2011年12月28日

【ヤクルト】仕事納め、年始は1月5日から

 ヤクルトは28日、都内の球団事務所で年内の業務を終了した。
 冒頭のあいさつでは衣笠剛球団社長兼オーナー代行(62)が、来季の優勝を誓った。[ 日刊スポーツ 12月28日(水)17時16分配信 ]

ヤクルト球団も仕事納めということで,弊ブログも一年納めたいと思います。お陰さまで今年1年間は,合計240の記事を書き連ねることが出来ました。
 
震災でどうなることかと思われた春先―。2011年という年を決して忘れることのないよう,そして風化させないように。
野球から得たたくさんの笑顔。そして創志学園・野山慎介主将や楽天・嶋基宏選手会長,ホークス・秋山幸二監督らが魂込めたメッセージ。
こうした言霊をいつまでも大切にしていきたいですね。

そんな日に一つニュースが。惜別メッセージを送っていなかったので,ここで。
ロッテ、ホワイトセルを獲得=プロ野球
 ロッテは28日、新外国人として今季までヤクルトでプレーしたジョシュ・ホワイトセル内野手(29)を獲得したと発表した。1年契約で年俸は30万ドル(約2300万円)。ホワイトセルはヤクルト2年目の今季は112試合に出場し、打率2割4分7厘、33打点、12本塁打だった。
 また、ヘイデン・ペン、カルロス・ロサ両投手の残留が決まり、それぞれ年俸75万ドル(約5700万円)で来季の契約を結んだ。(金額は推定)[ 時事通信 2011/12/28-16:08 ]

53.ジョシュ・ホワイトセル
小川ヤクルトを語る上で欠くことの出来ない人物。応援団の皆さんが応援歌に「ツバメを救え」という壮絶な願いを込めるほど沈んでいた2010年6月に来日。
デビューは華々しかった。登録即スタメンとなった6月26日の阪神戦で,来日初本塁打。同29日には沖縄県内で実に35年ぶりの公式戦となったセルラースタジアム那覇で,杮落とし本塁打を放ち,その名を刻んだ。ここぞの場面で勝負強く勝利打点マニアとの異名もとった。
ホワイトセルがどっしりと4番に座るようになり,チームも勢いを取り戻した。最大19あった借金をミルミル完済し,既定路線と言われていた荒木監督就任を覆し,小川監督代行が正式に監督就任となったのには,ホワイトセルの功績も小さくなかろう。

68試合で,打率.309・15本塁打・53打点という好成績は高く評価され年俸も大幅増で契約更新となった。ただ秋口から守備に集中力を欠くなど,次のシーズンに向けて不安面もあった。

その予感は的中・・。助っ人にとって頻発する地震など精神的に不安定な状態は否めなかったものの,開幕から不振を極める。膝が痛いだの仮病も噂され,小川監督も早々に決断を下した。開幕5試合目にしてホワイトセルの4番剥奪と畠山の4番抜擢。

畠山が4番できっちりと結果を残したことで,尻に火がついたホワセルは,畠山をレフトに追いやり,再びスタメンに名を連ねるようになるも,昨年ほどの成績は上げられず,後半戦からはベンチを温めるように。畠山との兼ね合いもあり,構想から外れるのも止むを得なかった。

良くも悪くも小川監督と4番畠山を生んでくれたホワイトセル。

新天地となるパ・リーグには指名打者もある。活躍の可能性は広がると思うので,交流戦での再開を期待したい。

さぁさ鍛えた肉体と 荒らぶる魂で ツバメを救え ジョシュファイティングパワー!
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2011年12月27日

ミレッジを獲得=プロ野球・ヤクルト

 ヤクルトは27日、新外国人として米大リーグ・ホワイトソックス傘下の3Aシャーロットからラスティングス・ミレッジ外野手(26)=183センチ、93キロ、右投げ右打ち=を獲得したと発表した。1年契約で、契約金と年俸を合わせて4500万円プラス出来高払い。背番号は85。
 同外野手は2003年にドラフト1位でメッツに入団し、メジャー通算433試合で打率2割6分9厘、33本塁打、167打点、40盗塁。
 また、ウラディミール・バレンティン外野手は年俸7500万円、トニー・バーネット投手は年俸5800万円で契約を更改した。2年契約の2年目となる林昌勇投手は現状維持の3億6000万円。年俸には全て出来高払いが付く。(金額は推定)。[ 時事通信 12月27日(火)18時34分配信 ]

シーズン中から噂はありましたが,なかなか正式発表されず,青木が決まらないとお流れになるのか?!とさえ思ったのですが。。

一つだけ明らかになったのは,飯田コーチ謎の背番号変更はミレッジを見込んでのものだったということ。それにしてもなぜ88だったんだろう。73・74・76・86・90・91・94・95・97・99と選択肢は数多だったのに・・

1978年生まれのゴンちゃんが自ら希望して42から78へ変更したことはありましたが,1985年生まれのミレちゃんは来日初年度から85を背負うことに。
70番台はゴンちゃんを始め中日のソトなんかもいますし,90番台はヤクルトでは高橋智(1999-2001)他球団でも中村紀洋や藤井秀悟らがいるので,まぁ珍しくはありませんが,80番台って・・・プロ野球の歴史で本塁打打った選手とかいるのかしら??

ドライチ入団に,素行の悪さなど,これまでのヤクルトらしからぬ?経歴をもった選手の入団です。うまく溶け込めるか不安半分期待半分。

ただ青木なんかよりはよっぽど強肩で,脚もそこそこ。長打力は文句なしという前評判。
どっかり4番に据えて慎吾・畠で挟むのか?あるいは6番あたりに置いて様子を見るのか?色々と楽しみです!

バレちんとバネキも無事更改。円高で安く収まったか?!前半だけの活躍なら二人とも軽く1億円超えたんでしょうが,絶不調・怪我離脱とありましたからね。まぁトータルではこんなものかな。

共同通信の記事には「ヤクルトは先発投手をもう1人補強する方針」とありました。バレの尻に火を点ける意味でも賛成かな。
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2011年12月25日

総括2011―首位と2.5ゲーム差を分けたもの

はじめに
 開幕までちょうどあと2週間と迫った3月11日金曜日の午後に発生した東日本大震災−。地震・原発・デマ・津波・・プロ野球開幕という高揚感は一気に吹き飛んだ。コミッショナー・オーナー・選手会が大臣を巻き込んで論議を重ねた末に,開幕が3月25日から4月12日へと延期となった2011年のペナントレース。試合開始から3時間30分を超えて新しいイニングには入らない。4月中は東京電力管内におけるナイトゲームの開催を自粛する。当初発表となっていた5カード15試合の日程を再編し,クリネックススタジアム宮城で震災復興オールスターゲームを開催する方向で検討などなど,異様なムードで2011年シーズンの開幕を迎えた。

 このお陰でと言っては語弊が生まれてしまうが,右手第5指末節骨骨折で開幕アウトとみられていた田中浩康が開幕に間に合い,ほぼ万全のメンバーで臨むことになった。しかしながら石川雅規佐藤由規館山昌平で開幕から3連敗を喫するなど昨年序盤の悪夢すら蘇るスタートではあったが,今シーズンより先発に転向した増渕竜義と4番に座った畠山和洋の活躍で開幕からに5試合目にしてようやくシーズン1勝目を挙げると,ここから一気に引き分けを挟んで9連勝。4月22日には4年目山本斉がプロ初勝利を手にした。4月24日に首位に立ち,5月1日には1997年以来14年ぶりのリーグ10勝一番乗りを果たす。その勢いはとどまることを知らず,16勝7敗3分 勝率.696という上々の成績で2位中日に3.0ゲーム差をつけ交流戦に突入する。

