プロ野球ヤクルトの石井一久投手(28)が米大リーグに挑戦することが27日、決まった。ヤクルト球団と同選手が、日米間の選手契約に関する入札制度(ポスティングシステム)を利用し、米国移籍を目指すことで合意した。入札制度による大リーグ移籍が実現すれば、日本人選手では昨年のイチロー(オリックス−マリナーズ)に続き2人目となる。
石井一はこの日、東京都内の球団事務所で契約更改交渉を行い、大リーグ挑戦を訴えて球団側の複数年契約の条件提示を拒否した。来季中にフリーエージェント(FA)資格を取得するため、球団側は金銭的な見返りのある入札制度を申請することにした。
ヤクルトが日本シリーズに優勝した後の11月16日、石井一は同時多発テロ後の米国の社会情勢に不安があるとして来季の大リーグ挑戦を断念すると表明していた。
石井一は千葉・東京学館浦安高から91年のドラフト1位でヤクルト入団。本格派左腕として活躍し、97年9月の横浜戦で無安打無得点試合を達成。最多奪三振2度(98、00年)、最優秀防御率1度(00年)。通算成績は78勝46敗1セーブ。
○夢に素直に
<石井一の話> わがままを聞いていただいた球団に感謝したい。メジャー挑戦の夢に素直になろうと思った。(断念表明から一転して姿勢が変わったのは)日本に残留すれば悔いを残すと思ったから。
2001年12月27日
石井一久、大リーグ挑戦 ヤクルト残留一転、入札制度利用
2001年12月25日
総括2001−4年ぶり6度目のリーグ制覇までの道のり
川崎憲次郎、ジェイソン・ハッカミー。この二人の退団劇から2001年シーズンはスタートしたと言って良かろう。「一年間ローテを守ってなかった…」「16勝してるが16敗もしている…」とは言うもののローテーション投手が二人も抜け、「果たして一年間戦えるのであろうか?」これが率直な気持ちであった。
昨年までの135試合制から140試合制となる今シーズン。単純に70勝しても勝率は5割となる計算である。「85勝55敗の貯金30なら優勝できる!」との思いから実際にキャンプ前日に勝ち星計算をしてみたものである。まさに嬉しい誤算だらけになった訳であるが…
キャンプ・オープン戦を消化するにつれ、夢の「85勝」計画はまさに夢と化す勢いだった。伊藤智仁戦線離脱。期待のドラ1・平本学ノーコン露呈で二軍落ち。チーム最多勝男・五十嵐亮太も調整不足。加えて不動の4番ロベルト・ペタジーニまでもが膝痛で開幕絶望(結果的には2試合目から復帰)となり、阪神ファンにまでも同情されるくらいであった。
開幕戦はエース・石井一久で三年連続○を収め、しかも翌日は季節はずれの都心の雪で恵みの中止!幸先は良かったように思えた。しかし、天気も回復した開幕2戦目に早くも期待の新外国人の一角・ジョナサン・ハーストが怪我で戦線離脱し●。神宮開幕戦となった3戦目(対巨人)は天敵工藤から点を取ったが、新鋭条辺に手も足も出ず●。不安敵中か?と脳裏をよぎる。
◆転機1◆4/4 ヤクルト10-5巨人(神宮)○
まずは相手先発が高橋尚にもかかわらず1番に真中満を起用した事。昨年まで左投手が来るとことごとく代えられた真中をスタメン起用。この日見事期待に応え5打数4安打の大爆発!シーズン序盤の好調を支える転機になったであろう。次に、オープン戦本塁打0の新外国人・アレックス・ラミレスに待望の来日初本塁打がでた事。キャンプ時は絶賛されたがイマイチだったラミ(実際本領発揮は夏場以降)に1本出たのも大きかったであろう。さらにはベテラン・池山隆寛がこの試合で通産1500本安打を達成!。しかしこの試合で最も大きかったのは先発・藤井秀悟の活躍である。勝利投手にこそなれなかったが、プロ初先発で6回1死まで読売を0点に抑える見事な投球。彼なくして今年のスワローズ快進撃は語れない。
