敵地・ナゴヤドームで迎えた開幕戦を終盤痛い逆転負けで落とし,結果開幕4連敗。ようやく5試合目で初勝利を挙げたものの,チームはその後も上昇することなく,セ・リーグ各チームとホーム・ビジター1回りの対戦を終えた時点で借金12。過去2年優勝争いをし,得意としていたセパ交流戦でも2つの負け越し。ところが,7月に入るとチームは7連勝を記録するなど借金を6まで減らし,追撃体勢をみせ,前半戦を5位で折り返す。
しかし,オールスター直後の対広島戦(神宮)で同一カード3連敗を喫して以降は,負けが込み始め,8月も10勝15敗で負け越しを喫し,9月に入っても5位と6位の間を行ったり来たり。
そんな状況下の9月19日。古田敦也選手兼任監督の現役引退及び監督退団が発表される。
古田敦也現役引退試合となった10月7日の広島戦(神宮),翌8日の横浜戦(横浜)に連敗し,
1986年以来21年ぶりの最下位が決定。
クライマックスシリーズ出場圏内となる3位は愚か,
一度も勝率5割に到達することなく低迷を続けた,スワローズの2007年シーズンを総括しておこう。
【表1】チーム成績 ※()はリーグ順位
| 試合 | 勝数 | 負数 | 引分 | 勝率 | 勝差 | 順位 | 得点 | 失点 | 本塁打 | 打率 | 防御率 |
2007 | 144 | 60 | 84 | 0 | .417 | 20.5 | 6 | 596(3) | 623(4) | 139(2) | .269(2) | 4.07(5) |
2006 | 146 | 70 | 73 | 3 | .490 | 14.5 | 3 | 669(1) | 642(4) | 161(1) | .269(2) | 3.91(4) |
【表1】のどの項目をとっても6番目の数字は無い。特に打撃に関しては優勝した
巨人に準ずる成績である。しかし、
チームは最下位…。
【表2-1】対戦成績 | 巨 人 | 中 日 | 阪 神 | 横 浜 | 広 島 | 日ハム | ロッテ | ソフト | 楽 天 | 西 武 | オリク | 計 |
2007 | 10(0)14 | 07(0)17 | 08(0)16 | 13(0)11 | 11(0)13 | 1(0)3 | 2(0)2 | 1(0)3 | 2(0)2 | 3(0)1 | 3(0)1 | 60(0)84 |
2006 | 08(0)14 | 10(0)12 | 08(1)13 | 10(1)11 | 12(1)09 | 3(0)3 | 3(0)3 | 4(0)2 | 5(0)1 | 3(0)3 | 4(0)2 | 70(3)73 |
【表2-1】対戦カード別に見ると,チームの借金「24」のうち,セ・リーグ上位3球団に対しての負け越しが実に「22」。さらに対
巨人戦はこれで7年連続の負け越しとなった。過去2年躍進した交流戦に於いても5割を逃し,交流戦導入後3年連続勝ち越しは
千葉ロッテただ一球団のみとなった。
ちなみに対戦成績をホーム・ビジター別で見てみると【表2-2】のようになる。
【表2-2】ホーム・ビジター別対戦成績 | 巨 人 | 中 日 | 阪 神 | 横 浜 | 広 島 | 日ハム | ロッテ | ソフト | 楽 天 | 西 武 | オリク | 計 |
[内訳] | 10(0)14 | 07(0)17 | 08(0)16 | 13(0)11 | 11(0)13 | 1(0)3 | 2(0)2 | 1(0)3 | 2(0)2 | 2(0)2 | 3(0)1 | 60(0)84 |
ホーム | 7(0)5 | 6(0)6 | 5(0)7 | 7(0)5 | 6(0)6 | 1(0)1 | 1(0)1 | 1(0)1 | 2(0)0 | 0(0)2 | 2(0)0 | 38(0)34 |
ビジター | 3(0)9 | 1(0)11 | 3(0)9 | 6(0)6 | 5(0)7 | 0(0)2 | 1(0)1 | 0(0)2 | 0(0)2 | 2(0)0 | 1(0)1 | 22(0)50 |
神宮及び地方主催(松山・秋田)を含めたホームゲームでは全体で「4」の貯金をしているのに対し,ビジターゲームでの借金は「28」。
特筆すべきはセ・リーグ上位3球団との対戦。負け越しが「22」にも関わらず,ホームでは
巨人に勝ち越し,
中日にも5分と計18勝18敗の成績を残しているのだ。即ち
上位3球団への負け越し=ビジターゲームでの負け越しという構図が明らかになるのである。中でも
ナゴヤドームでは1勝11敗という数字はあまりにも寂しい・・。
次に試合内容についての分析をしてみよう。以下に3つのデータを掲載する。何点差で勝利したか或いは敗れたかを示す【表3】,イニング毎のチーム得点と失点の総計を示す【表4】,各試合の中で勝利打点がついたイニングを基にした勝敗,及びその中で逆転勝利/敗北を右に併記した【表5】である。
赤字は注目ポイント。
