G 000 200 000 2
S 020 010 00x 3
○ロマン(1-3)5
1/3,H増渕
2/3,H日高1,H押本1,Sバーネット(7)1−中村
バレンティン4号@(宮國)
2010年8月8-10日・2011年4月26-28日・2011年7月5-7日に続き,これで小川監督就任以来4度目となる対巨人戦同一カード3連勝!!!
ちなみに昨年から,対巨人戦主催試合の成績は12勝3敗(クライマックス含めると14勝4敗)。08年と09年は綺麗に4勝8敗でしたが…苦手意識とは何だったのか!?
ロマンにようやく援護点はバレのソロホームラン。1死二三塁から悠平も必死に喰らいつて外野まで運び,慎吾が好走でもう1点。
しかし眠ってた阿部に被弾を許し振り出しに。
5回裏宮國を諦めて福田にチェンジした原監督。その福田からミレが勝ち越しタイムリーを放ち,ロマンに勝ち投手の権利が。
一番のポイントは6回表の守備だった。先頭高橋由に四球。2番藤村の犠打を悠平がファーストへ悪送球してしまい,0死二三塁で迎えるは坂本・阿部・長野・村田というまさに絶対絶命の大ピンチ。
坂本は現役時代の原監督を彷彿とさせるような芸術的なぽpフライ。浅めの打球+上田の肩+由伸の脚でタッチアップは出来ず1死二三塁。阿部とは勝負を避け満塁となったところで,増渕にスイッチ。
増渕−中村バッテリーは長野に対し強気に攻めて空振り三振。そして村田の打球は浩康ジャンプ一番好捕!で三者残塁となり,勝負あり。
残り3イニングは日高・押本・バーネットで9者凡退。日高は着実にセットアッパーに成長している。
自ら失策をしながらも,その後実に落ち着いていた悠平。エラーに動揺して頭が真っ白になってリードが単調になって被弾。。そんなキャッチャーがヤクルトにもいたようないなかったような。。
「(中村は相川の)代役ではない」こう言い切った小川監督。相川だってうかうかしていられない。川本も。若い選手が主力の座を奪う瞬間。そういうものを”持っている”いや”背負っている”ような気がする。
FM PORT 深澤弘さん。宮本についてのワンコーナーありましたので,以下に書き起こします。
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宮本慎也。1970年11月5日生まれ。42歳。176cm70kg。PL学園から同志社大学プリンスホテル,そして1994年ドラフト第2位でヤクルト入団,今年が18年目。年俸は2億円。2年契約の今年が2年目。昨年まで1975安打。
ジャイアンツ戦で左膝に受けたデッドボールが痛くてと,このところ言っているんですけれど,ちょっとまぁバッティングが低調だったんですが,また少し上がって参りまして,いよいよ2000本安打目前までやって参りました。あの小さな体で2000本安打。しかも42歳でレギュラー。これほんとすごいですねぇ。
まぁこの宮本慎也は小さい時から野球少年で,父親が長嶋さんの大ファンで,男の子をつくってプロ野球選手にすると決めていたところに慎也が誕生しました。しかし小さな子供だった。小学校3年になるのを待ってお父さんの勧めで軟式野球を始めます。”慎也どうだお前長嶋さんのようにならんば”の一念で毎日を送っていました。だから”慎也もっとお前大きくならなきゃダメだ”ということで,食べろ食べろの毎日で,後に宮本慎也はご飯の時間がもう拷問のようだった,動けないほど食べさせられたと言っておりますが,まぁその甲斐があって,小学校6年生頃から急に背が伸び出して,まぁ子供としてはどうでしょうね,ちょこまかして非常に落ち着きのない子だったんだけど,だいぶまぁ普通の大きさになってきたと。でぇーそのー小学校6年で背が伸びたのを機会に硬式ボールを使うボーイズリーグのチームに入って,特にあのぉ自分より大きいヤツばっかりだったので,この連中に勝てるとしたらすばしっこい内野になる以外無いと,宮本慎也は感じたそうなんですが,このボーイズリーグ時代,体は小さいけど動きもよくバッティングも良かったんで,PL学園高校野球部のスカウトの目に留まります。その時PL学園の監督はあの全国制覇した有名な中村順司さん。えーこの人の目に留まって本人よりお父さんが大変に喜んだということで,まぁPLでは2年上に清原・桑田。1年上に野村・橋本・片岡・立浪。いわゆる最強のPL軍団の時代ですねぇ。