その後は○●●○○○●○△●○●●△○○●。勝ったり負けたりの繰り返し。中にはいずれも広島戦で、終盤5点差を最後は守護神・高津臣吾が守れなかったり、9回2死からサード・岩村明憲のタイムリーエラーで追いつかれたりと今一つ調子に乗れなかったが、。4/28〜/30にかけて阪神に○○○。4月を13勝9敗2分で何とか乗り切る。
月が変わり5月。横浜に●○●。広島に●●○。中日には敵地で●●●を喫し5/10ついに借金生活に突入してしまう。そんなムードの中の東北遠征。その初戦で連敗を3で止め、勝率を5割に戻した(結局これが今シーズン最初で最後の借金生活だった)がこの1勝は単なる1勝では終わらなかった。次の日は相手エラーに助けられての逆転勝ちで横浜に○○。神宮に戻ると古田敦也・岩村・ラミレス3者連続本塁打あり、急きょ登板本間忠の好救援ありで広島に○○●。続くカード阪神戦は○●で迎えた9回2死から岩村の代役池山が起死回生の同点本塁打がペタジーニのサヨナラ本塁打を呼び今季初のサヨナラ○!貯金を3とし、東京ドームへ乗り込む。そしてあの事件が起こったのだった。
◆転機2◆5/22 ヤクルト8-4巨人(東京ドーム)○
中継を見ている時点ではあんなひどい事件が起きているかなんて想像もつかなかった。7点差の楽勝ムードが一転…。最終回4点差となり尚も満塁。一発出れば同点の大ピンチ。そこを高津が仁志を投併に抑えヒヤヒヤもんの勝利!しかし翌日の新聞報道を見て事態は急転した。「藤井が泣かされた」というのだ。7点差の9回表の全力プレーに読売がヤジを浴びせたというあの事件。
これでヤクルトスワローズの結束力が高まったことは間違えなかろう。翌日は16安打5本塁打の猛攻で打撃戦を制し○。続くカード横浜にも○○。
そしてあの事件から丸一週間。舞台を変え神宮球場での読売戦。初戦は石井一がピリッとしないで●。そして次の日藤井が先発登板する。
◆転機3◆5/30 ヤクルト7-0巨人(神宮)○
藤井涙の降板から一週間。投げては7回1/3を無失点。打っても2安打2打点の活躍を見せて見事読売にリベンジを果たす。これで加速したSWALLOWS。翌31日稲葉篤紀のサヨナラ満塁本塁打で○!5月を14勝10敗で乗り切る。
6月。相性のよい千葉マリンで○し、勝率首位(当時でいう”隠れ首位”)に立つ。梅雨前線にはさすがのSWALLOWSも勝てず●雨雨○●雨○●雨と一進一退の日々が続く。まぁ、石井一・藤井・前田浩継・入来智しか先発投手がいなかった当時としてはまさに恵みの雨だったが。
雨の影響を受けない福岡遠征。○○で迎えた第3戦。
◆転機4◆6/17 ヤクルト3-0広島(福岡ドーム)○
ヤクルト・藤井、広島・長谷川の息詰まる投手戦。7回裏岩村の3ランで勝負を決めた。ただこの「一勝」は単なる一勝ではないことが過去のデータで判明したのだ。「福岡ドームで3連勝した年は全て優勝している」というデータが!この日の勝利以来本気で4年ぶりの優勝を意識した。
阪神戦。○○で迎えた6/24。昨年は手術で一年を棒に振った河端龍がプロ入り初○を挙げる。横浜戦。鬼門長野では●も、神宮に戻って6/27。今度はプロ入り初先発寺村友和がプロ入り初○。球団通算3000勝という区切りの一勝であった。残り3試合は○●○。6月をはナ、ナント13勝5敗!の好成績であった。
月が変わって7月。ツキも変わったしまったのか?甲子園で高津がカツノリにサヨナラタイムリーを打たれるという悪夢のような●でスタート。歯車が狂ってしまったのかその後も●●。
迎えた7/6も8回表を終えて3点のビハインドと劣勢だった…。
◆転機5◆7/6 ヤクルト7-6中日(神宮)○
