ヤクルトは9日、高市俊投手(27)、佐藤賢投手(29)、高木啓充投手(28)、吉川昌宏投手(33)、岡本直也投手(28)、衣川篤史捕手(30)、吉本亮内野手(31)、中尾敏浩外野手(28)に戦力外通告したと発表した。高市、高木、吉本は現役続行を希望している。衣川はフロント入りする予定。[ サンケイスポーツ 10月9日(日)19時00分配信 ]
浜中が引退=阪神などで15年―プロ野球ヤクルト
ヤクルトは30日、浜中治外野手(33)が今季限りで引退することが決まったと発表した。
浜中は和歌山・南部高からドラフト3位で1997年に阪神入団。右の長距離打者として2003年に開幕4番を務めたが、右肩の故障に苦しんだ。06年には打率3割2厘、20本塁打、75打点と活躍。08年から3シーズンはオリックスに所属し、今季からヤクルトに移ったが、5試合で2安打にとどまった。通算成績は744試合、580安打、85本塁打、311打点。(29日現在)
浜中は「今年に懸ける気持ちがあったが、自分の思うような打撃ができなかったので、引退を決意した」との談話を球団を通じて出した。[ 時事通信 9月30日(金)12時47分配信 ]
惜別メッセージです。。
13.佐藤賢
2003年ドラフト6巡目で入団。ルーキーイヤーのキャンプ初日から話題を振りまいた。「運動誘発性アナフィラキシー」で離脱。高見盛風の見かけに似合わず?!デリケートな部分を見せた。初登板は2004年5月2日対阪神6回戦(甲子園)。左の中継ぎ,ワンポイントとしてブルペンで肩を作ってくれた。
出囃子をピンクレディーの『サウスポー』にした2008年。ラミレス・グライシンガーが移籍して因縁となった開幕3連戦の3戦目2008年3月30日対巨人3回戦(神宮)。6回2死打者・亀井が告げられたところでワンポイントとして佐藤賢が告げられその役目を果たすと,その裏集中打で一気逆転。宿敵・巨人に3タテを決めるとともに,嬉しいプロ初勝利が転がり込んだ。
2009年も開幕一軍を果たしたが,2009年4月10日横浜1回戦(横浜)登板で異変が。左肘靭帯断裂の重傷で,シーズン序盤ながら手術に踏み切ることとなった。1年半のリハビリを経て2010年8月27日対阪神19回戦(神宮)に一軍復帰即登板を果たすも翌日に抹消。今年も2試合の登板にとどまり,久古・日高といった若手左腕台頭のあおりを受ける形となってしまった。。
46.岡本直也
オールスター期間中の入団テストを経て入団し,9/4対巨人23回戦(神宮)で自身4年ぶりの一軍マウンド。しかし古巣との対戦となった9/8対横浜17回戦(神宮)・10/1対横浜22回戦(横浜)で,のべ打者5人と対戦し9球投げて被安打5というのは,さすがに厳しい・・・
54.高市俊
2006年大学社会人ドラフト希望枠で入団も,残念ながらその期待を大きく裏切ってしまったと言わざるを得ない選手ではある。
プロ初先発となった2008年10月12日対横浜24回戦(神宮)で5回無失点投球。勝利投手の権利をもって降板も,リリーフした投手が村田に一発を浴びたため,その権利は消滅(お陰で小野公誠の感動的な本塁打が生まれた!)してしまったが,未来への希望を抱かせる投球ではあった。
2008年10月4日のファーム日本選手権で先発するなど,戸田スワローズを支えてくれたが,一軍の壁は厚かった。今年も4月23日対広島2回戦(マツダ)で先発機会を与えてもらうも,2回1/3イニング6失点KO。チームは脅威の粘りで敗戦投手こそ免れたが,それが最後の一軍マウンドとなった。
58.高木啓充
2005年大学社会人ドラフト4巡目で入団。背番号は12。プロ初登板は2006年4月12日対横浜1回戦(横浜)。8-2と6点リードした9回裏のマウンドを任されるも,極度の緊張から捕手・古田のサインが見えず1アウトを取ったのみであれよあれよの4失点。高津・石井弘でなんとか火消しするというほろ苦デビュー。以降パッとした成績を残せず,背番号も剥奪された。
でも高木と言えばやっぱり2009年抜きには語れない。2009年8月15日に一軍登録され,敗戦処理で結果を残していく。9月4日対巨人17回戦(東京ドーム)あの捕手・キムタクが生まれたのも,高木が加藤健捕手に死球を与え,危険球退場を告げられたからである。そして2006年8月2日対広島12回戦(広島)以来自身3年ぶりプロ2度目の先発となった9月10日対広島20回戦(神宮)で7インング86球を投げ無失点ピッチ。勝ち負けこそつかなかったが,これで信頼を勝ち取った高木は,9月16日対横浜18回戦(横浜)でプロ初勝利。チームの9連敗を止めるばかりか,自身26回目のバースデーに華を添えた。9月22日対広島22回戦(マツダ)ではプロ初完封で2勝目。またもやチームの連敗を4で止める投球だった。9月28日対阪神19回戦(神宮)でも勝利を収め自身3連勝。まさに救世主高木様という感じだった。最終戦花田城石の引退試合となった10月12日対巨人24回戦(神宮)でもタナボタ勝利が舞い込み4勝目。
結局プロ通算で挙げた勝利はこの年の4勝のみであったが,その4勝の印象があまりに強烈すぎた。
