ヤクルトは30日、ジェイミー・デントナ内野手、李恵践投手、トニー・バーネット投手、エウロ・デラクルス投手の今季限りでの退団を発表した。
デントナは09年から2年間ヤクルトに在籍し、今季は99試合に出場し、打率・245、15本塁打、50打点だった。李投手も09年から在籍し、今季は19試合に登板し、0勝1敗、防御率4・12だった。バーネット、デラクルス両投手は今季限りの在籍で、バーネットが4勝5敗、防御率5・99、デラクルスが0勝0敗、防御率7・84の成績だった。[ 2010/11/30 17:32 配信 デイリースポーツ ]
保留者名簿提出期限となる今日4選手の退団が正式発表に・・・
既報のあった3選手はともかく,意外だったのがデラ。元来育成の意味もあって更新とばかり思っていたのに・・ファームではストッパーに向けた起用してきたし昌勇残留余波か?!
11/30現在の支配下選手登録選手は岡本・ユウキ・西ア・萩原・李恵踐・バーネット・山田弘・デラクルス・デントナ・梶本・志田の11名がOUTで,七條・九古・山田哲・西田・又野・川崎・宮出・濱中・バレンティンの9名がINとなり現在66名。
枠の問題を考慮しながらも,獲得が噂されているぺ・ヨンスとあと一人デラに代わる外国人投手が欲しい所か。例のファーム投手陣火の車懸案にデラの53.2イニングが加算されて,228イニングに・・・。
4デントナ
とにかく陽気なアメリカンでした。来日当初から膝に不安があり詐欺に遭うかと心配しましたが,開幕にはキッチリと間に合わせ,交流戦あたりまでは様子を見ながらの起用。しかし夏の声を聞くとその打棒を如何なく発揮!2009年7月は打率.416,本塁打6,打点25で見事月間MVPを獲得!!クライマックスシリーズ第1戦でも中日先発チェンから逆転の一発を放って勝利に導いてくれました。
来日二年目も開幕11試合で5発と上々のスタートを切るも,極度の不振に陥ると同時にチームも急降下。打順も6番→7番→ベンチと荒治療を施すも上昇の気配なし。。代走を告げられベンチで不貞腐れたような表情も見せ,もはやこれまでか?と思われましたが・・・
そこからの蘇生は見事だった!
外国人枠の都合で二軍降格を告げられるも,酷暑の戸田で約一ヶ月レフトの守備に挑戦。8月に再び一軍登録され,8/10巨人戦では代打で一塁まで大股で全力疾走。8/14京セラドーム大阪阪神戦ではとうとう外野手デビュー!イニング間には外野手とのキャッチボールやブルペン捕手を務めるなど春先のデントナの姿とは180°違ったものに更生されていました。
彼にとって小川監督の気配りも相当大きかったことでしょう。ホワイトセルとの併用で左腕先発時にはスタメン起用され,その姿を見逃さなかった小川監督も最後の最後まで残留を切望されていました。
何よりデントナといえばバケツ!9/7広島戦飯原サヨナラホームラン時にネクストバッターサークルに居たデントナはホームランを確信すると,持っていたバットを放り投げ跳び跳ねるようにベンチに戻っいく姿がなんともチャーミングでした。ヒーローにかけるお水を汲みに行ったんでしょうねwバケツにww
ある程度実績を残してかつ日本にも溶け込んだデンさん。本人にとってはメジャー復帰が一番だと思いますが,スターターに漏れた場合は,ブラゼル,オーティズ,セギノールのような来春の出戻りも十分可能性があるような予感もします。
49李恵踐
韓流パワー二匹目のドジョウを期待したが・・。来日一年目早々に先発失格の烙印を押され,リリーフへ。主に中継ぎで42試合に登板し,左打者との対戦で強さを発揮してくれました。
二年契約の二年目はバーネット,デラクルスの加入もあり枠との戦いもありましたが,開幕一軍を勝ち取ったのはこの恵踐。しかし3/27開幕2戦目となる巨人戦で10-1大量リードの9回裏を任されるも,由伸タイムリー坂本3ランであれよあれよの4失点でバーネットと入れ替わりで二軍降格に。5月末昌勇の右肘痛で再度登録されるも今度は6/4埼玉西武戦で12-2の9回におかわり中村に満塁弾を喰らい・・。楽勝ムードに水を差すこと2回。
ただ3度目の正直とばかりに一軍復帰後となった8/31以降は圧巻の投球で,気づけば松岡につなぐセットアッパーの一員を担っていました。最大30.86だった防御率もミルミル上昇し最終的には5.09まで持ち直しましたが,左の中継ぎに外国人枠の1つを使うべきかという問題と,年俸に見合う活躍が出来なかったとの断でしょうか。
64バーネット
2010年高田ヤクルトのエース格でした。13勝中2勝は村中・中澤の3勝に次ぎ,チーム2位タイ(ほかに館山)。勝ち星こそ付かなかったものの,4/15広島戦(マツダ)ではあの前田健との投げ合いに勝利したので実質は3勝の貢献。何よりその驚異の防御率は登板4試合で1.73。セ・リーグ単独トップにも立ちました。ただその後は・・・長続きしませんでしたね。。
アラスカ出身ながら夏場に強いという触れ込みでしたが,痛風の発症など夏まで持ちませんでした。。テンポが悪かったかなぁ。イライラして野手との信頼関係崩しちゃった感じ。
70デラクルス
当初は第6の外国人という位置づけでしたが,6/10に一軍登録と想像よりも早くデビューを飾りました。10回1/3イニングで9失点,防御率7.84。被安打14,被本塁打2。160km/h近い速球を投げ込むも相手のバットに当てられてしまうというのが一軍では致命傷でしたかね。
それでも球場を沸かせてくれたのはその球速でなく,出囃子。鳥羽一郎の「兄弟船」をセレクトした際には,神宮球場が爆笑の渦に包まれました。”鳩胸”や”寺本来男”と話題も振りまいてくれました。