はじめに 開幕までちょうどあと2週間と迫った3月11日金曜日の午後に発生した東日本大震災−。地震・原発・デマ・津波・・プロ野球開幕という高揚感は一気に吹き飛んだ。コミッショナー・オーナー・選手会が大臣を巻き込んで論議を重ねた末に,開幕が3月25日から4月12日へと延期となった2011年のペナントレース。試合開始から3時間30分を超えて新しいイニングには入らない。4月中は東京電力管内におけるナイトゲームの開催を自粛する。当初発表となっていた5カード15試合の日程を再編し,クリネックススタジアム宮城で震災復興オールスターゲームを開催する方向で検討などなど,異様なムードで2011年シーズンの開幕を迎えた。
このお陰でと言っては語弊が生まれてしまうが,右手第5指末節骨骨折で開幕アウトとみられていた
田中浩康が開幕に間に合い,ほぼ万全のメンバーで臨むことになった。しかしながら
石川雅規・
佐藤由規・
館山昌平で開幕から3連敗を喫するなど昨年序盤の悪夢すら蘇るスタートではあったが,今シーズンより先発に転向した
増渕竜義と4番に座った
畠山和洋の活躍で開幕からに5試合目にしてようやくシーズン1勝目を挙げると,ここから一気に引き分けを挟んで9連勝。4月22日には4年目
山本斉がプロ初勝利を手にした。4月24日に首位に立ち,5月1日には1997年以来14年ぶりのリーグ10勝一番乗りを果たす。その勢いはとどまることを知らず,16勝7敗3分 勝率.696という上々の成績で2位中日に3.0ゲーム差をつけ交流戦に突入する。
交流戦の初戦から武田勝,ダルビッシュ有,田中将大とパ・リーグを代表する投手との対戦が続き,好調だった打線が調子を崩されてしまうとチームの勢いにも陰りが見え始め,5月29日には中日に首位の座を明け渡してしまう。それでも5月31日対ロッテ戦(QVC)で勝利し再びゲーム差無しの単独首位に返り咲くと,6月は10勝6敗3分,7月も12勝6敗4分と首位の座をキープするどころか,7月19日から8月6日にかけては,スワローズ以外の5球団が借金を抱えるというまさに独走状態に。この快進撃が世間にも評価されオールスターゲームには由規,畠山,
青木宣親,
ウラジミール・バレンティンの4名がファン投票で選出される。これは1978年(鈴木康二朗,ヒルトン,角富士夫,若松勉)・1993年(古田敦也,ジャック・ハウエル,池山隆寛,飯田哲也)以来球団史上3度目ということもあり,10年ぶりのリーグ制覇そして日本一に向けてチームもファンもその期待は高まるばかりだった。
唯一序盤から
濱中治,
飯原誉士,
武内晋一,
福地寿樹,
松元ユウイチ,
ジョシュ・ホワイトセル,
アーロン・ガイエル,
宮出隆自と固定出来ずに苦しんだ3番打者には24歳のショートストップ
川端慎吾が定着し,ルーキー
七條祐樹はプロ初登板から無傷の4連勝など新たな力も芽吹き始めていた。
8月最初のカードはナゴヤドームでの中日戦。実はこの組み合わせはシーズン前の順延と地方開催の連戦中止が重なり,チーム78試合目にしてようやく回ってきたものだった。その初戦で小川監督は,球団史上最速となる通産100勝をマークし,この時点で中日に10.0ゲームの差をつけた。しかし,この日を境に打撃陣に疲労の色が見え始めた。小川監督が就任して以来初めての同一カード3連敗に加え,(最長タイとなる2度の5連敗もあり)初の月間負け越し。それでも指揮官は月が変わればツキも変わると言いきった。その通りの快進撃が再び始まる。
9月1日から15日にかけての5カード13試合を12勝1敗と着実に貯金を増やしていった。ところがこの期間中に2番手捕手としてチームを支えてきた
川本良平が右足首前距腓靭帯断裂,ストッパー
林昌勇にバトンを渡すセットアッパーに定着した
トニー・バーネットが右手首豆状骨剥離骨折,先発ローテーションの一角由規が右肩張りで登録抹消。扇の要
相川亮二は右手親指亀裂と剥離骨折を押しながら強行出場するなど,故障者が目立つようになっていた。