マウンド上には中日のセットアッパー岩瀬が。バッターは我らが4番・ペタジーニ。たった一球で流れが変わった。肩部直撃の死球にあの温厚なペタジーニが激怒&乱闘に!岩瀬、ペタジーニ両者が退場となった直後古田が1点差に迫る2ランを放つと完全にゲームの流れはヤクルトに。相手投手の暴投で追いつき、満塁で迎えるバッターは飯田哲也。その初球。スクイズバントは一塁線へ。サードランナー三木肇が生還し一気逆転!最後は甲子園で二度の救援失敗で自信を失いかけていた守護神・高津が久々にビシッと締めた。これは実に大きな大きな「一勝」であった。
以降は●○○○●△●○●○。46勝31敗3分「貯金15」で前半戦を折り返した。
オールスターを挟んで後半戦の開幕。”隠れ首位”と形容されていたヤクルトは地元・神宮で”暫定首位”巨人を迎え撃つ。初戦は石井一の乱調で●スタートも、二戦目前田三戦目藤井と左腕で○○。7月29日再び名実とも”首位”に立った。その日神宮の夜空には盛大な花火が打ち上がった。
気を良くして乗り込んだ甲子園。しかしその初戦。新鋭・谷中に完封●を喫し、初の月間負け越し8勝9敗1分となり勢いもここまでか?などと騒がれたりも?しかし…。
8月。ヤ投に救世主が現れた。その名はケビン・ホッジス。立ち上がり不安定ながら見事6回3失点で初登板初勝利。チームに○○○○○をもたらしてくれた。中でも8月3日の神宮での中日戦はバンチ−岩瀬−落合−ギャラードの中日お得意の必勝リレーを終盤2イニングで攻略。ペタジーニのサヨナラホームランで今季4度目のサヨナラ勝ち。苦労人松田慎司が2勝目をあげる。続く対広島は●●○で、再び首位攻防巨人戦。
前回巨人相手に好投した前田・藤井を立てるも●●。またもや勝ち数の関係で巨人が首位となってしまった。
◆転機6◆8/12 ヤクルト7-4巨人(東京ドーム)○
3-0ヤクルト3点リードの6回裏。何でもないフライを土橋勝征と稲葉がお見合い。このプレーで先発入来のリズムが完全に狂ってしまった。松井に逆転本塁打を許し一挙4点を奪われ逆転される。同一カード3連敗の危機を救ってくれたのが代打の度会博文だった。まさにチーム一丸野球の象徴となる価値ある一勝であった。
これで加速したスワローズは横浜にも○○し、8/16には疑惑の判定の末の△でついに4年ぶり優勝へのマジックナンバー「33」が点灯した。ところが…。
◆危機1◆8/17 ヤクルト3-6中日(ナゴヤドーム)●
試合には敗れたが、マジック対象の横浜も敗れたためマジックは1つ減って「32」となったと喜ぶも、実はこの試合中。攻守の要宮本慎也が右肩を負傷。翌日登録抹消されてしまう。二番遊撃の座をそのまま城石憲之に託したがどうも攻撃面で役不足がが否めない。この日の●でたった2日でマジックは消滅。次の日も●で今季二度目しかも前回と同じナゴヤドームでの同一カード3タテを食らってしまう。
ただこの時期台風が首都圏を直撃!雨雨の間にマジックが再点灯し、それから○○○○と宮本の穴を雨と三木でカバーしていたが、が、が、、、
◆危機2◆8/28 ヤクルト9-9中日(神宮)△
試合自体は「どうしてナゴヤと神宮じゃこんなに違うのか?」と思ってしまう神宮劇場対中日戦のリプレイを見るような展開。3-9の敗色濃厚ムードを8回裏ラミレスの満塁本塁打で追い上げ、9回裏に代打池山のヒットから古田の同点打で執念のドロー。”勝ちに等しい引き分け”と言われたが、が、が、、、
翌日のスタメンの名から古田の名が消えた。この試合9回表中日の攻撃中キャッチャーファールフライをスライディングキャッチしようとした際に「左ひざ後ろ十時じん帯損傷で全治3週間」の大怪我をしてしまった。ただそんな状態で、延長12回までマスクをかぶり、打席でタイムリーを放ち、盗塁を阻止していた姿を充分留意しておく必要があろう。ただ激闘いやここは「死闘」という二文字がふさわしかろう。
宮本に続いて古田までも戦線離脱してしまった。そんな状態でもスワローズは崩れなかった。小野公誠が救った。山部太との呼吸ぴったりで○。あのプロ初打席初本塁打自身4年ぶりの本塁打で○。と気がついてみれば引き分けを挟んで6連勝。月間を通しても15勝7敗2分で二位巨人ともゲーム差7.5をつける独走状態に入っていた。
