2005年12月25日

総括1999-2005−若松政権7年間を振り返って‥‥

 1998年オフ。優勝4回・日本一3回というヤクルト【黄金時代】を築いた野村克也監督に代わり、就任した若松勉監督。その若松監督が2005年10月14日をもって、7シーズンの監督生活にピリオドを打つことになりました・・。そこで、「若松政権7年間を振り返って・・・」と題し、若松監督の指揮した7年間を振り返ってみようと思います。
 口数こそ少ない監督でしたが、2001年優勝時の「ファンの皆さん、えぇ〜、あのぉぉ〜、本当に、あの、お、おめでとうございます!」の名言。そして、相次ぐ主力の流出の中球団史上初の4年連続Aクラス入りを成し遂げた選手起用。最後は選手に痛い腰を気遣われての胴上げ。。。
 監督通産500勝には惜しくも届きませんでしたが、496勝は元西武・東尾修監督を上回り、歴代26位に入る、まさに”名将”の一人と相成りました。

監 督 名試合勝利敗戦引分勝率優勝日本一
1鶴岡 一人29941773114081.60911(2)2
2三原   脩324516871450108.5386(1)4
3藤本 定義32001657145093.5339(7)0
4水原   茂27781585111873.58695
5西本 幸雄266513841163118.54380
6上田 利治257413221136116.53853
7野村 克也26351309126165.50953
8別当   薫249712371156104.51700
9王   貞治2139113394264.54642
10川上 哲治1868106674161.5901111
11長嶋 茂雄1982103488959.53852
12仰木   彬185698881553.54831
13星野 仙一174191978933.53830
14古葉 竹識1801873791137.52543
15森   祗晶143678558368.57486
16中西   太163974881081.48010
17大沢 啓二154772572399.50110
18山本 浩二135964968129.48810
19松木謙治郎125562860225.51100
20根本 陸夫135159868766.46500
21白石 勝巳136158373642.44200
22浜崎 真二120353563929.45600
23石本 秀一111552855334.4882(2)0
24藤田 元司91051636133.58842
25広岡 達朗96649840662.55143
26若松   勉97549646118.51811
27東尾   修93748943523.53520
28吉田 義男105148451156.48611
29金田 正一101147146872.50211
30近藤 貞雄105047052159.47410

優勝の( )内は、うち1リーグ時代の回数。2005年シーズン終了現在。

 ちなみにこの7年間のセ・リーグのペナンとレースを振り返ってみますと、2001年のヤクルトを除けば、巨人中日阪神がそれぞれ2度優勝。阪神横浜は3年連続最下位。広島も7年連続Aクラス。勝率こそ、巨人中日>に劣りましたが、その巨人中日でもあった5位を経験せず、最低でも4位に留まったのはヤクルトのみですから、長期にわたって安定した戦いを繰り広げてきたことは間違いありません!
 そして何より特筆すべき点は、ヤクルト若松勉監督は7年間の長期にわたり監督業を全うした。他チームを見てみれば、巨人長嶋茂雄(1999-2001)−原辰徳(2002-2003)−堀内恒夫(2004-2005)。中日星野仙一(1999-2001)−山田久志(2002-2003)−落合博満(2004-)。阪神野村克也(1999-2001)−星野仙一(2002-2003)−岡田彰布(2004-)。広島達川光男(1999-2000)−山本浩二(2001-2005)。横浜権藤博(1999-2000)−森祗晶(2001-2002)−山下大輔(2003-2004)−牛島和彦(2005-)と5チームで延べ15人が指揮を執ったという状況下でありますから、その偉業さが分かるはずです。

通産成績(1999年-2005年)
チーム試合勝利敗北引分勝率
首位巨 人97451844214.540-
2位中 日97451344714.5345.0
3位ヤクル97549646118.51815.5
4位阪 神97547548317.49621.5
5位広 島97543951719.45935.0
6位横 浜97543152321.4527.0


