
はじめに
「デジタルやネットワーク技術が発達し,かつてないほど大量に情報が溢れかえっているこの日本において『情報』を活かして何か物事を実現するには,情報のインプット(入力)とアウトプット(出力)のバランスを取ることが重要」(p.7)
本のテーマを一言で表すとこういうこと。
第1章 情報は行動を引き起こすためにある
津田さん自身のこれまでの生い立ちに触れながら展開されていた。
情報を「ネット上に記録しておき必要に応じてネット経由で引き出す」(p.11)
ストックとしてのブログの存在にもあてはまるかな。記録”されている”ではなく,”しておく”という自発性がないと,容易に”引き出す”ことは出来ないようにも感じた。
「日本のソーシャルメディアは,2010年にブレイクし,ツイッター,フェイスブック,ミクシィという3サービスが激しくしのぎを削る勃興期に入った」(p.13)
2010年1月当時の首相が始めたことで爆発的に広がったと。誰だったか憶えてます?
「自分の好きなことを自分の好きなように,自由に評論し意見を言うのはこんなに楽しいこと」(p.40)
一応2001年から日記として”自分の好きなこと”に対して”好きなように”ネット上に公開してきました。
「いまだにマスメディアしか見ていない人と,ソーシャルメディアも使いこなしている人との間には,情報に関して圧倒的な差があ」る(p.46)
震災を例に。これからはソーシャルメディアに慣れた世代が歳をとっていく。その差を埋める努力というが,必然的に移行されていく部分もあるように感じる。
「ソーシャルメディアの場合,情報ではなく人をフォローする」(p.49)
この考えはすごく大きいと思う。人が見えないアカウントはフォローしにくいし,むしろ怪しいものと疑う。そしてフォローした人の数だけ価値観があり,活性化される。
「ソーシャルメディアが『2ちゃんねる』と違うのは,情報のやりとりが終わった後でも関係性が継続する」「2ちゃんねるの場合,何か一つの情報で盛り上がっても,最終的にはみんな『名無しさん』に戻ってその後の横のつながりは失われる。しかし,ツイッターで話題が盛り上がり『こいつ面白いな』と思ってフォローすると,その後も関係も持続して,実際に出会って友達にもなれる」(p.58)
これも実に面白い比較だった。「名」のあるやくせんって感じだもんね(笑)
第2章 情報は「人」をチャンネルにして取り込む
津田さん流インプット方法論とでもいうべきか。個人の立場によって大きく変わる部分もあろう。
「人や情報とのハプニング的な出会いが面白いツール」「未知なる人に興味がある,新しい世界を広げたいと思っている人に向いてい」る(p.77)
それぞれ特性があり相性もある。
「ネット社会の思想に興味ある人なら,丸山眞男の『日本の思想』(岩波新書)をネットに置き換えて読んでみる」(p.78)
すごい示唆に富んでいた。「古典には先人の叡智が濃縮されている」と。
「製造元や広告代理店が消費者を組織化してバズ(口コミのブーム)を作ろうとしている場合もあるので注意が必要」「メディアがおすすめするものの背後には何か操作があると思っておいたほうがいい」「芸能人がブログで美味しいと言っても,ブログとの間に300万円動いている」(p.81)
今話題の・・・。ネット文化が成熟すればこんなのに騙される人もいなくなると思うんだけど・・・。
第3章 情報は発信しなければ,得るものはない
今度はアウトプット論。
「情報のアウトプットを鍛えるのにまず必要なのは,独自の視点を持つということ」「ある一定の基準を自分の中で作り,そのうえでインプットした情報から新しい発想を生み出そうとすることで,必然的にアウトプット力が鍛えられていく」(p.94)
「有用な情報,フォロワーに喜んでもらえるような情報を発信することによってフォロワーに貢献をし,自分の日常を書いて自分自身についても興味を持ってもらう」「自分のネット上での情報拡散力・影響力を高めていく」(p.97)
「自分が面白いと信じることを継続すること」それが「結果的に自分の強みにもなり『このジャンルの情報発信を続けるんだ』という自負も形成され」る「まずは継続すること」(pp.99-100)
継続の力。これはネットの世界ではマストアイテムだと思います。個人的には。人間だれだって何かしら強みがあるんだから,まずはそれを伸ばす。それだけで自然と色んな感性磨かれて行く。
マスコミは「美談に仕立て上げようとし」「騒いだりする」が「それで終わりで」「その後の動きを継続的にフォローすることはほとんど」ない。(p.111)
もう一つの継続性の意義。フォローとフォロー。言葉の掛け合わせが実に秀逸だと思う。
第4章 ソーシャルキャピタルの時代がやってくる
ソーシャルメディアの未来論。
「ソーシャルメディアの最大の良いところは,従来『つながり』がなかった人と人とを自然と結びつけ,大きなムーブメントにしてしまうところ」「今までは『つながり』の幅を自ら広げようとしてもローカルな『地域』にしばられてい」た(p.146)
北海道から沖縄まで。中高校生,高専・大学生から年配の方まで,男女問わず。これってやっぱり,ネットが無かった時代思えばホント凄いこと。。
「これからはソーシャルキャピタル(人間関係資本)の時代」(p.146)
「薄くてもいいので広く多面的にソーシャルメディアでつながっていれば,いとも簡単に問題を解決できるかもしれない。そこにソーシャルキャピタルの意義がある」(pp.148-149)
「『メンバー相互の善意,友情,共感,社交を指す。金銭に還元できる資本とは異なる,金銭に還元できない資本という比喩である』」「キャピタル(経済資本)とは関係のない,『つながり』による無形・無償の財産」「『他人に対して気軽に何かをやってあげる』という具体的なアクションや気持ちを付け加えたい」(p.151)
実は一番読みたかった部分。ソーシャルキャピタルの話題。学生時代Putnam, Robert D. 2000. Bowling Alone: The Collapse and Revival of American Community. Simon & Schuster.なんかを英文の資料で読まされたことあった。当時はハッキリ言ってなんのこっちゃら??だったけど,ソーシャルメディアをこうして実際に使うようになってようやくそこで何が言われていたのかが,見えてきたような気がした。その意味で凄い名著を紹介してくれていたんだなあと恩師のT先生を改めて尊敬しました。”薄い信頼””厚い信頼””協働”。うろ憶えでホント申し訳ないです>_<
「若い人たちに向けて言いたいのは,『若いうちに会いたい人に会っておけ』」(p.161)
これは本当に感じる。自分が高校・大学生時代に出会っていればもっと視野広がったんだろうなぁって思う。正直今の子が羨ましい。
中学生くらいの子は”相互フォロー希望””必ずリフォローします”ってむやみやたらにフォロー数フォロワー数を増やすことだけに躍起になっている印象受けるけど,それは違うと思うな。まぁ学年上がるにつれて分かるようになるか。
「相手に自分の人間関係資本を贈ることで自分の人間関係資本的な価値を高めた,自分に対する投資をしたとポジティブに考える」(p.163)
「豊さ」とは何だろう。
おわりに
「ソーシャルメディアというのは正直者がバカを見ない世界なんじゃないかな」(p.164)
誰に頼まれた訳でもないのに情報発信(拡散)する。カネになる訳でもないのに時間を費やす。でもそれが誰かの役に立ち,ひいては自分のためになる。そんな世界の到来かな―。
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