 交流戦の初戦から武田勝,ダルビッシュ有,田中将大とパ・リーグを代表する投手との対戦が続き,好調だった打線が調子を崩されてしまうとチームの勢いにも陰りが見え始め,5月29日には中日に首位の座を明け渡してしまう。それでも5月31日対ロッテ戦(QVC)で勝利し再びゲーム差無しの単独首位に返り咲くと,6月は10勝6敗3分,7月も12勝6敗4分と首位の座をキープするどころか,7月19日から8月6日にかけては,スワローズ以外の5球団が借金を抱えるというまさに独走状態に。この快進撃が世間にも評価されオールスターゲームには由規,畠山,青木宣親ウラジミール・バレンティンの4名がファン投票で選出される。これは1978年(鈴木康二朗,ヒルトン,角富士夫,若松勉)・1993年(古田敦也,ジャック・ハウエル,池山隆寛,飯田哲也)以来球団史上3度目ということもあり,10年ぶりのリーグ制覇そして日本一に向けてチームもファンもその期待は高まるばかりだった。
 唯一序盤から濱中治飯原誉士武内晋一福地寿樹松元ユウイチジョシュ・ホワイトセルアーロン・ガイエル宮出隆自と固定出来ずに苦しんだ3番打者には24歳のショートストップ川端慎吾が定着し,ルーキー七條祐樹はプロ初登板から無傷の4連勝など新たな力も芽吹き始めていた。

 8月最初のカードはナゴヤドームでの中日戦。実はこの組み合わせはシーズン前の順延と地方開催の連戦中止が重なり,チーム78試合目にしてようやく回ってきたものだった。その初戦で小川監督は,球団史上最速となる通産100勝をマークし,この時点で中日に10.0ゲームの差をつけた。しかし,この日を境に打撃陣に疲労の色が見え始めた。小川監督が就任して以来初めての同一カード3連敗に加え,(最長タイとなる2度の5連敗もあり)初の月間負け越し。それでも指揮官は月が変わればツキも変わると言いきった。その通りの快進撃が再び始まる。

 9月1日から15日にかけての5カード13試合を12勝1敗と着実に貯金を増やしていった。ところがこの期間中に2番手捕手としてチームを支えてきた川本良平が右足首前距腓靭帯断裂,ストッパー林昌勇にバトンを渡すセットアッパーに定着したトニー・バーネットが右手首豆状骨剥離骨折,先発ローテーションの一角由規が右肩張りで登録抹消。扇の要相川亮二は右手親指亀裂と剥離骨折を押しながら強行出場するなど,故障者が目立つようになっていた。

 そして9月入って同じようなハイペースで白星を重ねてきたのが昨年の覇者中日ドラゴンズだった。22日からの直接対決4連戦第1Rは3連敗スタート。4戦目こそ8月にプロ初勝利を挙げたばかりの赤川克紀がプロ初完投勝利で一矢報いたもののその差は3.0。優勝の二文字を手にするためには,10月10日からの4連戦が最大の山となるだろう。そんな重苦しい重圧と緊張感がチームを取り巻いていた。そんな最中に左のセットアッパーとして台頭したルーキー久古健太郎,エース石川,そしてチームの精神的支柱宮本慎也が相次いで肺炎に感染。調子の上がらない村中恭兵は左肩痛,貴重なバイブルプレーヤー川島慶三も右肘靭帯再建と負の連鎖は止まらない。それでも川端の生涯初グランドスラム,日高亮プロ初勝利など必死に首位の座を守り続けてきた。
 10月6日に首位の座を奪われこそしたが,本拠地神宮球場の広島カープ戦で福地がサヨナラタイムリーと勢いをつけて,直接対決4連戦第2Rで勝ち越したチームにマジック4が点灯するという天王山の地・ナゴヤに乗り込んだ。結果はまさかの4連敗。1度も先制点を奪うことすらできず,2004年から8年間という落合野球との"経験の差"をまざまざと見せつけられた。18日今シーズン敵地で苦しめられた阪神タイガース相手に一矢報いるも,中日が横浜ベイスターズ相手に引き分けに持ち込んだことで,スワローズが勝率でドラゴンズを上回れる可能性が消滅。10年ぶりとなる優勝の悲願は叶わなかった【表1】。
 2009年以来球団史上2回目となるクライマックスシリーズに進出したスワローズ。史上初めて神宮球場で開催されたクライマックスシリーズは,スタンドが傘の花で埋め尽くされ,巨大戦力誇る讀賣ジャイアンツを接戦に次ぐ接戦の末最終戦で振り切り,初めてジャイアンツ・ドラゴンズ以外のチームでファイナルステージの舞台に駒を進めた。
 1勝のアドバンテージを含め0勝2敗となった状態で,公式戦未出場の高卒ルーキー山田哲人と若手のホープ上田剛史を1・2番コンビに据えるという大胆采配を見せ,2戦目・3戦目を連勝,対戦成績を2勝2敗のタイまで持ち込んだが,最後は右手血行障害を抱えながらもマウンドに立ち続けた館山が力尽き,激動の2011年シーズンは152試合目にしてその幕を下ろした。
【表1】チーム月別成績
通産
試合勝数負数引分勝率順位打率本塁得点失点防御勝率順位
416952.6431.2721563502.89.6431
520992.5003.2331055713.41.5631
6191063.6251.2591261703.50.5831
7221264.6671.2571181722.98.6061
8257153.3185.2241475923.57.5341
9251771.7082.24920114793.02.5711
10176110.3535.215335704.31.5432


チーム成績
 今シーズンより導入された統一球によって,投高打低が顕著になったことはここ数年のチーム成績からも明らかである。昨年比で打率は2分4厘下がり,本塁打数も38本の減少。得点は133マイナスとながらリーグトップとなった。失点,防御率に関しては近年でも最高の数字ではあるが,いずれも横浜に次いでリーグ5位の数字であった。盗塁数は年々減少している【表2】。

 こと投手に関しては支配下登録33投手のうち一軍未登録に終わったのは高木啓充吉川昌宏八木亮祐の3名のみ(平井諒は一軍登板機会無く抹消)で,のべ29人の登板は横浜と並び12球団最多タイ。そのうち川島亮山岸穣佐藤賢高市俊中澤雅人岡本直也石井弘寿ラファエル・フェルナンデスの8名が投球回数3イニング以下にとどまり,引退試合登板の石井を除く7人で合算すると14イニング失点23自責点22,防御率に換算すると14.14という成績になってしまう。川島亮,佐藤賢,高市,岡本,高木,石井,吉川の7名が退団となったが,一軍で通じる投手の駒数を充実させることは大きな課題であるように思われる。

【表2】チーム成績 ※()はリーグ順位
試合勝数負数引分勝率勝差順位得点失点本塁打盗塁打率防御率
2011144705915.5432.52484(1)504(5)86(3)43(5).244(3)3.36(5)
201014472684.5146.54617(3)621(3)124(3)66(4).268(2)3.85(2)
200914471721.49622.03548(3)606(5)116(4)106(1).259(2)3.97(5)
200814466744.47117.55583(2)569(4)83(5)148(1).266(4)3.75(4)
200714460840.41720.56596(3)623(4)139(2)66(2).269(2)4.07(5)

【表2-2】セ・リーグ順位表
順位チーム試合勝数敗数引分勝率勝差得点失点本塁打盗塁打率防御率
1中 日144755910.5604194108241.2282.46
2ヤクルト144705915.5432.54845048543.2443.36
3巨 人144716211.5343.5471417108106.2432.61
4阪 神14468706.4939.04824438062.2552.83
5広 島14460768.44116.04394965265.2453.22
6横 浜144478611.35327.54235877831.2393.87


 2000年以来実に11年ぶり,今世紀初めて対巨人戦に勝ち越した。一方ドーム球場では6勝25敗3分の勝率.194(内訳:ナゴヤドーム2勝9敗1分,東京ドーム2勝5敗1分,京セラドーム0勝7敗1分,ヤフードーム1勝1敗,札幌ドーム1勝1敗,西武ドーム0勝2敗)と散々な成績に終わった。ドーム対策も急務である。

【表3】チーム別対戦成績
中 日巨 人阪 神広 島横 浜ソフト日ハム西 武オリク楽 天ロッテ順位
試合数2424242424444444144-
勝利数1012101315121123702
敗戦数1181495223221591
引分数34024100100151
得点63828210298579521104841
失点708010385761413261314105045
安打数18219616219721720303425402911324
本塁打数1112161619121250853
三振数1371531541341412720313026248772
四球数5270799178799910164301
死球数495136321030464
併殺打数1719161814213114963
盗塁数825115203124435
失策数71011613212112561
打率.234.254.218.252.274.179.234.241.192.292.227.2443
防御率2.913.133.983.413.014.063.096.253.003.672.503.365