9月に入っても、若松監督の故郷凱旋となった札幌ドーム阪神戦で○○し、連勝も「8」まで伸び、マジックも「17」に。最短優勝はなんて声も聞かれ始めた。
9/5の広島戦でチームの連勝「8」及び神宮での不敗神話も「10」で止まった。この●は単なる一敗に過ぎなかった…。翌日も●だったが、気持ちはすでに巨人に引導を渡すことに傾いていた。「一勝すればいい」その一勝が出来ない。初戦石井一は大乱調●。二戦目はホッジスが清原の一発に沈む●。「一勝さえすれば」その三戦目。
◆危機3◆9/9 ヤクルト0-1巨人(東京ドーム)●
ヤクルト・藤井。巨人・桑田。両投手の息詰まる投手戦は7回裏主砲・松井のあまりにも大きな一発であっけなく勝負は決した。前日今季初の4連敗。ムードを変えようと、負傷が完全には癒えない宮本を登録即スタメンで起用したがしただったが連敗は止められなかった。二位転落、古田の穴、ミラクルアゲイン。あらゆる言葉が叫ばれる。
本来お得意さんである阪神にも●。翌日の○でなんとか連敗を「6」で止めた。光の見えないVロードのトンネルを何とか抜けた。広島が勝ってマジックは17でまたもだ。「17」のまま10日間足踏み状態だったマジックもようやく「15」に。たが悪夢甲子園再び。高津が打たれサヨナラ●。不気味に忍び寄る巨人の足音。広島戦●○○。横浜戦○○●。と2カード連続勝ち越しでようやくマジックは二桁を割って「9」となる。いよいよ最後にして最大の天王山。首位巨人との直接対決の時となる。
◆最大危機◆
9/22 ヤクルト3-4巨人(神宮)● 島田直也が8回表江藤に逆転2ラン
9/23 ヤクルト4-8巨人(神宮)● 山本樹が7回表松井に逆転3ラン
◆最大転機◆9/24 ヤクルト2-3巨人(神宮)●
入来が8回表仁志に同点2ラン、高津が9回表元木に逆転打。打線も斎藤雅−岡島−桑田の3連投リレーに交わされ、最大9.5あったゲーム差もついに1.5にまで迫られてしまった。
ただ、あえてこの試合は危機でなく転機と捉えてよかろう。選手会長高津の提案により、アンダーシャツを赤に変えて試合に挑む。扇の要古田が志願のスタメン復帰。足を引きずりながらも懸命に守って打って走る古田の雄姿に、入来がピッチングで、宮本が守備で応える。試合にこそ敗れはしたが、忘れていた”何か”を取り戻したように見えた。
結果は案の定だった。ナゴヤに移動して
9/26 ヤクルト9-2中日(ナゴヤドーム)○ 孤軍奮闘山部を終盤大量援護で「8」
9/27 ヤクルト8-1中日(ナゴヤドーム)○ ルーキー鎌田プロ入り初先発初勝利で「6」
9/28 ヤクルト3-2中日(ナゴヤドーム)○ エースの力石井一7回零封で「4」
9/29 ヤクルト6-3中日(ナゴヤドーム)○ 完全に息を吹き返したツバメは「3」
確かに星野監督の辞任で中日は精彩を欠いていたが、それだけではなかっただろう。月間成績こそ11勝12敗であったが優勝の二文字がようやく鮮明に見えてきた。まさに巨人の力をまざまざと魅せつけられた1ヶ月間であったが、「長嶋監督の勇退」で静かにその幕を閉じたのだった。
10月。残るは地元胴上げだ!とばかりに、広島甲子園で●●。マジック「1」とし神宮に戻ってきたSWALLOWS。ここまではお望みどおりの展開だったのだが…。生みの苦しみ、相手チームの意地。まさかまさかの●△で優勝に王手をかけたまま5日間が過ぎた。この時間は実に長かったとしみじみ思う。
10/6 ヤクルト6-4横浜○ ついにヤっと歓喜の瞬間が訪れたのであった。
優勝決定後は●●●なんとか最終戦で○を収め、通算成績140試合76勝58敗6分で2001年のシーズンを終了した。