【表3】 点差別勝敗 | 【表4】 イニング別得失点 | 【表5】 決勝点の入ったイニング別勝敗 |
点差 | 勝敗 | 差 | イニング | 得点 | 失点 | イニング | 勝敗 | 内逆転 |
1 | 13(0)28 | −15 | 1 | 73 | 115 | 1 | 11(0)26 | 0(0)2 |
2 | 14(0)21 | −7 | 2 | 63 | 61 | 2 | 10(0)08 | 2(0)1 |
3 | 08(0)09 | −1 | 3 | 68 | 62 | 3 | 09(0)04 | 3(0)1 |
4 | 08(0)10 | −2 | 4 | 60 | 62 | 4 | 07(0)06 | 4(0)0 |
5 | 03(0)05 | −2 | 5 | 83 | 54 | 5 | 04(0)05 | 2(0)4 |
6 | 03(0)03 | ±0 | 6 | 87 | 69 | 6 | 05(0)06 | 2(0)2 |
7 | 06(0)02 | +4 | 7 | 42 | 65 | 7 | 05(0)05 | 2(0)4 |
8 | 01(0)02 | −1 | 8 | 73 | 64 | 8 | 03(0)07 | 2(0)7 |
9 | 01(0)02 | −1 | 9 | 42 | 56 | 9 | 03(0)10 | 3(0)9 |
10 | 01(0)01 | ±0 | 10 | 2 | 7 | 10 | 01(0)05 | 1(0)2 |
13 | 00(0)01 | −1 | 11 | 3 | 6 | 11 | 02(0)02 | 1(0)2 |
14 | 02(0)00 | +1 | 12 | 0 | 0 | 12 | 00(0)00 | 0(0)0 |
接戦に弱い・
初回の大量失点・
終盤での逆転負け。今シーズンのスワローズを象徴する3点である。総じて投手陣全体の問題になるものの,リリーフ陣の不調が響いたシーズンでもあった。先発投手以外に勝敗がついた試合は41試合。その内訳を投手別に示したのが【表6】である。
【表6】勝敗のついたリリーフ投手成績 | 投手 | 試合 | 勝敗 | 差 |
11 | 遠藤 政隆 | 38 | 2-5 | −3 |
20 | 鎌田 祐哉 | 21 | 0-1 | −1 |
22 | 高津 臣吾 | 25 | 0-5 | −5 |
24 | 花田 真人 | 41 | 2-2 | ±0 |
25 | 館山 昌平 | 30 | 0-3 | −3 |
34 | シコースキー | 29 | 1-2 | −1 |
41 | 高井 雄平 | 52 | 3-6 | −3 |
42 | 木田 優夫 | 50 | 3-2 | +1 |
62 | 吉川 昌宏 | 43 | 2-2 | ±0 |
計 | 13-28 | −15 |
シーズン序盤は高津,中盤は遠藤・木田・花田,終盤は館山がストッパーに起用されたものの,いずれも散々な成績であった。特に高津と館山で0勝8敗。中には同点の場面で登板し逆転を許した試合もあったものの,仮にそのままセーブを挙げていればチーム成績は68勝76敗となる訳であるから,やはり成績=順位に直結する役割だということが言える。五十嵐亮太・石井弘寿のシーズン絶望という要素もあったにせよ,
ストッパー不在に泣かされた一年であった。
投手の次に捕手へ目を転じよう。本来ならば捕手別の防御率,盗塁阻止率を示せれば良いのであるが,あいにくそこまでのデータを有していない。ただし捕手の場合,試合の行方が決してからの途中交代というケースが多いため,基本的にチームの勝敗はスタメンマスクを被った捕手に左右されるという観点からの分析ということを理解してほしい。
今シーズン一軍でマスクを被った捕手は4人。4人の打撃成績と,スタメン起用された試合のチームの勝敗を示したものが【表7】になる。内訳として今季先発バッテリーを組んだ投手毎の勝敗も併せて表記した。
【表7】スタメン捕手別勝敗 | 捕手 | 試 | 率 | 点 | 本 | 盗 | | 勝敗 | グライ | 石井一 | 藤井 | 石川 | 館山 | 川島 | 松岡 | 増渕 | 松井 | 鎌田 | 高市 | 伊藤 | 勝率 |
27 | 古田 敦也 | 10 | .333 | 0 | 0 | 0 | 0-3 | - | 0-2 | - | 0-1 | - | - | - | - | - | - | - | - | .000 |
28 | 川本 良平 | 51 | .208 | 19 | 7 | 6 | 21-22 | 3-3 | 4-3 | 3-2 | 2-3 | 1-2 | 3-5 | 3-2 | 2-0 | - | - | 0-1 | 0-1 | .488 |
37 | 福川 将和 | 86 | .224 | 29 | 7 | 1 | 32-43 | 12-9 | 1-7 | 6-8 | 3-6 | 3-6 | 2-1 | 2-2 | 1-1 | 1-3 | 1-0 | - | - | .427 |