そして9月入って同じようなハイペースで白星を重ねてきたのが昨年の覇者中日ドラゴンズだった。22日からの直接対決4連戦第1Rは3連敗スタート。4戦目こそ8月にプロ初勝利を挙げたばかりの
赤川克紀がプロ初完投勝利で一矢報いたもののその差は3.0。優勝の二文字を手にするためには,10月10日からの4連戦が最大の山となるだろう。そんな重苦しい重圧と緊張感がチームを取り巻いていた。そんな最中に左のセットアッパーとして台頭したルーキー
久古健太郎,エース石川,そしてチームの精神的支柱
宮本慎也が相次いで肺炎に感染。調子の上がらない
村中恭兵は左肩痛,貴重なバイブルプレーヤー
川島慶三も右肘靭帯再建と負の連鎖は止まらない。それでも川端の生涯初グランドスラム,
日高亮プロ初勝利など必死に首位の座を守り続けてきた。
10月6日に首位の座を奪われこそしたが,本拠地神宮球場の広島カープ戦で福地がサヨナラタイムリーと勢いをつけて,直接対決4連戦第2Rで勝ち越したチームにマジック4が点灯するという天王山の地・ナゴヤに乗り込んだ。結果はまさかの4連敗。1度も先制点を奪うことすらできず,2004年から8年間という落合野球との"経験の差"をまざまざと見せつけられた。18日今シーズン敵地で苦しめられた阪神タイガース相手に一矢報いるも,中日が横浜ベイスターズ相手に引き分けに持ち込んだことで,スワローズが勝率でドラゴンズを上回れる可能性が消滅。10年ぶりとなる優勝の悲願は叶わなかった【表1】。
2009年以来球団史上2回目となるクライマックスシリーズに進出したスワローズ。史上初めて神宮球場で開催されたクライマックスシリーズは,スタンドが傘の花で埋め尽くされ,巨大戦力誇る讀賣ジャイアンツを接戦に次ぐ接戦の末最終戦で振り切り,初めてジャイアンツ・ドラゴンズ以外のチームでファイナルステージの舞台に駒を進めた。
1勝のアドバンテージを含め0勝2敗となった状態で,公式戦未出場の高卒ルーキー
山田哲人と若手のホープ
上田剛史を1・2番コンビに据えるという大胆采配を見せ,2戦目・3戦目を連勝,対戦成績を2勝2敗のタイまで持ち込んだが,最後は右手血行障害を抱えながらもマウンドに立ち続けた館山が力尽き,激動の2011年シーズンは152試合目にしてその幕を下ろした。
【表1】チーム月別成績 | | | | | | | | | | | | 通産 |
月 | 試合 | 勝数 | 負数 | 引分 | 勝率 | 順位 | 打率 | 本塁 | 得点 | 失点 | 防御 | 勝率 | 順位 |
4 | 16 | 9 | 5 | 2 | .643 | 1 | .272 | 15 | 63 | 50 | 2.89 | .643 | 1 |
5 | 20 | 9 | 9 | 2 | .500 | 3 | .233 | 10 | 55 | 71 | 3.41 | .563 | 1 |
6 | 19 | 10 | 6 | 3 | .625 | 1 | .259 | 12 | 61 | 70 | 3.50 | .583 | 1 |
7 | 22 | 12 | 6 | 4 | .667 | 1 | .257 | 11 | 81 | 72 | 2.98 | .606 | 1 |
8 | 25 | 7 | 15 | 3 | .318 | 5 | .224 | 14 | 75 | 92 | 3.57 | .534 | 1 |
9 | 25 | 17 | 7 | 1 | .708 | 2 | .249 | 20 | 114 | 79 | 3.02 | .571 | 1 |
10 | 17 | 6 | 11 | 0 | .353 | 5 | .215 | 3 | 35 | 70 | 4.31 | .543 | 2 |
チーム成績 今シーズンより導入された統一球によって,投高打低が顕著になったことはここ数年のチーム成績からも明らかである。昨年比で打率は2分4厘下がり,本塁打数も38本の減少。得点は133マイナスとながらリーグトップとなった。失点,防御率に関しては近年でも最高の数字ではあるが,いずれも横浜に次いでリーグ5位の数字であった。盗塁数は年々減少している【表2】。