春先の状態を考えれば「期待」はしていたけれどホントに”優勝”してくれるとは正直思ってませんでした。ゴメンナサイ。またこうしてネットを通して、日々ひとつひとつのプレーそして勝敗に一喜一憂し、表現もできました。だからこそ余計に過去の4回(1992年以降)の優勝よりも感動しました。選手の皆さん本当に多くの感動を与えてくれてありがとうございました。
昨年までの135試合制から140試合制となる今シーズン。単純に70勝しても勝率は5割となる計算である。「85勝55敗の貯金30なら優勝できる!」との思いから実際にキャンプ前日に勝ち星計算をしてみたものである。まさに嬉しい誤算だらけになった訳であるが…
石井一 | 15 | 7 | △島田、山本 | 5 | 3 | |
伊藤 | 10 | 8 | 五十嵐、高津 | 10 | 5 | |
宮出、本間 | 20 | 10 | △入来、△寺村 | 3 | 7 | |
石井弘、藤井、前田 | 高木、山部 | |||||
○ニューマン、○ハースト | 10 | 7 | 三上、石堂、高橋一 | |||
○平本、○鎌田 | 12 | 8 | 合 計 | 85 | 55 |
キャンプ・オープン戦を消化するにつれ、夢の「85勝」計画はまさに夢と化す勢いだった。伊藤智仁戦線離脱。期待のドラ1・平本学ノーコン露呈で二軍落ち。チーム最多勝男・五十嵐亮太も調整不足。加えて不動の4番ロベルト・ペタジーニまでもが膝痛で開幕絶望(結果的には2試合目から復帰)となり、阪神ファンにまでも同情されるくらいであった。
開幕戦はエース・石井一久で三年連続○を収め、しかも翌日は季節はずれの都心の雪で恵みの中止!幸先は良かったように思えた。しかし、天気も回復した開幕2戦目に早くも期待の新外国人の一角・ジョナサン・ハーストが怪我で戦線離脱し●。神宮開幕戦となった3戦目(対巨人)は天敵工藤から点を取ったが、新鋭条辺に手も足も出ず●。不安敵中か?と脳裏をよぎる。
◆転機1◆4/4 ヤクルト10-5巨人(神宮)○
まずは相手先発が高橋尚にもかかわらず1番に真中満を起用した事。昨年まで左投手が来るとことごとく代えられた真中をスタメン起用。この日見事期待に応え5打数4安打の大爆発!シーズン序盤の好調を支える転機になったであろう。次に、オープン戦本塁打0の新外国人・アレックス・ラミレスに待望の来日初本塁打がでた事。キャンプ時は絶賛されたがイマイチだったラミ(実際本領発揮は夏場以降)に1本出たのも大きかったであろう。さらにはベテラン・池山隆寛がこの試合で通産1500本安打を達成!。しかしこの試合で最も大きかったのは先発・藤井秀悟の活躍である。勝利投手にこそなれなかったが、プロ初先発で6回1死まで読売を0点に抑える見事な投球。彼なくして今年のスワローズ快進撃は語れない。
その後は○●●○○○●○△●○●●△○○●。勝ったり負けたりの繰り返し。中にはいずれも広島戦で、終盤5点差を最後は守護神・高津臣吾が守れなかったり、9回2死からサード・岩村明憲のタイムリーエラーで追いつかれたりと今一つ調子に乗れなかったが、。4/28〜/30にかけて阪神に○○○。4月を13勝9敗2分で何とか乗り切る。
月が変わり5月。横浜に●○●。広島に●●○。中日には敵地で●●●を喫し5/10ついに借金生活に突入してしまう。そんなムードの中の東北遠征。その初戦で連敗を3で止め、勝率を5割に戻した(結局これが今シーズン最初で最後の借金生活だった)がこの1勝は単なる1勝では終わらなかった。次の日は相手エラーに助けられての逆転勝ちで横浜に○○。神宮に戻ると古田敦也・岩村・ラミレス3者連続本塁打あり、急きょ登板本間忠の好救援ありで広島に○○●。続くカード阪神戦は○●で迎えた9回2死から岩村の代役池山が起死回生の同点本塁打がペタジーニのサヨナラ本塁打を呼び今季初のサヨナラ○!貯金を3とし、東京ドームへ乗り込む。そしてあの事件が起こったのだった。
