口数こそ少ない監督でしたが、2001年優勝時の「ファンの皆さん、えぇ〜、あのぉぉ〜、本当に、あの、お、おめでとうございます!」の名言。そして、相次ぐ主力の流出の中球団史上初の4年連続Aクラス入りを成し遂げた選手起用。最後は選手に痛い腰を気遣われての胴上げ。。。
監督通産500勝には惜しくも届きませんでしたが、496勝は元西武・東尾修監督を上回り、歴代26位に入る、まさに”名将”の一人と相成りました。
監 督 名 | 試合 | 勝利 | 敗戦 | 引分 | 勝率 | 優勝 | 日本一 | |
1 | 鶴岡 一人 | 2994 | 1773 | 1140 | 81 | .609 | 11(2) | 2 |
2 | 三原 脩 | 3245 | 1687 | 1450 | 108 | .538 | 6(1) | 4 |
3 | 藤本 定義 | 3200 | 1657 | 1450 | 93 | .533 | 9(7) | 0 |
4 | 水原 茂 | 2778 | 1585 | 1118 | 73 | .586 | 9 | 5 |
5 | 西本 幸雄 | 2665 | 1384 | 1163 | 118 | .543 | 8 | 0 |
6 | 上田 利治 | 2574 | 1322 | 1136 | 116 | .538 | 5 | 3 |
7 | 野村 克也 | 2635 | 1309 | 1261 | 65 | .509 | 5 | 3 |
8 | 別当 薫 | 2497 | 1237 | 1156 | 104 | .517 | 0 | 0 |
9 | 王 貞治 | 2139 | 1133 | 942 | 64 | .546 | 4 | 2 |
10 | 川上 哲治 | 1868 | 1066 | 741 | 61 | .590 | 11 | 11 |
11 | 長嶋 茂雄 | 1982 | 1034 | 889 | 59 | .538 | 5 | 2 |
12 | 仰木 彬 | 1856 | 988 | 815 | 53 | .548 | 3 | 1 |
13 | 星野 仙一 | 1741 | 919 | 789 | 33 | .538 | 3 | 0 |
14 | 古葉 竹識 | 1801 | 873 | 791 | 137 | .525 | 4 | 3 |
15 | 森 祗晶 | 1436 | 785 | 583 | 68 | .574 | 8 | 6 |
16 | 中西 太 | 1639 | 748 | 810 | 81 | .480 | 1 | 0 |
17 | 大沢 啓二 | 1547 | 725 | 723 | 99 | .501 | 1 | 0 |
18 | 山本 浩二 | 1359 | 649 | 681 | 29 | .488 | 1 | 0 |
19 | 松木謙治郎 | 1255 | 628 | 602 | 25 | .511 | 0 | 0 |
20 | 根本 陸夫 | 1351 | 598 | 687 | 66 | .465 | 0 | 0 |
21 | 白石 勝巳 | 1361 | 583 | 736 | 42 | .442 | 0 | 0 |
22 | 浜崎 真二 | 1203 | 535 | 639 | 29 | .456 | 0 | 0 |
23 | 石本 秀一 | 1115 | 528 | 553 | 34 | .488 | 2(2) | 0 |
24 | 藤田 元司 | 910 | 516 | 361 | 33 | .588 | 4 | 2 |
25 | 広岡 達朗 | 966 | 498 | 406 | 62 | .551 | 4 | 3 |
26 | 若松 勉 | 975 | 496 | 461 | 18 | .518 | 1 | 1 |
27 | 東尾 修 | 937 | 489 | 435 | 23 | .535 | 2 | 0 |
28 | 吉田 義男 | 1051 | 484 | 511 | 56 | .486 | 1 | 1 |
29 | 金田 正一 | 1011 | 471 | 468 | 72 | .502 | 1 | 1 |
30 | 近藤 貞雄 | 1050 | 470 | 521 | 59 | .474 | 1 | 0 |
優勝の( )内は、うち1リーグ時代の回数。2005年シーズン終了現在。
ちなみにこの7年間のセ・リーグのペナンとレースを振り返ってみますと、2001年のヤクルトを除けば、巨人・中日・阪神がそれぞれ2度優勝。阪神と横浜は3年連続最下位。広島も7年連続Aクラス。勝率こそ、巨人・中日>に劣りましたが、その巨人・中日でもあった5位を経験せず、最低でも4位に留まったのはヤクルトのみですから、長期にわたって安定した戦いを繰り広げてきたことは間違いありません!