 守備成績は2年ぶりにリーグトップを奪還した。特筆すべきは宮本で,三塁手として132試合に出場し,失策を記録したのは6月19日ロッテ戦先頭打者岡田幸文のサードゴロをファンブルしたのみ。守備率.997は,三塁手としては1968年徳武定之(中日)の.993を抜きセ・リーグ新記録となった【表4】。

【表4】守備成績
チーム守備率試合守機備会刺殺補殺失策併殺捕逸
参加球団
ヤクルト.980144534138011484563411234
広 島.9881144538838121512642418912
巨 人.9879144557638531656673131164
阪 神.9862144539437991521742851047
横 浜.9859144533337671491752991128
中 日.9850144558638471656833171164


 今年も57勝78敗9分とパ・リーグに圧倒された交流戦であったが,通産成績では中日とタイながらセ・リーグトップに返り咲いた。勝率的には阪神・巨人とも肉薄しているが,あと2勝と迫った通産100勝をリーグ一番乗りで達成したいところである【表5】。

【表5】交流戦通産成績[2005-2011]
試合勝数負数引分勝率勝差
福岡ソフトバンク192118695.631-
千葉ロッテ192100848.54316.5
北海道日本ハム192101865.5400.5
東京ヤクルト19298913.5194.0
中 日19298913.5190.0
阪 神19296906.5160.5
巨 人19294908.5111.0
埼玉西武19294944.5002.0
オリックス19291956.4892.0
東北楽天192831054.4419.0
広 島192751107.4056.5
横浜DeNA192731145.3903.0


中日と2.5ゲーム差を分けたものとは一体何だったのだろうか
 今シーズンは3時間30分を超えて新しいイニングに入らない規定が設けられた。これにより例年に比べ引き分け試合が増えることは予想されたが,スワローズは12球団で最多の15試合となった。この15試合のうち先発投手に勝ちの権利があったのは4月16日村中,6月30日館山,7月30日由規の3試合のみで,先発が5イニング持たなかった試合が7試合あることを考えても,松岡健一押本健彦,久古,バーネットら中継ぎ陣が踏ん張って引き分けにもちこんだという見方が出来る【表6】。

【表6】今季引き分け試合の戦績
月日球場対戦相手時間スコアバッテリー
4.16神 宮横 浜3:346-6村中70/3,Hバーネット1,林昌勇1−相川
4.23マツダ広 島4:106-6高市21/3,橋本2/3,押本2,バーネット2,松岡1,林昌勇1−川本
5.8松 山広 島3:373-3増渕62/3,久古1/3,Hバーネット1,林昌勇1−相川
5.23神 宮ソフトバンク1:410-0館山5−相川
6.9京セラドームオリックス3:321-1由規4,H松岡2,H久古11/3,H押本2/3,H林昌勇1,バーネット1−相川
6.29郡 山巨 人3:405-5加藤42/3,松岡1/3,H久古1,押本2,Hバーネット1,林昌勇1−相川
6.30東京ドーム巨 人3:514-4館山8,林昌勇1,バーネット1−相川
7.14神 宮中 日3:482-2石川71/3,H松岡2/3,Hバーネット1,H押本2/3,久古1/3−相川
7.18横 浜横 浜3:332-2七條32/3,赤川21/3,押本1,久古1,バーネット1−相川
7.30神 宮巨 人3:532-2由規62/3,H久古1/3,Hバーネット1,林昌勇1−相川
7.31神 宮巨 人3:516-6増渕2,赤川2,松岡2,押本2,バーネット1−相川
8.3ナゴヤドーム中 日3:441-1七條7,Hバーネット1,H林昌勇1,松岡1−相川
8.17神 宮横 浜4:0610-10七條2/3,渡辺31/3,小野寺1,松岡2,H久古2/3,H押本1/3,バーネット1−相川,川本
8.24神 宮中 日3:476-6七條2,押本3,H渡辺1,H松岡1,バーネット1,H久古2/3,林昌勇1/3−相川
9.17神 宮横 浜3:332-2石川61/3,松井光0/3,H押本2/3,H松岡1,H久古2/3,林昌勇1/3−相川


 しかし最終的に優勝した中日とは負け数(59)が等しく,2.5ゲームの差を分けたものは引き分け数にあったとも言える。もっと言えば,対中日との引き分け3試合で勝利を収めていれば,最終成績はヤクルト73勝59敗12分 勝率.5530 中日75勝62敗7分 勝率.5434という計算になり,1分差で中日をかわしたことにもなる。あくまでも仮定の話ではあるが,あと1点ずつ(計3点)多く得点を奪えていれば,あるいはあと1点づつ(計3失点)失点を与えなければ優勝出来たのである。ちなみに振り返るといずれも中日はチェンが先発した試合であった。

7/14 神宮 9回戦 15,261人 3時間48分
中 日0101000000 2
ヤクルト0000020000 2

チェン,小林正,鈴木,河原,岩瀬,浅尾−小山
石川71/3,H松岡2/3,Hバーネット1,H押本2/3,久古1/3−相川
 森野8号ソロ(2表石川),ホワイトセル10号2ラン(6裏チェン)
首位攻防の第3戦は引き分けに終わった。2回表に中日が森野の2試合連続となるソロで先制すると、4回にも和田の適時打で加点。対するヤクルトは6回、ホワイトセルの2ランで同点とする。その後は両チームとも小刻みな継投で相手打線を封じ、スコアボードに0を並べた。


8/3 ナゴヤドーム 11回戦 27,093人 3時間44分
ヤクルト0100000000 1
中 日1000000000 1

七條7,Hバーネット1,H林昌勇1,松岡1−相川
チェン,浅尾,河原,岩瀬−小山
中日は1回裏、1死二塁からグスマンの適時打で先制する。対するヤクルトは直後の2回、先発の七條が自ら適時打を放ち同点とした。その後は両軍投手陣が粘りの投球。9回には中日が無死一二塁の好機をつくるも決定打を欠き、試合は10回終了で規定により引き分けとなった。


8/24 神宮 14回戦 25,477人 3時間47分
中 日131000100 6
ヤクルト312000000 6

チェン,久本,鈴木,小林正,平井,浅尾,岩瀬−谷繁
七條2,押本3,H渡辺1,H松岡1,バーネット1,H久古2/3,林昌勇1/3−相川
 畠山15号2ラン(1裏チェン),谷繁2号ソロ(3表押本),堂上直2号ソロ(8表バーネット)
1点を追うヤクルトは3回裏、1死満塁の好機でガイエルが適時二塁打を放ち逆転に成功。対する中日も8回、堂上直がソロを放ち同点とする。その後は両軍救援陣が完ぺきな投球で得点を許さず、合わせて39選手が出場した総力戦は、規定により引き分けに終わった。

 試合は「1点を守り抜くか、相手を『0』にすれば負けない」のだ。敵将落合監督8年間の集大成はまさにこの1点1点の積み重ねに集約されていた。これを144試合のどこで発揮したらよいのか。どの場面で何をすればいいのか。この小さいようで大きな差をどこまで詰められるか。地道な基本作業の反復が求められている。


おわりに〜2012シーズンに向けて
 優勝争いを「体験」しただけであって,優勝しないことには「経験」にはならない―宮本の言葉は実に重みがある。近年終盤まで首位を独走していたが逆転で優勝を逃したチームといえば,1996年広島(11.5差),1998年日本ハム(10.0差),2008年阪神(13.0差)が思い出されるが,いずれのチームも翌年Vを逃しているし,その後長期間低迷に陥っている傾向も否めない。優勝を逃した以上来季への展望はそれほど明るいものではないように思えてならない。さらにいえば重度の故障を押してまで戦った選手は復帰出来るのか?若い力は研究されてジンクスに陥ってしまうのではないか?不安は募るばかりである。それに加えてチームの看板であり,野球に興味の無い人にでも知名度を誇った青木という選手が抜ける。実力に加え,人気面でも低下することが懸念される。