こと投手に関しては支配下登録33投手のうち一軍未登録に終わったのは
高木啓充,
吉川昌宏,
八木亮祐の3名のみ(
平井諒は一軍登板機会無く抹消)で,のべ29人の登板は横浜と並び12球団最多タイ。そのうち
川島亮,
山岸穣,
佐藤賢,
高市俊,
中澤雅人,
岡本直也,
石井弘寿,
ラファエル・フェルナンデスの8名が投球回数3イニング以下にとどまり,引退試合登板の石井を除く7人で合算すると
14イニング失点23自責点22,防御率に換算すると14.14という成績になってしまう。川島亮,佐藤賢,高市,岡本,高木,石井,吉川の7名が退団となったが,一軍で通じる投手の駒数を充実させることは大きな課題であるように思われる。
【表2】チーム成績 ※()はリーグ順位
| 試合 | 勝数 | 負数 | 引分 | 勝率 | 勝差 | 順位 | 得点 | 失点 | 本塁打 | 盗塁 | 打率 | 防御率 |
2011 | 144 | 70 | 59 | 15 | .543 | 2.5 | 2 | 484(1) | 504(5) | 86(3) | 43(5) | .244(3) | 3.36(5) |
2010 | 144 | 72 | 68 | 4 | .514 | 6.5 | 4 | 617(3) | 621(3) | 124(3) | 66(4) | .268(2) | 3.85(2) |
2009 | 144 | 71 | 72 | 1 | .496 | 22.0 | 3 | 548(3) | 606(5) | 116(4) | 106(1) | .259(2) | 3.97(5) |
2008 | 144 | 66 | 74 | 4 | .471 | 17.5 | 5 | 583(2) | 569(4) | 83(5) | 148(1) | .266(4) | 3.75(4) |
2007 | 144 | 60 | 84 | 0 | .417 | 20.5 | 6 | 596(3) | 623(4) | 139(2) | 66(2) | .269(2) | 4.07(5) |
【表2-2】セ・リーグ順位表順位 | チーム | 試合 | 勝数 | 敗数 | 引分 | 勝率 | 勝差 | 得点 | 失点 | 本塁打 | 盗塁 | 打率 | 防御率 |
1 | 中 日 | 144 | 75 | 59 | 10 | .560 | | 419 | 410 | 82 | 41 | .228 | 2.46 |
2 | ヤクルト | 144 | 70 | 59 | 15 | .543 | 2.5 | 484 | 504 | 85 | 43 | .244 | 3.36 |
3 | 巨 人 | 144 | 71 | 62 | 11 | .534 | 3.5 | 471 | 417 | 108 | 106 | .243 | 2.61 |
4 | 阪 神 | 144 | 68 | 70 | 6 | .493 | 9.0 | 482 | 443 | 80 | 62 | .255 | 2.83 |
5 | 広 島 | 144 | 60 | 76 | 8 | .441 | 16.0 | 439 | 496 | 52 | 65 | .245 | 3.22 |
6 | 横 浜 | 144 | 47 | 86 | 11 | .353 | 27.5 | 423 | 587 | 78 | 31 | .239 | 3.87 |
2000年以来実に11年ぶり,今世紀初めて対巨人戦に勝ち越した。一方ドーム球場では6勝25敗3分の勝率.194(内訳:ナゴヤドーム2勝9敗1分,東京ドーム2勝5敗1分,京セラドーム0勝7敗1分,ヤフードーム1勝1敗,札幌ドーム1勝1敗,西武ドーム0勝2敗)と散々な成績に終わった。ドーム対策も急務である。
