるんだけど,そんな岩村がレギュラーとして全試合出場に拘るようになった転機となった試合が2001年5月19日だったらしい(何かの番組で見た)。

その日もたまたま神宮で観戦してて,しかもあろうことか試合開始時のボール投げ入れで池山のサインボールをゲットしてしまったのです。だから余計印象的なんけど・・
301752244.jpg(ちゃんと日付も入ってる)

その日岩村はどっかが痛いと言って試合を休んだんだけど,池山さんがレギュラーならそんなことで休むなって岩村に告げたらしいんです。これがキッカケで岩村自身も自覚が芽生えたとか。

おそらくチーム事情に応じて代打であれファーストであれサードなりの出場機会が与えられるであろう岩村には,なぜか晩年の池山選手の姿が被ります。

7年という歳月は,岩村の全盛期を知らないファンも多く生み出していることでしょう。それでも,「バッター・岩村」というコールが神宮球場に響く瞬間には,かつての池山コールのように,大声援がこだまするような存在であり続けて欲しい。

遥か彼方見据(みす)え 猛(たけ)き道行(みちゆ)かん その手で我らを導けよ 天空の頂(いただき)へ 【コール:かっ飛ばせー 岩村!】

楽天時代交流戦でもオープン戦でも叶わなかった神宮凱遷。7年ぶりに神宮球場に岩村の名前がコールされる瞬間。きっとぐっとくるものがあると思う。。



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2012年12月02日

HP12周年

2000年12月のホームページ開設からとうとう干支が一回りしました。

ドラフト5位で岩手専大北上高校から入団してきたのが畠山和洋(18)。48番からミスタースワローズの象徴である背番号1に変更されることが決まった岩村明憲(21)。

石川館山青木が神宮で活躍し,武内森岡雄平は甲子園を目指す。村中慎吾は中学生。川上が小学校1年。ルーキー田川賢吾に至ってはまだ園児だったという(^^ゞ
当時はまさに”世紀末”でもあったんですよね。。そう考えると随分時間が経ったなぁと感じます。


2011.12.01から2012.11.30までの1日あたりの訪問者(IP)は279.87/day,1年間のページビュー(PV)は計336,973でした。
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ありがとうございました!
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