そして何より特筆すべき点は、ヤクルト若松勉監督は7年間の長期にわたり監督業を全うした。他チームを見てみれば、巨人長嶋茂雄(1999-2001)−原辰徳(2002-2003)−堀内恒夫(2004-2005)。中日星野仙一(1999-2001)−山田久志(2002-2003)−落合博満(2004-)。阪神野村克也(1999-2001)−星野仙一(2002-2003)−岡田彰布(2004-)。広島達川光男(1999-2000)−山本浩二(2001-2005)。横浜権藤博(1999-2000)−森祗晶(2001-2002)−山下大輔(2003-2004)−牛島和彦(2005-)と5チームで延べ15人が指揮を執ったという状況下でありますから、その偉業さが分かるはずです。
通産成績(1999年-2005年) | |||||||
チーム | 試合 | 勝利 | 敗北 | 引分 | 勝率 | 差 | |
首位 | 巨 人 | 974 | 518 | 442 | 14 | .540 | - |
2位 | 中 日 | 974 | 513 | 447 | 14 | .534 | 5.0 |
3位 | ヤクル | 975 | 496 | 461 | 18 | .518 | 15.5 |
4位 | 阪 神 | 975 | 475 | 483 | 17 | .496 | 21.5 |
5位 | 広 島 | 975 | 439 | 517 | 19 | .459 | 35.0 |
6位 | 横 浜 | 975 | 431 | 523 | 21 | .452 | 7.0 |
1999年 | 2000年 | 2001年 | 2002年 | 2003年 | 2004年 | 2005年 | |||||||||||||||||||||||||||
勝 | 敗 | 分 | 率 | 勝 | 敗 | 分 | 率 | 勝 | 敗 | 分 | 率 | 勝 | 敗 | 分 | 率 | 勝 | 敗 | 分 | 率 | 勝 | 敗 | 分 | 率 | 勝 | 敗 | 分 | 率 | ||||||
81 | 54 | 0 | .600 | 78 | 57 | 0 | .578 | 76 | 58 | 6 | .567 | 86 | 52 | 2 | .623 | 87 | 51 | 2 | .630 | 79 | 56 | 3 | .585 | 87 | 54 | 5 | .617 | ||||||
75 | 60 | 0 | .556 | 70 | 65 | 0 | .519 | 75 | 63 | 2 | .543 | 74 | 62 | 4 | .544 | 73 | 66 | 1 | .525 | 72 | 64 | 2 | .529 | 79 | 66 | 1 | .545 | ||||||
71 | 64 | 0 | .526 | 69 | 66 | 1 | .511 | 69 | 67 | 4 | .507 | 69 | 66 | 5 | .511 | 71 | 66 | 3 | .518 | 71 | 64 | 3 | .526 | 69 | 70 | 7 | .496 | ||||||
66 | 69 | 0 | .489 | 66 | 69 | 1 | .489 | 68 | 65 | 7 | .511 | 66 | 70 | 4 | .485 | 71 | 66 | 3 | .518 | 66 | 70 | 2 | .485 | 71 | 73 | 2 | .493 | ||||||
57 | 78 | 0 | .422 | 65 | 70 | 1 | .481 | 62 | 74 | 4 | .456 | 64 | 72 | 4 | .471 | 67 | 71 | 2 | .486 | 60 | 77 | 1 | .438 | 62 | 80 | 4 | .437 | ||||||
55 | 80 | 0 | .407 | 57 | 78 | 1 | .422 | 57 | 80 | 3 | .416 | 49 | 86 | 5 | .363 | 45 | 94 | 1 | .324 | 59 | 76 | 3 | .437 | 58 | 84 | 4 | .408 |
では続いて選手成績を、投手と野手に分け見てみましょう。こうしてまとめると”時の流れ”ってものを感じられずにはいられませんね・・・
−投手編−【当該シーズン先発経験のある投手〜中継ぎ〜抑え。勝利順。数字は勝-敗-S】
1999年 66勝69敗0分 | |||||||||||
ハッカミー | 12-6 | 高 木 | 9-8 | 石井一 | 8-6 | 伊 藤 | 8-3 | 川 崎 | 7-11 | 山 部 | 6-7 |
宮 出 | 2-4 | 田 畑 | 1-5 | 廣 田 | 3-3 | 岡 林 | 1-2 | 石井弘 | 0-1 | 加 藤 | 0-2 |