【表3】チーム別対戦成績 | 中 日 | 巨 人 | 阪 神 | 広 島 | 横 浜 | ソフト | 日ハム | 西 武 | オリク | 楽 天 | ロッテ | 計 | 順位 |
試合数 | 24 | 24 | 24 | 24 | 24 | 4 | 4 | 4 | 4 | 4 | 4 | 144 | - |
勝利数 | 10 | 12 | 10 | 13 | 15 | 1 | 2 | 1 | 1 | 2 | 3 | 70 | 2 |
敗戦数 | 11 | 8 | 14 | 9 | 5 | 2 | 2 | 3 | 2 | 2 | 1 | 59 | 1 |
引分数 | 3 | 4 | 0 | 2 | 4 | 1 | 0 | 0 | 1 | 0 | 0 | 15 | 1 |
得点 | 63 | 82 | 82 | 102 | 98 | 5 | 7 | 9 | 5 | 21 | 10 | 484 | 1 |
失点 | 70 | 80 | 103 | 85 | 76 | 14 | 13 | 26 | 13 | 14 | 10 | 504 | 5 |
安打数 | 182 | 196 | 162 | 197 | 217 | 20 | 30 | 34 | 25 | 40 | 29 | 1132 | 4 |
本塁打数 | 11 | 12 | 16 | 16 | 19 | 1 | 2 | 1 | 2 | 5 | 0 | 85 | 3 |
三振数 | 137 | 153 | 154 | 134 | 141 | 27 | 20 | 31 | 30 | 26 | 24 | 877 | 2 |
四球数 | 52 | 70 | 79 | 91 | 78 | 7 | 9 | 9 | 9 | 10 | 16 | 430 | 1 |
死球数 | 4 | 9 | 5 | 13 | 6 | 3 | 2 | 1 | 0 | 3 | 0 | 46 | 4 |
併殺打数 | 17 | 19 | 16 | 18 | 14 | 2 | 1 | 3 | 1 | 1 | 4 | 96 | 3 |
盗塁数 | 8 | 2 | 5 | 11 | 5 | 2 | 0 | 3 | 1 | 2 | 4 | 43 | 5 |
失策数 | 7 | 10 | 11 | 6 | 13 | 2 | 1 | 2 | 1 | 1 | 2 | 56 | 1 |
打率 | .234 | .254 | .218 | .252 | .274 | .179 | .234 | .241 | .192 | .292 | .227 | .244 | 3 |
防御率 | 2.91 | 3.13 | 3.98 | 3.41 | 3.01 | 4.06 | 3.09 | 6.25 | 3.00 | 3.67 | 2.50 | 3.36 | 5 |
守備成績は2年ぶりにリーグトップを奪還した。特筆すべきは宮本で,三塁手として132試合に出場し,失策を記録したのは6月19日ロッテ戦先頭打者岡田幸文のサードゴロをファンブルしたのみ。守備率.997は,三塁手としては1968年徳武定之(中日)の.993を抜きセ・リーグ新記録となった【表4】。
【表4】守備成績チーム | 守備率 | 試合 | 守機備会 | 刺殺 | 補殺 | 失策 | 併殺 | 捕逸 |
参加 | 球団 |
ヤクルト | .980 | 144 | 5341 | 3801 | 1484 | 56 | 341 | 123 | 4 |
広 島 | .9881 | 144 | 5388 | 3812 | 1512 | 64 | 241 | 89 | 12 |
巨 人 | .9879 | 144 | 5576 | 3853 | 1656 | 67 | 313 | 116 | 4 |
阪 神 | .9862 | 144 | 5394 | 3799 | 1521 | 74 | 285 | 104 | 7 |
横 浜 | .9859 | 144 | 5333 | 3767 | 1491 | 75 | 299 | 112 | 8 |