51 | 米野 智人 | 32 | .179 | 9 | 3 | 0 | 7-16 | 1-2 | 5-5 | 0-4 | - | 1-2 | - | 0-1 | 0-1 | 0-1 | - | - | - | .304 |
計 | .216 | 57 | 17 | 7 | 60-84 | 16-14 | 10-17 | 9-14 | 5-10 | 5-10 | 5-6 | 5-5 | 3-2 | 1-4 | 1-0 | 0-1 | 0-1 | .417 |
シーズン後半主にマスクを被った川本がスタメンマスクの試合は.488とほぼ5割であった。最もスタメンを任された福川は.427。ただその福川も,最多勝投手・グライシンガーと組んだ試合を除けば.370にまで下がる。米野は23試合で.304。古田兼任監督は開幕戦・自身通産2000試合出場試合・自身引退試合と節目で3試合起用したが,3戦全敗.000であった。
投手との相性を見ると,石井一−福川,藤井−米野のコンビの勝率が極めて低かった。やはり
捕手が固定できなかったことも最下位に沈んだ要因の一つである。
古田監督は打てる捕手として名を馳せた。しかしながらルーキーイヤーであった1990年は,当時の野村克也監督に,打撃には目を瞑り,守れることを評価して起用されていた。成績も106試合で本塁打3本,打率.250。翌1991年に首位打者を獲得し,1992年の30本塁打とリーグ優勝,そして1993年に自身初の日本一を果たしたことで,球界一の捕手の称号を手に入れた。
勿論打てるに越したことはないが,まずは守りから入ってチームの要としての役割を果たしてもらいたい。川本の場合,奇しくも古田の入団一年目と同じ25歳。来季の飛躍によって,チームの浮上も望まれることだろう。
最後に野手陣の成績に目を転じよう【表8】。尚,野手ではリーグのタイトル獲得者が続出した【表9】。
| 野手 | 試合 | 打率 | 打点 | 本塁 | 盗塁 |
23 | 青木 宣親 | 143 | .346 | 58 | 20 | 17 |
7 | 田中 浩康 | 132 | .295 | 51 | 5 | 8 |
3 | ラミレス | 144 | .343 | 122 | 29 | 0 |
5 | ガイエル | 142 | .245 | 79 | 35 | 2 |
43 | 宮出 隆自 | 111 | .279 | 46 | 9 | 3 |
6 | 宮本 慎也 | 131 | .300 | 39 | 5 | 3 |
46 | 飯原 誉士 | 136 | .246 | 32 | 8 | 23 |
31 | 真中 満 | 105 | .319 | 10 | 1 | 0 |
65 | ユウイチ | 33 | .340 | 16 | 3 | 0 |
2 | リグス | 37 | .217 | 19 | 3 | 0 |
【表9】野手タイトルホルダータイトル | 成績 | 選手 |
最高打率 | .346 | 青木 宣親 |
最多打点 | 122 | ラミレス |
最高出塁率 | .434 | 青木 宣親 |
最多得点 | 114 | 青木 宣親 |
最多安打 | 204 | ラミレス |
最多二塁打 | 41 | ラミレス |
最多三塁打 | 8 | 田中 浩康 |
最多塁打 | 338 | ラミレス |
最多死球 | 23 | ガイエル |
最多犠打 | 51 | 田中 浩康 |
ガイエルは1本差で本塁打王を逃した。飯原はリーグ3位となる23盗塁をマーク。首位打者青木の他,ラミレスと宮本が打率.300越え。ベストナインにも田中浩,青木,ラミレスの3名が選出され,
最下位チームから3名の選出は史上初の珍事であった。
このようにスタメン野手の個人成績だけみると,何故最下位?と思ってしまう・・。チームとしての徹底した攻撃を繰り広げられなかったのかも知れない。
終わりに これまでのスワローズを支えてきた古田敦也が引退,高津臣吾は戦力外通告を受け退団,石井一久はFAを宣言し西武に移籍,ラミレスとグライシンガーは残留交渉がまとまらず巨人に移籍することになった・・。
前・北海道日本ハムGMの高田繁氏が新監督に就任。 本拠地神宮球場もスコアボードが一新され,人工芝も張替えられ,両翼も10メートルずつ拡張される。ドラフトでは,甲子園史上最速となる155`をマークした仙台育英高校・佐藤由規,慶応大学で4年間通産30勝を挙げた左腕・加藤幹典の獲得に成功。下位でも鬼崎裕司,中尾敏浩,三輪正義と俊足の選手を相次いで指名。さらにFA移籍した石井一の人的補償として足のスペシャリストである福地寿樹を獲得した。
2008年。まさに新しく生まれ変わる東京ヤクルトスワローズ。足を絡めたスピード感溢れる野球で,21年ぶりの最下位からの雪辱を誓う。