高橋一 | 0-0 | バチェラー | 0-0 | 山 崎 | 0-0 | 五十嵐 | 6-4-1 | 山 本 | 2-6-3 | 高 津 | 1-1-30 |
2000年 66勝69敗1分 | |||||||||||
石井一 | 10-9 | ハッカミー | 8-6 | 伊藤智 | 8-7 | 川 崎 | 8-10 | 石井弘 | 4-3 | 宮 出 | 3-1 |
レモン | 3-7 | 高 木 | 2-8 | 前 田 | 2-2 | 山 部 | 1-3 | 岡 林 | 1-0 | 本 間 | 3-2 |
藤 井 | 1-0 | 高橋一 | 0-1 | 松 田 | 0-0 | 五十嵐 | 11-4-1 | 山 本 | 1-5-1 | 高 津 | 0-1-29 |
2001年 76勝58敗6分 | |||||||||||
藤 井 | 14-8 | 石井一 | 12-6 | 入 来 | 10-3 | 前 田 | 7-10 | ホッジス | 5-3 | 山 部 | 4-2 |
ニューマン | 3-4 | 寺 村 | 2-1 | 本 間 | 2-0 | ハースト | 1-1 | 鎌 田 | 1-0 | 平 本 | 0-1 |
河 端 | 3-2 | 五十嵐 | 2-3 | 松 田 | 2-0 | 山 本 | 6-3-1 | 石井弘 | 2-3-1 | 高 津 | 0-4-37 |
2002年 74勝62敗4分 | |||||||||||
ホッジス | 17-8 | 石 川 | 12-9 | 藤 井 | 10-9 | 山 部 | 5-3 | 坂 元 | 3-9 | 鎌 田 | 3-2 |
前 田 | 3-1 | ニューマン | 2-3 | 入 来 | 1-3 | 萩 原 | 0-2 | 戎 | 0-1 | 花 田 | 1-0 |
河 端 | 3-3 | 松 田 | 0-2 | 山 本 | 0-0 | 五十嵐亮 | 8-2-4 | 石 井 | 6-2-5 | 高 津 | 0-2-32 |
2003年 71勝66敗3分 | |||||||||||
石 川 | 12-11 | ベバリン | 8-4 | 鎌 田 | 6-7 | ホッジス | 5-9 | 佐藤秀 | 5-4 | 高 井 | 5-6 |
坂 元 | 4-1 | 石 堂 | 4-1 | 花 田 | 3-1 | 戎 | 1-3 | 館 山 | 0-3 | 前 田 | 0-1 |
河 端 | 2-3 | 山 部 | 2-0 | 山 本 | 1-3 | 五十嵐亮 | 5-5-0 | 石 井 | 6-1-1 | 高 津 | 2-3-34 |
2004年 72勝64敗2分 | |||||||||||
石 川 | 11-11 | 川 島 | 10-4 | ベバリン | 9-11 | 石 堂 | 6-7 | 藤 井 | 4-6 | ゴンザレス | 4-2 |
坂 元 | 4-2 | 高 井 | 4-2 | マウンス | 3-6 | 鎌 田 | 1-3 | 河 端 | 3-1 | 杉 本 | 1-0 |
田 中 | 1-0 | 山 部 | 0-1 | 平 本 | 0-1 | 山 本 | 2-2-0 | 石 井 | 4-2-5 | 五十嵐亮 | 5-3-37 |
2005年 71勝73敗2分 | |||||||||||
石 川 | 10-8 | 館 山 | 10-6 | 藤 井 | 10-12 | 川 島 | 9-10 | ガトームソン | 8-5 | ゴンザレス | 4-6 |
高 井 | 4-4 | 河 端 | 2-5 | 石 堂 | 1-2 | 松 岡 | 1-2 | 坂 元 | 1-2 | 丸山貴 | 0-0 |
花 田 | 0-1 | 山 本 | 1-0 | 山 部 | 0-2 | 吉 川 | 3-3-0 | 五十嵐 | 3-2-4 | 石 井 | 4-3-36 |
1999年〜2000年はなんと言っても石井一久・伊藤智仁・川崎憲次郎の強力3本柱で、松井・清原・江藤・マルティネスといった4番ばかりの巨人打線に立ち向かっていったのが印象的です。J・ハッカミーも、キッチリ試合を作ってくれる投手でしたね・・。ダイエーを解雇された高木晃次の先発起用も印象的でした。山部太は苦労しましたね。さらにはリードした展開で投入するも、同点に追いつかれ、その裏見方が再逆転する、神がかり的なツキを擁していた20歳の新鋭五十嵐亮太。今から思えば、これだけの投手陣を要していたのに何で勝てなかったんだろう?ってチョット不思議でなりません・・・
ところが、2000年オフに川崎、ハッカミーが相次いで退団。そして伊藤智もが故障で離脱した2001年。大卒2年目の藤井秀悟、巨人を解雇になった入来智、オリックスを解雇になりテスト入団した前田浩継を相次いで抜擢し、下馬評を覆し見事4年ぶりのセ・リーグ制覇を果たしてくれました!