1999年2000年2001年2002年2003年2004年2005年
81540.60078570.57876586.56786522.62387512.63079563.58587545.617
75600.55670650.51975632.54374624.54473661.52572642.52979661.545
71640.52669661.51169674.50769665.51171663.51871643.52669707.496
66690.48966691.48968657.51166704.48571663.51866702.48571732.493
57780.42265701.48162744.45664724.47167712.48660771.43862804.437
55800.40757781.42257803.41649865.36345941.32459763.43758844.408


 では続いて選手成績を、投手と野手に分け見てみましょう。こうしてまとめると”時の流れ”ってものを感じられずにはいられませんね・・・

−投手編−【当該シーズン先発経験のある投手〜中継ぎ〜抑え。勝利順。数字は勝-敗-S】
1999年 66勝69敗0分
ハッカミー12-6高 木9-8石井一8-6伊 藤8-3川 崎7-11山 部6-7
宮 出2-4田 畑1-5廣 田3-3岡 林1-2石井弘0-1加 藤0-2
高橋一0-0バチェラー0-0山 崎0-0五十嵐6-4-1山 本2-6-3高 津1-1-30
2000年 66勝69敗1分
石井一10-9ハッカミー8-6伊藤智8-7川 崎8-10石井弘4-3宮 出3-1
レモン3-7高 木2-8前 田2-2山 部1-3岡 林1-0本 間3-2
藤 井1-0高橋一0-1松 田0-0五十嵐11-4-1山 本1-5-1高 津0-1-29
2001年 76勝58敗6分
藤 井14-8石井一12-6入 来10-3前 田7-10ホッジス5-3山 部4-2
ニューマン3-4寺 村2-1本 間2-0ハースト1-1鎌 田1-0平 本0-1
河 端3-2五十嵐2-3松 田2-0山 本6-3-1石井弘2-3-1高 津0-4-37
2002年 74勝62敗4分
ホッジス17-8石 川12-9藤 井10-9山 部5-3坂 元3-9鎌 田3-2
前 田3-1ニューマン2-3入 来1-3萩 原0-20-1花 田1-0
河 端3-3松 田0-2山 本0-0五十嵐亮8-2-4石 井6-2-5高 津0-2-32
2003年 71勝66敗3分
石 川12-11ベバリン8-4鎌 田6-7ホッジス5-9佐藤秀5-4高 井5-6
坂 元4-1石 堂4-1花 田3-11-3館 山0-3前 田0-1
河 端2-3山 部2-0山 本1-3五十嵐亮5-5-0石 井6-1-1高 津2-3-34
2004年 72勝64敗2分
石 川11-11川 島10-4ベバリン9-11石 堂6-7藤 井4-6ゴンザレス4-2
坂 元4-2高 井4-2マウンス3-6鎌 田1-3河 端3-1杉 本1-0
田 中1-0山 部0-1平 本0-1山 本2-2-0石 井4-2-5五十嵐亮5-3-37
2005年 71勝73敗2分
石 川10-8館 山10-6藤 井10-12川 島9-10ガトームソン8-5ゴンザレス4-6
高 井4-4河 端2-5石 堂1-2松 岡1-2坂 元1-2丸山貴0-0
花 田0-1山 本1-0山 部0-2吉 川3-3-0五十嵐3-2-4石 井4-3-36