中 日 | .9850 | 144 | 5586 | 3847 | 1656 | 83 | 317 | 116 | 4 |
今年も57勝78敗9分とパ・リーグに圧倒された交流戦であったが,通産成績では中日とタイながらセ・リーグトップに返り咲いた。勝率的には阪神・巨人とも肉薄しているが,あと2勝と迫った通産100勝をリーグ一番乗りで達成したいところである【表5】。
【表5】交流戦通産成績[2005-2011] | 試合 | 勝数 | 負数 | 引分 | 勝率 | 勝差 |
福岡ソフトバンク | 192 | 118 | 69 | 5 | .631 | - |
千葉ロッテ | 192 | 100 | 84 | 8 | .543 | 16.5 |
北海道日本ハム | 192 | 101 | 86 | 5 | .540 | 0.5 |
東京ヤクルト | 192 | 98 | 91 | 3 | .519 | 4.0 |
中 日 | 192 | 98 | 91 | 3 | .519 | 0.0 |
阪 神 | 192 | 96 | 90 | 6 | .516 | 0.5 |
巨 人 | 192 | 94 | 90 | 8 | .511 | 1.0 |
埼玉西武 | 192 | 94 | 94 | 4 | .500 | 2.0 |
オリックス | 192 | 91 | 95 | 6 | .489 | 2.0 |
東北楽天 | 192 | 83 | 105 | 4 | .441 | 9.0 |
広 島 | 192 | 75 | 110 | 7 | .405 | 6.5 |
横浜DeNA | 192 | 73 | 114 | 5 | .390 | 3.0 |
中日と2.5ゲーム差を分けたものとは一体何だったのだろうか 今シーズンは3時間30分を超えて新しいイニングに入らない規定が設けられた。これにより例年に比べ引き分け試合が増えることは予想されたが,スワローズは12球団で最多の15試合となった。この15試合のうち先発投手に勝ちの権利があったのは4月16日村中,6月30日館山,7月30日由規の3試合のみで,先発が5イニング持たなかった試合が7試合あることを考えても,
松岡健一,
押本健彦,久古,バーネットら中継ぎ陣が踏ん張って引き分けにもちこんだという見方が出来る【表6】。
【表6】今季引き分け試合の戦績月日 | 球場 | 対戦相手 | 時間 | スコア | バッテリー |
4.16 | 神 宮 | 横 浜 | 3:34 | 6-6 | 村中70/3,Hバーネット1,林昌勇1−相川 |
4.23 | マツダ | 広 島 | 4:10 | 6-6 | 高市21/3,橋本2/3,押本2,バーネット2,松岡1,林昌勇1−川本 |
5.8 | 松 山 | 広 島 | 3:37 | 3-3 | 増渕62/3,久古1/3,Hバーネット1,林昌勇1−相川 |
5.23 | 神 宮 | ソフトバンク | 1:41 | 0-0 | 館山5−相川 |
6.9 | 京セラドーム | オリックス | 3:32 | 1-1 | 由規4,H松岡2,H久古11/3,H押本2/3,H林昌勇1,バーネット1−相川 |
6.29 | 郡 山 | 巨 人 | 3:40 | 5-5 | 加藤42/3,松岡1/3,H久古1,押本2,Hバーネット1,林昌勇1−相川 |
6.30 | 東京ドーム | 巨 人 | 3:51 | 4-4 | 館山8,林昌勇1,バーネット1−相川 |
7.14 | 神 宮 | 中 日 | 3:48 | 2-2 | 石川71/3,H松岡2/3,Hバーネット1,H押本2/3,久古1/3−相川 |
7.18 | 横 浜 | 横 浜 | 3:33 | 2-2 | 七條32/3,赤川21/3,押本1,久古1,バーネット1−相川 |
7.30 | 神 宮 | 巨 人 | 3:53 | 2-2 | 由規62/3,H久古1/3,Hバーネット1,林昌勇1−相川 |
7.31 | 神 宮 | 巨 人 | 3:51 | 6-6 | 増渕2,赤川2,松岡2,押本2,バーネット1−相川 |