◆転機2◆5/22 ヤクルト8-4巨人(東京ドーム)○
中継を見ている時点ではあんなひどい事件が起きているかなんて想像もつかなかった。7点差の楽勝ムードが一転…。最終回4点差となり尚も満塁。一発出れば同点の大ピンチ。そこを高津が仁志を投併に抑えヒヤヒヤもんの勝利!しかし翌日の新聞報道を見て事態は急転した。「藤井が泣かされた」というのだ。7点差の9回表の全力プレーに読売がヤジを浴びせたというあの事件。
これでヤクルトスワローズの結束力が高まったことは間違えなかろう。翌日は16安打5本塁打の猛攻で打撃戦を制し○。続くカード横浜にも○○。
そしてあの事件から丸一週間。舞台を変え神宮球場での読売戦。初戦は石井一がピリッとしないで●。そして次の日藤井が先発登板する。
◆転機3◆5/30 ヤクルト7-0巨人(神宮)○
藤井涙の降板から一週間。投げては7回1/3を無失点。打っても2安打2打点の活躍を見せて見事読売にリベンジを果たす。これで加速したSWALLOWS。翌31日稲葉篤紀のサヨナラ満塁本塁打で○!5月を14勝10敗で乗り切る。
6月。相性のよい千葉マリンで○し、勝率首位(当時でいう”隠れ首位”)に立つ。梅雨前線にはさすがのSWALLOWSも勝てず●雨雨○●雨○●雨と一進一退の日々が続く。まぁ、石井一・藤井・前田浩継・入来智しか先発投手がいなかった当時としてはまさに恵みの雨だったが。
雨の影響を受けない福岡遠征。○○で迎えた第3戦。
◆転機4◆6/17 ヤクルト3-0広島(福岡ドーム)○
ヤクルト・藤井、広島・長谷川の息詰まる投手戦。7回裏岩村の3ランで勝負を決めた。ただこの「一勝」は単なる一勝ではないことが過去のデータで判明したのだ。「福岡ドームで3連勝した年は全て優勝している」というデータが!この日の勝利以来本気で4年ぶりの優勝を意識した。
阪神戦。○○で迎えた6/24。昨年は手術で一年を棒に振った河端龍がプロ入り初○を挙げる。横浜戦。鬼門長野では●も、神宮に戻って6/27。今度はプロ入り初先発寺村友和がプロ入り初○。球団通算3000勝という区切りの一勝であった。残り3試合は○●○。6月をはナ、ナント13勝5敗!の好成績であった。
月が変わって7月。ツキも変わったしまったのか?甲子園で高津がカツノリにサヨナラタイムリーを打たれるという悪夢のような●でスタート。歯車が狂ってしまったのかその後も●●。
迎えた7/6も8回表を終えて3点のビハインドと劣勢だった…。
◆転機5◆7/6 ヤクルト7-6中日(神宮)○
マウンド上には中日のセットアッパー岩瀬が。バッターは我らが4番・ペタジーニ。たった一球で流れが変わった。肩部直撃の死球にあの温厚なペタジーニが激怒&乱闘に!岩瀬、ペタジーニ両者が退場となった直後古田が1点差に迫る2ランを放つと完全にゲームの流れはヤクルトに。相手投手の暴投で追いつき、満塁で迎えるバッターは飯田哲也。その初球。スクイズバントは一塁線へ。サードランナー三木肇が生還し一気逆転!最後は甲子園で二度の救援失敗で自信を失いかけていた守護神・高津が久々にビシッと締めた。これは実に大きな大きな「一勝」であった。
以降は●○○○●△●○●○。46勝31敗3分「貯金15」で前半戦を折り返した。
オールスターを挟んで後半戦の開幕。”隠れ首位”と形容されていたヤクルトは地元・神宮で”暫定首位”巨人を迎え撃つ。初戦は石井一の乱調で●スタートも、二戦目前田三戦目藤井と左腕で○○。7月29日再び名実とも”首位”に立った。その日神宮の夜空には盛大な花火が打ち上がった。
気を良くして乗り込んだ甲子園。しかしその初戦。新鋭・谷中に完封●を喫し、初の月間負け越し8勝9敗1分となり勢いもここまでか?などと騒がれたりも?しかし…。