 1999年〜2000年はなんと言っても石井一久・伊藤智仁・川崎憲次郎の強力3本柱で、松井・清原・江藤・マルティネスといった4番ばかりの巨人打線に立ち向かっていったのが印象的です。J・ハッカミーも、キッチリ試合を作ってくれる投手でしたね・・。ダイエーを解雇された高木晃次の先発起用も印象的でした。山部太は苦労しましたね。さらにはリードした展開で投入するも、同点に追いつかれ、その裏見方が再逆転する、神がかり的なツキを擁していた20歳の新鋭五十嵐亮太。今から思えば、これだけの投手陣を要していたのに何で勝てなかったんだろう?ってチョット不思議でなりません・・・
 ところが、2000年オフに川崎、ハッカミーが相次いで退団。そして伊藤智もが故障で離脱した2001年。大卒2年目の藤井秀悟、巨人を解雇になった入来智、オリックスを解雇になりテスト入団した前田浩継を相次いで抜擢し、下馬評を覆し見事4年ぶりのセ・リーグ制覇を果たしてくれました!
 石井一がメジャーに移籍した2002年は、最多勝を獲得しエースの称号を手にした藤井を中心に、前年途中入団のK・ホッジスが中4日で大車輪の活躍で最多勝、さらにはルーキー石川雅規も10勝を挙げるものの、入来前田はサッパリ勝てず、連覇はなりませんでした、、、
 藤井が左肘にメスを入れるという投手生命の危機に瀕し、2003年を境に、「投手力が弱い・・・」と叫ばれるようになりました。しかしながら、4月に加入したJ・ベバリン、ルーキー高井雄平、3年目の鎌田祐哉坂元弥太郎、西武を解雇になった佐藤秀樹、さらには度重なる怪我に泣かされてきた松坂世代のドラフト1位・石堂克利の4年越しの初勝利など、ベテラン・若手を広く起用し、最終戦で勝利を収め、巨人と同率の3位に食い込み、3年連続Aクラスを果たしました。翌2004年は、八戸大から自由枠で獲得した川島亮が期待通りの働きを見せ、見事新人王を獲得、藤井の復活、7月上旬に合流したD・ゴンザレスも小さな怪我を繰り返すも、来期に目処がたつピッチングを展開し、球団史上初の4年連続Aクラスに輝きました。
 1勝の差で5年連続Aクラスはならなかったもの、2005年は初勝利から一気に二ケタ勝利を果たした館山昌平、途中加入のD・ガトームソン。さらに9月に入ってルーキー松岡健一丸山貴史を先発抜擢するなど、先発投手陣の顔ぶれは一気に若返った印象があります。
 中継ぎ陣では、五十嵐山本樹が当然ながら年や時期によって好不調の波はありましたが、ほぼ7年間通して働き続け、2001年以降は河端龍も中継ぎとして、僅差の展開でキッチリ仕事をしてくれました。2005年は吉川昌宏が一軍定着を果たし、巨人戦では防御率0.00を記録。そして忘れてならないのは石井弘寿。彼は、若松監督就任元年には打力を生かすための「打者転向説」もあったくらいコントロールに苦しんでいました・・・ところが、当時の小谷正勝投手コーチの指導もあり、年々コントロールが向上!いつしか五十嵐とともに「ロケットボーイズ」の称号を得て、アテネ五輪でも活躍、2005年はセットアッパーから守護神の座を射止め、日本を代表する投手に!サウスポーのセットアッパーに、メジャー数球団から目をつけられてます、、、この7年間で最も成長した投手でしょう。
 そして忘れてはならない高津臣吾。実働5年で162セーブ。1997〜1998年の2年間で10セーブしか上げられなかったのですから、彼も若松監督によって見事に生き返ったといえるでしょう。
 外国人助っ投に恵まれたこと毎年安定した抑え投手の確立されたことが大きかったですね。

−野手編−【(上段):前半戦、(下段):後半戦において最も多かったオーダー】
1999年 66勝69敗0分
(8)真 中

(8)飯 田
(4)土 橋(2)古 田(3)ペタジーニ(5)池 山(9)スミス(7)高橋智(6)宮 本
(6)宮 本(7)佐 藤(2)古 田(9)稲 葉(5)岩 村(4)馬 場
2000年 66勝69敗1分
(8)真 中

(8)飯 田
(4)土 橋(9)佐 藤(3)ペタジーニ(2)古 田(7)高橋智(5)岩 村(6)宮 本
(9)稲 葉(7)副 島
2001年 76勝58敗6分
(8)真 中(6)宮 本(9)稲 葉(3)ペタジーニ(2)古 田(5)岩 村(7)ラミレス(4)土 橋
(7)ラミレス(4)土 橋(2)小 野
2002年 74勝62敗4分
(8)真 中