石井一がメジャーに移籍した2002年は、最多勝を獲得しエースの称号を手にした藤井を中心に、前年途中入団のK・ホッジスが中4日で大車輪の活躍で最多勝、さらにはルーキー石川雅規も10勝を挙げるものの、入来、前田はサッパリ勝てず、連覇はなりませんでした、、、
藤井が左肘にメスを入れるという投手生命の危機に瀕し、2003年を境に、「投手力が弱い・・・」と叫ばれるようになりました。しかしながら、4月に加入したJ・ベバリン、ルーキー高井雄平、3年目の鎌田祐哉、坂元弥太郎、西武を解雇になった佐藤秀樹、さらには度重なる怪我に泣かされてきた松坂世代のドラフト1位・石堂克利の4年越しの初勝利など、ベテラン・若手を広く起用し、最終戦で勝利を収め、巨人と同率の3位に食い込み、3年連続Aクラスを果たしました。翌2004年は、八戸大から自由枠で獲得した川島亮が期待通りの働きを見せ、見事新人王を獲得、藤井の復活、7月上旬に合流したD・ゴンザレスも小さな怪我を繰り返すも、来期に目処がたつピッチングを展開し、球団史上初の4年連続Aクラスに輝きました。
1勝の差で5年連続Aクラスはならなかったもの、2005年は初勝利から一気に二ケタ勝利を果たした館山昌平、途中加入のD・ガトームソン。さらに9月に入ってルーキー松岡健一、丸山貴史を先発抜擢するなど、先発投手陣の顔ぶれは一気に若返った印象があります。
中継ぎ陣では、五十嵐、山本樹が当然ながら年や時期によって好不調の波はありましたが、ほぼ7年間通して働き続け、2001年以降は河端龍も中継ぎとして、僅差の展開でキッチリ仕事をしてくれました。2005年は吉川昌宏が一軍定着を果たし、巨人戦では防御率0.00を記録。そして忘れてならないのは石井弘寿。彼は、若松監督就任元年には打力を生かすための「打者転向説」もあったくらいコントロールに苦しんでいました・・・ところが、当時の小谷正勝投手コーチの指導もあり、年々コントロールが向上!いつしか五十嵐とともに「ロケットボーイズ」の称号を得て、アテネ五輪でも活躍、2005年はセットアッパーから守護神の座を射止め、日本を代表する投手に!サウスポーのセットアッパーに、メジャー数球団から目をつけられてます、、、この7年間で最も成長した投手でしょう。
そして忘れてはならない高津臣吾。実働5年で162セーブ。1997〜1998年の2年間で10セーブしか上げられなかったのですから、彼も若松監督によって見事に生き返ったといえるでしょう。
外国人助っ投に恵まれたこと・毎年安定した抑え投手の確立されたことが大きかったですね。
−野手編−【(上段):前半戦、(下段):後半戦において最も多かったオーダー】
1999年 66勝69敗0分 | |||||||
(8)真 中 (8)飯 田 | (4)土 橋 | (2)古 田 | (3)ペタジーニ | (5)池 山 | (9)スミス | (7)高橋智 | (6)宮 本 |
(6)宮 本 | (7)佐 藤 | (2)古 田 | (9)稲 葉 | (5)岩 村 | (4)馬 場 | ||
2000年 66勝69敗1分 | |||||||
(8)真 中 (8)飯 田 | (4)土 橋 | (9)佐 藤 | (3)ペタジーニ | (2)古 田 | (7)高橋智 | (5)岩 村 | (6)宮 本 |
(9)稲 葉 | (7)副 島 | ||||||
2001年 76勝58敗6分 | |||||||
(8)真 中 | (6)宮 本 | (9)稲 葉 | (3)ペタジーニ | (2)古 田 | (5)岩 村 | (7)ラミレス | (4)土 橋 |
(7)ラミレス | (4)土 橋 | (2)小 野 | |||||
2002年 74勝62敗4分 | |||||||
(8)真 中 (8)飯 田 | (6)宮 本 | (7)佐 藤 | (3)ペタジーニ | (2)古 田 | (5)岩 村 | (7)ラミレス | (4)城 石 |
(9)稲 葉 | (7)ラミレス | (2)古 田 | |||||
2003年 71勝66敗3分 | |||||||
(8)稲 葉 | (6)宮 本 | (3)ベッツ | (7)ラミレス | (5)鈴 木 | (2)古 田 | (9)真 中 | (4)土 橋 |