ブレイク前年の2008年のファン感謝デーでは,上半身裸で河村隆一の『BEAT』を熱唱♪2009年は森岡と『あの鐘を鳴らすのはあなた』を。2010年は東西対抗で乱闘の輪のなかでなぜか一人全裸。そんな明るいキャラクターを発揮してくれた。
62.吉川昌宏
今回のメンバーの中で最も長きに渡ってスワローズを支えてくれた選手。今後について「未定」とされているが,本人の現役続行意思によっては,なんとか引退試合を設けてあげて欲しい選手ですが・・・
2002年ドラフト8巡目で入団。亜細亜大出身の下手投げ投手ということで,将来的に22番を背負えるようにと与えられた背番号は下一桁が2の「62」。初登板は2003年6月18日対中日13回戦(ナゴヤドーム)だった。
プロ初となる開幕一軍を果たした2005年はまさに大車輪の活躍。石井弘と並ぶチーム最多の61試合に登板し,チームトップの23ホールドポイント。五十嵐・石井弘につなぐ右のセットアッパーとして君臨した。そんな古田の2000本安打の陰に隠れがちだが,2005年4月24日対広島5回戦(松山)にプロ初勝利を挙げている。2007年も日替わりセットアッパーの一員として,苦戦するチームを陰で支えてくれた。
2008年以降松岡,押本,五十嵐,林昌勇と中継ぎ抑えが整備されたこともあって登板機会が激減してしまう。五十嵐が抜けた2010年。3月30日対中日1回戦(神宮)では,6回表1死満塁の場面でシーズン初登板。中日打線で最もいやらしい井端を見事4−6−3の併殺に打ち取って,ルーキー中澤雅人の初先発初勝利を陰でアシストした。交流戦開幕直後の5月13日対オリックス2回戦(神宮)で,四球落球四球四球の投球(代わった加藤がカブレラに満塁弾)で首脳陣の信頼を失ってしまった感も,今となってはしなくはない。
今年ファームではチーム2番目となる37試合に登板も,一軍登録はなし。無情の通告となってしまった。。
もう1度言う。出来ることなら引退試合の舞台と,なんらかのポストを用意してあげて欲しい。ヤクルト球団でしか出来ないことだから・・・
38.衣川篤史
2006年大学社会人ドラフト4巡目で入団。古田・福川・川本・米野との捕手戦争に割り込んできた。即戦力として期待されるも,一年目は出番なし。プロ初出場は2008年5月13日対中日7回戦(神宮)。プロ初マスクで川島亮,松岡,押本,林昌勇とリードしてチームを勝利に導くと,5月14日対中日8回戦(神宮)で山本昌からプロ初安打,5月15日対中日9回戦(神宮)で川上からプロ初打点,そして5月16日対阪神7回戦(甲子園)で安藤からプロ初本塁打と,名だたる投手から打棒をアピールするも,それを継続することは出来なかった。
2009年相川加入後は出番も減少。ファームでも中村悠平,西田明央といった若手捕手にスタメン機会を与えるチームの育成方針があり,ユニフォームを脱ぐことに。本日発表メンバーの中では唯一球団スタッフとして残ることが発表されている。
40.吉本亮
右の吉本・左の古木。1998年夏の甲子園を見てこの二人がどんな成長を遂げるか期待した。その吉本がプロ初本塁打を放つまでに11年を要するとは・・そしてそれが最初で最後の本塁打になるとは・・・2009年8月21日対巨人14回戦(神宮)。志田と共に上がったお立ち台は忘れられない。。
昨年5月の交流戦。和田・杉内・石井一・成瀬・吉見と悉く左腕を当てられたあの時期にスタメンで名を連ね続けた。6月福岡凱遷試合では同級生杉内から代打逆転タイムリーを放ち,小川ヤクルトに貴重な2勝目をもたらしてくれた。
7月10日に抹消され,それ以降出番は無かった。現役続行を希望とのこと。兄貴分としても頼れる存在なので,もうひと花咲かせてほしい選手。
0.濱中治
応援団が「ゼロから始まる伝説を 築け濱中」と歌詞をつけた応援歌。今年神宮球場で初めて出た本塁打は4/2の震災復興チャリティーマッチで濱中が放ったアーチだった。この本塁打で開幕3番・レフトを確定させた。
そして4/12の開幕戦。今シーズンスワローズの初安打を放ち,初得点を記録したのもこの濱中だった。その意味でも濱中から始まっている。あとはそれを伝説=優勝と出来るかどうか。
ファーム新潟遠征で,タイガース時代の選手カードにサインを求められたのに,「すみません。タイガースのサインはしないので・・」と断っていたのも印象的。人気球団出身ゆえの苦悩を垣間見た気がした。
56.中尾敏浩
PL−青学−JR東日本という経歴に独特の振り子打法。坪井智哉のような活躍を期待したが,一軍の出場は2009年の2試合・2打席のみ。
そんな中尾の記念すべきプロ初打席の瞬間のスコアボードが残っているのもなんとも・・
スワローズの外野手と言えば,高卒入団後転向した選手(飯田・宮出),大卒即戦力(真中・稲葉・志田・青木・飯原),助っ人(ホージー・ラミレス・ガイエル・バレンティン)で占められている感があり,社会人からドラフト中位以降指名された選手(吉元,橿渕,久保田,中尾)は厚い壁に跳ね返されてる。その意味でルーキー川崎は真剣に野球に取り組んでほしい。ファンとの交流もいいけれど・・<Twitter