(8)飯 田
(6)宮 本(7)佐 藤(3)ペタジーニ(2)古 田(5)岩 村(7)ラミレス(4)城 石
(9)稲 葉(7)ラミレス(2)古 田
2003年 71勝66敗3分
(8)稲 葉(6)宮 本(3)ベッツ(7)ラミレス(5)鈴 木(2)古 田(9)真 中(4)土 橋
(8)真 中(5)岩 村(3)鈴 木(9)宮 出(4)城 石
2004年 72勝64敗2分
(8)稲 葉(6)宮 本(5)岩 村(7)ラミレス(3)鈴 木(2)古 田(9)マーチン(4)城 石
(9)真 中(2)古 田(7)ラミレス(3)鈴 木(8)稲 葉(4)土 橋
2005年 71勝73敗2分
(6)宮 本(8)青 木(5)岩 村(7)ラミレス(3)鈴 木(2)古 田(9)真 中(4)土 橋
(8)青 木(6)宮 本(9)宮 出(3)リグス(2)小 野(4)城 石


 野手に目を転じれば、あまり代わり映えがしないというのが率直な感想でしょうか!?
 キャッチャー:古田敦也でサブに青柳進小野公誠米野智人

 内野陣:ファーストには球団史上最強助っ人R・ペタジーニ。金銭面でヤクルトを退団し巨人に移籍後は西武から移籍してきた鈴木健がしっかりカバーし、2005年後半はA・リグス。ほぼ例年土橋勝征城石憲之の併用が続いたセカンド。2000年後半以降池山隆寛から完全にサードのレギュラーの座を奪い取った岩村明憲。ショートは宮本慎也がほぼ毎年フル出場。代打の切り札・内外野のユーティリティとして度会博文、脚のスペシャリストで守備も堅実な三木肇

 外野:高橋智佐藤真一の両ベテラン中心だったレフトが2001年以降A・ラミレスで不動。1番センターは先発投手によって真中満飯田哲也を使い分け、志田宗大も貴重なサブプレーヤー。ライトに稲葉篤紀稲葉は開幕直後極度の不振に陥る事があり、副島孔太が穴を埋めました。

 この中で特筆すべきは、宮本だと思います。若松監督就任直後はあくまで【守備の人】で、8番という打順が示しているように打撃はあまり期待されていなかった、、、ところが、2000年の最終戦で3割を達成し、翌2001年からは2番打者として、犠打の日本記録も樹立し、2003年11月のアテネ五輪アジア最終予選からは、日本代表の主将として、強烈なリーダーシップを発揮!球界からの多大な人望を集める選手となりました。投が石井弘なら、野手は宮本が、7年間で最も成長した選手だと思います。
 そして忘れてはならない、2005年の青木宣親の抜擢!飯田稲葉の退団でポッカリ空いた外野の枠。「あの守備は外せないよ・・」監督のコメントが印象的です。開幕直後は一軍のスピードについていけず、三振を量産。打線も1番・宮本と3番・岩村の間をバッサリと寸断していました。。でも若松監督は使い続けた。そして、交流戦以降は周知の活躍。あのイチロー以来、セ・リーグでは史上初の200安打を達成!!若松監督の目は確かでした。
 宮出隆自は投手編にも名前があるように、監督就任当時はピッチャーだったんですよねぇ・・・一時期はローテーションにも入って2年間で5勝(5敗)を挙げている!2001年も開幕一軍でしたが、足首を故障、、、そこで野手転向となりました。元々打力には定評があった。あの巨人・上原からフェンス直撃打を放ったり、1イニング連続安打に投手として貢献していたり。でも実際決断には勇気が必要だったと思われます。自打球で骨折とシーズン終盤を棒にふってしまったものの、監督も「5番打者として最後まで使うつもりだった」と、その秘めた力は監督も一目置いていました。さすが「小さな大打者」野手を見る目は確かです。
 ただ監督は、メンバーの固定に頑固にこだわりましたそれ故選手の入れ替えが少なかった・・・。というのが唯一の不満です。ま、二軍にそれだけの選手が居なかったといえばそれまでなんでしょうが・・・