8.3 | ナゴヤドーム | 中 日 | 3:44 | 1-1 | 七條7,Hバーネット1,H林昌勇1,松岡1−相川 |
8.17 | 神 宮 | 横 浜 | 4:06 | 10-10 | 七條2/3,渡辺31/3,小野寺1,松岡2,H久古2/3,H押本1/3,バーネット1−相川,川本 |
8.24 | 神 宮 | 中 日 | 3:47 | 6-6 | 七條2,押本3,H渡辺1,H松岡1,バーネット1,H久古2/3,林昌勇1/3−相川 |
9.17 | 神 宮 | 横 浜 | 3:33 | 2-2 | 石川61/3,松井光0/3,H押本2/3,H松岡1,H久古2/3,林昌勇1/3−相川 |
しかし最終的に優勝した中日とは負け数(59)が等しく,2.5ゲームの差を分けたものは引き分け数にあったとも言える。もっと言えば,対中日との引き分け3試合で勝利を収めていれば,最終成績はヤクルト73勝59敗12分 勝率.5530 中日75勝62敗7分 勝率.5434という計算になり,1分差で中日をかわしたことにもなる。あくまでも仮定の話ではあるが,あと1点ずつ(計3点)多く得点を奪えていれば,あるいはあと1点づつ(計3失点)失点を与えなければ優勝出来たのである。ちなみに振り返るといずれも中日はチェンが先発した試合であった。
7/14 神宮 9回戦 15,261人 3時間48分中 日 | 0 | 1 | 0 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | | | 2 |
ヤクルト | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 2 | 0 | 0 | 0 | 0 | | | 2 |
チェン,小林正,鈴木,河原,岩瀬,浅尾−小山
石川7
1/3,H松岡
2/3,Hバーネット1,H押本
2/3,久古
1/3−相川
森野8号ソロ(2表石川),ホワイトセル10号2ラン(6裏チェン)
首位攻防の第3戦は引き分けに終わった。2回表に中日が森野の2試合連続となるソロで先制すると、4回にも和田の適時打で加点。対するヤクルトは6回、ホワイトセルの2ランで同点とする。その後は両チームとも小刻みな継投で相手打線を封じ、スコアボードに0を並べた。
8/3 ナゴヤドーム 11回戦 27,093人 3時間44分ヤクルト | 0 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | | | 1 |
中 日 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | | | 1 |
七條7,Hバーネット1,H林昌勇1,松岡1−相川
チェン,浅尾,河原,岩瀬−小山
中日は1回裏、1死二塁からグスマンの適時打で先制する。対するヤクルトは直後の2回、先発の七條が自ら適時打を放ち同点とした。その後は両軍投手陣が粘りの投球。9回には中日が無死一二塁の好機をつくるも決定打を欠き、試合は10回終了で規定により引き分けとなった。
8/24 神宮 14回戦 25,477人 3時間47分中 日 | 1 | 3 | 1 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | 0 | | | | 6 |
ヤクルト | 3 | 1 | 2 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | | | | 6 |
チェン,久本,鈴木,小林正,平井,浅尾,岩瀬−谷繁
七條2,押本3,H渡辺1,H松岡1,バーネット1,H久古
2/3,林昌勇
1/3−相川
畠山15号2ラン(1裏チェン),谷繁2号ソロ(3表押本),堂上直2号ソロ(8表バーネット)