8月。ヤ投に救世主が現れた。その名はケビン・ホッジス。立ち上がり不安定ながら見事6回3失点で初登板初勝利。チームに○○○○○をもたらしてくれた。中でも8月3日の神宮での中日戦はバンチ−岩瀬−落合−ギャラードの中日お得意の必勝リレーを終盤2イニングで攻略。ペタジーニのサヨナラホームランで今季4度目のサヨナラ勝ち。苦労人松田慎司が2勝目をあげる。続く対広島は●●○で、再び首位攻防巨人戦。
前回巨人相手に好投した前田・藤井を立てるも●●。またもや勝ち数の関係で巨人が首位となってしまった。
◆転機6◆8/12 ヤクルト7-4巨人(東京ドーム)○
3-0ヤクルト3点リードの6回裏。何でもないフライを土橋勝征と稲葉がお見合い。このプレーで先発入来のリズムが完全に狂ってしまった。松井に逆転本塁打を許し一挙4点を奪われ逆転される。同一カード3連敗の危機を救ってくれたのが代打の度会博文だった。まさにチーム一丸野球の象徴となる価値ある一勝であった。
これで加速したスワローズは横浜にも○○し、8/16には疑惑の判定の末の△でついに4年ぶり優勝へのマジックナンバー「33」が点灯した。ところが…。
◆危機1◆8/17 ヤクルト3-6中日(ナゴヤドーム)●
試合には敗れたが、マジック対象の横浜も敗れたためマジックは1つ減って「32」となったと喜ぶも、実はこの試合中。攻守の要宮本慎也が右肩を負傷。翌日登録抹消されてしまう。二番遊撃の座をそのまま城石憲之に託したがどうも攻撃面で役不足がが否めない。この日の●でたった2日でマジックは消滅。次の日も●で今季二度目しかも前回と同じナゴヤドームでの同一カード3タテを食らってしまう。
ただこの時期台風が首都圏を直撃!雨雨の間にマジックが再点灯し、それから○○○○と宮本の穴を雨と三木でカバーしていたが、が、が、、、
◆危機2◆8/28 ヤクルト9-9中日(神宮)△
試合自体は「どうしてナゴヤと神宮じゃこんなに違うのか?」と思ってしまう神宮劇場対中日戦のリプレイを見るような展開。3-9の敗色濃厚ムードを8回裏ラミレスの満塁本塁打で追い上げ、9回裏に代打池山のヒットから古田の同点打で執念のドロー。”勝ちに等しい引き分け”と言われたが、が、が、、、
翌日のスタメンの名から古田の名が消えた。この試合9回表中日の攻撃中キャッチャーファールフライをスライディングキャッチしようとした際に「左ひざ後ろ十時じん帯損傷で全治3週間」の大怪我をしてしまった。ただそんな状態で、延長12回までマスクをかぶり、打席でタイムリーを放ち、盗塁を阻止していた姿を充分留意しておく必要があろう。ただ激闘いやここは「死闘」という二文字がふさわしかろう。
宮本に続いて古田までも戦線離脱してしまった。そんな状態でもスワローズは崩れなかった。小野公誠が救った。山部太との呼吸ぴったりで○。あのプロ初打席初本塁打自身4年ぶりの本塁打で○。と気がついてみれば引き分けを挟んで6連勝。月間を通しても15勝7敗2分で二位巨人ともゲーム差7.5をつける独走状態に入っていた。
9月に入っても、若松監督の故郷凱旋となった札幌ドーム阪神戦で○○し、連勝も「8」まで伸び、マジックも「17」に。最短優勝はなんて声も聞かれ始めた。
9/5の広島戦でチームの連勝「8」及び神宮での不敗神話も「10」で止まった。この●は単なる一敗に過ぎなかった…。翌日も●だったが、気持ちはすでに巨人に引導を渡すことに傾いていた。「一勝すればいい」その一勝が出来ない。初戦石井一は大乱調●。二戦目はホッジスが清原の一発に沈む●。「一勝さえすれば」その三戦目。
◆危機3◆9/9 ヤクルト0-1巨人(東京ドーム)●
ヤクルト・藤井。巨人・桑田。両投手の息詰まる投手戦は7回裏主砲・松井のあまりにも大きな一発であっけなく勝負は決した。前日今季初の4連敗。ムードを変えようと、負傷が完全には癒えない宮本を登録即スタメンで起用したがしただったが連敗は止められなかった。二位転落、古田の穴、ミラクルアゲイン。あらゆる言葉が叫ばれる。