 来る者あれば去る者あり・・・。7年間のスワローズの支配化選手異動状況をみていこうと思います。

−支配下選手編−
1999年
石堂 克利牧谷宇佐美橿渕   聡本郷 宏樹小早川毅彦辻  発彦押尾 健一カツノリ
河端  龍高橋 一正丹野 祐樹丹波 幹夫廣田 浩章北川 哲也住友 健人高梨 利洋
高橋  智ツギオユウイチ松元   繁増田 政行津川  力高橋 郁雄
ペタジーニスミスハッカミーバチェラーエーカースミスバチェラー
2000年
野口 祥順藤井 秀悟米野 智人細見 直樹川崎憲次郎馬場 敏史岡林 洋一斎藤 充弘
花田 真人本間   忠田畑 一也山崎 貴弘加藤 博人
前田 浩継衣川 幸夫代田 建紀伊藤   彰宇佐美康弘
ロブロレモンリーゴハッカミーロブロレモン
2001年
平本   学鎌田 祐哉松谷 秀幸坂元弥太郎石井 一久阿部 茂樹
畠山 和洋高木 晃次三上 真司大脇 浩二大山 貴広
寺村 友和島田 直也入来  智高橋   智
ラミレスニューマンハーストホッジスハースト
2002年
石川 雅規梶本 勇介内田 和也福川 将和池山 隆寛青柳  進丹野 祐樹
萩原多賀彦五十嵐貴章志田 宗大副島 孔太寺村 友和代田 建紀島田 直也
浜名 千広戎  信行入来   智高橋 一正丹波 幹夫
ペタジーニニューマンリーゴ
2003年
高井 雄平館山 昌平泉   正義大原 秉秀高津 臣吾
片山 文男高橋 敏郎吉川 昌宏小森 考憲伊藤 智仁松田 慎司橿渕   聡
久保田 智大塚   淳鈴木   健浜名 千広戎   信行衣川 幸夫
成本 年秀佐藤 秀樹ベッツベバリンホッジスベッツツギオ
2004年
川島   亮山田 裕司青木 宣親吉田 幸央稲葉 篤紀鮫島 秀旗
佐藤   賢前田 浩継飯田 哲也
杉本  友田中  充丸山 泰嗣成本 年秀佐藤 秀樹五十嵐貴章吉田 幸央
マーチンマウンスゴンザレスベバリンマーチンマウンス
2005年
田中 浩康松岡 健一川本 良平上原厚治郎佐藤 真一
丸山 貴史萩原多賀彦泉   正義本郷 宏樹杉本   友
三澤 興一宇野 雅美山本   樹小森 考憲片山 文男
リグスラミレス.Jrガトームソン
入 団退 団
ドラフトトレード入団現役引退トレード退団
外国人テスト入団FA移籍戦力外通告


 1999年のオフは野村色の一層を図った感がありますねぇ。野村再生工場で甦った小早川毅彦辻発彦廣田浩章らのベテラン勢を一掃。極めつけはあのカツノリまでヤクルトに居たんですからねぇえぇ(苦笑)。阪神へ移籍。そしてまた来年から東北で再び親子で同じユニフォームですか・・(笑)
新人選手としては石川川島青木の3人が見事新人王を獲得!!石堂河端藤井花田真人志田館山佐藤賢など今や一軍に欠かせない戦力となっている選手です。野口祥順畠山和洋梶本勇介大原秉秀田中浩康は次代のスワローズを支える内野陣としてその飛躍が待たれます。米野細見直樹福川将和高橋敏郎川本良平の中から、次代の正捕手の座をつかむのは一体誰になるのでしょうか?
 しかしながらその一方では、伊藤彰三上真司高橋一正丹野祐樹など、高卒で入団してきた選手が、3〜4年で解雇されてしまうという厳しい現実も毎年のように見せつけられるようになりました。その中には泉正義片山文男吉田幸央らのように高校時代からの故障・持病に泣かされた選手もいましたが、ドラフトの指名方針、ファームの育成能力に疑問を感じてしまいまする、、、「見切りをつけるなら若いうちが良い」近年、このような球界の『暗黙の了解』が出来つつあるような気がします。果たしてそれで本当に良いのでしょうか・・・

