信濃GS 000 300 300 6
新潟AB 000 091 00x 10
間曽,羽豆,ロバート,高津−平野
試合時間:3時間31分 入場者数:6,664名
高津臣吾引退試合。最後の雄姿を見届けようと朝早くから長岡悠久山球場に駆け付け,普段は開放しない外野席まで人が溢れ,観衆はBCL史上最多の6,664名。その一人となれました。
球場正面には花束が。
今日先発石川雅規。昨年新潟で高津と一緒にプレーした正田樹。ヤクルト時代ともにプレーした度会博文コーチ。ヤクルト退団後新潟で投手コーチを務めた本間忠さんからも届いていました。
試合の方は・・
4回に大平の7号3ランで先制を許した新潟だったが,5回裏。
四球・四球・四球・野選・暴投・遊ゴ・四球・死球・捕邪飛・四球・左安・四球・中安・四球・死球・二ゴ
というお世辞にもプロとは言い難い信濃のプレーで,新潟は僅か2安打で9得点。
悠久山にはナイター設備がない。今日は秋分の日。試合の進行だけが気がかりでしたw
終盤に差し掛かってもベンチに座ったままの高津監督。しかしとうとう8回表信濃の攻撃が終わると,野手コーチの青木智史(元広島)に後は頼むぞ的な何かを告げて,ベンチ裏に引き上げ,グラブをもってブルペン(悠久山は神宮同様で,ベンチ裏でなくグランド内にブルペンがある構造)の方へ向かう。
キャッチボール〜遠投〜投げ込みと登板に向けての準備を開始した高津投手。
その投げる球を受けるのは・・アルビには森下という背番号27の捕手がいるのですが,同じ背番号27をつけた・・
そう古田敦也(写真は4月エコスタのもの)。レガースまで装着し,あの独特の投げ方で高津にボールを返す。その光景に感極まります。
2死無走者となったところで,最初で最後のピッチャーオレのコール。今季初めて高津臣吾投手がマウンドに上がります。
対戦する打者は4番指名打者原。初球はボール。2球目3球目とファール。4球目はボール。そして5球目。レフトフライで最後の打者を仕留め,いつも魅せてくれたガッツポーズで試合を締め,マウンド上に輪が出来ます。
一つだけ苦言を言わせてもらうと信濃のトランペットさん,一球一球静かに見守りたかったなぁ。鳴り物応援は否定しないんだけど,このシチュエーションばかりはさすがに。。
試合後はレギュラージーズン最終戦も兼ねたセレモニー。清野主将からプレーオフに向けた意気込みが語られ,いよいよ高津引退セレモニー。
始球式ならぬ終球式。受けたのはもちろん古田敦也。一球投げ終えて感動のハグ。
社長,チームメイト,息子,そして台湾から記念品や花束が手渡される一幕に,思わずヤクルト球団何やってるの・・と愚痴をこぼしたくなりました。
感動のスピーチはこちら。
そして今日。たくさんのお客さんの前で引退試合を行うことが出来ました。選手生活22年素晴らしい人に出会い,素晴らしい仲間と野球が出来,素晴らしい思い出をたくさんもらいました。これらはすべて僕の宝物です。
(沈黙)
夜も眠れない時や,全てを投げだしてしまいたいときもありました。もしあの時辞めていたら,こんなに辛い想いをしなくてもいいんじゃないかと思う時もありました。ただ歯を食い縛り,色んなものを犠牲にし,我慢して,頑張って,今日を迎えて,僕が今までやってきたことは,間違いじゃなかったと確信しました。
(場内拍手)
今まで色んな場所で,色んな国で僕に携わってくれた方々,心より感謝します。
そしてこの場を借りて,親父お袋小さい頃から思う存分野球をやらしてくれてありがとう。そして真紀大貴聡太。ごめん,もうユニフォーム姿を見せてあげられない。君たちの応援する姿や笑顔や優しさが,どんなに身体が辛くても,心が折れそうになっても,一番の僕のエネルギーでした。これから君たちの野球でパパとママを楽しませてくれ。
そして最後にもし一つだけ願いが叶うならまたここに帰ってきたい。来年も再来年もずっとマウンドに立ち続けたい。
僕はほんとに幸せな野球選手でした。ほんとに長い間ありがとうございました。
もう涙線崩壊>_<
「夜も眠れない時」「全てを投げだしてしまいたいとき」高津にもそんな時期があっただなんて・・。ストッパーというポジションを長年務めてきた高津ならではの苦悩があったに違いない。
プロ初勝利の懸かった投手の勝利を消してしまったこと。チームが逆転サヨナラ負けを喰らった試合。全ての罵声は守護神高津に浴びせられた。肘が思うような状態で無く騙しだまし投げてた時期もあった。
03年オフFAでメジャー移籍して以降,マイナー,テスト生からのヤクルト復帰,非情の解雇通告,韓国台湾独立リーグでのプレー,そして兼任監督就任とひと波乱もふた波乱もあった野球人生。
「色んな場所で,色んな国で」プレーできた選手は世界中探してもそういるものではない。
あと1イニング。あと1人。あと1球。それがなかなか遠い。高津劇場―高津の投球にハラハラさせられ,胃がキリキリ痛くなるような思いを何度もした。でもそれ以上に勝利の喜びを味あわせてもらった。
1993年鈴木健を三振に取った瞬間。1995年代打ニールをセカンドゴロに打ち取った瞬間。1997年代打大塚をセカンドゴロに打ち取った瞬間。2001年代打藤井彰をキャッチャーファールフライに打ち取った瞬間―そこには常に高津がいた。そして古田がいた。決して揺るがない,決して色褪せることない光景。
背番号22高津臣吾。選手生活
22年間。9月
22日に引退。
ここまで22が重なるなんて・・最後に用意された舞台は決して偶然ではあるまい。
ありがとう高津臣吾。胴上げ
最後は場内一周も。ここで音楽かかると余計に涙線崩壊するのが恒例なんだけど,それは無かった。
本日の戦利品。
・高津引退試合チケット
・入場者に配布されるマッチデープログラム
・新潟日報による号外
・限定100個高津メモリアルマグカップ←2012年9月22日の日付が購入の決め手!