本来お得意さんである阪神にも●。翌日の○でなんとか連敗を「6」で止めた。光の見えないVロードのトンネルを何とか抜けた。広島が勝ってマジックは17でまたもだ。「17」のまま10日間足踏み状態だったマジックもようやく「15」に。たが悪夢甲子園再び。高津が打たれサヨナラ●。不気味に忍び寄る巨人の足音。広島戦●○○。横浜戦○○●。と2カード連続勝ち越しでようやくマジックは二桁を割って「9」となる。いよいよ最後にして最大の天王山。首位巨人との直接対決の時となる。
◆最大危機◆
9/22 ヤクルト3-4巨人(神宮)● 島田直也が8回表江藤に逆転2ラン
9/23 ヤクルト4-8巨人(神宮)● 山本樹が7回表松井に逆転3ラン
◆最大転機◆9/24 ヤクルト2-3巨人(神宮)●
入来が8回表仁志に同点2ラン、高津が9回表元木に逆転打。打線も斎藤雅−岡島−桑田の3連投リレーに交わされ、最大9.5あったゲーム差もついに1.5にまで迫られてしまった。
ただ、あえてこの試合は危機でなく転機と捉えてよかろう。選手会長高津の提案により、アンダーシャツを赤に変えて試合に挑む。扇の要古田が志願のスタメン復帰。足を引きずりながらも懸命に守って打って走る古田の雄姿に、入来がピッチングで、宮本が守備で応える。試合にこそ敗れはしたが、忘れていた”何か”を取り戻したように見えた。
結果は案の定だった。ナゴヤに移動して
9/26 ヤクルト9-2中日(ナゴヤドーム)○ 孤軍奮闘山部を終盤大量援護で「8」
9/27 ヤクルト8-1中日(ナゴヤドーム)○ ルーキー鎌田プロ入り初先発初勝利で「6」
9/28 ヤクルト3-2中日(ナゴヤドーム)○ エースの力石井一7回零封で「4」
9/29 ヤクルト6-3中日(ナゴヤドーム)○ 完全に息を吹き返したツバメは「3」
確かに星野監督の辞任で中日は精彩を欠いていたが、それだけではなかっただろう。月間成績こそ11勝12敗であったが優勝の二文字がようやく鮮明に見えてきた。まさに巨人の力をまざまざと魅せつけられた1ヶ月間であったが、「長嶋監督の勇退」で静かにその幕を閉じたのだった。
10月。残るは地元胴上げだ!とばかりに、広島甲子園で●●。マジック「1」とし神宮に戻ってきたSWALLOWS。ここまではお望みどおりの展開だったのだが…。生みの苦しみ、相手チームの意地。まさかまさかの●△で優勝に王手をかけたまま5日間が過ぎた。この時間は実に長かったとしみじみ思う。
10/6 ヤクルト6-4横浜○ ついにヤっと歓喜の瞬間が訪れたのであった。
優勝決定後は●●●なんとか最終戦で○を収め、通算成績140試合76勝58敗6分で2001年のシーズンを終了した。
春先の状態を考えれば「期待」はしていたけれどホントに”優勝”してくれるとは正直思ってませんでした。ゴメンナサイ。またこうしてネットを通して、日々ひとつひとつのプレーそして勝敗に一喜一憂し、表現もできました。だからこそ余計に過去の4回(1992年以降)の優勝よりも感動しました。選手の皆さん本当に多くの感動を与えてくれてありがとうございました。
2001年12月14日
ヤクルトが新人選手の入団発表
ヤクルトは14日、ドラフトで獲得した7選手の入団を発表した。(※は自由獲得枠、円内数字は巡目、「」内は背番号)
※ 石川雅規投手(21)=青学大「19」
(2)梶本勇介内野手(17)=岩手・専大北上高「39」
(4)内田和也外野手(17)=東京・日大三高「50」
(5)福川将和捕手(24)=三菱自動車岡崎「37」
(6)萩原多賀彦投手(26)=JR東日本「14」
(7)五十嵐貴章投手(24)=JR東日本「46」
(8)志田宗大外野手(22)=青学大「67」