宮本慎也は,みんなプロの選手より大きくてとにかくお日さまのようだったと。そんな中で自分と同じくらいの立浪さんをみつけて,立浪さんを目標に毎日の練習に励んだんです,と。まぁ慎也は野村・橋本この両エースで甲子園に行った時に控えの内野手としてベンチに入っていたそうです。まぁ偉大な先輩達が卒業して慎也は3年になってPL学園の野球部のキャプテンになるんですが,とてもとても甲子園に出られるようなチームでは無かったそうです。
PL時代の宮本慎也について,当時の中村順司監督ですが,”体は小さく目立たない子だったけど,非常に目の鋭い子だった。ショートに抜擢したんだけれど,その時に宮本に言ったのは,いいか,ピッチャーをマウンドで動揺させないようにするのがショートお前の役目だ。それをやってくれ”ということでした。”まぁいい恰好でファインプレーなどする必要は無い。ピッチャーが打たれたーと思った強い当たりを出来るだけ正面で捕ってやって,さりげなくアウトにしてピッチャーを安心させるんだ”ということをその中村監督はPL学園時代宮本慎也に言ったそうで,宮本慎也はこの言葉を今も胸にしまってヤクルトの今はサードを守っています。
まぁプロに行きたかった慎也ですが,PL時代は全く声がかからず,仕方なく同志社大学に。同志社大学で5番を打って首位打者を獲るんですが,あの小さな体ではということでプロから全く声がかからない。だったら少し目立つ所へ行こうというので,東京の社会人野球チーム,ここへ行けば目につくかもしれないというのでプリンスホテルへ入社。
社会人で首位打者を獲った時にヤクルトのスカウトが,体が小さく疑問はあるけれど,とにかくしっかりしている。守備もいいと。選手としてダメだったらヤクルトの将来の幹部候補生としてとってみようということで,1994年のドラフト第2位で入団。その時の稲葉もドラフト3位で法政大学から入団して,今二人とも揃って2000本安打目前というところまで来ています。
その時のヤクルトの監督が野村克也さん。ショートは池山。池山が少し落ちてきた頃です。えぇ野村さんがキャンプインする直前に新人の宮本慎也を呼んで,“お前は器としてはリザーブ。所詮控えのプレーヤーだ。でもそれで良かったら俺についてきな。ただ一つ言っとくけれど,お前はわき役なんだと。バッティングでもただの一度でもレフトへ引っ張るようなことをしたら,俺はお前を使わない。右打者だけれどお前のヒットゾーンはライト線なんだ”と言われて,宮本慎也は非常にショックを感じたけれど,まぁそういうバッティングに徹した。結局それが2000本安打につながる一つの道だったんではないでしょうかねぇ。
ええ宮本慎也が今でも言うのは,僕の心情は当たり前のことを当たり前にやること。グランドではPLの教えのピッチャーを動揺させないこと。この2つを守っていますと。
えぇ今年のシーズンに入る前にですねぇ,宮本慎也はヤクルト球団に対して,自分の2000本安打のために球団として気を遣わないで欲しい。単に数字だけのことで,僕だけのことなんだから気を遣わないで下さい。それからもし打てなかったら遠慮なく他のやつを使って欲しいと言ったそうですけど,まぁこれはきっと本心では無くて,2000本安打なんて誰でも打てるものではないから,本心では無かったと思うんですけれど・・。
まぁ一方では日本ハムの稲葉ですねぇ。今札幌で絶好調だと。調子が良いうちに早く2000本安打を打ちたいと言っているそうですが,二人揃ってですねぇ。
さて,その宮本慎也ですけれど,2000本安打を打ったら辞めますというのが彼の口癖で,数字ではなく,もう42歳だし,今年で2年契約も終わるから辞めますという。出来たら晩節を汚したくない。自分のチームの邪魔になりたくない。出来たら綺麗にカッコよく辞めた方がいい。もう満足だという表情なんですけど,さぁ球団がこの宮本慎也を辞めさせるかどうかというところですねぇ。
でもあの小さな体,そしてきゃしゃな宮本慎也が2000本。それも同期入団のこれも地味だった稲葉と一緒に2000本。いよいよですねぇ,いぶし銀にスポットライトが当たろうとしていますねぇ。
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2000本安打の次に必ず訪れる人生の転機の時・・考えさせられます。
チームが優勝して辞める。それが慎也さんの望む最高のシナリオだとしたら・・やっぱり優勝するっきゃないんヤ!!
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