1点を追うヤクルトは3回裏、1死満塁の好機でガイエルが適時二塁打を放ち逆転に成功。対する中日も8回、堂上直がソロを放ち同点とする。その後は両軍救援陣が完ぺきな投球で得点を許さず、合わせて39選手が出場した総力戦は、規定により引き分けに終わった。
試合は「1点を守り抜くか、相手を『0』にすれば負けない」のだ。敵将落合監督8年間の集大成はまさにこの1点1点の積み重ねに集約されていた。これを144試合のどこで発揮したらよいのか。どの場面で何をすればいいのか。この小さいようで大きな差をどこまで詰められるか。地道な基本作業の反復が求められている。
おわりに〜2012シーズンに向けて 優勝争いを「体験」しただけであって,優勝しないことには「経験」にはならない―宮本の言葉は実に重みがある。近年終盤まで首位を独走していたが逆転で優勝を逃したチームといえば,1996年広島(11.5差),1998年日本ハム(10.0差),2008年阪神(13.0差)が思い出されるが,いずれのチームも翌年Vを逃しているし,その後長期間低迷に陥っている傾向も否めない。優勝を逃した以上来季への展望はそれほど明るいものではないように思えてならない。さらにいえば重度の故障を押してまで戦った選手は復帰出来るのか?若い力は研究されてジンクスに陥ってしまうのではないか?不安は募るばかりである。それに加えてチームの看板であり,野球に興味の無い人にでも知名度を誇った青木という選手が抜ける。実力に加え,人気面でも低下することが懸念される。
ライバルでもある巨人は,2007-2008年セ・リーグ本塁打王・村田修一,2005年パ・リーグ最多勝・最優秀防御率,2008-2009年パ・リーグ最多奪三振投手・杉内俊哉,2011年パ・リーグ最多勝投手DJホールトンという巨大補強を敢行。アレックス・ラミレス,セス・グライシンガー,マーク・クルーンを補強した2008年に負けずとも劣らぬ,優勝へのなりふり構わない姿勢を見せている。
2011年の「体験」を風化させないためにも来年が非常に重要になる。
2012年シーズンの戦いは,スワローズの向こう10年を決める一年になると言っても決して過言ではないと思う。なぜならば,優勝を逃せば小川監督自身が責任を感じ続投を拒否する可能性も否めないし,フロントも当初の契約通りということで,既定路線でもある
荒木大輔チーフ兼投手コーチの監督就任を進めるだろう。そして新体制に移行する過程で,長年チームを支えてきた宮本も現役引退しコーチ専任を余儀なくされる・・
私情を挿むことを承知で言うが,もしこうなったら再びチームは低迷することになるだろう。監督の知名度だけで勝てるとは到底思えない。投手出身者が下積みもなく勝てるほど甘くない。この最悪の事態を阻止するためにも勝つしかないのだ。それも巨人に。
広沢克己,ジャック・ハウエル,川口和久を補強した1995年。清原和博,石井浩郎,エリック・ヒルマンを乱獲した1997年。タフィ・ローズ・小久保裕紀と大砲を揃えた2004年。李スンヨプ,ジェルミー・パウエル,豊田清,野口茂樹まで加えた2005年。いずれも元タイトルホルダーという巨大補強が必ずしも成功するとは限らない。選手だけで野球をするのではない。チームとして一体になって機能するのが野球というスポーツなのである。
話をヤクルトに戻す。青木という名前を伏せて
打率.292・本塁打4・盗塁8の外野手が抜けたと考えてみたらどうだろうか。かつて青木に「
走・守は素晴らしいです。あとは打撃。辛抱×2。長い目で行きましょう。」と書いたことがあった。2005年4月のことである。青木も最初はそんなものだった。
「クリーンアップを育てるのは時間がかかるし、しんどいが1、2番はまだなんとかなる。」とは
伊勢孝夫総合コーチの話だ。確かに岩村明憲,古田敦也,ラミレスと不動のクリーンナップ打者でもあった選手が抜けた(退いた)年は,その穴を埋めるのに苦労した。しかし1番打者ならたとえ打率.250でも出塁率や盗塁でそれを補い,かつ守備が安定してさえいれば,一軍は立派に務まる。