 外国人選手では、ペタジーニラミレスリグスを除けば、M・スミスT・ロブロT・ベッツB・マーチンは皆1年限りでした。一方の投手は、ハッカミーホッジスベバリンの3人で延べ64勝。D・レモンA・ニューマンJ・ハーストT・マウンスといった投手もまた1勝〜3勝を挙げてくれたのですが、、、1999年途中入団のR・バチェラーただ一人だけ7試合登板0勝0敗防御率7.94という記憶にも残らない酷い成績を残し、シーズン途中帰国して行きましたとさ、、、。
 若松監督就任元年から育成を目指して獲得していったブラジル出身のユウイチ松元ツギオ佐藤リーゴ宮本の3選手でしたが、最終的に残ったのは残念ながらユウイチただ一人でした。外国人枠の関係で一軍登録に恵まれなかったものの、2004年に帰化を果たして以降は、見事一軍で活躍してくれています。一応の成果は収めたということになるのでしょうか。

 移籍選手では、移籍元年に見事活躍した高橋智入来佐藤秀鈴木健が印象的です。ただ在籍は長くて3年。”外様”には厳しいですね・・・。成立した交換トレードとしては、田畑一也代田建紀衣川幸夫山崎貴弘寺村友和副島戎信行前田田中充丸山泰嗣の4例でした。副島の放出は全く解せないものでした・・。金銭トレードでは、カツノリを始め、加藤博人寺村を放出、浜名千広鈴木を獲得しました。飯田は楽天への無償トレードという形での放出となりました。コーチとして再びスワローズのユニフォームに袖を通してくれることを願います。

 そしてこの7年間の間に 石井一高津はメジャーへ行き、稲葉は日本ハムへFA移籍。岡林洋一池山伊藤智川崎佐藤真らがユニホームを脱ぎました。選手にとって『引退』の二文字は避けては通れないものですが、1990年代の主力が相次いで移籍/引退を表明していくのは、やはり寂しいものでした。
 押尾健一丹野は打撃投手、阿部茂樹鮫島秀旗はブルペン捕手、橿渕聡はスカウト、斎藤充弘松田慎司は裏方として現在は影でチームを支えてくれています。馬場敏史成本年秀は一軍コーチとして古田内閣を支えることになります。これはこれでまた感慨深いものです・・。

 7年間という歳月はこうしてみても実に長いものです。そして、2006年からは、新たに古田選手兼監督率いるスワローズへと引き継がれます。どんなチームになるのか、今から楽しみでなりません。
 でもその前に今一度改めて”名将”若松勉に感謝の言葉を・・、
 若松監督7年間本当にお疲れ様でした。そしてありがとうございました。
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2005年12月21日

ヤクルトがラロッカ獲得

 ヤクルトは21日、広島を自由契約になったグレッグ・ラロッカ内野手(33)の獲得を発表した。推定年俸は75万ドル(約8800万円)。今季は80試合出場で、打率3割3厘、18本塁打だった。
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2005年12月06日

木田がヤクルトへの入団会見

 5季ぶりに日本球界に復帰する木田優夫投手(37)のヤクルトへの入団会見が6日、東京都内の球団事務所であり、「古田監督から『中継ぎで、死ぬ気で投げてください』と言われた。毎試合投げるつもりでがんばる」と抱負を語った。推定年俸は2500万円プラス出来高払いで、背番号は「41」。
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