 ライバルでもある巨人は,2007-2008年セ・リーグ本塁打王・村田修一,2005年パ・リーグ最多勝・最優秀防御率,2008-2009年パ・リーグ最多奪三振投手・杉内俊哉,2011年パ・リーグ最多勝投手DJホールトンという巨大補強を敢行。アレックス・ラミレス,セス・グライシンガー,マーク・クルーンを補強した2008年に負けずとも劣らぬ,優勝へのなりふり構わない姿勢を見せている。

 2011年の「体験」を風化させないためにも来年が非常に重要になる。2012年シーズンの戦いは,スワローズの向こう10年を決める一年になると言っても決して過言ではないと思う。なぜならば,優勝を逃せば小川監督自身が責任を感じ続投を拒否する可能性も否めないし,フロントも当初の契約通りということで,既定路線でもある荒木大輔チーフ兼投手コーチの監督就任を進めるだろう。そして新体制に移行する過程で,長年チームを支えてきた宮本も現役引退しコーチ専任を余儀なくされる・・
 私情を挿むことを承知で言うが,もしこうなったら再びチームは低迷することになるだろう。監督の知名度だけで勝てるとは到底思えない。投手出身者が下積みもなく勝てるほど甘くない。この最悪の事態を阻止するためにも勝つしかないのだ。それも巨人に。

 広沢克己,ジャック・ハウエル,川口和久を補強した1995年。清原和博,石井浩郎,エリック・ヒルマンを乱獲した1997年。タフィ・ローズ・小久保裕紀と大砲を揃えた2004年。李スンヨプ,ジェルミー・パウエル,豊田清,野口茂樹まで加えた2005年。いずれも元タイトルホルダーという巨大補強が必ずしも成功するとは限らない。選手だけで野球をするのではない。チームとして一体になって機能するのが野球というスポーツなのである。

 話をヤクルトに戻す。青木という名前を伏せて打率.292・本塁打4・盗塁8の外野手が抜けたと考えてみたらどうだろうか。かつて青木に「走・守は素晴らしいです。あとは打撃。辛抱×2。長い目で行きましょう。」と書いたことがあった。2005年4月のことである。青木も最初はそんなものだった。

 「クリーンアップを育てるのは時間がかかるし、しんどいが1、2番はまだなんとかなる。」とは伊勢孝夫総合コーチの話だ。確かに岩村明憲,古田敦也,ラミレスと不動のクリーンナップ打者でもあった選手が抜けた(退いた)年は,その穴を埋めるのに苦労した。しかし1番打者ならたとえ打率.250でも出塁率や盗塁でそれを補い,かつ守備が安定してさえいれば,一軍は立派に務まる。

 2005年(当時)若松勉監督は開幕戦から青木を,宮本と岩村・ラミレス・古田のクリーンナップに挟まれた2番打者として起用していた。打撃はともかく守備で外せないそう監督自ら語っていた。この起用法がポスト青木育成のヒントになるように思う。一番打者が出塁すれば犠打を指示,失敗しても自らが走ることで得点圏に走者を置いてクリーンナップにつなぐ役割をまずは徹底する。当時の宮本の役割を果たせるのは浩康だろうし,川端・畠山・バレンティンに回せば点になるという意識が強くなれば,青木の穴はすんなり埋まるように思う。そこから真の1番打者に定着できるかは起用された本人の才能と努力次第で,青木は1番を不動のものとしていっただけ。だからこの点はそれほど心配していない。

 優勝から遠ざかること11年。11年間という年月で募った想いがあるからこそ宮本,福地,相川,石川,館山,田中,畠山が輪の中心となって,小川監督を胴上げする光景が見たい。林昌勇,松岡,押本の長年の労をねぎらいたい。川端,村中,増渕,上田,由規,山本斉,赤川,日高,山田の若さはじける笑顔が見たい。陽気なバーネットとバレンティン。縁の下の力持ち福川将和,宮出,藤本敦士渡辺恒樹松井光介,ユウイチ,野口祥順,川本,武内,飯原,森岡良介三輪正義,七條,久古,山本哲哉中村悠平。すっかりチームに溶け込んだ川島,一場靖弘,山岸,小野寺力水田圭介正田樹楠城祐介阿部健太木下達生。戸田を羽ばたく新田玄気高井雄平,中澤,加藤幹典川崎成晃,フェルナンデス,水野祐希荒木貴裕松井淳,八木,平井,西田明央又野知弥。そして川上竜平木谷良平比屋根渉太田裕哉中根佑二古野雅人のルーキー達。上野啓輔麻生知史北野洸貴曲尾マイケ佐藤貴規徳山武陽金伏ウーゴの育成選手。
 伊藤智仁投手コーチ,佐藤真一打撃兼作戦担当コーチ,飯田哲也城石憲之守備走塁コーチ,中西親志バッテリーコーチ。真中満二軍監督,伊東昭光加藤博人二軍投手コーチ,淡口憲治池山隆寛二軍打撃コーチ,土橋勝征度会博文二軍守備走塁コーチ,古久保健二二軍バッテリーコーチ,松井優典・石井二軍育成コーチ。新たにスコアラーに就任することになった衣川篤史さんを始め裏方さん,河端龍加藤謙二郎両広報,スタジアムDJパトリック・ユウさん。そしてつば九郎つばみ燕太郎
 衣笠剛球団社長兼オーナー代行以下,フロント・監督・コーチ・選手・スタッフ・ファンが一体となって”優勝”を勝ち取るその一心で,勝負の2012年にしてほしい。



追伸として,毎年書いているような気もするが,ジンクスを2つほど提示しておこう。
 1つは実質監督3年目のジンクス。1976年シーズン途中にヘッドコーチから監督代行を務めた広岡達朗監督は翌77年に正式に監督に就任し,実質3年目の1978年にスワローズを初優勝に導いた。野村克也監督も若松監督も就任3年目にチームは優勝している。古田監督と高田繁監督は3年ともたなかった。実質3シーズン目を迎える小川監督には吉兆だ。
 もう1つは高木豊氏がベイスターズのユニフォームを着るジンクス。フジテレビ野球解説でもお馴染みの高木豊氏がベイスターズのヘッドコーチに就任したが,実はこの高木氏は現役時代ベイスターズ元年でもあった1993年のオフにトレードで日本ハムに移籍し1年間限りで現役を引退し,フジテレビの解説者に。2001年横浜の内野守備走塁コーチとして8年ぶりに古巣復帰するもその年限りで辞任し,再びフジテレビ解説者となっていた。今回は11年ぶりの復帰となるが,奇しくも高木氏がベイスターズの一員であった2年間のスワローズの順位はというと,いずれも優勝&日本一。2度あることは3度あると信じて願掛けしたい。 

参考資料
『週刊ベースボール』第66巻 第60号 通産3087号,ベースボールマガジン社,2011.12
ニッカンスコア速報
http://www.nikkansports.com/baseball/professional/schedule/2011/s201104.html
http://www.nikkansports.com/baseball/professional/schedule/2011/s201105.html
http://www.nikkansports.com/baseball/professional/schedule/2011/s201106.html
http://www.nikkansports.com/baseball/professional/schedule/2011/s201107.html
http://www.nikkansports.com/baseball/professional/schedule/2011/s201108.html
http://www.nikkansports.com/baseball/professional/schedule/2011/s201109.html
http://www.nikkansports.com/baseball/professional/schedule/2011/s201110.html
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2011年12月21日

ヤクルト・つば九郎、マスコット初の年俸大台1万円!