(8)真 中 | (5)岩 村 | (3)鈴 木 | (9)宮 出 | (4)城 石 | |||
2004年 72勝64敗2分 | |||||||
(8)稲 葉 | (6)宮 本 | (5)岩 村 | (7)ラミレス | (3)鈴 木 | (2)古 田 | (9)マーチン | (4)城 石 |
(9)真 中 | (2)古 田 | (7)ラミレス | (3)鈴 木 | (8)稲 葉 | (4)土 橋 | ||
2005年 71勝73敗2分 | |||||||
(6)宮 本 | (8)青 木 | (5)岩 村 | (7)ラミレス | (3)鈴 木 | (2)古 田 | (9)真 中 | (4)土 橋 |
(8)青 木 | (6)宮 本 | (9)宮 出 | (3)リグス | (2)小 野 | (4)城 石 |
野手に目を転じれば、あまり代わり映えがしないというのが率直な感想でしょうか!?
キャッチャー:古田敦也でサブに青柳進、小野公誠、米野智人。
内野陣:ファーストには球団史上最強助っ人R・ペタジーニ。金銭面でヤクルトを退団し巨人に移籍後は西武から移籍してきた鈴木健がしっかりカバーし、2005年後半はA・リグス。ほぼ例年土橋勝征と城石憲之の併用が続いたセカンド。2000年後半以降池山隆寛から完全にサードのレギュラーの座を奪い取った岩村明憲。ショートは宮本慎也がほぼ毎年フル出場。代打の切り札・内外野のユーティリティとして度会博文、脚のスペシャリストで守備も堅実な三木肇。
外野:高橋智・佐藤真一の両ベテラン中心だったレフトが2001年以降A・ラミレスで不動。1番センターは先発投手によって真中満・飯田哲也を使い分け、志田宗大も貴重なサブプレーヤー。ライトに稲葉篤紀。稲葉は開幕直後極度の不振に陥る事があり、副島孔太が穴を埋めました。
この中で特筆すべきは、宮本だと思います。若松監督就任直後はあくまで【守備の人】で、8番という打順が示しているように打撃はあまり期待されていなかった、、、ところが、2000年の最終戦で3割を達成し、翌2001年からは2番打者として、犠打の日本記録も樹立し、2003年11月のアテネ五輪アジア最終予選からは、日本代表の主将として、強烈なリーダーシップを発揮!球界からの多大な人望を集める選手となりました。投が石井弘なら、野手は宮本が、7年間で最も成長した選手だと思います。
そして忘れてはならない、2005年の青木宣親の抜擢!飯田、稲葉の退団でポッカリ空いた外野の枠。「あの守備は外せないよ・・」監督のコメントが印象的です。開幕直後は一軍のスピードについていけず、三振を量産。打線も1番・宮本と3番・岩村の間をバッサリと寸断していました。。でも若松監督は使い続けた。そして、交流戦以降は周知の活躍。あのイチロー以来、セ・リーグでは史上初の200安打を達成!!若松監督の目は確かでした。
宮出隆自は投手編にも名前があるように、監督就任当時はピッチャーだったんですよねぇ・・・一時期はローテーションにも入って2年間で5勝(5敗)を挙げている!2001年も開幕一軍でしたが、足首を故障、、、そこで野手転向となりました。元々打力には定評があった。あの巨人・上原からフェンス直撃打を放ったり、1イニング連続安打に投手として貢献していたり。でも実際決断には勇気が必要だったと思われます。自打球で骨折とシーズン終盤を棒にふってしまったものの、監督も「5番打者として最後まで使うつもりだった」と、その秘めた力は監督も一目置いていました。さすが「小さな大打者」野手を見る目は確かです。
ただ監督は、メンバーの固定に頑固にこだわりました。それ故選手の入れ替えが少なかった・・・。というのが唯一の不満です。ま、二軍にそれだけの選手が居なかったといえばそれまでなんでしょうが・・・
来る者あれば去る者あり・・・。7年間のスワローズの支配化選手異動状況をみていこうと思います。
−支配下選手編−
1999年 | ||||||||
石堂 克利 | 牧谷宇佐美 | 橿渕 聡 | 本郷 宏樹 | 小早川毅彦 | 辻 発彦 | 押尾 健一 | カツノリ | |