2005年(当時)若松勉監督は開幕戦から青木を,宮本と岩村・ラミレス・古田のクリーンナップに挟まれた2番打者として起用していた。打撃はともかく守備で外せないそう監督自ら語っていた。この起用法がポスト青木育成のヒントになるように思う。一番打者が出塁すれば犠打を指示,失敗しても自らが走ることで得点圏に走者を置いてクリーンナップにつなぐ役割をまずは徹底する。当時の宮本の役割を果たせるのは浩康だろうし,川端・畠山・バレンティンに回せば点になるという意識が強くなれば,青木の穴はすんなり埋まるように思う。そこから真の1番打者に定着できるかは起用された本人の才能と努力次第で,青木は1番を不動のものとしていっただけ。だからこの点はそれほど心配していない。
優勝から遠ざかること11年。11年間という年月で募った想いがあるからこそ
宮本,福地,相川,石川,館山,田中,畠山が輪の中心となって,小川監督を胴上げする光景が見たい。林昌勇,松岡,押本の長年の労をねぎらいたい。川端,村中,増渕,上田,由規,山本斉,赤川,日高,山田の若さはじける笑顔が見たい。陽気なバーネットとバレンティン。縁の下の力持ち
福川将和,宮出,
藤本敦士,
渡辺恒樹,
松井光介,ユウイチ,
野口祥順,川本,武内,飯原,
森岡良介,
三輪正義,七條,久古,
山本哲哉,
中村悠平。すっかりチームに溶け込んだ川島,
一場靖弘,山岸,
小野寺力,
水田圭介,
正田樹,
楠城祐介,
阿部健太,
木下達生。戸田を羽ばたく
新田玄気,
高井雄平,中澤,
加藤幹典,
川崎成晃,フェルナンデス,
水野祐希,
荒木貴裕,
松井淳,八木,平井,
西田明央,
又野知弥。そして
川上竜平,
木谷良平,
比屋根渉,
太田裕哉,
中根佑二,
古野雅人のルーキー達。
上野啓輔,
麻生知史,
北野洸貴,
曲尾マイケ,
佐藤貴規,
徳山武陽,
金伏ウーゴの育成選手。
伊藤智仁投手コーチ,
佐藤真一打撃兼作戦担当コーチ,
飯田哲也・
城石憲之守備走塁コーチ,
中西親志バッテリーコーチ。
真中満二軍監督,
伊東昭光・
加藤博人二軍投手コーチ,
淡口憲治・
池山隆寛二軍打撃コーチ,
土橋勝征・
度会博文二軍守備走塁コーチ,
古久保健二二軍バッテリーコーチ,
松井優典・石井二軍育成コーチ。新たにスコアラーに就任することになった
衣川篤史さんを始め裏方さん,
河端龍,
加藤謙二郎両広報,スタジアムDJ
パトリック・ユウさん。そして
つば九郎,
つばみ,
燕太郎。
衣笠剛球団社長兼オーナー代行以下,フロント・監督・コーチ・選手・スタッフ・ファンが一体となって
”優勝”を勝ち取るその一心で,勝負の2012年にしてほしい。
追伸として,毎年書いているような気もするが,ジンクスを2つほど提示しておこう。
1つは
実質監督3年目のジンクス。1976年シーズン途中にヘッドコーチから監督代行を務めた広岡達朗監督は翌77年に正式に監督に就任し,実質3年目の1978年にスワローズを初優勝に導いた。野村克也監督も若松監督も就任3年目にチームは優勝している。古田監督と高田繁監督は3年ともたなかった。実質3シーズン目を迎える小川監督には吉兆だ。
もう1つは
高木豊氏がベイスターズのユニフォームを着るジンクス。フジテレビ野球解説でもお馴染みの高木豊氏がベイスターズのヘッドコーチに就任したが,実はこの高木氏は現役時代ベイスターズ元年でもあった1993年のオフにトレードで日本ハムに移籍し1年間限りで現役を引退し,フジテレビの解説者に。2001年横浜の内野守備走塁コーチとして8年ぶりに古巣復帰するもその年限りで辞任し,再びフジテレビ解説者となっていた。今回は11年ぶりの復帰となるが,奇しくも高木氏がベイスターズの一員であった2年間のスワローズの順位はというと,いずれも優勝&日本一。2度あることは3度あると信じて願掛けしたい。
参考資料『週刊ベースボール』第66巻 第60号 通産3087号,ベースボールマガジン社,2011.12
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