3年目にして早くも年末恒例感がぷりたっ醸し出てきたような気がします。つば様の契約更改!
 ヤクルトのマスコット・つば九郎が21日、東京都内の球団事務所で契約更改を行い、昨年の「ヤクルト飲み放題+年俸8960円」から「ヤクルト、タフマン飲み放題+年俸1万円」でサインした。年俸1万円越えは、プロ野球マスコット史上初の快挙。
 ヤクルトの衣笠社長は「都内でファンを増やしてもらったので年俸アップを認めます」と貢献度を評価。つば九郎は筆談で「ありまでばい、そしてにしあざぶへ」と取材に応じた。そして来季の目標を聞かれると「まずはゆうしょう!いいおよめさんをもらうこと」とコメントした。[ デイリースポーツ 12月21日(水)15時3分配信 ]

大台突入は当然として,もっとアップするかと思っていたのですが・・問題動画流出もあってシビアな査定でしたね。。
けっこんせんげんはしょっきんぐーでした>_<
★つば九郎・契約更改について
<2011年>
ヤクルト飲み放題+8,960円(推定)+東京都全域訪問の舞台+インセンティブ

<2012年の変更点>
ヤクルト、タフマン飲み放題+10,000円(推定)+東京都全域訪問の舞台+インセンティブ

○2011年の評価について
主催試合も地方試合を含む全72試合に出場(CS神宮開催を含めると75試合)、スワローズナインやファンを大いに盛り上げたとともにビジター試合にも8試合(CSファイナルステージを含めると13試合)帯同したことが評価されました。

また、つばさんぽも月に1回以上の頻度となる年間14回をこなしたほか、新潟県燕市にて田植えや稲刈りを行い「つば九郎米」を発売。さらに都営大江戸線「都庁前駅」の“一日駅鳥”を務めるなどの実績も高評価につながりました。

契約更改の場においては、球団社長より近年のスケジュール多忙を考慮して新たに「タフマン飲み放題」を提案されました。

金銭面ではマスコット史上初の大台“10,000円越え”をはるかに超える28,960円への大型昇給も検討されましたが、子どもを泣かせたこと、ペンギンと間違えられたこと、つばみをいじめたことの減俸要因が今年も適用されたほか、一部選手から「1,500円くらいでいいんじゃないか?」という声もあり、最終的には10,000円(推定)に落ち着きました。マスコット史上初の大台突破、1万円プレーヤーの誕生です。

○インセンティブ契約について
2011年に引き続き、以下のインセンティブを付与されました。
・バック宙ができるようになったら +2896万円
・主催試合2,000試合連続出場達成で 大幅増(現在1,251試合連続出場中)
・「つば九郎のおなか」第2弾出版で 大幅増
・子どもを泣かせたら/ペンギンと間違えられたら/つばみをいじめたら 減俸

○「つばさんぽ」の継続実施について
来年も東京都全域を対象に訪問活動を実施します。[ 【契約更改】つば九郎がマスコット史上初の1万円プレーヤーに!! http://www.yakult-swallows.co.jp/information/detail.php?article_seq=14340 より一部引用 ]

出来高は昨年に比べて随分項目が減ってしましました。地上波テレビ番組への露出はもう諦めたのかぬ?!

とにかく今年ほど”つば充”出来た年もないでしょう。
先日都鳥前駅の一日駅鳥には1000人もの人が駆け付けたそうですが,新潟では毎回20〜30人がいいところですからね。まっその中の一人ですがwそれだけに密着度が濃い!!多分某マスコットによるえんさんぽレベル。




つば九郎米だって,ほんとは新潟で収穫された普通のコシヒカリと変わらないはずなのに,地元のJAには全国各地から通販希望が殺到。それだけの付加価値があるんです!

来年は19年目のシーズンに突入。それでも主催試合2000試合連続出場達成にはあと749試合。1年72試合制が維持されると見積もってもまだ11年を要するの長い長い道のり。1試合1試合の地道な積み重ねで偉大な偉大な大記録を目指して欲しいですね。

でもこのまま毎年年俸上がって,出来高も加わったら,2022年オフにはごいすな金額になりそう!
ヤクルト球団年俸払えなくなってポスティングにかけられたり,FA宣言して巨人に移籍しちゃわないか心配だよなぁ。。
東京 ☀ | Comment(0) | SWALLOWS | at 23:22 | 更新情報をチェックする

2011年12月12日

橋本、楠城が交換トレード=ヤクルトと楽天が発表―プロ野球

 ヤクルトの橋本義隆投手(32)と楽天の楠城祐介外野手(27)の交換トレードが成立し、両球団が12日発表した。
 橋本はホンダから2005年に日本ハムに入団し、09年にヤクルトに移籍。通算90試合で5勝5敗、防御率3.55。楠城は09年にパナソニックから入団し、通算4試合で1安打。[ 時事通信 12月12日(月)15時54分配信 ]

35.橋本義隆
高田前監督が仕掛けた3対3のトレードでスワローズに移籍してきた橋本。しかし移籍1年目は同じくトレード加入の押本・慶三が活躍する中でまさかの一軍登板無し。移籍後初の一軍登録は2009年5月24日のことでした。そこからは良くも悪くもエレベーター選手で,イースタンでそこそこ放れる→一軍に上がる→プチ炎上→二軍降格→・・を繰り返す形となっていました。
2009年20イニング,2010年19イニング,2011年182/3イニングと実にコンスタントな投球回数。
2010年4月3日。横浜との壮絶な打撃戦に川本がサヨナラホームランで終止符を打った試合で唯一の勝利投手となっています。

オールドスタイルを貫く右腕。岡山出身ですし,星野監督に目をつけてもらったのか?再び戻るパ・リーグでの活躍を期待します。

そして今回橋本の移籍で,1979年度生まれは石川雅規ただ一人となってしまいました。退団した三上真司・五十嵐亮太・大脇浩二・大山貴広・志田宗大・丸山泰嗣・橋本義隆・田中祐貴(ユウキ)・ダグラスの分までスワローズで数字を積み重ねて欲しいです!

そして新加入の楠城祐介外野手。
小野寺や水田の時にも感じましたが,本当に他球団の選手の事をよく知らないなぁ・・と自分の無知に気づかされます。
お父様が楽天の編成部長ということで,縁故の声もあったとか(菅野くん縁故って色々大変なのよ・・)なかったとか。青学−パナソニック−楽天ということで,石川・久古・山岸・新田・一場・渡辺・宮出と共通項がありますし,そういうのを抜きにしてとけ込める球団ですから,気持ち的にも楽になれるはずです。
何より右打ちの野手が不足気味ですから,そういう意味でチャンスも広がると思いますので,一軍2本目の安打をスワローズで達成して下さい!
背番号は(1)・17・18・27・35・53・56・69と空いていますが・・すんなり35に収まるのかな?!

しかし星野監督という人は生え抜きをポンポンと放出するのがお好きですね。1980年代中日,1990年代中日,2000年代阪神,2010年代楽天と足かけ40年で同じことの繰り返し。隣の芝はなんちゃらって言いますけど,なんでも欲しいーのね。

その他ヤクルト関連ニュースが2つ。
ヤクルト、青木の入札申請=プロ野球
 ヤクルトは12日、ポスティングシステム(入札制度)を利用して米大リーグ移籍を目指す青木宣親外野手(29)の入札申請手続きを、コミッショナー事務局に行ったと発表した。
 今後は米コミッショナーから大リーグの全球団に契約可能選手として告示される。入札があれば、ヤクルトは入札額の多寡にかかわらず受諾する方針。[ 時事通信 2011/12/12-13:25 ]

中島ですら1球団のみの入札。ダルとも重なるこの時期。一体どうなるのでしょうかね。

松園直已氏死去(プロ野球ヤクルト球団相談役最高顧問、元オーナー)
 松園 直已氏(まつぞの・なおみ=プロ野球ヤクルト球団相談役最高顧問、元オーナー)9日午後3時7分、心不全のため神奈川県鎌倉市の病院で死去、89歳。長崎県出身。葬儀、告別式は近親者で済ませた。
 1998年から2003年までヤクルト球団のオーナー。同球団初代オーナーの故尚巳(ひさみ)氏は双子の弟に当たる。[ 時事通信 2011/12/12-18:34 ]

1998年といえば,ヤクルト本社がデリバティブ取引で1000億円を超える巨額損失を計上し,球団経営も揺れる最中でのオーナー就任でした。ご冥福をお祈り申し上げます。