河端 龍 | 高橋 一正 | 丹野 祐樹 | 丹波 幹夫 | 廣田 浩章 | 北川 哲也 | 住友 健人 | 高梨 利洋 | |
高橋 智 | ツギオ | ユウイチ | 松元 繁 | 増田 政行 | 津川 力 | 高橋 郁雄 | ||
ペタジーニ | スミス | ハッカミー | バチェラー | エーカー | スミス | バチェラー | ||
2000年 | ||||||||
野口 祥順 | 藤井 秀悟 | 米野 智人 | 細見 直樹 | 川崎憲次郎 | 馬場 敏史 | 岡林 洋一 | 斎藤 充弘 | |
花田 真人 | 本間 忠 | 田畑 一也 | 山崎 貴弘 | 加藤 博人 | ||||
前田 浩継 | 衣川 幸夫 | 代田 建紀 | 伊藤 彰 | 宇佐美康弘 | ||||
ロブロ | レモン | リーゴ | ハッカミー | ロブロ | レモン | |||
2001年 | ||||||||
平本 学 | 鎌田 祐哉 | 松谷 秀幸 | 坂元弥太郎 | 石井 一久 | 阿部 茂樹 | |||
畠山 和洋 | 高木 晃次 | 三上 真司 | 大脇 浩二 | 大山 貴広 | ||||
寺村 友和 | 島田 直也 | 入来 智 | 高橋 智 | |||||
ラミレス | ニューマン | ハースト | ホッジス | ハースト | ||||
2002年 | ||||||||
石川 雅規 | 梶本 勇介 | 内田 和也 | 福川 将和 | 池山 隆寛 | 青柳 進 | 丹野 祐樹 | ||
萩原多賀彦 | 五十嵐貴章 | 志田 宗大 | 副島 孔太 | 寺村 友和 | 代田 建紀 | 島田 直也 | ||
浜名 千広 | 戎 信行 | 入来 智 | 高橋 一正 | 丹波 幹夫 | ||||
ペタジーニ | ニューマン | リーゴ | ||||||
2003年 | ||||||||
高井 雄平 | 館山 昌平 | 泉 正義 | 大原 秉秀 | 高津 臣吾 | ||||
片山 文男 | 高橋 敏郎 | 吉川 昌宏 | 小森 考憲 | 伊藤 智仁 | 松田 慎司 | 橿渕 聡 | ||
久保田 智 | 大塚 淳 | 鈴木 健 | 浜名 千広 | 戎 信行 | 衣川 幸夫 | |||
成本 年秀 | 佐藤 秀樹 | ベッツ | ベバリン | ホッジス | ベッツ | ツギオ | ||
2004年 | ||||||||
川島 亮 | 山田 裕司 | 青木 宣親 | 吉田 幸央 | 稲葉 篤紀 | 鮫島 秀旗 | |||
佐藤 賢 | 前田 浩継 | 飯田 哲也 | ||||||
杉本 友 | 田中 充 | 丸山 泰嗣 | 成本 年秀 | 佐藤 秀樹 | 五十嵐貴章 | 吉田 幸央 | ||
マーチン | マウンス | ゴンザレス | ベバリン | マーチン | マウンス | |||
2005年 | ||||||||
田中 浩康 | 松岡 健一 | 川本 良平 | 上原厚治郎 | 佐藤 真一 | ||||
丸山 貴史 | 萩原多賀彦 | 泉 正義 | 本郷 宏樹 | 杉本 友 | ||||
三澤 興一 | 宇野 雅美 | 山本 樹 | 小森 考憲 | 片山 文男 | ||||
リグス | ラミレス.Jr | ガトームソン | ||||||
入 団 | 退 団 | |||||||
ドラフト | トレード入団 | 現役引退 | トレード退団 | |||||
外国人 | テスト入団 | FA移籍 | 戦力外通告 |
1999年のオフは野村色の一層を図った感がありますねぇ。野村再生工場で甦った小早川毅彦、辻発彦、廣田浩章らのベテラン勢を一掃。極めつけはあのカツノリまでヤクルトに居たんですからねぇえぇ(苦笑)。阪神へ移籍。そしてまた来年から東北で再び親子で同じユニフォームですか・・(笑)
新人選手としては石川、川島、青木の3人が見事新人王を獲得!!石堂、河端、藤井、花田真人、志田、館山、佐藤賢など今や一軍に欠かせない戦力となっている選手です。野口祥順、畠山和洋、梶本勇介、大原秉秀、田中浩康は次代のスワローズを支える内野陣としてその飛躍が待たれます。米野、細見直樹、福川将和、高橋敏郎、川本良平の中から、次代の正捕手の座をつかむのは一体誰になるのでしょうか?
しかしながらその一方では、伊藤彰、三上真司、高橋一正、丹野祐樹など、高卒で入団してきた選手が、3〜4年で解雇されてしまうという厳しい現実も毎年のように見せつけられるようになりました。その中には泉正義、片山文男、吉田幸央らのように高校時代からの故障・持病に泣かされた選手もいましたが、ドラフトの指名方針、ファームの育成能力に疑問を感じてしまいまする、、、「見切りをつけるなら若いうちが良い」近年、このような球界の『暗黙の了解』が出来つつあるような気がします。果たしてそれで本当に良いのでしょうか・・・
外国人選手では、ペタジーニ、ラミレス、リグスを除けば、M・スミス、T・ロブロ、T・ベッツ、B・マーチンは皆1年限りでした。一方の投手は、ハッカミー、ホッジス、ベバリンの3人で延べ64勝。D・レモン、A・ニューマン、J・ハースト、T・マウンスといった投手もまた1勝〜3勝を挙げてくれたのですが、、、1999年途中入団のR・バチェラーただ一人だけ7試合登板0勝0敗防御率7.94という記憶にも残らない酷い成績を残し、シーズン途中帰国して行きましたとさ、、、。
若松監督就任元年から育成を目指して獲得していったブラジル出身のユウイチ松元、ツギオ佐藤、リーゴ宮本の3選手でしたが、最終的に残ったのは残念ながらユウイチただ一人でした。外国人枠の関係で一軍登録に恵まれなかったものの、2004年に帰化を果たして以降は、見事一軍で活躍してくれています。一応の成果は収めたということになるのでしょうか。
移籍選手では、移籍元年に見事活躍した高橋智、入来、佐藤秀、鈴木健が印象的です。ただ在籍は長くて3年。”外様”には厳しいですね・・・。成立した交換トレードとしては、田畑一也⇔代田建紀・衣川幸夫、山崎貴弘⇔寺村友和、副島⇔戎信行、前田⇔田中充・丸山泰嗣の4例でした。副島の放出は全く解せないものでした・・。金銭トレードでは、カツノリを始め、加藤博人、寺村を放出、浜名千広、鈴木を獲得しました。飯田は楽天への無償トレードという形での放出となりました。コーチとして再びスワローズのユニフォームに袖を通してくれることを願います。
そしてこの7年間の間に 石井一、高津はメジャーへ行き、稲葉は日本ハムへFA移籍。岡林洋一、池山、伊藤智、川崎、佐藤真らがユニホームを脱ぎました。選手にとって『引退』の二文字は避けては通れないものですが、1990年代の主力が相次いで移籍/引退を表明していくのは、やはり寂しいものでした。
押尾健一、丹野は打撃投手、阿部茂樹、鮫島秀旗はブルペン捕手、橿渕聡はスカウト、斎藤充弘、松田慎司は裏方として現在は影でチームを支えてくれています。馬場敏史、成本年秀は一軍コーチとして古田内閣を支えることになります。これはこれでまた感慨深いものです・・。
7年間という歳月はこうしてみても実に長いものです。そして、2006年からは、新たに古田選手兼監督率いるスワローズへと引き継がれます。どんなチームになるのか、今から楽しみでなりません。
でもその前に今一度改めて”名将”若松勉に感謝の言葉を・・、
若松監督7年間本当にお疲れ様でした。そしてありがとうございました。