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2011年12月11日

書評『奉仕するリーダーシップ』

児玉光雄『奉仕するリーダーシップ』,二見書房,2011/12

TSUTAYA onlineショップで予約して,店頭受取りしました。1500円以上だと無料で配送してくれるようですが,そこまで満たなかったので。

で,率直な感想を述べますと・・かなり拍子抜けでした。
小川監督と実際対談をしたわけでもなく,直接取材もない。参考資料は公式ホームページに,Number・週刊ベースボールといった読み物。少なくともヤクルトファンなら一度は目にしているものばかりで新鮮味に欠けます。
そして中には「Gendai.net」と信憑性が定かとは言い難い夕刊紙まで出てくる始末。これは正直どうなの?と・・

こんなんなら「Your Swallows」の監督インタビュー号を読み込んだ方がよっぽどタメになりますし,それで上司を反面教師に小川監督を理想に語れば誰にでも書けちゃうレベルなんじゃないかと・・

第1章から昨年のヤクルトについて,「小川は2010年5月27日,高田繁前監督の後を受けて監督代行に就任。この交代を機にチームは急上昇。最終的にクライマックスシリーズへの出場争いを演じてみせた(ただし,クライマックスシリーズ・ファイナルステージで中日に敗れ,日本シリーズ出場はならなかった)。」(pp.13-14)と書かれて,かなり落胆させられました。
おそらく挿入する位置を間違えたものと思われますが,しっかり構正しろと。著者が学者なら尚更!

小川監督の経歴に始まり,昨年の話,そして今年と要所の試合が振り返られ,それに対する監督談話が掲載されているので,その点は今年を振り返る上で読みごたえはあります。

しかしながら,例えば6月14日の対西武戦=浩康サヨナラ犠飛の試合。
浩康が「監督にボール球でも振っていけと言われていたので,初球から積極的にいきました」(p.144)と語ったことを挙げながら,「華麗なジャンピングキャッチや,バックスクリーンに飛び込む豪快なホームランもファンを魅了するもの。/チームを勝利に導くのは,このゲームの田中浩康のような泥臭いプレーである。/当たり前のプレーを大事にして勝利につなげていくことの大切さをリーダーなら説き続けなければならない」(p.144)と〆ておられますが,果たしてそうでしょうか?

あの試合何故浩康が「監督にボール球でも振っていけ」と言われたのか。状況は延長11回裏1死満塁。試合時間は3時間30分を経過しておりもう次のイニングには入らない。
この試合は序盤から山岸が崩れたこともあって投手も野手も総力戦で,さらに9回裏にホワイトセルが打席中審判に暴言を発したことで退場処分となり,その代打に福川が起用されこの時点で野手を全員使い果たし,ベンチ入りの選手は投手の渡辺と久古しか残されていなかった。
浩康の次の打者は昌勇。打席に入ることで万が一のアクシデントは避けたいし,いずれにしても代打を送らざるを得なかった。久古は自信が無いとのことで,年長者でもある渡辺がヘルメットを被ってネクストサークルでスタンバイしていた。ちなみにこの時点で渡辺は,打席はおろか登板も0だった。

仮に浩康がアウトになれば,2死満塁で渡辺投手が打席に入らざるを得ない。チームが負ける可能性は無いにせよ,「リーダー」として「メンバー」である渡辺の気持ちを考慮したら,(たとえ併殺でも)浩康で試合を終えることが最善の策だった。それが監督の指示であっただろうし,浩康自身もそれを感じて打席に立っていたと思う。

それを「泥臭いプレー」と推しはかるのはこれいかに。小川監督のリーダーシップについて書かれた本ですよね??
畠山の08年も無かったことになってるし,色々と物足りませんでした。ざっとまぁこんな感じです。珍しく酷評してしまいました。

目次と印象に残った言葉でも。

第1章 「地味監督」による勝利の手法
 「これらかの時代は,他は何をやらせても半人前だが,これをやらせたら右に出る者がいない人間が活躍できる時代になる」「たった一つでいいから,そういう負けない武器を持つ。それを育てていくのが,リーダーの責務である(p.17)

第2章 メンバーに慕われる小川流
 「自販機の前,喫煙コーナー等,制限時間1分と決めてメンバーとパーソナルなコミュニケーションをとることに終始してほしい。リーダーから積極的にコミュニケーションをとらない限り,メンバーとのコミュニケーションがとても難しい時代に突入しているのだ。」(pp.62-63)

第3章 キーはフォロワーシップ
 「メンバーに考えさせ,自らのアイディアでチームに貢献する行動を取らせるシステムを構築すれば,永続的にメンバーは仕事で成果を出してくれるようになる。リーダーがカリスマ性を示すのではなく,平凡なリーダーが平凡な部下にやる気を与えてチームの勝利に貢献させる。」(p.106)

第4章 システムから考えたチームワーク
 「メンバー一人ひとりの個性を活かして適材適所に人材を置く」(p.127)

第5章 小川采配に見るリーダーシップ・序論
 「褒めることは真実を即座に表現すること。しかもたんなる褒めではなく,メンバーに自信を与える褒めでなければならない」(p.158)

第6章 小川采配に見るリーダーシップ・本論
 「いくら頑張っても,チームが勝利しないことには話にならないし,何よりもファンに説明がつかない。勝負の世界には情容赦がない。つまり監督には,勝つために情容赦のない采配が求められる。毅然とした態度でグイグイ選手を引っ張っていく統率力が求められる」(p.191)
 「任されることにより,頭の中で色々工夫を凝らしながら自分の力を発揮しようと考えるようになる」「リーダーは安易に回答を与えてはならない。任せた以上,うまくいかないなんて悩んでいるメンバーにすぐに救いの手を差し伸べてはいけない。本人に考えさせる力をつけるために任せるわけである」(p.199)

24年後小川監督のようなリーダーになれるように( ..)φメモメモ
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2011年12月09日

第2回燕散歩(=つばさんぽ)-バッテリー編-

実はですねぇ。。前回の-首脳陣編-に思いもよらないところからTwitter上で反応をいただきまして,かなりくりびっでした!
なんかハードル上がったような気もしますが,気負わずバッテリー編へと参りましょう。


まずはヤはりこの人でしょう。一年間怪我無くローテーションを守るということが,それだけ大変かということを教えてくれました。頼れる左腕エース
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「イシカワ」

今シーズン最も成長したのはこの男だったのではないでしょうか。2012年シーズンは一年間通してのローテーションを守ることと,二桁勝利が期待されるドライチ4兄弟の末っ子
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「赤川」器物製作所

この両右腕は,先発として長いイニングを投げられるような素質をもっているので,何としてもステップアップしてもらいたい
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「山本」精工

すっかり燕軍団にとけ込んだ感がありますが,来季は日本人投手最年長になります。
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「渡辺」治具

2年目のジンクスに陥っただけだよね?!
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「中澤」研材店

移籍2年目は古巣西武相手に先発登板も,3イニングKO。一軍登板はそれのみとなってしまいました・・
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「山岸」耳鼻科

バッテリー編ですから捕手もいます。でもごめんなさい。正捕手相川さんは不在です。佐渡まで行けばいっぱいお目にかかれそうですが・・

脅威の代打成功率を誇りました。そういえばチーム史上初本塁打も実はこの人でしたよね。クライマックスシリーズ男?!
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「川本」プレス

出場機会こそ少なかったですが,一軍帯同で経験を積みました。声出しも担当。
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「中村」自動車

一軍出場は無し。まずは打撃でアピールしたい
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「新田」プレス

第1回で「荒木」「伊藤」両投手コーチと「松井」(光介)「トニー」(バーネット)が登場してますから,結構ブルペン厚くなった感じがします(笑)

-野手編-にくつづ。
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2011年12月07日

川上「覚悟できた」=ヤクルトが新入団発表−プロ野球

 ヤクルトは7日、東京都内で育成を含む新人8選手の入団発表を行った。ドラフト1位指名の川上竜平内野手(青森・光星学院高)は「ユニホームを着て、一からやっていく覚悟ができた。1年目は体力をつけることが目標」と抱負を語った。背番号は36。
 外野手で指名された川上だが、経験のない内野手での登録。小川監督は「とにかく大きく育ってほしい」と期待した。
 他の選手と背番号は次の通り。
 ▽木谷良平投手(日本文理大、16)▽比屋根渉外野手(日本製紙石巻、0)▽太田裕哉投手(日本製紙石巻、13)▽中根佑二投手(東北福祉大、38)▽古野正人投手(三菱重工神戸、40)【育成】▽徳山武陽投手(立命大、115)▽金伏ウーゴ投手(白鴎大、119)[ 時事通信 2011/12/07-19:57 ]

背番号変更のお知らせ
次の選手・コーチについて、2012年より背番号が変更になります。
川端慎吾選手  36 →  5
加藤幹典投手  16 → 46
飯田哲也コーチ  85 → 88
[ 2011年12月07日 http://www.yakult-swallows.co.jp/information/detail.php?article_seq=14309 ]



今年の新入団発表は何が一番熱かったかっていうと背番号予想が全部的中した事!!
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まずは比屋根に「0」が一番妥当かな。
川上にいきなり「5」というのは考えらずらい。野手の出世番&山田の倍なら「46」もアリだけど,慎吾が「5」に出世して,「36」を与えるなんてのも夢がある。
木谷に「14」「16」「17」「18」あたりが与えられるのか?太田は久古の半分で「13」。
バランスを取ると中根が「38」古野「40」あたりかね。

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今日は入団発表=背番号変更も明らかになるはず。慎5以外にあるかなぁ?!木谷16で加藤46とかね… at 12/07 00:02
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川上「36」木谷「16」比屋根「0」太田「13」中根「38」古野「40」から川端「5」加藤「46」まで当たりまくりました!!
飯田コーチは何故に今話題のDeNAGMが背負っていらした「88」を希望されたのでしょうかね?入団時の「58」をひっくり返した「85」で違和感ないのに…

高木・高市らが味わってきた10番台から降格の屈辱。今年は加藤。
○栗山英樹(1984-1989)→67乱橋幸仁(1990-1994)→62伊林厚志(1995-1998)→○牧谷宇佐美(1999-2001)→○五十嵐貴章(2002-2004)→14萩原多賀彦(2005)→○飯原誉士(2006-2007)→○鬼崎裕司(2008-2011)→△岡本直也(2011)→16加藤幹典(2012-)
野手にとっては出世番ではありますが,投手にとって「46」は受難の番号。契約更改でも厳しい言葉があったようですし,まさに背水の陣。吹っ切らないと!

これで空き番号は(1)・17・18・27・53・56・69。助っ人にいきなり良番ありそうだなぁ>_<



冒頭いきなり衣笠社長から事実上の”補強はしません”宣言・・

それはさておき大学社会人が多いだけあり,全体的に大人な感じの会見でした。
中でも太田がしっかりした受け応えするなぁという印象。比屋根はちょっとヤクルトっぽくないお顔かな。ウーゴは日本語まだまだだね。

小川監督が川上にユニを着せる際,川上の上着をそっとテーブルの上に置いた仕草に監督の”気配り”を感じました。

「18年目のベテラン」つば九郎。来年は19年目だもんなぁ。生え抜きますます応援したくなるね!
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2011年12月04日

+2011ファン感謝DAY

9年連続15回目の出場となったファン感。
しかしながら今年で24年連続神宮球場に足を運んおりますが,「12月」に球場内に入ったというのは生涯初だと思います。今後もよぽどの事が無い限り無いであろう,師走の神宮球場。改めて特別な一年だったということを,胸に刻んでおきたいと思いました。

さて朝イチの神宮球場(6:50)
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祭りの前の静けさというか(笑)時間が経つにつれ,どんどん賑やかになっていく。そんな過程を見るのも好きだったりします。選手だって結構早くから出勤してくるんです!

早々にファンクラブ入会とカレンダー購入で荷物が増えたなかで,一般開門待ち。昨年は500個限定の村中ぷりん並びに精を出しましたが,今年はそれほどまでしてゲットしたいものはなし・・。昨年のリベンジを目指しピンバッチ2つ集めて限定3000個の「2012スケジュール付コルクボード」を手にすべく,10:00の外野スタンド開放の入場列を確保しておきました。

人がほとんど居なかった球場外周も徐々に人が溢れ,長蛇の列が出来てきた10:00ようやく球場内(外野スタンド)へ。
グランド内もすごい人だかり。逸る気持ちを抑えながらも,まずはヤクルトの青汁を試飲して館山のピンバッチをげっと。そしてサンスポブースへ。有難いことに好きな選手を選べるということで,迷わず監督のピンバッチを選択。

混雑してきた外野を後にして,グッズ引換所へ。昨年はこうした協賛ブースが場外にあったので,なかなか身動きすらとれませんでしたが,今年はその教訓が生かされて,外野スタンドにセッティングされたので,それほど苦には感じませんでしたが,それでも目的地に辿りつくのに一苦労。なんとかボードをゲットでリベンジ成功。
カレンダーに日程が掲載されていなかったのでね。来年はこのコルクボードで曜日別勝敗分析ができそうだわん。
新入団選手発表の抽選はハズレ・・。

ひとまずの目的が達成されたところでグランド入場。ただ合流したかった人がサンスポブースで並んでいるということで,また外野ブースへ。ということで10:30の監督挨拶はスタンドで迎える事に。
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図々しくもまたピンバッチ(赤川)を選択し,お話しながらさっきと同じコースを辿り,つば九郎お悩み相談の中盤に2度目のグランドイン。
球場内でばったりと遭遇する人たちもあったり。でもう一回球場外一周して,グランドとうろうろ。

一番驚いたのが,新潟県燕市のブースで,新選手会長武内がサインに応じていたこと!武内は色紙差し出しても応じてもらえないイメージが定着していたのですが,選手会長に就任しファンサービスに応じない訳にもいかなくなったのか?それとも責任が本人の意識を変えたのか?ファン感だから特別?とにかくペンを走らせる武内の姿にくりびつぎょうてんでした。思わずその姿に見入ってしまいました。
鈴木燕市市長も来るわ,NST(新潟のフジテレビ系局)の取材カメラも来ている(つばちゃんに番宣頼むのかぬ?)わ。新潟から乳酸菌を感じる。

朝から動きっぱでさすがに疲れた?そうでもないんだけど,ドライチ4兄弟トークショーのあたりで,内野スタンドに座席を確保し,ゆったりと観戦モードに。


第2部
スワローズ.Jrの紹介。
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キャプテンの山本くん。原稿用紙5枚分?いやそれ以上の内容をあんなにすらすらとスピーチできる小学生なんてなかなかいないでしょう。強いキャプテンシーを感じました。プレーは見ていないから分からないけど,その人間性は非常に高いものと思われます。
背番号9・山本くん。せっかくならひっくり返して「6」の「○本」ならもっとよかったのに(笑)

客席かくれんぼ
由くんの女装は3年連続でもうすっかり定着。一方で高木・川島亮・佐藤賢と歴代コスプレーヤーが相次いで退団し心配されましたが,メイクなどせず,そのままで行けた!
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ジャイアンとバカボン。これはヒットでしたね。

その裏で2列後ろに日高きゅんは見事な変装でしたよ♪
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ファンの選ぶベストゲーム
第5位 10月09日 +東京ヤクルト 4x-3 広島
第4位 09月27日 +東京ヤクルト 8-4 阪神
第3位 10月25日 +東京ヤクルト 2x-1 広島
第2位 07月07日 +東京ヤクルト 3x-2 巨人
第1位 10月31日 +CS1stステージ 東京ヤクルト 3-1 巨人
嬉しさという意味では第1位の試合が妥当でしょうか。監督冥利につきたベストゲームはやはり第2位の試合。代走川本は伝説だと思う。そして今年一番涙した第3位。
改めて感じたけど,ヤクルトファンってメッチャ引退試合好きよねぇ。毎年上位にランクインしてくる。

青木挨拶
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ご丁寧にこれまでの足跡を振り返るVTRまで用意され思わず感極まる青木。06年07年あたりってあんなに茶髪だったっけ?!ってのも。
やはり振り返ると古田監督時代は少々秩序が乱れていたかもしれない。中堅を担うべく藤井と岩村が割と派手な髪形していたから,つられて後輩も髪の長さや色が・・ってのは否めなくもない。石川館山川島青木米野浩康畠弥太郎・・。若干茶色混じってた。。
でも今のスワローズに茶髪はいない。約1名髪切りなさい!って子はいるけど,色は黒。ってことは高田監督就任で紳士たれと厳しくされたってことかなぁ。その路線を小川さんが引き継ぐと。
もちろん髪の毛の色で野球するわけじゃないけど,ヘルメットや帽子を被っていても分かるようなアレは・・・やっぱり良くないと思うなぁ。
「まず、このような機会をくださったヤクルト球団に感謝しています。球団、そしてファンのみなさまに育てられてきました。この度、ヤクルト球団の理解によって長年の夢であるメジャーに挑戦します。いつかまた、ヤクルト球団に帰ってきてほしいと言われるような活躍をしてきます。今シーズンは球団スタッフ、選手、また、ファンと一つになる喜びを感じました。今後もヤクルト球団が発展することを心から祈っております。球団スタッフ、ファンへの感謝を胸に行ってきます」

何度も言うが行くと決めた以上は帰ってくるな。岩村のように故障して,日本の他球団に移籍して,さらに成績がた落ちなんて見たくない,というか見るに堪えないんだから・・

その意味を込めて大きな声で応援歌歌ったんだよ。「世界に輝くNo.1」「明日への扉をひらけ」って♪

とはいえ入札の方は本当に大丈夫なのでしょうか・・


本日の戦利品。
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2012スワローズカレンダー
2012ファンクラブレギュラー会員証と入会記念品(トートバック・選手似顔絵入り応援傘)
Your SWALLOWS 2011ファン感謝DAY特別号
サンケイスポーツ 2011ファン感謝DAY特別号
オリジナルピンバッジ(小川監督・館山・赤川・畠山)
2012スケジュール付コルクボード
キャップ(蚤の市での掘り出し物を頂戴しました。ありがとうございます!)
青木グッズも少々。
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大幅リニューアルされて2年目のファン感謝DAY。僭越ながら全体考察を。
昨年「実際にやってみて構造的に無理な部分があることが判明した」と書いた点は,協賛ブースの外野スタンド設置と,「選手トークショー」(昨年の「すわラジ」がそれに該当する)をグランドで行い「模様はスクリーンに映し出す」の実現で,しっかりと改善されたと思います。

芸能人あるいはOBのゲストもおらず,フジテレビアナウンサーの司会によって淡々と進行できました。
選手との触れあうという意味では個々に満足されたことでしょうし,ちょっと歩き回るのはしんどい人でも,トークショーなどを見る聞くことが出来るシステムになりました。

となるとあとは第2部の充実ではないでしょうかね。選手にルールが徹底されていない。かくれんぼは5人がスタンドに入り捕まえる役で,残る5人はグランド上で捜索のはず(昨年はそうだった)。にも関わらずキャプテン置いて9人がスタンドに出ちゃった。

高木のようなキャラが居なくなっちゃったのも痛いんだけど,残念ながらそれに代わるヒーローは生まれなかった。この人こんなに面白いんだ!っていうのがもっと前面に出せるようなゲームが欲しい。
それなら若手は,Passionやスパークリングのダンスのバックに積極的に出たりして一緒に踊るとかそういうことして盛り上げないと!ゆっくり座っていてもいいのは主力だけ。主力はマイク握れるんだし。

あとは記念品かなぁ。協賛スポンサーがこんなにもつくようになって,そのマージンがガッポリ球団の懐には入ってくるようになった。でも年間シートや沖縄キャンプツアーはおろか,記念のTシャツとかそういう類のプレゼントすら無くなっちゃったよね。。
いやその儲かったおカネで補強してくれれば最終的にファンにも還元されるんですけど,そういう訳でもなさそうなのでね。ちょっといやらしい言い方ですが・・

入場者は27,865名とのこと。確かに球場入口でカウントされている係の方いましたけど。。自分は3回入場しているので重複しちゃってません・・かね?それともサンスポ号外を配った数?
もちろん中には第2部を観戦せずお帰りになった方なんかもいらっしゃるでしょうし,1日トータルでみればそのくらいにもなるの・・か?
11球団の中には抽選制や有料制が採用されているファン感もあります。会場である神宮球場が決して満員にならないゆるいヤクルトらしさ溢れるファン感イベントがまた好きなんですけどね(笑)

来年以降はUSTREAM中継とかそういう話も出てきそうですが・・
現地に行かれない方でも,ソーシャルメディア上では個々人のもち得る限りの映像や情報が随時アップデートされていますし,テレビ・新聞でしかその断片を知り得ることが出来なかった時代を思えば,27,865名以上の人が楽しめるイベントになってきていますから。

求められるのは「ショー」の充実でしょう。お粗末様でした。
東京 ☀ | Comment(2) | SWALLOWS | at 23:59 | 更新情報をチェックする

2011年12月02日

HP11周年

12月2日。今日でHP11周年となりました。

これまでホームページは,プロバイダーで割り当てられたスペースで公開してきたのですが,テザリング可能なauスマートフォンデビューによって,そもそも契約の必要性が無くなってきました。

まぁ多少のポイントも付くしということで,メールアドレスとホームページ容量を維持するべく,au one netダイヤルアップミニミニコース(252円/月)に加入しているのですが,メールアドレスはGmailで事足りています。

なのでホームページ領域にメスを入れようかと,Movable TypeやWordpressといったオープンソフトウェアについて,ネットで調べたり,本をぱっと立ち読んでみたり,習うより慣れろでちょこちょこっといじってみたりしたのですが。。
PHPを用いるほど高度なページじゃないし・・・と。
でもブログツールに静的ページ要素を持ち込めたらいいよなぁ・・という気持ちは捨てきれなくて・・・ホームページをブログと同じように見せちゃえ!的な発想に至りまして。。

Seesaaから書き出されるデザインのHTMLコードをコピペして,不要な部分をそぎ落として,それっぽくしちゃうと。それをテンプレーとして保存して,あとはひたすらコピペでなんとかそれっぽい,ウェブサイトに仕上がりました!

これに伴って,従来のホームページを「試合見聞LOGβ -東京ヤクルトデータサイト-」として,静的なシーズンデータを置いておくスペースにしようと思います。
現在こちらに移行中。
横幅が長くなる試合結果をどう残すかが残された課題ではありますが,インターフェイスをブログスタイルに統一させています。


ブログもブログで,無料サービスですから,つばちゃんが愛用してきたsporaのようにいつ何時勝手にシステムが変更されたりするかは予期でないので,この際!と考えたこともあったのですが・・

wordpressでは実際過去ログを一括で取り込めたし,コメントもそのまま移行出来たので,便利は便利だなぁとは思ったんですけど,カテゴリー別メール投稿やtwitter挿入,あと個人的にポイント高いお天気表示をどうしても捨てきれなくて。
そして何より6年1ヶ月という年月でこつこつと積み重ねてきたキャッシュは,かけがえのないものですから,全体を新しいブログに移してしまうということにはどうにも踏み切ることが出来なかった。。

そんなこんなで,この度お名前.comにて,独自ドメイン”masak20.net”を取得いたしました。キャンペーンって文字が躍っていたので初回480円/年で。12月からは920円/年になっているので440円得したw

ということでこちらのseesaaブログは,masa-k-20.seesaa.netからblog.masak20.netのドメインとなりました。
Seesaaが独自ドメインに対応してくれていて良かった!
まぁ広告外せる,ある程度自分でカスタマイズ出来る,何より名前が浦添のある沖縄っぽい←で選択したのですが,長い年月で見ると正解だったな。アメ(ryじゃ絶対に出来ないことばかりだもん・・・

ホームページと登録アドレスを移せればゆくゆくauのダイヤルアップコースは解約出来るはず!

2010.12.01から2011.11.30までの1日あたりの訪問者(IP)は276.86/day,1年間のページビュー(PV)は計233,626でした。
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1年1年確実に成長させていただいております。ありがとうございます。これからも宜しくお願いします!!
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